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Through the Past  作者: 冬長
二章
31/32

【30】 また、会えるよね

 夜明け前、まだ世界が夜の闇に包まれている時刻。

 『地吹雪』の前に立ったルドは、振り向いてその建物を見上げた。街頭も少ない暗闇の中ではあるものの、ルドは夜目が利く。見ることに不自由はなかった。

 そうしてしばし眺めていた彼は、ややあって『地吹雪』に背を向けた。

 そして、そのまま振り返ることなく、夜に紛れて歩き出した。




 サリッシュウィットは、子供が夜に街を歩いていたからといって別段不思議がられるような街ではない。さまざまな人間が集まって形成される雑然とした街――『最後の溜まり場』サリッシュウィット。けれど朝よりも少し前、夜が終わる頃のこの時間帯はやや閑散としていた。

 かつてはその雑然さがうっとうしく、気に入らなかったのだが、こうして静かな街というのもどこか感慨深い気分に襲われた。そんな不思議な感覚を持ちながらも、ありがたいと思ったのも事実だった。この分であれば、誰にも気付かれずに出て行くことが出来るだろう。すでに、謎に勘のいい人間の多い、出発点であり最難関である『地吹雪』を持てる技術を尽くして抜け出してきた後である。この先に問題はないだろう。

 そう思いながら、しかし細心の注意を払って気配を紛れ込ませて、ルドは街の出口を目指した。その先に広がる荒野に、思いを馳せる。

 思えば、そこが全ての始まりだった。あそこでバザックたちと出会い、そうして今がある。

 そしてまた、新たな始まりになる。

 怪しまれない程度に気配を消して、街を抜けて。あと一歩で、街を出るというところまで来たところで。


「こんなことじゃないかと思ってたんだよね」

「よぉ、ルド」


 背後から掛けられた声に、ルドは体を硬直させた。一歩踏み出そうとしたところで固まっているので、間抜けなことこの上ない格好となっている。しかし、ルドにそれを気にするような余裕はなかった。


「お前ら……」


 振り向いた先にいるのは、予想通りの見慣れた二人組。

 険のあるまなざしを向けられても、ヴィルフールは怯みもせずに微笑んだ。そうして、手にしていたランプに火をともす。


「昨日の怪我だって治ってないし、これだけまともに睡眠も取ってなかったら精神力だって回復していないだろうに。案外タフだよね」


 精神力という点ではルドよりも疲労が残っているだろうヴィルフールは、それを感じさせない表情で言う。お互い様だろうと思わず言い返そうとしたルドだが、その瞬間に赤紫の瞳に言葉を封じられる。静けさばかりを感じさせる視線は、しかし抗えない何かを含んでいた。


「何となく、出て行くんじゃないかって気はしてたんだけど。それにしても、置手紙一つで黙って出て行くつもりだったの?」


 責めているわけではないことは、苦笑を浮かべている表情から察することが出来る。それでも言葉に詰まり、ルドは言い返す言葉を捜すように視線を逸らした。


「埋葬は、いいのか」


 唐突に向けられたサーレの言葉に、ルドはそちらへと視線を向ける。こちらは相変わらず何を考えているのか分からない表情だった。

 それがリージェラの埋葬を指しているのであろうことを察し、ルドは皮肉な笑みを浮かべた。


「無理だろう。おそらく、あれが見納めだ」

「見納め?」


 顔をしかめるヴィルフールに、何と説明したものかを悩む。いったん視線を逸らし、どこか遠くを見るようにしながらルドは言葉を捜した。


「リージェラの遺体はおそらく消される。もしくは持ち去られるだろうさ。ファーリットたちが生け捕りにした“失敗作”たちも、同時に処分されるだろう」

「それ、は」

「あいつらは知られたくないだろうからな、自分たちの存在を。だからこその処置だ。下手に手を出さないほうがいい、死体が増えるだけだ」


 “成功作”と呼ばれていたとはいえ、ルドはただの被験者だ。自分のいた場所の全貌は知らない。それでも、分かることはある。


「リージェラは俺よりも先に移された。実際に現場に出て、作戦を行うところへと。俺の顔は研究者連中くらいしか知らなかったのと、死んだと思われていたらしいから今まで何もなかったが、これからは違ってくる。サリッシュウィットには近々、かつての奴らが手を出してくるだろう」


