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イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁・庶務十三課―  作者: 北方宗一
第四章 アーティラリーズ・ファントム
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湿気た爆薬 その3

 銃声が響く。ただ、今までとは違う響き方だった。

 「拳銃弾!?」

 井口は咄嗟に気付く。

 「嫌な予感がするな」

 湯浅も妙な寒気を覚えた。

 『前衛先導(ヴィクター・リーダー)より全前衛(オール・ヴィクター)へ。これより合流する。編成を通常に戻す』

 秋津からの無線。それが今後を左右するのは明らかだ。

 「前衛1了解」

 「どうするんだ。ロシアの連中がどう出てくるかわからないぞ」

 御手洗のぼやきは、心からの悲痛な叫びにも聞こえる。

 「こっちと撃ちあうのだけは避けるはずだ」

 明石のどっしり構えた態度は、若干の動揺を見せていた強襲一班前衛に落ち着きを取り戻させるには十分だった。

 それは基本である。『対外工作は勝ち戦しかやらない』という原則は、工作機関に普遍的に存在する。ロシア側がここまでこだわるのは国家存亡の危機といった事態ゆえなのだろうが、敵を増やしてまで秘匿する必要性は薄い。ここで現地の機関と対立すればタダでさえ危ない橋を渡っているというのに、さらに不要な火種を生み出しかねないことぐらい彼らも理解しているだろう。

 「早めに首謀者を拘束して退却するぞ。外交カードになるし、他国による介入が実を結ばないとわかれば以降も介入を防げる」

 松尾はそう言って思案を巡らせ始める。

 「なら、やはり二手に分かれるべきでしょうか?」

 「そうだな。1組と2組に分かれて探すというのも手かもしれない」

 湯浅の提案に井口は同意する。

 「だが、ここで別れると戦力面で不安があるな」

 明石はそう言ってじぃっと周囲を警戒する。

 「どうせすぐ見つかる。別れるまでもない。音をたどろう。急ぐぞ!」

 松尾の決断に前衛は付き従った。

 物陰を確認し、去り際も警戒を怠らない。

 敵の残存数が不明である以上奇襲への警戒は厳しすぎるということはない。

 そんな中、虎視眈々と狙う影があった。

 「〈抜かりがない。さすが、あれだけの装備をしているだけのことはあるか〉」

 アインヘリヤル隊長のハーロルト・ドルニエは再会した敵をまじまじと見ていた。

 ハーロルトがこの集団に同調したのは失望故だった。

 ドルニエ家は由緒正しい軍人一族だった。『だった』というのはハーロルトの代でその系譜は途絶えつつあるからだった。祖父はドイツ国防陸軍中尉から国家人民地上軍大佐にまでなり、父もまたエルンスト・テールマン地上軍士官学校を出て、第40航空突撃連隊に所属したエリートだった。そんな中、二人の兄も同じように士官学校に入り、自分もまたその道に行くのだろうと考えていた。

 そんな中起こった東西ドイツ統合は、一家の生活を破壊しつくした。父と長兄は職を失い、次兄も士官学校から放逐される。途端に発生した物価変動。連邦士官学校を受験しようとした。だが、それも不可解な事件が連続して失敗した。景気の悪化による就職難。連邦政府に軍人としての年金を要求すれば「外国軍への従軍であり連邦軍への従軍ではない」と冷淡に断られ、一縷の望みをかけた投資も詐欺であったために蓄えの多くを巻き上げられた。苦労して金を稼ぐが、意味があるのかと問いたくなる。

 心労で母が倒れ、父は覇気のあったころが嘘であったかのように衰弱しきって。そんな中偶然合流したのがアインヘリヤルだった。『死した戦士たち』の名の通り、そこにいたのは、時代に切り捨てられた兵士たちとその家族の集まりだった。旧SS士官の一族として迫害されてきた。ドイツ人民軍人だったとして職を追われた。そのような人間たちが数多く集まっていた。彼らの中にある『自由と人権の国ドイツ』に対する疑念は、より強くなっていった。

 そして、その疑念は東欧州全体にわたるものであることを知る。多くの人間が『素晴らしい結果』をもたらすと考えたそれが、多くの人間を虐げ、苦難の道を強いたことを知り、彼らの組織は国をまたいだ『古き軍人と諜報員の尊厳を回復する』組織へとなっていった。

