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Through the Past  作者: 冬長
一章
14/32

【13】 分かっていた。本当は、分かっていたんだ

 本当は、分かっていたんだ。

 あれは絶対に、自分を裏切るだろうということを。

 決して、自分の望むものを持っては来ないことを。

 それでも、まだ、望みを捨てることが出来なかったんだ――


 どれくらい、走っただろうか。気持ちばかりが焦り、周囲をほとんど見ていなかったルドにそれは分からなかった。途中でファーリットに会ったこと、彼を吹き飛ばしたことなどは覚えてはいるが、それに罪悪感を覚えることもなかった。

 ただ。ただ、何を考えるでもなく走り続けて。


 唐突に、視界が開ける。それは、彼が目指していたところにたどり着いたということで。

 けれど、その目に映ったものは。

 民家が何軒か、炎に包まれて燃えていた。そこが何度か通ったことのある場所であったことを、ルドはふいに思い出した。ヴィルフールとサーレに連れられて、何度か歩いた通り。そこが、燃えていた。

 何人かの人影が、あった。その一人ひとりが誰であるのか、ルドには分からない。ただ、その『集団』に見覚えがあった。


「失敗……作……?」


 思わず、呆然と呟く。


 “成功作”と呼ばれていた自分や、あの少年と違い。能力を高めることに失敗し、なおかつ度重なる実験によって人格まで破壊されてしまった者たち。それを、かつての場所ではそう呼んでいた。

 “失敗作”、と。


 ルドは目を凝らして、彼らの左腕を見た。ほとんどのものが衣服で覆われていて見えなかったが、この戦闘のさなか破れたのだろう、一人だけ肌が露出しているものがあった。そしてそこには、やはり番号が刻まれている。それを確認して、ルドは思わず自身の左腕を押さえた。

 彼らと同じ烙印を持つ、自分の左腕を。


 言葉も、なかった。

 何を感じているのか、何を思っているのか。自分にすら判別がつかなかった。感情が荒れ狂っているようで、それでいて朽ちていくようで。足先から、指先から、感覚が抜けていくようだった。

 何を、理解していたというのだろう。あれらが“失敗作”と呼ばれていたことは知っている。そうして、“失敗作”という烙印を押された者は、『処分』されるのだということも。

 けれど、その『処分』とは何なのか。いなくなった彼らの、行き着く先はどこだったのか。それには、どういう意味があったのか。


 そう。何を、理解していたというのだろう。あの場所で、生まれてから十三年、育ってきて。一体何を、知っていたというのか。

 何も、知らなかった。何も、分かっていなかった。何も、理解していなかった。

 今更ながら、気付かされる。そう、本当に、今更だった。

 表情の抜けた顔で、ただ、ただ呆然と見つめる。それは彼が“蒼紫の朔風”と呼ばれるときの、冷徹な無表情さとは違った。何も考えられず、いや、考えることそのものを放棄してしまったかのような、表情のなさだった。


 ただただ、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 そんな彼に、一人が気付いた。それはまだ、少年といえるくらいの年齢のもので。壊されてしまった表情で、笑いながらルドに近づいてくる。

 それを見ながらも、ルドは動く気になれなかった。

 諦め。それが、一番近い感情だった。

 一体、自分は何を期待していたのか。何を、待っていたのか。

 いや、薄々は気付いていたのだ。自分にまとわりつく過去の残滓が、決して救いをもたらしはしないであろうことなど。

 それでも、他に何も持ち合わせていなかったのだ。この、何もない自分には。


 振り上げられる手が妙に遅く見えた。その手に、血に濡れた刃を持っていることを見ても、動じもしなかった。ああ、切れ味が悪くなっているだろうなあの短剣と、的外れなことをぼんやりと思う。

 それが自分に振り下ろされるのが、妙にはっきりと見えた。まるで、映像を見ているような、現実感のなさ。


「ルド!」


 けれど。

 けれど一筋の声が、それを打ち破った。

 体に鈍い痛みが走る。気付いたときには、ルドは地面へと投げ出されていた。その上に、何か温かなものが覆いかぶさる。それが人の体温だということに気付き、目を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、柔らかな淡い薄紅色の糸。それが見知った髪の色だということに気付くと同時に、手に何かぬるりとしたものがまとわりついた。熱を感じさせるその液体が血だということを理解した瞬間、ルドの意識は現実へと戻された。


「ヴィル……フール?」


 呆然と、少年の名を呼ぶ。自分を庇い、覆いかぶさった少年の背には、決して浅くはない傷があった。そこから、血が流れ出している。服に赤い染みを作り、広がって、ルドの手を濡らしていく。


「……ルド、大丈夫?」


 痛みに呻きながら、ヴィルフールはわずかに顔を上げた。柔らかな笑みを浮かべていることの多い彼の顔は、今は苦痛に歪んでいた。それでも口の端を持ち上げるようにして、彼はどうにか笑みの形を作ってみせる。宝玉を思わせる赤紫の瞳が、痛みのために薄い水の膜を張ったままルドの瞳を見返した。


 なぜだ、と。

 先ほどまでとは、また違う感情が荒れ狂う。


 なぜ、俺を助ける。

 なぜ、お前が刺されている。

 なぜ、俺ではなくて、お前が。

 あいつらに、刺されているんだ――?


