【令和学問のすすめ】久々の歴史ネタ!江戸時代は未婚男性が多かった?!
「男は結婚するとき、女が変わらないことを望む。
女は結婚するとき、男が変わることを望む。お互いに失望することは避けられない。」
by アルベルト・アインシュタイン
「どんな妻たちも、決して夫のためには化粧しない。」
by 萩原朔太郎
「結婚の利益は、女性の本質を知ることであり、
結婚の損失は、女性への幻滅を知ることである。」
by 萩原朔太郎
「妻の機嫌が悪いときに、夫が責任を感じてはいけない。
不機嫌でいるか上機嫌でいるかは、妻の課題である。
その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。」
by アルフレッド・アドラー
「配偶者を従わせ、教育したいと思い、批判ばかりしているとしたら、その結婚は上手くいかないだろう。」
by アルフレッド・アドラー
さて、作者もまだまだ不勉強なのであるのだが、最近「江戸時代の方が婚姻率は低かった」との情報を知る事になった。
近年、「少子化」や「未婚化」が問題視されているが、元々日本人の「未婚率」や「離婚率」は、高い傾向だったらしい。
つまり、「今に始まった事ではない」らしいのだ?!
≻もともと日本人は未婚も離婚も多い人々でした。江戸時代から明治初期にかけての離婚率に関して言えば、当時の世界一だったかもしれません。現代の離婚率世界一はロシアの4.5(人口1000人当たりの離婚者数、2012年)ですが、江戸時代はそれを超える4.8だったといわれています(2006年参議院調査局第三特別調査室「歴史的に見た日本の人口と家族」より)
もしかしたら、江戸末期から明治初期に関しては、日本人の離婚率は世界最高だったかも知れないのだ!!
現在の離婚率は1.5だが、パーセンテージに直すと35%なので、今でも「離婚率は高め」だと言えるかも知れない?
そもそも、結婚が贅沢品と言われて来た昨今においては、離婚出来ると言う事は「結婚出来た」と言う事なので、十分「勝ち組」なのかも知れない?
≻1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚でした。
1721(享保6)年の江戸の町人人口(武家を除く)は約50万人ですが、男性32万人に対し、女性18万人と圧倒的に男性人口が多かったのです。女性の2倍、圧倒的に男余りでした。つまり、江戸の男たちは、結婚したくても相手がいなかったのです。
江戸時代の男女はかなり早婚だったと言われる。たしかに初婚年齢が女性で27歳に、男性が28歳に近づきつつある現在からみればそのとおりである。しかしそれは女子にはあてはまるけれど、男子の初婚年齢は一般に現代の水準に近かった。中央日本の農村では、18・19世紀における長期的な平均初婚年齢は、男25~28歳、女18~24歳の間にあった。夫婦の年齢開差はふつう5~7歳、男が年上で現在よりもかなり大きかった。しかし江戸時代の初婚年齢は地域や階層などによって、非常に大きな差があったことがわかっている。
『人口から読む日本の歴史』より引用
現代とは、平均寿命が違うので何とも言い難いのだが(庶民階層で平均寿命は30代後半)、それでも経済的な理由から、男性が総じて晩婚だったのは、江戸時代も変わらないと言う事だ。
その様な理由からか、「寺子屋」で読み書き算盤を覚えた町民の子供たちは、10歳以前に丁稚奉公に出されていた。
これは、女児の「遊女」や「小間使い」への奉公も同じ。
つまり親世代が、子供が10歳の頃には、既に現在で言う所の「老人」だったからだな。
どうしても、時代劇等で、裕福な商人や武家が「70代まで生きている」様を見て勘違いしてしまうが、日本人も江戸時代までは、平均寿命は短かったのだ。
まぁ、昭和初期(戦後あたり)まででも、日本人の平均寿命は50代だったんだけどな。