 だが、それもまた苦難の道である。多くの人間が諦め、組織はゆっくりと小さくなっていく。

 そして、今、残された者たちは日本で、一世一代の賭けに出ていた。

 まともな手段では何も救えない。公然と活動するシュタージといってもいい憲法擁護庁と対立しても、社会は憲法擁護庁を正しいと判断する。それが、いかに危険か忘れたかのように。

 ならば。

 「〈着剣〉」

 号令とともにAK74に銃剣を取り付ける。

 「〈構え〉」

 既に撃つ準備はできている。

 向こうがこちらに気付く前に。

 「〈撃て〉」

 号令。だが、号令と同時に放たれたのは味方の銃撃ではなかった。

 背後。気づいて撃ち返す。

 他が一斉に敵に突撃する。

 「〈この!〉」

 必死の銃撃。それに動じず、影は一撃。

 脚を撃たれ跪く。みるみる目の前が黒い(もや)に覆われていく。動脈を射抜かれた。止血を試みるがあとからあとから血が噴出し、血だまりが拡がっていく。

 「〈クソォ……〉」

 力なく口からほぼ無意識に漏れる呪詛のことば。

 こんな死に方認めたくない。せめて、敵に突撃して銃火の雨に打たれて、軍人らしく死にたい。にじみ出る思いの中、どうにか意識をつなぎとめようとする。

 思案の中、彼の意識はみるみる遠のいていく。傷口と手先足先から感覚が消えていき、抗ってもその抗いすら彼の頭の中でしか存在しない。

 突撃し、銃撃を叩き込もうとしたアインヘリヤルは明石のミニミの弾雨に打たれ、果てていった。

 アインヘリヤル――死せる戦士たちの名のとおり、彼らは最後、あっけなく死んでいった。全員がどこか無念を思わせ、しかし、それでも満ち足りたような表情を浮かべていた。


 敵の考えはわかりきっていた。皮肉ともいえる。一度圧倒したがゆえに、そのセオリーにこだわりすぎてしまったのだ。

 彼らに装備の優位性は薄かった。現在多くの武器の取引は大きな規制下にある。銃器用スコープ類ですら軍用モデルの取引は厳しい規制下にある。

 そんなものを非合法の民兵組織がどうこうできるわけがない。民生品ですら一つにつき1000ドルはくだらない。事実、彼らの手に握られたAKは裸といえるものであった。

 貧相なその武器で彼らは異国の地で何を思いその銃を撃ったのだろうか。

 それで世界が変わるかもわからない。だが、その一縷の、細い蜘蛛の糸でつながったような望みに全てをかけた彼らの心情はわからない。極東の島国と欧州大陸では何もかもが違う。

 「かわいそう……」

 ぽつりとつぶやいた霧谷に秋津は驚いた。その情景はどこか物悲しい。ツンとくる硝煙に、血なまぐささが合わさった醜悪な臭いに似合わない、感傷的な言葉。

 「珍しいな。そんな感慨にふけって」

 秋津の口をついて出たその言葉は、素直な感想だった。

 「かんがい?」

 「いや、なんでもない。合流するぞ」

 秋津はそう言って合流地点を確認した。


     *************


 全弾叩き込んだ90‐Twoはスライドが後退し大きく排莢口を開けていた。

 防弾服の性能はかなりいいものだったらしい。穴ひとつ開かなかった。

 だが、相応にイーゴリーにはダメージがあったらしく、うめき声が聞こえる。

 「〈……小娘……!〉」

 「まだしゃべる余力が!」

 すぐに飛び退きマガジンを交換する。

 ゆっくりとイーゴリーも立ち上がる。即座に両手の90‐Twoを撃ちこむ。

 イーゴリーのCZ99も杏佳を捉える。

 双方とも決定打に欠ける銃撃の応酬が続く。

 「ダメか。さすがに」

 決着がつかない膠着した事態。向こうも苛立っているだろう。

 痺れを切らして出ていけばスポンジボブよろしくアナボコになるのは間違いない。それだけはまっぴら御免だった。

 ふっ、と殺気を感じ取り飛び出す。イーゴリーも全く同じだった。双方ともに銃口を向け合い、鉛の弾丸を撃ちあう。

 命中弾は双方共にない。ただ、杏佳は数を数えていた。相手の銃撃は明らかにこちらより短い。記憶が正しければ30発撃てるかどうか。17発の90‐TWO二挺より制限が多いようだ。

 想像通り、イーゴリーは弾切れで物陰に隠れようとする。

 それを追撃する杏佳は二つの銃口を物陰に向け突入する。

 眼前に広がる光景。そこには右の銃口を向けたイーゴリーがいた。

 (間に合わない!)

