【6】 街の様子と新しい出会い
どうして俺は、こいつらについて行っているんだ?
他の人が聞いたら笑い出しそうなことを、いとも真剣に考え込みながら、ルドはヴィルフールとサーレの後をついて行っていた。
ここサリッシュウィットに来てからはや四日たつが、あまり見て回ったことはない。こうして出歩くのは、彼にとって初めてだった。
そのサリッシュウィットは、『地吹雪』の面々が言っていたように何かしらの紛争や暴動に巻き込まれたのだろう。街のところどころが破壊されている。道端に、怪我人が座り込んでいるのが視界に映る。どこか疲弊した顔をしている人々も、多くいた。乾いた風が、その中を駆け抜けていく。
その見覚えのある風景に、ルドは瞳を細める。怪我も、疲れた表情も、ルドは知っている。
あそこではよく、人が壊れていった。
「ルド? 大丈夫?」
ヴィルフールに振り返られ、ルドは思考を現実へと戻した。考え込んでいる間に、歩く速度が落ちていたらしい。前を歩く二人と、若干の距離が生まれていた。
「なんでもない」
端的に答え、ルドは歩き出す。元の歩調に戻しはしたが、二人に追いつくような速さではなかった。
なんだか追いかけるというのは悔しかったからだ。自分でも、どうしてそう思ったのかはよく分からなかったが。
だが、ヴィルフールとサーレは、彼が追いつくのを待っていた。早く来いと急かすこともせずに、ただ待っていた。そして横に並ぶところまで来ると、当然のように歩き始める。
ルドはさらに瞳を細め、横にいる彼らを見る。それに気付いたサーレが少し視線を向けたが、それだけで彼は何も言わなかった。
なんだか、負け気分だ。
よく分からない微妙な敗北感を味わいながら歩くルドに、ヴィルフールは気付いていない。
「あ、ルド。あの先だよ」
なんだか穏やかに言われて、ルドは肩を落とした。どうもすっかりと、彼らのペースに巻き込まれているような気がする。
そしてヴィルフールの指差した先は、暗い路地裏だった。
「おい」
「なに?」
「あの先か?」
「そうだよ?」
いぶかしむルドにあっさりと答えて、ヴィルフールはやや急ぎ足になった。さらに怪訝そうな表情へと変化するルドを、サーレは一瞥した。
「行けば分かる」
そうして紡がれた言葉は、実にあっさりとしたものだった。らしいと言ってしまえばそれまでであるその態度に、ルドが見せたのは諦めだった。わずか三日であるが、その間にサーレについてルドは学んだらしい。いわく、わけの分からない存在だと。
ゆえにサーレに聞いても仕方がないと思ったルドは、言われたとおり後に続く。その態度に、サーレはかすかに笑みを浮かべた。そうして、彼がついてくることだけでも大きな変化であるということに、ルド本人は気付いていないだろう。
すでにヴィルフールの消えて行った路地裏へと、ルドは足を進める。するとそこに、賑やかな声が響いてくる。
「よぉ、ヴィー。お前、またきやがったのか。暇人だろっ」
明るい、底抜けに明るい声だった。軽快に弾むような、楽しげな少年の声。
「暇っていうわけじゃないけどね、ファーリット。調子はどう?」
答えるヴィルフールの声は、対照的に穏やかだ。今は苦笑のために柔らかな苦さと、それでいて会話を楽しんでいるような雰囲気も混じっている。
路地裏には、何人もの子どもが集まっていた。ボロ布にも近い服を纏った彼らは、一見して孤児だと分かる。とはいえ、ヴィルフールたちが着ているものもそれよりも少しマシといった程度のものであるが。彼らは『地吹雪』のような孤児院に身を寄せることを良しとせず、自力で生き抜く厳しさと共に自由を望んだ子どもたちだった。
