折れた矢 その3
晴海コンテナ埠頭
夜の闇にオレンジの灯りがそこかしこを照らしている。
闇を溶かし込んだ海はピアノブラックに染まっていた。
マリアの目の前に人影が見える。悠々とした人影が。
「〈ハハハッ!よく来てくれたよ。挨拶前に狙撃くらい覚悟してたんだけどねぇ!!〉」
大仰な身振りでユーリはマリアを迎える。グレーのスーツに身を包んだ細い体躯。病に罹っているかのように白い肌。鳶のような鋭い目。ネクタイは血のような赤黒色をしている。
「〈私を呼び出してどうするつもり?〉」
冷めた視線でユーリを見るマリアはじっとりした初夏の海岸独特の空気を引き裂くように鋭く言い放つ。手元には何もない。そう。手元には。
「〈単刀直入に言おうじゃないか。君には僕らに加勢してもらいたい〉」
「〈あなた、本気で言ってるの?〉」
ユーリの他人を馬鹿に仕切った態度にマリアは呆れて言う。
「〈どうかな?フフフフフッ〉」
心を隠すようにユーリは笑う。この男はいついかなる場合でも平然としていられるような男だ。あの時、FSBとの銃撃戦でも笑っていたことをマリアは思い出す。
「〈そうね、少し雑談しましょ。未だにハンバート・ハンバートみたいな趣味は治ってないのかしら〉」
マリアは一旦交渉を諦めて話を切り替える。
ユーリのことを知っているからこそだった。この男がいかに他人を飲み込んでいくか。笑みの仮面を崩さず相手が有利なように錯覚させて、いつの間にか自身が一番有利になるように飲み込んでいく。それで大変な目にあったのだから。
「〈言うようになったねぇ〉」
「〈あなたの文学好きとその手の趣味には飽きたわ。ねちねちした言い方したロシア訛りのドイツ語にもね〉」
なれなれしくしてきたのを察して距離感を保とうときつい言い方で突き放す。
「〈そうか〜。そうだったのか。残念だなぁ〉」
どこか幼子をあやすような物言いでユーリは言い放つ。
「〈そのわざとらしい言い方、あなたの本当の姿を見せないつもりね。いつものことだけど〉」
看破したことを宣言すると、ユーリはどこか残念そうな顔になる。
「〈そうかなぁ?僕はもっとも僕らしい喋り方をしているつもりなんだけどねぇ?〉」
不満げな表情でユーリは言い切る。
だがその身振り手振りはまるでブロードウェイのミュージカルを髣髴とさせるオーバーさだった。
「〈ならそれは道化ね〉」
「〈道化かぁ。それに踊らされるみんなはさしずめ……操り人形ってところかな?〉」
マリアの言葉に反応して両肘を肩の高さにあげて手をぶらぶらさせる。
「〈どこまで他人を舐めているの!?〉」
「〈さあ?しゃぶりつくせるまでしゃぶるよ?〉」
からかうようにユーリは言う。
「〈もしかしてエミリーも!?〉」
急にぞっとして詰問する。
嫌な想像しかできない。
「〈さあ?けど、あれくらい熟した気の強い生娘が一番『おいしい』んだよ?知ってるかい?〉」
「〈……!早くエミリーをよこしなさい!!〉」
強い怒りがマリアを突き動かす。
エミリーを守りたい一心が表に出る。
「〈そんなに急いでも何も得はないよ?『アヴドーチャ』〉」
「〈ユーリ!〉」
胸元のホルスターに手を入れる。
「〈へぇ!ついに脱いでくれるんだね!あってから一度も見せてくれなかった神秘を!〉」
「〈黙れ!!〉」
ブラホルスターからコンバットマスターを引き抜きウィーバースタンスで構える。
「〈さあ!そこにいるんだろう!?日本の007さん!?〉」
不意にユーリが周囲に叫ぶ。
『なんだと!?』
『落ち着け。9割9分9厘『ストーリーテラー』のはったりだ』
耳元の小型デジタル無線のスピーカーから声が聞こえる。
