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学校が教えない社会科・歴史・公民  作者: 学校が教えない社会・歴史・公民
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満州、日本人看護婦集団自決事件【前編】

さて、『日露平和条約』が話し合われている中、今回は大東亜戦争敗戦後の満州で起きた事件を取り上げ、『果たして、ロシアと言う国は信用に値するのか?』を考えて見よう


長い文章なので、前後編に分けて投稿する


敗戦直後に起きた、ソ連時代のロシアの『非道な行い』の現実を直視して欲しい



【日本人従軍看護婦 集団自決事件】


主人公は、掘喜身子ほり きみこさんといいます。

彼女は、幼い頃から病人を看護することが好きで、女学校を出たあと、昭和11(1936)年に満州に渡り、満州赤十字看護婦養成所に入所して、甲種看護婦三年の過程を修めたあと、郷里の樺太・知取シリトリに帰って樺太庁立病院の看護婦をしていました。


昭和20(1945)年8月9日、ソ連が日ソ不可侵条約を破って、突然満州に攻め込んできました。

戦況は激しいものでした。


昭和21(1946)年春、第八病院の婦長をしていた堀喜身子さんのもとに、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所から、一通の命令書が来ました。

内容は、

 看護婦の応援を要請。

 期間は一か月

 月給300円

というものでした。


生活が苦しい中、月給300円は魅力です。

それに、いくらソ連軍とはいえ、世界各国で公認されている赤十字を背負う看護婦に間違った扱いなどすることはないだろうと思われました。

しかもソ連陸軍が発令した「公文書」としての「命令書」です。


婦長をしていた堀喜美子さんは、一抹の不安はあったけれど、引率者である平尾勉軍医と相談して、看護婦の中でも、もっともしっかり者だった大島花枝、やはりしっかり者の細川たか子、大塚てる、の3名の看護婦を選びました。


やがて一か月が経過しようとしたとき、同じ病院から、また3名の追加の命令書がきました。

堀喜美子婦長は、荒川静子、三戸はるみ、沢田八重の3名を、第二回の後続として、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所に送りだしました。


もうまもなく、最初の三名が交代して帰ってくる。

誰もがそう思っていました。

ところが帰ってこないのです。


さらに一か月が経過しました。

すると、また3名の追加の命令が、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所からもたらされました。

堀婦長は、心配になりました。

引率者の平尾軍医に、命令を断るよう談判しました。


一か月という約束で看護婦を送っているのです。

「最初の3名が行ってから、もう3か月経過しています。2回目の看護婦が行ってからも、2か月です。その間、誰も帰してもらっていません。向こうが約束を反故にしているのです。そんな約束も守れないようなところに、大切な部下を送ることなんてできません。しかも6名とも、行ったきり音信不通です。おかしいではないですか?」


けれど相手はソ連軍です。

命令に背けば、医師や看護婦だけでなく、患者たちまで全員が殺されてしまう危険があります。

病院としては、命令に背くことはできない。

みんなで相談しあい、やむなく井出きみ子、澤本かなえ、後藤よし子の3名を送り出しました。


けれど、仏の顔も三度までといいます。

4度目の命令がきたら、こんどこそ絶対に拒否してやろう。

先に行った者たちが心配でたまらない堀婦長がそう思っている矢先、一か月後、誰ひとり帰らないまま、4度目の命令が来たのです。

今度もまた3名の看護婦を出せ、というものです。


なんという厚顔無恥!

