狼達の会合
スライド式のドアが突然開かれ、部屋の中にいたバステットは思わず"事を中断して"振り返った。
「げ、バレた!?」
気まずそうな顔はしかし、笑顔に切り替わった。彼女はてっきり病院の関係者が来たものだとばかり思っていたが、ドアを開いたのは別の人物だったのだ。
「二人とも、何してるの?」
ドアを開けたリョウは、入院患者用だったはずの部屋の中の有様に目をぱちくりさせた。
二つのベッドは修復不可能なまでに粉々に砕け、木屑や綿となって部屋中に散らばっている。ナースコールや精密機器などは上手いこと部屋の隅に積まれ、部屋全体が広くなったような気がする。リョウが最後に来た六日前に比べ、その部屋は戦うには丁度いい具合の空間へと豪快なリフォームを遂げてしまっていた。
「リハビリだ」
部屋の奥にいたロンドが当然のように答える。二人とも体中の包帯やチューブを外して、臨戦態勢を取っていた。ロンドは大学部の制服に、バステットは黒のキャミソールとホットパンツにそれぞれ着替えを済ませている。
「呆れた……」
リョウの奥から顔を覗かせた雪緒が大きく溜息を吐いた。
「ところで、何か用?」
バステットは患者服をタオル代わりにして汗を拭う。
「うん、実は作戦会議を――」
「待ってました!」
バステットはぴょんと跳ねると、胡坐の姿勢で着地した。やけに乗り気な彼女の態度に、リョウは逆に戸惑った。
さらには、ロンドも腕を組んで近づいてくる。何か口にするのかと思えば、そういうわけではない。黙ったまま、リョウを見据える。彼もまた、作戦会議に参加するようだ。
「二人とも、どうしたの?」
「どうしたのって言われても、なあ?」
バステットがロンドに顔を向けると、彼は黙ったまま頷いた。
てっきり本格的に喧嘩を始めたのかとリョウは思っていたが、どうやら様子が違うようだ。
「もしかして、仲良くなった?」
「なってねーしー」
バステットの声に合わせ、またもロンドが頷く。
「見るからに息ピッタリじゃない」
「仲良くはなってねーっつーの! ただ、ちょっとね」
「ちょっと?」
「詮索は無用だ。それより、作戦会議なのだろう?」
ロンドが有無を言わさぬ口調で会話を打ち切った。雪緒もそれを待っていたのか、ようやく部屋の中へと入ってくる。見舞客用の椅子ももれなく破壊されてしまっているので、彼女は破れたシーツの上に腰かけた。
「皆、何の作戦会議なのかはわかってるみたいだね」
「おうよ、アグニのヤローをぶっ殺すんだろ?」
バステットが腕を叩いてニヤリと笑う。
「その通り」
待て、とロンドが口を挟む。。
「だが、アグニ・ヴァルナカルとどう戦う? 奴が再び現れたとして、俺たちがその討伐依頼を受けられない可能性もある」
「私も、そこが気になっていたのだけど」
雪緒も彼に続いた。
「何、どゆこと?」
状況を把握できていないバステットが首を傾げる。
「俺たちは、たとえアグニ・ヴァルナカルが再び現れたとしても、その討伐依頼に立候補できるわけではない」
撃退士は、天魔や魔獣の目撃情報が来てから即座に討伐に向かわなければならない。普段なら、立候補した者達が先着順で四人から十人ほどのチームを組み次第出発――という流れになるのだが、四匹の狼は事情が違う。
特殊チームとして行動することを定められているリョウ達は、上層部から討伐の依頼が直接言い渡される形式となっている。よって、彼ら自身がどの依頼を受けるかを選ぶことができない。これまでの戦いも、たまたまリョウ達の手が空いていた時に舞い込んだ依頼にすぎない。
「なるほど! 確かに天使様の言う通りだわ!」
事態を呑み込んだバステットが相槌を打った。ロンドはやれやれとでも言うかのように首を振る。
「そう、問題はそこなんだけど……」
と、リョウは携帯電話を取り出して床に置いた。画面には、先ほど「メイドファミレス 何か用、ご主人様?」でシンから受け取ったアグニに関する資料が表示されている。
四人で小さな画面を覗き込む羽目になり、自然と雪緒と頬が触れ合う。
「あ、ごめんなさい」
「い、いや、別にいいんだけど……って、それより、これを見て」
リョウは一瞬忘れかけた我を取り戻し、画面を操作した。日本の関東地方の地図に、赤いマークが幾つか表示されている。
「何この赤いの?」
「過去七回、アグニが出現した場所だよ」
「七回? マークは六つしかないぞ」
ロンドの指摘通り、地図に表示されているマークは全部で六つに見える。そのほとんどが、東京都内に収まっていた。
「よく見て、ほら」
リョウが画面上の赤いマークを二本の指で押し広げるようにタッチすると、地図は東京都のものになり、二十三区内になり――とズームしていった。
すると、ズームした先の赤いマークが途中で二つに分かれた。否、分かれたのではない。最初から二つあったものが、大きな地図上では重なって見えていただけなのだ。
赤いマークの中には数字が書かれており、重なっていたのは五度目と六度目にアグニが出現した地点である。距離にして、五〇〇メートルにも満たない。他の地点は大きくばらけているのに対し、この二点だけが非常に近くにあった。
「妙ね。五度目の出現時に、何かあったのかしら」
「鋭いね、雪緒。五度目の出現時、アグニは撃退士との戦いで負傷したみたいなんだ」
「負傷!?」
バステットがその言葉に反応する。先日――七度目の戦いで一番の深手を負わせたのは、他でもない彼女だ。
「そう。負傷してすぐアグニは近場でゲートを生成し、生命力を集めて回復した。灯台下暗し、って言うのかな」
「つまり、今回もその可能性があると?」
リョウは頷いた。三人も、彼の示した可能性に確信めいたものを抱き始めていた。
「五度目と六度目の出現の感覚は丁度一週間。今回もそうだとしたら――」
「今すぐ行かなきゃじゃん! ってか、今すぐ前回の現場付近に行けばもしかしたら……!」
「俺たちが誰よりも先にアグニ・ヴァルナカルの元に行ける、というわけか」
言うなり、ロンドは病室の外へと向かっていった。バステットも雪緒も、それに倣っていく。
「ちょ、ちょっと、二人は怪我平気なの?」
「もー治りましたよー。それに、アグニのヤローと戦ってから今日で丁度一週間。今行かない道理はないっしょ」
「悪魔に賛成したくないけど、私も同じ意見よ。急ぎましょう」
「でもまだ、作戦については何も言ってないんだけど!」
「んなもん、現場に向かいながら話してくれればいーから」
「…………まあ、確かに」
作戦とはいえ、敵の現状や戦いの舞台もわからないままではあまり綿密なものは立てられない。だから、リョウが考えている作戦も、作戦と言うよりは簡単な指示に近い。それこそ、走りながらでも話せる程度に。
「――わかった。行こう。アグニと戦った錦糸町のショッピングモール跡地から、東西南北に一人ずつ散らばって敵の動きを探ろう」
「承知した」
「りょーかい」
「わかったわ」
リョウの指示に、初めて三人が返事をした。