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Through the Past  作者: 冬長
一章
13/32

【12】 『地吹雪』にまつわる彼らの動向

 暴動の起きている場所からは離れているものの、サリッシュウィットが混乱に包まれたのと同様に、『地吹雪』もまた混乱に包まれていた。


「あと、誰が戻ってきていない!?」

「ビレットとカルス、リナ……それにヴィルフール、サーレ、ルドだ」


 トリウムの叫びに、アイリーンが答えた。その受け答えから彼女の方がトリウムよりも落ち着いているように見えるが、視線が心配そうにあちこちをさまよっていた。


「俺が離れるわけにも行かないし……」


 トリウムは唇をかむ。そんな彼の近くで、怯えた子供が泣き出した。それに感染したように、連鎖的に他の子供たちも泣き始める。トリウムは慌てて近くの子供を抱き上げ、他の子供たちも宥めにかかる。


「トリウム兄さん、やはり私が見に行こう」


 近くの少女の頭を撫でてやりながら、アイリーンが淡々と言い放つ。だが、トリウムは首を横に振った。


「だめだ、アイリーン」

「しかし、トリウム兄さん」

「お前も、ここの子供なんだ。十歳の女の子を、危険なところにみすみす送り出すわけにはいかない」


 強く言い切られて、アイリーンは目を伏せる。

 実際、アイリーンはまだ成長期の少女だ。大人に比べれば、力も、体力もない、子供だ。彼女に何かが出来るようには見えない。

 けれどアイリーンにも、引き下がることの出来ない彼女なりの理由があった。


「分かっていた、ことなんだ」


 ぽつりともれた言葉を聞きとめて、トリウムは不思議そうな視線を向ける。それに気付いていないかのように、アイリーンは視線を向けることはなく、言葉を続ける。


「何かが起こるのは、分かっていたことなんだ。それに、ルドが巻き込まれるであろうことも」

「……アイリーン?」

「分かっていたんだ。そうなると、近くにいるサーレは……ヴィルは、必然的に巻き込まれるということに。だって、これは」


 アイリーンは顔を上げて、窓の外を見る。そこに映るのは、雪抱く頂。吹雪のやまぬその山、『北の守護壁』グレッグ山を睨みつけるように見据えて。アイリーンは、言葉を紡ぐ。


「これは彼に付きまとう、過去の残滓の気配によく似ているのだから」


 アイリーンは悔しげに、唇をかむ。

 そう、分かっていたのだ。何か起きるであろうことくらい。だからこそ、以前にヴィルフールに話したというのに。唯一、その感覚を感じ取ってくれるであろう彼に。

 それなのに。それなのに、自分は一人、この安全な場所にいて。彼はまた、危険にさらされようとしている。

 半年。アイリーンがここに来て、まだ半年だ。けれどその短い期間の間に、また、と呟いてしまうほどに、ヴィルフールは何度も危険にさらされている。

 アイリーンにとっては、ただ一人の『同族』と呼べる存在だというのに。


「アイリーン?」


 トリウムが不審そうに、心配するようにそっと名を呼ぶ。同時に、いつの間にか再び目を伏せていた彼女の頭に、暖かなものが触れた。顔を上げると、トリウムが困ったように笑いながら頭を撫でてくれていた。