 命中弾を覚悟する。だが、その衝撃は一向に来なかった。異質な音とともにイーゴリーの右腕が撃ち抜かれていた。即座に左手の拳銃で反撃をする。しかし敵わないとみてか、身を翻して退却を始めた。

 周囲を見回すと遠くに闇にまぎれ伏せていた人影が見えた。それはそのまま立ち上がってこちらに近づいてくる。

 「河合さん?」

 その声は普段から聞き慣れていた。

 「美里ちゃん」

 上下真っ黒。ヘルメットに防弾服。手に持っているのは軍用のライフルだろう。凸凹が四面についていてスコープが上に、二本脚が端に付いた握り手が前についている。銃口にはサイレンサーも。

 「他のみんなは?今どうしてるの?」

 「みんなして散り散りよ。下僕以外は一対一ね」

 美里にわかっているだけの内容を告げる。本当に、わかっているすべてのことを。

 「幸太郎は?」

 「最悪って言った方がいいかもしれない。エミリーちゃんとひょろっとした優男の二人相手よ」

 ふっと思い出した、どこか印象的な、あの銀髪の優男の張り付いたような笑い顔は、死神のように思えた。


 エミリーの銃撃を回避し、さらなる機会をうかがう。

 そこまで弾数があるわけではない。

 あの男を仕留めれば、自然と戦う必要性はなくなる。

 (なら、突っ切るしか)

 全てを覚悟してエミリーに一直線に突進する。

 (俺の見立てが正しければ!)

 「〈なにを馬鹿なことを!〉」

 何か、嗤うような声だ。

 そのまま、嗤っていろ。

 どちらが吠え面掻くか、思い知らせてやる。

 顔のすぐそばを弾丸が通り過ぎていく。弾丸の押しのける空気を感じる。

 そうだ。エミリーは、あえて俺を外している。俺の動きを読んで、ギリギリ当たらないところを狙っている。ナイフに関してはほぼ本気だったが、あえて腕を狙っていたのはどうも、殺す気がなかったということもあったのかもしれない。首が狙えたはずだからだ。

 もう、完全にインレンジ。

 心中で祈る。

 耐えろ。

 「〈何をやってる!殺せ!〉」

 余裕の表情を崩し怒号を響かせるユーリ。その叫びもむなしくエミリーのPB消音拳銃が弾切れを起こす。

 そのまま勢いを殺さずエミリーに真正面から衝突する。体重を考えると、確実に幸太郎が上。ほぼ確実に1.8倍はあろう。物体が衝突すると、軽い側は跳ね飛ばされる。ここで変な挙動をされてしまったら、終わりだ。

