一触即発
一ヶ月が過ぎた。
四匹の狼は否応なく発足し、これまでに四度の戦いで勝利を収めていた。
そして五度目となる今回も、新宿駅内で暴走していたディアボロ――ミノタウロスを呆気なく撃退した。
天魔の侵攻は、直接天使や悪魔が手を下しにくるケースは稀である。
では何が侵攻してくるのか――リョウ達の目の前で力尽きているディアボロ等が、それに該当する。
悪魔は、ゲートによって魂を抜き取られた人間の抜け殻から、戦闘に特化した魔物ディアボロを生み出す。
対して天使は、ゲートによって感情を抜き取った人間を、同じく魔物にする。天界の魔物は、サーバントと呼ばれている。
ディアボロとサーバント、どちらも魔物であることに変わりはない。生成したゲートを守るために天魔が生み出すこともあれば、ゲートによって、天魔のあずかり知らぬところで勝手に魔物と化してしまう場合もある。
ディアボロもサーバントも知能こそ低いものの、本能が人間に敵対心を向けている。見つかり次第即撃退しなければならない。
ディアボロやサーバントの他に、天魔は人間そのものに力を与え、僕として扱うケースもある。悪魔と契約した者はヴァニタス、天使と契約した者はシュトラッサーと呼ばれ、ゲートの生成や侵攻のための先兵となる。
契約であるが故に、人間の方から力欲しさに天魔へ縋る者もいる。ヴァニタスもシュトラッサーも、一度死ぬことで契約が完了するため、二度と人間には戻れない。
リョウも何度か戦ったことはあるが、殺すのを躊躇ったのは最初の一戦だけだ。ヴァニタスもシュトラッサーも、人間としての自分を捨ててしまっている。
そして今、リョウは人間としての自分で、"協調性に欠ける三人"をまとめようと試みている。
リョウの目の前で、その三人――雪緒、バステット、ロンドは口々に互いを罵り合っている。手が出ていないだけ、まだマシだ。
(こんなんで、この先も戦っていけるのかなあ……)
正直、人間としての自分、リョウ・イツクシマでどう勝負すればいいのだろうか。シンに言われたときこそはっとしたものだったが、いざとなってみると、方法すら思い浮かばない。
三人は統率こそ取れていないものの、さすがに実力だけは一級である。
誰もリョウの立てた作戦通りには動かず、自由に戦っているというのに、今のところ負けはない。
三人も、戦っている間だけは不意打ち等をしないため、ある意味戦っているときだけリョウの心は落ち着いていた。
一つ前の戦いでは、サーバントがリョウ、ロンド、バステットの前に現れるよりも早く、雪緒が蓮像狙撃して倒してしまった。
二つ前の戦いでは、ハイエナのような大勢のディアボロが全てバステットの爪に切り裂かれた。その間、他の三人は彼女を遠くから見ていることしかできなかった。
三つ前の戦いでは、ロンドが巨大な石像のようなディアボロを一撃で仕留めてしまった。
四つ前の戦いは、もう誰の単独行動で勝利したのか思い出せない。
危険な単独行動が、難なく勝利をもぎ取ってしまっているのである。
リョウも援護に入ろうと努力してはいるのだが、成功したのは一度か二度程度しかない。
果たして自分は本当にこの三人を率いることができるのか……リョウの自信は小さくなる一方だった。
今日も放課後は、四人で集まって作戦会議をすることになっている。
彼らは一応集まってくれるものの、作戦内容が決まってもその通りに動いてはくれないのだが。
今回の任務も、前回と同じくディアボロの討伐である。
作戦を立てる暇があるほど余裕なのかと言われれば、答えはノーだ。だが作戦もなしに戦いに赴き、命を無駄にすることはできない。
撃退士は、早急に作戦を立て、早急に天魔からの侵攻を食い止めなければいけない。魔物や天魔の目撃情報から出動までに、あまり時間はかけていられない。
今回、ディアボロの目撃情報が久遠ヶ原学園へと通報されたのは午前と午後の丁度境目の頃だった。独自の調査班がディアボロの見た目や特徴を簡単に説明してくれたのが、つい先ほどのことである。
そして放課後、リョウは久遠ヶ原学園大学部の四号館へと来ていた。場所は屋上。初めてバステットやロンドと出会った此処が、何故か彼らの会議室となってしまっていた。
既にそこには先客がいた。屋上のほぼ中心に立って、空を見上げている。ロンド・フレイアールヴだ。
「リョウ・イツクシマか」
ロンドはリョウに目も向けず――それどころか、リョウはロンドの背後にいるはずなのに――声をかけてきた。気配だけで、誰が来たのかを理解したとでもいうのだろうか。
「お前は、あの空が美しいと思うか」
「空?」
つられて、リョウも顔を上に向けた。雲に覆われた空は、雨こそ振っていないものの、不吉な灰色に染まっている。
「今日は、あんまり綺麗な空模様じゃない、かな」
「ならば、昨日の空はどうだ」
昨日は確か、日差しを強く感じるほど晴れ渡っていた一日だった。
「昨日は綺麗だったと思う。一面が青くて、透き通っているような感じで」
