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サヤ・イツクシマ

「今のままじゃ、きっと次の任務は上手くいかない気がする」

 今リョウがいるのは、戦いの舞台となった錦糸町のショッピングモール(既に瓦礫の山となっているが)からそう遠くない位置にある総合病院だ。

 その中の一室――入院患者用の個室で、彼はベッドで寝ている人物に向けて話をしていた。寝ているのは、リョウよりも少しだけ若い少女だった。

 リョウはベッドのそばに丸椅子を置いて腰かけ、四匹の狼(クアトロス・フォース)というチームの発端から、今までのことを淡々と語り通した。

 ベッドの少女は、その間一度も言葉を発しなかった。それどころか、相槌を打つような素振りすら見せない。

 というのも、もう五年以上彼女は目を覚ましていない。体は生命維持装置に繋がれ、辛うじて生き永らえている。

 少女の名は、サヤ・イツクシマ。リョウの、二つ年の離れた妹である。

 月に一度、リョウはサヤの元を訪れては、こうして学園での出来事を伝えている。今回は、四匹の狼発足という事態もあり、普段よりも一週間ほど来るのが遅くなった。その分、面会時間が終わりに差し掛かっても話すことが尽きない。

 丁度、昨日の出来事を話し終えたところだった。

 アグニという名のディアボロとの戦闘と、その後――

 アグニが姿を消し、戦いが終わった後、時間は慌ただしく過ぎていった。

 ロンドとバステットは重傷を負ったため、学園内の病院施設へ搬送された。撃退士且つ天魔とはいえ、再び戦えるようになるまで一週間はかかるらしい。

 その後、戦いの結果を報告した。

 四匹の狼の、初めての任務失敗。その事実は、四匹の狼という特殊なチームの存続そのものを揺るがしかねない事態だった。

 元々雪緒、ロンド、バステットの三人は、上層部から睨まれていた"協調性に欠ける"者達である。彼らにとっては、四匹の狼こそが撃退士としての最後の居場所だった。

 故に、一度の失敗が彼らの首を大きく絞めることになる。三人がそれを危惧しているかどうかはわからない。だが、一番そのことを恐れているのはリョウだった。

「任務が失敗したのは、リーダーの僕の責任だ。僕が溢れ出す蛾をもっと素早く撃退できていれば、ロンドもバステットもあんなに傷を負うことなんてなかったはずだから」

 言ってから、自分はなぜこんな悲しい話を妹にしているのだろうと我に返った。思い出せば、今までほとんど任務は成功させてきたし、自分も味方も重傷を負ったことはなかった。それは、何よりも命を一番に考えるリョウの性格故の成果だった。少しでも危険があれば、その場で安全な作戦に切り替える。どうしようもないときは、自分が前線に立って先陣を切る。

 今までずっと、そうしてきた――昨日を除いて。

 あのとき、リョウは完全に油断していた。

 三人なら勝てるだろうと。自分は大人しく後方に控えていようと。

 それは決して、三人のことを信頼していたわけではない。過大評価していたわけでもない。だが、三人のうちの誰かがまた決着をつけるのだろうと、思っていた。

 それ以上にリョウを苛むのは、敵のことをまるで考慮していなかったことだ。

 通報を額面通りに受け入れ、この目で確認した時点でも、疑うことをしなかった。そこに悪魔が現れる可能性を、頭の片隅に留めることもせずに。

 元より三人は、リョウが忠告したところで耳を貸さないだろう。しかし、今となってはそれも言い訳にしかならない。

「ごめん、サヤ」

 ――こんな話をするために来たわけじゃないのに。

 そう言いかけて、口はぴたりと止まってしまった。一つの疑問が――ずっとリョウの頭を渦巻いていた疑問が、ふと鎌首をもたげる。

 果たして、サヤはこんなことを望んでいるのだろうか?

 医者が言うには、彼女は目を覚まさないとはいえ、一日のうち数時間は意識が回復しているらしい。リョウの話を聞いている間に意識があるのかはわからない。だが、彼女はそんな話を聞きたがっているのだろうか。

 そもそも、意識だけが生かされている今の状態を、良しと思っているのだろうか。

 深い眠りの底に落ちているサヤから、真意を聞く術はない。

 彼女を生命維持装置に繋いで生き永らえさせているのは、リョウがそれを願ったからだ。彼の得る報酬のほとんどは、入院費のため仕送りに出されている。

 サヤの許可も得ずに、こんな措置を施していいのだろうかと、リョウは時々不安に駆られることがある。

 リョウが生命維持装置の使用を決めた理由は、様々であった。

 同じ事故で両親を失ったため、決定権はリョウにあったから。命は大切にしないといけないから。リョウ自身が妹を助けたいと思ったから。医者に決断を迫られた時、断れば軽蔑されそうだったから。唯一の血の繋がった家族として、使命感に駆られたから。

 それらの理由や動機が一緒くたになって、リョウは決断した。主観と客観が入り混じり、それが正しい判断だったのかどうかはわからない。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 リョウは、選択を先延ばしにしただけだ。サヤを生かすか殺すかの決断を、今もまだ迷っている。恐らく、今日も決めることはできない。きっかけがないからだ。何か、例えばサヤが突然目を覚ましたり、容態が悪化(望んでいるわけではない)したりすれば、それが背中を押してくれる。

 そんな、背中を押してくれる手を、リョウはずっと待っている。これからも、待ち続ける。

「ごめん、サヤ……」

 もう一度、彼は呟いた。ただ謝ることしかできない自分が卑怯だということは、重々承知している。リョウは唇をきつく噛み締めた。せめてその姿だけでもサヤに見せないように、深く俯きながら。

