5th mission 作戦直前
「なるほど。本部に報告するよ」
「お願いします」
今、俺たちは諜報班の真田が運転するエルグランドの中にいた。倒れた幸太郎も一緒だ。
「だが、この坊主がマシンガンをぶっ放したとはな」
「あんなこと、普通の人間にはできない」
美里はそうつぶやく。
「一度だけMP5を撃たせてもらったが、やっぱりあんなの素人が撃つものじゃない。タダモノじゃないぞ、こいつ」
*************
気が付くと俺は自宅のベッドの上だった。
「ええと……」
なぜ今寝ていたんだ?
「コウちゃん。大丈夫?」
母が声をかける。
「俺に何があったんだ」
「公園で暴漢に襲われて倒れたんだってお友達がおっしゃっていたわ」
そうだ、俺たちの目の前で河合が拉致されたんだ。
「大丈夫ならちょっと来て。警察の人が来てるの」
母の顔は一際暗い。
「何があったんだよ。そんな表情、俺のことだけじゃないんだろ」
「……悠が、さらわれたって」
「どういうことだよ」
まるで意味が見えない。
「そのままの……意味よ」
母は顔をそらすと涙を流し始めた
「準備完了しました」
「そうか」
背広を着た男たちが何人か居間で作業している。いぶかしげに見ているとひとりが存在に気が付いたようでこちらに近づいてきた。中肉中背の鋭い目をした男だ。
「君が紀伊幸太郎君だね」
「あんたは何もんだ」
「私は愛知県警捜査一課の蓮池といいます」
男は警察手帳を開いた。県警のバッジと身分証が、彼が警察官であることを証明している。
「ちょっと君に聞きたいことがある」
「なんですか。犯罪の被害者になったことはあっても加害者になった覚えはありませんよ」
「いやまあ、君が今日どんな相手に襲われたのかって話なんだが」
蓮池の言葉に安心した。とにかく言ったほうがよいのだろう。
「わかりました。人数は四人ほど。全員がチェコのスコーピオン・マシンガンで武装していて顔は目出し帽で覆っていました」
「なるほど。で、なぜ生き残れたんだ」
そういえば不可解である。なぜか背後で聞こえた銃声らしき音。狙いは河合で、俺を殺さないように打ち合わせていた犯人。何とも怪しい。
「よくわかりません。犯人の狙いも変でした。あんな重武装して女一人だけさらうなんて。しかも目撃した中で俺だけ傷つけるな、て」
「ふむ。通報通りか。だが変な点も多いな」
ぷるるるる…
固定電話のベルが鳴る。
「落ち着いて応答してください。逆探知のためにも可能な限り時間を引き伸ばしてください」
「はい」
捜査員の説明に母が答えると受話器を取った。
「もしもし」
母が呼びかけて数秒後、捜査員たちの顔色が変わる。
母の動揺も凄まじいものだ。
「換われだなんて、そんな。……はい。わかりました」
その言葉とともに母は受話器を俺に向ける。
「犯人があなたに用があるって」
母の顔は何が何だかわからないといった表情である。
とにかく受話器を受け取る。
「俺になんか用か」
『おお、よく聞こえるネェ。そうさ、君に用があるのさ』
「なんだってこんな真似をした。用があるならもっと違う手もあるだろ」
『いやぁ、ニホンケーサツの無能っぷりを証明したくなっちゃってねぇ』
捜査員たちの空気が変わる。
「知能犯か?愉快犯か?なんだってこんなバカなことをしたんだ」
『すまないが私はインテリゲンチャではあっても、知能犯や愉快犯ではない』
「ならなんだ!」
『ふふふ…革命家だよ。犯罪者ではない』
「バカか!革命なんて!貴様は赤軍気取りのテロリストか!」
『すまないが、赤軍“気取り”ではない。私は正真正銘の赤軍だよ』
「なんだと」
『君は知っているんじゃないかなぁ。太田正治という名を、〈例のファイル〉で』
