エピローグ
「ユーリ・ゾルカリツェフの拘束。ほか二名は逃走中だな。残念だ」
その状況を確認して、秋津は肩をすくめる。
「マリアが拘束と追撃を妨害したって聞いたが」
「完全な狂乱状態だった」
その生々しさを名塚は見ていた。
『どうした!どけ!そいつは!』
銃口を向け、引き金に指がかかっている。そんな状況だというのに、マリアは一切動じなかった。
「どうして」
別行動をしていた松尾はその理由を図りかねていた。
「エァ・イスト・マイン・ファーター」
河合救援の後、ゲオルゲ攻撃に参加した霧谷がつぶやく
「なんだ、それ?」
和田が訊ねる。
「ドイツ語。彼は、私のお父さん、って」
「義理の父、いや、父親代わりの男を、庇ったのか」
霧谷の訳に、秋津はふっと思いをはせる。
自分の父を思い起こす。
恐ろしく厳しい男だった。今ではそんな痕跡もない、孫娘大好きな優しいお爺さんだが。
小学生とか中学生のころには殺してやりたいくらい憎かった。だが、それもいつの間にか親愛に変わっている。
彼女にとっての、ゲオルゲ・アマナールというのは、どんな人間なのだろう。
「なんで?」
霧谷はぽやんと問いかける。
「家族だから、かもな」
「わからない」
「え?」
秋津はその言葉にぎょっとする。
「わからない。家族って」
「課長は、どうなんだ」
「あれは、家族?」
疑問符の取れない霧谷に秋津はとりあえず、答える。
「家族、かもな」
明石はそう言って微笑みかける。
「?」
霧谷。
彼女に血縁者はいない。だが家族といえる人は?
「ユウゥゥゥゥリイィィィィィィィ……!」
叫びとともに左拳が繰り出される。
エミリーの覚醒だ。
「落ち着け!」
そのまっすぐな拳は腋をすり抜け、そのまま腕を挟み込み止めると幸太郎は落ち着かせようと抱きとめる。
我に返ったエミリーは幸太郎を跳ね除ける。
「大丈夫ですか?」
吉華がそう問いかける。
「大丈夫。ユーリは……」
「拘束した」
息を切らしたエミリーに幸太郎が静かに告げる。
「エミリー!」
「おねえちゃん!」
そういって立ち上がるとマリアに飛びつく。
マリアも抱き留めるが、その雰囲気は、どこか危うげだった。
「〈おねえちゃん?〉」
「〈ごめんね、エミリー〉」
マリアは隠し持っていたデトニクスの銃口をエミリーの胸に当てる。
そのまま、桟橋の際にじりじり近づいていく。
「〈どうしたの、おねえちゃん。おかしいよ〉」
悲痛な叫びが反響する。
「〈いっしょに、らくになろうか〉」
そのままマリアはエミリーに抱き着くと体の重みをかけ、宙に身を投げる。
その顛末に、周囲は呆然とするしかない。
「〈おねえちゃ〉」
そのまま二人は落水する。
浮かんでこない。海は、ちっぽけな二人を飲み込んでも何も変わらなかったかのようにふるまっていた。
「おい!着衣水泳だけは勘弁だ」
幸太郎はそう言って服を脱ぎ下着だけで海に飛び込む。
「どうする気なの!?」
「救う!自殺なんかさせてたまるか!」
海から顔だけ出して幸太郎は叫ぶ。
「待て!素人だけじゃ危ない!」
名塚も装備を急いで脱ぐと飛び込む。
「いいか!一緒にやる。二次災害は防ぐべきだ。絶対、無理はするな!少しでもやばいと思ったら浮上しろ!いくぞ!」
そういうと空気を肺にため込んで海中に没した。
(もう、このまま沈んでしまいたい)
ぼんやりと、沈んでいくのを感じていた。
腕の中の温かみ。
もがこうとするそれを、無理やり、抑え込む。
つらい。つらい。
信じたものを、教えられたことを、当人に否定される。
あまりにも悲しく、苦しい。
(だれ)
何かが近づいてるのを感じる。だが、もう。
(静かに、したいな)
真っ暗な、虚無に意識を溶かされていくのを感じていた。
必死だった。
どうにかして名塚と二人で二人を桟橋に揚げると、幸太郎は即座に蘇生法を試みた。
