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Through the Past  作者: 冬長
二章
29/32

【28】 再会と、出てきた答え

 覚えのある相手だった。ただ出会ったもう一人の“成功作”と比べると、どこか印象が劣るためにあまり意識にない相手だった。

 夜を思わせる黒い髪と、浮かぶ金色の月を思わせる瞳。そして少女らしい甘い声音を、ぼんやりと覚えていた。

 けれど、それだけで。それだけの、相手で。

 だからこそ、再会する瞬間まで意識に上ることのない相手だった。




 『地吹雪』から駆けて行った先。街のはずれで、荒野の近くになるその場所。廃屋や倉庫、時おり崩れ落ちそうな民家が点々としているその場所に、少女はいた。


「ルド!」


 嬉しそうに笑う表情は、記憶の中にある彼女と変わりがなかった。その夜のような黒髪も、金の瞳も。そしてその甘い声も、何もかも。


「リージェラ」


 操られるように呆然と、ルドは少女の名を紡ぐ。それに、少女はさらに嬉しそうに顔をほころばせた。


「良かった、覚えててくれてっ。久しぶりでしょう、忘れられてるんじゃないかって心配してたもの」


 リージェラは、ルドへと歩み寄る。嬉しそうに笑いながら近づいてくるそのさまは、久々の友人との再会を喜んでいる少女のものだ。実年齢よりも若干の幼さを感じさせるものの、愛らしいといえるもので。

 ただ、少女の周囲に燃え盛る家がなければ。少女の周囲に、崩れ落ちた瓦礫がなければ。少女の周囲に、焦げた人間の死体がなければ。

 家の燃えていく音。鼻に付く臭い。思い出すのは、数日前の暴動の光景。


「何を、したんだ」

「何って? 何って、なに? ねぇ、久しぶりね、ルド」


 呻くように問いかけたルドに、リージェラは不思議そうに首を傾げる。けれどすぐにまた嬉しそうな笑みへと戻った。


「迎えに来たの。前に来たとき、偶然、見つけたのよ。ずっと、迎えに来ようと思ってたの。今日ね、ようやく来ることが出来たのよ。早く、帰りましょう?」


 さぁ、と。断られるなど考えてもいない声で、表情で。嬉しそうに笑ったまま、リージェラは手を差し出す。

 それを見て、ルドは戦慄を覚えた。外見も、声も、記憶の中にある少女と変わりのないはずだった。かつての場所に居た頃からあまり関わりのない相手ではあったが、人の特徴を覚えるのが得意であるルドが間違えるはずもない。それなのに、どこか違和感を覚えるのだ。

 嬉しげな笑顔。けれど、こんな風に笑う少女だっただろうか。彼女はもっと、はにかむように笑う人であったような気がするのに。


「ルド? どうしたの?」


 一向に反応を示さないルドに、リージェラは再度首を傾げた。


「ねぇ、早く帰りましょう? あそこが、私たちの帰るところでしょう? 違うの?」


 言葉が突き刺さる。リージェラの言葉は、ずっとルドが抱き続けてきたものだったからだ。

 帰るべきところ。帰るべき場所。自分の在るべきたった一つの場所。

 ずっとそう思ってきた。けれど、それはいまや、ルドの中で疑問となっていた。

 本当に、あそこが自分の帰るべき場所なのか?

 ルドは黙り込んだまま、差し出されたリージェラの手を見つめる。白く細いその手は、しかし使い込まれた固い手でもあることをルドは知っている。家々の燃える音が、耳に響く。吹き抜けていく乾いた風が、頬を撫で、髪を揺らしていくのを感じる。決して静かではない空間なのに、妙な静寂を感じる。この場に自分と、目の前の少女しか存在しないかのような。


「ルド? 帰らないの?」


 リージェラは初めて笑みを消した。きょとんとした顔でルドを見つめる。


「早く帰りましょう? 私、ここ嫌いなの。人が多くて、ひしめいていて、うんざりするわ。能のない人間なんて、邪魔で邪魔で仕方がないの」


 ただ思うままに、少女は言葉を紡いでいく。


「ね、だから帰りましょう? あの子もいるのよ。あなたが気にかけていたあの子。一番小さいけど、一番強い能力を持っているあの子。金の髪と、青い瞳が、とってもキレイな子」


