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憎しみ、覚悟

「……ところでリョウ、妹なんていたのね」

 雪緒はリョウを詮索しようとせず、話題を唐突に切り替えた。

「うん、いるよ。見てのとおりだけど」

「家族のことなんて、報告書には書かれていなかったのに」

「そうなの? まあ、誰にも言ってないことだったからね」

 ほとんど植物状態の妹がいることは、親友であるシンにも教えていないことだ。というより、学園の生徒でこのことを知ったのは雪緒が初めてだろう。

 隠しているつもりはない。ただ、話す機会がないのだ。相談に乗ることはあっても、相談に乗ってもらったことはあまりない。

「よかったら、話を聞かせてもらえるかしら?」

「話すことなんて、そんなにないよ。昔家族四人で自動車に乗っていて、事故に遭っただけ」

「天魔のせい?」

「違うよ。ただの交通事故。高速道路の反対車線から、居眠り運転のトラックが突っ込んできたんだ」

「……」

 リョウが首を横に振ると、雪緒は申し訳なさそうに目を逸らした。

「父さんと母さんは即死だった。妹はそれ以来目を覚ましていない。僕はそれよりも前からアウルに覚醒していたみたいで、半年で回復したんだ。それから久遠ヶ原学園に編入して、撃退士として妹の入院費を稼いでる、ってわけ」

 生命維持装置は、月に一度使用料を払わなければいけない。携帯電話と同じだ。その費用は、優秀な撃退士であるリョウの稼ぎでも一月ずつしか支払えないほど高額だ。

「正直に言えば、僕は天魔よりもあのトラック運転手を憎んでいる。当時の僕はそんなこと考えている余裕なんかなかったから、今そいつが何処で何をしてるかなんてわからないけど」

「リョウ……」

 雪緒は、リョウにどんな言葉をかけてやるべきか、わからなかった。彼は同情も、激励も、黙って傍にいてやることも、望んでいるようには見えなかった。

 そのとき初めて、雪緒には彼の姿がとても孤独に思えた。

「天魔だったら、殺すことで恨みを晴らせるのかな」

「え?」

 リョウの言葉は、果たして誰に対してのものだったのだろうか。しかし、彼が真っ直ぐ視線を向けていることに気づき、雪緒は心臓を跳ねあがらせた。

「仮に僕があのトラック運転手を殺して、何の罪にも問われなかったとしたら、僕はそいつを殺してすっきりするかな」

 否定するべきだと、雪緒の心が訴えかける。

 だが、雪緒は言葉が出なかった。何故か、目の前にいるはずのリョウが、ひどく遠くにいるような気がした。

 雪緒は、己の心の中に"天魔への憎しみ"があるのだと、初めて気づいた。天魔を殺すことは、あの時あの場所でアウルに覚醒した自分の使命だと、ずっとそう言い聞かせてきた。

 しかし、両親を殺されたという恨みだけは、憎しみだけは、その使命の裏でずっと爪を研いでいたのだ。天魔に向けられる覚悟の先端で、報復の時を待ち続けている。

「僕はきっと、そんなことしても恨みは晴れないと思う。逆に、憎むべき相手を失うだけで、虚しくなる気がする」

 リョウは自分に、そして彼女に、言葉を紡いでいた。

「それならいっそ、忘れるか、許すしかないんだと思う。僕は妹のために撃退士になることで、それを必死に忘れようとしているんだ。時間は、ゆっくりだけど、それでも少しずつ、憎しみを薄めてくれるから。

 雪緒、君がロンドを助けたのは多分、一瞬だけど君が使命を忘れたからなんじゃないかな?」

「っ……」

 雪緒は悟った。リョウは気づいている。雪緒の覚悟の中に憎しみが紛れ込んでいたことに、気づいている。それを見透かしているのに、突きつけようとはしない。むしろ――

 リョウは、私を救おうとしている?

 憎しみと使命に囚われていた私を?

 どうして、そんなことができるのだろう。リョウもまた、一人の人間で、憎しみと戦い続けているというのに。それでもどうして、誰かに手を差し伸べることができるのだろう。

「……リョウ、私は間違っていたのかしら」

「間違いなんてないと思うよ。これは僕からのお願い。ずるい言い方をすれば、リーダーとしての命令」

 リョウは、少しだけ笑った。自分のために笑うことができないのに、誰かのためなら、こんなにも温かな笑顔になれる。

 彼ははっきりと明言してはいないが、雪緒はその命令の趣旨を理解することができた。

「……わかったわ。学園内の天魔に対しては、努力してみる」

「ありがとう。」

「その分、敵である天魔にはなおさら容赦しないわ」

 雪緒は不敵に笑った。いつの間にか彼に勇気づけられてしまっていることが、少しだけおかしく思えた。

 もう、憎しみの上に覚悟を上塗りするような真似はしないと、誓った。

 憎しみは憎しみ、覚悟は覚悟。

 ――私には、二つの武器がある。

「雪緒、僕からも一つ、聞いていい?」

「何かしら?」

 リョウは少し逡巡する様子を見せてから、口を開いた。

「僕が妹――サヤにしていることは、間違っていると思う?」

 ひどく、思い詰めているようだった。先ほど自分を勇気づけた者にしては、随分と頼りない口調だ。伏し気味の瞳から、彼の弱さが垣間見える。

「サヤに生命維持装置をつけさせているのは、僕の独断なんだ。サヤがそれを望んだわけじゃない。だから――」

「間違いなんてない、さっきそう言ったのは、リョウの方でしょ?」

「あ……」

「まさか、自分で言ったこと覚えてないなんて言わせないわ。間違いなんてない。リョウの独断ということは、リョウの覚悟や気持ちが、そこにあるということなんじゃないの?」