マウス・トゥ・マウスの人工呼吸で息を吹き込むと、マリアはゴボゴボと海水を吐き出した。
「やっぱり、知識ってもんは溜めてて正解だな」
昔取った杵柄、というわけでもないが、過去に受けた救命救急講習の内容はかなり役立っていた。
「どうするの、これ」
「ノーカンだノーカン。人命はほかの尊厳より優先される」
河合の心配に対しドライに返す。
とっさのことで躊躇なくマウス・トゥ・マウスを行ったが、それははたから見れば、接吻と変わらない。
エミリーには吉華が処置を施している。さすがにそこは配慮したのだ。
「なんで、なんで……」
「自殺なんてのは、敗者のやることだ」
マリアに対する幸太郎の声は、何処か強張っている。
「にしても、ちゃんと握ってるもんだな」
マリアの手元には拳銃がまだ残っていた。
「海水に浸かっちまったな」
防錆加工やグリスやオイルの塗布がされてるだろうが、イオン化傾向からすると、早く水で洗わないと錆びるかもしれない。
「〈うしないたくない〉」
「え?」
かすれた声で零したマリア。
「〈うしないたくない……かぞくを……〉」
「あんなの!家族じゃない!」
涙をあふれさせ、震えるマリアを否定するように不意に聞こえた怒気を孕んだ声。
よろめきつつも両の脚で踏ん張るエミリーがそこにはいた。
「私たちを捨てたあいつを!私は認めない!」
「落ち着いて!そんなことしたら!」
顔を真っ赤にして、憤怒に燃えてさらに捲し立てるエミリーを吉華が止めに入る。
鬼気迫る声。強い、激しい声。
「あんなのをおとうさんなん……て……」
急に息を切らして倒れこむ。
「さっきまで酸欠状態だったのに興奮するから……」
そういって吉華はエミリーにポータブルの酸素ボンベをあてがう。
「なんなんだよ、こいつらの家族関係は……」
事態についていけない幸太郎は、ただ、ぼやくしかなかった。
*************
那覇新港
フェリーは埠頭に接岸して車はゆっくりランプから出ていく。
だが、蓮池たちはこのフェリーに積んだ車では移動しないことになっていた。
もうすでに車が数台、埠頭に停車している。迎えに来たのは沖縄防衛局と陸自那覇駐屯地の車両だ。
警察を使うと事態がややこしくなる可能性があったからだ。
陸自の駐屯地なら、もしものことがあっても反撃はしやすいし場所は広い。牢屋がないのが難点だが、それ以外は合格点だろう。
海風。高い気温だが、そうじっとりとした感じはしない。
二発の曇った銃声がする。
「〈そこにいるのか、Sgtハイダ〉」
ふっとつぶやいた言葉。
それは潮風に混ざって吹き消されていった。
「狙撃1より本部。在沖縄アメリカ総領事館へ通報しろ。『貴国の外交官とよく似た顔の男四名を銃刀法違反と殺人未遂で逮捕拘束した。返答を待つ』、と」
スナイパーに対する迎撃。二組いた暗殺要員の狙撃銃を狙撃したのだ。
鉄色のヒガンバナを咲かせている狙撃手は諜報班が身柄を拘束した。
「警戒を厳に。誰も近づけるな」
そういうと、護衛対象を見る。少し老けたが、見慣れた顔だ。
レオン・マクドネル。昔の同僚だった。
こちらに気付いたらしい。
「すまないな」
レオンは、ある日から変わってしまった。自分の指揮下の部隊を敵の奇襲で喪失してから。
そのとき戦場に自分がいた。だが、上層部からは狙撃は許可しないという冷淡な命令が下っていた。仕方がない。その勢力が現地の民兵か、はたまた山賊か、それとも過激派か、残党か、わからないのだから。
見殺しにした後悔。いまだに、あの光景は忘れられない。
あほらしくなって、除隊し、日本で狙撃教官として特別任官され、そして今ここにいる。
レオンには、もう上官を信じる気はないのかもしれない。
自分の愛国心にのみ忠実なそれは、言ってしまえばターミネータのスカイネットのような、制御不能な機械と同じ。
引導を、せめて自分で渡すべきだろうか。