アンブッシュしていた強襲一班が反応しかけたのだ。
「〈何言ってるのかしら?〉」
挑発するようにマリアはしらを切ろうとする。
「〈君は昔から軽装備だ。今手元にあるのはその構えてる『マルタ』と同じデトニクスとマシンピストルにナイフが限界だ。違うかい?〉」
「〈チッ〉」
図星としか言えなかった。今手元にあるのはこのデトニクスとカランビットが一振りだった。
「〈だから『マルタ』に大火力を任せている。君には射程と火力が足らないんだよ。まあ、僕も同じようなものだけれどね。けど〉」
そういって両手を広げると小さい子供が二人現れる。
「〈二人はロデリックとマデライン。僕の火力だ。二人とも挨拶〉」
「〈僕、ロデリック〉」
「〈私、マデライン〉」
『〈以後お見知りおきを〉』
ユーリの号令で二人はお辞儀をする。
仰々しい、舞台俳優か貴族のような大げさな身振りの挨拶。まさしく、道化が道化であるための子役といったところだ。
『なに!?』
井口がその姿に驚く。
『子供!?しかもあんな小さな!?』
桂木がふと洩らす。
『俺や美里が訓練課程を受けてたくらいの歳だ』
神山もその姿に戦慄する。あれくらいの時では.380口径すらままならなかった。
「〈また、なのね〉」
マリアはユーリの本質が変わっていないことを再認識して顔を曇らせる。自分たちとは本質的に違う、必要でなくとも殺すようにできた操り人形。自分たちの存在が不要だったのは、明らかに殺しに乗り気じゃなかったからだ。
「〈それがどうしたかい?〉」
「〈貴方はいつもそう。自分を鍛えず、他人を支配して使い倒して、使えなくなったとわかったら殺す。あなたのやり方はもう飽きたわ〉」
ハンマーを起こしてしっかり顔面を狙う。
「〈まあ、否定はしないよ?それが生き方だったんだから〉」
「〈エミリーはまだ!?珍しく血が頭に登ってあなたを殺したいって脳内がうるさいのよ〉」
銃口を突きつけ、餓えた狼が吠えるかのようにマリアは叫ぶ。湿気た風がむわっと襲い掛かる。
「〈まあ、そう焦らないほうがいいよ。ほら、出ておいで〉」
ユーリの号令で現れたのはいつもそばにいた見知った顔だった。
「〈エミリー!?〉」
さらりと流した金の髪をサイドテールにしたエミリーの姿が見える。
マリアの口から漏れ出る声が響く。
しかし、エミリーは俯いて暗い顔をしている。
「〈エミリー……〉」
「〈ごめんね、お姉ちゃん〉」
『これは!?』
湯浅がその状況を見て指示を仰ぐ。
『『オーロラ姫』を確認。総員、プランCで行く。突入用意』
秋津の決断がイヤフォンから聞こえる。
一斉にスリングで提げた銃にサプレッサーを取り付けライフルはガスレギュレーターを調整する。
「〈安心しなよ。『マルタ』はまだ『女』じゃない〉」
ユーリの言葉にマリアは戦慄する。
ユーリはエミリーを毒牙に掛ける気だ。
「〈エミリー!戻ってきなさい!そいつは、私たちを裏切った奴よ!〉」
マリアは必死になって
「〈さあ?どうする?〉」
ユーリはエミリーに問う。
「……Ich kann nicht zurück.」
エミリーは胸元を触るとつぶやく。
「〈!?〉」
『なんて言った?』
『こちら側には戻れない、だそうです』
灰田が問うと神山が霧谷の翻訳結果を言う。
『わかった。カウントは私がする』
秋津の低い声がずしりと響く。
「〈わかったわ、エミリー〉」
マリアはそう言ってエミリーを見据える。
『ファースト。カウント。3……』
カウントダウンが始まる。
「〈どうだったかな?〉」
挑発するかのようにユーリは言う。
『2……』
「〈君も来たらいいよ〉」
マリアに手を差し伸べる。
『1……』
「〈いっぱい、かわいがってあげよう〉」
