無人島で逢いましょう
「『小説家になろう』で企画競作するスレ」から、お題「無人島」で書きました。
作中で、難しい題材に触れています。
ご了承ください。
件名:今夜12時
本文:無人島で
消灯時間直前に滑り込んできたメールに、すっと血の気が引く。
恐怖からじゃない。
怒りのせいだ。
震える手で返信した。
件名:あんたバカ?
本文:大人しく寝てろ。
爪を食い込ませるように送信ボタンを押し、携帯をぱたんと閉じた。
今日ヤツは熱を出して授業を休んだ、らしい。
昼休み、食堂で、瑞穂が教えてくれたのだった。
「……あのね」
優しくて物言いにとても気を遣う子だから、ためらうのだろう。
それでも、少し目線をさまよわせた後、意を決したように私を正面から見つめた。
「毎晩、待ってるんだって。加藤くん」
「そう」
そう、としか言えなかった。
最初に呼び出しメールが来たのが、先週の火曜日。
そして今日は木曜日。
ついでに言うと、今は二月初旬。
雪が降る地方では無いけれど、その分放射冷却は厳しい。
その真夜中に、連日の待ちぼうけ。
トータル何分だか何時間だか知らないが、風邪くらい引いて当然だ。いくらバカでも。
水面を渡る風は、耳が千切れるほど冷たいだろうに。
いらいらする。
センター試験は終わっても、受験はまだこれからが本番のはず。
なのに何で、この時期に来て、わざわざ。
今さら。
「伊織」
瑞穂の声に視線を動かして、気づく。
いつの間にか、目を逸らしてたんだ、私。
「会った方が、いいと思うよ」
「……別にあたし、会わないなんて言ってないよ」
感情が声ににじむ。いやだな、瑞穂にぶつけたい訳じゃないのに。
「あっちが変なの。会いたかったら、こうやって食堂で声をかけるなり、うちの教室に顔出すなり、すればいいことじゃない」
「……学校では話しづらいのかも」
「じゃあ外へ呼び出せばいいでしょう。間に土日もあったんだよ?」
「それは……喫茶店とか入るの、禁止だし」
この辺はど田舎で、高校生が立ち寄れる店などいくつもありはしない。その上敷地の外へ出るときは制服着用が義務と来ているから、その格好でアベック(死語)がうろついていたら、即バレだ。
不純異性交遊は、厳罰。
一応生徒手帳に明記されている。
笑っちゃう。
「そうね、うちの学校はお堅いもんね」
片頬を歪めて発した言葉は、自分でもわかるくらいに意地が悪かった。
「だから尚更、行ける訳ないの、わかるでしょう? そんな時間に、あんなとこへなんて」
午前零時は、当然のことながら寮の門限も消灯時間もぶっちぎっている。
そして「無人島」は――普段でも、立ち入りが制限されている場所なのだった。
学校の敷地の真ん中に、大きい池が一つ。
その真ん中に、小さな島が一つ。
島の上には、祠が一つ。
奉られている神様の名前がついていた気もするけれど、生徒たちは単に「島」と呼び習わしている。
「無人島」は、私たちの間でだけの符牒だった。
上空から見て、池の右翼に男子寮。
左翼に女子寮。
上側には、森とは呼べないまでも鬱蒼と茂った木々の群れ。
そして、池の手前側が、学舎。各種施設。
島へ渡るための唯一の橋は、校舎のちょうど裏手から延びている。
ただし、杭の間に鎖が渡されて、「許可なく立入を禁ず」の札が下がっていた。
それでもそこまでアンタッチャブルな感じがしないのは、申請さえすればごく簡単に許可が下りるためだ。
美術で写生をするとか、写真部が風景写真を撮るとか、はたまた憩いを求めて散策、お弁当を広げたいなどの個人的な理由でも、氏名とクラスと目的と、出入りの時間を書けばオーケー。
