リクエスト枠!日本が国際戦争に突入した経緯(ダイジェスト版)【その1】
さて、今回は読者からリクエストを頂いた、『日本が明治以降他国と戦争しなければ成らなくなった経緯』を解説して行こうと思う
以前もこの問題には触れたが、何せこの流れを全て解説する為には、分厚い本一冊(実際に有る本では、数千ページ)にも及ぶので(おじちゃんは全て読破した)、戦争に繋がる流れを、ダイジェスト版として解説する
さて、事の始まりは『種子島鉄砲伝来』から始まる
『え?』と思うかも知れないが、何とここから300年以上も掛けて、日本は国際戦争へと踏み込まざるを得なくなる
この頃には、既にヨーロッパ列強諸国による、アジアやアフリカ等への『植民地化政策』が、少しづつ始まっている
何せ、スペインがインカ帝国を滅ぼしたのは、日本にポルトガル人が流れ着いた『種子島の鉄砲伝来』の10年前の話だ!
※インカ帝国滅亡 1533年
※種子島鉄砲伝来 1543年
な?既に列強諸国による植民地化政策は、とっくの昔に始まっていた
スペインによる、インカ帝国への圧政の数々は、以前に詳しく解説済だ!
>【インカ帝国の滅亡】
https://ncode.syosetu.com/n4357cw/160/
この頃の列強諸国による侵略方法は、イエズス会等によるスパイ活動や布教活動によって、侵略対象国を内部崩壊させる方式が取られる事が多かった
日本も戦国時代真っ只中
特にイエズス会等に甘かった、九州の諸大名を改宗させ、背後から日本を支配するつもりだった事は、当時のイエズス会の動きからも分る
後の時代に、実際に『天草四郎時貞』が、島原の乱を起こした事でも、イエズス会等のキリスト教会暗躍は証明出来るのではないか?
更に既に『江戸時代初期』に入っては居たが、伊達政宗が【慶長遣欧使節】を派遣し、その目的が『スペインから最新の大砲を輸入する為と、スペインからの軍事的な協力を得る為』と言う裏話が有り、それを隠す為に、『支倉常長』が、長らくフィリピンに留め置かれ、更には帰国後、姿を隠す羽目に成ったとされている(支倉常長は、帰国後仙台藩のど田舎に、蟄居させられている)
この一件でも、裏で糸を引いて居たのが、【フランシスコ会】の宣教師の『ルイス・ソテロ』だ!
フィリピンも、1565年にスペインが植民地化している
>スペイン領東インド(スペインりょうひがしインド)は、スペインが1565年から1898年まで領有したアジア太平洋の植民地。政庁所在地はマニラで、領域はフィリピン、マリアナ諸島およびカロリン諸島、一時的に台湾、サバおよびモルッカ諸島の一部を領有した。
(ウイキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E9%A0%98%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
なので、日本でも有名な『フランシスコ・ザビエル』は、当時のマラッカに埋葬されている
死んだのは、1552年に日本の上川島とされている
その後、1602年にオランダで東インド会社が設立
その後、世界列強諸国による、アジアやアフリカの侵略行為が行われて行く
既にこの時点で、『軍事的な圧力による、第一次グローバリズム政策』が始まっていたと言える
この時点では、世界列強諸国の植民地支配地域の棲み分けが行われており、その一躍を担ったのが『東インド会社』だとされている
既に1498年には、イギリスが北米大陸の一部を領有化
その後北米では、1543年にカナダ地域をフランスが領有化
1780年に、イギリスがオーストラリアへの入植を開始
1789年にフランス革命
そして1914年には、いよいよ最初の世界大戦『第一次世界大戦』が開始される
第一次世界大戦迄は、他の地域の土地を奪う事により、支配地域を広げる形でのグローバリズムが進んで行った時代だ
それは、現在の様な金融工学理論が確立されておらず、金本位制による貿易が当時の主流だったからに他ならない
つまり、国際貿易において、貨幣による貿易決済が、この時代には確立されて無かった
なので、国際的に普遍な価値を持つ【金】が、国際貿易の決済において使われている事が多かった
だからこそ、金の産出量が多かった『南米大陸』『北米大陸』『日本』等が、早い段階で狙われた訳だな
貨幣経済は、その国の内部では通用したけど、国際的な取引では、第二次世界大戦後まで、実は通用しなかったんだぞ!!
第一次世界大戦後に、此等の問題が国際的に提起され、更に第二次世界大戦後に『ブレトン・ウッズ協定』が締結され、ようやく貨幣経済による国際決済が可能に成る
少し難しいが、付いて来れてるかな?
おじちゃんが常に『全ての政策は、経済政策に帰結する』と言ってはばからないのは、こうした経済史の側面からも、実態社会においては【真実】だからなんだよ
経済史は、正直高校生でも多少難しいのは事実なので、詳しい事は大学で学ぶか独学するしか無い
何にしても、『経済史』も【歴史】の一部なのは言うまでも無いよな?
さて、第一次世界大戦勃発迄の流れは、イギリスの産業革命による著しい諸産業の『生産性の向上』から、自国内で消費仕切れなくなった製品や農産物を、植民地支配している地域に、無理矢理輸入させる政策が取られた
現に室町時代末期〜江戸時代初期迄の、所謂『戦国時代』の日本においても、各有力大名が、スペインやポルトガルやオランダやイギリスから、武器や日本では生産されない諸産品を輸入し、金により支払っていた
特に『鉄砲』や『大砲』は、確かに日本国内でも生産されて来てはいたが、最新式の鉄砲や大砲等は、イギリスやオランダからの輸入が多かった
当時、特にインドやインドネシア、フィリピン等では、イギリスやオランダ等による『プランテーション化』が進められていた
それぞれの地域の特産品
例えばインドなら『綿花』
スリランカなら『茶葉』など、その地域で特に多く産出される特産品を、『特産品ノミ生産させる』と言うのが、所謂『プランテーション化』だ!
つまり、現地で産出される鉱物等の資源を省く他の農産品は、一切生産させないと言う極端な政策だ
これにより、植民地地域では、しょっちゅう【飢饉】が発生した
一説では、インドにおいては、イギリスの植民地時代に、トータルで2600万人の餓死者を出したとも言われている
確かにインド等では、綿花の生産性向上の為に、鉄道等のインフラ整備が盛んに行われているが、それはあくまでも『イギリスが綿花を激安で輸入し、更に綿製品をイギリスからインドへ輸出する為』だった
何せ他の製造業や農業が、インドではイギリスから規制されていた為に、インド国民は、イギリスから食料や綿製品等の生活雑貨を輸入せざるを得なかった
更にインドでは、伝統的に『カースト制度(所謂、階級制度)』が有り、このカースト制度を利用して、富裕層をイギリス寄りに教化し、一般国民との分断をはかって、イギリスに逆らえない社会体制を作っていた
具体的には、ヒンドゥー教とイスラム教信者の分断工作等に見られる
次回へ続く!
どうだったかな?
今回はリクエスト対応の『歴史解説』だ!
またぞろ3回分と長く成って仕舞ったが、歴史を語るには、長きに渡って蓄積された【事実】の積み重ねが歴史なので、長く成るのはご容赦願いたい(泣)
学校では『華麗にスルー』される近代史に至るまでの歴史的な経緯は、室町時代後半から始まっている!
『戦争とは経済』と言うもう一つの意味は、『国際的な利権争いが、国際紛争で有る』と言う単なる【事実】!!
後2回で大東亜戦争勃発迄の大まかな経緯を解説するので、最後まで是非とも見て欲しいぞ!!