口角をにやりと吊り上げた、その瞬間だった。
『突入!!』
アンブッシュしていた強襲一班の前衛1と前衛3が一斉に現れる。
完全極秘ゆえの物音ひとつ立てないなめらかな突入。既に銃口はしっかりユーリとその両脇の子供二人に向いていた。
「Hold up!! You’re under arrest!!」
秋津が英語で怒鳴りながら銃口を突きつける。
「〈こりゃ007じゃなくてレインボー・シックスだったか〉」
両手をあげてユーリは言う。
「〈どう?今の私の後ろ盾よ〉」
落ち着き払った表情でマリアは言う。
「〈政府の仕事って奴か。自分を売ったのかい?〉」
どこか想定外という表情で口走る。
「〈生きるためなら身体を売る以外はやるわ〉」
したり顔でマリアは言い放つ。
「〈君にはプライドが無いのかい?〉」
まるで自分にはあるかのような口ぶりでユーリは言う。
「〈おとなしく降参しなさい!!〉」
照準をそのままユーリの額にしっかり合わせて脅す。
「〈フッ、フフッ、フフフフ……〉」
いかなる恐怖ですら動じないユーリが急に笑い出す。
「〈何がおかしいの!?〉」
「〈その程度の戦力、敵じゃないよ〉」
牙をむき出しにするマリアに余裕の表情を崩さずユーリは笑う。
不意に眼光が鋭くなる。
「〈行け!!〉」
それは寸前までの笑みとは対照的な鋼のような冷たく重く硬い表情だった。
鋭い号令が反響する。
この瞬間、フラッシュバンを使わなかったことを秋津は後悔した。
ロデリックとマデラインが躍り出る。
コンテナが開き兵士が現れる。
ユーリからもうもうと煙が立ち込める。
危険を察して秋津と松尾はロデリックとマデラインに照準を合わせる。
ジグザグに走る二人を捉えきれない。
灰田と桂木がユーリを狙撃しようとする。だが、煙は想像以上のスピードで広がっていく。
「向こうもか!!」
井口が背中をかばうと明石はミニミパラトルーパーをコンテナに向け構えると制圧射撃で兵士たちを釘付けする。
「セカンド!ゴー!」
煙幕から可能な限り離れた秋津の号令で残りの前衛が突入する。
ロデリックが一気に近づいてくるのをダットサイト越しに見た神山はP90を連射で5発撃つ。
だが、ジグザグに動くロデリックをダットサイトの中にとらえたのに一発も当らない。
「なに!?」
5.7ミリ弾が逸れる。曳光弾の軌跡が弓のような弧を描く。
軽量高速拳銃弾。その最大の弱点。それは風だった。
5.7ミリ弾の弾丸質量は5.56ミリ弾の4分の1から半分、たったの1〜2グラムでありながら弾丸の横投影面積には劇的な違いがない。運動エネルギー自体も5.7ミリ弾と5.56ミリ弾では三倍の開きがある。
少し距離が離れると海側からの湿った重い風に軽い弾丸が流され軌道が逸れるのだ。
こういう時は7.5〜9.5グラムと弾丸の質量の大きい9ミリ弾の方が有利だ。
即座に判断する。
ロデリックはサプレッサー付きのPT92を手にして襲い掛かる。
「霧谷!スイッチ!バックアップに回る!!」
美里は即座にMP5K PDWを構えると単発にセレクターを切り替えて撃ち始める。
神山もP99のサプレッサーの取り付けを確認すると撃ち始める。
だがまるで弾道をすべて事前に知っているかのように平然と躱していく。
「なら!」
ふっと思いつき提げていたP90を左手でつかみセレクターを連射に切り替え撃ち始める。火線の暴風は確実に相手の行動範囲を狭める。一瞬飛び退いたのを右手のP99で撃つ。ロデリックは不利を悟ったのか物陰へと逃げる。
「あいつ!」
悪態を吐いて神山はP99をわきに挟んで残弾の少ないP90のマガジンを交換する。
