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Through the Past  作者: 冬長
一章
4/32

【3】 名付け大会を実行される前に

「アリア……誰のことなんだ、その、サクちゃんと、いうのは」


 その場の全員を代表して、クーレンが疑問をぶつけた。それに、アリアはきょとんとした顔をした後、にこやかに答える。


「だって、“蒼紫の朔風”なんでしょう? だから、サクちゃん。名前、まだ知らないから」


 のほほん、ほんわか、もしくはおっとり。そんな言葉のよく似合う彼女は、これですでに三十代半ばであり、さらに二児の母であるというのだから、世の中よく分からない。付き合いの長いバザックやクーレンに言わせれば、彼女は昔からこんな風であるので、今更といったところだが。


「ああ。そういや、自己紹介してなかったなぁ。俺らも」


 それに、バザックが納得したように手を叩く。そんな彼を、クーレンが横から殴った。


「治療は終わったのか?」


 そんな中、唐突にサーレが口を開いた。ついでに、これまでの話の流れとは全く関係のない事柄で、クーレンはやや呆れた表情になる。


「思いついたままを言うなと言ってるだろう、サーレ」

「で、終わったのか?」


 クーレンが注意するも、サーレに聞く気はない。再び問い返してくる彼に、答えたのはアリアだった。


「ええ、終わったわ。リナちゃんと、青廉君と、ジウス君はもう大丈夫よ。あ、青廉君はもう少し寝てないと、だけど」

「今のところ、負傷者の治療は終わっている。……今回は、死人は少なかったみたいだな」


 クーレンも彼女に続いて、ため息交じりに答えた。そして最後の言葉の部分で、軽く目を伏せる。ヴィルが悲しそうに、わずかにうつむいた。


「で、自己紹介だが」


 微妙にしんみりとしかけた場を、サーレが一刀両断とばかりに断ち切った。さすがにヴィルが呆れたのか、額に手を当てる。


「サーレ。君の癖なのはよーく知ってるけど、唐突に話題を変えるのはどうにかしてくれないかな。もっと言うと、場の雰囲気を考えて欲しいんだけど」

「で、自己紹介だが」


 しかし、サーレはもういちど同じ言葉を繰り返した。曰く、聞く気がないということらしい。ヴィルの顔が引きつる。


「というか、そろそろ奴さん、ここの会話の理解不能さにぶっ倒れそうなんだが」


 ほれ、とバザックが顎で指し示した先には、何だか唖然とした表情のまま固まっている少年がいた。おそらく、アリアの「サクちゃん」呼ばわりの辺りで凍ってしまったのだと思われる。


「熱湯かけるか?」

「サーレ、意味が分からないから」

「湯をかけて三分待つ」

「……本気で分からないから」


 やはり意味不明なことを言い出したサーレに、ヴィルが本気で頭を抱える。


「そうだわ。まだ、お水とスープ、どっちがいいのか聞いていないわ!」


 アリアがさも大事なことを思い出したとばかりに、頬に手を当てた。

 ヴィルとしては、ここに集っている人たちには、協調性とか、話の流れとか、脈絡とか、そういったものが綺麗さっぱり抜けているのではないかと思われる。そして、この中で一番年少であるはずのヴィルは、その世の中の理不尽さというか、奇怪さとでもいうか、そうしたものを感じ取って頭を抱えた。苦労人だ。


「ねぇ、どっちがいい?」


 少年のところまで歩み寄った彼女は、かがみこんで下から覗き込むようにして尋ねる。柔らかな笑顔に悪意はなく、ただただ穏やかだ。だがそれに、少年はわずかに後ずさりした。


「お水? それともスープ?」


 だが、アリアはそれで堪えてくれる人ではない。おっとりとした笑顔のまま、きっちりと当初の目的を完遂させるため、少年に尋ねる。そんな彼女に、下がるに下がれなくなった少年を除いた四人は、心の中で拍手を送った。実際に拍手を送らなかったのは、少年を無駄に刺激しないためと、彼女にその意味が伝わらないことを知っているためである。


