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Through the Past  作者: 冬長
二章
19/32

【18】 過去と、感情。少年を縛る二つの鎖

 艶のない群青色の髪を風になびかせて、一人の少年が駆け寄ってくる。


「ファーリット!」


 暴動の後は互いに忙しく、なかなか顔を合わせることのなかった友人にヴィルフールは笑みを浮かべた。それはファーリットも同じであるようで、明るい笑みを浮かべている。裏を感じさせない快活な笑みは、変わりがなかった。


「よぉ、ヴィー、久しぶりだな! どうだ、調子は?」

「こっちは今のところ、大丈夫かな。ファーリットたちのほうは?」

「変わりねぇ……と、言いたいところなんだがな、そうもいかねぇよ」


 憮然とした表情になるファーリットに、ヴィルフールは苦笑する。予想に違わない返答であったからだ。


「あ、やっぱり?」

「おうよ。収入がねぇ! 俺らを飢え死にさせる気か! ったく、どいつもこいつもしけてやがるっ」


 あーくそ、とファーリットは苛立たしげに髪を掻く。

 これがもしも彼一人であれば、どんな状況であっても生き延びることが出来るだろう。彼の生きることに対する執着、そしてそのための道を切り開く力というのは、並大抵のものではないからだ。けれど、それに十人以上の仲間たち、それも年端も行かないような子供たちであるとなると話は別である。基本的に彼の仲間たちは同世代で構成されているが、中にはそうでない子供も混じっているのだ。それら全てを、彼は若干十三歳にしてまとめる存在であるのだ。彼らに慕われ、彼らを率いる筆頭として。

 それを理解しているからこそ、ヴィルフールは苦笑するしかない。アイリーンから苦労していると言われたことのある彼だが、ファーリットには及ばないだろうと思うからだ。


「相変わらずなんだな、ファーリット」


 そんなファーリットに、バザックは楽しげな笑みを浮かべた。その声でバザックの方を見た彼は、ようやく自分がまだまともに挨拶もしていなかったという失態に気が付く。ごまかすように笑い、ファーリットはバザックへと向き直る。

 しかし、そこに。


「何やってんだ、アンタは」


 涼しげな声と共に繰り出された回し蹴りに、ファーリットは悲鳴を上げる間もなく地面へと倒れ伏した。呆気に取られるヴィルフールの前で、蹴り飛ばした張本人である少年はファーリットを踏みつける。げほっ、と再び奇妙な音が響いた。


「よぉ、ルーファス」


 そんな一連の事態などまったく気にしていないそぶりで、サーレが軽く手を挙げた。そちらに視線を向けて、ルーファスと呼ばれた少年は笑みを浮かべる。


「久しぶり、サーレ。ヴィルも」


 どこか涼しげな印象を受ける、爽やかさを感じさせる笑みだった。柔らかな印象を受ける淡い茶色の髪と瞳が、その印象をさらに強くさせる。

 けれどルーファスは、ファーリットを踏みつけていた。それも抜け出すことの出来ないようにと、慎重に、念入りに。どうにか抜け出そうともがくファーリットを嘲笑うかのように、時おりぐりぐりと足先を動かしている。

 そのままの体勢で、ルーファスはバザックたちのほうに向き直った。


「どうも、お久しぶりです、先生方。この阿呆が相も変わらず阿呆ぶりを発揮しているようで」

「いや、それはいいんだけどな。大丈夫なのか?」


 段々と抵抗の弱くなってきているファーリットを指差して、バザックが尋ねる。ルーファスは害意など微塵も感じさせない笑みを浮かべた。


「どうせ、死にませんから」

「死ぬーっ! このまま続けられると、いくら俺でも死ぬっ! ちょ、待て、ぐぇっ!」


 見事なまでに直角に足を持ち上げたルーファスの踵が、肋骨の隙間に入り込んだらしい。奇怪な悲鳴を上げるファーリットに、ヴィルフールは顔を引きつらせる。


「なんだか、クーレンとバザック君のやり取りを見ているみたいねぇ」


 あらあら、と頬に手を当てて、アリアがおっとりと呟く。瞬間、男二人は苦い表情を浮かべた。クーレンはその一言で集まってしまった視線を避けるように、顔を背ける。


「ははは。冒険好きなアンタだから、冥府の旅路も味があっていいかもしれないけど?」

「いいわけあるかーっ! 現世の旅路を終えてから行くもんだろうが、それはーっ!」

「ル、ルーファス。そろそろ足をどけてあげたら?」


 さすがに見かねたヴィルフールが助け舟を出す。一瞬だけ不満そうな表情を浮かべたものの、ルーファスはため息混じりに足をどけた。途端、勢い良くファーリットが起き上がる。


