表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四匹の狼(クアトロス・フォース)~ELYSION~  作者: 饂飩粉
第四章:クアトロス・フォース
19/24

世界はそれを根性と呼ぶ

 ゲートを生成し始めてから、ほぼ一週間が経った。

「――完成だ」

 詠唱の終了後に、アグニはそう付け加えた。

 部屋の四方の壁に迫るほど大きな魔方陣(ゲート)が、彼の頭上に広がった。陣の中心は紫色の雲が渦巻いており、ゲートの(コア)へと繋がっている。

 窓の外を見やると、表面が薄暗く禍々しい結界が周囲を覆い始めていた。結界の中に閉じ込められた人間から徐々に魂を吸い取っていき、ゲート内のコアへと蓄積される。その量が一定を超えたとき、全てがアグニの糧となるのだ。

 一週間程度の詠唱では、結界はさほど大きくならない。精々、ゲートのある此処病院を中心にした半径三、四〇〇メートルといったところだろう。

 だが、アグニにとってはそれで十分だった。

 病院の中には、大勢の人間がいる。それも、老人、病人、赤子など、容易く魂を吸い尽せる者ばかりだ。魂を全てコアに奪われた人間はディアボロとなり、撃退士を阻む盾となるだろう。アグニはどんなディアボロにするかも、ある程度決めておいた。

「っ……」

 足がよろめく。まだゲートは作られたばかりだ。生成のために使った体力を回復するのにも、時間がかかる。

 しかし、アグニは笑う。彼には勝算がある。いくら撃退士の到着が早かろうと、それまでには全快しているだろう。そのために、病院を選んだのだ。

 院内のざわめきが、悲鳴が聞こえてくる。

 無駄だ。何処へ逃げようと、ただの人間では結界から逃れることなどできない。

 アグニは扉をすり抜けて、院内の廊下に出た。人影はほとんどなく、いたとしても魂を奪われ床に伏していた。彼らは、じきにディアボロとなるだろう。

 余裕の笑みを湛えたまま、アグニは廊下を歩く。そして、撃退士をどこで待ち構えるかを思案する。結界はゲートを中心に半球状に広がるため、此処にゲートがあることは向こうもわかっているはずだ。

「俺様の場所は、あそこしかねえ」

 アグニは翼を広げ、飛んだ。天井をすり抜け、四階、五階と上昇していく。

 目指すは、屋上だ。バステットがゲートを生成する場所は、いつも屋上だった。

「ふっ、俺様が郷愁に駆られるとは――!?」

 六階の天井をすり抜けようとした瞬間、何かがアグニの足首を掴んだ。

 視界がぐるりと反転したかと思えば、体が真横に投げ出される。

 誰だ!? こんなにも早くこの場所に辿り着いたのは?

 無駄な思考に気を取られているうちに、目の前に小さな球体が迫っていた。

「これは――」

 球体――イージスフィアが爆発する。爆風がアグニの体を加速させ、壁に衝突する。

「ぐあっ……」

「俺は運が良い」

 廊下の向こうから、近づいてくる気配。アグニはそれを知っている。金髪をなびかせる長身の男。幾何学的な芸術を思わせる穂先を持った黄金の槍の使い手。何より、全身から発している薄緑色の光纏。

「こんなにも早く、お前を倒す機会を得られるとはな」

「っの、堕天使野郎ォ……」

 金髪の堕天使、ロンド・フレイアールヴは携帯電話を操作し終えると、真っ直ぐにアグニへと迫った。

 金色の槍ロイヤル・ガロストを、壁を背にしているアグニに向けて突き出す。アグニはそれを間一髪で躱し、左に伸びる廊下を走った。そして叫ぶ。

「キョウコ! こいつは任せたぞ!」

「かしこまりました」

 どこからともなく声が聞こえ、アグニとロンドの間に突如人影が現れた。白い看護服を着た女性だ。しかし、ゲートに魂を吸われている様子はない。

「ヴァニタス……悪魔の甘言に堕ちたか!」

 キョウコと呼ばれたヴァニタスは、距離が詰まる前にロンドに向けて何かを投げつけた。速く、鋭く、恐ろしく正確に両目を狙っていた。槍で弾いたそれは、液体の入った細い注射器だった。

 彼女が次弾を放つ前に、ロンドは槍で頭部を狙う。ヴァニタスは契約の際、一度人間として死んでいる。情けはいらない。ロンドの刺突はキョウコの頬を掠めただけで、致命傷にはならなかった。

 キョウコは小さく跳び、槍を持ったロンドの腕に蔦の如く全身を(から)める。むきだしの腕に、投擲するはずだった注射器を突き刺す。

「ちっ!」

 ロンドは力を振り絞り、腕を振り回してキョウコを壁に叩きつける。その拍子に彼女の拘束からは逃れたが、注射器のピストンは限界まで押し込まれていた。

「一体、何をした?」

「さあ、そのうちわかるんじゃない?」

 キョウコは頭から血を流しながら笑った。

 ロンドは、早めに決着をつけなければ、と思った。透過能力を行使したつもりだったが、注射器も中の液体も透過できなかった。打たれた液体が、対天魔用の何かであることには違いない。