神山のマガジン交換を確認すると霧谷もMP5K PDWのマガジンを交換する。
マデラインも秋津と松尾の火線を平然と躱すとスタームルガーMkⅡAWCアンフィビアンSを手にして撃ち始める。
何発かが松尾に命中する。
「なんだよ豆鉄砲撃ちやがって!」
走る衝撃と左腕の銃創の痛みに苛立ちながら放たれるタボールの断続的な銃撃がマデラインを追いかけるがマガジンは空になり、マデラインはうまい具合に物陰へと隠れる。
同じように物陰に隠れた秋津と松尾はマグポーチを開く。
「マデラインだったか?あいつ、身軽だな」
驚愕した表情を浮かべた秋津はマガジンを変えつつぼやく。
「新体操でもやってるんじゃないか?」
へたり込んだ松尾はマグチェンジすると多目的ポーチから黒い止血帯を取り出す。
「やだな。娘が新体操やってるっていうのに。嫌いになりそうだ」
撃たれた事実に息を切らせながらなげやりに言う松尾の言葉に秋津は顔をしかめて呟く。
「そりゃ災難だな。ッ!.22LRも結構来るな」
松尾は痛みに顔をしかめる。流血は気にするレベルではないが、血が流れる感触と違和感は痛みと相まって苛立ちを悪化させる。
「反転攻勢はまだだな。組織的な動きをする兵隊に、ちょこまか動くガキ。どっちかに気を取られたら、どっちかにやられる」
周囲を警戒しつつ秋津は言う。
「撤退?」
応急処置の黒い止血帯をきつく巻き終えると松尾は立ち上がる。
「というよりも撃退がいい」
秋津の言葉に松尾は力強く頷いた。
「どこ行ったんだ……?」
灰田はまるで溜息のように小さく呟くとSR‐25のスコープで舐めるように見渡す。
どこかに『ストーリーテラー』はいるはずだ。
不意に一際煙の濃いところを見つける。一瞬の海風が煙を吹き散らし、『ストーリーテラー』の姿を明らかにする。
一瞬の判断で撃つ。サプレッサーで銃声を押し殺されて放たれた弾丸は『ストーリーテラー』の右腕から1ミリ外側を通り過ぎて行った。
「チッ!風か!!」
動きが予測できない相手に海からの突風と吹き戻し。コンテナが迷路のように組まれたここは気流が複雑なのだ。しかも煙幕にコンテナと遮蔽物や死角も多い。
『ストーリーテラー』は灰田が二発目を撃つ前に煙の中に消えていた。
「God damn!!」
小さく毒づく。
『灰田!後ろだ!!』
灰田と名塚の耳に和田からの無線が入る。
振り返ると黒い手がコンテナに登ろうとしているのが見える。
そうだ。奴らは死角の多いこのコンテナ埠頭でいかに監視の目を掻い潜るかも熟知しているのだ。
咄嗟に右腰後ろ側のホルスターに手を伸ばす。
海兵隊時代からの愛用品、キンバー ウォーリアの冷たいスチールフレームがその存在を示す。革製ホルスターのスナップを弾き、引っ張り出すとサプレッサーを延長バレルのネジに固定する。
相手の距離は狙撃と比べれば格段に近く、なおかつ単純だ。0.01ミリに一喜一憂せずに済む。
ひょこっと敵が顔を不用心に出した瞬間に45口径弾を2発撃つ。風と弾頭質量を計算しつくした射撃は顔面に吸い込まれ、敵を落とす。
既にダットサイトを起動し背後を守っていた名塚はSR‐25を回収して背負っていた。
背中にあるものをグイと腹に回す。6インチバレル組み込みサプレッサー搭載のAR57アッパーにフルオート対応ボルトアッセンブリとM4A1ロワーを組み合わせ、マグプル製各種AR用レイルオプションを満載にしたAR57アサルトカービン。砂色のAFGを左手でつかみ、右手でやはり砂色のMOEカービンストックを3段まで伸ばし、EoTech EXPS3ホロサイトを起動させグリップを握ると親指でセレクターを180度回転させる。
「もうここは危険だ。配置を変える」
