尖閣諸島問題
さて、今回は何かと話題の『尖閣諸島領有権問題』を今更ながら書いていこう
では問題の概要から
>尖閣諸島問題とは、尖閣諸島について、日本、台湾(中華民国)、中国(中華人民共和国)がそれぞれ領有権を主張していることに関する各国間の領土紛争である。
尖閣諸島は琉球王国から中国大陸への航路上にあり、その存在は古くから琉球王国や中国歴代王朝で知られていた。
近代以前は琉球人が航路の標識として利用する程度で、人の住む地から遠く離れていたので動力船の無い時代は漁に来ても魚を持ち帰ることができず、島そのものにも利用価値は無く漁に来たり上陸居住する者はいなかった。
1872年の琉球処分後には内務省地理局発行の『大日本府県管轄図』に魚釣島が記載されるなど、日本国内で発行される地図には尖閣諸島は琉球諸島に含められて記載されていた。
1885年8月に内務卿であった山県有朋は沖縄県に対して、魚釣島、大正島、久場島の三島への調査を命じた。
沖縄県令の西村捨三は部下の石澤兵吾に現地住人からの聞き取り調査を行わせ、9月21日に石澤が現地住人から受け取った報告書では、「『中山伝信録』の赤尾嶼は久米赤島、黄尾嶼は久場島、釣魚台は魚釣島に相当すへき」と記された。
石澤からの報告を受けた西村は翌日の9月22日に山県有朋に「既に清國も旧中山王を冊封する使船の詳悉せるのみならず、夫々名称をも附し、琉球航海の目標と為せし事明らかなり。依て今回大東島同様、踏査直に國標取建候も如何と懸念仕候間。」と国標建設に懸念を表明したが、同年10月9日、山県有朋は外務卿である井上馨に「清国所属の証跡は少しも相見え申さず」と書簡を送り意見を求めた。
10月21日、外務卿の井上馨から山県有朋宛ての書簡では、清国がその存在を知り清国の新聞が注意を促している時期に公然と国標を建てるのは政治的に好ましくないとした。
そのため、この時は沖縄県から要求のあった国の標杭を立てることに日本政府は同意しなかった。
尖閣諸島は琉球王国から中国大陸への航路上にあり、その存在は古くから琉球王国や中国歴代王朝で知られていた。近代以前は琉球人が航路の標識として利用する程度で、人の住む地から遠く離れていたので動力船の無い時代は漁に来ても魚を持ち帰ることができず、島そのものにも利用価値は無く漁に来たり上陸居住する者はいなかった。
1872年の琉球処分後には内務省地理局発行の『大日本府県管轄図』に魚釣島が記載されるなど、日本国内で発行される地図には尖閣諸島は琉球諸島に含められて記載されていた。
1885年8月に内務卿であった山県有朋は沖縄県に対して、魚釣島、大正島、久場島の三島への調査を命じた。沖縄県令の西村捨三は部下の石澤兵吾に現地住人からの聞き取り調査を行わせ、9月21日に石澤が現地住人から受け取った報告書では、「『中山伝信録』の赤尾嶼は久米赤島、黄尾嶼は久場島、釣魚台は魚釣島に相当すへき」と記された[2]。石澤からの報告を受けた西村は翌日の9月22日に山県有朋に「既に清國も旧中山王を冊封する使船の詳悉せるのみならず、夫々名称をも附し、琉球航海の目標と為せし事明らかなり。依て今回大東島同様、踏査直に國標取建候も如何と懸念仕候間。」と国標建設に懸念を表明したが[3]、同年10月9日、山県有朋は外務卿である井上馨に「清国所属の証跡は少しも相見え申さず」と書簡を送り意見を求めた。
その後日本人が入植し、アホウドリの羽毛の採取や海鳥の剥製の製作、そして鰹節の製造などが行われた。
特に鰹節の製造は島の基幹産業となり、最盛期、同島には99戸、248人もの日本人が暮らしていた。
しかし南洋諸島からの安価な製品が出回るようになると経営が苦しくなり、米軍の沖縄侵攻の可能性があり鰹節工場は閉鎖され1940年に無人島となった。
このような事から日本政府は「尖閣諸島は、歴史的にも一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しています。
即ち、尖閣諸島は、1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入しました。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。
尖閣諸島は、1895年4月締結の下関条約第2条に基づき、日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません。」としている。
(wikiより抜粋)
とまぁここまでが日本側の主張だ
ちなみに当時のかつお節工場や、村落の写真が証拠として残っている
ましてや99戸・248人も人が住んで居たなら、当然戸籍も残って居るだろう
別に日本の主張は全く論理的に矛盾していない
では、中国の主張を見て見よう
>一方、中国政府は、明の時代、琉球への冊封使の報告書である古文書に釣魚台を目印に航行したとの記述があることや、江戸時代の日本の学者林子平が書いた三国通覧図説にある地図の彩色などを主張の根拠に挙げているほか、日本政府が密やかに「領有」を閣議決定し国際社会に宣言しなかった等の歴史的な経緯から見ると、日本のいわゆる「領有権の取得」は国際法上の意味を持たないと主張している。
(wikiより抜粋)
とまぁこんな具合だ!
