猿蟹合戦から読み解く新自由主義
ジョン・メイナード・ケインズ
・イギリスの経済学者、官僚、貴族。
・20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。
・経済学の大家アルフレッド・マーシャルの弟子であり、論敵アーサー・セシル・ピグーとは兄弟弟子であった。
「この世で一番むずかしいのは新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ。」
~ジョン・メイナード・ケインズ~
「資本主義社会の難点は完全雇用を実現できないことと分配の不平等である。」
~ジョン・メイナード・ケインズ~
「教育とは、理解不能な事柄を無能な人間が無関心な人間に教え込むことだ。」
~ジョン・メイナード・ケインズ~
さて、今回は日本の民話「猿蟹合戦(作者不明)」から見る、新自由主義の末路を考察して行こう!
まずは、猿蟹合戦のあらすじから見て欲しい。
≻「さるかに合戦」
蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿が、拾った柿の種と交換しようと言ってきた。蟹は最初は嫌がったが、「おにぎりは食べてしまえばそれっきりだが、柿の種を植えれば成長して柿がたくさんなりずっと得する」と猿が言ったので、蟹はおにぎりと柿の種を交換した。
蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えた。種が成長して柿がたくさんなると、そこへやって来た猿は、木に登れない蟹の代わりに自分が採ってやると言う。しかし、猿は木に登ったまま自分ばかりが柿の実を食べ、蟹が催促すると、まだ熟していない青くて硬い柿の実を蟹に執拗に投げつけた。硬い柿をぶつけられた蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。
カンカンに怒った子蟹達は親の敵を討つために、猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛糞を家に呼び寄せて敵討ちを計画する。猿の留守中に家へ忍び寄り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして猿は火傷を負い、急いで水で冷やそうと水桶に近づくと今度は蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとした際に、出入口で待っていた牛の糞に滑り転倒する。最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて猿は死に、子蟹達は見事に親の敵を討ったのだった。
(ウイキペディア)より引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AB%E5%90%88%E6%88%A6#%E8%A7%A3%E8%AA%AC
まぁ、殆どの読者は、「猿蟹合戦」の内容はご存知かと思うが、解説の為に掲載した。
では、「猿蟹合戦」が、如何に「新自由主義者」の末路を描いているのか?検証して見よう!
蟹(経営者)がおにぎり(お金)を持って歩いていると、ずる賢い猿(新自由主義者)が、拾った柿の種(株券)と交換しようと言ってきた。蟹は最初は嫌がったが、「おにぎり(お金)は食べてしまえばそれっきりだが(使ってしまえば)、柿の種を植えれば成長して柿がたくさんなりずっと得する(株を発効して投資をすれば、利益が増えて会社も大きくなる)」と猿が言ったので、蟹はおにぎりと柿の種を交換した。
( )内を付け足すと、途端に猿が「新自由主義者」に見えてくるw
まぁ、この冒頭の部分は、新自由主義者が、会社経営者に対して、株券の発行を促している様にも見えるのが面白いだろ?
続きを見ていこう!
蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えた(投資を増やした)。種(会社)が成長して柿がたくさんなると(利益が増える)、そこへやって来た猿は、木に登れない蟹の代わりに自分が採ってやると言う(株の配当金をよこせ)。しかし、猿は木に登ったまま自分ばかりが柿の実を食べ(配当金を増やす為に、労働者の賃金を減らしてコストカット)、蟹(ここでは労働者)が催促すると(賃上げ)、まだ熟していない青くて硬い柿の実を蟹に執拗に投げつけた(自分で稼げないお前が悪い・自己責任論)。硬い柿をぶつけられた蟹は(賃金カットや非正規雇用)そのショックで子供を産むと死んでしまった(労働者の貧困化)。
見事に、新自由主義者の行動原理に当て嵌まるし、蟹(労働者)の末路も描かれているだろ?
意外に、無理やりなこじつけでも無いよな?
カンカンに怒った子蟹達(労働者)は親の敵を討つために、猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛糞(貧困層)を家に呼び寄せて敵討ち(革命)を計画する。猿の留守中に家へ忍び寄り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして猿は火傷を負い、急いで水で冷やそうと水桶に近づくと今度は蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとした際に、出入口で待っていた牛の糞に滑り転倒する。最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて猿は死に、子蟹達は見事に親の敵を討ったのだった(フランス革命・ロシア革命・インドやインドネシアの独立戦争)。
とまぁ、恨み辛みを積み重ねれば、こうなって当然なのだよ・・・。
「新自由主義者」の末路は、結局はこうなってしまう。
倫理観や道徳観を失ったリーダーは、何時の時代でも国民に恨まれると言う事だよな?
何せ「猿蟹合戦」の成立した年代ははっきりしていない。
その上、「猿蟹合戦」に類似した話は、他の国にも存在する。
中国、韓国、モンゴル、インドネシアにも、このような「仇討ち話」の民話が有るそうだ。
こうして見るとアジア圏が多いが、こうした「新自由主義的な思想の、自己利益のみ追求する支配者」と言うのは、広くアジアに分布して居たのであろう?
逆に言えば、「新自由主義的な考え方(利己主義)」は、大昔から存在した証拠でも有る。
むしろ倫理観や道徳観が発達していなかった時代こそ、こうした【輩】は多かったのだろう。
何時も書いている事だが、「人は一人では生きて行けない」のだから、新自由主義者がその時点で大間違いなのは自明の理なのだ!!
無論、投資家も社会には必要だ!
投資する人が居なければ、そもそも起業出来ない可能性もある。
個人経営者でも、銀行から借り入れる事が多い訳だからね。
つまり、「投資家(銀行含む)」「起業家」「経営者」「労働者」の誰一人欠けても、企業は成り立たないのだ!!
だからこそ
「 わが社の資本はカネでなく、人間だ。カネは資本の一部だ。いちばん大切なのは人。人が第一であって、人が事業をつくり、事業がカネをつくる。カネは人についてくる。」
~出光佐三~
と言う、格言が生まれる訳だよ。
今の新自由主義に毒された経営者に、出光佐三の理念が理解出来るのだろうか?
甚だ疑問でしかない・・・。