「了解。露払いします」
名塚はそう言って構えていたG36Kを背中に回して下を覗き込む。AKMSを持った敵が射殺体を見つけたのと同時にその直上に飛び降りた名塚は、首を締め上げへし折って脱力した敵を転がすと再度G36Kを構え周囲を確認しハンドサインを送ってくる。
鉤爪付きワイヤーでゆっくり下りるとすぐにAR57を構え周囲を警戒する。
「C2まで急ぐぞ」
「了解」
押し殺すような声で確認すると二人は駆けだした。
「こいつら!練度が高い!!」
御手洗はSCAR‐Lを単射で撃って敵を牽制して言う。今までのテロリストとは違うことを感じ取っていた。集団対集団を大前提に念入りな訓練を積んできたのがよくわかる。
敵がAKを構え撃ってくる。
銃撃自体もそれぞれがきちんと統率のとれた戦闘単位として動いている。
一斉に撃って一斉に弾切れというマヌケではない。扱いにも慣れている。
急いでコンテナの陰に隠れるとグローブ越しにサプレッサーの温度を確かめる。
「まだ大丈夫だな」
「そんなことしてどうするんだ」
息を切らせた湯浅はそう言ってボルトリリースボタンを叩く。
「サイレンサーは熱くなると効果がなくなるって聞いた」
少し乗り出して相手に弾切れになるまで連射するとすぐに引っ込んでマガジンリリースボタンでマガジンを外す。
「なるほど!」
湯浅は相槌を打つと即座にM4A1を握った右手だけを出して連射する。
「正直言って、もう意味ないんじゃないか?」
間欠的な制圧射撃で相手を押しとどめているがそれも限界に近い。
「ああ。ここまで派手になると」
89式の癖でボルトハンドルを引いてボルトを閉鎖すると御手洗はストックの長さを詰める。
「前衛4より前衛先導へ。減音器の取り外しを具申します」
『こちら前衛先導。了解した。前衛先導より各位。これ以降減音器使用は各自の判断に任せる。以上』
湯浅の具申はすんなり通った。
「だとさ」
そう言うと湯浅は御手洗を見る。御手洗はサプレッサーを取り外して左胸のポーチに仕舞いこむと
「なら、陽動と行くか?俺が囮になるから」
と提案した。
「俺が静かに倒せばいいってわけか。了解だ」
即座に湯浅は答える。
「じゃあ!またな」
そう言ってレギュレーターを切り替えると御手洗は駆けだした。
すぐに派手な銃声が響く。
相手の動向を見つつ静かにその場を後にした湯浅は、相手の背後に回り込むと単射で一人、また一人と潰していった。
「〈見つけた。卑怯者の道化師〉」
そう叫んだマリアは右手にアタッシェケースを持っていた。
「〈『アヴドーチャ』。君に何ができる?〉」
せせら笑うユーリの言葉を聞くと、マリアは右手に力を込める。
アタッシェケースをブンとひと振りする。AKS74Uが飛び出ると、ひったくってストックを伸ばしてセレクターを連射にして構える。
「〈隠していたのはあなただけじゃないわ!〉」
牙をむき出しにし威嚇する獣のような獰猛さを瞳に移す。
「〈コッファーAKか。珍品を持ってきたね?〉」
「〈うるさい!〉」
マリアが叫ぶのと同時にユーリは目にもとまらぬ早業で懐からP88を取り出すと即座にバナナマガジンを撃ち抜く。
プラスチック製マガジンはあっけなく割れ、内部のばねの力で底は吹っ飛び、弾薬はまき散らされるか落ちるかしてしまう。
「!?」
「〈残念だったねぇ。やっとのチャンスも台無しだ〉」
笑みを崩さずユーリは勝ち誇って言う。
「〈まだ一発ある!〉」
そう叫ぶとマリアはトリガーに指を掛ける。
「〈当たるかな?〉」
「〈当てる!〉」
嘲笑うユーリに狩人の眼差しを向けるマリアは呻る。
頭の中がクリアになる。引き金に徐々に力が入っていく。