「……う、あ……」

「話せない? 言語障害はないはずだけど」


 きちんと検査したわけじゃないから心配ね、と首を傾げた彼女に、そういうことではないだろうと誰もが心の中で呟く。実際、口に出したものはいなかったが。


「……あ、み、水、を……」


 たじろぎながらも堪えた少年に、アリアは花咲く笑みで手を打ち合わせた。


「お水ね? 分かったわ、すぐに持ってくるから少し待っていて」


 アリアは軽快に立ち上がると、軽い足音を響かせて部屋から出て行く。言葉どおり、すぐに戻ってくるだろう。


「押しに弱い、と。一つ理解度が上がったな」

「サーレ、だからね、僕たちに分かるように話してくれないかな」


 理解度って何だ、理解度って、とヴィルは突っ込む。


「で、自己紹介だが」


 しかしそのサーレはというと、当初の話題に戻ったようだった。もういいよ、とヴィルはゆるく首を振り、話の流れに身を任せる。

 おそらくサーレにしか分からないような、謎の論理で話が飛びまくり、最終的には自分が尻拭いをしなくてはならないような気もヴィルはしていた。しかし、それはそのときに考えれば良いだろう、と放棄したのだ。人はこれを、自棄と呼ぶのかもしれないが。


「とりあえず年齢順に。おっさん方どうぞ」

「おっさ……!?」


 しれっと言い放ったサーレの言葉に、クーレンが愕然とした表情をする。だがそれに、バザックはさも面白そうに大爆笑した。


「あっはっは、そろそろそう言われる歳かもしれんな」

「笑うな、おい」

「そうは言っても、俺らもう三十六だし? まぁ、世間一般的にはそういわれても仕方がないような気がしなくもないような。ってか、お前、二児の父じゃん」


 そりゃおっさんだって、あっはっは、と笑い飛ばすバザックの首を、クーレンはギリギリと締め上げた。


「うぉい、本気で絞まってる。絞まってるぞ、首が」

「なら少しでも苦しそうな表情してみせろ、人間という存在の基盤を揺るがしかねない、この人外魔境が!」

「うわ、俺すごいこと言われちゃったよ」

「何が、言われちゃったよ、だぁ!」


 さらに締め上げてくるクーレンの手を、さすがに苦しくなったのだろう、バザックが力を込めて掴む。元より力で敵うはずがなく、クーレンはあっさりと手を離した。

 数回深呼吸をしてから、バザックは少年のほうを向く。


「まぁ、ということで、おっさんの俺らから自己紹介を……」

「あら、じゃあ私はおばさんになるわね」


 さらりと降った声に、バザックは固まった。水を持ってきたらしいアリアが、にこにこと笑いながら立っている。


「はい、お水。どうぞ。ゆっくり飲んでね」


 アリアはバザックには構わず、少年に水の入ったコップを手渡した。少年はしばし、コップとアリアの顔を交互に見ていたが、ややあってゆっくりと水を飲み始める。

 緊張と警戒のため、少年自身はあまりのどの渇きを意識いていなかった。しかし荒野の暮らしで水の確保は難しく、また丸二日寝ていたこともあって、彼の体は水分を欲していたらしい。一度喉を通してしまうと、一気にコップの水を流し込む。


「まだあるから、ゆっくりね」


 アリアはそんな少年に笑みをこぼし、彼の寝ているベッドの横に置かれている小棚の上に、一緒に持ってきた水差しを置いた。

 そんな微笑ましいともいえる光景のすぐ横では、あまり微笑ましくない光景も繰り広げられていた。


「おいこらバザック。お前、今度そんなたわけたことを抜かしたら、解体して臓器売り払ってやる。ああ安心しろ、ちゃんと皮膚や血液も使用してやるから。無駄なく、残りなく、綺麗に使い切ってやる」

「いや、何を安心すれば良いのか毛ほども分からんぞ、俺には。というか、謝る間くらい残してから、罵りを開始して欲しいんだが。いや、出来れば謝った後に、なじるように罵って欲しくはないけどなぁ」