 衝突。跳ね飛ばす勢いで。だが、エミリーは幸太郎に抱き付いてくる。

 想定の外。だが、都合はよかった。

 驚愕で目を見開いたユーリの顔が間近の様に感じられる。

 SP2022の銃口をユーリに向ける。

 同時に、幸太郎のものではない腕も上がる。

 抱き着いているエミリーの左腕。

 エミリーは抱き着いた状態でいつの間にかPBのマガジンを交換していた。

 フルロードのPBの銃口は幸太郎に向かず、SP2022と同じ目標をとらえる。

 「〈この!〉」

 ユーリはP88を突きつける。

 その顔にあったのは、失望とも絶望とも、はたまた嫉妬ともとれる奇妙なものだった。

 拳銃の銃撃が二人を襲う。が、その狙いはぶれていた。

 「〈撃て!〉」

 エミリーの、抑揚を抑えながらも強い語気に押されるかのように幸太郎は引き金を引く。

 幸太郎の弾丸がユーリの左上腕を射抜く。

 エミリーの弾丸もユーリの右手を貫通すると、P88はその手から滑り落ちる。

 「〈裏切ったな!〉」

 傷口を手で押さえながら激昂するユーリ――今まで見せてこなかった顔を見せた彼に、エミリーは答えず、スルリと幸太郎から離れると胸元や腹を右手で掃う。

 「〈初めからこうするつもりだった〉」

 一息ついてから淡々とエミリーは言う。

 「〈あなたにとって私は天使に見えるのかも〉」

 そういって一歩進む。

 「〈けど〉」

 さらに一歩、詰める。

 意図をくみ取れないのか、ユーリは呆けた顔で立ち尽くしている。

 「〈天使は天使でも……〉」

 一歩。一歩。とさらに距離が詰まる。

 「〈サリエル(殺人天使)よ〉」

 さらに一歩。相対するエミリーとユーリの間は至近距離。顔のしわ一つ一つを数えることだってできる。そんな距離になるまで近づいて、エミリーはありったけの弾丸をユーリに叩き込む。

 避けられるのを恐れてか、胴に撃ったようだ。

 そのままユーリは倒れる。

 最後の最後。ユーリの顔は、幸太郎には笑っているようにも見えた。

 「笑ってよ。わたし、こんな男に嫉妬してたんだよ」

 エミリーがぽつりとこぼす。

 「お姉ちゃんは、この男にあこがれていた」

 愛憎入り混じった、泣きそうで、笑いそうで、怒りそうで、嬉しそうな表情。彼女は、この男に何を思っていたのか、口だけではわからない。

 「私は嫌だった。得体のしれない男がお姉ちゃんを、奪おうとしてるから。ずっと、殺したかった。けど、殺せなかった」

 肩を震わせ、嗚咽を漏らし、エミリーは、自分を嗤っていた。

 ユーリは瞼を閉じて、ピクリとも動かない。

 その得体のしれなさはよくわかる。あの熾烈な銃撃に険しい顔をほとんど見せなかった。

 薄気味悪い笑顔の仮面。

 笑いの能面や、ピエロのメイク、アルカイックスマイルもだが、笑みは人間にとってある種不気味に見えるものなのだという。笑みは仮面として最も効果を示すという。敵意をマスキングするそれは、奴にとっては最大の鎧だったのかもしれない。

 エミリーはユーリの体を探り、とあるものを取り出す。

 デトニクス・コンバットマスター。彼女が姉ともども愛用していた拳銃だった。

 「〈返してもらうわ〉」

 踵を返し、立ち去ろうとする。

 「〈ま……てぇ……!〉」

 地の底から響くような唸りにも似た声。

 「〈僕は、まだ……死んで……ない、ぞ……!〉」

 ユーリ・ゾルカリツェフはまだ生きていた。

 よろよろと、足を踏ん張って立ち上がる男の顔は、それまでとまるで変らぬ狂気にも似た笑みを浮かべている。

 幸太郎はその姿を見て、何か冷たいものが腹にたまるのを感じた。


 「〈ねぇ……〉」

 力なくうなだれるマリアは、小さく問いかける。

 「〈……〉」

 ゲオルゲは無言のまま、動かない。殺すか殺さないかを決めあぐねていた。

 「〈もうどうせ勝てない。なら、最後くらい、何か言ってもいいでしょ〉」

 どこか笑うように、マリアは続ける。

 「〈あなたと私は似て非なるもの。あなたが、過去を引きずるなら、私は未来を切り開く〉」

 親として、仲間として、上司として、敵として。混然とした自己の中で、ゲオルゲのその葛藤は、銃口をマリアに向け、引き金に指をかけ、それでもなお、『引く』、という最後の動作を躊躇させていた。

