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Through the Past  作者: 冬長
二章
30/32

【29】 一つの、決断のために

 柔らかな風が吹いた。包み込むような優しい風。その風が、向けられた電撃から二人を守る。相殺するのではなく、電撃を導くようにして二人から軌道を逸らして。

 それが誰の起こした風であるのか、ルドにはすぐに分かった。こうした特異な能力の使い方もさることながら、その使い方がこれほどまでに似合わない人物もそういないからだ。能力の扱い方には多分に性格が反映されるものだが、どうも彼の性格が反映されているとは考えにくい。


「無事か」


 その風を起こした本人であるサーレは、相も変わらず無感動な表情で立っていた。紺碧の瞳には非難の色も、案じるような色もない。ただどこまでも変わらずに、水色の髪を風になびかせて彼は立っていた。


「うん、まぁ」

「そうか」


 ヴィルフールの返答を聞き、サーレは一つ頷く。そして軽く手を振り、下がっていろ、という合図をヴィルフールへと送る。ヴィルフールは頷き、彼らから心持ち距離を取る。


「ルド、そっち任せた」

「な」


 瞬間、ルドの前にもう一人男が現れる。まだいたのか、とルドは舌打ちをする。ただでさえリージェラは強いというのに、この状況は圧倒的に不利だからだ。

 サーレは男に向かっていったルドを一瞥すると、重さなど感じさせない軽やかさで地面を蹴りつけた。そのまま、先ほどルドが吹き飛ばした“失敗作”の元へと向かう。


「キレイな子たち」


 くすくすと、リージェラが笑みをこぼす。動きを止めた彼女は、新たにやってきた二人を見やる。見定めるように。


「初めて見たわ、ピンク色の髪なんて。とても、キレイ。瞳もキレイだわ。宝玉のような赤紫」

「それは、どうも」


 ヴィルフールは若干嫌そうに呟く。髪と瞳の色は、彼が密かに気にしていることでもあった。


「彼もキレイね? 水色の髪。アウラの髪もキレイだけど、水色もまたキレイだわ」


 くすくすと、耳に絡みつくように響く笑い声。ささやくような甘い声は、ヴィルフールに一つの事柄を思い起こさせる。


「前の暴動のとき、いたよね? あなたは」


 その言葉に、リージェラは笑みを浮かべた。甘く華やかな笑みの中、金色の瞳だけが冴え渡り、ぞっとするほど強く印象に残る。背筋が冷えるような感覚は、彼女のかもし出す違和感ゆえのものだとヴィルフールは気付いた。笑っているのに、本心から笑っていない。人形が形だけをなぞるような、作り物めいた笑み。


「よく、分かったわね。私、賢い子は好きよ?」


 甘い、毒。そう思わせる少女は、楽しげな笑みを響かせる。


「でもね」


 次の瞬間、少女は地を蹴っていた。


「ヴィル!」


 少女の行く方向を察してルドが叫ぶが、ヴィルフールは動かなかった。ただまっすぐに、自分の方へやってくるリージェラを見つめている。

 ヴィルフールの前に来たリージェラは、彼の頬に手を伸ばす。そして頬に手を触れて、ゆっくりと笑みを浮かべる。


「あなたたちのせいなのね? ルドが、帰ってこないのは」


 金色の瞳は笑っていない。どこまでも冷たいその瞳は感情を拒絶し、凪いでいる。何にも心を動かされない瞳。

 頬に爪が立てられる。引かれると同時に、一本の赤い線がヴィルフールの頬に走った。

 リージェラは満足げに微笑み、微動だにしないヴィルフールの瞳を覗き込む。


「人形にしたら、きっとキレイなものが出来上がるわ」


 嬉しげに紡がれる言葉。それを聞きながら、ヴィルフールの胸中にはやりきれない哀しさがこみ上げてくる。自分よりもほんの少しだけ年上の、少女。それなのに、どうしてこんなことになってしまうのだろう。


