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Through the Past  作者: 冬長
二章
17/32

【16】 白き地の毒姫と、東からの旅人たち

 白い壁。白い天井。薬品のにおいがわずかに漂うその空間は、どこか病院を思わせる。けれどその雰囲気は、決して傷を、病を治すものではなかった。それは穢れを拒む白。染まることを拒み、己の色で全てを染め上げる、偽りの白。

 その白い空間に、楽しげな笑い声が響いていた。くすくす、くすくすと、どこか甘さを感じさせる笑みで空間を彩っているのは、少女だった。十五になるかならないかといったくらいの少女は、気まぐれに自分の黒髪を指で弄びながら、笑い声を響かせている。まれに見る鮮やかな金の瞳は細められ、くるくると動く自分の指先を眺めている。けれど、どこか焦点の合っていないその瞳は、どこか遠くを見ているようでもあった。


「そう、そうなの」


 嬉しげに、楽しげに声が紡がれる。その声は砂糖菓子を思わせるほどに甘く、軽やかだった。


「見つかったわ、見つかったの」


 誰に告げるわけでもなく。ただ、何度も何度もその事実を確認するかのように、少女は言葉を繰り返す。


「行かないと。会いに、行かないと」


 床に座り込んだまま、少女は笑い声を響かせる。空気を揺らす甘い笑い声は、繊細な硝子細工が砕け散る様を思い起こさせた。

 そうしながら、少女は思いを馳せる。それはなくしてしまったと思っていた宝物が、見つかったときの感覚によく似ていた。安堵にも似た喜び、嬉しさ。


「何かいいことでもあったのかな?」


 ふいに、少女しかいなかった空間に声が響く。ほとんど気配を感じさせずに現れた少年は、少女の笑いにつられたのか、楽しげな笑みを浮かべてコトリと首を傾げる。ふわりとした癖のある白金の髪が、かすかに揺れた。

 自分の世界に没頭している少女に気付かせるためだろう、わざと足音を響かせて歩み寄る少年に少女は視線を向けた。そして少年の姿を視界に納めると、パッと花散るような笑みを浮かべた。


「レルフィード。珍しいのね、こっちにまで足を運ぶなんて」


 少女は立ち上がり、レルフィードと呼んだ少年へと小走りで走り寄る。少女よりも年下の、十歳前後と思われる少年は笑みを浮かべて少女を迎え入れた。


「用があったからね。元気そうだね? リージェラ」

「ええ、とっても元気よ」


 リージェラと呼ばれた少女は、くるりと回って見せた。そうして機嫌のよさそうに笑うリージェラに、レルフィードも笑みを浮かべる。


「それで、リージェラ。何があったんだい?」


 そう、と。喜びがそのまま声になったかのような、嬉しげな声と共にリージェラは手を打ち合わせる。嬉々としたその表情は、少女を実年齢よりも幼く見せた。


「見つかったのよ」


 そしてまた、同じ言葉を繰り返す。レルフィードは軽く首を傾げた。


「何が、だい?」


 尋ねていながらも、答えを求める声ではなかった。ただ、ひとつの義務であるかのように。ひとつの通過儀礼であるかのように、その問いを口に上らせた少年に、少女はさらに笑う。口元に指を当て、可愛らしい動作で首を傾げる。


「秘密よ。本当に見つかったら、教えてあげるわっ」

「見つかりそうですか?」

「分からないわ。月だから、ちょーっと難しいかもしれないわね。紫のお月様」


 リージェラは金の瞳を閉じて、そっと思い浮かべる。鋭い風を纏い、誰よりも強く、速く駆け抜ける風の子を。冷徹な光を宿した、紫の瞳を持つ少年を。


「でも、必ず見つけてきて、連れてくるの」


 だってここが帰る場所だもの、と。信じきっている声で、響きで、リージェラは言葉を紡ぐ。それは、疑うということすら知らない、幼く無知な子供のような声の響き。


「そう。見つかると、いいね?」


 笑い声と共に落ちた言葉に、リージェラはパッと目を開いた。そしてレルフィードの顔を映して、金の瞳を細めて笑い、頷く。


「もちろんよっ」


 そこに、再び小さく、足音が響いた。

 二人は振り返り、同時にやってきた人物へと視線を向ける。

 青く輝く銀が、さらりと光を反射した。動きに合わせて揺れるその輝きは、青みがかった銀の髪。鮮やかな瑠璃の瞳は、二人に気付いて驚きに見開かれる。人のものとは思われない輝きを宿す、端麗な顔立ちをした少女は、微妙に表情を歪めた。それはうっかりと、この空間に足を踏み入れてしまった自分にしまった、と思ってしまっているようだった。