捜査員の表情は緊迫したものへと変わる。
「まさか、日本人民解放戦線の太田正治とか言うんじゃないだろうな」
SDの名簿にあった名前だ。インターネットによると日本人民解放戦線の重要幹部の一人とされ、国際手配もされている人物だ。
『ご名答だ。私がその太田正治だ。ということは〈例のファイル〉も見たわけか』
「もしかして、あんなファイルが目的か」
『その通りだよ。タダ、ほかにも必要なものはあるがね』
捜査員たちに混乱が生じる。
『所詮君の周りには〈権力の狗〉である警察官がいるんだろう。ならば要求しよう。紀伊悠と河合杏佳、合わせて身代金一億人民元と紀伊幸太郎の所有する機密情報の入ったSDカードだ。なお身代金は人民元建て以外では一切受け取らない。受け渡し人は紀伊幸太郎を指名する。それ以外なら問答無用で人質、受け渡し人双方を殺す。取引場所は追って知らせる。日時は明日の夜9時だ。それでは、いい夢を』
「おい貴様!」
ぶつり、と電話は切れてしまった。
「逆探知の結果は!」
「はい!結果は、和歌山県串本町の公衆電話からです」
「急いで県警本部へ連絡!和歌山県警や大阪府警などにも協力を要請しろ!あと、〈例のファイル〉とやらについて詳しい話を聞かせてもらおうか、幸太郎君」
事態の大きさに動揺していた自分に、不意に掛けられた言葉は、恐ろしい圧迫感をもっとぃた。
ピンポーン、ピンポーン
不意の呼び鈴。捜査員たちは警戒する。
母と父が玄関に出る。
「はい」
玄関の戸を開いた先にいたのは白髪交じりの頭をした初老の男だ。後ろに何人か人がいる。その全員がPSIA・SIDの文字がデザインされたバッヂをスーツにつけている。
「我々はこういうものです」
手にしているものは警察手帳に酷似したものだ。
「公安調査庁、特別捜査部…?」
母が身分証の文字を読み上げる。
公安調査庁特別捜査部。国家機密の漏洩が発生した際に、それ以上の拡散を防ぐために設立された司法警察としての強制捜査権や逮捕権などの特例権限を有する特殊部隊。
「公安調査庁特別捜査部の茅ヶ崎充雄と申します」
「なんたって公調の特捜なんかが今回の件に首を突っ込むんだ!」
蓮池が怒声とともに男たちに近寄る。
「こちらには正当な理由があるのでな。この少年、紀伊幸太郎君は我々のエージェントと接触している。それ以上のことは機密なのでお教えできない」
「…ったく。だからキライなんだよ、根暗のハム野郎どもめ!」
蓮池は玄関にいる男―茅ヶ崎にガンを飛ばした。
「絶対にこの坊主は渡さんぞ!」
蓮池は俺の前で手を広げて茅ヶ崎の前に立ちふさがる。
「ならば、実力行使か」
茅ヶ崎が右手を上げると背後から二人出てくると蓮池を一瞬で組み伏せてしまった。
「ぐぅ!貴様らぁァ!」
「君はSDを持ってこっちに来なさい」
急いで部屋に戻り〈例のファイル〉の入ったSDを持ち出して玄関を出る。するとそこには本来いる必然性のない顔があった。
「神山、霧谷、どうしてここにいるんだ」
「それに関しては車内で説明しよう」
*************
「なんで二人ともこんなところにいるんだよ」
幸太郎の口がエルグランドの車内に入ってすぐに開く。
疑問に思うのはしょうがない。今まで俺と美里は普通の人を演じてきたのだ。
「今まで黙ってきたが、君を傷つける意図はなかったことを念頭に入れて聞いてほしい」
課長が説明を始めた。
「彼ら、神山健二と霧谷美里は我々の工作員だ」
「今まで黙っていてごめん」
頭を下げる。
「公安調査庁の工作員ってどういうことだよ。普通その手の人間って二十超えているだろ。第一、公安調査庁は工作活動をしないはずじゃ……」
「君の意見はもっともだ。だが我々は不規則なのでな」
課長は足を組む。
「不規則?」
