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無言の衝動


 爆炎が飛び火したせいか、戦場となった三階ではあちこちで火事が起こっていた。

 アグニが起こした最後の爆発以降、銃弾が飛んでくることはなかった。その場にいるロンドもバステットも、顔を起こすのがやっとで、戦う気力など残っていない。

 それまで歪んだ笑みを浮かべていたアグニの表情が、はたと消える。

「あーあ、終わっちまった」

 地鳴りのような音が続く中、アグニは考え事でもするかのようにその場をうろつき始める。隙だらけでだらだらと歩いているのは、そこにいる全員を見下しているが故だった。

「どうせならさ、全員でかかって来いよ。一人ずつじゃ話にならねえ。ま、そうなったところで他の撃退士と変わらねえと思うけど」

 アグニは、戦いにもならなかった相手に不満をぶちまけていく。まるで店員の態度一つを執拗に責め立てるクレーマーの如き剣幕だ。

「くそったれ……」

「くそったれ? そう言いたいのはこっちの方だっつーの。バステットよお、まさかあれだけで強くなったつもりだったのか?」

 バステットの鬼の形相にも一切動じることなく、アグニは彼女の前にしゃがみ、髪の毛を掴んで引っ張り上げた。

 その瞬間、バステットはアグニの顔目がけて唾を吐きつけた。が、唾はアグニの体をすり抜けて、背後の床に落ちる。

「天使も悪魔も、アウルに関係のないものなら透過することができる。忘れたのか?」

 その気になれば、アグニもロンドもバステットも、倒壊するショッピングモールそのものをすり抜けることができる。これが、天魔に対し通常の兵器では一切攻撃を加えることができない理由だ。彼らの能力を無視して触れられるのは、アウルによる攻撃か――

「なら、こいつはどうだい?」

 バステットはさらに、口から何かを吐き出した。

「!?」

"それ"はアグニをすり抜けることなく、彼の右目に突き刺さった。

 彼は油断していた。故に、見逃していた。

 バステットの指から、一つだけマンダリン・レイヴンが外されていたことを。天魔の持つ透過能力を無視して触れることのできる、アウル以外のもの――VW(ヴァイサリス・ウェポン)を。

「っがぁああああああああああああ!」

「ははは、こんな単純な手に引っかかるとはね。それでアタシより強いつもりか?」

 右目を抑えたアグニは左手だけで彼女の頭を掴み、乱暴に投げ飛ばした。透過能力を行使する暇もなく、バステットは亀裂の入った壁に背中から激突した。

「今日は挨拶だけのつもりだったが予定変更だ! テメェは今ここで殺す!」

 アグニの左手に、掌大の火球が生まれる。赤い球体が、橙色の炎で燃えているかのようなそれが出現しただけで、周囲の気温が一気に上昇した。

 バステットはその攻撃を知っていた。過去に自分を裏切った灼熱の弾丸、メテオプロミネンス。古傷が、怯えるかの如く疼いた。壁にもたれ掛かるようにして半身を預けたまま、彼女は動かなかった。

 最後に一矢報いることができた。それでいいじゃないかと、バステットは必死に自分に言い聞かせる。奴の苦しんでいる姿を目に焼きつけて死ねるのなら本望だ。ざまあみろ、アグニ。

「…………」

 だが、どんなに強がろうとしても、笑おうとしても、涙が零れた。

 悔しい。とても悔しい。あいつに裏切られてから、自分では強くなっていたつもりだった。なのに、最大の力を発揮して、ようやく互角だなんて。

「畜生……畜生畜生畜生!」

「ほざけ!」

 彼女の慟哭を、アグニの激昂が掻き消す。彼の掌に生まれた火球は徐々に膨らんでおり、既に直径一メートル以上に達していた。空気が陽炎のように揺れ、睨み合う双方の全身を汗が伝っていた。

 その、砂漠と化したモール内に、一陣の風が走った。

「――」

 アグニには、それが何であるのか、一瞬わからなかった。

 逆にバステットには、即座にその正体を知った。

 アグニには見えず、バステットには見えた何か――それは右目を抑えているアグニの死角に、突如として現れた。映画のフィルムを継ぎ接ぎして、何もなかった場所に突然人や物を出現させる編集のような、そうとしか言いようのない速さで。