残る看護婦は、婦長の堀喜美子の他、22名です。

その中から、4度目の3名を選出しなければならない。

堀婦長の心の中には、暗澹とした不安がひろがりました。


その日の夜、堀婦長は、次に向かう3名を呼びました。

明後日出発すること、先に行った看護婦たちに手紙で状況を報告するように話してもらいたい旨を、3名に伝えました。


その日の夜のことです。

すっかり夜も更けたころ、病院のドアをたたく音がしました。

(こんな時間に何事だろう・・・・)

堀婦長が玄関の戸を開けました。


小さく明けた戸口から、髪を振り乱し、全身血まみれになった人影が、「婦長・・・」とつぶやき、ドサリと倒れこんできました。


見れば、その人影は、なんと最初に出発した大島花枝看護婦でした。

たいへんな重体です。

もはや意識さえ朦朧もうろうとしています。


大島看護婦は、全身11か所に盲貫銃創と貫通銃創を追っていました。

裸足の足は血だらけでした。

全身に、鉄条網を越えたときにできたと思われる無数の引き裂き傷がありました。

脈拍にも結滞があります。

着ている服もボロボロです。


「なにがあったのか」


堀婦長は、とっさに「そうだ。こうまでしてここに来なければならなかったのには、理由があるに違いない。その理由を聞かなければ」と思い立ちました。

そして、

「花江さん!、大島さん! 目を開けて!」と、大声で大島看護婦を揺り動かしました。


重体の患者です。

ふつうなら、揺り動かすなんてことはしません。

他の看護婦が「婦長! そんなことをしたら花江さんが!」と悲鳴をあげました。


けれど堀婦長は毅然として言いました。

「あなたたちは黙って! 花江さんは助からない。

 花江さんの死を無駄にしてはいけない!」


大島看護婦が目を覚ましました。

そして語りました。


「婦長。私たちはソ連軍の病院に看護婦として頼まれて行った筈ですのに、あちらでは看護婦の仕事をさせられているのではありません。行ったその日から、ソ連軍将校の慰みものにされてしまいました。

半日たらずで私たちは半狂乱になってしまいました。

約束が違う!と泣いても叫んでも、ぶっても蹴っても、野獣のような相手に通じません。

泣き疲れて寝入り、新しい相手にまた犯されて暴れ、その繰り返しが来る日も来る日も続きました。

食事をした覚えもなく、何日目だったか、空腹に目を覚まし、枕元に置かれていたパンにかじりつき、そこではじめて事の重大さに気が付き・・


それからひとりで泣きました。

涙があとからあとから続き、自分の犯された体を見ては、また悔しくて泣きました。

たったひとりの部屋で、母の名を呼び、どうせ届かないと知りながら、助けを求めて叫び続けました。

そしてどんなにしても、どうにもならないことがわかってきたのです。


やがておぼろげながら、一緒に来た二人も同じようにされていることもわかりました。

ほとんど毎晩のように三人か四人の赤毛の大男にもてあそばれながら、身の不運に泣きました。

逃げようとは何度も思い、しかもその都度手ひどい仕打ちにあい、どうにもならないことがわかりました。


記憶が次第に薄れ、時の経過も定かではなくなった頃、赤毛の鬼たちの言動で、第八病院の看護婦の同僚たちが次々と送られてきていることを知って、無性に腹が立ち、同時に我にかえりました。


これは大変なことになる。

なんとかしなければ、みんなが赤鬼の生贄になる。

そんなことを許してはならない。

そうだ、たとえ殺されても、絶対に逃げ帰って婦長さんにひとこと知らせてあげなければ・・・


赤鬼に汚された体にも、命にもいまさら何の未練もありませんでした。

私は、二重三重の歩哨の目を逃れ、最後お鉄条網の下を、鉄の針で服が破れ、肉が引き裂かれる痛みを感じながら潜り抜けて、逃げました。

後ろでソ連兵の叫び声と銃の音を聞きながら、無我夢中で逃げてきました。


婦長さん。

もう、ひとを送ってはなりません・・・・」


そこまで話して大島花江看護婦は、こときれました。


(後編へ続く)

どうだったかな?


今回も前後編と長く成って仕舞ったが、そもそもの引用文が長いので仕方が無かった


既に戦争が終結した後で、当時のソ連(現在のロシア)が、如何に非道な行いをしていたか、是非とも考えて見て欲しい

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