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学校が教えない社会科・歴史・公民  作者: 学校が教えない社会・歴史・公民
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支那事変当時の中国の内戦

チョット補足事項だ!


先日100均のイヤホン・ヘッドホンの話をした時に『ダイソーのは全部駄目だ』と書いたけど、以前のダイソーのイヤホン・ヘッドホンは実際使い物にならなかった


しかし最近ダイソーで何となく買ったオープン型イヤホンが、普通に使える代物だった


昔は『異次元サウンド』とか『ダンジョンサウンド』とか言われて滅茶苦茶な音質だったけど、今売ってる最新型のオープン型イヤホンは十分に使える商品になった様だ


カナル型はまだ分からないが、少なくでもオープン型のイヤホンは使えるぞ


音は割りとバランス型で若干曇った感じがある


108円と考えればコストパフォーマンスは高い


セリアのオープン型イヤホンと比較すると、ダイソーは曇りがちだかバランスは良く、低音がセリアの物より出ている


低音が欲しいなら、ダイソーの方が合うだろう


また追加情報が有ったら、その都度書き込むからな!



さて、今回は以前に話した中国の内戦について話すぞ!


日本が日清戦争に勝利した後、清国(中国)は内乱状態に突入したんだ



国共内戦(こっきょうないせん、中: 国共内战/國共內戰、英: Chinese Civil War)は、中華民国政府率いる国民革命軍と中国共産党率いる中国工農紅軍との間で行われた内戦である (wikiより抜粋)


と言う様に、日中戦争が起きる前から、清国滅亡以来、共産党と国民党が戦争していたんだよ


これは前期1927年4月12日 - 1937年9月迄、つまり日中戦争勃発まで続いたんだな


さらに第二次世界大戦後の1946年3月31日 - 1950年5月1日まで戦争が続き、今の中国と中華民国(台湾)に別れた訳だ


勝った共産党が『中華人民共和国』を


破れた国民党が『中華民国(台湾)』になったんだよ


実は日中戦争が勃発した原因は、この中国の内乱に原因が有るんだ


国共内戦

同1927年7月13日、中国共産党は対時局宣言を発し国共合作の終了を宣言、国共内戦に突入した。共産党は武力闘争を開始し、南昌起義を皮切りに各地で武力蜂起を繰り返すが、国民党軍によって鎮圧された。


中華民国の国家主席に就任後、蒋介石は意欲的に中国の近代化を推進する改革を行った。1928年にはドイツ軍のマックス・バウアー大佐を招聘し、軍事顧問団を形成し、ドイツからの最新兵器を輸入する(中独合作を参照)。また国民党の北伐は継続され、1928年6月9日には北京に入城し、北京政府を倒すことに成功した。


他方、ソビエト連邦の支援の下、毛沢東が指揮する中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、1931年には江西省瑞金に「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立する

(Wikiより抜粋)



とまぁ、ここまでが中国の内戦だな


問題はここから何だよ



日本軍の動きによって、第四次掃共戦は同年5月へと延期され、すでに6月には15万の兵力で共産党中央部を包囲した。しかし共産党は遊撃戦を展開、1933年4月には蒋介石は撤退する。5月には、ドイツの元陸軍参謀総長ハンス・フォン・ゼークトがヴェッツェルの招きで上海に赴き、経済・軍事に関して蒋介石の上級顧問となった。ゼークトは「日本一国だけを敵とし、他の国とは親善政策を取ること」とも蒋介石に進言し[13] 、「いまもっとも中国がやるべきは、中国軍兵に対して、日本への敵がい心を養うことだ」とも提案した。これをうけて蒋介石は、秘密警察組織である藍衣社による対日敵視政策をとるようになるが、しかし、蒋介石は対日戦よりも対共戦を優先させる。

(Wikiより抜粋)


な?何とドイツが日本を敵にしろと国民党軍に進言してるんだ


これには訳があって、当時ドイツは中国に色々な権益や利権を持っていて、満州を手中にしたり、上海疎開で力を付けてきた日本を中国と離反させたかったんだ


この一点でも、日本が謀略(ぼうりゃく)によって戦争に引きずり込まれた事がわかるだろ?