 「〈そう思って生きてきたけど、私が切り開く未来って、なんなんでしょうね〉」

 ぼんやりと、記憶を手繰りながら、その言葉は紡がれていく。

 「〈フフッ。言ってみて思ったわ〉」

 その言葉に、ゲオルゲは本能的にたじろぐ。

 奇妙な不安感。それが本能的な危機の察知であるのに気づくのには、ゲオルゲはあまりにも幼いころから長く鉄火場にいすぎた。

 「〈もうちょっとだけ、悪あがきしてみようかしら〉」

 言い終わるのと同時にマリアは左手のナイフを勢いよく振る。

 大型ナイフのスローイング。もはや完全な賭け。

 とっさの防衛行動でゲオルゲは怯む。

 反射。どう足掻こうとも生命の根源たる生存本能に抗うのは難しい。

 銃声。いつ撃つかと言わんばかりだった引き金が不意に引かれて手があらぬ方向へ動く。

 この一瞬のスキで両足を曲げ、立つにも飛び込むにも都合がつく姿勢に持ち込むと、マリアは即座に太ももに手を這わせ、一本の得物を引き抜く。

 細いスローイングナイフ。

 そのまま、正手でグリップし、両脚のバネを生かしゲオルゲに肉薄する。

 喉。胸。腹。狙うのはそのどれでもない。

 腕。命を奪うのではなく、戦えなくする。

 浅く、皮膚を裂くだけ。それでいい。

 深く狙うな。空を裂くかのところで。

 軟衣を引き裂くような感触。

 そのままゲオルゲの背後に回り込み、さらに左腕を狙う。

 切る。

 だが、そのテグスのように細くしなやかで強い一撃は防がれる。

 今の状況でナイフでは敵わないと察したゲオルゲは、ブッシュダガーを手放すとシステマの要領で握り手を弾き、手首をつかみ、一気に体重をかけ座屈させる。その意図に気付いたマリアも足で地を蹴り、新体操の要領でゲオルゲの腕を支点にぐるりと逆上がりをする。捻られる形になったゲオルゲの手からマリアの腕が離れる。