「ヴィー、ありがとう! お前は命の恩人だ!」

「いや、それはちょっと、大袈裟すぎる気がするんだけど……」


 そして勢い良く肩を掴んでくるファーリットに、ヴィルフールは引きつった笑みを浮かべる。

 そんなやり取りを呆れたように見ながら、ルドはこの少年のことを思い出していた。確か先の暴動で、ヴィルフールが怪我をして『地吹雪』へと戻ったときに、治療を手伝った一人だということを。そこまで思い出して、ルドは俯く。


「ところで、そっちがルド=リファス?」


 けれどふいに視線を向けられて、ルドは面食らった。しかしすぐに頷くと、ルーファスはどこか値踏みするような視線を向けてくる。それが気に入らず、知らず表情の厳しくなるルドに、彼は笑みを浮かべると一礼した。


「一応、名乗っておく。俺はルーファス=ディック。この阿呆の相棒っぽいもんをやってる」

「って、ちょっと待て。阿呆って何だ、相棒っぽいってなんだ、ぽいって!」


 いくつか不満があったらしいファーリットが、抗議の声を上げる。ルーファスは腕を組むと、そんな彼にうざったそうな視線を向ける。


「阿呆を阿呆と言って何が悪い? 大体、自分が阿呆だということをいつまで経っても自覚しないから、お前は永久に阿呆なんだ。まぁたぶん、死んでも治らないに賭けるけどな、俺は」

「何だそれはっ! 大体、何に賭ける気だよっ」

「そうだな。“世界の主柱”、“見守る混沌”にでもか?」

「ルーファス」


 ヴィルフールがたしなめるように彼の名を呼ぶ。ルーファスは喉を鳴らすようにして笑ってから、ヴィルフールに軽く手を振った。悪かった、ということらしい。


「ちなみに相棒っぽいものについては、だんだんこいつの相棒をやるのが馬鹿らしくなってきたから」

「ちょっ、待て! そんなの初めて聞いたぞ!?」


 焦った声を漏らすファーリットに、ルーファスは嫌そうな目を向けた。その虫けらでも見るような目線に、思わず彼は固まる。


「当たり前だろ。アンタ、毎回毎回、人の話聞いてんのか。何度俺が止めてもさっさと行き、勝手に突っ走っては勝手に危ない目に合い、さらに勝手にあちこちで騒動を起こし、さらに勝手に気に入ったからの一言で人を増やす。アンタ、責任感って言葉知ってるか? ええ?」


 何のために俺がアンタの補佐についてると思ってんだてめぇはよ、と段々と言葉遣いの乱れてくるルーファスに、ファーリットは怯えたように一歩下がった。


「ルーファス、地が出てきてるぞ」

「おっと、失敬」


 サーレにツッコミを入れられて、ルーファスは我に返ったらしい。小さく咳払いをしてから、ファーリットに向き直る。


「とにかく、だ。勝手に行動すんな」

「あのなぁ。勝手に勝手にっていうけど、俺だってそれなりに考えて行動してんだぞ?」

「アンタの考えは基本的に役に立たないから、やめろ。っていうか、それなりにしか考えないなら、いっそのこと考えんな」

「ひでぇ!?」

「酷いもんか。アンタの行動、基本的に力押しばっかじゃないか」


 これだから阿呆に馬鹿を混ぜた超絶駄目人間は、とため息混じりに呟くルーファスに、ファーリットは唸る。

 そんな二人に、ついに耐え切れなくなったらしくバザックが豪快に笑った。全員の視線が集中する中で、バザックは笑いをかみ殺しながら口を開く。


「いや、うん。お前ら、本当、仲いいな?」


 確認の口調で、本当に微笑ましいものを見るような表情で言われて、ファーリットとルーファスは仲良く動きを止めた。そのままぽかんと、呆気に取られた表情でバザックを見つめる二人にさらにバザックは笑う。


