終身雇用と年功序列の歴史的考察
さて、終身雇用と年功序列は、いつ頃から有ったものなのでしょうか?
明治時代や戦前位までは、寧ろ文明開化によって入って来た、資本主義が暴走し、戦前の文学等に見られる様に、非正規雇用かつ、何時でも解雇される様な雇用形態が普通でした。
第二次世界大戦前迄は、有能な職工、つまり職人や工場労働者は、第一次世界大戦後の好景気の時には、バブル期の様に、ヘッドハンティングや転職を繰り返して所得を増やすのが戦前迄の雇用形態で、熟練工や有能な職工が、何時会社から離れるのか、企業側がハラハラしていた時代だったそうです。
第一次世界大戦後から、基幹工、今で言う正社員と、臨時工、今で言う非正規雇用者と言う雇用形態が、製造業等で見られました。
当時も、派遣会社的な組織が存在し、臨時工を工場に供給する仕事を請け負っていた事から、今の様な非正規雇用問題が、既に戦前から存在した事が分かります。
しかも、正規雇用で有る基幹工と、非正規雇用かつ派遣労働者で有る臨時工では、当時も賃金格差が存在したそうです。
大正末期から昭和初期、つまり第二次世界大戦前までは、世界恐慌の影響で、日本も昭和恐慌の真っ只中にあり、現在のデフレが長期化する日本と同じ様な状況で、矢張り過去にも、同じ過ちが行われていた事が伺えます。
つまり、第一次世界大戦後の好景気時には、人手不足から有能な人材のヘッドハンティングや転職が労働者の間で行われ、世界恐慌を契機に景気が悪化すると、現在の日本の雇用形態と同じく、派遣労働や非正規雇用が持て囃されたと言う、正に歴史は繰り返す状態だった事が分かりますよね?
と言いますか、日本国民も為政者も、キチンと歴史を俯瞰していないから、同じ過ちを繰り返すのかも知れませんね?
今の形態に近い終身雇用制や年功序列制が取られたのは、実は戦時体制における、日本政府の法規制からだったそうです。
もっとも、終身雇用及び年功序列が本格的に普及したのは、戦後に成ってからです。
終身雇用の原型と思われる制度は、1920年代頃から、事務職系から始まったとされております。
事務職系の労働者は、この当時は、あまり転職を繰り返す事は無かった様で、そうした事から、終身雇用形態を取り始めた様です。
日中戦争が始まり、徴兵などで男性の現役世代が労働現場から減り、かなりの人手不足が起きました。
ただでさえ少なく成った熟練工や有能な職工の方々を、各企業が奪い合う騒ぎに成りました。
そうした事情から、当時の大日本帝国政府が、労働者の統制を始めます。
少ない労働者を、如何に効率よく配置するか?
政府が管理する事に成った訳です。
1938年、昭和13年に国家総動員法発布。
1939年、昭和14年3月30日、従業者雇入制限令、勅令第126号が定められ、軍需産業に関わる労働者の転職には国の許可が必要になりました。
同じく昭和14年3月30日、賃金統制令、勅令第128号が公布され、軍需産業の初任給は一律と成ります。
厚生省主導の賃金委員会が、賃金額を決定することになりました。
昭和15年11月8日には、従業者移動防止令、勅令第750号に改正され、軍需産業以外の労働者の転職も、規制の対象と成りました。
この、政府による賃金統制と同時に、勤労者の意欲向上と、生活の安定を目的に、年1回の定期昇給、つまり年功序列や、退職金の支給が半義務化され、賃金制度の統一が図られました。
1940年、昭和15年12月12日以降には、産業報国会が組織されます。
つまり、管制によって、一種の労働組合が組織され、職業訓練の他、娯楽や栄養管理などを行い、福利厚生が図られました。
1941年、昭和16年8月、閣議決定の労務緊急対策要綱によって、昭和16年12月6日、労務調整令、勅令第1063号が発布され、労働者の自由な転職や解雇は、戦時統制の元、全面禁止へと移行して行きます。
調べて見ると、戦時体制と言う特殊な経済環境を元に、政府主導によって、終身雇用や年功序列の基礎が、形作られた事に成ります。
当時、此等の経済改革を指揮した内閣は、平沼内閣と、何と阿部内閣です。
勿論、安倍晋三首相とは、全く関係有りません。
同じあべ内閣でも、こうも違うとは面白いですね?
そして、現在の内閣府よりも、大日本帝国政府の、戦時統制下での経済政策の方が、抜きん出て素晴らしいのには驚きますよね?
戦時統制が始まる以前の、1933年、昭和8年に、三菱航空機で、労働争議が起こりました。
世界恐慌からの経済復興が遅れており、賃金を支払わずに臨時工の雇い止めが行われた事を不服として、労働争議に発展しました。
当時の臨時工の方々は、内務省社会局、現在の厚生労働省まで抗議に向かい、最終的には、三菱航空機から、解雇手当80日分と帰国手当5円、家族1人2円を勝ち取ったと記録されております。
この労働争議によって、内務省社会局は、臨時工や請負工であっても雇止めは解雇とみなす。
解雇予告手当14日分を払わなくてはならない。
と言う、通達を出す迄に至りました。
更に1936年、昭和11年には、退職積立金及び退職手当法が施行され、現在の退職金制度の基礎が作られた事に成ります。
おやおや?戦前の官僚や政治家の方が、国民の為にキチンと仕事をしていた様子ですね?