 背を合わせるように着地するのと同時にナイフを逆手にスイッチしてワンステップで左に回り、ゲオルゲの頸を狙う。

 ゲオルゲもリジット・スロワーコンボ・スローイングナイフを引き抜きマリアの頸を引き裂かんとする。

 双方とも、刃を握った手を弾き、鋼の切っ先は空を切る。ゲオルゲのGT9の銃口がマリアの瞳をのぞき込む。即座にその銃を跳ね除ける。

 細い刃を何度も突き立てんとマリアは鋭く繰り出す。

 その一突き一突きを躱しつつ、ゲオルゲは銃口を再度向ける。

 その瞬間、マリアの手がGT9をとらえた。

 マグキャッチが押され、銃口が天を向くと引き金を押し薬室の残弾を処分する。

 マリアはそのまま、ゲオルゲの首めがけて切っ先を振った。


 「貴様は人に頼りすぎだ。ユーリ・ゾルカリツェフ」

 幸太郎はSP2022の銃口をユーリに向けると躊躇なく引き金を引く。

 「〈フフフフフフッ。だいたい言ってることはわかるぞ。僕が、自分の力じゃなく他人の力でここまで来たのが許せないのか〉」

 ユーリは銃撃をひらりと躱すとアストラM357リボルバーを手にする。

 「〈だが、いかに他人の力を利用し、自分の利益にするかも、才能だよ!〉」

 その拳銃の弾丸は幸太郎をかすめる。

 「それがどうした!!」

 幸太郎は残弾を撃ちまくる。

 一発がユーリの肩ををとらえた。一瞬の衝撃で動きが止まる。二発、三発と立て続けに胸元に命中する。

 「ッハァ……ハァ……」

 奇妙なくらい息が荒くなっている。

 「〈ッフフフ……。息が荒いぞ〉」

 にやりと笑うユーリ。

 防弾であっても、ここまでもつことは普通ない。それ以前に、一発で空手の正拳突きに匹敵するという9ミリ弾を何発も食らってケロリとしているのだ。

 「〈どういうことだ?って思ってるんだろう?〉」

 エミリーの銃撃もものともせず笑っている。

 「〈僕は、痛くないんだよ〉」

 「!?」

 エミリーはその言葉に目を見開く。

 「〈正確に言えば、痛覚障害。痛みは存在しない。痛みなど感じたことはない〉」

 「〈なら!殺せる!〉」

 「〈無駄だね。この防弾服。かなりいいものでね〉」

 さらなる銃撃がユーリの腹に叩き込まれるが、まるで意に介さない。

 「〈かなりの耐久力があるのさ〉」

 「……なんだよ。なかなかに、ベラベラ喋るじゃないか」

 そういって手をエミリーに見せる。

 「ナイフ。貸せ。あるだろ?」

 手に置かれた樹脂の感触。

 「あいつは、俺が殺してやる」

 順手で握りなおし構える。タントー。まっすぐな刃。

 「〈やるかい?〉」

 ユーリもダガーを引き抜く。

 即座に幸太郎は駆け出す。

 「くたばれ!」

 肉薄し、タントーの刺突を繰り出す。ユーリはそれを躱す。

 ダガーの一閃。それを紙一重で避ける。

 さらに来る蹴り。受けつつも体をあえてよろめかせてダメージを緩和する。

 一時の休符を見計らってタントーで切り込む。ユーリは切っ先を見切って二本の指で受け止める。

 「!?」

 「〈驚く?〉」

 そのまま、勢いを利用され地面に転がされる。

 鋭い蹴りが今度は幸太郎を襲う。

 肺からありったけの空気が吐き出される。

 呼吸が間に合わない。苦しさゆえに目が大きく見開かれる。

 その瞬間、ユーリに衝撃が走る。

 エミリーは、ナイフをユーリの背に突き立てていた。

 だが、その刃は進まない。

 「浅いなぁ。頑張ったけど、肝臓からも、少し遠いかな」

 ぎょろりと目玉が、その丸い瞳がエミリーをとらえる。

 一撃の後ろ蹴りでエミリーは吹き飛ばされ気を失う。まるで、蹴飛ばされた石ころのように。

 幸太郎も思わず息を呑む。

 「〈君たちはまだまだ、だな。演技を演技と見破れなかった〉」

 幸太郎の鳩尾に衝撃が走る。

 「〈僕が『格闘が不得手』だって、いつ、言ったかな?〉」

 そういって踵を返してゆっくりとエミリーに近づく。

 「〈いくらでも嘘は作れる。苦手を演出し、偶然を装うことだって〉」

 横たわるエミリーのすぐそばまで近づくと、そのまま膝をつき顔をのぞき込む。

 そんな時、ふと、幸太郎は足元の感触に気が付いた。

 「〈わかっていたはずだろう?エミリー。僕の本性を見破っていたくせに。勘が鈍ったのかい?〉」

 エミリーの顔を引き寄せる。その顔は、異様なまでに優しげ。


 ダンッ   カラカラカラ……。


 背に衝撃。破裂音。薬莢の跳ねる音。

 「いい銃だな、これ。P88、か」

 声。息を切らした、声。

 「〈貴様?〉」

 ユーリは振り返る。

 幸太郎は、横になっていた。

 「〈僕の情事を邪魔するつもりかい?〉」

 怒りでユーリの顔が引きつっている。

 「やろうとしたことはお見通しだ、性欲魔人。綺麗ぇな面したいけすかねぇ奴が一番強姦に手を染めやがる。自信家で無駄にプライドが高いし、それに、結構、エグイ過去とキツイ支配欲持ってるってのが通例だからな」

