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Through the Past  作者: 冬長
一章
16/32

【15】 その先に続く何かへと

 小さくノックの音が響く。ヴィルフールはうっすらと目を明けて、視線をドアへと向けた。


「ヴィル、入るぞ」


 そう言って入ってきたのは、サーレだった。半ば予想していたヴィルフールは、上体を起こすと苦笑して彼を見る。


「起きても大丈夫なのか」

「うん、トリウム兄さんとルーファスが、傷を治してくれたから。若干血が足りないような気もするけど、後は特に問題はないよ」


 後ろ手に戸を閉め、サーレはまっすぐにヴィルフールの寝ているベッドへと歩み寄る。そんな彼の表情を見ながら、ヴィルフールは少しだけ首を傾げた。


「心配かけた、みたいだね」

「死ぬ怪我じゃなかったとはいえ」


 サーレは手近な椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろした。


「何があるか、分からんからな」

「そうだね」


 ヴィルフールは小さく笑う。そうしてサーレから視線を外し、ドアの方へと向けた。


「アイリーンなら、今頃トリウムから説教されてる」

「みたいだね、さっき声が聞こえたよ。……彼女に、一番心配をかけただろうね」


 あの子は分かってしまうから、と。ヴィルフールは困ったように苦笑した。


「感覚を繋げるのが上手いんだ。よっぽど強く、隔世遺伝が現れたんだろうね、あの子は。だからって、そうそう使っていいものじゃないって言っているのに」

「北大陸の能力、か。北の一族のみに出るんだったな」


 確認するように尋ねるサーレに、ヴィルフールは頷く。


「うん。サーレは、知ってるっけ?」


 サーレは軽く頷き、多少はな、と前置きをした。


「オーエウフ大陸、通称北大陸に住む一族にのみ現れる特殊能力。基本的に純血にのみ現れる能力であり、他の一族との間に生まれた場合は能力が受け継がれにくい、または弱い。ただし隔世遺伝として現れる場合がまれにあり、その際の能力は高いものとなることが多い」


 さらさらと話し始めたサーレに、ヴィルフールは呆気に取られたような表情をした。それに構わず、サーレは淀みなく言葉を紡いでいく。


「能力としては基本的に精神に感応するものであり、『感知』と『干渉』の二つに分けられる。『感知』は主として相手の能力を読み取るものであるが、相手の思考などを読み取る、記憶を探ることなども可能。他、周囲の状況把握といった使い方がある。またまれに、世界について感知することの出来る者も存在する」


 話し疲れてきたのか、サーレは小さく息を吐いた。けれどそれだけで、言葉は止まらない。すぐにまた、紡ぎだされる。相変わらず抑揚の乏しい、声で。


「『干渉』は『感知』のさらに深まったものとされており、相手の行動に対して強制力を持つことの出来る能力。発動方法としてはさまざまだが、スピリット・パワーのように波長として扱うことが難しく、何かしらの媒介が利用されることが多い。主に『言葉の強制力』と呼ばれる言葉の力を借りるものだが、瞳を通して発動する場合もある」


 珍しく長く、長すぎるほどに話したサーレは、一息ついた。


「こんなもんだ」

「それだけ知っていれば十分すぎるくらいだよ……というか、どうして一般的に知られていないことまで、そんなに知っているんだい……?」


 ヴィルフールは額を押さえた。基本的に北大陸系の能力というのは、その概要は知られていないものだ。けれどサーレは、具体的にどのような能力があるのかを把握している。一般に出回るような情報ではない。


「電波情報だ」

「うん、訳が分からないね、サーレ」


 至極当然とばかりに言い放ったサーレに、ヴィルフールは柔らかく微笑んだ。考えないことにするね、と穏やかに言い切った彼は、すでに諦めの境地に達している。

 サーレ=ゼノという人間を、かけらでも理解することは大変難しい。何せイズウェルなどは、あいつはどっか別の世界から来たんじゃないか、と言い張るくらいなのだから。


「まぁ、確かにそういうものだけど……」

「お前とアイリーンは、北大陸系の一族、ということになるのか?」


 ヴィルフールは苦笑した。まぁね、と簡単に頷く。


「アイリーンは隔世遺伝だけど。僕は母が純血、父が隔世遺伝だったから、より強く現れたみたいだね」


 北大陸の一族は、基本的に他の大陸に移ることを良しとしない。北大陸全土を統べる帝国は能力主義的であるためだ。そのため、ヴィルフールのような例は非情に珍しい。


「アイリーンが、ルドを気にしていたのは、そのためか?」


 サーレの話には、相変わらず脈絡がない。彼の思うままに話が飛ぶので、何を指しているのか分かりにくいのだ。ただ、それにすっかり慣れてしまったヴィルフールは、彼の聞きたいことをすぐに察した。