「ヴィル、逃げろ!」


 “失敗作”を吹き飛ばし、ルドは二人の元へと飛ぶ。だが、リージェラはすでにヴィルフールの目の前にいるのだ。ここから風を叩きつけたところで、僅差で間に合わないだろう。

 しかし、唐突にリージェラの手が止まった。ヴィルフールはただ瞳を彼女へと向けている。宝玉を思わせる瞳は、静寂をはらみながらも強さを宿していた。夜を包み込み、始まりを告げる朝焼けのように。


「あなた……」


 リージェラは目だけで動かなくなった自分の手を見て、すぐにヴィルフールへと視線を戻す。信じられないような目を向けられて、ヴィルフールはわずかに微笑み、彼女の手を自分の頬からどける。


「北の……!」


 そうしてヴィルフールが彼女から距離をとると同時に、我に返ったらしいリージェラは動かないまま雷を放つ。ヴィルフールは表情を厳しいものに変え、雷に向けて水を放つ。電流が水に流れ、気体へと変化し消え去る。


「ヴィルっ」


 その間に、ルドが二人の間に入り込む。ヴィルフールがやや安堵したように微笑み、けれど警戒は怠らないまま後方へと下がる。


「ごめん、ルド。僕じゃ無理みたいだ」

「当たり前だっ」

「そんな力いっぱい肯定しなくても」


 少し哀しげに呟いて、そのままルドの邪魔にならない位置にまで彼は下がった。それを気配で感じ取りながら、ルドは一瞬だけ視線をサーレの方へと向けた。すでに片方の男を倒したらしいサーレは、ルドが適当に吹っ飛ばしてきた男の相手をしている。

 しかしその一瞬で、動けるようになったリージェラは間合いを詰めていた。


「どうして!?」


 感情のままに放たれたかのような電撃は強く、しかし狙いが甘い。ルドは風で電撃の軌道を逸らすと、そのままリージェラへと突っ込む。

 リージェラはそれを避け、ルドに電撃を放つ。ルドもまた同様に、風を放った。

 激しくぶつかり合う風と雷は互角だった。鋭い音を立てて、周囲に火花を散らす。

 二人の能力の激しさに、ヴィルフールは目を細め、光から目を守るように片腕を顔の前にかざす。おそらく、これが最後になるだろうとヴィルフールは予想していた。

 最後の攻防。

 ヴィルフールの目から、二人の戦いがどうなっているのか見ることは出来ない。けれど、その能力ゆえに感じ取ることが出来る。サーレはルドの方に近づかないよう男を誘導しながら戦っている。彼の実力であれば、もうすぐ決着が着くであろう。

 そしてルドは、リージェラと互角の戦いを演じている。いや、互角のように見えていたが、徐々にルドが彼女を押し始めていた。風が、鋭さを増す。


「どう……してっ!」


 リージェラは叫び、最後の力を込めてルドへと向かう。凄まじい量の電撃が一気に放たれる。


「ヴィル」


 男を片付けたらしいサーレが、ヴィルフールの前に降り立つ。強すぎる電撃は、波紋だけでも致死に相当するほどだ。見える位置とはいえ、離れた場所にいるヴィルフールにまで届いている電撃をサーレは風で誘導する。


「大丈夫だよ、サーレ。僕も水だし。それにしても……凄いね」


 ヴィルフールは緩く頭を振る。これほどまでの能力を持つ人間は、そうはいないだろう。能力もそう高くなく、戦闘能力もないヴィルフールには見守ることしか出来なかった。サーレもヴィルフールを守るためだろう、彼の前に立って事の成り行きを見守っていた。

 ルドは放たれた電撃を受け止める。全てではなく、自身に危害が及ばないように風を張り巡らせ、さらに一点集中とばかりに鋭い風を放つ。包み込むのではなく、刺し貫く。どこまでも鋭い風こそが、ルドにとっての風だった。