 心臓の鼓動が、一つ聞こえた。全身が感情に飲み込まれてしまったかのように、頭の中が白に覆い尽くされた。

 鋭い風が、彼の周囲を荒れ狂う。竜巻を思わせるそれを纏う彼に、近づけるものはいなかった。倒れこんでいるヴィルフールを受け止めたまま、ルドは座り込んでいた。

 何を期待していたのか、何を望んでいたのか。

 白に塗りつぶされた頭の中で、ただ何度も反芻する。これまでの、出来事を。そして、今の自分を。

 何も知らない、何も知ろうとしなかった、

 愚かすぎる、自分を。


 ルドはヴィルフールの体を地面に横たえる。彼に名を呼ばれた気がしたが、振り返ることはしなかった。

 相手が向かってくる。“失敗作”と呼ばれていた、自分と同じ烙印を持つ者たち。その壊された表情に、ルドは一度目を閉じた。

 けれどすぐに、目を開ける。そして次の瞬間、風を解放した。

 足に纏わせた風の力を借りて、弾丸のように一直線に突き進む。相手が何か攻撃を仕掛けてくる前に、ルドの周囲を取り巻く風の刃が一閃する。円状に放たれたその攻撃は、ルドを中心とした竜巻だった。自然現象としてみるならば小規模でしかないそれは、しかし明確な意思を持って放たれたために強力な武器と化す。

 血が、舞う。悲鳴が、響く。

 体は、戦いのための動きを覚えていた。それに従い、さらに風の流れに乗る。彼を取り巻くように舞い踊る鋭い風の刃たちは、彼の体の一部のようですらあった。

 鋭く耳を切るような風の音が、強く唸った次の瞬間。ルドの周囲にいた攻撃を防ぎきれなかった者たちは、みな一様に肉片と化していた。

 それでもまだ、全てを倒しきったわけではない。“失敗作”と呼ばれる者たちは、何も能力が低いという理由だけで『処分』されるわけではないのだ。それを理解しているルドは、瞬時に次の行動に移る。

 『失敗作』の集団の中に身を投じ、さらに風を巻き起こす。彼を守るために吹き荒れる風は、そのまま敵を切り刻むための刃を成す。『失敗作』と呼ばれていた者たちは、まだ若い者たちが多かった。それこそルドとあまり歳の変わらないような、幼さを残した少年少女の姿もある。

 けれど、そんなことには構わず。老若男女区別なく、ルドの風は全てを切り裂いていった。慈悲のかけらもなく、その場にいる者全ての命を奪っていく。

 敵を殲滅する者。最前に在る刃の一人として育てられた彼にとっては、造作もないことだった。悲鳴を聞きながら、血飛沫が舞うのを眺めながら。ただ白く塗りつぶされた意識の中、彼は一人舞い続けた。

 だが唐突に腕を掴まれ、ルドは振り返った。同時に、風を相手に叩きつける。

 しかし、それは吹いた風によってかわされた。打ち消すのではなく、相殺するのでもなく、かわされる。それはルドの操る鋭い風と相反するかのような、緩やかな風。優しく吹き、それでいて触れることの出来ない、柔らかな風。


「ルド」


 そして同時に響く、低い声。それは聞きなれた、抑揚の乏しい声。

 少し癖のある、水色の髪が揺れる。こんなときにでも感情を露にしない、無感動な紺碧の瞳が静かにルドの姿を映していた。


「サーレ……」


 ルドは彼の名を、ぼんやりと呟いた。だが、すぐに我に返ったように、掴まれている腕を振りほどこうとする。風が、音を立てた。


「落ち着け」


 その風を同じ、けれど違う風でかわしながら。サーレは早くも遅くもない口調で、言葉を紡いでいく。


「その辺にしとけ、ルド。ヴィルなら、大丈夫だ」

「っ……」


 関係ない、そう叫ぼうとして。ルドは、言葉に詰まった。


「ただ、怪我が軽くはない。早く運ばないと、まずい。手を貸してくれ」


 荒れ狂っていた感情が、静まったわけではない。けれど一言、ただの一言。無事だというその言葉、それだけで。白く塗りつぶされていた頭に、感情が戻ってくる。

 ルドは、ヴィルフールに視線を向けた。地面に寝かせたままの彼は瞳を閉じ、そのままぐったりと横たわっている。サーレが血止めのために巻いたのであろう布にも、血が滲んでいた。

