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学校が教えない社会科・歴史・公民  作者: 学校が教えない社会・歴史・公民
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日本国民が、どうしてこうまで政治に無関心なのか?『歴史的に考察』

【秋保電鉄のチャンネル(ニコ動)】

https://sp.nicovideo.jp/my/video


【秋保電鉄のチャンネル(youtube)】

https://youtube.com/channel/UCjX5bACAgs9hq5qgXqYYQng

さて、久々の歴史考察!


今回は、何故日本人はここまで政治家や官僚に小馬鹿にされた政治をされながらも、『政治に対して無関心なのか?』を考察して行こう。


まぁ、正直、それなりの歳のとっつぁん達は、居酒屋や友達同士で、割と政治に関する話題を話すのだが、何故か投票行動には繋がらないと言う、中々に興味深い国民性が有る。


日本女性の場合は、一部政治家を目指す人や、所謂『インテリ層』や『意識高い系』の人以外は、そもそも政治の話をしても、聞きもしないか嫌がられる。


ちなみに、日本の投票率の低さは世界でも類を見ない程の低さで、何と!民主主義国家の中では下から7番目と言う酷さ(笑)www(米国ピュー研究所調べ 2016〜2020年)


ちなみに、一番投票率が高かったのは【トルコ】で、一番低かったのは【スイス】


アメリカと日本の投票率は、たったの2%違いでどんぐりの背比べ状態(笑)


詳細に経済状態を調べて見れば、面白いお国事情が見えて来そうだよな?


ま!普段の生活に追われている、日本やアメリカのピーポーは、政治に関心を向ける余裕が無いと言う、事情もありそうだ!!


老人の投票率が高いのも、単に生活に時間的な余裕が持てる人達が、政治に関心を向けて、投票行動に繋がりやすいからだろう。


無論!低年金や低所得者の老人達は、現役世代と同じで生活に追われているから、そんな余裕は無いので、投票行動に繋がり難いのは、現役世代と同じだろう。


なので、富裕層の老人達の投票行動が高いから、政治家達もそうした人に有利な政策を掲げてしまう傾向に成るのは、ある意味無理からぬ事であろう。


つまり、日本の歴史的な観点からすれば、明治から昭和初期までの、『華族(貴族)や士族(富裕層のみ)に許されていた、投票行動とあまり変わらない結果に陥りやすい』と言う結論が導き出せるかな?


つまり、明治時代からあんまり変わらないと言う話だ!!


少なくとも、結果論的にはね?!


これは、アメリカにも言える事だな。


だからこそ、日本やアメリカは、資本家の【新自由主義】と言う罠に、陥りやすい。


さて、日本は【大和朝廷の日本統一】から数えれば(およそ4世紀頃)およそ1500年間も、専制君主制なり幕藩体制成りで政治が行われて来た。


こうなると、国民からすれば、政治に文句をつける事がそもそも出来無い。


いい所、むら長や土地の有力者に直訴して、政治を取り仕切る官僚や武士に、意見を聞いてもらう程度だ。


これでは、余程困った事が起きない限り、権力者に態々意見する気など起きなくなる。


つまり、飢饉や旱魃、戦争による略奪等だな。


まぁ、意見した所で、余程出来の良い藩主で無ければ聞き届けられないので、矢張り『意味の無い事はしない、寧ろ厄介事に巻き込まれたく無い』と言う心理に成るのは、無理からぬ事だな。


こんな事が千年以上続いていたら、そりゃあ政治に関心など、余程の事が起きない限りは興味を持たなくなる。


今よりも、更に生活に追われているのだからね。


歴史的な転換点でも、幕藩体制の基礎と成った鎌倉幕府にしても、政治体制を変えたのは【武士】達で、一般大衆は一切無関係。


むしろ、内線で土地を荒らされるは、(敵武士に)女子供は陵辱されるはで、ろくな事は無かっただろう。


幕藩体制の転換点の【戦国時代(室町後期〜安土桃山時代終了まで)】においても、【武士】達の権力闘争で有り、一般大衆は矢張り無関係。


この頃は、一般大衆的には、武士に春を売ったり、身の回りの世話(洗濯や食事や落とした首級の洗浄)で、日銭を稼いでいたくらい。


ま!大阪商人に関しては、室町時代から武士との商取引は盛んだったから、そうした意味でも、矢張り富裕層に政治を動かせる力が有ったのは間違いない。


次の大きな政変は、無論!【明治維新】!!


これに関しても、起こしたのは『国際政治に関心を持っていた、主に九州方面の武士達』


であって、一般大衆は無関係。


その頃の一般大衆達は、武士の政治が緩んで来た事を感じて、『えぇじゃないか』と言う、今で言う所の路上パフォーマンスと言うか、デモ行進をしていた程度(笑)www



>【ええじゃないか】


1867年(慶応3)夏から翌年の春にかけて、神符の降下を契機に東海、近畿地方を中心に起こった熱狂的乱舞を伴う民衆運動。その際の民衆の唱えたことば「ええじゃないか」が、この運動全体をさすようになった。

(コトバンク)


https://kotobank.jp/word/%E3%81%88%E3%81%88%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B-443796


んで、明治時代に成っても、投票権や参政権は『士族(元有力武士)』や『華族(元貴族)』にしか無かったから、一般大衆が政治に関心を向ける事など無かった。


大正デモクラシーにしても、結局起こしたのは一部の政治家や学者先生で有って、一般大衆は基本的に『ぽか〜ん』状態(笑)www



>大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは、日本で1910年代から1920年代(概ね大正年間)にかけて起こった、政治・社会・文化の各方面における民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称である。

(ウイキペディア)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC



そりゃあ、今の今迄、投票権や参政権など無かったのだから、いまいちピンと来ないのは当然だな!