 そんなことなどお構いなしのリージェラは、先ほどレルフィードが現れたとき以上に顔を輝かせた。それこそ輝くような笑顔で、少女へ向かって走り出す。


「アウラ、来てたのねっ」

「来てたっていうか、今来てしまったっていうか……」


 思わず後ずさりながらアウラと呼ばれた少女は答えるが、やはりリージェラは気にしない。嬉しげに年下の少女に抱きついて、彼女が顔を引きつらせるのにも構わずに一人ではしゃぎだした。


「ああもう、嬉しいわっ。今日はいい日ねっ」


 そうしてリージェラは、くるくるとアウラの髪を弄くりだした。腰まで長く伸ばしているリージェラと違い、アウラの髪は肩を少し超える程度でそう長くはない。それを弄くって遊ぶリージェラに、アウラはさすがに表情を嫌そうなものにした。


「やっぱり綺麗ね、アウラの髪はっ」


 しかし、リージェラはやっぱり構わない。どこまでも自分中心的な少女は、基本的に他に構うということを一切しないのだ。念頭にない、といったほうが正しいかもしれない。


「楽しそうだね、リージェラ」

「ええ、とってもっ」


 楽しげな笑みをこぼしながらのレルフィードの言葉に、肩越しに振り向いてリージェラは笑う。それらを見て、アウラはわずかに視線を伏せた。それは二人の笑みが、本当によく似ていたためだった。

 どちらも本当に楽しげで、それでいて危うさを秘めた笑み。無邪気で、純粋で、けれど壊れた印象を振りまく笑みだった。そうして、二人分の笑い声が空間に響く。

 アウラは、そんな二人に目を細める。この二人がこんな笑みを浮かべているときには、大抵が何かをしでかすからだ。


「さぁ。私、そろそろ行かなくちゃっ」


 気が済んだのか、それとも何か思い立ったのか。笑みを崩さぬまま、リージェラはアウラから身を離すと、ぽんと手を打ち合わせた。


「何をしに行くのかな? リージェラ」


 レルフィードの問いに、リージェラは軽やかに笑い返す。


「準備、よっ。それなりの舞台づくりは、大事でしょう?」


 くす、と。落ちた笑みを直視してしまい、アウラはわずかに身を震わせた。楽しげに輝いている金の瞳は、温度を感じさせない光だった。見抜く力を宿した瑠璃の瞳は、それゆえに見通してしまう。その冷酷さを、その冷徹さを、その傲慢さを。ゆえに身を震わせたアウラに、リージェラはにっこりと笑みを向けた。やはり温度を感じさせない、笑みを。


「アウラも、捨ててしまったほうが楽よ?」


 それが何かを、リージェラは告げなかった。けれどアウラは、感じ取る。まだ十を少しすぎたくらいの少女は、その育った環境と生まれ持った能力ゆえに、聡明だった。


「止めておくわ」


 凛と、声が響く。それは、少女の決意。


「私には、守るものが、あるの」


 だからあなたたちのようにはならない、と。拒絶の意味を含めて言い切ったアウラに、リージェラはつまらなそうな顔をした。今日が覚めたとでも言いたげなその顔に、レルフィードが笑う。


「ケインとミシェル、か。大事にしているようだね?」


 アウラはレルフィードに、射るような視線を向けた。手を出すな、とでも言うように。名を挙げられた二人を、守るように。けれどレルフィードはゆったりと笑みを浮かべたまま、軽く首を傾げただけだった。


「ふふ、いいわ。私、今は機嫌がいいの」


 リージェラは再び笑い出す。前後の会話をあまり気にしないのも、この少女の特徴だった。

 そして踊るような足取りでくるりと回ると、芝居がかった仕草で二人に向けて一礼をする。


「じゃあね、レルフィード、アウラ。またお会いしましょう?」


 そして少女は、軽やかな足取りで走り出す。甘く響く、絡みつくような笑い声を余韻として残し、かすかに空間を揺らしながら。長い黒髪をなびかせながら、リージェラは去って行く。