 気配を察知したアグニが、左目で死角に入った者の姿を捉えようとする。

 その刹那の間に、その者は手にした得物を振るった。巨大な大剣が、圧倒的な速度と質量でアグニの脇腹を屠る。

「かっ……」

 次の瞬間、アグニは大きく吹き飛ばされていた。スイングしたバットに捉えられたボール同様に、抵抗する暇もなく、容易く。

 振るわれた大剣からは、同時に衝撃波が生まれていた。衝撃波は深い切り傷をこじ開けるかのように突き刺さり、アグニはたまらず絶叫した。

「……リョウ?」

 絶叫に紛れて、呆然とバステットが突如現れた男の名を呼んだ。

 リョウは彼女に顔を向けることもなく、アグニの絶叫に耳を傾けることもしなかった。

「雪緒! 二人を連れて建物の外へ!」

 その場で震えていた全ての音と声が霞み、男――リョウの声が凛として響き渡った。闇雲に喉を震わせたのではない。リョウは腹の底からどう声を絞り上げればいいのかを知っていた。

 リョウは、宙に浮きながら苦痛に悶えるアグニに猛追する。

 だが、手負いとはいえアグニも攻撃が来ると分かっていて何もしないはずがない。迫り来るリョウを睨みつける。同時に体の裏から、放射状に蛾が溢れ出す。

 臆せず、リョウは正面から蛾の群れに突進する。あの蛾には、戦闘能力がないと、リョウは知っている。

「リョウー! その蛾は爆発するぞ!」

 バステットが叫ぶ。自分が何故そんなことを叫んでしまったのか、理解できないままに。ただ、リョウはそのことを知っていないように思えた。それだけの理由で、彼女は叫んだ。

 リョウが一瞬だけ、彼女のことを見る。咄嗟に彼は、構えていた大剣の柄に繋がれた鎖を伸ばした。アウルの力が鎖の鉄輪を増やしていき、先端に突いた太い釘のような突起がリョウの背後にあった壁に突き刺さる。

「遅ぇ!」

 鎖はアウルの力によって再び縮んでいこうとするが、蛾の体が膨らみ、破裂したのはそれよりも僅かに速かった。

「っ!!」

 鎖の伸縮によってではなく、爆風が、炎が、リョウの体を弾き飛ばした。

「なんだ……?」

 アグニの表情は、驚愕と苛立ちに満ちていた。先ほど、リョウの不意討ちを受けた時から一切変化がない。

 手応えは、あった。何かを確実に破壊した。

 だがそれは、死角を突いて傷を負わせたあの男ではない。

 似たような手応えを、アグニは以前感じたことがある。それも、ごく最近。ほんの十数分前に。

 彼の違和感どおり、壁に叩きつけられたはずのリョウは、無傷であった。爆発による傷はおろか、そもそも壁にすらぶつかっていない。

 リョウは、守られていた。

 アグニは、床に倒れ伏したままのロンドに目をやった。よく見ると、彼の片腕だけが、指が、リョウを指しながらアウルの輝きを発していた。

「あの堕天使野郎……」

 爆発で前面が砕け、ドーム状になっているが、リョウを爆撃から防いだのはロンドのスキル――イージスフィアだった。

 リョウは大剣を構えた。アグニの周囲を漂う蛾達を警戒しているのが、ありありとわかる。もう彼に、裏をかく真似はできない。アグニは、リョウの佇まいを見ただけでそれを察した。

 これ以上戦うのは分が悪いと、アグニは結論付けた。右目と腹部を負傷していては、満足に全力を出すことも叶わない。

 それよりもアグニの心に撤退を訴えかけているのは、動揺だった。突然現れ、傷を負わせてきた謎の撃退士。油断していたとはいえ、その力と速さは彼の余裕を崩すには十分すぎるほどであった。

 何よりもまず、回復を優先しなければならない。どこかでゲートを作り、できるだけ早く。

「ちっ……」

 建物が完全に倒壊し、あの男が足元をふらつかせれば、隙が生まれるかもしれない。

 その選択肢を、アグニは歯を食いしばって捨てた。

 周囲を蠢いていた蛾が、アグニの体を覆っていく。悪魔の姿を形作るようにして群がった蛾は共食いを始め、不気味なオブジェのような姿をみるみるうちに小さくしていった。

 蛾が最後の一匹になり、それがアウルの光と共に消滅すると、アグニの姿もまた消え失せていた。

 それを合図に、一際強い振動がモール内を襲った。建物を支えていた巨大な柱そのものが、いよいよ砕けた。

 リョウは近くにいたバステットを抱えて、三階の窓を突き破って外に飛び出した。

 後を追うように、ロンドを背負った雪緒がそれに続く。

「雪緒、ありがとう!」

 着地し、建物の手前に広がる大きな公園まで走り終えると、リョウは雪緒に礼を言った。

 彼女はそれに答えず、唇をきゅっと噛んだままロンドをその場に横たわらせた。

「バステットも、ロンドも、ありがとう。急いで学園に戻ろう」

 二人とも意識こそあったものの、リョウに返事をすることはなかった。

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