 それはリージェラの電撃を貫き、彼女の元へと届く。針のように鋭い風の刃は、彼女の右肩を貫通した。悲鳴を上げて、少女は倒れこんだ。

 能力の使いすぎか肩で息をしながら、ルドは彼女を見据える。左手で右肩を押さえ、うずくまった彼女はルドを見上げる。


「どうして、どうして、どうして! どうして帰ってこないの! どうして!?」


 それは思い通りにいかず、泣き叫ぶ子供のようだった。


「俺はもう、あそこで戦おうと思わないんだ」


 ようやく見つけた答えを、ルドは静かに紡ぐ。どこか哀れみを宿した瞳で、リージェラを見ながら。


「あそこには、守るものがないから」

「守る?」


 金色の瞳に激しい炎が宿る。それは憎悪にも等しいものだった。


「守るって、何を? どこに守るものがあるというの? 戦って、壊して、何が悪いの! 私たちは、私は、それだけの力を得たのに!」


 雷のように激しい叫びは、ルドの胸を焦がす。それは少し前まで、ルド自身が心のどこかで思っていたことだった。弱いものが悪いのだと、どこかで。


「ねぇ、ルド」


 ふいに、リージェラの顔が笑みに変わる。苦痛のためか玉のような汗を浮かべているが、それは先ほどまでの彼女の笑みと同じだった。


「どうせ逃げられないわ。逃げられないのよ。だって、私もあなたも同じだもの。その腕の刻印は消えないわ」


 ルドは無意識に自身の左腕を見やる。


「これか」


 ルドは袖をめくり上げ、刻印を空気にさらす。

 かつては。ここに来たばかりのときはこれだけが自分を証明するもののように思っていた。唯一つ、かつての場所からの名残ともいえるものだった。

 うっすらと、ルドの顔に笑みが浮かぶ。


「自分を決めるのは、いつだって自分らしい」


 いくつかの記憶が脳裏をよぎる。印象深い少年のこと。戦い続けた日々。全てを無駄だとは思わない。何もかもが自分の血肉になっている。

 けれど。


「もう、必要ない」


 ルドは燃えている廃材を一瞥した。熱された鉄を風で持ち上げ、傍へと浮かべる。


「ルド……?」


 リージェラは怪訝そうに彼を見据える。


「ルド!」


 彼の意図に真っ先に気付いたヴィルフールが悲鳴にも似た声を上げる。その制止の声も振り切って、薄く笑みを浮かべたままルドは熱されて色の変わっている鉄を、左腕の刻印へと押し当てた。


「――っ!!」


 ルドは歯を食いしばり、苦痛の呻きをかみ殺した。肉の焼ける嫌な臭いが鼻につく。

 けれどルドの声よりも、リージェラの絶叫の方が響き渡った。この世の終わりだとでも言わんばかりの悲鳴は、天を裂くかのようだった。


「どうだ?」


 鉄を地面へと捨てて。ルドは痛みに耐えながら、ゆっくりと顔を上げる。苦痛に歪んだ顔に、それでも薄く、笑みを浮かべながら。


「これでもう、同じじゃ、ない」


 錯乱状態になったリージェラを見下ろして、ルドはそう告げる。


「どう……して!」


 残っていた理性すら全て捨て去ったかのように、リージェラは何度も同じ言葉を繰り返す。


「どうして。どうして、なの? 同じ“成功作”のあなたなら、分かってくれると思ったのに!?」


 どうして、と。何度も何度も、そればかりをルドに問いかける。

 ルドはそれを、どこか冷めた気持ちで眺めていた。“成功作”だからといってそんなものを求められても困るというのもあるが、何かが違っている気がしたからだ。それはおそらく、ルドがここに来たからこそ感じ取れること。


