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学校が教えない社会科・歴史・公民  作者: 学校が教えない社会・歴史・公民
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映画『杉原千畝』は嘘映画

さて、今回は今絶賛上映中の『プロパガンダ』映画『杉原千畝スギハラチウネ』の嘘八百を暴こうと思う


あの映画は下手をすると、学校が推薦したり、授業の一環で見せたりするかも知れないので、今の内にあの映画の内容が『嘘』であり、嘘である以上『プロパガンダ』で有ることを証明しておきたい


映画のチラシや広告などでは、以下の様な喧伝文句が書かれている



>ひとりの日本人が、世界を変えた――。

激動の第二次世界大戦下

日本政府に背き

命のヴィザを発行し続け

6000人にのぼる

ユダヤ難民を救った男の

真実の物語



何処が真実やねん(怒)


まず、日本政府がこのユダヤ人難民に対するビザ発行を、禁止していた事実は無い!


この時点でこの映画は間違っている


まず、『カウナス事件』と呼ばれるこの出来事を行った張本人『杉原千畝』の経歴を見てみよう



>【杉原千畝氏の略歴】

明治33(1900) 

  岐阜県加茂郡八百津町に生まれる


大正 8(1919)年

  早稲田大学高等師範部英語科予科終了 英語科本科入学

  外務省留学生試験合格 外務省入省

  外務省ロシア語留学生として満洲ハルビンへ

(中略)


昭和12(1937)年

  二等通訳官として在フィンランド公使館勤務


昭和14(1939)年

  副領事(領事代理)として在リトアニア領事館勤務


※【昭和15(1940)年

  日本経由で第三国に渡航目的のユダヤ人難民に通過査証発給

  在プラハ(プラーグ)総領事館勤務(総領事代理)】


昭和16(1941)年

  在ケーニヒスベルク総領事館勤務(総領事代理)

  一等通訳官として在ルーマニア公使館勤務


昭和18(1943)年

  三等書記官として在ルーマニア公使館勤務


昭和22(1947)年

  帰国 外務省退職

(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現様より引用)


http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/


あれ?この事件を起こした後に、何と7年近くも外務省に勤務していますけど?


当時の日本政府が、政府方針に逆らって独断先行で外国人にビザの発給を行い、あまつさえドイツとの関係を悪化させたなら、何故この事件の後7年間も外務省に勤務出来たのかな?


しかも退職であって『免職』ではない


要するに自発的に辞めたという事だろう


あの戦争真っ只中のご時世に、政府方針に逆らって首にならない訳が無いよな?


ましてや一介の外務省領事【代理】ごどきが、上官の命令に逆らうなど考えられるだろうか?


要するに『杉原千畝』氏は、日本政府から言われた命令を忠実に実行していたに過ぎない


その証拠がこの事件後7年間も、外務省職員で居た事実だろう


さらに帰国後外務省を退官したのは、戦後アメリカの占領下で日本が外交権を失い『リストラ』されたからと言う説がある事も付け加えておこう


しゃあ、日本政府が『杉原千畝』に出した命令とは何なのか?見てみよう



>松岡洋右外務大臣が来栖三郎駐独大使に宛てた、昭和15(1940)年7月23日付「猶太ユダヤ避難民二対スル通過査証取扱方注意ノ件」と題した訓令は、次のとおり。


【最近欧州方面ヨリ本邦経由米国大陸諸国渡航ノ猶太避難民多数アリ 現ニ日本郵船伯林支店ニテ之等避難民ノ本邦米国間ノ輸送ヲ引受ケタル者ノミニテモ六百名ニ上リ(中略)之等ノ者ニ対シテハ行先国ノ入国許可手続ヲ完了セシ者ニ非サレハ通過査証ヲ輿ヘサル様取扱方御注意アリタシ】


(訳文)

『最近、ヨーロッパから日本経由でアメリカ大陸へ渡航するユダヤ人が多数おり、日本郵船ベルリン支店が引き受けたユダヤ人避難民だけでも600名にも上ったが、これら避難民に対する日本通過ヴィザは、行先となるアメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了していない者については発給しないように取扱いに注意しろ』

(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現様より引用)


http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/



と言う様に、ユダヤ人難民のアメリカへの渡航に関しては、日本通過ビザの発給を許可していた事になり、まだアメリカへの渡航申請が完了していない者には発給しない様にと言う物だ


んで?何処が日本政府が頑強に反対してたんだ?


な?嘘八百だろ?


公文書が残っているんだからね


学校じゃ無くても、世間一般に流布している情報が真実とは限らない


この映画もその一つだ!