そう思いながら、銃口を違う方向へと向ける。
仲間が狙撃されたことに驚いたらしい。
「怪我したくないだろ。銃を、おいてくれ」
独り呟いたその願いは届かない。
スコープを狙って撃ち抜く。
狂気に近い執念で、狙撃手をつぶしていった。
*************
諜報班の羽田と戸塚は警察官からの報告で人相の確認を行っていた。
「顔は、同じか」
「髭のせいでわかりづらいですね。」
「さあ、声掛けだな」
そうつぶやくと身なりをビシッと整えて近づく。
「失礼。ちょっと訪ねたいことが」
そう身分証を掲げつつ声をかけると二人はぎょっとする。
「おい!まて!とまれ!」
羽田を跳ね除け一気にかけだす。
「公務執行妨害を確認。現行犯で逮捕します」
戸塚は大声で叫びそれを追う。よろけた羽田もすぐに続く。
人を押しのけ押しのけ行く砂土原と牧寺だが、それを追う羽田と戸塚はそれに比して明らかにスイスイと進んでいく。
ついには人混みに紛れたと思い安堵した砂土原と牧寺だが、しかし、その風体はまぎれることができるものではなかった。
そのまま引きずり出され、ねじ伏せられると両手に手錠をかけられる。
「12:32公務執行妨害で、砂土原俊美、牧寺浩介を緊急逮捕」
時刻を確認した羽田の声が響く。
「なにをぉ!不法逮捕だ!」
「黙れテロリスト!」
精一杯抗う砂土原の腕を戸塚はさらに捻りあげる。
「〈すまない〉」
「なんだ!?」
唐突に出てきたのは傍らにラテン系の若い女性を携えた白髪の白人男性だった。
「〈海軍犯罪捜査局横須賀支局のライリーです〉」
「彼はNCISのライリー捜査官です。私は通訳のカリーナです」
二人はそろって身分証を掲げる。
「NCISのライリー?」
「〈はい。こちらの人物は我が国における数々のテロの犯人として指名手配されています〉」
「彼は、我が国でテロリストとして指名手配されているのです」
どうも要領を得ない。
「なんか様子が」
そんな中着信音が響く。
「なんだ?こんなときに」
戸塚が携帯電話を取り出して応答するとみるみる表情が変わっていく。
「犯人をアメリカ側に引き渡せって」
携帯を顔から離すと素っ頓狂な声を上げた。
「〈お分かりになりましたか?〉」
「わかりましたか?」
「いくらなんでも」
その事態に羽田は困惑する。
「引き渡せ。裁判に持ち込むにはあまりに大ごとだって」
そんな羽田に聞こえてきた内容を羽田に伝える。
「なるほど」
判断の理由もわかった。かかる容疑はあまりにも重大。世界そのものに混乱を生みかねない。
「〈さあ、来なさい。グアンタナモでバカンスだ。SMプレイと洒落こもうじゃないか。相手はボンテージを着た美女じゃなく、筋骨隆々の軍人だが〉」
「グアンタナモで最高のバカンスを〈後半はさすがにセクハラです〉」
「〈すまない。口が滑った〉」
ケタケタ笑いながら去っていく二人を見送る羽田と戸塚は、何処か呆然としていた。
「皮肉が効いてるなぁ」
羽田の英語力は、話すのはテンでダメではあるが、リスニングは実戦でかなり鍛わっていた。後半のセクハラもばっちり聞こえていた。
「グアンタナモってたしか」
「タリバンとかフセイン政権残党とか過激派とかが収容されてる、軍法以外機能しない刑務所だ」
戸塚が確認するように訊ねてきたので答える。
そう。彼らが収容されるのは、キューバ、グアンタナモ市のはずれ、グアンタナモ湾のアメリカ合衆国租借地の海軍基地にある超法規的収容施設である。
裁判を受けることもできず、徹底した監視のもと、生かさず殺さず永遠に収容するという特異な用途は、軍人でも単なる犯罪者でもないテロリストを拘束し、殉教者にもさせないという任務に最適化されているのである。
「何されるんでしょう」
「最深層で拷問フルコースかもな」
グアンタナモには用途不明の特殊施設も多い。それに封印される可能性もある。
