創氏改名の誤解
今回は学校ではそこまて教えない『創氏改名』について見て行こう!
学校の先生に依っては教えたかも知れないし、教科書の種類によっては多少は触れたかも知れない?
まずは『創氏改名』とは何なのか?具体的に見て見よう
>創氏改名は、大日本帝国朝鮮総督府が、1939年(昭和14年)制令十九号(創氏)[1]および二十号(改名)[2]で、本籍地を朝鮮に有する日本臣民(以下朝鮮人という)に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可するとした政策。
(wikiより抜粋)
と言う訳で、日韓併合当時に、朝鮮在住の【朝鮮人】に、【新しく名前を変更する】事を許した制度の事だな
ちなみに、左翼の人達や在日韓国・朝鮮人や韓国や北朝鮮がこの『創氏改名』で自分の本来の姓名を奪われたとか、人種差別的考えで行われたとか意味不明な事を言って日本を非難して居るんだよ
上記の引用でも分かる通り、【新たに名前を変更する許可を与えた】のだから、【強制】した訳でも何でも無いのは明らかな訳なんだけどな?
何で当時名前の変更を許す制度が行われたのか?
それを見てみよう
>1909年、大韓帝国は「民籍法」を制定し、近代戸籍の整備を開始した。
朝鮮初の近代戸籍である「隆熙戸籍」の整備が終了したのは日韓併合直前の1910年4月である。
併合後も民籍法は維持され、日本の戸籍法とともに朝鮮人に適用された。
※この時一部の朝鮮人が日本内地風の姓名を届け出たため、当時の朝鮮総督府は1911年11月1日、総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」によって、戸籍や出生で「内地人ニ紛ハシキ姓名」の届出に厳しい制限をつけた。
その後、2種類の戸籍法規を統一する必要があったため、1923年(大正12年)「朝鮮戸籍令」(朝鮮総督府令第154号)が公布された。
(wikiより抜粋)
と言う訳だ
併合から近代風の戸籍に移行する段階において、※印の所の様に、『日本風の名前を登録する朝鮮人が居て紛らわしいので制限する』と有る
これが後々の『創氏改名』強制説と自由説の論争の『自由説』の一つの証拠に成るから覚えておいてくれ
さて、『創氏改名』を扱った教科書の殆どは、【創氏改名強制説】を採っている様だが、その辺本当に強制された物なのだろうか?
まずは『強制説』の中身を見てみよう
>朝鮮総督府が皇民化政策の立場から、朝鮮名を奪い、日本人のような氏名を名乗るよう強制したとする説。 韓国の圧倒的多数の論者、北朝鮮の政府見解、また日本ではいわゆる「進歩的な」歴史学者や評論家、知識人に支持されている説。日本の歴史教科書のほとんどが、この立場に沿った記述をしている。
上のうち日本名への変更は法規で一律に強制されたものとする論者が少なくないが、日本名への改名は法的強制ではなかった。
「事実上の」強制があったとする意見は、当局が消極的だった内地に比べ、朝鮮半島で8割もの者が設定創氏をした理由は、朝鮮総督府下の行政機関が設定創氏しない者に対し、様々な許認可や職業上、また子弟の就学等の面で不利益を与え、圧力を加えて届出を強要し、創氏反対の言説を取り締まった結果であるとする。
このような行為が行われた理由に、単に末端吏員の暴走によるものであったという考えと総督府全体の意思であったという考えがある。
(wikiより抜粋)
まぁ色々と突っ込み所満載な訳だが(笑)
上記の引用にもある様に、【名前の変更を許可した】などとは強制したなら書かないのでは無いかな?
ましてや、近代戸籍に改正する際に朝鮮人が日本風の姓名を登録して紛らわしいから制限すると朝鮮総督府の公式の文書に書かれて居るんだよ?
それが何でワザワザ強制してまで日本風の名前を使わせなければならないのかな?
