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Through the Past  作者: 冬長
二章
20/32

【19】 街がすぐにその傷跡を覆い隠してしまっても

 アイリーンは眠ってしまった子供の頭を撫でながら、小さくため息を吐いた。


「アイリーン?」


 聞きとめたトリウムが振り返る。それに、アイリーンは苦い顔をした。

 普段であれば子供たちの声などで気取られることはないのだが、子供たちがみな眠ってしまっているこの状況では響いてしまったらしい。気にかけさせるつもりはなかったのだが、と胸のうちで呟いて、アイリーンは首を横に振る。


「なんでもない。ただ、子供たちの様子が落ち着かない、と思ってな」

「まぁ、ここは大丈夫だったとはいえ、あんなことのあった後だからなぁ」


 気にするなっていうほうが難しいだろう、とトリウムも苦笑する。


「分かっている」


 アイリーンは頷いて、眠っている子供たちを起こさないよう、音を立てずに立ち上がる。


「バザック先生たちは、いつまで居られるのだろうか」

「まだ、何も聞いてはいないけど。あの人たちのことだから、唐突に帰るかもしれないし」


 バザックたちの奇行など、トリウムはとうに慣れているのだろう。肩をすくめる彼に、アイリーンは小さく笑った。


「そう、だな。違いない」

「何か、気になることでも?」


 自分の方へと歩いてきたアイリーンに笑い、トリウムは座るよう促した。しばしそれに戸惑っていたアイリーンだったが、トリウムが椅子を引くと諦めたように小さく息を吐く。そして素直に座った少女にトリウムは少し笑って、カップを二つ取り出した。


「いや。不思議な人たちだと、思うだけだ」


 トリウムが立っていて、自分が座っているという状況が落ち着かないのだろう。時おり視線をさまよわせるアイリーンに、トリウムは笑いをかみ殺しながら頷く。


「まぁ、確かに。結構、変な人たちではあるな」

「トリウム兄さん、あまりにも身も蓋もない言い方だと思うのだが……」


 少し困ったように呟くアイリーンは、しかし否定もしなかった。


「でも、あの人たちが来てくれると、本当に助かるよ。子供たちも不思議と彼らには安心感を抱くし、何かあったときに診てもらえるし。やっぱり、大人の手って必要なんだろうなって、しみじみと思うよ」


 俺も一応大人なんだけどね、と笑うトリウムに、アイリーンは返す言葉を持たなかった。困ったように沈黙を保つ少女に、トリウムはやはり笑う。


「まぁ、まだまだ人生経験が足りないってことなんだろうけど」

「そんなことは、ない、と思う。私から見る限り、だが。トリウム兄さんは、私たちのことを、考えてくれている、と思う」


 ぽつぽつ、と。小さな声で、しかし思いを込めた声で言ってくれる少女に、トリウムは微笑んだ。


「ありがとうな。アイリーンはいい子だな」

「なっ、なぜそのような話になるのだ!?」


 誉められ慣れていないのだろう。途端に立ち上がり、威嚇するような仕草を見せた少女に、トリウムは笑いをかみ殺すのに必死だった。ああ、いい子だなぁ、と胸中で呟く。


「いい子だから、だよ。優しい子だな、アイリーンは」

「っ……だからっ。なぜ、そのような話になっているのかと、聞いているのだ!」

「俺がそう思うから」


 他に理由が必要かな、と。わざわざかがみこみ、視線を合わせて告げてきたトリウムに、アイリーンはがっくりと肩を落とした。いろいろな意味で、この『兄』は厄介である。


「そういうことでは、ないと思うのだ……」

「そうか? うん、やっぱりアイリーンはいい子だな。将来が楽しみだ」


 そう言いながら、トリウムは調理台へと向かった。茶を淹れてくれるらしい彼に、アイリーンは少し申し訳ない気分になる。これとて、ただというわけではない。大変なこの時期に、そんなものを飲まなくていいような気がしたのだ。ファーリットなどは、苦労しているというのに。