「うん。何か、過去の残滓がまとわりついているようだと言っていた」

「それは、お前を傷つけたあいつらと、関係があるのか」


 ヴィルフールは軽く目を見開いた。そして目線を伏せると、悲しげな表情になる。


「彼と、関係があるというのかい?」

「俺の勘だ。お前は、どう見ている?」


 紺碧の瞳は無感動に、けれど鋭く切り込んでくる。視線一つで相手に刃を突きつける。喉元に切っ先を当てられたような錯覚を覚えながら、ヴィルフールは苦しげに息を吐いた。


「同意見だよ。アイリーンの言っていた感覚と、彼ら……今日暴動を起こした彼らから、似たようなものを感じた。もっとも、ルドの方が強いけどね」

「そうか」


 サーレは呟き、ふっと一瞬だけ視線を逸らす。それで視線の刃は引かれ、ヴィルフールは安堵の息を吐き出した。

 けれど、それだけで引き下がらないのが、ヴィルフールがサーレと『対』たるゆえんだ。


「僕の方も、聞いておきたい」


 ふっと視線を絡ませられて、サーレはまっすぐにヴィルフールを見返す。


「君の、勘のほかに。何か、あるんだろう? 気付いたこと」


 サーレは肩をすくめて見せた。その仕草に何かあることを確信し、ヴィルフールは静かな目線を向ける。無言で答えを促す視線に、サーレは小さく頷いた後、自分の左腕を指差した。二の腕の上の方、肩口付近を。

 けれどそれだけで、その先を言おうとしないサーレに、ヴィルフールは胡乱な目つきになる。小さくため息を響かせて、ヴィルフールは思いついたものを一つ、挙げた。


「ルドの左腕にあった、刻印?」


 左腕に刻まれていた記号を思い起こすヴィルフールに、サーレは頷いた。


「同じものが、あいつらの左腕にあった。確認したのは一人だけだが」

「は?」


 思わず抜けた声を上げたヴィルフールに、サーレは淡々と言葉を続ける。


「正確には、少々違うがな。だが、基本となる記号が同じだった。数字が少々違うくらいで」

「どういうことなんだい」

「そこまでは、俺にもわからん」


 サーレは肩をすくめる。ヴィルフールは再び、目線を落とした。

 ルドは、どんな思いで彼らと戦ったのだろうか。そうしてふと、ヴィルフールは思い出す。彼がルドを飛び出してルドを庇ったとき、ルドがどんな顔をしていたか。

 表情をなくした顔。死んだような瞳。避ける意思も、戦う意思も、生きる意思すらなかったその顔を。

 おそらく、彼は何も知らない。完全に何も知らないわけではないのだろうが、あの暴動を起こした集団のことはあまり知らないのだろう。ただ、あの集団がルドと関わりのある存在だということだけ、ヴィルフールには分かった。それゆえにあのとき、ルドは恐慌を起こしていたのではないか。それが、ヴィルフールのたどり着いた結論だった。


「強かったな」


 サーレはぽつりと呟く。ルドが一人で、あの集団を全滅させたことだろう。

 ヴィルフールもそれには同意していた。けれどあのときの彼は、普段のような冷静さも、冷徹さもなくて。ただ激情のままに、相手を屠っているようだった。

 そう、ヴィルフールの声など、届かないほどに。

 怪我をしていたため、大声が出せたわけではないけれど。それでも必死に、止めようと叫んでいたヴィルフールの声は、ルドには届かなかった。

 ヴィルフールは、大きく息を吐き出す。結局自分は、どこに行っても足手まといになっている。ついでに言うなら、迷惑までかけっぱなしだ。情けないことこの上ない。


「ありがとう、サーレ」


 ヴィルフールの言葉に、サーレは怪訝そうな表情をする。それに、ヴィルフールは笑い返した。


「子供を助けてくれて。ルドを止めてくれて。そして、僕をここまで運んでくれて。ありがとう、本当に」


 ヴィルフールは微笑む。柔らかく響く声と、微笑み。それは静けさの中、夜を包み込んで始まりを告げる、朝焼けのように。

 戦いに向かない自分の性質を、ヴィルフールは悔しくも思うし、情けなくも思う。それでも、そうして助けてもらうことを恥だとは思わない。人には向き不向きがある。ヴィルフールにとっては、それが戦いだったというだけだ。そしてヴィルフールは、他のことでならきっと、彼らの力になれることもあると信じている。きっと、自分の立つべき『戦場』は、ファーリットやイズウェルとはまた違うものになるだろうと。それは、確かな予感にも似た感覚だった。