 それがルドのよく思い出す少年を指しているということにすぐに気付き、ルドは一瞬瞠目した。同時に、それがどうしたのかという思いにも駆られる。


「ルド?」


 それでも動かないルドに、リージェラは瞳を細めた。どこか不安げに彼を見つめる。


「どうしたの? ねぇ、帰りましょう。ここにいることは、誰にも言ってないの。まだ、誰にも言ってないの。だって、私が迎えに来たかったんだもの。だから来たのよ。ねぇ、帰るでしょう? 帰ってくれるでしょう? だって、他に帰るところなんてないんだもの、私たち。さぁ、帰りましょう?」


 旋律のように流れる言葉は、しかし一つとして心を打たなかった。それは少女の瞳が自分を映していながらも、自分を見ていないためかもしれない。金の瞳はただ、世界を映しているだけのようだった。何も見ていないかのような、飾り物であるかのような、硝子球であるかのような瞳。

 その瞳が、暴動のときに出会った“失敗作”たちによく似ていることに、ルドは今更ながら気付いた。


「ねぇ、帰りましょう? 私と同じ“成功作”の一人、“風の成功作”ルド=リファス」


 これが最後だとでも言うように、笑顔と共に告げられた言葉は、耳朶に絡みつくようだった。甘く、甘く絡みつく毒のような。

 いくつかの記憶が頭をよぎる。

 それはかつての場所で過ごした日々。ここが居場所だと信じて、息を詰めるようにして生きてきた日々。だからといって、苦痛だとは思わなかった。そして今も思っていない。あれが当たり前だったという感覚が抜け切らないからこそ、それが辛いものであったのかルドには判別がつかないのだ。

