伊藤博文暗殺事件
さて、今回は『伊藤博文公』暗殺事件を見ていこう
学校では、ハルピンで韓国人活動家の『安重根』により暗殺された程度の事しか習わないのでは無いだろうか?
おじちゃんの頃はこの程度しか教わらなかった
もっとも、『活動家』と言えば聞こえは良いが、日本から見れば要人暗殺のテロリスト以外の何者でも無いよな?
『活動家』とは、実に便利な言葉だ
それはさておき、『安重根』の人物像と事件の概要を見ておこう
>安 重根(日本語読み;あん じゅうこん、朝鮮語読み;アン・ジュングン、朝鮮語表記:안중근、1879年9月2日- 1910年3月26日)は、大韓帝国時代の朝鮮の独立運動家で、前韓国統監の伊藤博文を、1909年10月26日に満州のロシア権益のハルビン駅構内で襲撃して殺害した暗殺者である。ロシア官憲に逮捕されて日本の関東都督府に引き渡され、1910年3月26日に処刑された。
明治42年(1909年)10月10日から15日の間、大東共報社を安重根・禹徳淳(医師)・曹道先の3名が訪問して、伊藤博文暗殺を議論し、活動資金を無心した。※【ロシア人社長ミハイルロップ】は若干の金を渡し]、寄稿文に共感していた編集長李剛により軍資金の100円を借ると、安重根は禹徳淳と1909年10月21日(陰暦9月8日)朝にウラジオストク(浦潮)を出発し、10月22日、ハルビン市(哈爾浜)に到着した。両名はそれぞれブローニング社製のピストル、6連発と7連発を携行していた。途中ボクラニチナーヤで下車して、劉東夏にロシア語通訳として同行を頼んだが、彼には計画は伝えなかった。この日、禹と劉と共にハルビン駅周辺を下見して記念撮影。列車の到着時刻などを確認した。
(中略)
10月26日、伊藤博文公爵は当時枢密院議長(同年6月に韓国統監を退任。後任の統監は曾禰荒助)で、満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するために、外交団を連れてハルビン市に赴き、午前9時、哈爾浜駅に到着した。
(中略)
伊藤らが列になってロシア要人らと握手を交わしていたところに、群衆を装って近づいていた安重根が、ロシア兵の隊列の脇から手を伸ばし、10歩ほどの至近距離から拳銃を発砲した。彼は7連発銃の全弾を乱射した。自伝によれば、安は伊藤の顔を知らず、「顔が黄ばんだ白髭の背の低い老人」を伊藤博文であると思い、その人物に向けて4発[注 29]を発砲した。しかし人違いで失敗したとあっては一大事と考えて、「その後ろにいた人物の中で最も威厳のあった人物」にもさらに3発連射したと言う[24]。ただし事件直後の古谷秘書官の電報では、7連発銃のうち6発が発砲されたと報告されている。
伊藤には3発が命中した。伊藤を先導して前に立っていた哈爾濱総領事の川上俊彦[注 30]は、身を翻した際に銃弾が右腕から腹部に入り重傷を負ったが、この1発と合わせて4発が最初の連射[注 29]であろうか。伊藤のすぐ後ろにいて多くの弾丸を受けた室田義文は奇跡的に軽傷であったが、紳士然としていた室田は伊藤に間違えられた可能性がある。室田を外れた流れ弾が、その後ろにいた宮内大臣秘書官森泰二郎の右腕から肩にかけて通り抜けて軽傷、さらに満鉄総裁の中村是公の衣類、同理事の田中清次郎の右の靴も、それぞれ貫通した。
ロシアの捜査記録によると、最初2連射があって、安重根は3発目を左手を右肘に添えて冷静に狙い撃ったとされる。直後にロシア鉄道警察の署長代理ニキホルホ騎兵大尉が捕えようと飛びかかったが、安はこれを力づくで振り払って、銃撃を続けようとした。
(wikiより抜粋)
と言うのが事件のあらましになる
ここで注目したいのは、ロシア人社長ミハイルロップと言う人物が、事件に絡んでいる事だ
何処までロシア政府が関与していたのか証拠が無い為分からないが、少なくてもロシア人の民間人がこのテロ事件に資金提供していた事に成る
要人暗殺などと言う大それた事件に関与したのだから、相当な覚悟が有ったのか、でなければロシア政府の仲介者では無いのかと想像してしまうよな?