 誰が動くのかなどルドには分からない。けれど、もしそうなったときに、自分の顔を知るものが居たら。

 ルドはヴィルフールたちに視線を戻す。紫の瞳はまっすぐに、二人の顔を映していた。


「そう遠くない時期だ。早ければ明日にでも、動き出すと思う。だから……今日しかないんだ」


 もしも見つかれば、連れ戻される可能性が高い。そしてそのときに、ヴィルフールやサーレを始めとする面々を巻き込んでしまうことは確実だった。


「分からなくはないけれど……別れの言葉一つなしで? トリウム兄さん、きっと悲しむと思うよ。フュールも、君に懐いてたのに」


 そう言われてしまえば、ルドに返す言葉はない。けれど、戻る気がないのも確かだった。

 それを理解しているのだろう、ヴィルフールはやはり苦笑しながら小さく息を吐いた。


「ルド」


 ふと、サーレに呼びかけられて視線を向ける。瞬間、ぶつかった紺碧の瞳は驚くほど真剣な色を宿していた。


「この後、どうするつもりだ」


 それはどこに向かうのか、どうやっていくつもりなのかといった、表面的な問いかけではなく。もっと深い、ルド自身に対する問いかけのようだった。

 それを察したからこそ、ルドは苦い笑みを浮かべる。どこまで見抜いてるんだこの野郎、と心の中でのみ悪態をつく。

 サーレは静かにルドを見据えている。おそらく、答えなければここから進ませるつもりはないのだろう。それはサーレ自身が知りたいだけではなく、ヴィルフールに対する気遣いが含まれていることを分かってしまうため、ルドはなんとも言えない気持ちになって息を吐き出した。


「今日、限りで」


 浮かぶのは、一人の男の言葉。彼はきっと、その言葉を本気で言ったわけではないのだろう。けれど、ルドにとっては実行する価値があるように思う言葉だったのだ。


「ルド=リファスは消える」


 皮肉るような、それでいてまっすぐに先を見つめるような奇妙な笑みと共に言い放たれた言葉に、ヴィルフールは息を呑んだ。サーレだけが、納得したかのように一つ頷く。


「それ、どういう……」


 問いかけようとして、ヴィルフールは気付く。『死ぬ』ではなく『消える』という、その言葉の真意は。


「ルド、もしかして」


 ヴィルフールが視線を向けたのは、ルドの左腕だった。その視線の意味を読み取り、ルドは笑みを浮かべる。それは肯定であり、正確に意図を読み取った二人に対する賞賛だった。


「お前ら、勘が良すぎる」


 リージェラとの戦いの中で、ルドが自ら焼いた左腕の刻印。その傷はまだ刻まれたままだ。そして一生、彼の腕から消えることはないだろう。ルド自身が治療を拒否したためである。高温の鉄で焼き付けたのだ、相当の痛みを伴っているだろうに、ルドは『地吹雪』に戻ってから痛む様子など微塵も見せなかった。


「ルド=リファスは消える。いや、すでに消えたか」


 ルド自身もまた、左腕の刻印があった場所に目を向ける。

 物心付いたときにはすでにあの場所にいたルドにとって、左腕の刻印は自身を示す証そのものだった。それはリージェラも同じだったのだろう。だからこそ彼女は、ルドがそれを消し去ったときに、あんなにも反応を示したのだ。

 それはすなわち、ルドが『“成功作”としてのルド=リファス』を捨て去るという決意の表明に他ならなかったのだから。


「いいのか?」


 静かなサーレの問いかけは、やはり変わらない。感情が伝わりにくく、意図も伝わりにくいものだ。けれどそこに確かな気遣いが含まれていることを、ルドは初めて感じ取れた。


「ああ。戻る気はないから」


 ルドもはっきりと断言する。そこからはもう、迷いは読み取れなかった。

 ヴィルフールはそんなルドを見つめて、静かに微笑む。友人が旅立っていく寂しさはあるけれど、ルドは決して立ち止まらないだろうと思ったからだ。そして、きっとそれが彼にとって一番いいことなのだろうとも。


「行く当てはあるのかい?」

「いや。とりあえず、適当に行ってみるさ」


 ルドは振り返り、まだ闇夜に包まれたままの荒野を見渡す。終わりであり、始まりである地を。


「道は長いんだ」


 世界は広いだろう、というバザックの言葉を思い出す。見えている場所は限られているけれど、果てのないような荒野のその先にも、道はまだ続いている。


「そうだね。でも、もしも気が向いたら……リバートに行ってみるといいと思う」

「リバート?」


 オウム返しに呟いて、ルドはヴィルフールを見やる。サーレが納得したように頷く横で、ヴィルフールは説明をした。


「バザック先生たちが普段、住んでいる街だよ。東部にある、そこそこ大きな街だって聞いてる。確か『学問の街』として有名なところだって」


 その顔立ちから華やかさを感じるヴィルフールの微笑は、しかし不思議と静けさを内包している。それはどこか、導きにも似ていた。


「そうだな。色々と集まるし」


 そしてやはりサーレの言葉の意味は分からなかった。

 ルドはあの三人のことを考える。自分をここに連れてきた張本人である人たち。接した時間はヴィルフールたちよりも短いものの、印象深いたくさんのものを残していった人たち。