「表の存在ではないということだ。便宜上、特捜部を名乗っているだけでな」
「もしかして、超法規的な行政機関だってことか?」
「さすがスパイ小説を読んでいるだけのことはあるな。そういうことだ」
「信じられない」
幸太郎は驚愕を隠せていなかった。
「そういうこともある。世の闇というものだ」
「で、この子は?こいつも工作員か?」
幸太郎は坪倉を目で指して言う。
「彼女は坪倉凛、我々の誇るスーパーハッカーの一人だ」
「慎二君のお兄様ですね。初めまして。坪倉凛です」
ぺこりとお辞儀をした坪倉を見て幸太郎は驚愕の表情で固まってしまった。
「弟と仲良くしている転校生の女の子も工作員だったわけか」
幸太郎の顔が少し暗くなる。
「妹や河合がこうなることも織り込み済みだったわけかよ」
「そうではない。我々もこのような事態になるとは思っていなかった。それに関しては陳謝しよう」
課長が頭を下げる。
「で、SDカードをどうするんだ」
「それ、こっちに渡してください」
坪倉の指示に従って、幸太郎はSDを渡す。
「さーて、楽しい解析の時間ですよー♪」
坪倉はカードリーダーをノートPCに噛ませて読み取りを開始する。
「ふんふんふん♪マスターとの照合を開始。並行して隠しファイルの探索、っと」
キーボードをたたいてソースの確認を始める。
「ほうほうほう。こんなものが入ってたなんてね~……♪」
坪倉の顔がにやけてきている。
「はいっ、完了!」
「どうだ」
「抜き取られたデータはオリジナルと寸分違わないモノですね。追加のデータの内容は面白いですよ。検証で本当なら閣僚を強請れますね。にしししっ♪口止めで何十億もらえるんでしょうか♪」
「わかった。ほかには」
課長の言葉に、にやけていた坪倉は顔を引き締める。
「トロイの木馬がありましたね。見たこと無いタイプです。どうも住所の逆探知に特化したプログラムみたいで、ネットショッピングの時とかに住所を入力したりする項目が出たら起動して入力後の画面をそのまま画像化して誰かに送るようにできていますよ」
「なるほど。だから住所が割れたのか」
課長は幸太郎に向き直った。
「君は今日の午後4時50分ごろテロリストに襲撃され、反撃のためにそのうちの一人に奪ったマシンガンで重傷を負わせた。我々としてはこのことを鑑み君を嘱託職員としたい。不都合かね」
「いきなり何を言ってるんですか。こんな時にスカウトですか」
「君を刑法犯にしないため。我々による人質奪還作戦のため。そして機密保全のためだ」
「奪還作戦って、警察の特殊急襲部隊なら……」
「彼らの戦力はせいぜいアサルトライフルとスナイパーライフルだ。だがテロリストは多数の対物火器を導入しているうえに十分な訓練を受けていることを我々はつかんでいる。一応警察側には自衛隊に頼ることを視野に入れるよう忠告したが、大抵、自分たちの威信をかけて強行するだろう。自衛隊を嫌っているからな、彼らは。だが、我々なら確実に奪還できる。そのために我々は設立されたのだから」
「だからって…」
「それに、君は我々の秘密も知ってしまったわけだ。組織の一員として秘密を共有してもらおう」
「……しょうがないか」
幸太郎は諦めの表情を浮かべ、顔をそむける。
「理解と協力に感謝するよ」
「で、協力で俺に何を望むんだ」
幸太郎はつぶやく。
課長の答えは単純かつ明白だった。
「君の、戦闘能力だ」
*************
「俺の戦闘能力…か」
ベッドに寝転がり物思いにふける。
あれから、俺は解放され自室に戻った。ついにこのことがバレてしまったのか、という焦りとやっと隠さずに済むのかという安心を同時に感じられた。
「俺を戦力として使う気なのか……」
あの口ぶりからしてもう決定なのだろう。