ヴィルフールが会話しているのは、その中のリーダー格らしい少年だった。短く切られた艶のない群青色の髪は、吹き抜けていく北部の乾いた風を思わせる。瞳を笑みの形に細め、ファーリットと呼ばれた少年は軽快な笑い声を風に乗せる。
「上々、と言いたいところなんだけどな。なんせ、このザマだ。まったく、最近はろくなことがありゃしねぇ。稼ぎも悪いし」
「だろうね。僕のところも結構、踏んだり蹴ったりな状態だからね。この間、修繕したばかりのところが壊されるし、また内乱だなんだと物資が途絶えるし」
「違いねぇや」
けっけっけ、とよく分からない笑い声を上げたファーリットは、ヴィルフールの後ろから来た二人に気付き片手を挙げる。
「よぉ、サーレ。相変わらずよく分かんねぇツラしてんな」
「よぉ、ファーリット。相変わらず元気そうだな」
嫌味にも片手を挙げて普段どおりに返したサーレに、ファーリットは相変わらず眠そうな奴、と言葉を追加する。親しみから来るからかいの言葉に、聞いていたヴィルフールは苦笑する。
「で、そっちのは? 見ない顔だけど、新入りか?」
「新入り、といえばそうかな。ルドっていうんだ。ルド=リファス」
ヴィルフールが紹介している間、ルドはそっぽを向いていた。別にファーリットと親しくする理由もなければ、頭を下げる理由はもっとないというのが彼の論だが、随分と礼を欠いた仕草ではある。
しかしそれを、ファーリットは気に留めなかったようだ。悪戯を企む子どものような表情を浮かべ、ファーリットはルドに手を差し出す。
「俺はファーリット=クローだ。よろしくな、ルド」
だが、ルドはその手を取らなかった。ファーリットは肩をすくめ、ヴィルフールに視線を向ける。
「ほんと、お前の周りってこんなんばっか集まってくるな、ヴィー」
その顔は、おかしくておかしくて堪らない、とばかりに笑みに歪んでいる。肩を震わせ、かみ殺したような笑いを響かせるファーリットに、ヴィルフールはどういう意味かな、とにこやかな笑みを返した。
「言葉どおりだろ」
「違いねぇや、サーレ! 俺もお前もな!」
サーレの素っ気ない呟きに、ついにファーリットは爆笑した。ぎゃはははは、と腹の底から笑い飛ばす大爆笑に、ヴィルフールは諦めきった顔で息を吐く。
「まぁ、ルド。大体こんなだから、気にしないで。ほんと」
そのルドはというと、状況についていけなかった。何をそんなに大爆笑されているのか、彼には判別つかなかったからだ。
ここに連れてこられてからというもの、本当にわけの分からないことと、わけの分からない人物ばかりだ。改めて、彼はそう思う。
「で、話は逸れたがよ、ヴィー。今日は何しにきやがったんだよ?」
「その言い方だと、別に来なくても良さそうな物言いだね、ファーリット。これを届けに来たんだよ」
ヴィルフールは手にしていた包みを投げ渡す。ファーリットは手に取り、小さく歓声を上げた。
「おいおい……ヴィー。こんなもん渡して、お前んところは大丈夫なのかよ。今年の冬、全員揃って凍死しててもどうしようもないぜ?」
その中に入っていたのは、暖かそうな衣類だった。今は雪の降らない暖かな時期だが、あと一ヶ月もすれば雪が降り始める。そうすると、北部で最も厳しい極寒の時期、『深雪』と人々が呼ぶ季節がやってくる。それに備えて、というところなのだろう。
「心配ないよ。自分のところの子を凍死させるような真似は、トリウム兄さんはしないから」
「お前も、随分とあれを信頼してるよな」
「尊敬してるよ? 育ての親みたいなものだからね」
ヴィルフールは気負いなく笑う。
「それに、ちゃんとバザック先生の許可をもらって持ってきたものだからね。この間の、食料のお返しとでも思ってくれればいいよ」
