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四匹の狼(クアトロス・フォース)~ELYSION~  作者: 饂飩粉
第一章:ケルベロスを飼い慣らせ!?
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バステット・ペイルマリー


 昼休みまで、リョウは気が気じゃなかった。珍しく授業に集中することができず、ノートに走らせるシャーペンの芯を何度も折ってしまった。

 何かの視線を感じるのも、彼の集中を削いでいる。その視線からは敵意も何も感じない。だが、どこからかじっとこちらを見つめているのだ。どちらか一方のことを考えないようにすれば、もう片方が頭の中を支配してしまう。

「……で、あるからして、これにより撃退士は……」

 また、リョウは教師の言葉を聞き損ねた。ノートは断続的に空欄ができてしまっている。そして気がつけばまた、昨夜はぐれ悪魔のバステットからきたメールのことを考えている。

 大学の校舎には、まだ一度も行ったことがない。何度か大学生の撃退士と組んで戦ったことはあるが、その際はチームのリーダーが大学生だったので、リョウは作戦通りの働きをしただけだ。たとえ知り合いがいても、周りが全員年上という環境は想像するだけで緊張してしまう。

 おまけにリョウは高等部の制服を身につけているので、周囲の視線を集めることだろう。チームのリーダーとして活動することはできても、わざわざ他人に注目されたいとは思っていない。

 しかし、バステットに会えるチャンスは、もうこの時しかないとリョウは考えていた。何よりもまず、彼女の信頼を損ねてはいけない。たとえこのメールが気まぐれであったとしても、書かれていることに偽りがあったとしても、それらを確かめることを怠ってはいけない。

 四時限目終了のチャイムが鳴ると同時に、リョウは教室から飛び出した。

 撃退士は、アウルの力を使わずとも常人を遥かに凌駕する身体能力を持っている。全力を出さずとも、全ての競技においてオリンピック選手並の記録を叩きだすことができるだろう。何故アウルに覚醒した者の身体能力が向上するのかは未だにわかっていないが、リョウは"アウルの力を発揮できるように肉体が進化した"という自論を持っている。誰にも言ったことはないが、大学ではそれをテーマに論文を書くつもりでいた。

 リョウは全速力で高等部の校舎を後にし、風のように走った。

 しかし、いずれ論文を発表する場となる大学部の校舎を前にして、その足は止まった。大学の構内を走るのが恥ずかしくなったのではない。校舎が幾つも存在するのだ。

(屋上って、何号館のだ?)

 とリョウが思った矢先に、制服のポケットに入れていた携帯が振動した。授業中はマナーモードにしていたのが、そのままであった。着信だ。リョウは誰からのものかも確認せずに通話ボタンを押し耳元に当てる。

「はい、リョウ・イツクシマですが」

「あ、もっしー? あたしバステットだよ聞こえてる?」

「き、聞こえてます聞こえてます!」

 なんと電話してきたのは、バステット本人だった。メールの文面とテンションがそっくりだったので、リョウはすぐに彼女だと確信した。

「今丁度ね、君っぽい子が校舎の前に来たからさー。あたし四号館の屋上にいるからね。校門からまっすぐ進んで、一号館の中通り抜けたら左だよ」 

「は、はい」

 通話を保ったまま、言われた通りにリョウは進んでいく。一号館を抜け、向かって左側の建物の屋上から、誰かが手を振っていた。

「こっちー」

(い、今までどうやって確認してたんだろう……)

 リョウもとりあえず手を挙げてそれに応じる。周囲の視線が集まっているのが、嫌でもわかった。

 彼が先ほどまでいた校門前からは、四号館など全く見えなかった。

 ふと気がつくと、授業中から感じていた視線の気配がなくなっていた。いつの間に消えたのか、無我夢中で走っていたリョウにはわからない。

 屋上にいるバステットが手招きしている。昼休みは一時間しかないので、リョウはさほど目立たないように駆け足で四号館へ向かった。


 屋上は打ちっぱなしのコンクリートを、高さ一五〇センチほどの鉄柵が囲んでいるだけの味気ない場所だった。

 四号館自体は久遠ヶ原学園開校時から存在していたものなので、建物としても相当古い部類に入る。故に、生徒に屋上を開放するつもりで建てられてはいないのだろう。辺りを見回すと、比較的新しめの外観をした建物の屋上には芝生が生えていたり、休憩用のベンチが設置されている。