もっと気候のいい季節であれば、誰かしらが上陸して羽根を伸ばしている。
規則の厳しい、お堅い学校ではあるけれど、自由と無分別をはき違えさえしなければ、学園生活を楽しく送るための工夫については制限されない。
むしろ、学園祭や体育祭などの学校行事は、進学校にしては盛り上がるし、生徒による自治も上手く行っている方ではないだろうか。
それなりに歴史も知名度もある。
ずっと昔は、学校自体も男子部女子部に分かれていたのが、昭和が終わった頃に統合されたらしい。
前後して全寮制でもなくなったのだが、実質はほとんどの生徒が寮住まいだった。
こんな辺鄙なところへ何時間もかけて自宅から通うくらいなら、その時間を勉強をはじめいろいろなことに充てた方がいいに決まっている。
そう考える人間が集まっている。
通いで来ているのは、たまたま家が近かったか、親戚が近くに居て下宿できる、家族ごと引っ越して来られる、など事情が許した少数派だけ。
ここの校風自体は、気に入っていた。
だから。
だから、そう、だから。
私はあいつの、ルール無視の無分別な呼び出しには応えたくない。
それだけ。
「お大事にって、伝えといて」
束の間落ちた沈黙を拭うように、少しだけ明るい声を出す。
「あ、あいつは自業自得だからどうでもいい。松川くんに、うつされないようにねって」
松川くんは、ヤツと同じクラスの上に、同室だ。
面倒見の良い質だから、こうして瑞穂経由で私に情報を流してくれたのだろう。
ちなみに、瑞穂の彼氏でもある。
「不純異性交遊」は厳罰だけど、「節度のある青少年らしい親交」の範囲であれば規制はされず、そして彼らの付き合い方と来たら全くお手本にしたいような微笑ましさなのだった。(少なくとも、表向きには。)
一年生の時に同じ教室で過ごした彼の姿を思い浮かべると、少しだけ胸が痛くなった。
今はもう、遠い。
彼も、瑞穂も、そしてあいつも。
あの時同じ場所で笑っていたのに、私だけが置いて行かれて、そして違う道を歩いている。
「ほら、早くお昼食べないと。瑞穂のところ、午後イチで体育でしょう」
親切ごかして私が急かすと、瑞穂は切ない目をした。
「会った方が、いいよ」
繰り返される、助言。
「――私たち、もう、卒業なんだよ」
そうね、あなたたちは卒業だね。
その一言を呑み込んだのは、単に意地からだった。
あまりにもわかりやすく、卑屈だ。
あるいは瑞穂は、私のその答えを望んでいたのかもしれない。それを突破口に喧嘩をする覚悟すら、持って臨んでくれていたのかもしれない。
けれど私は、そっと見ない振りをした。
細く繋がっている友情の糸を、ぷつりと断ち切る手応えを感じながら。
そんな昼間のやりとりが、授業を終えても夕食を食べても、心をささくれ立たせていた。
そこへ持ってきて、相も変わらぬ呼び出しメール。
拒否したものの、それに対しての返信が無い。
待つつもりだろうか、今日も。まさか。
勉強はまるで手につかなかった。
さすがに大人しくダウンか、それとも、と、やきもきする状態に疲れ、早々に寝てしまえとベッドに潜っても、目が冴えて眠れない。
時計の針がてっぺんで重なったのを、見守ってしまった。
その三分後に、また携帯が震えた。
件名:Re:あんたバカ?
本文:アルデバランがよく見える。
――バカ、の後のクエスチョンマークをエクスクラメーションマークに替えたい!! 今からでも。
跳ね起きた私の手の中で、さらに震える携帯。
件名:(無題)
本文:待ってる
ホラーか何かか、これは!
