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彼女の夢、彼の迷い

 それは夢というより、回想に近かった。

 バステットはゲートを作るために詠唱をして、アグニが警戒のために周囲を見回っている。ゲート生成時は、どんなに上位の天魔であろうと無防備になる。いわば一番の弱点だ。

 そこを狙われないようにするためには、ディアボロやヴァニタスを用いて周囲の防御を固めるのが常套手段とされている。

 しかしバステットとアグニは、"互いに互いのゲート生成を守る"という約束を交わした。

 その約束通り、最初はアグニのゲート生成時にバステットが彼の盾となった。ゲートの生成は成功し、二人とも大きく力をつけることができた。

 そして今回は、バステットがゲートを生成し、アグニがそれを守る番だ。

 巨大なマンションの屋上に陣取り、ゲートは無事に生成することができた。マンションの周囲一帯を覆う大規模な結界が発生し、中にいる人間を閉じ込める。

 マンションの住人をはじめとする大勢の人間の魂が、ゲートへと吸収され、二人の糧となっていく。ゲートを通して力を得る感覚は、例えるならば、シャワーを浴びるようなものだ。ちょうどいい湯加減の雨が、体を芯から温めていく――バステットは、この感覚が好きだった。特にゲート生成の段階で大きく力を割いた直後なので、「生き返る」という表現がぴたりと当てはまる。

 その感覚に浸っていた矢先に、背後で爆撃が起きた――否、自分の背中が爆ぜたのだ。何か超高温の物体が炸裂し、その勢いで屋上を何度もバウンドした。

「誰……だ……」

 撃退士がこんなに速く来るはずがない。いたとしても、今の今まで気配を消している必要性がない。

 では一体誰が?

 本当は、答えがわかっていた。わかっていたのに、それを否定したくてたまらなかった。

 攻撃を仕掛けてきたのは、アグニだ。彼の使う最大級の必殺技、メテオプロミネンス。その威力を身をもって体感したのは、これが初めてだった。

 不意の一撃に、バステットは立ち上がることもできなかった。ゲートから供給される力も、枯葉に滴る雫程度のものでしかない。

「バステット……いくら悪魔同士だからって、簡単に信用するのはどうかと思うぜ?」

「アグニ、テメェ……」

 アグニの高笑いが響き渡る。

 バステットは、彼の顔を見ることすらできなかった。地べたを舐めた姿勢のまま、悔しさに打ちひしがれる。彼女にはそうする以外の選択肢など、与えられていない。

 あいつは今どんな顔で、哀れな自分の姿を見ているのだろうか。どうしてあんな奴の言うことを信じたのだろうか。

 裏切られた瞬間、それまでの自分の行動に幾つも疑問を感じた。わが身を盾にして、ゲート生成の詠唱を行うアグニを庇ったときのことを思い出す。あいつは心の中で、私のことを嘲笑っていたのかもしれない。それを表情にはおくびにも出さず「助かった」と(ねぎら)ったのだ。

 視界が滲んだ。

(畜生、涙だ)