 鼻で笑いながら、幸太郎はつぶやく。

 「さんざんやってきたんだろ?かなり慣れてると見た。無駄にロマンチストなのも、勝手に恋愛を演出してる」

 銃口をそのままユーリに向け続ける幸太郎。

 「〈なにを、嗤っているんだ!僕の営みを穢して!!〉」

 幸太郎に向かって近づく。

 弾が切れたようで、スライドは後退したままだ。

 幸太郎に飛びつき、首を両手でつかみ、そのまま締め上げる。

 「〈邪魔を!しやがって!〉」

 首が閉まって苦しむ。だが、幸太郎は二ィっと口角を上げた。

 「〈死ぬまで嗤うつ〉」

 二発の銃声とともに唐突に言葉が途切れる。

 そのまま、ユーリは崩れ落ちる。

 「ッカハッ……オエェッ……ハァ……ッハァ……ッ」

 首が解放される。しこたま空気を吸い、息を整える。

 慢心。それを利用した。

 スライドストップを押し上げながら撃つとスライドは残弾ありで開いたままになる。

 奴は挑発に乗ってきた。意味不明なこと言って罵っていると印象付けさせ、感情的になって近づいたところをぶち抜く。

 ただ、あまりにも近づきすぎた。

 首を絞められ、あのまま窒息か、頸をへし折られていたか。

 頸筋に銃口を近づけるというリスクを考え、腕を伸ばした状態で、勘で相手の頭を下から狙い撃ったのだが、間違えれば意味がない。

 正直なところ、確証はない。だが、とにかく、開放はされた。

 試しに見てみる。

 銃創がない。狙い損ねたようだ。鳩尾にピンポイントで当たった二発の弾丸の衝撃で失神したらしい。

 残弾は、ない。

 「ついてないな」

 へこたれてしまう。

 「幸太郎!」

 叫ぶ声が聞こえる。

 「神山」

 ライフルを構えた神山が近づいてくる。

 「ユーリ・ゾルカリツェフか」

 「ああ。手錠をかけた方がいいぞ。今のうちに」

 「わかった」

 そういうとナイロンカフを取り出しユーリの両手を縛る。

 「暴行の現行犯で緊急逮捕。1:38。前衛2より全前衛へ。ストーリーテラーを拘束」

 これで、すべてが終わった。そう、幸太郎は実感した。


 刃は、刃先がゲオルゲの頸の皮膚に触れて、それ以上進まなかった。

 喉を引き裂き、鮮血をまき散らすことはなかった。

 奇妙な無力感。あとからあとから溢れ出る涙。

 ゲオルゲの死を覚悟した瞳を見たとたん、戦意はすべて殺がれてしまった。

 自分にとっての『父親』。殺そうと、本気だったはずなのに。

 「〈それで、いいんだ。君たちには、私を殺す権利がある〉」

 そんな優しい顔で、そんなことを言わないでほしい。

 「〈君たちには、幸せになる権利がある。私にようにならない権利が〉」

 「〈偉そうなことを!〉」

 声が震える。絞り出すように言ってみるが、声になったかわからない。

 「〈まだ、君たちは戻ることができる〉」

 「〈できるわけない!〉」

 叫ぶ。この男を否定するために。

 「〈父を殺され、身を守るために男を殺し、母の不倫相手を殺し、父を殺した犯人である母を殺して、いろんな人を殺してきた!〉」

 叫ぶ。自分が自分であるために

 「〈私は、戻らない!戻れない!昔みたいな、優しい人間には戻れない!〉」

 叫ぶ。自分たちを侮辱されないために。

 「〈私には、愛というものがまるで分らない。だが、凍えてる君たちを救い、育てようとしたあれが、愛なんだろう〉」

 それでも、ゲオルゲは、普通の父親が娘に向けるように、語り掛ける。

 「〈殺しを教えるのが、私なりの、愛情だったんだろう。だが、後悔している〉」

 その声は、苦しくなるくらい、優しい。

 「〈もっと『普通』の、愛し方をするべきだった。『親』として『真っ当』な愛情をかけるべきだった〉「〈言わないでよ!!〉」」

 優しさを振り払いたくて、苦しみから逃げたくて、叫ぶ。

 「〈そんなこと……言わ……ないでよ……。私たちを……否定しないでよ……。私たちをこんなにして……今更……そんな風にしないでよ……しないでよ……!!〉」

 自分は。ジブンは。じぶんは。自分ハ。じぶんハ?

 体を血で洗い、硝煙を香水の様に振りかけて、銃器をポーチに入れて。

 そこまでして、生きてきたのに。

 「〈殺せ。君たちのためにも。私を殺せ〉」

 そういわれて、ナイフを下す。

 「〈できない……もう……おとうさんが……しぬのはやだ……〉」

 銃声。振り返ると、そこには強襲班がいた。

 とっさに、かばう。

 「どうした!どけ!そいつは!」

 黒ずくめが叫ぶ。

 「〈わたしの(Er ist )おとうさんなの(mein Vater)!〉」

 もう訳が分からなかった。なんでだろう。

 なんでなんだろう。

 なんで。

 ?

 混乱するなか、おとうさんは、どこかへと消えていった。

小辞典


アストラ M357

スペインのアストラ社が製造していた.357マグナムを6発装填できるオーソドックスな警察向けリボルバー。

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