 残された二人は、少女が走っていくのを何とはなしに見送っていた。


「ねぇ、アウラ」


 ふいにレルフィードに声をかけられ、アウラは彼の方を向いた。少年は薄い微笑を浮かべながら、少女を値踏みするように見据えた。


「リージェラの言葉じゃないけれど、僕も思うよ? 君はせっかく、資質があるのに。それに、綺麗なのにね?」


 なんのてらいもなく言い切られた言葉に、アウラが返したのは冷笑だった。それは瑠璃の放つ冷たい光と、輝きを揺らす青銀の髪によって、なお冷たく冴え渡る。


「私はね、レルフィード」


 透明さを感じさせる声は、不思議とよく響いた。


「毒にも道化師にも、なる気はないのよ」

「そうだろうね。君は“星明り”だから」


 きっぱりと言い切ったアウラに、レルフィードはにこやかに笑う。その形だけのような笑みにため息を吐いて、アウラは背を向けた。話は終わったとばかりに立ち去ろうとする彼女の背を追うように、レルフィードの言葉が飛ぶ。


「ならアウラ、もうひとつ。次にリージェラに会うのは、いつになると思う?」


 アウラは一瞬、足を止める。けれど振り向きもせず、答えを返すこともせず。一拍分の呼吸の後、彼女は再び歩き出した。

 規則正しい足音が去っていくのを聞きながら、レルフィードは笑みを浮かべる。くすくす、くすくすとさざめき渡るその笑いは、嵐の前にざわめく梢の響きによく似ていた。


 甘い、甘い毒が、舞い落ちる。




「嫌な感じだ」


 椅子に座り、意味もなく足を揺らしながら、アイリーンは呟いた。その顔はやはり無表情に近いものだったが、苛立ちが透けて見えている。まだまだ幼さの残る少女に苦笑しながら、ヴィルフールは苦い口調でたしなめた。


「唐突にそんなことを言うものじゃないよ、アイリーン。驚くだろう?」


 ほら、と周囲を示すヴィルフールの言うとおり、よく通るアイリーンの声は周囲に響いていたらしい。場所は、『地吹雪』の食堂。昼食を食べ終わったところとはいえ、まだあちこちに人がいる時間帯である。ゆえに、トリウムを始めとした『地吹雪』にいる全員の視線を受けて、アイリーンは気まずそうに目線を伏せた。


「すまない。しかし、ヴィルフール。思わないか? なんだか嫌な感じだ。気持ちが悪い。まるで甘ったるい毒を、口の中いっぱいに詰め込まれたかのような」

「また、そういう例えを……」


 苦く笑おうとしたヴィルフールは、しかしふいに固まった。アイリーンの表現するその感覚に、覚えがあるのだ。甘い毒のような、気配。それはあの、白い、感覚の。


「白の狂気に育てられし」


 アイリーンの向かいに座っているサーレは、だらりと椅子に背を預けながら呟く。


「闇に浮かぶ一対の金色、か」

「サーレ。意味が分からないよ?」


 ヴィルフールは呆れた視線を向けるが、そこにとがめる色はなかった。仕方ないなぁ、と言わんばかりのその表情には、思案する気配がある。それは、サーレが『白の狂気』という言葉を入れていたためだ。その、意味は。

 ヴィルフールは何気なく、空いている椅子の一つに視線を向ける。それに気付き、サーレが補足した。


「ルドなら、部屋に戻った」

「そう、みたいだね」


 それまでもルドは、呼ばない限りは誰かと行動をともにしようとしなかった。けれどあの暴動の後から、それが余計に顕著になっている。誰かに呼び止められる前に去ろうとするかのように、人のいる場所に留まろうとしなくなっていた。同時にまた、一定の場所に留まろうともしなくなっていた。立ち止まっていることが落ち着かないような様子で、彼はあちらこちらを歩き回っている。

 それでも何か思うところがあるらしく、暴動の後始末の手伝いなどには自分から参加していた。けれどそれも、何かしらの心の枷を取り除く方法を探すための、一つのようで。一方的なまでの罪悪感に苛まれている彼は、そうして今日もヴィルフールたちのそばにはいない。特に、ヴィルフールには近寄ろうとしなくなっていた。