 そんなヴィルフールに、サーレはうっすらと笑みを浮かべる。それは何か微笑ましいものでも見るような、眩しいものでも見るような表情だった。


「さすが、暁の」


 そしてサーレがぼんやりと呟いた言葉に、ヴィルフールは思いっきりむせた。げほっ、ごほっとしばし咳き込んでから、サーレの肩を掴む。


「どこで、そんなこと、聞いたんだい、君は!?」

「電波情報」


 ヴィルフールはがっくりと肩を落とした。そうだよね、君ってそういう人だよね、とげんなりと呟く彼の表情は、先ほどまでよりもなお強い諦めに彩られている。


「まぁ、それはともかく」

「僕としては、あんまりあっさりと流して欲しくない事柄なんだけどね……まぁいいけど」


 すっかり諦めの表情になったヴィルフールは、ため息混じりに彼の話を受ける。それに一つ頷いて、サーレは簡単に告げた。


「まず、助けてくれと頼まれたあの子だが、イズウェルが言うにはフュールというらしい。あの子は、無事だ。少し擦り傷程度があったくらいで、問題はない」

「そっか。良かった」


 途端、ヴィルフールは安堵した表情を浮かべる。

 ルドを追っている途中、暴動を起こした集団の近くに人のいる気配を感じたヴィルフールが、サーレに救出を頼んだのだ。それは北大陸の能力を使っていたからこそ、感じることの出来たものでもあった。そしてサーレがその子供、フュールを助けている間に、ルドに気付いたヴィルフールが彼を庇って怪我をしたのだ。


「でも、その……家族、は」


 サーレは黙って首を振る。だが、ヴィルフールはそれで引かなかった。状況を、と無言で訴えてくる赤紫の瞳に根負けしたのか、サーレは口を開いた。


「近くで、夫婦らしき二人が死んでいた。おそらく……」

「その子の……両親か」


 ヴィルフールは頷く。苦渋に顔をゆがめて、大きく息を吐き出した。

 サリッシュウィットでは珍しい話ではない。ヴィルフールもサーレも、親を亡くしたからこそこうして『地吹雪』に身を寄せているのだから。それでも、出来ることなら聞きたくない話だった。


「じゃあ、彼は……ここで預かることになるだろうね」


 それでもヴィルフールがはっきりとした説明を、言葉を求めたのは、彼がこの『地吹雪』を支えていく一人でありたいと望んでいるからだ。現在の責任者であり代表者となるトリウムを、支えて生きたいと望んでいるからこその、行動だった。状況を知らないことには、判断をすることも出来ないのだから。


「それと、ルド、だが。ずっと何か考え込んでいる」

「考え込んでいる?」


 ふいに告げられた状況に、ヴィルフールは表情を真剣なものへと変化させる。その切り替えの早さに、サーレは少しだけ表情を緩めた。


「ああ。何を考え込んでいるのかは知らないがな、戻ってきてからその調子だ。いや、戻ってくる前から、だったがな。状況が状況だ、そう考えることも出来なかったんだろう」

「やっぱり……彼らのことが、気になっているのかな」


 彼が殺した、彼と同じ刻印を持つ者たち。どこか壊されたその表情を思い出して、ヴィルフールは自身を抱きしめるように腕を回した。妙な、寒気がした。


「大丈夫か?」

「ああ、うん……僕よりも、ルドの方が心配だよ」


 ヴィルフールはゆっくりと頭を振る。

 冷徹な表情を浮かべることの多い少年は、見た目よりもずっと繊細だ。そしてなかなか人を信用しようとしない彼は、自身の殻にこもってしまいやすい。そのまま崩壊してしまうほどに弱い少年ではないとヴィルフールは思っているが、それと心配するかしないかとはまた別問題だ。