〈貴様はそのつもりが元からあったのではないか〉
胸の奥底に水銀のような重く、冷たく、掴みどころのない声が響く。
そういえばそうか。俺は妹と親友を自力で取り返せないことに苛立っていたんだ。ついに自分の力で人の救えるのだ。この憎ったらしい力で。
「お前は協力してくれるのか…」
言葉を小さくこぼす。
〈とっくの昔に契りは交わした。主たる貴様の命令さえあれば我は力を貸そう〉
「そうか。ならば明日、力を貸してくれるな」
〈もちろんだ〉
俺の問いに「奴」は前向きな答えをよこした。その事実に安心して俺は意識を闇にゆだねた。
*************
「幸太郎は一般市民ですよ。それをいきなり作戦に使うなんて」
俺は抗議した。一般市民には危険で過酷すぎる戦闘の一端を担わせるのは酷である。
「ならば、君はあの報告を嘘だというのか」
そうだった。幸太郎の謎めいた能力。普段の彼には見られない圧倒的な凶暴性。精確無比な連射制御。冷徹な意思決定力。強襲一班の前衛にこれほどふさわしい人物はいないだろう。だが、自分たちの仕事は人の死と直結する仕事である。精神的な負荷を考えれば危険な賭けである。
「それに、彼の目を見たかね。彼の瞳は戦うことを決心した瞳だ。犯人の要求から結論は決めていたのだろう。どっちみち彼は戦うだろう。あきらめろ。私はそこまで織り込み済みだ」
課長はそういうと真田に車を出すように言う。
そしてまた俺たちのほうを向いて淡々と言った。
「明日の戦闘は苛烈なものになる。今日は十分な休養をとれ。明朝八時から装備品のチェックを開始、第一作戦配備に着け」
課長はそういって正面を向いた。
*************
「なんだと。公調の特捜部が介入した?!」
刑事部長の半田浩二警視長が怒鳴る。
「はい。彼らはエージェントを被害者家族の一人と接触させていたようです」
戦々恐々としながら俺は報告する。
「なんだってそんなことを!」
会議用の机に半田警視長が拳を叩き付ける。
「どうも被害者家族の一人が重要な情報を持っているものと思われます」
「で、その情報は?!」
捜査一課長の舟木和人警視正が問う。
「国家機密故に非公開と……」
「何をバカなことを!得体の知れない根暗なハムなど無視すればよかろう!」
半田警視長の怒鳴り声がさらに大きくなる。
「しかし、私をはじめとする捜査員が簡単に組み伏せられてしまって」
「何のための逮捕術だ!まあ、いい。明日の身代金受け渡し時の人質奪還作戦は意地でも成功させるんだ。警察の威信にかけてな!わかっているな、蓮池君」
本部長の若松隆警視監が睨みつけながら言う。
「はっ!」
敬礼をし、会議室を出ようと歩みを進めると本部長の言葉が聞こえてきた。
「自衛隊なんかに頼ってたまるか!日本の守り手は警察で十分だ」
「どうでしたか」
部下の真下が近づいてくる。
「大変だぞ。何が何でも犯人検挙って感じだ」
刑事部捜査一課長の舟木をはじめ、捜一上がりで刑事部長の半田以下刑事部の殆どが公安を嫌っている。特に公安調査庁特別捜査部は『根暗のハムが日向を歩いている』と、日向の存在である自分たちの領分を犯されているような気がするのだ。
「気が立ってますね」
「ホントにな」
真下とともに捜査一課のオフィスへと向かう。
「けど、誘拐が二件も起こるなんて思ってもいませんでしたよ」
「言えるな。しかも指示役が同一人物だ」
「女子高生のほうは銃撃戦の跡があったとか」
そっちに向かった班からの報告書を手渡される。
「銃弾は確か、二種類。片方はマカロフ弾、もう片方はパラべラム弾だったか」