 けれど、こうして『地吹雪』で暮らしてきて。あの場所に帰るのが果たして自分にとって正しいことなのか、ルドには分からなかった。

 けれど今。こうして、再びかつての場所の関係者と会って。

 ルドは目を伏せる。自分は何を、思い描いてきたんだろう。


「ルド?」


 近くからのはずの呼び声が、酷く遠く感じた。

 あのときにも。あの暴動のときにも、散々思い知らされたはずなのに。

 ルドは彼女の手を見つめる。差し出された手。けれどそれはルド=リファスという一人の人間に差し出された手ではなく、“風の成功作”としてのものに差し出されたもの。

 不思議な感情が湧き上がる。笑いたいような、泣きたいような感情に見舞われて、ルドは表情を歪めた。浮かんだのは、泣き出しそうなかすかな笑顔。


「帰らない」


 はっきりと。言葉として放たれた拒絶に、リージェラは目を見張る。


「俺は、帰らない。あそこは俺の居場所じゃない」


 いくつかの。いくつもの声が、脳裏によみがえってくる。その声たちに目を細めながらも、ルドは拒否することを許さない声で告げる。


「俺は、帰らない」

「どうして!?」


 リージェラが初めて声を荒げた。同時に、彼女の周りを一瞬、電撃が走る。


「どうして? どうして、どうして帰らないの? あそこが私たちの帰る場所なのよ? 他にどこがあるというの? どうしたの、ルド? どうして帰らないの?」


 途切れることを知らないかのように紡がれる言葉。少女が首を振るたび、かすかな音を立てて闇色の髪が揺れる。金の瞳が激しさを宿してルドを射抜いた。


「どうして? 帰りましょう、ねぇ、帰りましょう? 待っているのよ、待って……」

「誰も待っていない」


 不安げに揺らめきながら、従えようとする強さと傲慢さを宿した金の瞳に。切り裂く鋭さと、冷徹なまでの拒絶を宿した凍える紫の瞳が相対する。


「そんなものは幻想だ。誰も俺を待ってはいない」


 待っていない。今だからこそ、それが分かる。

 どこにも居場所などなかったのだ。ルドという存在の居場所など。在ったのはただ、“成功作”である存在のためだけに。


「ルド!」

「帰らない」


 悲痛なまでの叫びにも、ルドは眉一つ動かすことなく跳ね除けた。


「どう、して?」


 ふらり、と。少女はおぼつかない足取りでルドへと一歩を踏み出す。


「ねぇ、どうして? 帰らないの? どうしてこんなところに留まるの」


 少女の視線が地面へと落ちる。そのまま一歩、二歩、と。リージェラはルドへと歩み寄る。

 そうして、唐突に彼女の歩みが止まった。ふと顔を上げた少女は、笑っていた。

 どこか虚ろに金の瞳を細めて。嬉しそうに、甘く笑うその顔は、なぜか毒々しさを感じさせた。


「そう、なら」


 全身を駆け抜ける悪寒に、ルドは瞬時に風を全身に纏わせた。


「許さない!」


 電流がほとばしる。ルドは瞬時に風によりそれを相殺するも、完全にとはいかなかった。わずかに痺れた指先に舌打ちする。

 だがそうしている暇すらなかった。すぐさま、リージェラの細い体が肉迫してくる。

 速さも力も、ルドの方が彼女よりも上だ。だが、能力の扱い方の上手さだろうか。風で跳ね除けても、リージェラの雷は鋭くルドを捉えてくる。


「くっ!」


 しばらく安穏とした暮らしをしていたためだろうか。うまくリージェラの攻撃を防ぎきらない自分がもどかしい。今までの自分の生活が悔いられた。だからといって、ルドも彼女に早々に負けてやるつもりもない。


「ねぇ、ルド。どうして?」


 リージェラは凄まじい量の電流を一気に放出する。熱がわずかに肌を焦がし、光が目を灼こうとする。受け流し損ねた電流が、少しずつ体の動きを鈍らせていく。

 そうしながら、リージェラはルドに語りかけてくる。


「どうして帰らないの? どうして? 帰りましょう、ねぇ、帰りましょう?」


 そうして言葉を紡がれるたびに。戦いで高揚している体とは反対に、心が冷えていくのをルドは感じた。想いの感じ取れない、ただ紡がれていく言葉は響かなかった。


「俺の居場所はあそこじゃない」


 だからこそ、ルドはその手を取らなかった。どこが自分の居場所なのか、ルド自身にも分かってはいない。それでも、その手を取る気にはなれなかったのだ。

 ルドは突っ込んできたリージェラの攻撃をかわし、勢いのまま体を反転させる。交錯する瞬間、彼女の放った電撃と、ルドの風がぶつかり合う。それは巨大な渦を成し、空へ向かって巻き上がる様は電撃を纏った強大な竜巻と化した。周囲の土や廃材を巻き込んで、あたり一面に広がっていく。

 その渦の中にあっても、ルドの体には傷一つなかった。全身に纏う風は竜巻から、そして電撃からも彼の身を守る。

 そうして風を纏ったまま、ルドは地面を蹴った。走るのではなく地面すれすれの位置を風で飛び、リージェラの元へと移動する。肉迫し、風を放とうとしたとき。


「さすがよね。でもね、ルド」


 戦闘中だというのに、ふわりと落ちる声はどこまでも甘く響くものだった。


「気を抜いちゃダメよ?」


 出来の悪い子供を叱るような声に、ルドは目を見開く。次の瞬間、リージェラとは別の方向から感じた殺気に、とっさに体を反転させる。


「くっ!」


 襲い掛かる風の刃。流した視界の端に、一人の男の姿を確認する。それが“失敗作”の一人であると悟ったのと同時に、至近距離から聞こえてきた音にルドは目を向ける。

 瞬間、耳を襲うのは弾けるような音。目を灼こうとする光の束。先ほど『地吹雪』に向けて放たれたのと同程度、いやそれよりも凄まじい量の電撃が、手を触れることが出来るほど近い距離からルドめがけて放たれる。


「くそっ!」


 悪態をつくよりも早く、ルドは風を最大限に纏わせた。相殺するだけの時間はなく、どうにか受け流すしか方法はない。一瞬でそう判断したゆえの反応だったが、全てを受け流すことは無理そうだった。

 空中を電撃が走る音が耳を突く。まるで光の塊であるかのような電撃を直視することは出来ず、目を細めてルドは風を放つ。自身を中心に渦巻く風を。

 再び雷が巻き上がる。しかし今度は、風を通して雷がルドへと迫る。焼けるような痛みが全身を襲い、痺れは集中力を削り思考を奪っていく。

 久しく感じていなかったその痛みに、ルドは瞳を細めた。同時に、電撃が一部弱くなったところを感じとる。

 笑みが、込み上げた。


「甘い」


 電撃の弱くなったところから飛び込んで来た“失敗作”を見もせずに、ルドは風で吹き飛ばした。

 戦いの中で戻ってくる感覚。つい先日、バザックと本気でやり合ったこともあり、過去の記憶は驚くほどすんなりとルドの中に入り込み力となる。彼自身の血肉のように。

 その滑稽としか言いようのない感覚に皮肉な笑みを零しながらも、ルドは攻撃の手を緩めはしない。雷が消え去ると同時に、地面を蹴り上げた。

 電撃で痛め付けられた筋肉が悲鳴を上げる。その痛みにわずかに顔をしかめながらも、だからどうした、と心中で呟く。駆け抜ける痛みですら糧として、どこまでも冷徹に敵を殲滅する。故に彼は、“風の成功作”の名を手に入れたのだ。