「僕、何かしたかなぁ」


 ふぅ、とため息を落としたヴィルフールに、サーレとアイリーンは顔を見合わせた。普段はそこまで話が合うとは思えない二人は、ヴィルフールに関するこの件においては意見の一致を見たらしい。無言で互いの目を見合わせると、軽く肩をすくめて息を吐く。


「二人とも、その反応、かなり気になるんだけど。分かってるのなら説明してくれないかい?」

「まぁ、気にするな、ヴィル」

「そうだな。気にする必要はないだろう、ヴィルフール」


 二人に同じような言葉を返され、ヴィルフールは若干目を細めながら二人を見た。けれど、二人が答えを返す気がないらしいことを悟ると、諦めたようにため息を吐く。


「まぁ、ここしばらく忙しかったしね。ファーリットやイズウェルたちも、忙しそうにしていたし」

「まだあの暴動から二日しか経っていないからな。被害も大きいようであったし」


 アイリーンが呟くとおり、まだ暴動から二日しか経っていない。暴動の発生した場所から離れていたこともあり『地吹雪』の受けた被害はないに等しかったが、サリッシュウィット全体の受けた被害は軽いものではなかった。


「イズウェルは警備隊の一員だし、ファーリットもまとめ役だから。何かと忙しいだろうね」

「イズウェルはともかく、ファーリットは面倒を見ているのか見られているのか、よく分からない状況であるがな」


 いつも彼の面倒を見ているルーファスは大変そうだと、アイリーンは呆れたように呟く。その言葉に、ヴィルフールは微笑んだ。


「だからこそ、彼らはファーリットについていくんだよ」


 完全無欠ではないからこそ、彼らは中心にいるファーリットを慕っている。それは彼の傍らにあり、彼に対しての扱いがお世辞にも良いとはいえないルーファスにしても同じだろう。


「そういうものだろうか」

「そういうものだよ」


 あまり納得のいっていない顔をするアイリーンに、ヴィルフールは笑う。けれど、すぐにその笑顔を消すと、小さく息を吐く。


「何にしても、ルドは心配だね」


 アイリーンはなんとも答えられず、わずかに視線を落とした。そんな少女に気付いて、ヴィルフールは気にしないように、と笑いかける。そんな二人の微笑ましいやり取りを見ていたサーレは、わずかに笑みを浮かべる。


「心配することはない」


 落ちるように呟かれたサーレの言葉に、二人は彼へと視線を向ける。それを受け止めてから、サーレは目線をドアの方へと向けた。


「悪いことばかりじゃない」


 そうして二人もそちらへ視線を向けたのと、ほぼ同時に。

 車のエンジン音が響き、止まる音がする。そしてドアの開く音と、賑やかなやり取り。よく通る張りのある、明るい男性の声。澄んだ繊細な、低めの男性の声。そして高く伸びやかな、柔らかい女性の声。それらの紡ぎあげるやり取りは、何度聞いても聞き飽きないものだった。

 やや間をおいて、トリウムの慌てた声が響く。そして『地吹雪』の子供たちの、三人を歓待する声も。


「この、声は……」


 ヴィルフールとアイリーンは、思わず立ち上がる。

 空に吸い込まれていくような、やり取り。不安や悩みを吹き飛ばしてくれるような、騒がしく賑やかで、それでいて暖かな。


「バザック先生、クーレン先生、それにアリアさん?」

「ああ、来たようだな」


 サーレが頷く。それを聞くよりも早く、二人は窓に駆け寄った。そして、勢い良く窓を開く。

 バン、と音が響いて。つられて振り向いた三人、バザックが、クーレンが、アリアが。それぞれに違う笑みを浮かべて、手を振ってくる。窓から身を乗り出した二人に、視線を向けて。


「久しぶりだな! その様子だと元気そうだな、ヴィル、アイリーン!」


 バザックの豪快な笑みが響く。それに呆れたような顔をしながらも、クーレンは微苦笑を浮かべた。そんな二人の様子に、アリアが柔らかな、楽しげな笑い声を響かせる。

 風と、導き手と、癒し手が。再び『地吹雪』を訪れた日だった。


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