「ふぅん。まぁ、ありがたいことには違いねぇから、もらっとくけどよ」
ファーリットは仕方がない、とでもいうように肩をすくめる。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「正直な奴」
「どういう意味だ」
その表情を見て、サーレは素直な感想を漏らす。ファーリットはじっとりとした視線を向けるが、サーレは気にした様子もない。視線の向いているほうを見ているとは限らないサーレの表情は、いつもどおりのぼんやりとしたものだった。
ファーリットは諦めて彼から視線を外す。ヴィルフールは笑いをかみ殺しながら、さらに告げる。
「あと、君らの寝床。壊れたまま修繕してないだろ? その手伝いでもしようかと」
「おいおい、お前のその細腕で? 無理だっての、ヴィー。怪我する前にやめとけよ」
「どうして、誰も彼も同じことを言うんだろうね……」
とほほ、と哀しげに呟くヴィルフールに、ファーリットは賑やかな笑い声を上げる。底抜けに明るい響きを持つ彼の笑い声は、軽やかな音楽のように周囲を染め上げていく。
「そりゃ、お前がそんな見た目をしてるからだろ。外見も女みたいだし、髪の色も……」
「ファーリット」
ヴィルフールの声から、それまでの穏やかさが一変して消えた。細くしなやかな、それでいて強い一本の糸のように、凛と声が響く。笑みを浮かべたまま紡がれたその声に、ファーリットは地雷を踏んだことを悟った。サーレが呆れた表情で、ファーリットを見やる。
「冗談だ、ヴィー。んな怒るなって」
ファーリットは両手を胸の前で掲げ、降参という合図をする。ヴィルフールは大きく息を吐き、軽く首を横に振った。艶やかな、淡い薄紅色の髪が、その動きに合わせて揺れる。
「綺麗だと思うんだがな、俺は。お前の髪」
その髪に、サーレは無造作に手を伸ばした。そして、ぐしゃぐしゃとかき回すような仕草で、彼の頭を撫でる。
「サーレ!」
全く当然のことであるが、ヴィルフールから抗議の声が上がる。それを綺麗に無視して、サーレはルドへと視線を向けた。
「なぁ、そう思うだろ?」
唐突に話を向けられて、ルドは驚きに目を見開く。
知るか、と思いながらも、ルドはヴィルフールの髪を眺めた。初めて見たときから、その色には驚いていた。咲き誇る花を思わせる柔らかな色合いは、確かに美しいものである。それがヴィルフール本人の気に召さないとしても、それはやはり事実だった。
「そうだな」
ゆえに、ルドは肯定の言葉を無意識のうちに紡いでいた。
「ルドまで!?」
愕然とした叫びをもらすヴィルフールに、サーレは笑った。楽しげな彼の笑みというのは、なかなか見るものではない。
「ま、あれだ。安心しろ、ヴィー。何かあったらそれなりの縁とそれなりのよしみで、俺が助けてやっから。お前、運動神経ないし」
「喜ぶべきなのか、情けなく思うべきなのか、非常に反応に迷う言葉だよね……」
もはや怒ることを諦めたらしいヴィルフールは、ファーリットの言葉に肩を落とした。
「安心しろ、ヴィル。お前の顔は極めたら使える」
「昨日も言ってたよね、サーレ。だからそれ、どういう意味なんだい?」
「サーレ。もう極めてきてる気がするぜ、こいつ。先が怖ぇ」
「おぉ、言い得て妙だ」
「……もう、君たち二人には聞かないことにするよ」
完全に諦めの言葉を呟いて、ヴィルフールは二人から視線を外した。
そんな彼らを見ながら、ルドはふと思い出す。それはやはり、遠い日の少年の姿。彼の持つ髪は、光そのものを束ねたような金だった。彼の持つ瞳は、空と海を合わせたような鮮やかな青だった。その特別とも取れる色彩は、無意識のうちに脳裏へと刻み込まれる。鮮烈な印象を持って。