 よって、こんな殺風景な屋上はほとんどの生徒が利用しない空間となっている。

「お、早いねー。ま、撃退士なら当然か」

 だから屋上には、褐色の肌をした女性が一人だけ立っていた。フェンスにもたれかかりながら、手をひらひらとさせている。

 女性にしては背が高く、リョウと同じくらいある。肩に触れない程度まで伸びたショートヘアは炎の様に刺々しく、血の様に濃い赤色に染まっている。三日月の形を作る口元から、八重歯が覗いていた。外見年齢(天魔は人間よりもずっと寿命が長く、見た目と本来の年齢が噛みあっていないことがほとんどだ)は二十歳前後だろうか。

「初めまして。バステット・ペイルマリーよ」

 顔は朗らかに笑っているものの、リョウは素直に彼女へ近づくことができなかった。

 バステットの瞳は、雪緒とは違う鋭さを持っていた。雪緒の目つきは、細く鋭い刃物のような近寄りがたさを持っている。対してバステットは、獣のような獰猛さを秘めていた。まるでリョウのことを、草食動物か何かだと思っているかのような視線に、思わず射すくめられてしまう。

「お、警戒してくれてるの? そのまま近づいてきたら一発殴ってやろうかと思ってたのに」

 バステットは心の底から笑い声を上げた。何が楽しいのか、リョウにはさっぱりわからない。

 彼女の笑いが収まった頃を見計らって、リョウは距離を保ちつつ声をかけた。

「ところであの、今日はどうして僕を呼んだんですか?」

「んー、特に理由はないかにゃ」

 バステットは人差し指を顎に当てて、堂々とおどけてみせる。小首を傾げる動作は可愛らしいが、文字通り猫を被っているのは恐らく誰の目から見ても明らかだ。

「はい?」

 リョウは思わず聞き返した。

「無警戒の日和見主義だったらボコボコにしてやろうと思ってたけど、そうでもないみたいだし。あと勝手に会いに来られたらウザいしー。うん、つまり顔合わせってことで!」

「……」

 バステットがその場の思いつきで言葉を口にしているのは、リョウにも理解できる。かといって、それを指摘するわけにもいかない。

 彼女はリョウのことを無警戒でないと言ったが、リョウはその逆だと感じた。彼女こそ、常に周囲を警戒している者の目をしている。彼女はそれを、態度や言動からおくびにも出さない。代わりに、瞳――瞳孔だけがギラギラと研ぎ澄まされているのだ。

「だからねー、今日はもう帰って――」

 バステットは急に口を閉ざした。言葉の後を継いで、光纏が彼女を包む。バステットの光纏は、黒い炎のように揺らめきながら両手にのみ宿っていた。

 彼女が急に臨戦態勢に入った理由は、リョウにもわかった。

(あの時感じた視線が、また……!)

 授業中、ずっと彼のことを見ていたと思しき何者かの視線。それが今、再びリョウを――正確にはこの屋上にいる二人を見ている。

 いつの間にかバステットの手にはヒヒイロノカネが握られており、リョウが(まばた)きした刹那の間にVWを展開していた。

 リョウには、彼女のVWの正体が一瞬何であるのかわからなかった。だが、即座に報告書の記載を思い出す。

 よく見ると、黒い炎を纏った彼女の両手の指から、鈍色の爪が生えている。指の第一関節に、指輪のようにして嵌めるタイプの特殊金属製の爪だ。装着者の力やアウルをダイレクトに反映させる、超至近距離用のVW――マンダリン・レイヴンという名を持つ、バステット愛用の武器だ。