 その頃、結界の外にいたリョウの携帯が震えた。ロンドが一斉送信したメールだ。

「そんな、まさか……」

 メールには、アグニを発見した場所が書かれていた。

 総合病院――この辺りでそう呼ばれている施設は、一つしかない。

 リョウの手が微かに震える。目の前には、巨大なドーム状に形成された結界が聳えている。黒と紫の渦を巻く不気味な表面からは、中の様子は窺い知れない。

「サヤ」

 リョウは結界に向けて走った。すぐにでも飛び込みたいところだったが、誰かの声が耳に入り、足を止める。

 すぐ横に、涙を流している女性がいた。足元にはデパートのビニール袋が置かれている。彼女はしきりに誰かの名を叫びながら、結界を叩いていた。そんなことをしても、結界はドアのように開いてはくれないのに。

 状況は明白だった。リョウはその女性の元に向かった。

「下がっててください」

 そう告げて、彼は結界に手を伸ばした。両手の指先に、自らのアウルを集中させる。まるで水面に触れたかのように、指が結界の中に沈む。そして、結界を"掴む"。

 ゲートが作り出した結界を、局地的に扉にすることができるのは撃退士だけだ。

「おおおおおおお!」

 雄叫びと共に、リョウは左右の手を力いっぱい伸ばした。人一人通るのがやっとであろう穴が、結界に穿たれる。

 結界の向こう側には、一人の少年が倒れていた。魂のほとんどを吸われてしまい、立つこともままならなかったのだろう。リョウは少年を抱き上げ、そのまま女性へと手渡した。ゲートの外に出れば、魂を吸収されることもなくなる。

「あ、ありがとうございます」

「待っててください。僕と仲間がゲートを破壊して、息子さんを必ず元気にします」

 女性に言いながら、リョウは心に誓う。

 必ずアグニを倒し、ゲートを破壊する。サヤも、仲間も、町の人々も、全員守る。そのために、全力を出し切る。


 ロンドは足元を大きくふらつかせた。キョウコに注射を打たれてから五分も経っていない。だが原因はそれしかない。

「効いてきたね」

 そう言うキョウコの姿に、焦点を合わせることができなかった。まるで彼女が分身したかのようだ。瞼も重い。

「何を、した」

「麻酔を打ってあげたのよ。天使にも効くように、冥界の技術も借りたの」

 キョウコは注射器を手元でくるくると回している。先ほどまでは防戦一方だった彼女の体には、幾つもの傷が出来上がっていた。ロンドがあと一歩のところまで追い詰めたのだ。

 その彼女が今、彼を前に余裕の表情を浮かべている。打った薬の効き目がどれほどのものか、彼女は熟知しているのだ。

「自信を持って言うわ。これを食らって生き残った天使はいない」

 キョウコの声も、ロンドには随分遠いところから響いているかのように聞こえる。敵は目の前にいるというのに、心地よい脱力感に体が沈んでいく。

「ぐ……」

 槍を杖代わりにしなければ、立つことすらままならない。

「とっと堕ちなさいよ。じゃなきゃいたぶれないでしょ?」

 いつの間にか距離を詰めていたキョウコの回し蹴りが顎を強打する。首にあらん限りの負荷がかかるが、骨折には至らなかった。まさしく目の覚めるような一撃だったはずなのに、床に倒れたロンドの体は深い眠りを欲していた。

「……」

「ほら、目を閉じて」

 キョウコの履いているハイヒールの踵が、ロンドのこめかみを踏みつけて圧迫する。対天使用の麻酔の前に、痛みは眠気覚ましに成り得ない。

 屈辱だ、とロンドは思う。ヴァニタスとなった女相手に、手も足も出ない。

 自然と、歯を食いしばる。

 そこで、はたと気づく。

 痛みに、まどろみに、彼の中で唯一抗っているものがある。

「そうか……わかったぞ」

 ロンドの"心の中"で、一つの結論が出る。"これ"がなければ、すぐにでも気を失っていただろう。

「今更何をわかったって?」

 キョウコがとどめと言わんばかりに、足を大きく百八十度振り上げる。轟、と風を巻き起こしロンドの頭めがけて踵を落とす。

 だが、彼女の足は九十度の辺りで止まった。何かが彼女の足にぶつかり、攻撃を阻んだのだ。

「なんだ……?」

 イージスフィアだ。ロンドの持つ防御系スキルが、キョウコの攻撃を防いだ。

 しかし、球状のバリアが覆っているのは彼ではなかった。

「これが、感情だ」

 イージスフィアが覆っているのは、キョウコであった。彼を守るために使われるバリアが、今は敵を閉じ込める檻のように機能している。

「怒り、憎しみ、悔しさ、そして恐らくは悲しみや喜びも、時として力と成り得るものだ。お前に憤り、お前を憎み、己に悔しみ、俺は強さを手に入れる」

 ロンドに立ち上がるほどの力は残っていない。だが、精神は、心は、力で漲っている。その力で、アウルを操る。

「一体何を……」

 キョウコは内側からイージスフィアを破壊しようと暴れているが、その場から動くことすら許されなかった。

 そうしている間に、彼女の目の前に小さな球体――イージスフィアが発生した。それはまるで泡のように数を増やしていき、隙間を埋めるようにして彼女の動きを封じていく。

「かっ――」

 とうとう口の中にまで小さなイージスフィアが入り込み、キョウコは言葉も発せなくなった。

 そこでロンドは、ようやく立ち上がった。槍で全身を支えるようにして、それでもはっきりと彼女を見据えて。

「これ以上、病院を汚すわけにはいかないんでな」

 小さなイージスフィアが一斉に輝きを増し――爆発した。音も、爆風も、炎も、全てが巨大なイージスフィアの中で完結した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