どう考えても屁理屈に過ぎないよな?
江戸時代に国際法もヘッタクレも日本には無いし、ましてや中国もそうだった
過去に琉球王国を冊封していたからと言って、別に中国領土だった訳では無い
ましてや、明治〜昭和に掛けて、キチンと国際法上も日本領土にしているのだから、何を今更言ってるんだ?と言う話だ!
では台湾の主張を見てみよう
>日本は1952年に台湾に逃れた蒋介石中国国民党政権との間で、その支配下にある台湾を適用範囲とする日華平和条約(1972年失効)を締結しており、同2条で台湾における日本の領土権の放棄を規定しているが、ここでは「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」としているものの尖閣諸島は台湾に属するとは解釈されていなかった。
尖閣諸島近海は好漁場であるため、台湾漁民による操業が行われており日本側漁民との摩擦が生じていた。1955年には第三清徳丸襲撃事件が起き、中華民国国旗を掲げた海賊船による襲撃で死者行方不明者6名を出す事件が発生している。
1960年代に入っても尖閣諸島に大量の台湾人漁民が入域し、島に生息する海鳥とその卵を乱獲したほか、付近海域で密漁する事態は続発していた。
日本の気象庁離島課は絶滅危惧種のアホウドリが尖閣諸島に生息している可能性があるとして、関係部署に依頼し琉球大学の高良鉄夫教授らを1963年春に調査団として派遣した。
この調査団は100万羽以上の海鳥が生息する事を確認したが、アホウドリではなく台湾漁船をも発見した。
この漁船は夜の漁のために停泊していたが、その合間に海鳥や卵を乱獲していた。
そのため調査団は不法行為だと注意したが無視されたという。
そのため高良教授は「このまま放置しておいたら現在生息している海鳥も衰亡の一途をたどる。何か保護する方法を考えなければいけない」と語ったが、実行力のある対処は行われなかった。
これは尖閣諸島を管轄する琉球政府には外交交渉権がなく、また本来主権を持つ日本政府も当時の沖縄の施政権は返還されていなかったため、当時国家承認していた中華民国(台湾)に対して尖閣諸島における台湾漁民の傍若無人ぶりを抗議できなかったという。
そのうえ琉球政府の上部にある琉球米民政府およびアメリカ合衆国政府は、在台北のアメリカ大使館を通じて「抗議」したものの、台湾当局が積極的な取締りをしなくても、台湾の蒋介石政権との「米華関係」を重視したため不問にしたとみられてい。
1968年に行われた調査では台湾漁民の乱獲による海鳥の激減ぶりが数字の上でも明らかになった。
5年前の調査と比較して南小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島のセグロアジサシは50万羽から10万羽に激減していた。
これは島から漁民が台湾に海鳥の卵を菓子の原料として大量に運び去ったうえに、無人島ゆえに人間を警戒しない海鳥を捕獲していたためであった。
調査団は台湾人に食べられた大量の海鳥の屍骸や漁船だけでなく、南小島において台湾人60人が難破船を占拠しているのも確認している。
このような台湾人による領土占拠の既成事実が積み重なることで、当時から地元西南群島の住民から第二の竹島になる危惧を指摘する声もあったが、この当時は日本国内では尖閣諸島における台湾人の不法入域は殆ど重要視されることはなかった。
なお南小島の占拠者であるが、退去勧告を発し再度の入域を希望する場合には許可証を得るように指導した。彼らは解体作業を片付けるために翌年にかけて入域したが、この時は琉球列島高等弁務官の入域許可を得た合法的な行為であり、この措置に対し台湾の中華民国政府からの異議はなかった。
その後も台湾漁民による不法入域は続き、朝日新聞1969年7月11日付け夕刊には「沖縄の島に招かざる客」との題で、北小島に停泊している台湾漁船と漁の合間に海鳥の卵を取っている漁民の写真が掲載されている。