さらに『杉原千畝』は外務大臣に対して、この様な意見具申をしている




>実際に、松岡洋右外務大臣からのユダヤ人難民に係る訓令(通達)に対して、在リトアニア領事館の副領事だった杉原千畝は「日本政府が条件とした手続き未了の避難民についてはウラジオストクで乗船を拒否してください」と意見を具申していた!


【当国避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト当館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ現在唯一ノ通過国タル我査証方願出ル者アリ而モ我査証ハ蘇側ニ於テモ米国方面出国手続上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ 確実ナル紹介アル者ニ限リ浦塩乗船迄ニ行先国上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金ヲ本邦へ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査証シ居ルニ付右手続未了ノモノニ関シテハ至急浦塩ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ】


(訳文)

『リトアニアの避難民の中には、近辺に中南米諸国の大使館や領事館がないとし、日本の領事館もリトアニアからの引き揚げが切迫していることを見越して唯一通過する日本のヴィザを願い出る者があり、しかもソ連としても米国方面への出国手続きを絶対条件としているなどの事情斟酌を考慮し、確実な身元紹介がある者に限って、ウラジオストクでの乗船までに行先国の上陸許可を取り付け、しかも日本以遠の乗船券を予約し、所持金については極端な為替管理のため、海外資金を日本へ送金手配する場合、敦賀にも予め手配する必要があることを承知すると申告して実行することを条件として通過ヴィザを発給しており、この手続を完了していない者についてはウラジオストクにて日本行きの乗船を拒絶するように取り計らって頂きたい。』

(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現様より引用)


http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/


要するにドイツ出国後、ウラジオストック到着までに手続が完了してないユダヤ人難民を、ウラジオストックで足止めして下さいと願い出ているんだな


それ位事態は逼迫していたのだろうけれども、いくら難民とは言え、外交問題も有るから誰彼構わず許可した訳では無いという事だな


何せソ連やアメリカにも関係有るからね?


この様に、日本政府が猛反対したのを、『杉原千畝』氏が勝手に渡航ビザを発給したなどと言うのは完全な誤りだ!!


映画の内容が間違っている以上、政治的な色合いが濃いこの作品は、『プロパガンダ』映画とやゆされても仕方が無い


要するに、『戦時中の日本政府はとにかく悪い!』とでも言いたいのか?

と勘ぐられるのは仕方が無い


ちなみに先日紹介した『東條英機』氏も、関東軍時代にユダヤ人難民を救っている!!


その内容を見て欲しい



>我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機


◆西洋諸国ではなく日本がユダヤ難民に扉を開いてくれた


関東軍司令部は昭和13年(1938年)1月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第4項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。


ドイツの抗議を一蹴した東條


オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の『J』を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の『ダビデの星』の縫い取りをつけることを、義務づけていた。


難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。


この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。


樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。


◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象


日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。


日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。


サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で2万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か100人にみたなかった。


東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。


◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!


日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。


先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。


「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)

(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現様より引用)


http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/


と言う様に、ユダヤ人学者が『東條英機』氏を高く評価されているんだよ?


前にも触れた通り、いかに『東條英機』氏が歴史に歪められているか?理解して貰えると嬉しい


では今回の映画『杉原千畝スギハラチウネ』は嘘映画はこれまで!


また読んでくれよな?

どうだったかな?


学校によっては、推薦映画だったり授業で鑑賞会が有ったりするかも知れない


ちなみにおじちゃん世代では、年に数回映画鑑賞会が学校であった


『炎のランナー』や『ライトスタッフ』など見せられたもんだよ


しかし映画『杉原千畝スギハラチウネ』は本文で書いた様に、明らかに間違った内容を映画化してしまっている


しかし、映画化された内容が世間一般に広まっている『杉原千畝』像そのものなのも事実だ!


これは、『東條英機』氏やその他A B C級戦にも言える事だよな?


『東條英機』氏に関しては、今回と『東條英機』氏に関する項目での書いた通り、世間一般の認識は完全なデタラメだ!!


『A級戦犯が~!』と言って騒いでいる一部在日韓国人や朝鮮人や左翼勢力は、元A級戦犯の方々の人権や、そのご子息の人権はとうしてくれるのだろうな?


そんな人達が語る『人権侵害が〜!!』に共感出来るかな?


彼らは自分達がいちじるしい『人権侵害』を行っている事を自覚すべきだ!


おじちゃんが左翼や一部在日韓国・朝鮮人を批難し続けるのは、そう言う事なんだよ





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