メールと電話
雪緒と無言で団子を嗜み、彼女と別れた後、リョウは帰路についた。
時刻は午後五時半。キャンセルした約束の時間には、結果的に間に合う形となってしまったが、リョウはそれどころではなかった。
正直、気が重い。雪緒との無言団子だけが原因ではない。撃退士として、これからの日々が重いのだ。
結局、残る堕天使とはぐれ悪魔の撃退士は来なかった。最初から仲間同士が衝突することは避けられたものの(正直、報告書を読んだ時点で彼らが衝突することは目に見えていた)、そもそもあの場に彼らが来なかったという点が既に問題なのだ。
別に正当な理由があればいいのだが、単に「チームを組みたくないから」という理由だと非常に厄介なことになる。顔合わせもせずに拒否されたということは、説得に応じてくれる可能性も低い。
そうなれば四人のチームそのものが解散になる――確かにその可能性はあるかもしれない。だが、それで元通りの生活が待っているのはリョウだけだ。他の三人はそうもいきそうにない。
"協調性に欠ける三人"は、この先天魔やそのしもべが現れても戦いに赴けないかもしれないのだ。チームを組めず、実力を認められる機会が得られなければ、久遠ヶ原学園にいても意味がなくなってしまう――要は、"干されてしまう"。
リョウはそのことだけが気がかりだった。いっそ、彼らのことなど知らずに学園生活を送っていければ良かったと思うほどに。
しかし、知ってしまった以上放っておくわけにはいかなかった。仲間を思いやり、常に気をかける――それはリョウが常に心がけているものではない。ただ単に、そうせずにはいられない性格の元に生まれたにすぎない。だから、「見捨てろ」「忘れろ」と言われてもはいそうですかというわけにはいかないのだ。
リョウは学生寮の自室に戻ってからも、ずっとそのことばかりを考えていた。
頭を切り替えようとしても、不安は煙のように彼の周囲に立ち込めて視界を奪ってしまう。
そうやって自分自身の抱く悩みの種と向き合って、改めて思うことがある。
(僕の考えていることは、迷惑にならないのだろうか)
リョウ自身は、こうなった以上彼ら三人とチームを組み、上手くやっていきたいと考えている。そのためには、努力を惜しまないつもりだ。
だが、それを他の三人は押しつけがましいと思うのではないか?
「どうなんだろう、ね……」
リョウは、まるで誰かに語りかけるようにそう漏らした。
気づけば夜になっていた。出動要請のかからない日は、大抵考え事をして過ごしてしまう。
リョウの携帯にメールが届いたのは、午前三時のことだった。
突如鳴り響いた着信音に、リョウはそれまで見ていた夢の内容まで吹き飛んでしまった。
(誰だ、こんな非常識な時間に!)
これにはさすがのリョウも腹が立った。眠りを妨げられることに怒りを覚えない者はいない。
よほど緊急の用でもない限りは、戒めておかなければなるまいと携帯を開く。
件名はなく、差出人の欄にはメールアドレスが表示されていた。電話帳には登録されていない人物である。
だが、そのアドレスにリョウは見覚えがあった。ごく最近、目にした記憶がある。
はっとなって、リョウは鞄の中にしまっていた調査報告書を取り出した。彼の記憶は正しかった。調査報告書には、三人の連絡先まで記されている。
非常識な時間にメールを送ってきたのは、はぐれ悪魔だ。
『やっほーちゃんと届いてる?
アンタはリョウ・イツクシマ? あたしはバステットだよー♪
今日は顔合わせにいけなくてごめんねー明日のお昼は大学部校舎の本館屋上で待ってるにゃ』
「…………」
妙なテンションのメールを読み終え、リョウは激しく脱力した。
わざわざこんな時間にメールしてきたのは何故か、明日の朝ではだめだったのか、そもそも日中に断りのメールでも寄越してくれればよかったのに……言いたいことは山ほどあったが、とても返信する気にはなれなかった。
それ以上に、リョウには気がかりなことがあった。報告書の内容と、日中の顔合わせに来なかったことから、彼女――はぐれ悪魔がこうも簡単に会うことを許してくれるとは思わなかったのだ。
はぐれ悪魔の名は、バステット・ペイルマリー。
報告書には、同じ陣営の悪魔からの不意討ちに遭い、瀕死の重傷を負ったところで久遠ヶ原学園に保護を頼んだのだという。悪魔の世界では、常に勢力や権力を内輪で争っているらしく、悪魔同士の対立や殺し合いが後を絶たないという。彼女も、そういった抗争で敗北したのだろう。
その経験があったためか、撃退士として活動するバステットは決して同じチームの撃退士を信用しなかったし、信頼に応えなかった。
実力があるため、ほとんど彼女のワンマンプレーで戦いが終わることがほとんどだという。
バステットは、近接格闘に特化した"阿修羅"というジョブに就いており、戦闘においてはその高い攻撃力を存分に発揮する。
しかし、あまりに破壊的すぎる彼女の攻撃の余波に仲間が巻き込まれたことも少なくない。それは決して、戦いのせいで周りが見えなくなっているというわけではない。ただ単に、自分の力を制御するつもりがないだけなのだ。バステットは周囲の状況を正確に把握しながらも、仲間の有無を自分の計算に組み込まない。そうした事実に基づく噂が広まった結果、"協調性に欠ける撃退士"とのレッテルを貼られてしまったらしい。