「〈おねえちゃん!〉」
聞き慣れた声が響いたかと思うと強烈な閃光が眼を焼かんと溢れ出す。
「〈!?〉」
咄嗟のことに右人差し指がトリガーを引く。左腕で両目を塞ぐ。
光のシャワーが止んだかと思うと、そこには誰もいなかった。
「エミリー?」
一人取り残されたマリアはその事実に打ちひしがれた。
「撤退した?」
途端に銃声が止み一斉に敵影が退いていくのを見て、秋津は安堵と妙な不安にとらわれていた。
ああいう手の相手は最後の最後に隠し玉を持ってくる。経験則だ。
「もともと、念のための退路を作るために配置していたんだろうな」
松尾はコンテナの群れを見渡して言う。
コンテナ配置はなかなかに巧みで、まさしく敵の掌の内だった。孫悟空が釈迦の掌の上で踊らされていたと知った時はこんな気分だったのだろうか。
「コンテナの内部、外から、カギを掛けた状態から、出てくるとは、さすがに」
息も絶え絶えに井口は呟く。
「で、『オーロラ姫』に関してだが」
湯浅の声に全員がハッとなる。
「暗号符丁『赤い虫』か」
下したくなかった結論が秋津の口からもたらされる。
「最悪だな。そうなったら」
御手洗は力なく首を振る。
「『赤い虫』?」
「つまりは裏切りだ」
「そんなわけない!」
明石の説明を聞いたマリアは語気を荒げる。
「!?」
「エミリーは、まだ裏切ってない」
泣きそうな鼻声でマリアは言う。
「そう言い切る根拠は?」
明石は問いただす。
他の班員も注目していた。
「エミリーの動きです。裏切るなら、私以外の誰か一人を殺してるはず」
どうにか涙を零さないようにして言ったマリアの言葉に、その場にいた班員たちは納得する。
彼女なら、殺せる。
根拠は薄かったが、気迫は違う。
彼女は銃口を見せなかった。それは、我々に敵意がないか、はたまた武器を持たされていないか。仮に後者でも、それは相手に信頼されていないということ。
さらに突入時のユーリの驚き様からして、我々のことも知らなかった。対策はもしもの時のためのようだ。
つまり、エミリーは。
「裏切っていない。十分に言い切れる状況証拠もある」
「秋津さん」
秋津の言葉に松尾は全てを察した。
「責任は俺が取る」
「それに、エミリーには秘策があるみたいです」
「秘策?」
マリアの言葉に秋津はどこか信じられないといった声色で返した。
だが、彼女の瞳からは妹を信じているのが感じられた。
*************
「蒼中隊がフェリーに乗った!?」
ルーファスの驚きに満ちた声がオフィスに響く。
蒼中隊対策室は一気に色めきたった。
「はい。21:00JST、つまりは3時間前に東京港を出発した模様です」
コゼットの出した報告はまさしく吉報である。
ルーファスの人生でこれほどうれしかったのはなかなかに久しぶりだった。
カリカリしていたのもあるのかもしれないが。
「行先は?」
「複数の港を経由して那覇、沖縄に行く便だそうです。到着は三日後。寄港は二日後の志布志、鹿児島です」
「好都合だ。ヘリとボートで侵入できる。既に先行部隊は船内にいるんだろ?」
「はい」
「よし。早々と仕留めるぞ。領海外に出たら作戦決行だ」
ルーファスの声にハリが戻っていく。
「了解しました」
コゼットがそう言って踵を返して出て行くのを満足げに見ながら、ルーファスはうんうんと頷いていた。
「それにしても、何故、沖縄に」
ふいにエレンが水を差す。
「ああ。なぜ沖縄行のフェリーなんかに」
「なにが、沖縄にあるんだか」
他のメンバーにもその妙な不安感は伝染していく。
「大丈夫だ。DEVGRUに抜かりはない」
ルーファスはそう言って画面を見つめていた。
