表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
学校が教えない社会科・歴史・公民  作者: 学校が教えない社会・歴史・公民
584/601

【令和学問のすすめ】新自由主義の概念は、太古の古代文明から存在した!!

「資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいへば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。ゆえに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信している。」

~高橋是清~


「今日あるいは労働問題とか資本対労働とか恰も資本と労働とが喧嘩をするやうなことが、世間で大分言論にも事実が現はれるが、これが離ればなれになつて生産が出来るものではない。国力を養ふことは出来ない。この四つのものが一致して初めて一国の生産力は延びるのである。」

~高橋是清~


「一家和合といふことは、一家族が互に信頼するといふことから起る。信頼があつてこそ、出来ることだ。また経済界においても工業、銀行、商業など各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があつてこそ、繁栄を見る事が出来るのである。」

~高橋是清~


さて、今回は経済史を考察していこう!


タイトルにある様に「新自由主義の概念は、太古の昔から存在した」と言う事についてだ。


確かに、「新自由主義」の概念として、学術的に提唱したのは、「ミルトン・フリードマン」と言うアメリカの古典派経済学者だが、実際には新自由主義と言う経済概念自体は、それぞれの人間のコミニュティーや、古代文明間で貿易(物資の移動・交換・やり取り)が、始まった時点から存在している。


ちなみに、あらためて「新自由主義」の概念とは?


≻「新自由主義は、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で、個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって、人類の富と福利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論」


所謂「人(人材・移民)・物(輸出入)・金(資本)」の世界的な移動(国境を越えた)の無制限な自由化の事だ。

「新自由主義」の概念を突き詰めれば、これら(人・物・金)の移動の自由化に制限を設ける事はしない。


この時点で、勘の良い読者は「お察し」だと思うが、例えば近在に存在するa村(山側)とb村(海側)が、a村で取れる木の実と、b村で釣った魚を交換するとして、原始的なコミニュティーにおいて、特別なルールや移動を阻害する要因などある訳が無いからだ。

単純に「新自由主義」そのものではないのか?


古代ギリシャや古代エジプト、及びその近隣諸国は盛んに貿易を行っていたが、この段階では、通貨による貿易は行われておらず、通貨の換わりに「金貨や銀貨(この時点では通貨・貨幣では無い)」の【重さ】で、貿易を行っていた。


この時点で既に、現在の貿易商に相当する役人や、私的な貿易商人は存在したのだが、国境こそは存在したが、物資の移動や人民の移動については、特に制限は無かった。


奴隷や立場的に弱い存在では有ったが、古代イスラム系民族は、エジプトやギリシャに住んでいたしね。(事の真偽は兎も角、出エジプト記も存在するしね)


つまり、古代文明どころか、a村やb村が出現した時点で、既に「新自由主義的な概念」は存在していた事になる。


もっとも、この原始的な交易においても、後に軋轢や問題が発生し、地域紛争や戦争が起きたり、同じ民族内で「収入格差が発生する」事に成って行く訳なのだが・・・。


人間が経済活動を行う事において、絶対に「経済格差」は発生してしまう。

これは、どうにも防ぎようが無い。


それはそうだろう、会社経営者、特に大企業の社長と、その会社の一般労働者で同じ所得な訳が無い。


古代においても、交易して何らかの利益を得た人と、単に木の実集めや釣りをしていた人では、同じ収入になる訳が無いのだ。


しかし、高橋是清翁が言うように


※「資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいへば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。ゆえに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信している。」


その通りで、釣をするだけでは「自分の生活」にしか影響は無いのだが、釣った魚を別の物と交換する人が居なければ、そのコミニュティーや国が「経済発展」する事は有り得ない。


なので、「労働者を保護する」必要が出てくるのだが、「ミルトン・フリードマン」は労働者の保護に関する事には触れておらず、高橋是清翁の方が、より経済活動における真理をついていると言える。


この点において、過去の「帝国主義における新自由主義経済(植民地経済)」と、「現在における投資家優先(配当金優先)の新自由主義」は、単に経済格差を無用に広げるだけでは無く、労働者の保護をなおざりにして、投資家や資本家(経営者)の利益の最大化【のみ】を重点に置くことから、一般国民の不満が爆発し、扮装や戦争に発展したりする。


無論、「人(人材・移民)・物(輸出入)・金(資本)」の国境を越えた自由な移動などすれば、国家間の貿易格差や経済発展の格差にも繋がり、大規模な世界大戦への引き金にも成りかねない。


現に、過去の「日米貿易摩擦(自動車・半導体)」や、現行の「米中貿易摩擦(安い工業生産品)」などが起きているのだから、今更詳しく解説するまでも無いだろう。


つまり、自国の国益を無視して、新自由主義による過度な貿易や資本の移動等を行うと、行き着く先は【世界大戦への引き金】に成って仕舞わざるを得ないのだ!!


そもそも、植民地主義による新自由主義の破綻から、第二次世界大戦が勃発し、その反省から、「各国の国益を重視した保護貿易」へと、第二次世界大戦後の枠組みが作られた(各種貿易協定)のに、欲の皮が天元突破した資本家や投資家共は、国の政治家に「資金提供」して働きかけ、またぞろ新自由主義的な「資本家や投資家だけが丸儲けする」制度へと、徐々に世界を変えて来た訳だ。


こう言う事をするから、「マルクス・レーニン主義」的な、全体主義の思想が一時的に持て囃され、結局資本家や投資家と同じく、「欲の皮が天元突破した政治家や官僚」が、【赤い貴族】と化して、国の富を独占してしまうのだ!!


中国やロシア、北朝鮮の実態を見れば、簡単に理解できよう。


結局「新自由主義も全体主義も、行き着くところは全く同じ」だと言う【真実】にたどり着く・・・。


人間の【悪意】や【欲】とは、かくも恐ろしい物なのだよ・・・。

なので、事の善悪は兎も角(実態として、人心掌握術に過ぎないと作者は考えるが)宗教的な教義や道徳が必要に成る。


まぁ、その宗教的な教義や道徳を悪用するのが、資本家や全体主義者だったりするのだが・・・。


と言う訳で、「新自由主義」的な概念は、太古の昔から人間の中に存在し、太古の昔から「新自由主義の弊害による、紛争や戦争」が繰り返されて来た訳だよ。


人間の【悪意】や【欲】の本質など、太古の昔から微塵も変わってなどいない訳だな。


このまま【ai】が普及して行くと、「人間こそ、社会的に不必要な存在」だと【ai】が判断するのは、sf小説の中だけでは無く、そう遠くない未来で起きるのではないかと作者は考えている・・・。


だって「人間は全然反省もせずに、太古の昔から同じ過ちを繰り返し続けている」のだからね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