 その表情は、子供たちを宥めようとするときのヴィルフールの顔に、よく似ていて。

 強く印象に残る、淡い薄紅色の髪が。静けさを宿した、宝珠のような赤紫の瞳が。穏やかな優しい表情が、脳裏をよぎった。


「トリウム兄さん」

「ん?」

「私は……大丈夫だ、ありがとう」


 しっかりとした口調で告げると、トリウムは安堵したように息を吐いた。そして、彼女の頭から手を引く。

 それを見て、アイリーンは微笑んだ。


「ゆえに、私は少し、行ってこよう」


 言うが早いか、アイリーンはトリウムに背を向けて駆け出す。


「なっ……待ちなさい、アイリーン!」

「あなたが出てはならないからな、トリウム兄さん。説教ならば、後で聞こう!」


 彼女にしては珍しく、どこか楽しげにも聞こえる響きを残して。アイリーンは素早く、『地吹雪』を飛び出した。




 イズウェルは苛立たしげに舌打ちを響かせた。サリッシュウィットの混乱が始まったのは、北から。すなわち、イズウェルの昼の仕事場、警備隊の方面からだったのだ。


「あー、自警団に嫌味を言われる」

「んなことぼやいてる場合じゃないだろ、隊長っ。指示は出してるんだろうな!?」


 やる気のないため息を響かせた警備隊の隊長に、イズウェルは噛み付くように叫んだ。いつものことながら勝気で怖いもの知らずの少女に、副官や他の隊員たちは苦笑する。

 それに、隊長はにやりと笑みを浮かべた。


「当然だ。すでに東西南北の奴らが出動、鎮圧に向かってるさ。自警団ともすぐに合流するだろ」


 まだ見習いとして警備隊に籍を置いているイズウェルと、長く傭兵として戦場を渡り歩いてきた隊長ではやはり経験に差があった。少しふてくされたような表情になる少女に、隊長は笑い声を響かせる。


「さて、俺らも行くぞ。他の奴らは準備できてるんだろうな?」


 隊長は副官を振り返る。今更ともいえるその問いに副官は呆れた表情を浮かべながらも、静かに答えを返した。


「さっき、確認を取ってきた。問題ない」

「そうか。待機の奴らも問題ないな?」

「当然だ」


 良し、と隊長は頷いて、大振りの剣を手に取った。副官や他の隊員たちも、それぞれの武器を手にする。イズウェルは腰に下げている、小振りの剣を確認した。

 さまざまな人間が集まるこの国では、国家機能が崩壊寸前までいったことなど一度や二度ではない。そうして警察や警邏隊の制度が崩壊したため、自分たちの街を守るために有志が作り上げ、現在では国家組織として認定されたのが自警団だ。さらに内乱や紛争の絶えない北部におけるいくつかの街々では、傭兵上がりの者たちを中心とした自衛組織が結成されていた。それが、イズウェルの務める警備隊である。


「さて、行くか!」


 隊長の後を追い、イズウェルは他の団員たちに混じって駆け出した。

 街の人たちはほとんどが避難したのだろう、人の多い時間帯だというのに通りには人気がなかった。どこかがらんとした、けれど緊迫した空気を感じながらイズウェルはその中を駆け抜ける。周囲に仲間たちがいるせいか、あまり不安はなかった。ただ、心臓が早く脈を打ち続けていた。知らず知らずのうちに、手が剣の柄に伸びていた。

 そして、ふいに響いた物音に反応し、イズウェルがそちらへと視線を向けると。


「警備隊!?」


 ぎょっとしたような叫び声が上がった。聞き覚えのあるその声に、イズウェルは思わず眉根を寄せる。


「邪魔だぞ、ファーリット! 失せろ!」

「もう少し言い方はないのか、てめぇ!?」


 少し伸びてきた艶のない群青色の髪をなびかせ、ぼろを纏って駆けてきたファーリットにイズウェルは非情な言葉を叫んだ。さすがに怒鳴り返すファーリットに、しかしイズウェルは顔をしかめる。


「うわ、うぜぇ」

「ちょっと待てっ。じゃねぇ、んなことは後でいいんだよっ。うちの奴らを見てないか!?」


 けれど、いつものように怒鳴りあいをしている場合でもないと気付いたらしい。ファーリットは単刀直入に問いかけてくる。


「知らねぇ」


 が、イズウェルの言葉はにべもない。思わずこめかみを引きつらせるファーリットに、イズウェルは小さく鼻を鳴らした。


「あたしはついさっき、詰め所を出たんだよ。で、他の隊員たちと一緒に……」

「隊員って……」


 ファーリットはそこで言葉を止める。イズウェルもはたと気付いて、周囲を見回した。

 人が、いない。

 そういえばファーリットと話している途中に、先に行くぞ、とかいう隊長の声が聞こえたような気がする。そう気付いて、イズウェルは呆気に取られたような表情をファーリットに向ける。


