荒ぶるケルベロス
長い金色の髪を翻しながら、ロンドは宝石のような碧眼でリョウを見据えた。目つきは悪いが、敵意は感じない。だが碧い瞳は、まるでリョウを値踏みするかのような視線を送ってきている。
何よりもロンドの顔からは、およそ表情と呼べるものが貼りついていなかった。目も鼻も口も、まるで顔にくっついているだけの、出来のいい偽物のように感じる。
再び甲高い音が響いた。雪緒が二発目を撃ったのだろう。先ほどと同様、ロンドの張った球状のバリアーに阻まれる。ロンドは自らの防御スキルに絶対の自信を持っているのか、攻撃が来たというのに、リョウから目を逸らそうともしなかった。
「……実力は、あるみたいだな」
見ただけで、ロンドにはある程度力量を測ることができるようだった。一応褒められたのだが、今は浮かれている場合ではない。
「どうして、あなたは此処へ?」
「あたしが呼んだのよ。昨日の夜にメールで」
リョウの問いに、背後にいたバステットが答えた。ロンドの『イージスフィア』を盾にしているのだろう、彼女はその場から動かずに、顔だけを覗かせる。
「そこのはぐれ悪魔の言う通りだ。先日、連絡もなしに会合に参加しなかったことを詫びよう」
ロンドは丁寧に頭を下げた。機械的な動きだった。見た目の礼儀こそ正しいが、感情が込められているようには思えない。
「いえ、わざわざ謝っていただかなくても……」
「あたしも謝るー。メンゴメンゴ」
「……」
「だが、一つ言っておくことがある」
リョウと同様、バステットを無視してロンドが口を開く。
一瞬にして、彼の手の中にVWが握られる。
ロンドの得物は、二メートルはあろうかという長さの槍であった。金色の柄から、曲線的なフォルムを描いた複雑な形の銀の穂先が伸びている。まるで芸術家の作った前衛的なオブジェのようだが、その槍が悪魔を貫くイメージが容易に想像できた。
槍の名はロイヤル・ガロスト。手にしているだけで天界寄りの力を得ることができ、特に悪魔に対して絶大な威力を発揮する。
「お前に、俺を含む三人を統率することは不可能だ。現にこうして、仲間割れを起こしているのだからな」
ロンドは槍の矛先をリョウに向けながら告げた。穂先がイージスフィアをすり抜けているが、報告書によれば、何を通し何を阻むかはロンドが決めることができる。
また一撃。雪緒の弾がイージスフィアにぶつかった。が、今度は少しだけ音に変化があった。
「……?」
見れば、弾丸はバリアーを貫いてはいないものの、罅を入れたまま食い込んでいる。今までの狙撃よりも威力が上がっている。雪緒もまた、攻撃用のスキルを用いているのかもしれない。
「少しは、やるようだな」
ロンドはリョウから百八十度視線を移した。遙か遠方に臨む、雪緒を見ているのだろうか。
リョウは、黙っていることしかできなかった。
――僕だって、無理矢理リーダーにさせられただけだ。
そう言い返すこともできた。彼女らは、こちらが何もしていないのに突然戦い始めただけだ。
だが、そう言えば三人がどうなるかわからない。首を突っ込んでしまった以上、見て見ぬふりをしてやり過ごすわけにはいかない。自分で自分を裏切ることなど、真っ直ぐな性格のリョウにはできなかった。
しかし同時に、ロンドが飛び立っていくのを止めることもできなかった。恐らく雪緒のいる場所へ向かったのだろう。そこでもまた、戦いが始まるだろう。わかっているのに、止められなかった。
「あーあ、嫌われちゃったねー。あたし知ーらないっと」
怪我を負っているはずのバステットが、けろりとした足取りで歩いていく。
「じゃ、任務があったらまたその時ねー。あたしに殺されないように気をつけてちょ」
人間よりも遥かに長い年月を生きているとは思えないほど屈託のない笑みを浮かべて、バステットは屋上から去っていった。
一人残されたリョウは、しばらく動く気力も持てずに立ち尽くしていた。
これからどうなるのか、全く先が見えない。"協調性に欠ける三人"は、今もどこかで行われている天魔の侵攻よりも重く圧し掛かってきている。
今までは、「これからどうするべきか」という指針が、なんとなく見えていたはずなのに。それを示す羅針盤が、頭の中でくるくると回り続けたまま加速している。
仲間であるはずの三人は、それぞれが別の方向を向いて互いに手綱を引っ張り合っている。まるで仲の悪いケルベロスだと、リョウはその光景を想像してくすりと笑った。そんな状況ではないのだが、笑いでもしなければ心が折れそうだった。
完全に立ち直れなくなる前に、リョウは携帯を開いた。
昨日ふいにしてしまった約束の埋め合わせをするために、友人に電話をかけた。
本当は、愚痴を聞いてもらいたいだけだ。
突然屋上に現れた天使――報告書によれば、名はロンド。防御系のスキルを持っている。