勢いよく部屋着を脱ぎ捨てた。
吸湿発熱素材の下着上下を着込み、タートルネックの長袖Tシャツとジーパンに身を包む。
薄手のセーターと、やはり薄手のダウンジャケットを重ねた。
首回りにはマフラー。頭には毛糸の帽子。
色が全て黒なのは、最近の好みと、「私服であっても華美な服装は慎むこと」という規則を遵守した結果タンスの中がそうなってしまったというだけのことであって、決してこの時あるを予想した訳じゃない。
ベッドの下から引っ張り出したスニーカーを、新聞紙の上で履いて。
こういうとき、一人部屋なのは幸いかもしれない。
その代わり協力も頼めないけれど。
去年まで同室だった瑞穂の、困りながらも受け入れてくれた笑顔がかさかさと記憶をひっかく。
私はそっと窓を開けた。
流れ込んでくる冷気。痛い。
部屋は二階だから、窓枠から腕をぎりぎりまで伸ばしてぶら下がれば、そんなに高いこともない。
そうやって私は、飛び降りた。
帰りのことは、もうどうでもよかった。
寮は塀で囲まれている。
学校の敷地自体が高い塀で囲まれているから、二重の守りの中にいるわけだ。
もっとも今の私には、これは守りではなく障害物であるけれど。
もちろん迂回して門から出て行くなんて出来ない。
乗り越えるしかない。
うっすらとあるでこぼこに手足をかけて、ロッククライミングの要領でよじ登る。
冷え切った材質に体温を奪われながら、記憶を頼りにこの辺りこの辺りと探れば、しっくりと馴染む手応えがあった。
さほど手こずることもなく、ひらりと乗り越え、反対側に飛び降りる。
足の裏に響く微かな衝撃。
ふうと吐き出した息が、白い。空の上へ散らばっていく。
目の前に開ける、枯れ草地と池。
外灯も、建物からの明かりもないけれど、膨らんだ月が意外に明るくて、慣れた道なら困らない。
その代わり、いくら黒ずくめとは言え、私の姿も見とがめられ易いことだろう。
そっと忍んで、けれど出来うる限り疾く。
池の裏手に回る。木々の茂る方向。校舎から見て死角になる場所。
島に渡る<橋>は、一つしか無い。
――けれど、島に渡る方法は一つではない。
例えばここ。
水面から顔を出した石が、点々と連なっている。
ところどころ、間隔の広すぎるところを木の杭が埋めていたりするのを見るに、多分誰かが――何代か、何十代前かはわからないけれど、先輩諸氏が仕込んだものであろうと。
私たちは言い合って。
ありがたくその恩恵に預かっていた。
相応の運動能力と、度胸がいる。
瑞穂などはついに一度も、試してみようとすらしなかった。
まあ、昼間明るいときでも怖いのに、日暮れ以降大人の目を盗んで、となればハードルは高くなりすぎるから、仕方ない。
そんじょそこらの女の子に出来る芸当ではない。
昔から男子に混じって遊んでいた私だから、ためらいもなく飛ぶことが出来るのだ。
白い石の面が、月明かりを反射している。
水面ぎりぎりの縁には、いつか誰かが塗った蛍光塗料が、まだその役目を果たしている。
リズムが肝腎だ。
私は最初だけ大きく息を吸って、飛び出した。
とん、とん、とん、と、体が覚えている、この流れ。
そして私は、一年と何ヶ月ぶりかで「無人島」へ辿り着いた。
消灯後に、このルートで、島へ忍んでくること。
それが「無人島で」という符牒に込められた、私たちの――私と彼との約束事だった。
島には丈高い落葉樹が数本。
その間を繋いで埋めるような灌木の茂み。
すっぽりと隠れた、巣穴のような一隅。
いつもの場所に、彼は居た。
アウトドアで使う薄い防寒シートを敷き、別の一枚で体をくるんでいる。
私の気配を感じて、視線を上げた。
眼鏡をかけていた。
高校に入ってコンタクトに変えていたから、その姿はどこか懐かしさを感じさせた。
中学の頃に戻ったみたいだ。
言葉が出てこない。
「やあ」
言いながら、耳からイヤホンを外している。音楽か何か聴いていたようだ。
「座れば?」
と、防寒シートの前を、親鳥のように広げてみせる。
そのあまりにものんきな様子に、口より先に手が――いや、足が出た。
近づいて、スニーカーのつま先を蹴飛ばす。
「痛いよ、伊織」
「あんた、熱は!? 下がったの?」
下がったからと言って許せる行動でもないが。
「――ああ、あれは嘘」
「は?」
こともなげに言い放たれて、思わず間抜けな息が漏れてしまった。
「授業休んだのは本当。寝だめしてた。知ってるのは信頼まで。安田さんは騙されてくれただけ」
淡々と述べる。
開いた口がふさがらない。
松川くん――松川信頼くん。あんた共犯だったのか。
「……名前を裏切るような真似をしてからに――」
――『信頼』と書いて『ノブヨリ』です、という彼の定番自己紹介を苦く思い出す。
「そうでもない。俺の信頼には応えてくれた訳だし」
そしてようやく、彼は眼鏡の奥を細めた。
「座りなよ」
伸ばした手が、私の指先をつかむ。
「ほら、こんなに冷たくなってる」
誰のせいだと思ってるの、と怒鳴りたいのに。
彼の手の、おっつかっつの冷たさが、私から言葉を奪う。力を奪う。
あんた、もっと、体温高いはずでしょう?
