親父さんのパンは良かった 何でも屋 水島幹夫
私が此のパン屋でパンを買ってから、そして仕事場に向かうと言うのが何時も変わり映えのしない日常の一コマみたいな物で有った
然しあのパン屋の店主が死んだ後にとうとう何時もの変わり映えのしない日常と言う物は崩壊する事に成ったのだ
だがあのパン屋の店主も年だったからこそ仕方の無い面もあるのだけれども、だが何でだろうなああの店主の作るパンの味と言う物は忘れる事が出来ないんだよなあ
だからこそ私はパン屋の親父さんが無くなってからと言う物「パン作り」が自分の趣味に成ったのだ・・「其れでどうしてパン作りをしているのかって?」
まあ其れはパン屋の親父さんの味を忘れさせない為に自分でパンを作っていると言う訳だ、因みにだが私自身は何時も親父さんの店で焼きそばパンとサンドイッチを買って居たのだ
さてパンを作りますかね・・まあ親父さんの様に美味しい物は造れないけれども少しでも近付く事が出来るのならば其れで良いか
其れで何時から親父さんの店に通っているのかって?・・そうだな初めて親父さんの店に言ったのは今から30年位前かな
そう其の時私は21だったけな、其れで其の当時未だ自分が住んで居た所にはコンビニと言う物は存在して居なかったしスーパーも車で走らせなければ行けない距離の片田舎の町に住んで居たんだ
其れで私は最初先輩の驕りでパン屋のパンを奢って貰ったんだ、其れで奢って貰ったパンと言うのが親父さんのパンと言う訳だ