「気付いてないんだろうねぇ」

「だろうな」


 ヴィルフールも柔らかな笑みを浮かべる。サーレは笑みを浮かべこそしなかったが、瞳に優しい色が混じっていた。

 結局のところ、ルーファスの主張はすべて「自分を置いていくな」ということになるからなのだが、当人たちにはそれが理解できていないらしい。


「……どうして」


 ふと小さく呟かれた言葉に気付いたのは、もっとも近くにいたアリアただ一人だった。ふと視線を向けた彼女の瞳に映ったのは、感情が消えたような表情を浮かべているルドの姿だった。

 それが何に対しての言葉なのかまで、アリアには推測が出来ない。それが分かるほど彼女はルドと深く付き合ったわけでもなく、長い時間を共有してきたわけでもない。ただ、この少年が不安定な状態にあることだけは分かる。

 初めて会ったときから、アリアはそう思っていた。そしてその気持ちは、こうして時を経るごとにますます強くなっていく。一人で荒野を生き抜くだけの強さを持つこの少年は、同時に酷く脆い部分も持ち合わせている。それは盲目的なまでに一つのことを信じる強さであり、それを否定することになってしまったときの脆さを思わせる。

 強くあり、それがゆえに不安定である、二面性を感じさせる少年。人であれば誰もが持ちえるものであるが、それをより酷く感じるのだ。

 そう思ったところで、アリアにはかける言葉が見つからなかった。深紅の瞳に不安げな色をたたえて、ルドを見守るくらいしか今の彼女には出来なかった。

 そんなアリアの内心をよそに、話は進んでいく。一通り騒ぎ終えたファーリットたちは、落ち着いたのか息を吐き出した。


「はー、まぁいいや。とりあえず、ヴィーが元気そうで良かったよ」

「だからアンタ、俺が何度も大丈夫だって説明したでしょうが。何回、怪我を完全に癒したって聞けば気が済むんだ」

「いや、だってな? それとこれとはまた別だろ? 直で見てみないと心配っつーか、なんつーか」

「つまり、アンタは俺の話が信用できないと。そういうことで?」

「いや、だからどうしてそうなるんだよ!?」

「よっく分かりました。今日限りで補佐なんざやめさせて……」

「だから違うって言ってるだろー!?」


 しかし、またすぐに騒ぎ出す。それに慣れているヴィルフールは、楽しげな笑い声を響かせた。


「ありがと、ファーリット。心配してくれて」

「おうっ」


 その一言が聞けて満足だったらしいファーリットは、謎に胸を張る。それを見て、ルーファスは肩をすくめた。

 そんな彼らのやり取りにひとしきり笑ってから、バザックは手を打ち鳴らした。景気のいい音が響き渡り、全員がそちらへと視線を向ける。


「さて、そろそろいいか?」


 バザックは全員を見渡してから、そう切り出す。その瞬間、ファーリットとルーファスの顔が、目に見えて輝いた。


「おっ。先生、仕事かっ!?」


 うきうきと切り出したファーリットに、バザックは鷹揚に頷く。


「おうよ。俺が来たからには、ただ働きなんて言わないさ。暴動の後片付け、及び復興作業。相場の報酬は払うぜ、出来高制でなっ」

「よっしゃ、乗った!」


 バザックが差し出した手に、ファーリットが手を打ち合わせる。パァンと勢いの良い音が響いた。ファーリットは久しく見るようないきいきとした表情で、ルーファスを振り返る。


「ルーファス、手の空いてる奴ら、全員呼んで来い! 途中で見かけたら、他の奴らも呼んできてやれ!」

「分かってるって」


 ルーファスは軽く手を挙げると、すぐに走り出す。ファーリットのように目に見えてはしゃいではいないものの、彼もまた普段よりもずっと動きが良かった。


「やれやれ。たくましいな、あいつらは」

「伊達に、身一つでこの『最後の溜り場』を生き抜いているわけじゃないよ」


 肩をすくめるクーレンに、ヴィルフールは笑う。アリアもおっとりと笑って頷いた。


「さて、バザック。俺とアリアはそろそろ行こうと思うが」

「これ以上、ゾイス先生を待たせるわけには行かないものね」


 クーレンはバザックに向き直って切り出す。アリアも笑みを消して、こっくりと頷いた。


「そうだな。じゃあ、そっちの方は頼んだからな。俺は、こいつらの方を手伝ってくるから」

「ああ」

「じゃあ、またね。みんな」


 クーレンは軽く手を挙げ、アリアは簡単に会釈をして背を向けた。そのまま並んで歩き出した二人の背を、ルドは黙って見送る。


「治療の手伝いに行くんだろう。時間が経っているとはいえ、人手が足りていないだろうからな。治癒師は少ないし」


 何も聞いていないのに説明をしてくるサーレには答えず、ルドはふいっと視線を逸らした。それに気にした風もなく、サーレは彼から視線を外す。こいつ苦手だ、とルドが思った瞬間だった。