「てめぇ、なんてことしてくれやがったー!?」


 そして一呼吸の間の後に、盛大に怒鳴りつけた。


「俺のせいかー!?」


 ファーリットの叫びは、ある意味で正当なものでもあった。だが、イズウェルはそんなことには構わない。


「お前のせい以外に何がある!? 仕事中に声かけんな!」

「ちょ、待て! 仲間の心配をして何が悪いんだてめぇ!」

「どう見たって、さっき詰め所を飛び出してきたところだっただろうが! 察せ!」

「無茶言うんじゃねぇよ!」


 結局、いつものように舌戦へともつれ込んだ二人に、静かな声が投げかけられた。


「取り込み中のようで大変申し訳ないのだが」


 それは静かではあるが、呆れているというのを隠しきれていない声だった。涼やかに響くその声の主を、二人とも知っている。


「アイリーン!」


 走ってきたのだろう、少女は息を切らせていた。肩が上下するたびに、紫紺の髪が揺れる。


「まず、ファーリット。あなたのところの人数が、全員で何人だったかを確認したいのだが。ちなみに、あなたは数から抜いてくれ」

「あ? ああ……十三、だが」

「そうか。先ほど、あなたから『地吹雪』に来るよう伝えられたという少年に会った」


 ファーリットは目を見開いた。そのまま凝視してくる彼を正面から見返して、アイリーンは口を開く。


「ルーファスか。あいつらは……」

「あなたに会ったあと、他の子供たちも集めてきたようだ。全員、今は『地吹雪』にいる。特に怪我をしているようにも見えなかった。心配せずとも、大丈夫だ」

「そう、か」


 ほぅ、と。心の底から安堵したように、ファーリットは息を吐き出す。良かった、と。音にならない言葉を、吐き出すかのように。

 それにアイリーンはかすかに笑う。


「というか、アイリーン。お前、どうしてここに?」


 だが、次のイズウェルの言葉で表情を引き締めた。


「行くところがある」

「行くって……」

「ヴィルフールのところだ」


 ファーリットもイズウェルも、目を見張った。


「ちょ、待て、アイリーン! あいつなら、『地吹雪』で待っていれば帰ってくる! というか、この危ない中そんなうろつくなよっ」

「ああ。全員が『地吹雪』にいるのが分かったし、俺があいつらを迎えにいってやるから、大人しく帰ってろよ。何かあったらどうする気だ」


 珍しく、ファーリットとイズウェルの意見が一致した。普段であればそれに嫌そうな顔をする彼らだが、今はそれにすら気付いていないようだった。アイリーンは、思わず笑い出したい気持ちになる。

 確かにアイリーンは、見た目こそか細い少女だ。ファーリットのように野性味を感じさせるような強さも、イズウェルのように勇ましさも持たない。けれど、それだけの少女ではないのだ、決して。

 だが、それを見抜くことが出来る者は少ない。アイリーンが知っている限りではヴィルフールとサーレ、そしてバザック、クーレン、アリアたちくらいだ。トリウムも少し気がついているのかもしれないが。


「大丈夫だ」


 アイリーンは静かに答える。分かってもらうことはなくとも、心配はかけたくないと、願って。


「私は問題ない。だから、二人とも行ってくれ。イズウェルは仕事があるだろうし、ファーリットも彼らに顔を見せて安心させてやってくれ」


 それだけ告げて駆け出そうとした彼女を、しかし二人は行かせなかった。左からファーリットが、右からイズウェルがそれぞれ彼女の腕を掴む。


「あなたたちは、どうしてこういうときだけ息が合うのだ?」


 驚き、そして呆れを滲ませるアイリーンに、言われて初めて気付いたのだろう。ファーリットとイズウェルは思わず顔を見合わせ、そして嫌そうな顔をして目を逸らす。それを振り返って見ながら、アイリーンはそんなことをしているくらいなら手を離してくれ、と内心で呻いた。