 雪緒は言いながら、口元が緩んでいった。自分を勇気づけた言葉で、今度は相手を勇気づけることになろうとは。おかしい話だ。

「僕の、気持ち……」

「そう、気持ち。それが届いているか、理解されているかまで考えていたら、埒が明かないわよ」

「…………そうかも、しれないね」

「かもじゃない。そうなのよ」

「そうなの?」

「そう」

 気がつけば、二人は病院の廊下で微笑み合っていた。

 決して昨日のことを忘れたわけではない。しかし心は、思い詰めているだけでは前に進まない。

「学園に戻ろう。雪緒、二人に会ってくれるよね」

「それは、リーダーとしての命令かしら?」

「チームの仲間として、お願いしてる」

 雪緒は少し、考える素振りを見せた。

 その間に、リョウの顔を緊張が駆け抜けているのが手に取るようにわかった。

 素直で、純粋で、そのくせ誰よりも思い詰めている。雪緒の心に、今までになかった気持ちが芽生え始めていた。

「いいわ。チームなんだし、全員で話し合いましょう」



 リョウと雪緒が病院の廊下で話をしていた頃、同じ建物の屋上にはアグニがいた。屋上には物干し竿が列を成して並んでおり、白いシーツや患者服が干されている。

 アグニの右目は閉ざされており、腹部にも傷を負っている。何よりもまず、回復を優先しなければならなかった。少なくとも体だけは万全の状態にしたい。

 そのためには、ゲートを作らなければならない。

 まずゲートを作り、周囲を結界で覆う。結界内の魂をゲートに溜め込み、己の力にする。言葉だけなら、これほど簡単なことはない。だが実際に作るとなると、幾つもの障害にぶつかる羽目になる。

 まずゲートの生成には、ある程度の時間を要するということだ。ゲートを覆う結界は、生成時の詠唱時間の長さに比例して大きくなる。時間をかければかけるほど大きな結界を作ることができ、より多くの人間から魂を奪える。

 だが、ゲート生成の詠唱中は完全に無防備になる。その姿を撃退士等に見つかれば、一方的に攻撃を受け続ける羽目になってしまう。生成を中断するのも一つの手だが、詠唱開始時に自身の力の一部を用いる必要があるため、ゲートを生成できなかった場合弱体化は免れないのだ。

 ゲートの生成には様々なリスクが生じる。無論撃退士も、その隙を突いてこちらを狙ってくることがある。

 しかしそれらのリスクは、事前に策を講じればどうとでもなるものがほとんどだ。

 要は、敵に見つからなければいい。

 その時、屋上にある扉が開き、白衣を着た女性が現れた。この病院に勤務する看護士だ。背は低く、ふっくらした頬に丸い瞳。ボブカットの黒髪は空気を含んだかのようにふわりとしている。しかし、見た目の雰囲気とは裏腹に、表情は無機質で、氷のように冷たい。あどけなさの残る顔つきから、切れ味の鋭い眼光を放っている。

「アグニ様、お部屋の準備が整いました」

 看護士は洗濯物を回収するわけでもなく、アグニの足元に跪いて(こうべ)を垂れた。

「ご苦労、キョウコ」

「こちらです」

 キョウコ、と呼ばれた看護士は立ち上がると、アグニに着いてくるよう促した。アグニは翼を畳み、その後に続く。やはりこういった場所で働く者に目をつけておいてよかったと、アグニは心の中でほくそ笑む。

 キョウコは人間ではない。正確には一度死んで、アグニとの契約により冥界の力を得たヴァニタスである。生前からキョウコは頻繁に胸や尻に触れてくる中年の患者達に殺意を抱いており、契約を結ぶことは容易かった。悪魔並みの力を用いれば、死すら生温い苦痛を与えることは簡単だった。以来中年の患者達はキョウコを畏怖の対象として見るようになり、大人しくなった。口外すれば、更なる苦痛が待っていると吹き込んだだけで、奴隷以下の存在に成り下がった。

 アグニはキョウコ以外の人間もヴァニタスにして傘下に置いているが、一番忠誠心が強いのは彼女だった。彼女なら、喜んでアグニの盾になることも厭わないだろう。

 階段を降り、入院患者用の個室が並ぶ病棟の廊下を進む。突き当りの部屋が空室になっており、キョウコは鍵を用いてその部屋の扉を開けた。

「入院の手続きはこちらで偽造致しました。回診が来ることもありませんので、誰かに発見される可能性はまずあり得ません」

「さすがは俺様のヴァニタスだ。ゲートを生成したら、お前により強い力を与えてやる」

「ありがとうございます」

 キョウコは大きく一礼し、個室の扉を閉めて鍵をかけた。

「さて、と……」

 ゲートの地点に病院を選んだことには理由がある。一つは、人間が大勢集まる場所であること。もう一つは、赤ん坊や老人、病人などすぐに魂を吸収できる弱者が多いこと。

 ある程度の数はディアボロに回し、残りで自らの傷を回復させる。アグニの計画は単純で、手堅い。

 一週間程度の詠唱があれば、病院の周囲一帯を覆う結界を張れるだろう。

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