そんな中、戸塚の携帯が鳴る。
「はい……え?」
「どうした?」
「核兵器を開発したって人間が、交番に亡命申請してきたとか」
「交番で亡命申請?」
前代未聞の事件だ。
「……追手と銃撃戦になったって?え?応援!?」
「追手?応援?」
状況がつかめない。
「これ、やばい気が……」
「強襲班は!?」
とっさに確認する
「……いま保護に向かった部隊が交戦中!」
「俺達が行っても足手まといになるだけだぞ」
羽田はぼそりと呟いた。
*************
「この核兵器。またよくわからないな」
一人がまじまじと台の上のものを見てつぶやく。
大きな台にB0サイズにまで拡大された無数の線で構成された図は、無機質ながらどこか有機的な存在感を放っていた。
「ユーゴ製とは言うが、どうもかなりの西側製部品、しかも1960年代後半から1970年代前半の汎用部品を使用しているようだ」
「部分部分に修正が入ってますね。80年代の汎用部品です」
情報班の中でも電気電子部品に詳しい二人が回路を見ていた。
「よくやったもんだ。こりゃ、イスラエル関与してるんじゃないか?」
コピーした回路図を嘗め回すように見て、ノック式ボールペンをカチリと鳴らす。
「なんで?」
「そりゃ、あの国はなりふり構わないからさ。必要ならなんだってやる」
図面にチェックを入れつつ言う。
「うちだけでバラせるか?」
「単純な構造だから、大丈夫だな。愉快犯じゃなくてよかった」
設計図は英語で翻訳されていた。英和辞典を引きながら訳していく。
「自分の好奇心だけで国滅ぼされてたまるか」
ぼそりとぼやく。
「自己満足の革命ごっこで首都焼かれるとかも勘弁だがな」
それにこたえるようにつぶやいた。
*************
「核燃料なんだろ?核爆弾ってのは」
情報班の『処理部隊』は自衛隊の中央特殊武器防護隊とともに核爆弾の処理についていた。
日米の各種機材と地道なローラー作戦による捜索は意外なところで決着がついた。
コンテナ置き場の管理者から不明コンテナの通報があり、それを調べた結果、出てきたのだ。
「ああ。だが、調べると、ベータ線までなら簡単に防御できるらしい」
不安げな同僚についさっき調べた内容を教えてみる。
「簡単にって……なんか鉛の30センチ厚板がいるって聞いたことが」
それでもやはり恐怖はぬぐえない。
放射能の恐怖。首都圏においては狂気に近い放射能恐怖が蔓延した。一時のパニックではあるのだが、未だにそれに引きずられている人間もいる。多くの場合、それは化学リテラシーのなさゆえなのだが。
「ベータ線なら数ミリのアルミで大丈夫なんだとさ。アルファ線なら紙でもいいとか」
「で、こんな感じか」
見た限りは化学兵器用の防護服と変わらない。
「核爆弾向けの燃料はアルファ線なんだと。体内被曝を防げさえすれば問題にならないとかで」
そういって薄手の防護服を指さす。
「今のところ反応なし。放射能漏れはないな」
ガイガーカウンターを見て確認する。
放射能漏れがあれば、反応が出るはずだが、針は比較的低い数値で推移している。自然放射線のレベルだ。
「解体、できるか?」
「先にマイクロスコープで構造を再確認した。ブービーもくそもないんだ」
複雑な構造を組み込む時間がなかったのだろう。爆弾としては徹頭徹尾実用性に特化した設計。トラップ付き爆弾なんて普通は複雑なのでありえないのもあるのだが。
「あの亡命者たちは、紳士だったな」
どことなく特徴的な訛の英語を話す亡命者たちの渡してきた設計図のおかげで解体のめどが立ったのだ。
「ああ。構造も寸分違わない」
工具箱を広げると解体工具を手に取る。
「簡易解体後は?」
「アメリカ軍に回して、処分場で不活性化するだろうな」
構造図と導線を照らし合わしつつ、切る。