「合ってないっ。とにかくだな、アイリーン。あいつらの無事が確認できた以上は、俺が急いで戻る必要性はないんだよ。ルーファスもいるってんなら、なおさらだ」

「そうだぞ、アイリーン。どうせ今から追ったって間に合わないしな、あたしも一緒に行ってやるよ」


 二人はほぼ同時に言い募る。それに気付き、また嫌そうな顔をする二人を振り返り、アイリーンは呆れるべきなのか感心するべきなのか、判断に迷った。


「っていうか、イズウェル。お前、仕事中ってさっき俺に怒鳴っただろうが。とっとと行けよ」

「ああ? お前のせいで置いてかれたんだよ、このボケが。てめぇこそ、仲間が心配だの何だのと言うくらいなら、とっとと行ったらどうだ」


 やはり、呆れるべきなのだろう。そう判断したアイリーンは、二人に視線を向けて口を開こうとした。

 だがその瞬間、二人にいっせいに視線を向けられ、思わず口を閉じた。


「とにかくだ、アイリーン!」

「俺らも行くからな!」


 決まったらとっとと行くぞ、当たり前だ馬鹿野郎、ていうかてめぇが仕切るんじゃねぇ、とかいう罵り合いをしながらも、二人はアイリーンを促す。

 アイリーンは呆気に取られて彼らを見た。お節介だ。度が過ぎるほどの、お節介だ。これでは、まるで。


「ヴィルフール。あなたの影響は、実は広がっているのではないか?」


 小さく、誰にも聞こえない声で小さく。アイリーンは落とすように、ぽつりと呟いた。同時に、かすかに笑みがこぼれる。こんな状況だと、いうのに。


「どうしたアイリーン、行かないのか?」


 ファーリットに声をかけられ、アイリーンはすぐに笑みを消した。そして、頷く。


「行く。こっちだ」

「分かるのか?」

「何となくな。ヴィルフールもサーレも、ルドも、それなりに追いやすい」

「追うって……」


 アイリーンの言葉に違和感を覚え、イズウェルは顔をしかめた。それには答えず、前に立って駆け出そうとした彼女は、しかし唐突にその動きを止めた。


「アイリーン?」


 イズウェルが怪訝そうに、彼女の名を呼ぶ。だがその瞬間、イズウェルは息を呑んだ。

 アイリーンの顔は、今にも倒れそうなほどに真っ青になっていたからだ。


「アイリーン!?」

「どうした、調子でも悪かったのか!?」


 慌てる二人を他所に、アイリーンは目線を下に向けて唇を噛み締めた。小さく、うめき声のようなものがもれる。

 どこか痛いか、それとも苦しいのか。そう判断した二人が、彼女に手を伸ばした、その瞬間。


「あの……馬鹿!!」


 普段の彼女からは考えられないほど、感情に満ちた叫びだった。それは怒りであり、焦りであり、内側からこみ上げてくる叫びそのものだった。

 それで初めて、二人は先ほどのうめき声が怒りからのものだったのだと知った。だがそれを知ったところで、二人にはその意味が分からない。一方のアイリーンも、呆然とする二人のことなど気にも留めていなかった。いや、そもそも二人がいるということすら忘れ去ってしまったかのように。アイリーンは視点を一点に定め、もう一度だけ呻いた。

 そしてそのまま、止まったときと同様唐突に走り出した。


「アイリーン!?」

「おい、ちょっと待て!」


 二人は叫び、慌てて後を追う。だが、アイリーンが振り返ることはなかった。


「あれほど、気をつけろといっただろうに!」


 ぎりっと、アイリーンは唇を噛み締める。浮かぶのは、つい先日の会話。『地吹雪』の裏手にある小さな菜園のそばで、交わした言葉。あの時、彼も理解していたはずなのに。

 あの、少年は。過去の残滓を振り切れていない少年は、近いうちに何か厄介なことを運んでくることは分かっていたのに。それが彼の責任ではなかろうと、そうなることは予測していて。そう、忠告をしておいたのに。


「どうして!」


 叫びながらも、アイリーンには分かっていた。彼は決して、自分を一番に考えない。自分を大切にしないということではない、ほとんど反射的に動いてしまうのだ。近くにいる人を、傷つけさせないために。守るために。

 だから、放ってはおけないのだ。いつか、自分自身すら壊してしまいそうな彼を。


「ヴィルフール!」


 痛みが、伝わってくる。

 酷い、痛みが。

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