決定事項
リョウは高校生だ。学生の身分である以上、当然学校に通い授業を受けなければならない。
彼のいる教室では、日本史の授業が行われている。教壇に立った教師が、天魔による侵略について話している。小学校、中学校に続いて、その話を一から聞かされるのはもう三度目になる。
教室内では机に突っ伏している生徒が半分、密かに携帯電話やゲーム機を弄っている者がその半分。残りは早弁か、小さな声で雑談に興じている。
しかしリョウだけは、教師の板書をノートに写しながら、その話に耳を傾けていた。
正確な時期はわからないが、人類の住む世界とは違う次元において天使と悪魔の戦争が勃発した。
長く続く戦いが膠着状態に陥ったことにより、両陣営は並行世界を行き来する"ゲート"を用いて、此処地球に住む人類から力を蓄えようと目論んだ。
天使は人の感情を、悪魔は人の魂を、それぞれ作成した"ゲート"によって吸収し、力を得ることができる。その発端とされる集団失踪事件が世界各地で頻発したのが、一九八五年のことである。
それから一年ほど経ってから、人類は"ゲート"を発見(正確には、ゲートの目撃者が生還)し天使と悪魔による侵略行為を受けていることを理解した。
その頃から一部の人間が、後にアウルと呼ばれるようになる力に目覚め始める。物理的な攻撃が一切通用しない天魔に、唯一対抗しうる力だ。古くから、超能力などと呼ばれていたものの一部もアウルだとされている。
アウルに目覚めた者が加速的に増加していった原因は諸説あるが、並行世界――つまり天魔達による人類への干渉というのが一番有力な説とされている。
それから一〇年ほどの歳月をかけて、アウルの力を行使する者達は撃退士と呼称されるようになり、国際会議は撃退士の育成が必要だという見解で一致した。
各地に撃退士養成施設が建てられ、それらはやがて一つに吸収合併されていった。そして二〇〇二年、現在の久遠ヶ原学園の前身となる、久遠ヶ原撃退士養成学園が誕生した。
正式に久遠ヶ原学園として開校したのは二〇〇七年のことであり、この辺りは大学に進学してからより詳しく勉強できるらしい。
リョウは、教師の話が一段落したところで、窓の外を眺めた。水平線を作る空と海の、雄大な風景には、天魔との壮絶な戦いすら忘れさせるほどの魅力があった。
此処久遠ヶ原学園は、茨城県を臨む太平洋にぽつりと浮かぶ島に建っている。というより、その島一つが丸ごと久遠ヶ原学園である。小、中、高、大学という教育機関を備えた幾つかの巨大な施設の他にも、居住用のマンションや学生寮、雑貨屋、飲食店、呉服店等のブランドショップ、喫茶店からラーメン屋に至るまで数多くの店が軒を連ねている。
島一つが、小さな国を形成しているといっても過言ではない。次々に新しい店が建ち、続々と増える撃退士達に合わせて学生寮も増え、今では学園全体を把握している者は誰もいないという。
久遠ヶ原学園の特徴の一つでもある、"学園生徒会による完全自治"の弊害が、見渡す限りの街並みに如実に表れているのだ。
しかし、定められた厳しいトレーニングや訓練を平等にこなすよりも、撃退士達の自主性に任せた方が結果的に好成績を残すことが分かった以上、政府側も黙認しているのだという。
故に、現在行われている日本史の授業も、出席を取ったりしているわけではない。見かけは普通の高校の授業風景と変わりはないが、授業を欠席している者達は今まさに撃退士として戦っているかもしれないのだ。
リョウ自身も、いつ戦いに赴くのかわからない。天魔の侵略は気まぐれであるが故に、無慈悲なのだ。
再び教師が話しはじめ、机に突っ伏す者が更に四人増えたところで、授業終了を告げるチャイムが鳴った。それまで寝ていた生徒も一斉に起き上がり、次々と教室を後にしていく。
リョウもそれに倣おうと席を立った瞬間、教師と目が合った。
「リョウ、この後時間あるか?」
「? はい、ありますけど」
「ならついて来い。話がある」
歴史の教師は有無を言わさぬ口調だった。リョウは何か怒られるような真似をしたか、必死にここ数日のことを思い出した。
天魔による侵略を守る撃退士とはいえ、必ずしも人々から尊敬される立場ではない。時には天魔に対し力が及ばず、撤退せざるを得ない状況もある。そうなると、撃退士はたちまち非難の対象となってしまう。
しかし、ここ一か月間でリョウが参加した天魔との戦いでは、犠牲者は一人も出さなかったはずだ。建物などの被害も最小限であったし、一般人からの恨みを買ったわけではない。
他には何があるだろうか。友人に金を貸したことか、レポートの代筆を買って出たことがばれたのか、どれにせよ気が乗らないのは確かだった。かといって、ついて行かないという選択肢はない。生徒の自由と個性が尊重されているとはいえ、何をやってもいいわけではないのだ。
リョウは罰が悪そうに頭を掻きながら、教師の後に続いた。
「リョウ、お前の実力は誰もが認めている。この私もだ」
廊下を歩きながら、教師は振り向かずに言った。
既に齢五〇は超えているはずだが、その背筋はぴんと張っている。急に褒められたリョウも、思わず背筋を伸ばしてしまう。
「あ、ありがとうございます」
ますます嫌な予感しかしない。褒めるのはいいから、自分が何をしたのかを早く言及してほしかった。
「それに、共に戦った他の生徒――撃退士からの信頼も厚い。私は、お前にリーダーシップというものがあると思う」
「は、はあ……」
そう言われても、リョウにはいまいち実感がわかなかった。