報告書を読む限りでは、とてもこちらに友好的なアプローチをしてくるとは思えないのだ。
正直、リョウは不安だった。何か企みがあるとしか思えない。
幸か不幸か、明日――日付では今日の昼休みは特に予定がない。
(行くだけ、行ってみようか)
大きな欠伸をしたリョウは、返信をせずにそのまま枕に顔を押し付けるようにして眠り込んだ。
リョウの携帯に着信が入ったのは、午前六時のことだった。
目覚まし時計よりも三十分早く起こされたリョウは、もう憤ることもなかった。ほとんど何も考えずに電話に出る。
「はい、リョウ・イツクシマですが……」
「もしかして、今起きたばかりなの?」
「…………えっ、亜麻月さん?」
携帯越しに聞こえたのは、ひどく淡々とした雪緒の声だった。リョウの頭が急速に回転していく。というのも、彼女の声だけであの鋭い眼差しを思い出してしまうからだ。
「雪緒でいいわ。亜麻月って苗字、呼びにくいでしょ?」
「え、あ、そんなことは……」
「それに、雪緒って名前が気に入ってるの。パパとママから貰った、最初の贈り物だから」
「じゃあ、ええと……雪緒、さん」
「何?」
「あ、ごめん。呼んだだけ」
「そう」
どうも彼女とのコミュニケーションは調子が狂う。リョウは携帯を耳と肩で器用に挟みながら、寝間着から制服に着替えた。
リョウの住む学生寮の部屋は和室のワンルームで、必要最低限のものしか置かれていない。整頓されているというより、物の絶対数が少ないのだ。
壁の一角に埋め込まれたクローゼットに全ての衣類は収納できるし、布団は窓の外に取り付けられた転落防止用のフェンスに干すことができる。シャワーとトイレは別室だが、どちらも狭い。
家具は背の低いテーブルと座布団が二枚。テーブルの上には普段から使っている鞄とノートパソコンが置いてある。玄関横にガスコンロとシンク、冷蔵庫が並んでいる。洗濯機や風呂は、寮の近くに銭湯とk\コインランドリーがあるのでそこを利用する。本棚は図書館で事足りるし、TV番組に興味はない。
「ところで、聞きたいことがあるんだけど」
換気扇の近くに吊るしてある朝食用のバナナの一房を口に含んだところで、雪緒が切り出した。彼女の口調は――本人にその自覚はないようだが――まるで問い詰められているかのような気分になり、勝手に緊張してしまう。
「な、何かな?」
「昨日、私と別れた後、他の二人から連絡はあった?」
「!?」
リョウは咥えたままだったバナナを思わず飲み込んだ。
確かに、昨日顔合わせに来なかった二人が、チームのリーダーとされたリョウに連絡を入れる可能性はある。普通なら、そんなごく僅かな可能性のために朝早くから電話をしてくるはずはない。
しかし雪緒は電話してきた。ごく僅かな、一縷の望みを伝ってでも、憎悪する天魔に報いを受けさせたいのだろうか。
どう答えるべきか迷っているうちに、雪緒が溜息を吐いたのが聞こえてきた。
「その様子だと、どうやら来たようね。今日顔合わせするつもり?」
「えっと、それは」
「私も一緒に行ってもいいかしら?」
有無を言わさない口調だった。状況が状況でなければ、あまり色恋沙汰と縁がない人生を送ってきた(いつも"いい人"止まり)リョウにとっては願ってもない誘いなのだが……。
「ごめん、今回は僕一人で行くよ。向こうも僕だけが来ると思ってるだろうし」
「……そう、そうなの。残念ね」
彼女の「残念」とは、恐らく「天魔を殺す機会を得られなくて残念」なのだろう。天魔に対する憎悪を、見せびらかすことも、ひた隠すこともしない彼女の態度に、リョウは苦笑いするしかなかった。
リョウはシャワールームにある洗面台で顔を洗った。携帯は一旦手元に置いたが、通話は切らないでいた。
洗顔を終えても、通話は切られていない。が、雪緒がその間に喋った様子はなかった。
これ以上沈黙を続けていると、昨日のだんご屋の二の舞になりかねない。そう思ったリョウは深呼吸して、頭の中で口実をこねくり出す。
「僕、そろそろ学校行くんだけど、そろそろ電話切ってもいいかな?」
言いながら、リョウは「学校行くからって通話を切る理由にはならないな」と心の中で自嘲した。
普段より三十分早く起きたため、何もかもが三十分早く進んでいる。このままだと学校で三十分暇を持て余すことになるが、雪緒と共に沈黙し続けるよりはずっとましだ。
「あら、早いのね」
「遅刻だけはしたくないから。それじゃ」
半ば逃げるように、リョウは通話を終了させた。肩の荷が下りたようで、罪悪感はしつこい汚れのように心の隅に残った。
言ったからには、学校に行かねばなるまい。それがリョウの、せめてもの償いだった。たまには教室で眠ってみるのも悪くない。
自室を後にし、リョウは学生寮を出た。
そこで、止まった。
黒い着物に白い帯、裾から覗くコンバットブーツ。そんな恰好をした女子生徒が、リョウを待ち構えていた。
「リョウ、折角だから一緒に行きましょう」
「…………うん、いいよ」
もしかすると、今日一日彼女と一緒にいなくてはいけないのかもしれない。そう考えただけで、リョウの視界は憂鬱一色に埋め尽くされた。断ることなど、リョウができるはずもない。