この記事を執筆した筑紫哲也は、「(沖縄への)日本人の出入域にはきわめてきびしい統治者の米国もこの"お客様"には寛大」と揶揄するとともに、※「地元の声」として台湾との間で第二の竹島になる可能性があることを警告していた。
当時の琉球政府も、尖閣諸島が石垣市に属することを前提に警察本部の救難艇による警備を実施し、接近した台湾漁船に退去を命令する等の活動を実施していた。1970年7月には領域表示板の建立を行っている。
(wikiより抜粋)
流石国民党と言った所か
中国から台湾に入植した華僑が傍若無人に振る舞って居るのかわかるよな?
何処に居ようが中国人は中国人と言う事なのだろう?
しかもこの当時既に竹島が大問題に成っていた事が※印の部分からもわかるよな?
ちなみに『筑紫哲也』は『鳥越俊太郎』氏と並ぶ有名な左翼だ!
本来左翼とは、この様に『国防意識』をキチント持って居るのが当たり前なのだが、最近の左翼はあのザマだ
まぁ、もっとも筑紫哲也氏もあれなんだけどな
それにしても、アホウドリを絶滅近くに追いやったのは、これでハッキリした通り、台湾に渡った華僑と言う事だな?
ここでもアメリカが悪さをしているのも興味深い
竹島にせよ尖閣諸島にせよ、本気で守る気が有るのかどうか?歴史的経緯では極めて疑問だよな?
ではこの問題の本質に迫って見よう
>1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、1970年に台湾が領有権を主張しはじめ、これに中国も追随した。1969年および1970年に国連が行った海洋調査では、推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。
結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると判明すると、1970年7月に台湾はアメリカ合衆国のパシフィック・ガルフ社に周辺海域の大陸棚探査権を与え領有権を主張した。(1971年4月パシフィック・ガルフ社は米国務省の意見で撤退。)[15] また、石原慎太郎によれば、江藤淳との共著において次のように記している。
※1【尖閣列島周辺の海底に油田があるという話が持ち上がって以来次々と妙なことが起こった。返還前のことですが、米国の石油メジャー会社が、時の佐藤首相に、外相がらみで自分たちによる試掘を持ちかけてきた。佐藤首相は自国日本のことだからといってそれを退けた。すると彼らは同じ話を台湾と北京に持ち込み、「あの島々は本来なら中国の領土の筈だ」とそそのかした。】
1970年9月2日には、台湾の水産試験所の船が魚釣島に上陸、台湾の国旗である青天白日旗を掲揚した。この際周辺海域で操業中の台湾漁船からは拍手と万歳の声が挙がったという。
台湾当局はこの時の「青天白日旗」を掲揚した写真を撮らせ世界中の通信社に配信したため、日本政府が抗議した。
なおこの「青天白日旗」はその後間もない9月中旬に琉球政府によって撤去され、米国民政府に保管されている[18]。
1971年2月にはアメリカ合衆国在住の台湾人留学生らによる尖閣諸島は中国固有の領土だと主張する反日デモが発生し、6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張した。1972年(昭和47年)5月15日に沖縄は日本へ返還されており、沖縄返還の直前に主張し始めた。その根拠は、尖閣諸島が中国側の大陸棚に接続しているとの主張にくわえ、古文書に尖閣諸島を目印として航海に役立てていたという記述が見られることで、最も古くから同諸島の存在を認識していたという解釈による。中国人が先に発見したから領有権を主張できるというものである。