 そうこうしているうちに、子供たちが集まってくる。ルドにも見覚えのある彼らは、ファーリットの率いる集団なのだろう。中には見覚えのない子供も混じっているので、そのほかからも来ているのかもしれない。


「よっしゃ、行くぞー!」


 集まってきた子供たちを見回して、ファーリットが勢い良く腕を振り上げる。それに応じる思い思いの唱和が返ってきて、ファーリットは上機嫌に笑った。


「楽しそうだよね」

「ま、ファーリットだからなぁ。あれでこそあいつなんだろ」


 微笑ましそうに笑うヴィルフールに、バザックは豪快に笑う。そうしてから、バザックはルドの肩を軽く叩いた。


「さってと、俺らもあれに負けてはいられないからな。行くぞ!」


 どこか少年のような、豪快でいながらもまっすぐな笑みを浮かべるバザックに、ルドは不思議なものを見るような目を向けた。




 バザックが子供たちに割り当てた仕事はさまざまだった。瓦礫の片付けなどが主であったが、壊れた場所などの簡単な修復なども行っている。もちろん本職の者のようにはいかないが、何度かこうした作業をしている子供もいるのだろう、彼らの手つきは不思議と慣れたものだった。

 瓦礫の片付けに回ったルドは、黙々と作業をしながらも周囲の状況を見やる。基本的に身寄りのない、自分たちの力で生き抜いている子供たちが多く集まっていることもあってか、作業の合間も子供たち同士の衝突は多い。そのたびにバザックやヴィルフール、ファーリットなどが出てきてはそれを収めている。サーレやルーファスもさりげなくその援護に回り、円滑とまではいかなくとも作業は進んでいた。

 特に出来高制であるため、子供たちもそうそう衝突してはいられないのだろう。ファーリットが言っていたように、久々の好条件の仕事であるらしく、子供たちはみな必死にすら見える真剣さだった。

 あの暴動の後、サリッシュウィットはすぐに平常を取り戻していた。危険地区、『最後の溜り場』と呼ばれるのは伊達ではなく、こうした騒動は珍しくもないらしい。とはいえ怪我人も多く、被害も大きいほうであったため、うまく機能していないところも多々あったようだ。

 それでも。それでも強く、人は生き抜いている。


 ルドはふと手を止めて、作業をしている子供たちを見る。みな、ルドと同じくらいか、もっと年下の者たちばかりだ。そのほとんどが、何らかの事情で保護者がいない状況だということを、今更ながらに思い出す。それでも彼らは、集まりあい、生きている。手を取り合って、喧嘩をしたり争ったりしながらも、日々を必死に生き抜いている。

 ルドには、それが酷く、遠いことのように思えた。

 ふいに、まだ幼い子供の手伝いをしていたヴィルフールと目が合う。にこやかに笑いかけられて、ルドはとっさに視線を逸らした。その瞬間、視界の端で笑顔が曇ったのも見て取ったが、再び視線を向ける勇気はなかった。

 その目を見るたびに、思い出すのだ。彼が怪我をした瞬間を、そしてその原因となったものが何かを。

 ルドは作業へと戻りながら、そっと周囲に気取られぬようにため息をこぼす。

 彼らと比べて。ここで生きる彼らと比べて、自分はどうなのだろうか。今まではずっと、自分は強いような気がしていた。『特別』な存在だとすら、心のどこかで思っていたのに。

 本当に弱いのは、自分ではないだろうか。

 そんな想いが、ふいにもたげる。ここに生きる人たちが、不思議に思わないわけではない。ヴィルフールとサーレのように、ファーリットとルーファスのように、真剣に互いが互いを信じあい、守ろうとするその姿は、やはり今でも分からない。どうして、自分以外の者のために、そんなに感情を表すのかと。不思議に、思う。

 過去と、感情は。やはりまだ、彼を縛り、解き放つことはしなかった。ただ、それから目を逸らしながら過ごしていくことが、今のルドの精一杯だった。

 そんな彼の姿を、見据える一対の、黒い瞳があった。

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