同じ撃退士として、仲間を思いやるのは当然のことだと考えているし、助け合わなければ勝ち目がないのは当然のことだ。天使と悪魔は、あまり集団で行動しない。使役する魔物を用いることもあるが、いわゆるチームワークという考えを理解していないのだ。
ならば撃退士側はチームワークで戦力差を埋めるほかない。基本的に、天魔や魔物が出現した際には、最低でも四人以上のチームで討伐にあたるのが基本だ。
教師は階段を下り、職員室へと向かっているようだった。生徒による自治とはいえ、教師は全員大人である。
職員室の中は、普段は見かけない中年層の男女を中心に忙しそうな雰囲気を醸し出している。ある意味マンモス校と言えなくもない久遠ヶ原学園は、教師の数もマンモス級である。職員室も相応の広さがある。
教師は忙しない彼らと軽く挨拶を交わしながら、リョウを応接室へと促した。革張りの高級ソファと、同じ材質の椅子に脚がガラステーブルを挟んで向かい合っている。その他には窓もついていない、窮屈な空間だった。
「ちょっと待ってろ」
と言われたので、リョウはソファに座った。応接間に入るのは初めてだ。腰を下ろした瞬間に沈んでいくソファの感触は、「これが高級か……」と感心せざるを得ない。
(一体、何の話なんだろう……)
ここまで来ると、罪を咎めるものではないことがリョウにもわかった。かといって、じゃあどんな話があるのかまでは想像がつかない。
考えあぐねている内に、教師が応接室の扉を開けて入ってきた。手には、教科書などの代わりに大きな茶封筒を抱えている。
教師はそれをガラステーブルの上に置くと、革張りの椅子に腰かけた。
「リョウ・イツクシマ、久遠ヶ原学園高等部二年生。ジョブはルインズブレイド」
そして唐突に、リョウの他己紹介を始める。
ルインズブレイドとは、リョウのジョブ――アウルの活用方法によって分けられるタイプのことである。ルインズブレイドとは、光と闇を操り、天使と悪魔双方に対して有効な攻撃を行える撃退士の総称である。物理攻撃を中心とした前衛向きのジョブであり、リョウは作戦時には最前線に立って切り込み隊長と司令塔を兼ねることが多い。
「成績は、学業としても撃退士としても優秀。君と共に戦った生徒達の何人かから聞いた話では、常に仲間を思いやるリーダー的存在。安心して背中を任せられる等好意的な意見がほとんどだった」
「…………」
そんなことまで調べていたのかと、リョウは怒りを通り越して感心していた。勝手にあれこれ調べられているのは良い気がしないが、咎められているわけではないのだ。
教師は他にも、リョウについて調べられる限りの情報を暗唱してみせた。まさか個人情報の確認のために呼んだのかとリョウが思い始めた頃、ようやく教師の話が終わった。
そして、彼の手がテーブルの上の茶封筒へと伸びる。が、それを手元に引き寄せるのではなく、むしろリョウの方へと寄越した。
「私や他の先生とも相談したんだが、やはり"その三人"を率いるのは君が一番だという結論が出た」
「三人、ですか?」
思わず茶封筒を手に取ると、教師は「開けてみろ」とでも言うかのように頷いた。
中には、「調査報告書」と書かれた用紙が三枚入っていた。三枚にそれぞれ一人ずつ、合計三人の撃退士について書かれている。
「そこに書かれている三人は、久遠ヶ原学園の抱える撃退士の中でも特に"協調性に欠ける三人"だ。個々の実力は申し分ないが、性格に難があるというか、なんというかだな……」
教師が初めて、言葉を濁した。
「ともかく、資料を読んでくれ」
と言われたので、リョウは三枚の報告書に目を通し――ぽかんと口を開けた。
書かれていることが本当だとするならば、彼らはかなりの問題児であると言わざるを得ない。
報告書を全て読み終えた頃には、少し頭が痛くなっているほどであった。一万人を超える生徒を抱えていれば、問題児の一人や二人はいるだろうと思っていたが、彼らはリョウの創造を遥かに超えていた。
そして、リョウの脳裏を嫌な予感が掠める。
「……この三人を率いるとは、どういうことでしょうか?」
「言葉通りの意味だよ。君にはしばらくの間、その三人と共に一つのチームとして行動してもらいたい」
「……………………」
予想が的中し、リョウは頭を撃たれたかのように力なくソファにもたれかかった。これならカンニングの冤罪で反省文を書かされる方がよっぽどマシに思える。
「この後――午後四時に、彼らにも此処に集まるように言ってある。何かあったら、私を呼んでくれ」
教師はそう言い残し、応接室を後にした。リョウに対する断りが一切なかったのは、つまり拒否権がないということである。
しばらくの間とは、具体的にどれくらいの期間なのか。
こちらの安全は保証されているのか。
そもそも、こんな提案を誰が提唱し、可決してしまったのか。
聞きたいことは山ほどあったが、応接間にはリョウ一人しかいない。
リョウは携帯電話で、一緒に食事をする予定だった友人に断りのメールを送信した。現在の時刻は午後三時四五分。食事の時間は午後六時だが、最悪の事態を想定しておかなければならない。
そして十分後、一人の女子生徒が応接間に入ってきた。
黒い着物を身にまとった、見るからに和風の少女だ。艶のある黒髪を金の簪でまとめている。着物には横に大胆なスリットが入っており、歩く度に太腿が露になる。リョウは思わず目を伏せてしまった。
「此処に来るように言われたんだけど……やっぱり帰ってもいいかしら?」
少女――亜麻月雪緒は至極退屈そうな表情で、そう漏らした。