いつからここにいたのよ。どれだけ待ってたのよ。
ついた膝の先で、防寒シートがしゃかりと音を立てた。
そのまま体を寄せて座り、二人で一枚のシートを分け合った。
加藤友衛。
幼稚園からの幼馴染。
良いことも悪いことも、一緒にしてきた。
いろんなことを、分け合った。
『もし、ひとつだけ無人島に持って行けるとしたら、何を持って行きますか?』
いつだったか、何でだったか、誰だったかに、そんなことを訊かれて。
『ともえ』
間髪入れずに答えたのを覚えている。
「コーヒー、飲む?」
保温マグを渡された。
「小腹が減ってるなら、クッキーもあるけど」
鼻の奥が痛くなる。
いつもいつも、どんなときでも用意のいい友衛。
昨日も一昨日もずっと毎晩、一式背負ってあの飛び石を越えていたのだろうか。
何故そんなに用意がいいのか、と聞いたことがある。
『伊織が無人島へ持って行けるのが僕だけなら、僕がなるべくたくさんの物を持って行くんだよ』と。
私は何も、あんたを四次元ポケット的便利アイテムと見なして「ひとつだけ」に選んだ訳じゃないのに!
そう怒ると、
『じゃあ、何で?』
逆に聞かれた。
答えは今も伝えられずにいる。
多分、こうなっては最早、永遠に伝えることはないだろう。
「俺ね」
すとん、と胸の奥に落ちてくるような声音で、友衛が呟いた。
「医者を目指してる」
「……」
風の噂で、知ってはいた。
何故かまでは知らなかった。ただ、彼の頭脳や性格、家庭環境もろもろを考え合わせたとき、その選択はさして意外とは思えなかった。
けれど、少しショックだった。
距離が余計に遠ざかった気がして、置いて行かれた気がして、以来私は努めて、彼が受ける大学や目指す専門について、耳をふさいできた。
「ゆくゆくは、無医村の島の診療所に行きたいと思ってる」
何年か前に、そんなドラマがあったな、と、ぼんやりとなぞる。
すごく、立派な、夢だ。
私には、関係の無い、夢。
「出来れば、近くに無人島のあるところ」
無人島、の言葉に、思わずぴくりと肩が動いてしまった。
「休診日にはそこへ渡って、釣りとかして、のんびり過ごしたい」
「……何、言っちゃってんの?」
鼻で笑う、って多分こんな感じ。
私の精一杯の嘲りを、だけど友衛はするりとかわして、続けた。
「だって、憧れだろ、伊織」
ロビンソンクルーソー。
スイスのロビンソン。
十五少年漂流記。――蠅の王はちょっと勘弁だけれど。
そして、青い珊瑚礁。
昔から、冒険譚が好きだった。
手に入る物を上手に使って、知恵と勇気としなやかな体で生き抜く物語に憧れた。
常夏の島の、見たこともない果物と、青い海と、それとは別に湧き出す清水に憧れた。
父親も母親も、弟もいない、ただ自分たちだけがいる世界に、焦がれていた。
憧れて、いた。
もう、手に入らない。
なのに。
「それが何」
ぎゅっ、と膝を抱えた手を握り込む。
ジーパンに食い込む、爪。
「あたしにはもう関係ないのよ」
関係ない。
関係ないのよ。
私はもう、無人島へ行くことは出来ないの。
あなたと一緒に、無人島で暮らすことは出来ないの。
「ホルモン治療なら、俺が出来るよ」
さくり、と切り込んできた言葉に、一瞬全ての音が消えた。
冬の夜の静寂が、より一層深く鋭く、支配した。
「温存した臓器の経過観察だって出来る。医者になるんだから」
だから、と友衛は続けた。
「俺と一緒なら、伊織。無人島で釣りくらい、出来るんだよ」
アンドロゲン不応症。
自分がそんな体質――疾患――病気――だったなんて、知らなかった。十七歳の、去年の、秋まで。
修学旅行を目前に控えて、少し体調を崩した。
念のためと受けた診察で、婦人系の病気を疑われた。
実は初潮がまだだと告げたところ、検査が行われた。