 そう思い、いらないといったところで聞かないだろうからせめて湯でいい、と言おうとしたアイリーンは、しかし言葉を奪われた。


「こう、将来変な虫でもついたら、殴り飛ばしそうな感じだよなぁ、うっかりと」


 トリウムのこの台詞が、聞こえてきたせいである。

 アイリーンは数秒固まったまま、トリウムの言った言葉をまず頭の中で反芻する。そうしてその言葉の意味を理解してから、叫びそうになった。しかし子供たちが眠っていることを思い出し、声を抑える。自分を抑えるために拳を握り締めながら、アイリーンはトリウムに視線を向けることなく、尋ねた。


「何ゆえ、そのような話になっているのだ……」

「俺がそう思ったから。あ、大丈夫。アイリーンに限らず、俺、『地吹雪』の子供たちが相手のせいで不幸な目にでもあったら、殴り飛ばしに行く自信があるから」


 なぜか自信満々に言い切ったトリウムに、アイリーンは今すぐそんな自信はどぶにでも捨てて来い、と言いそうになった。第一、『地吹雪』の子供たち全員にそんな対応をしていたら、いくらトリウムでも身がもたないだろう。そう言いたいのだが、親馬鹿だか兄馬鹿だかの気持ちに浸っているらしい彼には通じないような気がしてしまい、アイリーンは酷く虚しい気分になった。


「いや、本当に。俺、『地吹雪』の子達、好きだし。もちろん『地吹雪』以外の子も好きだけど、やっぱり『地吹雪』の子は格別。大好き。愛してる」

「トリウム兄さん、いろいろな意味で問題のある発言のような気がするのだが……」

「親が子を愛して何が悪い。って、俺はまだ兄の扱いだけど」


 いつかお父さんと呼ばせてやるからなっ、とまだ独身の彼はうきうきと言い放つ。やはり何かが違うように思い、アイリーンはがっくりと肩を落とした。

 それでも、不思議と嬉しさを感じてしまうのは、今までの経歴のためなのか、それとも青年の持つ空気がそう思わせるのか。どこか不思議な温かさを覚えながらも、違うだろう、とばかりにアイリーンは軽く首を振って否定する。

 そんな中、お茶を淹れ終わったトリウムは、アイリーンへとカップを差し出しながら笑う。


「まぁ、ほら。初代『地吹雪』の責任者もこんな感じだったから、たぶん伝統だと思うけど?」


 現在、二代目の責任者を務める青年の言葉に、アイリーンは再び肩を落とした。やはり、何かが違うことに変わりはない。


「そんな伝統、即刻捨て去ったほうがいいと思うのだ、私は」

「そうか? 俺は別にいいような気がするけどな」


 ま、次代に期待しておいてくれ、と笑ったトリウムにアイリーンは返す言葉もない。疲れたように息を吐き出してから、トリウムが淹れてくれた紅茶を一口飲む。

 温かい紅茶は、美味しかった。いくら最も暖かい季節であるとはいえ、大陸の中でも北端に近いこの場所にはそう気温が上がるわけではないのだ。

 人心地付いたのか、ほぅっと息を吐き出したアイリーンにトリウムは小さく笑うと、彼女の斜め前に腰を下ろした。


「ファーリットたち、喜んでるだろうな。先生たちが来ると、格段に仕事が増えるから」

「先生自身が、どこであんなに稼いできているのか、私は疑問に思うがな……」

「まぁ、東部のみならずウィルステル全土で有名な情報屋だしなぁ。他にも色々とやってるし、各方面で先生の名前は知られてるみたいだから」


 その辺りの事情などよく知らないアイリーンは、そんなものか、と小さく頷く。


「街はもう、いつもどおりのようだな」

「まぁ、サリッシュウィットだから。他を知らない俺が言えたことじゃないけど、戦渦に巻き込まれるのはいつものことだしな」

「嫌な伝統だな」

「そうだな」


 それには納得して、トリウムは頷く。苦い顔になるのを抑えることも出来なかった。

 そのまま少し感傷に浸りそうになった彼は、ふとアイリーンを見た。彼女は俯いたまま、わずかに紅茶の残っているらしいカップをじっと見つめている。それが何か言い出しにくいことを言い出すときの彼女の癖であると知っているトリウムは、黙って彼女が自分から話し出すのを待った。