 そしてヴィルフールの横には、小さな子供が寝かされていた。まだ三歳くらいだと思われる、灰色がかった青い髪の男の子だった。ルドに見覚えがないので、『地吹雪』の子供ではないのだろう。この戦火に巻き込まれたのか、服がところどころ擦り切れていた。


「あの子を助けてたら、遅くなった」


 サーレは簡潔に告げ、二人の寝かされている方に向かって歩き出す。けれどふいに振り返り、紺碧の瞳にルドを映した。一瞬たじろいだ彼に、サーレは小さく笑って見せた。


「礼を言う。ヴィルを守ってくれて」


 それだけ告げると、彼はそのまま歩き出す。ルドは呆然と、そんなサーレの背中を眺めた。

 ところどころにルドの殺した『失敗作』たちが倒れていても、サーレはほとんど反応しなかった。軽く眉根を寄せ、小さく何事かを呟くと、それらを越えてヴィルフールたちの元へと歩み寄る。


「ヴィル」


 サーレの呼びかけに、ヴィルフールはうっすらと目を開けた。苦しげにすがめられた赤紫の瞳に、サーレの姿が映る。


「ルド、は……」

「大丈夫だ、止めた。『地吹雪』に戻るぞ」

「うん……」


 頷き、どうにか起き上がろうとするヴィルフールを、サーレは軽く腕を掴んで止めた。


「ヴィル、無理するな」

「はは、分かってる、けど……ごめん」

「気にするな。俺の責任でもある」


 サーレは簡潔に言い、まだ呆然としているルドにこちらへ来るよう、手で合図する。気付いたルドは、しばしのためらいの後にサーレの元へと歩み寄った。


「連れて、戻る。そっちの子供を頼む」


 サーレは横に寝かされている子供を指した。それに、ルドは眉根を寄せる。


「ヴィルがいいなら、それでも構わないが。こっちの方が重いぞ」


 それを見て取ったサーレは、ルドが口を開く前に先手を打った。


「……もう少し、言い方はないのかい?」


 すっかり荷物扱いされているヴィルフールは、呻くように呟く。だが、自力で移動できない彼は、それ以上は何も言えなかった。

 ルドはため息をつくと、寝かされている子供を抱え上げる。まだ幼い少年は、軽かった。


「行くぞ」


 サーレもヴィルフールを背負い上げると、そのまま走り出す。背負っているヴィルフールに気を使っているのか、極力体の動きが少ない走り方をしている彼は、風を足へと纏わせてさらに速度を上げる。それについていくために、ルドもまた風を纏った。

 だが駆け出そうとした瞬間、ルドは思いとどまる。そうして、ふと振り返る。

 サーレは、そしてヴィルフールも何も言わなかった。だが、振り返ったそこは血の海と化していた。ルドが殺した『失敗作』たちが、その“失敗作”たちが殺したであろう物言わぬ屍が、あちこちに転がっている。建物はさらに燃え、地獄絵図さながらの光景だった。

 その、自らが命を奪った“失敗作”たちを眺め。ルドはふと、自身の左腕に視線を向けた。

 左手で子供を抱えたまま、二の腕の上の方、肩口近くに右手を当てる。そしてしばしの逡巡の後、ルドは左袖を一気に破り捨てた。

 露になった左腕には、やはり転がっている屍たちと同じ刻印が押されている。それを見やって、ルドは薄く笑みを浮かべた。それは自嘲というのが一番近い笑みだった。


「ルド」


 けれど、そうして立ち止まっていたルドに、サーレが声をかける。彼の声は、響かない。ただ空間を、世界を揺らすような、独特の響きがあった。どれほどの雑音の中でも、必ず聞き分けられるような、不思議な声音。ヴィルフールの柔らかな声とはまた違う強さで、ルドの中へと切り込んでくる。

 ルドが振り返ると、サーレはただ急ぐぞ、と手で合図をした。それだけで、彼は再びルドに背を向ける。その背に背負われたヴィルフールと、彼の背に広がる血を見て、ルドは軽く首を振る。

 背後に転がっている過去を、断ち切るかのように。

 ふいに、腕の中の子供が小さく身じろぎをした。何気ない仕草。けれど、確かに生きていることが、その動きから、呼吸から、体温から、鼓動から、伝わってくる。

 小さな小さなその子供も、確かに生きていた。

 ルドは何も言わず、今度こそ地面を蹴る。そうしてサーレの後に続き、走り出した。

 『地吹雪』へと、戻るために。




 少し、離れた場所で。

 それらの一幕を見守る、闇に輝く一対の金があった。


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