鑑識から話は聞いていたが、声に出してみてその重大性が見えてきた。現場にあったのはマカロフ弾用のマシンガンだけだったという。パラべラム弾用の銃を持った人間は行方不明のままだ。事件の規模は県警設立以来最大になるだろう。
*************
「コウちゃん!昨日の公安庁の人が呼んでいるわよ」
母が呼ぶ声で目が覚める。うっかり寝過ごしていた。急いで服を着替える。
「わかった。今いく」
階段を下りるとそこには昨日の男―茅ヶ崎充雄がいた。
「それでは、彼とは打ち合わせがあるので。ご協力に感謝します」
「これで、うちの娘は、悠は助かるんですよね?」
母は必死だった。幸せな家族に突然おとずれた厄災。末っ子の一人娘であり一家のムードメーカーである悠は大丈夫なのだろうか。
「大丈夫です。我々の力を信じてください」
茅ヶ崎氏は自信に満ちた表情で返した。
「絶対、生きて帰ってこい。それ以外は認めないぞ」
父は静かに言った。
「では、行こうか。幸太郎君」
そう促されて玄関を出た。
昨日と同じエルグランドに乗ると、茅ヶ崎は俺に黒い塊を手渡した。
「君のことだからわかるだろう」
手のひらサイズの、厚ぼったいブーメランのような形状のモノ。
「…SIG230」
「日本警察仕様だ。自衛のために持っていけ。一応取扱い訓練を受けてもらう」
ズシリと重いこの拳銃は日本警察の事情に合わせて小口径の.32ACP弾に対応し、作られたモデル。ランヤードリングとセーフティレバーが追加されている日本以外で手に入らない特別品だ。マグキャッチを押しマガジンを取り出すと、ダミーカートで見慣れたピストル弾より一回り小さい弾が見えた。スライドを引き、薬室方面から銃身を見ると何もつっかえのない銃身にライフリングが切ってある。
「あんたらやっぱり……」
「やっと信用してくれたかな」
「どこをどう見ても実銃だよ。金属スライドに金属フレーム。ライフリング切った銃身。マガジンの中の弾は撃ってみないとわからないけれども、これだけの改造したモデルガンをわざわざ愛好家が作ることはほとんどない。銃刀法の模擬拳銃でしょっ引かれちまう」
「さすがに詳しいな」
「初めてモデルガン買った時に関連法規をよく読んだもんで」
*************
マガジンを抜き、スライドを引き、テイクダウンレバーを90度回転させる。スライドを戻し、さらに前に引き抜き、スプリングガイドと銃身を取り出すとP220の簡易分解は完了である。銃身と機関部を中心として念入りに整備をする。自動拳銃をはじめとする自動火器は整備が行き届いていないとジャムを引き起こす確率が高くなるのだ。
「美里。どうだ」
振り返ってみると美里はAW用の7.62ミリ弾対応のサプレッサーバレルを組み込んでいた。
「バレルの交換は終わった。ケンくんはどう?P90の整備した?」
「今から」
P90本体上部にある長細いシースルーマガジンを外し、隠れていたテイクダウンボタンを押し前方のユニットを引き抜く。後方のユニットを傾けチャージングハンドルとリンクするバッファスプリングを取り出す。パットプレートを外しトリガーグループを引き抜くと簡易分解は完了する。銃身をブラシで磨き、トリガーグループの必要な個所に油を注せば整備は完了する。
携帯電話のベルが鳴る。課長からだ。
「整備は進んでいるか?」
「今その最中です」
「わかった。これから幸太郎君に射撃訓練を行うために外出する。正午にはそちらに戻る」
「了解しました」
手短な電話で放たれた課長の言葉は重たくのしかかってきた。
完全に幸太郎を巻き込んでしまった。ただ幸太郎が狙われるだけならまだしも、周辺人物にここまで大きく危害が及ぶことまでは想定しきれていなかった。今回の事件は組織としての課題を露呈させ、自分たちの能力不足を示すことにもなった。
「こんなことになるなんてな」