「トリウム、兄さんは」


 しばしの沈黙の後。アイリーンはゆっくりと切り出す。


「今のルドを、どう思う?」

「ルドか?」


 トリウムは軽く顎を撫でるようにして、少し考える。名前の挙がった少年は、トリウム自身も気になっている人物だったからだ。

 大体にしてここに来るまでの経歴も半端ではない少年は、しかし荒野にいたことしか分かっていない。とはいえ、それだけでは別に特異なことではない。何かしら事情のある、特殊な子供たちの集まりやすい『地吹雪』において、それは何も特別なことにはなりえないのだ。

 トリウムが気にするのは、ただ一点。今の、ルドの現状だ。

 特に暴動の、後。ヴィルフールを避けるようにして行動してはいるが、以前よりも積極的に外に出るようになったのも事実だ。


「どう、と言われてもなぁ。俺には、なかなか判断がつかないよ」

「まぁ、そうだろうな。私もそうだし、ヴィルフールもそうだ」

「ヴィルも、か。サーレは?」

「何も言っていない」


 アイリーンは息を吐き出す。そこに苛立たしげな感情が宿っていることに気付き、トリウムは表情を緩めた。怒りにしても何にしても、表情や感情が露になってくるのはいい傾向だと、トリウムは思っているからだ。アイリーンも、来た直後は人にまったくと言っていいほど心を開こうとしない少女だった。それが今は、少し改善されてきている証なのだから。


「とりあえず、ヴィルを避けてることだけは、間違いないよな」


 アイリーンは頷く。


「だからといって、喧嘩をしたというわけでもなさそうだし。ルドが一方的に避けている感じだ」


 アイリーンは再度頷いて、大きく息を吐き出した。

 そのとき、だった。

 唐突に、泣き声が響く。大きなその泣き声は、まだ幼い子供の声だ。それが誰のものであるかを瞬時に悟り、二人は音を鳴らして立ち上がる。そして同時に駆け出した。

 昼寝をさせようと、大部屋に集めて寝かせていた数人の幼児たちの中、大声をあげて泣いている子供へとアイリーンは駆け寄る。


「フュールっ」


 抑えた声で幼児の名を呼び、アイリーンは屈みこんで彼を抱きしめる。まだ三歳くらいのフュールは、アイリーンの腕にすっぽりと収まった。それでも、彼が泣き止むことはない。ますます酷くなる泣き声に、アイリーンは困ったように眉根を寄せた。抱きしめたまま、青灰色の手を何度も何度も撫でる。


「アイリーン、フュールを頼めるか!?」


 トリウムの声に、アイリーンは素直に頷いた。そして出来る限り丁寧な動作でフュールを抱き上げながら、そっと視線を周囲に走らせる。

 フュールの泣き声に触発されたのか、何人かは同じように泣き出し、何人かは泣いてはいないものの起きだしている。胸が痛むような感覚を覚えて、アイリーンは辛そうな表情で瞳を閉じた。か細く、息が漏れる。そうしながらも、何度も何度も彼の髪を撫でては、あやし続ける。フュールはまだ、泣き止まない。


「すまないな」


 ぽんぽん、と。軽くフュールの背を叩き、時おりさすりながら、アイリーンは小さく呟いた。落ちる言の葉は、懺悔にも似た謝罪。


「あなたには、居場所があっただろうに」


 私とは違い、という一言だけは飲み込んで、アイリーンは立ち上がった。

 ふっと周りを見回すと、他の子供たちをあやすのに一生懸命になっているトリウムの姿が目に入る。そして、彼を手伝って子供たちをあやしている『地吹雪』の年長の子供たちの姿も。

 アイリーンにとって、『地吹雪』は今まで居た場所の中でもっとも温かさを感じるところだ。だからこそ、アイリーンは『地吹雪』を嫌いにならない。トリウムやヴィルフール、イズウェルといった彼女を支えてくれているたくさんの人がいる限り、それは変わらないだろう。