では、事件後の『安重根』の様子を見てみよう
>安はすぐにロシア官憲に逮捕された。停車場の一室に連行される際に、安はロシア語で「コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー!(Корея! Ура! / 韓国万歳)」と大声で三唱して叫んだ。後に供述したところによると、朝鮮語ではなくロシア語を用いたのは「世界の人々に最もわかる言葉を選んだ」ためであったと言う。
安重根は、ピストルのほかに短刀も所持しており、逮捕時に押収された。尋問したロシア国境管区のミレル検事によると、安は最初は非常に興奮した様子だったが、自分の身元や犯行の動機について淡々と供述したと言う。ただしこの時「暗殺は自分一人の意志でやったことで、共謀者はいない」との嘘の供述もした。安は動機を「祖国のために復讐した」とだけ語った。ミレル検事は安の声の調子について「傲慢な声だった」と表現している。連行される際には伊藤は生きていたので、安は暗殺の成否を知らなかったが、この14時間の尋問の最中に伊藤の死亡を知った。安は暗殺成功を神に感謝して、事務室の壁に掛かっていた聖像の前で祈りをささげ、十字を切って「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」と述べた。
裁判中安は日清戦争や日露戦争が東洋平和を維持し韓国の独立をはかるための戦争だったという肯定的な認識を述べ、「伊藤さんのよからぬ政略」がそれを妨げているから「私の思っていることを、直ちに日本の天皇に上奏して」くれるようにと述べて、日韓協約も韓国の独立のための宣言であったという検事の指摘には、「それは信じられません」と答えた。※1【国際公法を知っているかという質問には「全部は知っていませんが、一部は知っています」と答えているが、万国公法の適用を訴えながらも本件がそれに該当しないことを知らなかった。】
安は「日本が韓国に野心があろうがなかろうが、それはどうでもいいことです。東洋の平和ということを眼中に置いて、伊藤さんの政策が誤っていることを憎むのです」述べ、「日本の天皇の宣言は、韓国の独立をはかり東洋平和を維持すると述べておられるのに」※2【伊藤と日本の政治が「この悲惨な事実を言わないで、偽りだけを述べている」ことが伊藤個人を狙った理由であるとした。】韓国皇室については君主制度に問題があるとしながらも、日本が韓国皇太子の教育に尽力したことには「韓国民が非常に感謝」していると述べた。安は日本や天皇に対して一定の敬意を表明していて、日本国や天皇ではなく、伊藤という政治家が個人的に悪いのだということに彼の意見は帰着する。別の日の陳述で、伊藤は韓国の逆賊であるだけでなく日本の大逆賊でもあり、伊藤が孝明天皇を殺したという14番目の理由の説明を口にしかけた時には、過激発言であるとして真鍋裁判長の判断で公聴は途中で中断され、傍聴人には退廷が命じられた。
(wikiより抜粋)
さて、突っ込みどころ満載のコーナーがやってまいりました
まず※1、ろくに国際法知らないで日韓併合を批難している点
しかも国際法上『日韓併合』がまったく問題が無かった点
以前別項で触れた様に、そもそも韓国人組織の『一進会』が日韓併合を希望している点
そして※2,伊藤博文公が日韓併合に反対していた事をまったく知らない点!!
いやまぁ、いかにも直情的なかの国の人物だと思わざるを得ない
では、伊藤博文公が日韓併合に反対していた証拠を見てみよう
>伊藤は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄を急ぐ山縣有朋や桂太郎・寺内正毅ら陸軍軍閥と、しばしば対立した。また、韓国併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取っていた。※【近年発見された伊藤の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて伊藤博文研究の第一人者とされる京都大学教授伊藤之雄は「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた事を裏付けるものだ」としている]。実際に、この文言は「第二次日韓協約」に盛り込まれ、調印された。】
(wikiより抜粋)
な?何処が韓国民を苦しめた極悪人何だ?
頭お○○いにも程があるだろ?
てか、活動家を自称しておきながら、この不勉強さは何なのだと小一時間だよな?
ましてや、リアルタイムの出来事何だから、新聞などにも伊藤博文公の考え(日本政府の方針)は書いてあっただろうに
な?今の韓国人活動家と同じ匂いかするだろ?
不勉強かつ直情決めつけでテロ行為を行う
最近靖国神社に爆弾仕掛けた韓国人テロリストと同じ穴のムジナにしかおじちゃんには見えない
さらに伊藤博文公が、いかに朝鮮(韓国)に対して温情の有る行動を取っていたか、見てみよう
>伊藤は韓国民の素養を認め韓国の国力・自治力が高まることを期待し、文盲率が94%に留まっていた韓国での教育にも力を注いだ。1907年4月14日、韓国に赴任する日本人教師達の前で「徹頭徹尾誠実と親切とをもって児童を教育し裏表があってはならないこと」「宗教は韓国民の自由でありあれこれ評論しないこと」「日本人教師は余暇を用いて韓国語を学ぶこと」を訓諭した。また明治40年(1907年)7月、京城にて新聞記者達の前でも「日本は韓国を合併するの必要なし。韓国は自治を要す。」と演説していた。
(wikiより抜粋)
てな具合で、かなり朝鮮(韓国)に対して温厚な態度を取っていた
しかし、この事件をキッカケに、伊藤博文公は『日韓併合』へと考えを変えていく
>1907年7月に日本がハーグ密使事件の責を負わせて高宗を退位させて、第3次日韓協約を結んで韓国軍を強制的に解散させると、解散命令に服しない韓国軍部隊があちこちで蜂起した。
まぁ、これは韓国人保守派から見れば当たり前の話でおじちゃんも批難する気はさらさら無い
国か独立を失いそうなんだから、武装蜂起する人達がいるのは当然だろう
問題は『ハーグ密使事件』とは何なのかと言う点だ!