「こんな物騒なもん、いつになったらなくなるんだか」
小さくぼやく。
「なくならねぇよ。人間が人間であろうとする限りはな」
ぼやきに残酷な現実を突きつける。
それと同時に、導線がまた一つ、切断された。
*************
「命令。マリア・ローゼンハイム。エミリー・ローゼンハイム。君たちには聴取が行われる。嘱託職員としての全権を2週間停止する。聴取後の処遇に関しては、追って連絡する。各種火器に関しても召し上げとなる。これに関しての一切の抗弁・反論は受け付けない」
「〈私はっ……!〉」
マリアは身を乗り出す。
「〈君は、今までならこのような手を取っても問題がなかっただろう。だが、今は頼もしい仲間がいるということを忘れていたな〉」
「〈それは……〉」
「もしもの時は、我々を頼ってもいいんだ。孤独な殺し屋とわれわれとは違う。頼るべき時は、頼れ」
二人に対して、茅ヶ崎は語り掛ける。
顔をしかめるマリア。うつむき黙りこくるエミリー。
二人に対する監視。和泉の本来の任務が発動することが決まったのを――そしてそれが発動しないのを強く願っていたのも、茅ヶ崎は嫌でも意識することになった。
「今回の事態は、我々の責任だ。彼女たちに、大人に頼ってもいいということを示せなかった、我々の」
茅ヶ崎の瞳は、悲しげだった。
そばで聞く丹下は、なんとなくその言葉の意図を察した。
二人が退出して、その経歴から透ける人物像がやっと見えてきたのを確認すると、普段より濃く出たコーヒーをすすった。
「カウンセリングを、重点的にやるべきだな。日常にストレスを抱え込んでいるようだ」
マグカップの中のコーヒーを見る。
深い闇。
人間を飲み込む、強い衝動。
ローゼンハイム姉妹は、それに囚われている。
実の母に売られ、それを手にかけ、父と慕う人間と離別し、たった二人で数多くの人間を殺して生きてきた。
ポルノの被写体にされかけたことから特にエミリーは異性に対して不信感を強く抱き、一方でマリアは妹と自分を守るために男を利用できないかと狙う。
パッと見、依存心が強いように見えるのはエミリーだが、その実、マリアも相応にエミリーに依存し、完全な共依存の構造に陥っている。
彼女たちが薬物や性の快楽に溺れなかったのはある種奇跡的であり、非常に危うい均衡を保っているのであったが、それが、皮肉にも望んでいた平穏が与える精神的な応力が漬け込む隙を作り上げてしまったと考えられる。
ごくごく簡単なプロファイリングとリーディング。丹下が和泉などからの情報から作り上げたその診断はかなり正確と考えられた。
苦しみ、悲しみ、怒り。負の感情が生み出した二人は、その名にも表れているようにも思える。
百合と薔薇。姿からくるその印象ゆえに常に対比される、二つの花。白い百合と白い薔薇には共通する花言葉がある。
『純潔』
何処か痛々しいほどに突き刺さる。試しに花言葉に関する本を引いてみれば
赤い薔薇の『愛情』、黄色の百合の『偽り』、黄色い薔薇の『嫉妬』、橙色の百合の『憎悪』。
都合よく抜き出しただけとも言えるが、あの姉妹はまさに、色とりどりの百合と薔薇の花束。
「こんど、なるべく速く、カウンセリングしてみます。直にあって話さないと」
丹下はそういって資料をまとめて封筒に入れる。
丹下がなぜ特捜部、十三課にいるのか。それを思い起こす。
秋田県の県立高校から自治医科大医学部医学科に進学。優秀な成績で卒業し、当初は秋田県鹿角市で循環器科医として勤務した後、東京都内の精神科で勤務。その後失職し、何を思ったか新宿二丁目でゲイバーをはじめ、ミカジメ目当てのヤクザと殺し合いのケンカになり、ひょんなことから十三課に流れ着いたという。
給付型奨学金を手にするほど優秀だった彼ではあるが、精神科内部における腐敗を告発しようとした結果居場所を失い、第二の居場所も失って、流浪の民と化したのだという。