 撃退士の気配が近付いてくる。

 アグニは撃退士としばらく戦ったあと、十分に力を蓄えて戦線を離脱した。

 バステットは、その場に取り残された。


「畜生!」

 バステットは叫びながら半身を起こした。見れば、全身の殆どが包帯に覆われ、点滴用のチューブが何本か刺さっている。

 辺りを見回して、ここが久遠ヶ原学園内の治療施設だと気づいた。痛覚が遅れて目を覚ましたかのように、全身で悲鳴を上げた。

「っくぅ…………」

「五月蠅いぞ。ここは病院だ」

 声がしたので隣に目をやると、彼女と同じように半身を起こした状態でロンドがこちらを睨んでいた。怪我の度合いは、彼女と同程度のようだ。

 ベッドは向かい側にも二つあったが、どちらも使用された形跡がない。この病室にいるのは、バステットとロンドの二人だけである。

「はいはい。ぼーっとしてるのを邪魔して悪かったよ。天使様はぼーっとしてるのが仕事なんですよねー」

 バステットは直前まで見ていた夢――回想を忘れようとして、わざとロンドを煽った。

 しかし、普段なら来るはずの殺気が、今日は微塵も感じることができなかった。睨みつけていたはずのロンドの双眸は、むしろ憐れみを含んでいるようにすら思える。

「なんだよ。普段の殺気はどーしたんだよ」

「いや……」

 珍しく言葉を濁すロンドに、バステットは憤りを覚えた。普段は物事をハッキリと言うくせに、何故今この時だけそうしないのだろうか。

「言いたいことがあるなら言えよ。て・ん・し・さ・ま」

 バステットがからかっても、ロンドの反応は変わらない。

「あの悪魔の名は、アグニと言うのか」

「っ――ああ、そうだよ」

 呟くようなロンドの言葉に、バステットはただならぬ空気を感じた。今更だが、今のロンドはいつもと違う――それをはっきりと認識する。

「お前が戦いの最中にその名を叫んでいた。つい先ほども、うなされながら声を絞り出すようにして、呼んでいた」

「…………」

 ロンドに聞かれていたことより、寝ながらにして言葉を発していたことがバステットには驚きだった。どんなに忘れようとしても、過去は彼女の脳裏に貼りついて離れない。目を背けようとすれば、そこに先回りされてしまっている。

「アグニとは、過去に何かがあったようだな」

 天使は、言葉を交わさずとも相手が何を考えているのか、何を伝えようとしているのかを理解することができる。それ故にロンドは他人の感情の機微を敏感に察知し、些細なことで揺れ動く感情に身を委ねる行為を是としない。

 恐らくは今も、バステットの感情を大まかに理解しているのだろう。

 だというのに、ロンドは言葉を選んでいる。こちらの心の動きを掴んでいるはずなのに。

「大体わかってるんだろ、そっちも」

 バステットも、ようやくロンドに調子を合わせた。今は、ふざけている場合ではない。

 負けたのだ。二人にとって、撃退士となってから初めて味わった敗北の後なのだ。段々と頭が冴えてきて、その時の記憶が現実味を帯びていく。

「一体、何があった」

「だから、わざわざ聞く必要あるのかよ」

「わからないから、聞いているのだ」

「あん?」

「お前は何故、悲しんでいる?」

「――なんだって?」

 ここまで来ても、バステットは図星であることを悟られないように取り繕った。先ほどから向けられているロンドの視線が、それを察してこそのものだというのに。

「お前は、アグニを恨んでいる。だが同時に、悲しんですらいる。何がったのかはおぼろげにしかわからないが、とにかくそのことでお前は悲しんでいる」

 ロンドの言葉はことごとく的を射ていた。バステットは、二の句も告げずに黙っているしかなかった。

「だから俺は知りたい。お前とアグニの間に何が起こったのか。お前が恨みながらも悲しむ、その理由を」

「……妙だな。アンタ、そういう恨みや悲しみとか、必要ないって思ってるんじゃないのかい?」

 今度は、ロンドが口を閉ざした。その目に、迷いが見て取れる。自分でも何が起こっているのかわからないような戸惑いが、碧い瞳を濁らせている。

「そう、だ。そのはずだった」

「はず?」

 ロンドは力なく頷く。

「あの時のことを、覚えているか?」

 二人にとっての「あの時」といえば、先日のアグニとの戦いに他ならない。

「忘れたくても忘れられないっつーの」

「あの時俺とお前は、リョウ・イツクシマを助けた」

「……」

 ロンドは自らの防御スキルをリョウに使い、バステットは土壇場で助言を行った。事実だけは覚えているものの、当時の心境は未だに実感の湧かないものとして記憶に残っている。あの蛾が爆発することをリョウが知っていなかった。ただそれだけの理由で? 本当に、それだけの理由で叫んだのだろうか。