「そう、だな」


 ルドはそれだけを答えた。

 そうして、視線をサリッシュウィットに向ける。短い期間であったけれど、多くのものを得た場所でもある。きっと、ここで過ごした日々は自分の中に残るだろう。

 ヴィルフールとサーレは、別れが近づいたのを感じ取ったのだろう。夜明け前の暗い街を眺めるルドを、ただ静かに見守っていた。

 どれくらい、そうしていただろうか。ルドは大きく息を吐き出して、ヴィルフールとサーレに視線を戻す。


「行くんだね?」


 ヴィルフールの問いに、ルドは名残を惜しむようにしばしの間を空けて。しっかりと頷いた。


「また、会えるよね?」


 帰ってくる、とは言わなかった。おそらくルドがこの街に帰ってくることはないだろうと、ヴィルフールは悟っていた。サーレも同じ思いなのだろう、黙って視線を向けている。


「さぁな」


 ルドは肩をすくめた。

 ヴィルフールは思わず笑みをこぼす。それはあまりに、ルドらしい仕草だったからだ。そしてそれが、しばらく見納めだと分かっているからこそ。


「気をつけて」

「ああ」


 頷いたルドに、ヴィルフールは手にしていた包みを渡す。小さな包みだったため、暗がりで気付かなかったルドは若干目を見張る。


「この急な動きじゃ、大したものは用意できなかったんじゃないかと思って。ちょっとしたものだけど、餞別だよ」


 どこまで察しているのか、ルドとしては思わず問い詰めたくなるくらいの用意の良さだ。こいつは絶対、将来大物になるなと思いながらルドはそれを受け取る。ここで遠慮をするのは失礼だと言うのもあるが、何より手持ちの品に不安があることも確かだからだ。中身が何であるのかは分からないが、もらっておいて悪いことはない。


「元ルド」


 ルドではないと言ったからか、微妙な呼び方をしてくるサーレにルドは複雑な表情を浮かべる。しかし、サーレにも同様に小さな包みを手渡されて目を見張った。


「またな」


 ヴィルフールと比べると、なんとも素っ気無い態度である。けれどわずかに笑っているらしいサーレに、ルドは不思議な気分に駆られる。


「分からない、からな」


 何となく対抗するようにそう呟いてみると、サーレは笑みを深めた。


「会うさ」


 そう、きっぱりと言い切って。何の前触れもなくサーレは東を指差した。ルドもヴィルフールもそちらに視線を向ける。そして二人は、小さく声を上げた。

 闇色に覆われていた空が、うっすらと明るみ始めている。


「暁だ」


 陽すら昇る前の静寂が辺りを包み込む。抱くような静けさは、夜の終わりと朝の始まりの合間の、わずかな時間のみのもの。まだ夜は明けていない。けれど、確かに始まりが近づく、その瞬間。流れていく時間の、狭間のような空間。

 三人とも、まだ出ていない陽を眺めるように目を細める。抱きこむ静寂に飲まれたかのように、誰も口を開こうとしなかった。

 長くはない、しばしの時間の後。意を決したように、ルドは足を荒野へと向けた。

 一歩を踏み出す、砂のこすれる音が小さく響く。ヴィルフールとサーレは、もはや何も言わなかった。ただ静かに、歩き出した彼の姿を見送る。

 ルドももはや、振り返りはしなかった。

 ゆっくりと、けれど確かに色を変えていく空の下で。新しい一歩は、始まった。




「行っちゃったね」


 ルドの姿が完全に見えなくなってから、ヴィルフールはようやく口を開いた。


「また、会えるよね」

「ああ、必ず」


 サーレは静かに、けれど確かに頷く。根拠も何もない言葉。けれどサーレが口にすると、不思議と現実味を帯びてくる。どこか遠くを見ているような紺碧の瞳はいつも、人には決して見ることの叶わない何かを見据えている。


「そのときは、名前を教えてくれるかな」


 サーレは少し驚いたようにヴィルフールを見る。暁の名を冠する彼は、この空気の静けさを感じさせる微笑みを浮かべていた。それは切り裂くのではなく、包み込む強さによって終わりを告げ、同時に優しさを持って始まりを告げるもの。赤紫の瞳は気負いなく、けれど真摯に荒野を見据えていた。


「そうだな」


 その静けさを壊さぬようにと気遣うように、響かない声が空気を揺らす。柔らかく吹く風のように。




 そうして、“蒼紫の朔風”は『最後の溜まり場』から旅立ち。

 その存在も、荒野の中へと消えた。


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