*************
「なんだこれ?」
YouTubeの新着動画一覧。
そこには妙な動画というのが存在する。
男は夜勤明けというのもあって妙なものを見たかった。
クリックすると広告も出ず、真っ黒い画面が続き、そして、何か人影が浮かび上がる。
『〈我々は、新たなる勢力である〉』
丁寧に字幕が付いた謎の英語の動画。
『〈いま、我々の手中には力がある〉』
男のナレーションとともに人影は右手を上にかざす。
『〈我々に要求はない〉』
ふと、微かに眼光が見えた気がした。
『〈だが、声明はある〉』
今度は口元のアップらしい。少し歯と舌が見えた。
『〈我々は亡霊〉』
不意にずらっと人影が整列する。
『〈資本主義によってなかったことにされた者たちの亡霊だ〉』
靴を鳴らして、影は胸元に銃を手繰り寄せた。
『〈ここに宣言しよう〉』
中心の男が右腕を高く挙げる。
『〈我々は躊躇わない〉』
急に画面が報道の切り貼りに代わる。
『〈我々の力は全てを変えていく。それがいかなるものであっても〉』
白黒が映すのはアメリカ、西ヨーロッパ、日本の繁栄の象徴の数々。ニューヨークの摩天楼、ドイツのアウトバーン、日本の新幹線、ワシントンD.C.の空撮映像、コンコルド旅客機、大阪万博の太陽の塔、B52、SONYのブラウン管テレビ工場、エッフェル塔を撮影するカップルなどなどなど……。
『〈グッバイ、アメリカ。グッバイ、NATO。グッバイ、マクドナルド。グッバイ、グローバリズム。グッバイ、資本主義〉』
オバマ、ブッシュJr、クリントン、ブッシュSr、レーガン、カーター、フォード、などなどのアメリカ大統領やキャメロン、サッチャー、チャーチルなどのイギリス首相、メルケル、シュレーダー、コール、アデナウアーといったドイツ首相、そして萩原、小泉、田中、佐藤、池田といった日本の総理大臣の写真まで。
切り貼りのところどころに、きのこ雲の映像が差し込まれている。
ビキニ、ノヴァヤゼムリャ、クリスマス島、ロプノール、そして、広島と長崎。
全てが、核爆弾の爆発映像。
『〈そして〉』
急に挿し込まれた朝日の映像。
『〈ようこそ、レーニン。希望の灯とともに〉』
朝日がフェードアウトしつつ、レーニンの白黒映像に代わっていく。
「なんじゃこりゃ」
しばし呆然としていたが、男はタブを消し、新しい動画を探し始めた。
その動画の最後を見ていなかったために。
動画の最後の最後に一瞬映る文章が、翌日の朝、世界を揺るがすことになるのを、彼が知るわけがなかった。
『〈我々は新たなる世界を作る。アインシュタインの灯によって〉』
『〈ありがとうティトー。我々に大切なものを遺してくれて〉』
小辞典
P88
ワルサー社が設計・製造した軍警察向け拳銃。
ワルサーが初めてブローニング式ティルトバレルとダブルカラムを採用した。
デコッカーとスライドストップを一体化したデザイン、高い性能と価格が特徴。
スタームルガーMkⅡAWCアンフィビアンS
競技用に設計されたスタームルガーMkⅠの改良型、MkⅡの特殊部隊向けカスタムモデル。
徹底的な銃声対策が行われており、組み込み式サプレッサーに亜音速弾を使用することでかなりの効果を得ている。
SEALsが要人暗殺のために導入したという。
AR‐57
アメリカのラインラントアームズが設計した5.7ミリ弾を使用するカービン。
M4やM16などのAR‐15シリーズと多くの操作が共通しており、ロワフレームを中心に部品も一部共有している。
マガジンはP90と同じものを使用し、排莢口はM4におけるマグハウジングを利用している。
フルオート化には専用の部品を組み込まなければならない。