ヴィルフールを見ると、彼もやはり特異な色彩を身に纏っている。しかし、感じる雰囲気は彼とは全く違っていた。
他人なので、当たり前の話である。それでも、ルドは不思議な感覚を覚えて、わずかに首を捻った。
「とにかくさっさと済ませよう、修繕」
そんなルドの視線の先で、二人とのまともな会話を諦めたらしいヴィルフールが軽く腕まくりをする。
「お前、本当にやんの? 知らねぇぜ、怪我しても」
「そのときは自分で治すからいいよ」
ヴィルフールはあっさりと答えると、きびきびと動き始める。ファーリットの許可を得ずに奥へと入ると、修繕に必要な材料と道具一式を持ち出してくる。
「いったい、いつの間に」
道具はともかく、材料を置いておいた覚えのないファーリットは、さすがに顔をしかめて尋ねる。すると、ヴィルフールはこともなげに答えた。
「昨日」
意外と行動力のあるヴィルフールに、ファーリットは引きつった笑みを浮かべる。それにしてやったりとばかりに笑みを返し、ヴィルフールはサーレに視線を送った。
「運んでおいて正解だったね?」
「ああ。正解だ」
そして二人、笑い合う。ヴィルフールは柔らかく、サーレは小さく落とすような笑みを。
そんな彼らに、ああもう、なんだかんだで仲いいからなお前らは、とファーリットは諦めたように目を細める。その不満そうな表情に、ヴィルフールは甘さを含んだ笑みを返した。
「さて、さっさと終わらせようか」
「好きにしやがれ」
けっ、と毒づくファーリットに、ヴィルフールはやはり笑みを返すだけだった。サーレはすでに普段どおりの表情に戻っており、軽く腕まくりをして材木を持ち上げる。やる気というものが根本から欠如したかのようなサーレだが、意外に力はあるらしく、その動作は軽々としたものだった。
「ほら、ファーリット。君も手伝ってよ。自分のところのことなんだからさ」
「何で俺だよっ」
「昨日ぼやいてたじゃないか、今日は仕事も見つからなかったって。くだんない騒ぎなんか起こすからだコンチクショウ、俺の一日を無駄にしやがって、と。だから、僕たちも今日にしたんだけど?」
昨日尋ねてきたとき、ぼやいたグチを一言たりとも違わずに言い返されて、ファーリットは言葉に詰まった。それに優しい笑みを浮かべて、ヴィルフールははい、と軽やかな声と共に道具を手渡した。
「それじゃ、はじめるよ」
「サギだ!」
「失礼だな、手伝うって言ってるのに。それも無償だよ?」
何がサギなんだい、と不満そうにヴィルフールは呟く。そして、彼はルドへと視線を向けた。
「ルド、君も手伝ってくれる?」
「は?」
三拍ほどの間を空けて、ルドはそう言葉を返した。唐突に言われた言葉が、理解できなかったためでもある。
「だから、手伝ってくれるかい? と。まだ体が本調子じゃないなら、別にいいけれど」
「認めん。認めんぞ、俺は。いるのに手伝わん奴など!」
先ほどまでと違い、勝手なことを叫ぶファーリットにヴィルフールは視線を向けた。やはり笑みと共に向けられた視線の意味は、いいから黙っていてくれないかな、である。時おり少年は、その華やかな容姿にそぐわない強さを発揮することがある。それを察して、ファーリットは彼から少し距離を取った。
「本当に、先が怖ぇ」
小さくもらした呟きを聞きとめたサーレが小さく頷く。全くだ、と言わんばかりのその態度に、幸いにもヴィルフールが気付くことはなかった。
「はい、ルド。これが材木。こっちに寝床があるから、ついてきて」
そんな中、きっちりと拒絶の言葉を紡げなかったルドは、いつの間にか手伝うことが決定してしまったらしい。てきぱきとヴィルフールに道具を渡され、よく分からないままに促されていた。