質問の意図がつかめぬまま、リョウは答えた。
「解せぬ……」
「え?」
ロンドは空を見上げるのをやめ、リョウへと振り返った。
「昨日の空を美しいと思い、今日の空を美しくないと思う、その心が、感情が解せぬと言っているのだ」
「……?」
急にそんなことを言われても、リョウには言い返すこともできない。
ロンドは揺るぎない足取りで、リョウに近づいていく。
「所詮、俺には理解の及ばぬことだ。だが、感情とやらが非常にややこしく、戦闘に不要なものだということはわかる」
ロンドは無表情のまま、淡々と言葉を連ねていく。その態度は決して冷たいわけではない。態度や言葉に現れるはずの温もりや冷たさが、ロンドのそれからは一切感じ取れないのだ。
「そんなこと言わなくても……」
リョウは反論しようとしたが、言葉に詰まった。感情がほとんどないといっていい相手に、感情の素晴らしさを説いたところで無意味ではないか。そう思った途端に、口から出るはずだった言葉が吐息に変わっていった。
ロンドが何故撃退士となる道を選んだのか。報告書にはしっかりと記されていた。
彼はどうやら、悪魔と対抗するために人類へと侵攻することを是としなかったらしい。他の天使たちが、人間から感情を奪うべくゲートを生成するのを見て、天界側の陣営を抜けたのだ。
そしてロンドは、元々敵対関係にある悪魔も、人間から感情を抜き取ることに腐心する天使も相手にできる撃退士へと転向した。
「俺は自分の意志で物事を決めている。力を得るために感情など必要ないと判断し、お前たちと共に戦おうとしている」
だが、とロンドは言葉を区切った。リョウよりも背の高いロンドは、威圧的な眼差しでリョウを見下ろす。
「人間たちも、感情で戦っている。感情が先走る故に過ちを犯し、命を落とす者までいる。愚かだ。愚かで醜い。愚かで醜く浅ましい」
そこには一切の感情が込められていない。見下ろしている視線から受ける威圧感は、リョウが勝手に感じているだけだ。
「俺はそんな愚かで醜く浅ましい者達など、守りはしない。守られるつもりもない。だから、今回も一人で戦わせてもらう」
一人で戦わせてもらう――ロンドがリョウに話しかけるとき、決まって彼が最後に口にする言葉だ。基本的にロンドが一方的に話し、一方的に打ち切る。いつものことだが、毎回最初に話す内容は違うので、リョウは中々慣れないでいる。
それに、できれば慣れたくない。むしろ、ロンドには認めてもらいたいと思っていた。
カシャン、とフェンスが揺れる音がした。リョウもロンドも、反射的に音のする方へ目を向ける。
「さっきから何の話かと思って聞いてたらさー、なーに一人で勝手にポエってんのよ、アンタ」
フェンスをよじ登って屋上にやって来たのは、バステットだ。彼女は何故か、階段も、自身の持つ翼も使わずに屋上へやってくる。何故なのかを問うと、「その方が面白いから」と言われた。
「悪魔か。お前の理解が及ぶ話などしていない。聞くだけ無駄だったな」
「あれぇ~? 怒ってる? もしかして怒ってるの? 感情ないんじゃないの? 無駄なんじゃないの? そんなこと言ってるアンタが怒っちゃっていいの?」
「お前はまたしても、生き急ぐつもりか」
ロンドの全身から、突如殺気が放たれた。前触れなど、刹那も存在しなかった。
「なにそれ、どゆこと? アタシは楽しければいーの。だけど……」
バステットの口調は相変わらず軽い。だが、身に纏う空気が不穏なものへと変わる。
まずいな、とリョウは後ずさる。本当なら仲裁に入るべきなのだが、止められる自信がない。
「ちょっと、二人で勝手に殺し合うのはやめてくれる?」
追い打ちをかけるように、背後から声がした。
雪緒だ。なんと彼女は既に藤色の光纏を発動しており、両手に一対のトンファーを構えている。ロンドよりもバステットよりも、明確な殺意が見て取れた。
「あ、あのさ皆。今日は作戦会議のために集まったんだよね?」
「その通りだ、リョウ・イツクシマ。だが、作戦を聞く気がない者がいても仕方あるまい」
「アンタだって聞いてないようなモンでしょ。次こそ事故に見せかけて殺すよ?」
バステットの口ぶりは、もはや"協調性に欠ける"どころか危険な問題児の域に達している。ロンドに喧嘩を売っているのは、ただ単に彼女が面白がってやっているだけなのだ。しかし、相手がその気になったら、彼女も迷わず戦うだろう。
「…………」
話を聞いていた雪緒が、無言で武器をスナイパーライフルへと持ち替えた。二人が戦い、疲弊したところを狙撃で不意討ちするつもりなのだろうか。
「作戦会議だってば! 早く行って、誰でもいいからディアボロを倒さなきゃ!」
思わずリョウが叫んだ。
このときリョウは、既に油断していた。自覚こそしていないものの、油断していた。
三人の実力は一級だ。それ故に、結局最後は誰かが勝負を決めるだろうと、心のどこかで思っていた。
その油断を、彼は後悔することになる。しかしそのことを、まだこの場にいる誰も知らないでいる。