日本が積極的に中国を『侵略』した訳では無いんだ


だから中国に『進出』したと表現する学者さんが居るんだし、おじちゃんもそれが正解だと思うんだ


基本的には、日本は中国を侵略してはいないんだ



1937年、日中戦争(支那事変)が勃発する。1937年7月7日北京郊外盧溝橋で日中両軍の小規模な衝突が発生した(盧溝橋事件)。共産党は発生の翌日全面交戦を呼掛けたが、現地で停戦協定が結ばれ(7月11日)戦火の拡大は防がれた。しかしながら軍事的な衝突はその後も各地で発生し、終には上海で日中両軍は航空戦を含む全面的な戦闘状態に入った



この『盧溝橋事件』も諸説あるんだけど、おじちゃんは日本軍の記録に残っている、中国側の執拗(しつよう)ないやがらせ砲撃による日本軍の激発だと思うんだ


だって日本軍は中国側の砲撃を我慢して、一旦は撤退しているからね


さらに日本軍側は、中国側の和平提案を受け入れているんだ


しかし中国側はその後も兵力を増やし、日本軍を挑発し続けたんだな


そして戦闘が始まったんだな


さらに中国国民党軍は、アメリカやイギリスに働きかけて、日本との戦争に巻き込んだ


これが後の太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)に成った訳だ


ところで、おじちゃん(正しくは大東亜戦争)といちいち書くのは、日本政府の公式な呼称は太平洋戦争ではなく『大東亜戦争』だから何だよ


太平洋戦争と言う言い方は、アメリカが日本に押し付けた呼称何だよ


それはさておき、中国は特にアメリカで凄まじい反日プロパガンダ(政治宣伝)をしたんたな



国民政府は、米英の物資援助も入れて、精鋭部隊をつぎ込んだ全面戦争を行なった。アメリカは、蒋介石の妻の宋美齢によるフランクリン・ルーズベルト大統領への強い働きかけを受けて「義勇軍」という形を取って1941年から中華民国軍に武器や軍事顧問の派遣などの形で援助を行ったほか、同年12月の日本との開戦後には中国共産党軍にも武器などの軍事支援を行った。



この時にアメリカで反日プロパガンダをやたらめったら繰り返し、アメリカを反日に引き込んだんだが、この場合(アメリカ国民)を反日に引き込んだが正しいとおじちゃんは考えてるんだ


だってアメリカ政府は、既に日本と戦争する気マンマンで、反日プロパガンダをアメリカ政府もしていたからね


だから、中国国民党の行動は、アメリカに大義名分を与えた形になるな


要するに第二次世界大戦中の日本は、世界的な謀略にはめられて戦争に突入したと言う訳だ


な?どこも『侵略戦争』じゃないだろ?


日本が侵略戦争したって言うのは、当時の戦勝国の言い分で、実際は侵略戦争何かしてないんだな


まぁ、アジアを植民地支配していた連合国にしてみれば、植民地に対する日本の『侵略戦争』かも知れないけどな?


実際、アメリカにもどったマッカーサー将軍は、アメリカの連邦議会において、『日本の戦争遂行は自衛の為の行為だった』と証言してる位だからね


今回は日中戦争以前から中国は内戦状態だった事


日中戦争は『侵略戦争』ではない事


アメリカが大東亜戦争を開始した原因の一つが中国の謀略だった事をおぼえておいてほしい


少なくても『侵略戦争』だなどと中国に非難されるいわれはまったくないからな


そして中国は日本に勝ってなどいないぞ?


日本はアメリカに負けたから、中国から撤退しただけだ


全然中国に負けてないばかりか、中国共産党とはほとんど戦っていないんだ


だから第二次世界大戦後に中国の内戦が再開された時に、軍隊を温存した共産党軍に国民党軍が負けたんだよ


な?中国もデタラメばかり言ってるだろ?


じゃあ、今回の学校が教えない歴史はこれまで


また読んでくれよな?





さてどうだったかな?


日本が支那事変(日中戦争)に突入する迄、『清』が崩壊した中国大陸は、各軍属に別れて内戦状態に有ったんだよ


『三国志』や『水滸伝』を知ってる人達なら、中国が歴史的に2千年以上、この様な国家崩壊〜内戦を繰り返して来た歴史が理解出来ると思う


日本は中国を侵略する意図なんて、全く無かったんだよ



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