>ハーグ密使事件は、1907年(明治40年)に大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の外交権回復を訴えようとするも国際社会の列強から会議への参加を拒絶され、目的を達成することができなかった事件。
韓国統監であった伊藤博文が事件を厳しく追及すると、高宗は子の純宗へ譲位した。同年7月24日に韓国統監の権限強化をうたった第三次日韓協約が締結された。この協約によって、韓国は外交権に加えて内政権も日本に接収されることとなった。
(wikiより抜粋)
と事ここに至るまでにも紆余曲折有るのだが、日本政府にして見れば、日韓併合で朝鮮の莫大な借金を肩代わりしたり日本からの借款(国家間の借金)を帳消しにし、散々日本国民の血税を使って日本国内(主に東北地方)のインフラ整備を遅らせてまで、日本や朝鮮の為の自衛力を強化していたにも関わらず、国際法的にも問題無く、また列強国から異論もぽどんど出なかった日韓併合に対して、これだけ問題を起こされたら当時朝鮮総督だった伊藤博文公が激怒するのも無理は無いと思わないかな?
第一ハーグで密使が追い返されたのも、国際法的にも問題が無く、また列強諸国が日韓併合を認めていたからに他ならない
ましてや朝鮮総督の伊藤博文公は、朝鮮併合に反対していたから、尚更日本国民に対して合わせる顔が無いだろう
朝鮮人(韓国人)が日韓併合に反対して武装蜂起するのは当然の権利だが、朝鮮国王が色々してもらった日本国に対して反逆するのは、いかんせん筋が通らないとおじちゃんは考える
金や技術だけもらって反日を繰り返す、今の中国や韓国と何ら変わらない
な?歴史をキチンと検証すると、韓国という国は今も昔も何も変わっていない事が明らかに成るよな?
果たして『安重根』は英雄と呼んで良い人物なのか?
やはり日本から見た通り『テロリスト』に過ぎないのか?
そして今も昔も何ら変わらない韓国とこのままの状態で国交を行っても良いのか?
次世代の君達こそ、おじちゃんの意見も参考に良く考えて見て欲しいぞ!!
では、今回の学校が教えない『伊藤博文暗殺事件』はこれまで!
また読んでくれよな?
どうだったかな?
おじちゃんが学生の頃は、伊藤博文が朝鮮人(韓国人)に暗殺された事は何一つ教わらなかった
と言うか、伊藤博文が死んだ原因その物を教わる事が無かった
現在はどうなんだろう?
教わって居ないのなら、日本国初代総理大臣『伊藤博文』は朝鮮人(韓国人)のテロによって殺されたのが歴史上の出来事だ!!
そして『伊藤博文』暗殺犯の『安重根』は、現在韓国の【英雄】として韓国の歴史授業で教えている
な?こんな国と『歴史認識』を共有出来る訳が無いだろ?
どんな言い訳をしようが、『要人暗殺』テロリストを【英雄】に祀り上げる事を、正当化出来る訳が無いだろ?
アメリカ国内で言えば、インディアンの酋長を殺したアメリカ軍の司令官は、アメリカ先住インディアンから見れば、どう考えても『要人暗殺』の犯人でしか無い
アメリカ人が英雄扱いしても、インディアンから見れば極悪人に過ぎない
そう言った意味では、蝦夷討伐で殺された『アテルイ』は昔は極悪人の様に扱って居たが、蝦夷討伐を行った『坂上田村麻呂』は英雄とされていた
おじちゃんは蝦夷の子孫(先祖代々東北の生まれ)だから、坂上田村麻呂を英雄とは思えない
東北の人間からすれば、『アテルイ』こそ英雄何だよ?
更に『伊達政宗』は名古屋周辺(豊富秀吉)の人達からは割りと嫌われる戦国武将だが(豊富秀吉とたいそう仲が悪かった)、宮城県の人からすれば、英雄中の英雄だ!
余談になるが伊達政宗の正室(お嫁さん)は坂上田村麻呂の直系の子孫で有る『愛姫』だ!
この様に日本国内でも、その地域や研究者によって、英雄だったり悪人だったりする訳だよ?
ましてや何でそれで外国人と『歴史認識』が合わせられる訳が有るのかな?
こんな国内の歴史認識のズレは、世界中に有るんだぞ?
イギリスのスコットランドとグレートブリテンは、歴史認識は全然違うしな?
と言う訳で、中国や韓国が幾ら騒ぎ立て様が、『歴史認識』を合わせる事など不可能何だよ?
それを中国や韓国がゴリ押しするのは、日本が悪いと言う歴史認識を、日本人に植え付けて固定化したいと言う【謀略】からで有り、一種の言論統制や言論弾圧に過ぎない!!
『歴史認識の統一』などと言うのは、『ヘイトスピーチが〜!!』と同じ様な言論弾圧や言論統制に過ぎない事を今回は覚えておいて欲しいぞ?