日本人の平均寿命が格段に延びたのは、戦後復興からの高度経済成長期に成ってから。
それで、老齢年金制度や定年制度が整っていく事になる。
一時期、高齢者の医療費が「全額無料」だったのも、高齢者の平均寿命が延びたからだ。
現在では、男女共に平均寿命80代だからね。
故に今度は、介護問題や高齢者医療問題や年金問題が発生してきている。
≻江戸時代の中・後期、濃尾地方の農村における女性の合計特殊出生率は5.81だった。女性たちは今とは比較にならないぐらい、たくさんの子供を生んでいたのである。
それにもかかわらず、江戸時代における日本の総人口は、ほとんど増加していない。19世紀半ばまで、日本の人口は約3000万人で安定していた。なぜ増えなかったのだろうか。これには、大きな理由が二つある。一つは、乳幼児の死亡率が非常に高かったこと。もう一つは、都市部に流入した人々が、「どんどん死んでいた」ことである。だから、子孫を残さずこの世を去る者も、決して少なくなかった。
都市で人々が「どんどん死んでいた」要因の第一は、流行病である。例えば、文久2年(1862)のはしか大流行では、江戸だけで24万もの人が亡くなったと伝えられる。百万都市江戸の、4~5人に1人が死んだということになる。
「7歳まではいつ死んでもおかしくない」という意味である。小さな子供が背負って面倒をみていた赤子は、いつ神様の元に帰ってしまうかわからない「脆い存在」だった。七五三という習慣は、「神様が子供を連れて行かなかったこと」を感謝するものなのである。最後が「七」というのも、7歳の体力があれば、簡単な病気では死なないからなのだろう。
森田健司『江戸時代に生涯未婚者が多い"悲しい事情"』より引用
ちなみに、江戸時代においては、一般庶民は、男子は長男以外は結婚しなかった(出来なかった)そうだ。
女子に関しては、結婚率9割で、殆ど未婚者は居なかったらしい?
江戸時代の特に「江戸(東京)」などの大都市や、地方の農村・漁村に関しては、圧倒的な女児不足で、男余りが酷かったらしい。
これは、中国の「一人っ子政策」でも起きた事だが、どうしても跡継ぎや労働力としての男児の人気が高く、女児を望まない風潮が、日本も昭和初期の戦後辺りまでは多かった。
女児の不足は、こうした事情も有るのだろう。
産まれた子供の死亡率が高かった時代ならば、跡継ぎや労働力としての男児を優先する傾向が高まるのは、世界共通の問題なのかも知れない。
故に尚更、跡継ぎ優先で婚姻関係も結ぶものだから、次男以降が結婚しない(出来ない)のも無理からぬ事であろう。
それ故に、当時は合法だった売春で性欲を満たしたついでに、男女共に性病罹患で平均寿命を縮めた可能性も高い。
この情報で知ったのだが、当時は量り売りが主流だった酒店前で、そのまま飲み始める人達が結構居たらしく、酒店の店主が有料で料理(酒の肴)を出し始めたのが、居酒屋(酒店に居る)の始まりだそうだw
江戸時代と現代とでは、「未婚の原因」は違うのだが(経済的な理由は共通だが)、「男性の草食化」だのが問題なのではなく、元々日本男性は「未婚率が高かった」のが、歴史的な真相かも知れない?
ちなみに、江戸時代どころかそれ以前から、所謂現代の「おたく」文化の様な物は既に存在していたw
江戸時代には、現代のメイド喫茶のメイドさんの「推し活」の様に、茶店や居酒屋の美人看板娘が超絶人気になり、美人画(現代のブロマイド)が飛ぶように売れたり、茶店や居酒屋に長蛇の列が出来たりしたそうだw
それに、安土桃山時代以降の、武家の「茶道」の流行も、「おた活」の一種と言えると思う。
矢鱈と茶器に大金を注ぎ込んだりするのも、ガンプラやフィギュアに何万円も注ぎ込む感性と共通する物であろう。
日本人の「おたく気質」も、現代に始まった事では無く、昔から存在した物だと作者は考えている。