「帰るも何も、お前の好きにしろ。リージェラ。俺は、帰らない」


 そうして冷めた気持ちで告げ、ルドは彼女に背を向ける。もはや戦う力はないだろうと判断してのことだった。


「……甘いわ」


 けれど、次の瞬間に殺気が襲ってきたことに気付き、ルドはすぐさま振り返った。

 リージェラの隠し持っていた短刀がルドへと襲い掛かる。決して浅くはない傷を方に負いながらも、彼女はそれをルドに振りかざす。


「リージェラ!」

「甘いわ、ルド。甘いのよっ」


 強がって立ってはいるものの、ルド自身にももう戦うだけの精神力はほとんど残されてはいない。どうにか一撃を避けるも、すぐにまた一撃が来る。


「帰らないですって? あなたは今、生きていないと思われているからここにいられるのよ! 貴重な“成功作”をそうそう手放すわけがないじゃない!」


 ルドの表情が変わる。

 いつの間に、自分はこうも呆けていたのか。もしも、ここに自分がいることが分かれば。

 背筋が冷たくなる想像に、ルドは唇を噛み締める。


「……そうだな」


 ルドの顔から表情が消える。能面のようなその中で、紫の瞳だけが冷徹な光を放った。リージェラはそれを、どこか恍惚とした表情で眺めて、笑った。毒の笑みで。

 ルドはリージェラの短剣を風で叩き落す。元より力をなくしていた腕から、すぐにそれは抜け落ちた。それを風で拾い上げ、ルドは彼女へと突きつける。


「生かして帰すわけにはいかない」


 静かに、告げて。


「さよならだ」


 ルドは彼女の左胸に、短刀を突き立てた。




 夢見るように閉じられた瞳は固く、二度と開くことはない。血に染まった少女と、己の腕を見下ろして、ルドは小さく呟く。


「別に。嫌いじゃなかったんだけどな」


 それだけ呟いて、ルドは踵を返そうとした。


「ルド」


 そこに声が響き、ルドは肩を震わせる。緩慢な動作で振り向いた。


「ヴィル、サーレ」


 呼びかけた声は、自分でも驚くほど震えていた。

 血に濡れた手。そんなものは今更のはずなのに。荒野をさまよっていた頃から、何人も殺してきた。生きるために奪ってきた。それに罪悪を感じたことなどなかった。

 それなのに。

 二人分の足音が近づいてくるのが分かる。それを聞きながらも、ルドは顔を上げることが出来なかった。


「ルド」


 ヴィルフールの呼び声が間近から聞こえる。手を伸ばせばすぐに届く距離まで来た彼を、ルドは見ることが出来なかった。

 手が、伸ばされる。

 ヴィルフールの伸ばした手は、ルドの血に濡れた手に触れた。


「お疲れさま。でも、無茶をしすぎだ」


 静かに掛けられた声に、変わりはなかった。


「まったくだ」


 サーレはそう言って、軽くルドの頭を叩く。普段と何も変わりのない、それだけに違和のある状況。


「お前ら……」

「ごめん」


 ルドの言葉を遮るように、ヴィルフールは小さく呟いた。


「ごめん。君に、知り合いを……」


 そこから先は、言葉にならなかった。ただ、ヴィルフールはルドの手を離さず、額を押し付けるようにして呟く。ごめん、と。


「ヴィル」


 手が、震えていた。それはヴィルフールの手の震えなのか、ルドの手の震えなのか判別がつかなかった。

 左腕が、妙に痛むのを感じた。熱を持った焼けつく痛みは、そうすぐに消えるものではない。分かっていても、ルドには妙に痛かった。

 そんな二人を見ていたサーレは、ややあってリージェラに視線を移す。左胸を貫かれ、絶命した少女へと。

 サーレは無言で、彼女の傍らに膝をつく。右手を空に伸ばし、ゆったりとした動作で、空気を撫でるように下ろしていく。そして最後に両手を地面へとつけて瞳を閉じた。それはウィルステルで広く行われている祈りの仕草であり、死者への安息を願うもの。

 変わりがないわけでは、なかった。ただ、彼らが変わりなく振舞おうとしていただけで。

 それでも、変わりがなかった。彼らが、ルドを受け入れようとしているという一点において、何も変わりがなかった。

 ルドは静かに瞳を閉じた。

 雫が一滴、落ちる。

 彼らが変わらないからこそ。あまりに優しく、強く、全てを受け止めようとしてくれるからこそ。

 ここが大事なのだと、気付けたからこそ。

 そっと、手に力を込める。

 一つの、決断のために。


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