 そのままリージェラに接近する。目を見開き、雷を張り巡らせて防ごうとする彼女を紫の瞳に映して、ルドは風を叩きつけた。どうにかそれを軽減させるも、完全には防ぎきれない。腕を交錯させて身を守り、リージェラは叩きつけられた風を受けた。痛みに堪えるように唇を噛み締めて、リージェラはルドを睨み付けるように見据える。


「どうして?」


 金色の瞳に浮かぶのは驚愕と悲嘆。焼け付くような感情を瞳に灯して、リージェラは言葉を紡ぐ。


「どうしてそれほどの力を持っているのに、帰らないの!?」

「さぁな」


 跳ねつけるような素っ気ない言葉は、ルドの本心でもあった。


「ここに、何があるの? あなたにとって、何が!?」

「何も」


 ルド自身にだって分からない。何故自分が帰ろうとしないのか。

 ただ、ふいに一つの言葉が浮かぶ。


『助けてくれて、ありがとう』


 一人の少年がくれた、何気ない一言。纏う色彩のように柔らかく、穏やかに、鮮やかに告げられた一言。

 いくつかの顔が、脳裏をよぎる。ここに来て出会った人たち。それはかつて誰よりも強く印象に残っていた、あの少年の面影よりも鮮明にルドの中にあった。


『ここにいるといいよ』

『そうだな』


 何気ない言葉。何気ない会話。何気ない時間。

 いつの間にか、どうしてこんなに大切なもののような気がしていたんだろう。


『ねぇ、ルド君。大切なもの、見つかった?』


 ふと、アリアの言葉を思い出す。二度目に会ったとき、投げかけられた同じ質問。けれど前に会ったときと違い、それはどこか確認めいた問いかけだった。きっと、彼女はすでに気付いていたのだ。ルド自身が気付いていなかったことも。

 そうしてルドが記憶に囚われていたのは、本当にわずかな間だった。時間にすると数秒程度のことだろう。

 しかし、その数秒ですら命取りだということを、このときのルドはなぜか頭になかった。ふいに気付かされたことに、内心でかなり動揺していたためかもしれない。


「ルド!」


 だからこそ。

 その呼び声が聞こえた瞬間、ルドの背を冷たいものが駆け抜ける。

 それはかつて、あの暴動のときを思い起こさせるもの。飛び出してきたヴィルフールと、血と。


「何しに来た!?」


 その記憶ゆえに。思わず怒鳴りつけたルドの前に、淡い薄紅色の髪が飛び込んでくる。その前には“失敗作”の姿。

 前回とほとんど変わらない光景に、目の前が暗くなる。

 一体、自分は何をしていたのか。


『退けないときを見誤るな』

『自分の道を貫くといい』

『見失ったら駄目よ。あなたの、本当に大切なもの』


 けれど。遠く、どこからか響いてくる言葉に後押しされるように、ルドはヴィルフールを突き飛ばした。

 向けられる風の刃の前に立つ。

 恐れはなかった。迷いも、なかった。

 まっすぐに風を見据えて、立って。ルドは感覚を集中させる。そしてただ、手を前にかざす。

 それだけの動作で、ルドは風を霧散させた。そのまま、自分の放った風を相手へと叩きつける。


「こういう、ことなのか」


 吹き飛んだ相手には目もくれず、ルドは呟く。

 頭を真っ白にして、風の前に立ち、風を感じて。風と共に在ることを、感覚として理解する。それだけで、今までとはまったく違う能力の感覚があった。

 今までに無意識で扱っていたものが、具体的に形として現れる。そんな気分、だった。


「ああ」


 自分にとって風が何なのか。バザックの問いに対する明確な答えはまだない。けれど少しずつ。少しずつだけれど、どこか唐突さを持って、視界が拓けたような気分だった。


「ヴィル、大丈……」

 そうしてヴィルフールの方を、振り返って。ルドは電撃が迫っていることに気付いた。


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