今の政財界や、官僚組織の駄目さ加減が、歴史的にも見て取れますよね?
さて、長々と終身雇用と年功序列の歴史を考察しましたが、過去においても、日本では、非正規雇用問題や、派遣労働者問題が存在した事が、明らかに成りました。
本当に、歴史は繰り返すですよね?
と言いますか、矢張り資本主義社会と言うものは、規制を強化しないと、野放図に暴走を続ける事が、日本の明治以降の歴史からも証明された事に成ります。
戦後の復興景気からの高度経済成長、更にはバブル景気迄の間は、矢張り好景気から来る人手不足により、人材を大切にせざるを得ず、更には戦時中の統制経済を下敷きとして、終身雇用と年功序列が行われていた訳です。
戦前生まれの経営者や政治家や官僚も、此等の終身雇用や年功序列の経済的な効能を理解していたからこそ、終身雇用と年功序列を普通に導入していた訳ですね。
さて、終身雇用と年功序列は、必ずセットでなければ意味が有りません。
長く勤めるからこそ、年功序列、つまり定時昇給する事が可能に成るからですね。
直ぐに辞める事が分かっている労働者に定時昇給しても、企業側から見れば、なんのメリットも有りませんからね。
なんなら、時給や日給で働かせた方が、よっぽど都合が良いですし、それこそ、派遣会社から派遣労働者を雇った方が、ある意味無責任に契約解除出来ますから、好都合だと言える訳です。
今の様な、デフレ期なら尚更ですね。
年功序列は、正規雇用かつ、長年勤める終身雇用者で有るからこそ、意味のある制度ですし、企業側から見ても、折角使える様になった、労働者を他の企業に奪われなくて済む訳です。
そして、一般的な労働者も、安心して家庭を持ち、将来に向けた生活設計が出来るからこそ、高度経済成長が可能に成る訳です。
労働者が、継続的に消費者として、需要を支え続けられるからですね。
さて、振り返って、今の政財界や官僚は、如何なものでしょうか?
是非とも、良くお考えに成って頂ければ幸いです。
どうだったかな?
『年功序列』と『終身雇用』の歴史的な考察をして見た。
本文にもある通り、文明開化以降、『富国強兵』政策により、無茶な殖産産業の奨励が行われ、労働者に対する扱いが、江戸時代から意識が変わっていなかった事からか?非正規雇用かつ、低賃金労働と言う、酷い有様だった事が分かる。
その後、大正デモクラシー等により、一応国民に選挙権(投票権)が与えられると、国民(労働者層)の意識改革が進み、更に共産主義思想の流入から、労働争議が起こる様に成る。
この頃から、所謂『労働組合』的な、労働者による政治組織が勃興して来る。
そして、大東亜戦争を契機に、戦争による徴兵で、労働者の慢性的な不足から、労働者のモチベーション向上と、景気浮揚と労働者の生活環境維持を目的に、政府主導で『終身雇用』と『年功序列』が一般企業に定着して行く。
更に戦後も、戦後復興需要に対して、労働者が慢性的に不足した事から、『終身雇用』と『年功序列』が維持されて行く。
という流れだった事が明らかに成ったな。
つまり、良くも悪くも【歴史は繰り返す】と言う事だな。
資本主義においては、自己利益の最大化は、決して悪ではない。
故に、資本【原理】主義とでも表現すべき、新自由主義的な『自己利益最大化ノミの追求』は、資本主義を取る以上は必ず起きる。
それを、どのように制御し、必要に応じて『規制強化』や『規制緩和』をするのが政府の役割なのだが、新自由主義者の団体(経団連)は、政治家に働きかけをして、自己利益最大化の為ノミの改革を推し進めさせた結果、今の【韓国にすら平均年収で負ける】美しい瑞穂の国を作り出した訳だな。
また、いずれ解説するが、コメント欄読んでる読者諸兄は知ってるかも知れないが、ベタな新自由主義礼賛マン(自称お利口さん)が、【競争社会バンザイ】を語っていたので、コメントも削除し、アク禁にした。
自分が、何処でも生活出来る【エニウェア族】だからと言って、国民の大多数の【サムウェア族(他言語に疎く、競争社会に適合出来ない人)】を、無視した言い草は感化出来ない!!
と言うか、これこそ『新自由主義者の反吐が出る言い草』なのだよ!!
『努力が足りない』『お前が悪い』
正に、新自由主義者の言い草だよな?
誰でも彼でも、お前さんと同じ能力の奴だと思うなよ!!
本当に反吐が出る!!
兎に角、こうした奴らの戯言は聞くに耐えないから、聞くだけ無駄だそ?!