「頼む。不祥事が連鎖してはいけない。紀伊幸太郎も、できれば」
「わかりました」
「だが、くれぐれも」
「あ、そういうことでしたら」
どことなく、女っぽい喋り方。いわく「二丁目で鍛えられた」とのことだったが、世界共通だというゲイのあのくねくねッとした挙動は、慣れなかった頃はしかめっ面してた特捜部や十三課の面々もあっけなく慣れた。
しかし、慣れない人間は面食らうであろうそれらは、彼らの精神にとってかなりの負担になりかねない。挙動を律するというのは、いわば身だしなみと同じマナーだ。警察官が子供にはやさしい言葉で接するのと同じように。
そのことをすぐに察する丹下の心配りや配慮は、ヤクザと殺し合いをした男のもののようには思えなかった。
*************
「〈ユーリ・ゾルカリツェフの身柄引き渡し。認めるわけにはいかない〉」
茅ヶ崎はドライに言い切る。
「〈どういうことだ〉」
うろたえたのはドイツ大使館の外交官、ベルノルト・プライスだった。
ここは広尾駅近くのビルにある貸会議室。ドイツ大使館からかなり近い場所だった。
「〈連邦情報局が、今回の事態に関与していることはわかっている〉」
「〈なんですか?わが国が関与している証拠は?〉」
努めて冷静に返す。
「〈すでにいくつか。ソースは秘匿させていただくが〉」
「〈捏造しようとすればどこでもできる〉」
「〈だが、虫の息だったテロリストを救ってみれば、諸君らの関与について出てきた〉」
「〈民主主義の敵であるあのアインヘリヤルを信用する気か?〉」
鼻で笑うベルノルトを茅ヶ崎は冷ややかに見ている。
「〈傲慢だな。多くの人間を非民主主義的だと排撃するその姿勢が、本当に民主主義なのかね〉」
あきれ果てたといった声色の茅ヶ崎はペンをしまう。
「〈我が国は『戦う民主主義』だ。民主主義を許容しない自由は認めない〉」
「〈『戦う民主主義』?呆れるな。やっていることは思想改造と言論弾圧じゃないか〉」
「〈なんだと!〉」
茅ヶ崎のその態度に、ベルノルトは怒りで身を乗り出す。
「〈真の民主主義というのは政府の指導によらない民衆の良心によってのみ物事を決定することだ。思想改造も言論弾圧も民主主義からは程遠い〉」
「〈思想改造?言論弾圧?わが国の施策を馬鹿にする気か?〉」
「〈やっていることはナチスや東独とそこまで変わらないじゃないか。気に入らないモノは法の下に粛清する。嗚呼、なんと素晴らしい〉」
歌うように語る茅ケ崎。それに苛立ったベルノルトはついに口火を切った。
「〈わたしが、連邦情報局の代表窓口だと知って言っているのか!?〉」
「〈その、連邦情報局が、我が国で核兵器を利用するとはな〉」
即座に返されたその言葉に、ベルノルトは内心たじろぐ。
茅ヶ崎の瞳は、すべてわかっていると心臓を撃ち抜くかのように向いている。
「〈なんだ?言いがかりを言うつもりかね。私の身分は外交官だぞ。それにドイツに核は存在しない〉」
「〈諸君らは、アメリカやロシアとの情報戦で、『幻の核』の存在を知った〉」
その言葉が茅ヶ崎から出たとたん、冷や汗がどっと噴き出る。
「〈そして、奪取する算段を整えて、ユーリ・ゾルカリツェフを差し向けた〉」
気持ち、息が荒くなった気がする。
「〈地球連合軍に関しても、資金提供が貴国政府筋から出ているのがわかっている〉」
心臓の拍動が、反響している。
「〈そして、あなたがその作戦の陣頭指揮を執っているのも、わかっている〉」
泳ぎそうな目を必死に抑える。
「〈何のことだか〉」
どうにか取り繕おうとする。
「〈ユーリ・ゾルカリツェフの身柄引き渡しの要求も証拠隠滅のためだろう?〉」
「〈なぜ、証拠隠滅などと〉」
「〈あの男は諸君らにとっての情報窓口なんだろ?〉」
表情。そこから何か読み取る気なのだろうか。
いや、もうすでに?