 何よりも、彼を取り囲むものに、不穏な何かを感じる。


「誰か、いたんだ」


 ふいにぽつりと呟いたヴィルフールを、サーレは特に驚いた様子もなく見た。それは見つめるというよりも、眺めるような目線だった。


「あの時、誰か、いたんだ。あの、場所に」


 回した腕に力を込める。

 そう。誰か、いたのだ。ルドが気付いたかどうかは分からないけれど、誰かがいたのだ。

 ヴィルフールが、ルドを庇って怪我をした、あの現場に。

 それはルドの纏う気配と、同じ気配を纏う誰か。ルドよりも強く、その狂気に身を浸した者が。

 壊れた気配を、壊された気配を、纏って。ルドが全滅させたあの集団だけでなく、他にも誰か、居たのだ。楽しげな、壊れた空気を纏った、誰かが。

 それが誰であるのかを突き止めることは、ヴィルフールには出来なかったけれど。

 ただ、感じるのは奇妙な不協和音。かみ合わない歯車の中、鳴り響く音楽のような。音階が外れていると知りながらも、無理やりに紡がれ続ける唄のように。

 サーレはすっと、ヴィルフールから視線を外す。転じた目線の先には、窓があった。その先にあるのは、白の頂。雪抱く峰、吹雪の止まぬ山、『北の守護壁』グレッグ山。数千年も遡るこの国の建国の頃より、その頂から雪絶えることなく、吹雪止むことなきと伝えられる峻厳なる山。


「白は染まらない色。染まることを拒んだ、色」


 その広がる白を見据えて、サーレは小さく言葉を紡ぐ。


「白の狂気は、拒むだろう。己に、違う色を塗り重ねられることを」


 サーレの言葉はいつも、はっきりと告げはしない。それは示すもの。不確かで曖昧で、預言めいたことを感じさせる言葉。


「白は何色をも受け付けず、ただ白のみであることによって白足り得る。故に、拒む。故に、認めない」


 それは何を指し示す言葉なのか。いくつもの可能性を考えさせながら、決して確たるものを告げはしない。それは幾重にも連なる輪の一つを述べているということを、示すように。一つの事柄のみを示すものではないと、告げるように。


「けれど白こそが、染め上げられた色。幾重にも塗り重ねられ、信じ込まされた色。純粋ではない、白。白の、暗黒」


 サーレはゆっくりと視線を転じる。窓から、壁へ。


「故に、必要なものは本来の色を見出すこと」


 そして、一言も口を挟むことなく、静かに聞いていたヴィルフールと視線を合わせる。宝珠を思わせる澄んだ赤紫の瞳は、抱きこむように受け入れる。


「切り裂くことしか知らぬ風は強く、けれど他を知らない。故に、一つを封じられれば道行きを失う」


 それは雲を彩る瞬間の色、静かに夜を抱きこんで朝を告げる暁の静けさ。その瞳は、柔らかく受け止める。深海の底、天空の果てへと続く狭間、道標たる紺碧の瞳を。


「だからこそ、他の力が必要だ。黒き護りの翼、天地を駆け抜ける風、黄昏を映す導き手、銀麗の癒し手」


 その一つ一つの言葉に、意味をこめるかのように。一つ一つの言葉に込められた意味を、紡ぐかのように。


「荒地の渡り風、砂礫の光炎、瞬間を告げる者」


 それらの示すものの持つ意味を、存在を、言葉に込めていくかのように。いくつもの言葉たちが、紡がれていく。


「そして、花と宝珠を冠する暁」


 響かない声で、そうサーレは締めくくる。


「サーレ」


 ヴィルフールは微笑んで、静かな声で、告げた。


「紺碧の道標は、入らないのかい?」


 柔らかく笑う瞳は、どこまでも静かで、優しいものだった。サーレは瞳の動きだけでそれからわずかに視線を逸らすと、小さく告げる。


「さぁな」


 ヴィルフールは視線を落とした。柔らかな表情のまま、そっと瞳を閉じる。


「見つかると、いいね」


 それは祈りに似た言葉だった。


「君の言うところの、本来の色が」


 それきり、ヴィルフールは口を閉ざした。サーレもまた、口を開くことはなかった。

 ただ、つかの間の静寂と、沈黙の中。流れていく時間に、思いを馳せる。それは過去に。そして、これからに。

 すでに狂っている歯車は、それを知っていても止まることを知らない。止めることが、出来ない。

 それでも願い、祈ろう。その狂いを正すことは出来なくとも、変えることが出来るように。その先に続く何かへと、繋げることが出来るように。


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