そしてこの頃、所謂515事件や226事件が勃発する!!



>【5・15事件】


大正時代、衆議院の第一党の党首が内閣総理大臣になるという「憲政の常道」が確立したことで議会制民主主義が根付き始めた。しかし、1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発した大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加、農村は貧困に喘ぎ疲弊する一方で、大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大するが、それらの問題に対処できず富裕層を守るばかりと見られた政党政治が敵視されるようになり、政治の革新が強く求められるようになっていた。国家革新を求める者の中には過激化し、時の首相を暗殺しようとする動き(濱口首相遭難事件)が起こったり、昭和維新を標榜し、政党と財閥を倒し軍事政権の樹立を目指す陸軍将校らによるクーデター未遂事件(三月事件、十月事件)も相次ぐなど世情は緊迫していった。

(ウイキペディア)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6


>【2・26事件】


その後の犬養内閣は、荒木貞夫陸軍大将兼陸軍大臣や教育総監真崎甚三郎陸軍大将、陸軍軍人兼貴族院議員の菊池武夫を中心とする、ソ連との対立を志向する皇道派を優遇した。皇道派の青年将校(20歳代の隊附の大尉、中尉、少尉達)のうちには、彼らが政治腐敗や農村困窮の要因と考えている元老重臣を殺害すれば天皇親政が実現し諸々の政治問題が解決すると考え、「昭和維新、尊皇斬奸」などの標語を掲げる者もあった

(ウイキペディア)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6


まぁ、この2つの事件(内乱・クーデター)は、明治維新後から続く『維新派に逆らった東北地方の武士や民衆への懲罰』で、東北地方が明治維新の戦後復興や政治への影響力的に取り残され、一般大衆が貧困に喘いでいたと言う【事実】から、主に東北地方出身で農村出身の兵士や将校達が、不満をぶつけたクーデター事件と言う側面が有るので、日本国内では一揆を省けば、明治以降初の民衆によるクーデターと言う事が言える。


まぁ、一揆にしても、食うに食われぬ状況に追い込まれた一般大衆が、富裕層への打ち壊しや、武士に武力闘争を行ったクーデターだから、矢張り『余程困らない限りは何もしない』日本国内の大人しい国民性が垣間見える。


ちなみに、大東亜戦争における『慰安婦』の出身者の多くは、東北の農村部の娘たちだった!!


勿論、土地柄的に冬季に厳しいと言う面が有るにしても、大東亜戦争終了まで、東北地方が日本政府に蔑ろにされていた、確たる証拠でも有る。


余談だが、『地方交付税』という制度の基礎が作られたのは、この東北地方の惨状を見た大蔵省職員が、主に東北地方に予算を付ける為に作られた制度だ!!


で、ここまでの歴史的な背景を見て来ても、日本の一般大衆が政治に無関心なのも、うなずける流れなのではなかろうか?


何せ、『政治に文句を付けても聞いてもらえない』状況が、千年以上も続いていたのだからね。


むしろ、政治に文句をつけたら、厄介事に巻き込まれる可能性の方が高かった訳だからね?!


日本の一般大衆による政治運動が、多少成りとも高く成ったのは、少なくとも大東亜戦争の戦後に成ってから。


それこそ、『学生運動(安保闘争)』や、『労働争議(メーデー』からだな。


つまりは、共産主義や社会主義が、流行に成ってからと言う話に成る。


まぁ、共産主義や社会主義は、一般大衆の支配層からの開放を、基本理念にしているからね。


真実は兎も角としてね。


こうして、日本の歴史を紐解いて見ると、日本国民(一般大衆)が政治に無関心なのは、長年染み付いた歴史的な宿痾に有ると考えられる。


今の人達が言う『俺が(私が)一票入れた程度では何も変わらない』。


『政治家に文句を言っても、真面目に取り合わない(確かにそう、経験済)』


これ等の意見は、昔の『政治に文句を付けても、どうせ聞いてもらえない』と、基本的に同じではないか?


確かに、政治に対する学校教育の不足や、低所得者ほど生活に追われて、政治に関心を向けている余裕が無いのも【事実】だが、歴史的な背景も有る様におじちゃんは考える。


読者諸兄は、これ等を踏まえてどう考えるのかな?

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― 新着の感想 ―
[一言] 個人的には野球、サッカー、将棋などよりは政治に興味があります。 政治への関心ですが、衆議院の選挙が中選挙区から小選挙区制になってから投票率が低くなったのは明らかです。 近所の集まりなどで一…
[一言] 女性ばっかじゃないですよ、政治の話真面目にせずに避けるのは男性も同じ… かっこ悪いと思ってるのか… でなきゃ、あんたが立候補すればいいじゃんですからね~ 君たちみたいに真面目に聞いてくれない…
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