そして、判明した。
私には、子宮がなかった。
膣の先は行き止まりだった。
卵巣も、なかった。
代わりに精巣があって、それは体内に留まっていた。
私の性染色体はXY型――男性であったのだ。
男性ホルモンであるアンドロゲンが、分泌はされるものの受容体が働かないために、胎内で性分化がなされなかった。
故に外性器は、女性のそれであり、誰も気づくことなく、出生届は見かけに従って提出された。
私は、戸籍上も、性自認も、女性として生きてきたのだ。
生きてきたのに――。
いくつかの選択をしなくてはならなかった。
今後、どちらの性で生きていくか。
――それは、考えるまでもなかった。心はどうしようもなく女性だった。男性器の形成手術を受けてまで性別を変えたいとは思えなかった。
停留精巣をどうするか。
――癌化のリスクがある。が、第二次性徴が終わる前に性腺を摘出してしまうと、必要なホルモン量が不足する。私の場合はことに、癌化のリスクは低いと診断されたため、経過観察をしながら温存という事になった。
それでも、いずれ女性ホルモンを補充する治療をしていかなくてはならない。一生涯。
学校をどうするか。
――診断、検査、選択のために、長く休学しなくてはならなかった。
心を落ち着け、選択をするためにもその時間は必要だった。
気がつけば、出席日数はぎりぎりになっていた。
私は留年を選んだ。
授業の遅れが取り戻せるとは思えなかったし……今までのクラスメイトと何食わぬ顔でつきあえる自信も無かった。
それでも、転校を選ばなかったのは、この学校に愛着があったためと――他に寮制度のあるところを探せなかったから。
家には、いたくなかった。
伊織という名前は、父がつけた。
父は男子を望んでいた。
叶えられなかった思いを名付けに込める、そこまでは百歩譲っても、アキラやヒカルではなく、ましてやマコトやカオルでもなく、「伊織」とつける根性が嫌いだった。
ちょっと聞きは「香織」「沙織」のような、女性名に思えて、けれど歴史上では男性名としての方が有名な名前。
そう感じても、飲み込んでくれる相手ならばよい。
「それって、本来は男の子につける名前でしょ?」
と訳知り顔で、尋ねるふりで正してくる、知性ばかりで思いやりのない、父のような人間に対してのみ申し開きをしなくてはならない屈辱。
そんな父に、母は謝っていた。
男の子が産めなくて申し訳ないと。
そして、今度のことで私にも謝った。
そんな体に産んでしまって申し訳ないと。
弟には、罪はないのだろう。
けれど、母の過剰な保護を受けている彼、反発しながらも結局父の理想の影響を受け年を追うごとに似てきている彼を、大好きということは出来なかった。無関心でいることが私のせめてもの誠意だった。
学校と、そこにいる仲間だけが、私の救いで。
しかし、病欠を理由に留年した新学期に私が手に入れたのは、少しよそよそしい級友達と、がらんとした一人部屋。
勘ぐらずにはいられなかった。
学校側は、私の「性別」を知って、この措置をしたのだと。
心が女性で、体にも男性の機能は無くとも、「万が一」を恐れたのだと。
そこは、無人島だった。
小さい頃に憧れた、冒険溢れる常夏の楽園ではない。
人の海を漂い、溺れ、ようやく縋った先にある、ただ陸地であると言うだけの孤島。
新しいクラスメイトには、どうしてもなじめなかった。
部活は、辞めざるを得なかった。
記録を取る大会の、女子の部門に、男性染色体の持ち主が参加するのはルール違反だから。
友衛とも、瑞穂とも、松川くんとも、疎遠になった。交わりを避けた。
助けの手は、自ら切って捨ててしまった。