 けれど、だからといってここは居場所ではないのだ。ここはあくまで、行くところのない自分たちを一時の期間だけ留めておいてくれるところ。感謝も、愛着も感じるけれども、決して『家』にはなりえない場所なのだ。

 だからこそ、ここで過ごす時間はアイリーンにとって、愛しく、哀しい。いつか必ず、出て行くときが来ると分かっているからこそ。


「あなたにも」


 歩き出し、泣き続けるフュールをあやしながら。アイリーンは、言葉を紡ぐ。それはひとつの祈りのように。


「ここが、一時でも家となるように。ここで過ごす時間が、糧となるように」


 後ろ手にドアを閉めて、廊下を歩く。そのまま先ほどまでいた台所へと向かった。

 そうしてあやしながら、ふと、思い出す。フュールが泣き出すとルドも気にしていたということを。

 それはフュールに限ったことではなく、同時期に来た子供たち誰に関してもいえたことだったが、もっとも幼いフュールが泣き出すことの多かっただけにそう感じるのだろう。それでも、ルドはフュールを気にかけていた。それが、彼自身が『地吹雪』へとフュールを連れてきた張本人の一人であるためか、それとも別の理由があるのか。それは、分からない。


「そういえば、暴動の相手と何か関わりがあったようだと、ファーリットが言っていたか」


 ふいに友人未満知人以上である少年の言葉を思い出し、アイリーンは呟いた。

 ルドが気にしていたのはそのためだろうか、と推測を立てるが、あくまでも推測でしかない。今はそれよりも、腕の中で泣いている幼子をどうにかすることのほうが重要だった。


「フュール」


 何度か名前を呼びかけてみても、やはり泣き止まない。


「っ……アイ、アイねーさっ」


 それでも、ただ泣き叫ぶだけではなく、少しだけ言葉がフュールの口から漏れた。アイリーンは彼の背をさすりながら、出来るだけ優しい声で尋ねる。


「ああ、私だ。どうした、フュール。怖い夢でも見たか?」

「ひっ……ひが、ねっ」

「火、か。……火が、どうしたんだ?」

「お、おかあさんがね、おきないのっ。おかあさんは?」

「……フュール」


 答える言葉をなくして、アイリーンは口ごもる。ぐしぐしと自分の目元を片手でこすりながら、フュールは泣いてくしゃくしゃになった顔を上げた。そして、しっかりと正面からアイリーンを見据える。大きな浅葱色の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら。


「ねぇ、どこ?」

「すまない」


 アイリーンには、やはり答える言葉がなかった。ただ、彼を抱きしめることしか、彼女には出来なかった。


「すまない、フュール。どうか」


 続く言葉を、アイリーンは持たなかった。ただ彼を抱きしめて、小さく謝罪の言葉を繰り返し続ける。

 しばらく泣いていたフュールは、やがて疲れたのだろう。だんだんと小さな体から力が抜けていき、最後にはアイリーンによりかかるようにして眠っていた。

 街が、普段の通りの光景をすぐに取り戻しても。その傷跡を覆い隠してしまっても。

 人の心についた傷は、なかなか癒えることはない。消えることはない。それをアイリーンはよく知っている。

 それは『地吹雪』に暮らす子供たち、ほとんどに言えることで。だからこそ、アイリーンは唇を噛み締める。強く。


「アイリーン!」


 ふいに名を呼ばれて、アイリーンは振り返る。そこには、トリウムの姿が、あった。


「フュールは、寝たのか?」

「あ、ああ。先ほど、寝付いた」

「そう、か。ありがとうな」


 トリウムは安堵したように頷いて、アイリーンからフュールを受け取る。腕の中から重みと共にぬくもりも消えて、アイリーンは少し不思議な気持ちになってフュールを、そしてトリウムを見つめた。


「どうした?」


 トリウムはわずかに笑い、アイリーンの頭に軽く手を乗せる。そこから再び、じんわりと熱が伝わってくる。


「いや、なんでもない」


 アイリーンは軽く首を横に振った。俯いた顔に、泣きそうな微笑を浮かべながら。

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