「〈先程、亡命を申請してきた人間がいた。それを追撃してきた人間も逮捕拘束した〉」
「〈それが、どう我々と関係が?〉」
「〈旅券不携帯。身元不明。だが、手練れだ。銃刀法違反と殺人未遂で逮捕している〉」
写真を取り出し見せつけるようにする。
「〈ものの見事に、アインヘリヤルの会員証だった。旧東ドイツ軍のエリート士官の子息。裏切り者の始末だとか言ってたな〉」
「〈なら関係ないだろう?我々と敵対している〉」
笑ってごまかそうとする。にじむ汗。泳ぎそうな目はどうにかして茅ヶ崎をとらえ続けていた。
「〈そんなわけない。ちょっと顔を調べたら、外交官だった〉」
「〈ならなんで拘束を〉」
どこかあざけるようにベルノルトは言う。
「〈人殺しをしようとしている以上外交官もくそもない。今は報道を止めているが、公式に発表すれば、どうなるかわかっているのかね?装備品もG36C。GSG9やKSKのようなコマンドー部隊向けの火器だ。わが国で、西側の先進国が政治犯を殺害する。このシナリオで何が起こるか〉」
「〈それが?〉」
精一杯開き直ろうとするベルノルトだが、その焦りは見えている。
「〈表向き、ナチスの反省をしたことになっているドイツが、世界中で陰謀を張り巡らせている。そう見られたらどうなる?〉」
「〈貴様ら!〉」
もはや言い逃れできないと踏んだか、はたまた侮辱されたという演技か、ベルノルトは叫ぶ。
「〈それは我々のセリフだ。外務省は、今回の件をもとに、貴国の外交官全員をペルソナ・ノン・グラータにすることを検討し始めている〉」
「〈全員!?〉」
内容にぎょっとしたベルノルトに茅ヶ崎は畳みかける。
「〈あたりまえだ。責任者がわからない以上、ドイツ政府の新任外交官も拒否することになるだろう〉」
そういってボールペンを放り出す。
「〈何を言ってる!そんなこと正常な外交関係に〉」
「〈いいか?今の政権はドがつく外交音痴だ。ちょっと吹き込まれたら、暴走するぞ。世界が滅ぶまで〉」
人差し指をわざわざベルノルトに鋭く突き付けて、茅ヶ崎は脅す。
「〈そんなことして何の得が!〉」
「〈欧州金融危機とまで言われる現状において、ドイツが日本で非合法軍事工作をおこなったとなると、ユーロはどうなる?アメリカはドイツを切り捨てるぞ。ユーロが国際基軸通貨になり替わろうなんて考えは阻みたいだろうからな〉」
静かに、にこやかに、茅ヶ崎は語りかける。
「〈……何が望みだ〉」
全てが敗北に終わったのを理解してか、ベルノルトはうなだれる。
「〈諸君らの持っているすべての諜報データ。駄目だったら、こちらは、ユーロを1時間以内で強制20%オフセールすることができる。いいな?ドイツはおろか欧州全域の経済の明日は君の肩にかかっている。口外してみろ。どうなるか、わかっているな?〉」
凄みの利いた声にベルノルトはただ縮み上がるしかなかった。
「〈たった一人の外交官に……!〉」
そういったベルノルトの懐に茅ヶ崎は素早く手を突っ込み、銀色の塊を引っ張り出す。
ICレコーダ。なんとも古典的。ボタンを押し、録音を止める。
「〈『責任を負わせるのか』と言うのか?自分たちの蒔いた種だというのに〉」
軽蔑した目でベルノルトを見つめる茅ヶ崎は、小さく吐き捨てる。
「〈最後の最後で尻尾を見せたな。世界を終末戦争に導こうとしたくせに〉」
茅ヶ崎の言葉に身を震わせ拳を握りこむ以外、ベルノルトは出来なかった。
*************
エミリーとマリアは再度登校した。
しかし、その間にはぎくしゃくした空気が充満していた。
仲良し姉妹におとずれた破局。その真相――養父ともいえる男に対する考えの相違が関係悪化の原因であることを知るのは、誰もいない。
だが、その空気は、周囲にも伝染していた。
妙な、重々しい空気。
エミリーもマリアも、その気を放っていた。
誰も彼もその空気に引きずられるしかなかった。
尾張地方特有の、蒸し風呂のような湿度がその雰囲気に追い打ちをかける。
息苦しさに顔をしかめれば、その息苦しさが加速する。
「お前ら、まだ期末まで時間あるのになんだこの気力のなさは……久々にマリアさんが登校したってのに」
担任の小坂も、その布袋顔をしかめてその惨状に苦言を呈する。
「察してくださいよ。みんな早々に夏バテしてるし、なんか、雰囲気悪いし」
尾崎の言葉がすべてを物語っている。
ちょっかいをかけようとした村田がマリアのその顔を見て、チアノーゼに陥るまで首を締め上げられ三途の川を渡りかけた記憶がフラッシュバックしたのか、縮み上がったのを目の当たりにして、お調子者たちは興ざめしたらしい。
「なんだその体たらく。ほい。シャキッとせい、シャキッと」
手を叩いてハッパをかけるものの、全体的に緩慢としている空気を変えるに至らない。
「まあ、とにかく始めるぞ」
日常は少し軋んだ音を響かせながら再度回り始めた。
その軋みを気にかけつつ、幸太郎は恐ろしいものの潜む日常へと戻っていった。
これにて、第四章アーティラリーズ・ファントムは終幕です
第五章は遅れます。現在鋭意執筆中です。よろしくお願いします。