そのロンドが、こちらに向かって飛行している。速い。薄緑色の光に包まれているということは、バリアーを張ったままだ。
雪緒は即座の判断で、近接戦闘への移行を決断した。二丁のスナイパーライフルから、肩当て(ショルダーストック)を取り外す。よく見るとショルダーストックには切れ込みが入っており、雪緒が勢いよく振るうと、切れ込みが開き、ストックが展開した。
展開したショルダーストックは、一対のトンファーへと姿を変えた。これが彼女の本来のVW――スパイラル・オルトロスである。スナイパーライフルそのものは、弾丸の形をしたVWを飛ばすためだけの器に過ぎない。
雪緒は自らのいる場所を確認する。久遠ヶ原学園中等部の屋上にある、貯水タンクの上だ。ここで戦うのは、被害が拡大する恐れがある。すぐさま、コンクリートの床へと降り立ち、ロンドを待つ。
気配は、とてつもない速さで近づいてきている。雪緒は両手に構えた漆黒のトンファーを、素早く回転させた。
やがて、空を切り裂くような音と風圧を伴い、ロンドが目の前に現れた。手には金色の槍が握られている。それだけで、雪緒は敵意があると判断した。
先手必勝――雪緒の動きは、ロンドの移動速度を上回る勢いだった。一瞬で間合いを詰めて、独楽のように回転しているトンファーでバリアー――イージスフィアを攻撃する。
回転するトンファーは、接触した先からロンドのイージスフィアを引き剥がしていく。まるで竜巻が、巻き込んだ物を吹き飛ばしていくかのように。
「!?」
ロンドが目を瞠った頃には、雪緒が更に一歩踏み込むに十分な風穴が、イージスフィアに穿たれていた。彼女の足に、迷いはない。
そこから更にもう片方のトンファーが振るわれ、ロンドへと肉迫する。
「獲った!」
防御系スキルの持ち主は、その力を頼りすぎる傾向にある。その驕りは、力の強さに比例する――少なくとも雪緒は、ロンドにもそれが当てはまると思っていた。思った時点で、それが油断に直結する。
「愚かな……」
攻撃が通っていれば、顔面が切り裂かれていたはずのロンドが溜息を吐いた。
複雑な形状をしたロイヤル・ガロストの穂先が、雪緒のトンファーを絡め取っている。動きの止まったトンファーからは、風も何も生まれない。
「あっ――」
ロンドはぐん、と絡め取ったトンファーを、雪緒を引き寄せた。同時に、槍のもう片方の先で彼女の足を払う。
天地は――否、雪緒は一瞬で上下をひっくり返され、頭を床に強く打ちつけた。
すぐさま立ち上がろうとする彼女の背中に、ロンドは槍の矛先を据える。少しでも動こうとすれば、雪緒は自ら槍に突き刺さる羽目になる。
「己の力を過信するから、文字通り足元を掬われることになる」
「ちっ」
雪緒は首だけを動かして、ロンドを睨みつける。見下す彼の眼差しには、侮蔑はおろか一切の感情が込められていない。
「亜麻月雪緒だな。次会うときは、共に戦う者同士だ。邪魔だけはするなよ」
「貴様……!」
「悔しいのか? 俺にはわからぬ。その感情とやらが、お前を強くするのか?」
言葉の意味だけが、容赦なく雪緒に降り注ぐ。無慈悲でもなければ、諭しているわけでもない。機械が、打ち込まれた言葉をそのまま再生しているかのような響きだった。感情を伴わないが故に、直接心に突き刺さる。
「少なくとも、お前の持つ感情はお前を先走らせているだけだ。感情と力に振り回された結果、お前は床に這いつくばっている」
「黙れ! 次は必ず、殺してやる」
「…………下らん」
「うあぁっ!」
雪緒は突然、何かに弾かれたように床を転がった。
ロンドが、イージスフィアを発動したのだ。球状のバリアーが膨らみ、彼女を拒絶したにすぎない。
「くそっ……くそっ……!」
仰向けになったまま、雪緒は力なくコンクリートの床を叩いた。
完膚なきまでの敗北の味に、思わず涙が出てくる。ロンドの行為一つ一つに、圧倒的な力の差を見せつけられたような気がする。無論感情の乏しい彼には、そんなつもりなどないのだろう。だからこそ余計に、意味を勘繰ってしまう。
新しいチームに配属され、しかもそこには天使と悪魔が一人ずついる。この話を聞かされたとき、なんという運命の巡り会わせだと喜んだことだろう。覚醒したアウルの力が、天魔を殺す機会を与えたのだと、雪緒は確信した。
だというのに、何故自分は無様に屋上に倒れているのだろうか。ロンドの言う通り、あまりにも愚かしい。
しかし、誰に何を言われようとも、雪緒の芯は砕けない。ぶれることもない。
アウルの力は、天魔を殺そうと決意し、実行した瞬間に覚醒したのだ。
「これしか、ないのよ……」
偶然でも構わない。何故なら、そこに意味を見出すのは自分以外の何者でもないのだから。
「私には、これしかないのよ」
天魔を殺す。
それだけが、その覚悟だけが、彼女を奮い立たせた。