※2【ただし、1970年以前に用いていた地図や公文書などによれば両国とも日本領であると認識していたようで、米国の施政時代にも米国統治へ抗議したことはないため、中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めた動機としては海底油田の発見しか考えられない。そのため、国際判例上、以前に黙認によって許容した関係に反する主張は、後になって許されないとする禁反言が成立する可能性も指摘されている。】
海底油田という要素のほかに中国で流布している言説によれば、中華人民共和国との国交樹立締約に怒った中華民国が国交締結前日にいやがらせとして提出した領土主張を、機をみて中華人民共和国側(周恩来)も同日に領有問題の追加主張を開始したところ、これを当時の※3【日本国交渉担当の福田赳夫 大平正芳が「棚上げして後世に託す」という玉虫色のままで国交樹立を妥結させ、今日の領土主張の齟齬にいたったとされている。】
「棚上げ合意」については、龍谷大学の倪志敏が史的経緯を上梓している。
(wikiより抜粋)
まず※1の部分でも分かる通り、ここでもアメリカが悪さをしている
中国をたきつけて、尖閣諸島の石油利権を奪おうとしていた事がわかるよな?
この様にアメリカは基本的に『国益』でしか行動しない
正義感や条約履行の為に『日本を防衛してくれる』何て甘い事を考えてはいけない
ちなみに日本領海の直ぐ近くで中国が採掘しているガス田も、アメリカが悪さした経緯が有ると言われている
次に※2の部分
中国も台湾も結局石油が欲しいのと、漁場の確保や中国の場合には日本やアメリカや台湾に対する軍事的圧力を強める効果も有る為だな
ましてや、自分達で地図上で日本領と認めて居るのに、台湾も中国もこのザマだ
全く持って理屈が通らない国だと言えるだろう
台湾に関しては、『李登輝』政権で大分マシに成ったが、『馬英九』政権のおかげで又おかしな方向に成ってしまった
そして※3の部分
これは中国側の言い分で有って、実際には日本に来日した『鄧小平』が尖閣問題棚上げ論をぶち上げた張本人だ!
日本はこの時も明確に『尖閣諸島は日本領土』だと主張している
この様に中国にしても台湾にしても、尖閣諸島領有権に関しては主張が屁理屈の域を出ず、全く持って根拠が乏しい
これは竹島にも言える事だ!
竹島問題とこの尖閣問題に対して『鳩山由紀夫』元首相は、中国や台湾や韓国との共同当地を主張したが、冷静に考えて見て欲しい
自分の家に訳の分からない事を主張して居座る『泥棒』と一緒に住んで居られるだろうか?
これは在日韓○人や朝○人問題にも言える事だろう
いかに鳩山由紀夫と言う人物が考え無しなのか、理解出来ると思う
自国の領土を簡単に明け渡す国は、次から次へと領土をうばわるだけだ!
モチロンこれは『外国人労働者受け入れ(移民)』問題や『難民受け入れ』問題にも言える事だ
可哀想とか人類みな兄弟的な考えでは、日本は外国人の良いように乗っ取られてしまうぞ?
何度も言うけど事は『人権問題』では無いんだよ?
では今回の学校が教えない『尖閣諸島問題』はこれまで!
また読んでくれよな?
どうだったかな?
今回も文字制限ギリギリ位長いので、後書きは省略するけど、この尖閣問題でもアメリカが色々と悪さをしている上に、一度は中国に売り渡そうとしていた事がわかったよな?
この歴史的事実からかんがみても、アメリカと言う国家を全面的に信用する訳には行かないのは理解出来たと思う
国民同士が有効的な台湾やアメリカにしても、国家間の『国益』の話と成ればこの通りだ!
正直国家間同士での盤石の友好関係など現実社会では有り得ない
現実がこんなだから理想論に走る人達が居るし、それを国家間の工作に利用する国も出て来る
まぁ、言わなくても分かると思うけどその通りだ!
国民同士はともかくとして、国家間のやり取り何て、悪鬼羅刹の世界何だよ?