「アグニと戦っていたリョウは、感情に突き動かされていた。今まで俺が目にしてきた人間は、感情に突き動かされて強くなる者などいなかった」

「でも、リョウは違ったって?」

「ああ。あいつは今までよりも、ずっと、ずっと強くなっていた」

「そうだな。あいつ、あんなに強かったんだな」

 片目を負傷していたとはいえ、あのアグニを圧倒した戦いは、脳裏に焼き付いている。

 敵の死角をついた正確な位置取りと、攻撃に即座に対応する素早い判断力。どこまでも冷静な戦い方に見えたが、ロンドによれば感情を突き動かされてのことだという。不思議な話だと、バステットは思う。どこまでも冷静に見えてその実、揺さぶられていたなんて。

「感情に支配されることが、強さに繋がることもあるのか」

 まるで価値観を根底から覆されたかのように、ロンドの口調は震えていた。傍から見れば、仰々しくも思える。

「その時々にもよるだろ、そんなもん」

「そうなのか? だが俺は強くなった男を、リョウ以外に知らない」

「なんだ、アタシは弱くなってたのか?」

「ああ」

 ロンドは即答する。いつもならカチンと来ているところだが、今のバステットには苦笑する余裕があった。お互いに、手も足も出せないのだ。だからこそ、珍しくこうして長々と話ができているのかもしれない。

「――で、話を元に戻そうか」

「んー? なんの話だっけ」

「退院するまで何度でもこの話題を振るぞ。早めに話しておいた方が身のためだ」

「脅迫かよ……」

 珍しく、ロンドの口元には笑みが宿っていた。

 それが後押しになったのかはわからないが、バステットはアグニとの間に起こった過去をロンドに話し始めた。先ほどまで見ていた夢――回想と寸分違わぬ事実を。

 重傷を負ったバステットの背中には、今も大きな火傷の痕が残っている。あの時、撃退士に助けを乞うていなければ、バステットは死んでいたかもしれない。

 ロンドは彼女の話を黙って聞いていた。

 話を終えて、バステットの心はどこかすっきりしたような気分に包まれていた。思えば、こうして誰かに自分の過去を語るのは初めてのことである。

「アタシは悔しくて、悲しかった。悪魔のくせに、裏切られたことに傷ついたんだ。アンタが感じ取ったってことは、今もその気持ちがアタシに残ってるんだろうね」

 口にしながら、バステットはどうして散々口喧嘩していた堕天使なんかにこんな話をしているのだろうかと心の中で自問していた。

「天使様的にはどーですか? アタシのこと、ダメなやつだと思う?」

 ロンドなら、即座に「ダメだ」と言ってくれるだろう――しかし、彼女の期待は裏切られた。

 彼は、逡巡していた。言葉を選んでいるのではない、答えが決まっていないのだ。

「今の俺には、何とも言えない。お前のその感情が、いつかお前を強くするのかもしれない。リョウ・イツクシマのように……」

「何それ、アタシのこと慰めてくれてんの?」

「わからない」

「珍しいね。アンタ、さっきから様子が変だよ。ヤバいクスリでも打たれたの?」

 バステットの冗談も、ロンドには聞こえていないようだった。彼は包帯に巻かれた己の両手を見つめながら呟く。

「……今なら、何故天界の者達が人間の感情を糧として奪っていたのか、わかる気がする」

「ふーん、じゃあ、天使に戻るつもり?」

 ロンドは首を振った。

「今の俺は、撃退士だ。感情がそれほどまでに誰かを強くするのなら、俺はそれを守る。そのためには、確かめねばならない。感情が、本当に人を強くするのかを」

 ロンドの目は、決意に満ちていた。背中の翼は所々焼き焦げており、赤黒い血の痕が幾つもこびりついている。それでもその両翼は、大きく羽ばたかんと左右に広げられている。

「人じゃなくて悪魔だけど、アタシで確かめてみない?」

 バステットが普段通りの不敵な笑みで、ロンドを見つめた。

「アタシがとびっきり強くなってアグニの野郎をぶっ倒せば、それが証拠になるでしょ?」

「……面白いこと言うな、お前は」

「やっと気づいたの? アタシの魅力に」

 ロンドも彼女につられて、静かに笑った。

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