 撃退士としてのリョウの戦い方にも、その迷いは表れていた。

 作戦は自分で立てる。皆がそれに同意する。しかし、自分は決してとどめを刺さない。前線に出ても、先陣は切るものの、最後は後続に任せている。その方が効率がいい、というのはもっともらしい口実に過ぎない。

 リョウは、常に自分が責任を負わない――それでいて確実に成功が見込める作戦を立ててきた。

 つまり、失敗しても作戦に支障を来すことのない役割を演じていた。

 リーダーであることや、作戦の成功率のおかげで、リョウは優秀な撃退士としての評価を得ている。事実、優秀と称されるほどの力を持ち合わせている。

「昨日の戦いで、わかったことがあるんだ」

 リョウは頭の中を渦巻く考えを整理しながら、言葉を紡いだ。

「僕は今まで、今までずっと、仲間のために戦ったことなんてなかったんだ、って」

 昨日の記憶が、渦の中で一際強く光を放ち、中心に留まっている。

 あの時、ショッピングモールの外で蛾の群れを相手にしていると、急激にその数が減っていった。蛾が一斉に進行方向を反転させ、モール内の奥に向かっていき、そこで爆発が起こったのだ。

 一瞬の出来事だったため、何が起こったのかその時点では理解できなかった。

 ただ、晴れた視界の向こうに広がっていたのは、地獄絵図とも言うべき惨劇であった。ロンドもバステットも大怪我を負った状態で倒れていて、見覚えのない悪魔が今まさに最後にして最大の一撃を放とうとしていた。気配で、雪緒も二人ほどではないがダメージを受け大人しくなっているのがわかった。

「あんなに無我夢中で剣を振るったのは、初めてだった。今ならわかる気がするんだ。あれが、仲間のために戦うってことなんだってさ」

 リョウの表情のから険しさが、巨大な迷宮の中で小さな道しるべを見つけたかのようにほどけていく。しかし、笑みが差し込む寸前で、踏み止まった。

「でも、またあんな風に戦える自信が、まだ持てない」

 だから、次の任務は上手くいかない気がする。

 気が付くと、面接時間を五分もオーバーしていた。そろそろ看護師が様子を見に来る頃だ。

「それじゃあサヤ、また来月」

 精一杯微笑もうとして、リョウの顔はぎこちなく歪んだ。それが申し訳なくて、自分に腹が立って、彼は逃げるように席を立った。


 病院の廊下に出ると、すぐ横で雪緒が壁に背を預けた格好で佇んでいた。昨日の戦いで着物はぼろぼろになっていたはずだが、相変わらず、汚れ一つない黒い着物に身を包んでいる。もしかすると、同じものを幾つも持っているのかもしれない。

「雪緒? どうしてここに……」

「ごめんなさい。リョウの後をついてきたの。特に、理由はないのだけど」

 大胆に開いた裾のスリットから、組まれた脚が太腿の付け根まで晒しているが、彼女は気にした様子もない。左腕はギプスと一緒に包帯で巻かれていて、首に吊るしてはいないものの、無意識に何度も右手でさすっている。

「ううん、気にしてないよ。もしかして話し声も、聞こえてたかな?」

 雪緒は目を伏せ、無言で頷いた。

 これほど申し訳なさそうにしている彼女を、リョウは初めて見た。しばらく口を開けたままぽかんとしていると、雪緒が顔色を窺うように目線を寄越してくる。

「あ、えっと、それで、どうしてついてきたの?」

 我に返ったリョウは、思い出したように当初の疑問をぶつけた。

 すると雪緒は、再び目を伏せた。今度は、言葉に窮しているらしい。

「とくに理由は……ただ、話を聞いてほしいのかも」

「話?」

「ええ。昨日のことなんだけど」

 昨日のことと聞いただけで、リョウは察した。確かに、雪緒が昨日とった行動には、一つだけ疑問が残る。無論、バステットやロンドにも疑問はあるのだが。

「私自身、何故あんなことをしたのかわからないの…………堕天使を助けるなんて」

「……あのときはありがとう。僕一人じゃ、近くにいたバステットしか助けられそうになかったから」

 リョウは素直に礼を言うことにした。

 だが、感謝の気持ちだけで納得できるほど、彼女の悩みは簡単なものではなかった。

「本当にその通りね。私には、見殺しにするっていう選択肢もあったはずなのに」

「見殺しだなんて、そんな――」

「リョウ、勘違いしないで。私は天魔を殺すために撃退士になったの。仲間だからとか、そんなことは理由にならないわ」

 リョウの言葉を遮り、雪緒は語気を荒げた。

 その様子が、リョウには無理矢理自分に言い聞かせているようにしか見えなかった。雪緒は自分自身を抱くように、ギプスの巻かれた左手を右手で掴む。今まで彼女から感じていた覚悟が、揺らいでいるような気がした。雪緒はそのことを恐れているのだと、リョウにも理解することができるほどに。

 リョウは意を決して、彼女の背中を押してみようと試みた。

「僕は、理由になると思う」

「……どういうこと?」

 雪緒の反応は、思った以上に冷たかった。しかし、リョウはひるまずに続ける。

「仲間だから、たとえ堕天使やはぐれ悪魔だとしても助ける。僕は、間違っていないと思うよ」

「……リョウはそう思うのかもしれないけど、私は違うわ」

 雪緒は腹立たしげにそっぽを向いた。どうやら、彼女にきっかけを作ってやることはできなかったらしい。

「そうだね。僕と雪緒は、随分違う」

「?」

 リョウの言葉が予想外だったのか、雪緒は思わず彼に向き直った。

「強いよ、雪緒は。本当に、強い……」

 僕なんて、一人で何も決められないでいるから。

 リョウはようやく、その顔に笑みを湛えた。

 力のない、何かを諦めてしまったかのような表情は、涙よりも雄弁に悲しみを物語っていた。

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