拘っているのは自分だけなのだ、知らない人は知らないし、知っている人は受け入れてくれる人だと、いくら思っても、思っても、壁を越えることは出来なかった。
かりかりと、卒業までの日付を記して。
しかし、見えている救いまでの日にちは、見えない次の漂流へ繋がるだけだと、わかってもいて。
苦しかった。
けれど、今。
垣間見えた。
海原の先の、楽園。
私がいて、友衛がいて、のんきに釣りなどして、釣りたての魚をさばいて食べている、なんてことのない幸せの図。
幻だ、と心が警告を発しても、夢も幻も見られなくなっていた瞳に、それはあまりにも眩しすぎた。
鼻が冷える。頬が冷える。睫毛が重い。
零れた熱い滴は、瞬く間に凍っていくようで。
友衛が無言で、ハンドタオルとティッシュを差し出した。
受け取って、涙と鼻水を拭いた。
拭っても拭っても、何かが壊れてしまったかのように、止まらない。
一年と数ヶ月分、友衛とここで会わなくなってからの月日の分だけ、私の中から溢れてくる、塊。
鼻をかんでは、用意されたビニール袋に突っ込んで、もう押し込んでも入りきらないというところで、ようやくすすり上げるだけの余裕が出来た。
もう少し落ち着くのを待って、掠れた声で、
「相変わらず、用意がいいんだから」
そう告げると、
「だって今日は、泣かせるつもりで呼び出したから」
そう答えた。
気がつけば月は大きく動いていた。
葉を落として枝だけになった梢の向こうに、血管が走った卵の黄身みたいに浮かんでいる。
ふやけた水晶体ににじむ、冬銀河。
ああ、確かに、アルデバランがよく見える。ずいぶん西へ移動したけど。
二人、どちらからともなく、立ち上がった。
荷物を手早くリュックに詰めて、先に飛び石へと向かう友衛の背中を眺める。
前より少し広くなった。
ありがとう。
心の中で告げる。
今はただそれだけを考えよう。
もっとつらくなることは、沈めておかなくては。
楽園にたどりつけても。
私は、イブにはなれない。
友衛は優しい。
ご両親は、もっと優しい。
あの二人の子供だったらよかった、と思ったこともある。
あの二人の子供になりたい、と思ったこともある。
けれど、その選択は、あの佳い人たちの血を絶やすことだと、わかってしまったのにそれを望むのは、やはりつらいことだから。
ふと振り向いて、友衛が手を差し出した。
私は軽く笑って、その手を取ろうとした。
抱きしめられた。
思わぬ行動に固まる私の耳元で、友衛が囁く。
「覚えておいて」
冷えた体に、じんわりと伝わる、熱。
「俺は、伊織でなくちゃ嫌だから」
言うだけ言って、返事も待たず、彼はひらりと最初の飛び石に移った。
そのまま、あっという間に渡りきって、辺りを見渡す。
誰の目にも触れないことを確認して、来い、と手招きするその様子は、あまりにも普段通りで。
今さっきの行動は一体何であったのかと。
思うと何故だか、泣きたいほどにおかしくて。
笑いたいほどかなしくて。
かなしい、って「愛しい」とも書くんだっけ、なんて、古文の授業を思い出しながら。
私も、飛んだ。
未来はまだまだ、わからないけど。
どんな海に投げ出されるのか、見当もつかないけど。
覚悟なんて、出来やしないけど。
それでも、そうね、そのときに。
あなたとわたしが、あなたとわたしであるのなら。
きっと。いつか、きっと。
無人島で、逢いましょう。
お久しぶりです。
あまりにも間が空きすぎたので、まずは単発短編で、と思って書きましたが、勘が取り戻せたのかそうでないのか、結局わかりません。
いつも通りのような、しっくり来ないような。
「難しい題材」というのは、「アンドロゲン不応症」のこと。
描写の相当部分を、Wikipediaと、過去に読んだ少しの文献の記憶に頼っています。