「誰かなあ、あたし達のこと覗き見してるのは」

 一本一本が嘴のように鋭い金属爪を擦り合わせながら、バステットはどこか楽しげに呟く。

 周囲に警戒を払っているのは、彼女が戦いを避けたいと思っているからではない。リョウは報告書の内容を思い出す。

 非常に好戦的な彼女は、常に戦いや殺戮を求めているのだ。

 そして今、彼女の仕掛けた網に獲物がかかった。バステットも恐らく感じているであろう視線だ。

 雪緒と違って、バステットの戦いには見境がないのだという。ここが人気のない屋上であることが、リョウを少しだけ安堵させた――自分だけがその場に巻き込まれてしまっているわけだが。

 これから、何かが起こる。少なくとも、リョウにとっては望ましくない何かが。頭の隅が、次の授業に間に合うかどうかという場違いな心配をしている。

「……」

 しかし、バステットは光纏を――アウルの活性化を解除した。

 一瞬、森の中で風が止んだかのように、彼女の警戒体制が沈黙する。

「!?」

 ほぼ同時に、バステットはいきなり跳んだ。

 否、何かに吹き飛ばされた。アウルを活性化させていないリョウの反応速度を凌駕した何かが、バステットを襲ったのだ。

 バステットが受け身も取らずに、コンクリートの床に倒れた。どさり、という音がなければ、時が止まっているのかと錯覚しているだろう。そんな静寂の中に、リョウは立たされていた。

 彼の頭は、目まぐるしく回転していた。バステットが警戒を解いた隙を突いて、何かが起こった。

 その何かについて、リョウには思い当たる節がある。

 雪緒だ。彼女のジョブはバハムートテイマーであり、VWはスナイパーライフル。彼女がセフィラ・ビーストのヒリュウを召喚し、超長距離からの狙撃を行ったのだとすれば、この場で起こったことを難なく説明できる。

(僕のことを、ヒリュウに尾行させたのか……)

 授業中からずっとリョウのことを見ていたのは、ヒリュウであり雪緒だったのだ。

 そして、自分が残る二人のどちらかと出会う機会を遠くで窺っていたのだろうと、リョウは結論付ける。あまり信じたくはないが、それ以外に何も浮かばないのだからどうしようもない。

 ヒリュウは召喚した撃退士と視界を共有することができる。雪緒のスナイパーライフルにスコープがついていなかったのは、ヒリュウがその代替機能を果たしているからだろう。

 その思惑は見事に的中し、雪緒はさらに狙撃をも成功させた。

 バステットは、ぴくりとも動かない。

 リョウは決心して、彼女の容態を確かめようと足を踏み出した。雪緒には見られているだろうが、たとえバステットがはぐれ悪魔だとしても今は同じ撃退士だ。放っておくわけにはいかない。

 が、彼の後ろからするりと前に出ていくものがあった。ヒリュウだ。生まれて間もないドラゴンのような姿をしたセフィラ・ビーストであり、雪緒の"目"である。

 ヒリュウは空中を蝶のように音もなく漂いながら、倒れているバステットへと近づいていく。

 雪緒もまた、生死を確認したいのだろう。リョウはそれを察して、足を止めた。リョウの前方へと出てきたヒリュウの背中を見送る。

 と、リョウとバステットの中間に差しかかかったとき、ヒリュウの動きがぴたりと止まった。

「っ――」

 ヒリュウの体を、鋭く細長い何かが貫いていた。すぐにそれが、バステットの指であると気づいた。

 何故なら彼女は、いつの間にかヒリュウの行く手を阻むようにして立っていたからだ。

 ヒリュウが彼女の指から逃れようともがいている。しかし、バステットはヒリュウを貫いている中指を曲げてそれを阻む。

 指に嵌められたマンダリン・レイヴンから、アウルの残滓が血のように滴っている。

「返すよ、これ」

 彼女のもう片方の手には、銃弾が握られていた。それをヒリュウに見せつけるように、床へと落とす。

「ほんの少しでも反応が遅れてたら、アタシ死んでたわー」

 そう言って狂気の笑みを浮かべるバステットの額には、小さい痣のような傷ができていた。

「知ってるよ、アンタのこと。バハムートテイマー、亜麻月雪緒」

 その獰猛な瞳でヒリュウを睨みつけたまま、バステットはマンダリン・レイヴンを引き抜いた。

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