*************
「拳銃は握手の要領で持ち、握りつぶすつもりでグリップする。特に小指に意識して力を入れろ。原則として両手でグリップしないと十分な命中精度は得られない。右手で前に押すように、左手で引くように力を入れる。トリガーは人差し指の腹で力を入れすぎないように静かに引くんだ」
今、俺は警察署内の射撃場にいる。車内で手渡されたP230の取り扱い訓練のためだ。射撃場のペーパーターゲットに銃口を向ける。言われた通り静かにトリガーを引く。
パァァン
クラッカーのような音とともに手の中で銃が暴れようとする。ペーパーターゲットのほぼ真中に命中した。
「筋はいいな。マガジンの残りの弾を速射してみろ」
立て続けにトリガーを引く。弾切れをホールドオープンしたスライドが伝える。
「素人にしては上出来だ。あとマガジン五本分を撃ってもらう」
銃が好きな自分にはたまらないはずだった人生初の射撃は自分と友人の命運を握るものだった。
パァン
「ん?どうかしたのかね?」
声を掛けられ気が付いた。
「的から大きく外れたぞ。集中しろ。命を預けるものだぞ」
無意識になって注意力が散漫になっていた。
「今は拳銃の扱いに慣れることが重要だ」
そう。今はそれが一番重要だ。
気を取り直して再開する。
「はぁ、はぁ」
全部打ち切って銃を下す。思いのほか大変だ。常に緊張を維持して的に向かうのだから当たり前と言えば当たり前だ。だが、空気の張りつめ方は桁違いだ。
「今夜が決戦だ。我々は総力を挙げて作戦を遂行することを約束しよう」
「絶対助け出してください」
「当たり前だ。我々は決してテロリズムには屈しない。絶対にな」
茅ヶ崎はそういうと背を向けて歩き出した。
「時間も時間だ。昼食をご馳走しよう」
*************
「もっと高いものでもよかったのだよ」
「いえ。勝負事の前にはこれが一番です」
紀伊少年は鰻屋の座敷席でひつまぶしを掻き込んでいる。若者の気力というべきものだろうか。私は鰻重を食べている。なぜ、この時期に鰻屋という選択肢が浮かんだのか不思議に思ったが、彼にとってのソウルフードだったらしい。律儀に四分割したひつまぶしは二杯目にさしかかっていて、薬味を乗せていた。
「これから俺は、殴り込みに行くんですからね」
「君に戸惑いはないのかね。銃を持って戦うことに」
自分から誘っておきながらこんなことを聞くのは間違っているとわかっているが、ただ気になったので聞いてみた。
「どうせ、戸惑うほどの心を持っていませんので」
普通にはでてこない答えだった
「どういう事かね?」
「その気になれば何の恐怖も歓喜もなく無機的に人を殺せるということです」
「なぜそういえるのかね」
「中学のころに人の痛みを共感することをやめましたから」
遠い目をした紀伊少年に、どこか自分に近いものを感じた。彼の今までの経歴は個人情報表で一通り知ってはいるが、多感な少年期にいじめや大人の裏切りにあってしまった彼には『人を真摯に信じ、愛する』という行為ができなくなっているのだろう。このような人間が武器を持った場合、下手なシリアルキラーより厄介な存在となり得るのだ。死に対する恐怖が常人より薄く、手段を択ばないが故に死に急ぐような行動をとってしまう。
「何があっても生き残るんだ。自分の命を天秤に掛けるようなまねはするな。妹や親友を奪い返しても君の命がなければ目的は達成できないのだからな。自分の命も守れないような奴が他人を護ることはできないのだから」
言い聞かせてはみたが、しっかり聞いているかはわからない。だが聞いていることをただただ願った。
次回から本格的に戦闘が始まります。
様々な思惑が交錯する戦いはいかなる結果をもたらすのか