半端な知識と力量で書いたことにより、誰かを傷つけてしまう可能性について、悩みましたが、発表します。
ご意見等ありましたら、感想欄、メッセージなどでご連絡いただけましたら幸いです。
半陰陽、とされるものについて、原因の部分を具体的に書くのがよいのか、書かないのがよいのか。
私が過去に読んだ2、3のものでは、そこまでは触れられていなかったように思います。
触れない方が、物語としてはよいのかもしれない。
触れるならもっと、きちんと調べた方がいいのかもしれない。
書いたら書いたで、長々と説明になってしまうし。
今後の課題です。
無人島、というお題について。
他の方の作品を読んで、また、真っ先に自分の中にあったイメージについて、考えると大体、常夏の、そこまで行かなくても温暖な、南の島、青い海、珊瑚礁の白い砂浜、になるなあと思って。
それはそうです、無人島って言ったら、漂流&サバイバルが一セットですものね。
小雪ちらつく厳寒の岩だらけの孤島とか、辿り着けてもあっという間に詰みそうです。
必要な衣服の枚数からして違う。
なので。あえて。冬の話を書きました。
少々天の邪鬼です。
大体今、リアルの季節も夏だというのに。
おかげで、寒さの描写が嘘くさいことこの上ないです。
またしても登場のWikipediaで、「無人島」って調べたところ、「特殊な例として」北方領土や竹島があがっていました。
人は住んでいる。でも、ある国の人からはそれを認めることが出来ない、みたいな空白地帯。
なるほどなあ、と思って、そのニュアンスも織り込みたかったのですが、力足らずでした。
伊織、といえば、私の中ではダントツで、小石川養生所の医師、榊原伊織先生なのですが、だからといって相方を「タダスケ」にする度胸はありませんで。
いや、もう、漢字をどういじっても、今時の若者的に「タダスケ」はインパクトがあって元ネタがばればれに過ぎるので。(全国のタダスケさんすみません。)
なので、ちょっと別方向にひねって、「ともえ」です。
そういえば、「瑞穂」は私の中では女性名としてお気に入りだったのですが、こちらもネットで探してみたら男性の名前としても使われているので、瑞穂と伊織が親しくなったのもこの辺がきっかけだったりするのかなあ、と夢想してみました。
長々と後書きが続いてます。
この辺は、相変わらず。
というか、読み返すとやっぱり、話の内容というかネタも相変わらずですね。代わり映えしません。
思いついた当初、「CHATTING NOW」とあんまりにもかぶりすぎてて、いいんだろうか、と悩みましたが、いいも悪いもとりあえず書かなくっちゃあ始まらないだろう、と自分を鼓舞して取りかかりました。
それでも、題材の取り方の難しさもあって、仕上げるのにずいぶん時間がかかってしまいました。
なので、けっこう、最初と最後の文章の流れが違う……。ああ、いや、これもいつも通りと言えばいつも通りなんだろうか。
こんな私に、お付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。
結局これは、企画競作スレで発表しなさそうなので、どれだけの人の目に触れるやらわからないのですが、とりあえず書き上げたことで気持ちも一つ落ち着きました。
多分当分はこんな感じで、こんな感じで、こーんな感じで(しつこい)ボーイがガールにミーツな短編を書くんじゃないかと思います。
この夏のうちに、連載の方を完結させたいという思いはあるのですが、あそこまで戻れずにいる自分もいる……。
長い後書きで、本当にすみません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。