では『自由説』の中身を見てみよう
>これは朝鮮人が濫りに日本名を名乗ることを制限した上述の総督府令第124号の存在や、設定創氏を行わず、朝鮮風の姓で法定創氏された人々が相当の比率で存在したことは当時の新聞等でも明らかで、それらを根拠にしている。
※1 創氏改名をしなかった著名人として、陸軍中将まで上り詰めた洪思翊や陸軍大佐の金錫源、満州国軍中尉の白善燁、舞踏家の崔承喜、東京府から出馬して2度衆議院議員に当選した朴春琴らが挙げられる。他にも大韓帝国皇太子李垠や朝鮮貴族、朝鮮名のままの道知事や総督府の朝鮮人官僚などが多数存在していた。
自発的受容説をとる日本の政治家等がその旨の発言を行ったことで、韓国との間で外交問題に発展したケースもある。
2003年5月31日、麻生太郎・自民党政調会長(当時)が東大における講演会で「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した。
韓国紙がこの発言を大きく取り上げて批判的に報道し、韓国政府は謝罪を求める談話を発表。
盧武鉉大統領の訪日を直前に控えていたこともあり、麻生は発言を謝罪した。
この件について自民党総務会で野中広務が麻生を批判したが、その場にいた奥野誠亮が※2「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」とたしなめたという逸話も残っている。
(wikiより抜粋)
な?文句の付けようが無い証拠が出て来てしまったな(笑)
※2印の様に、書簡に判子を付いた張本人の証言が有るでは無いか!!
この証言に信憑性が有るのは、当時の新聞記事や先程の【日本風の名前を登録する朝鮮人が居て紛らわしいので規制する】(総督府令第124号)が何よりの証拠じゃ無いかな?
オマケに※1の様に、改名して無い朝鮮人の存在もその証拠にならないかな?
そして何より凄いのは、※1の引用文にしれっと書かれているけど、陸軍将校だの衆議院議員だのが『朝鮮人』から出て居る事だな?
これの何処が『過酷な植民地支配』で『人種差別』なのかな?
次から次へと嘘が暴かれるな(笑)
そしてこの今現在における現実が、強制説がマッタク信憑性が無い事の証拠に成る
>日本の内地で日本名で生活していた朝鮮人も、本国における戸籍上の本名は民族名に戻ることとなった。
しかし戦後も内地に残留した者、およびその子孫である※【在日韓国朝鮮人の多数が、現在でも当時の日本姓を通名として使用している。】
(wikiより抜粋)
な?何処が強制されたんだと小一時間だろ?
だったら『通名』など使わず、堂々と本名を名乗れば良い事だな
そんなに『強制』された日本名が嫌なら、何故元の姓を名乗らないのか?
な?言ってる事が矛盾だらけだろ?
更に強制説を否定する証拠を挙げておこう
>朝鮮民事令改正公布(1939年11月10日)に際しての南次郎総督談話「本令〔朝鮮民事令〕の改正は申す迄もなく半島民衆に内地人式の「氏」の設定を強要する性質のものではなくして、内地人式の「氏」を定め得る途を拓いたのであるが、半島人が内地人式の「氏」を称ふることは何も事新しい問題ではない。」(朝鮮総督府官房文書課編『諭告・訓示・演述総攬』1941年、676 頁)
とまぁ『強制する物では無い』とハッキリ公文書に書かれている
な?強制説は完全な『嘘』で、所詮は創作した『ラノベ』見たいな物だと理解してもらえたと思う
確かに創氏改名に反発した朝鮮人も居ただろう?
それは否定しない
何せ『李承晩』一派の様なテロ組織が存在したからね
だけど反発した一部の人達を証拠に、『強制性』が有ったとはとても言えないだろ?
どうにも彼ら『左翼勢力』や韓国・北朝鮮の主張は、証拠に基づかない主張が多過ぎるんだな
要するに「こうだった筈だ!こうで無ければ成らない」と言う考えに毒され過ぎて居るし、いわゆるプロパガンダ的な思想でしか歴史を見ていない事が多いんだよ
だから証拠によってアッサリ潰される
皆も聞かされた事や教わった事を鵜呑み(うのみ)にしないで、『本当か?』と疑問に感じたら、色々調べて見るのも面白いはずたぞ?
おじちゃんの書いた事が『本当か?』と疑問
に思うなら、やはり調べて見るのも楽しいぞ!!
では、今回の学校が教えない『創氏改名』はこれまで!
また読んでくれよな?
どうだったかな?
創氏改名『強制説』をキチンとあげた上で、強制説の信憑性の無さを書いてみた
何せ創氏改名の法律自体に『強制する物では無い』と書いてあるし、戦後それ程文句が有ったり強制されたと言うなら、何故【自由意志】で日本に居残った挙句、本名に戻さなかったのか?
そんなに嫌なら本名に戻すべきだし、日本人に差別されたと言うなら祖国に帰るのが普通の考えでは無いのかな?
ましてや、やましい事が無いのなら、本名で生活しても何ら問題は無い筈だよな?
彼ら在日韓○人や朝○人の主張は明らかに筋が通らないよな?
で、その事を指摘すると『人種差別が〜!!』『ヘイトスピーチが〜!!』と言われる
これが『言論弾圧』以外の何だと言うのだろうな?
冷静に考えて見て欲しいぞ?