「何を抜かす。どうせお前なんぞ、そんなものを気に止めるような細やかな神経など持ち合わせてないだろうが。その神経の図太さを確かめてやる、手術台に寝ろ」

「うぉい、いくらなんでも解剖はないだろ、解剖は。てか、んな怒るなよ」


 三十代半ばという、いい年をした男二人が、なにやら物騒な会話を交わしている。


「あら。そういえば、自己紹介は終わったの?」


 どうして二人がもめているのかを理解していないアリアは、穏やかに尋ねる。とたん、二人の言い争い、と言うにはあまりに陳腐な、バカバカしい言い合いが止まった。


「……いや、まだ……」

「あら、のんびりなのね」


 今は遠き学生時代、のんびりの代名詞とまで言われた彼女に言われては、何だかおしまいのような気がする。

 それはさておき、バザックは少年のほうを改めて見た。三杯目の水を飲み、ようやく落ち着いたらしい彼は、さまざまな感情が混ざり合った紫の双眸で、彼らの様子を見ている。この騒がしさと訳の分からなさに、困惑しているであろうことは確かだが、警戒も解けていない。また疲労と、そして緊張も感じさせた。

 そんな彼を見やり、バザックは微笑む。それは暖かな温度を感じさせる笑みであり、自然な笑みであった。

 不思議と目を見張る少年を見返して、バザックは口を開いた。


「遅くなったが、自己紹介といこう。俺はバザック=アルグレンド、医者だ。ついでに、お前をふっ飛ばしもしたけどな。はっはっは」


 クーレンが、バザックを横から殴りつける。ほとほと呆れ果てたといわんばかりの表情だ。


「笑って言うことか。俺はクーレン=アークメル。同じく医者で、こいつの先輩だ」

「歳は同じだけどな。俺の方が入学するの遅かったんだよ」


 笑うバザックに肩をすくめ、クーレンはアリアへと視線を寄越す。それに気付いた彼女は頷くと、少年の方を向き直る。


「私はアリア=アークメル。治癒師なの。よろしくね」


 治癒師というのは、水と地の属性に宿る治癒の能力を用い、傷を癒す職業だ。スピリット・パワーの使い手が謎に多いこの国、ウィルステルにのみ存在する職種である。いまだ紛争の多いウィルステルでは需要が高いが、供給の少ない貴重な職業でもある。

 そんな彼女の肩を、クーレンが軽く叩いた。


「ちなみに、俺の奥さんだから。妻だから、細君だから。何かあったら殺す。というか、バラす」


 どこかにこやかに紡がれた言葉は、明らかに本気だった。それを冷めた目で見たサーレは、呟く。


「大人げねぇ」

「おいこら」

「ちなみに、結婚当初によく言われていた言葉が、『そんな可愛い奥さん、どうやって騙したんだ』だったんだよなぁ、ははは」


 余計なことを笑いながら言ったバザックを、クーレンはまたも殴った。


「というか、僕たちに言う言葉としては、ちょっと歳が離れすぎてると思うんだけど……」

「待てこら。うちの妻はまだ十分若いぞ」


 ヴィルの妥当な意見も、クーレンは一蹴した。


「まぁ、中年の惚気はさておき」

「何だその言い回しは!?」

「俺はサーレ=ゼノ。で、こっちが……」


 クーレンの抗議はさっぱりきっぱり無視して、サーレは名乗った後に、ヴィルを親指で示す。ヴィルが了承の意を込めて頷いた。


「僕は、ヴィルフール=ライヒ。もっとも、みんな略してヴィルって呼ぶから、そう呼んでくれていいよ。……それで、君の名前は?」


 目覚め頭、自分の首を絞めてきた相手に対して、ヴィルフールが浮かべたのは友好的な笑みだった。少年は訳が分からず、そんなヴィルフールを、そして他の人間たちを見回す。

 敵だと思った。敵であるはずだった。

 だが、その敵であるはずの彼らは、自分に向かって好意的な雰囲気で名を名乗り、友好的な笑みを浮かべる。そして、自分の名前を聞いてくる。

 分からない。まったくもって、分からない。

 こんなことは初めてだった。

 自分を化け物と罵る者はいた。道具として扱う者もいた。

 それが当然だった。当然であるはずだった。それが自分であるのだから。

 だが、彼らの、この空気は、何なのか。

 瞠目したまま微動だにしない少年に、サーレはため息をついた。そして、告げる。


「名乗らなかったら、お前の名は『サクちゃん』で大決定になるぞ」

「あら、そしたら私、名付け親になるのね」


 嬉しい、息子が出来たみたいねっ、と心の底から嬉しそうに手を合わせる妻に、クーレンは何ともいいがたい表情で頬を引きつらせた。明らかに、こんな可愛くない息子はいらない、と顔に書いてある。


「ちゃん付けはどうかと思うから、普通にサクでいいような……」

「よっし、あれだな。名付け大会実行だ。ヴィル、後でトリウムに連絡して、全員集めるぞ。で、みんなに名前を考えてもらって、投票で……」

「何の選挙だ、それは」


 段々と不穏な雲行きになってきたことに、少年の表情はあまり変わらぬまま、しかし内心で大いに焦っていた。


「そうだな、ティリアとかどうだ?」

「おいおい、それは女の子の名前だろう」

「青紫、と書いてチンズー」

「おお、東大陸シェインヴェリア読みか!」

「でも、響きが微妙じゃないかな。どうせなら、朔風のほうから取ってみたら?」

「朔ってなんていうか、知らん」

「風はフォンだけどなぁ。朔は……確か、シュオ、じゃなかったか?」

「シュオフォン?」

「もう少し、ありきたりな名前の方がいいんじゃないかしら」

「やっぱ、そのままサク?」


 妙に盛り上がっている彼らの会話を聞きながら、少年は冷や汗を流した。

 このままでは、自分の名前がどうなってしまうのか分からない。名前など単なる個を認識するための記号であると認識しているが、それにしても何だか嫌だ。


「……ド……」

「ん?」


 かすかではあるが少年が言葉を発したことに気付き、バザックが彼に視線を向ける。気付いた他の四人も、彼に視線を集中させる中。彼は小さな声で、けれど確かに、言った。


「……ルド=リファス……」


 ようやく少年の名前を聞きだせたことに、五人の顔が明るくなる。


「ルド、だね。よろしく、ルド」


 ヴィルフールが手を差し出すが、ルドはその手を取らなかった。もしくは、意味がよく分からなかったのかもしれない。困惑したようにその手を見つめたままだ。


「ほら」


 サーレがルドの手を掴んだ。それに驚き、振り払おうとするが、サーレは紺碧の瞳で一瞥する。謎に迫力のある、というよりは感情の読みにくい無機質な瞳に気圧されるかのように、ルドは一瞬動きを止めた。


「こうやるんだよ」


 そのまま、サーレはその手を掴んで、ぶんぶんと大きく振る。


「サーレ、振るのは余計」

「おぉ、つい」

「何がつい、なんだか」


 ヴィルフールは呆れた顔をしてサーレを見てから、改めてルドに手を差し出す。すっかり混乱している彼の顔を見て、やや気の毒に思うも、一つ微笑んで彼の手を取った。


「よろしく、ルド」


 そんな彼らの様子を微笑ましそうに見ていたアリアが、ひょいと自分の手をルドの前に出す。


「私もよろしくね、ルド君。あ、私、アリアだからね。ちゃんと覚えた?」


 ヴィルフールとは反対の手を取り、にこにこと軽く振る。


「友好と、仲良しの、握手ね」


 そうして笑う彼女の笑顔は、背後に花でも舞っていそうな、少女めいたものだった。年齢不詳と時おり言われるのは、外見と共に彼女のこの性格も大いに関係あるだろう。


「……友好と仲良しって、意味、同じのような気がするんだが……」

「そうだな。はぁ、大会開き損ねたなー」

「……やりたかったのか。このお祭り好きめ」


 クーレンが呆れた顔でバザックを見る。それにもちろん、とばかりに満面の笑みで頷いたバザックは、ふいに真面目な表情になって声を潜めた。


「あの子がどういう素性なのか不明だが……どうにかやっていけると、良いな」

「……そうだな」


 それに頷き、しかしすぐにクーレンは肩をすくめる。


「なんにしても、それは……俺やお前よりも、ヴィルやサーレ、そして何よりトリウムの奴の課題さ」

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