折れた矢 その2
「CIAってどういうことなんだ」
真田はオペラグラスを覗いてぼやく。
「さあな。タダゴトじゃないってだけはわかるが」
蓮池もオペラグラスを覗いて答える。
蓮池と真田はホテルの前で見張っていた。
「お、出てきた」
「あれがか」
真田が驚きの声を上げたのに呼応して蓮池も同じ方向を向く。
白人黒人アラブ系と人種が入り乱れた団体がホテルから出てくるのが見える。
「なるほど。なかなかの団体様だ」
「肉付きは軍人って感じだな」
蓮池はまじまじと見て言う。
「周囲の警戒も怠ってない」
団体客はさりげないがきっちり周辺を見回していた。
「……なんだあれ」
真田がふと気が付く。
「どうした?」
「十時の方向、怪しいやつがいる」
その方向を向きオペラグラスをのぞくとそこにはスーツの白人が一人。
「あれか。なんか、チラチラ様子を伺っている。CIA内部にもいろいろいるようだな」
「つまりあいつは本部方?」
「だろうな。暗殺のための準備でもしてるんだろう」
真田の問いに答えると蓮池はオペラグラスをたたんでカバンに仕舞いこむ。
「どうするんだ」
「情報筒抜けってわけにはいかないが、殺すのはかわいそうだ」
「で?」
「ちょっと事件をでっち上げるって手もあるが」
「やれないぞ、そんなこと」
声を押し殺しているが真田は呆れたという声を上げる。
「なら、もう一つ」
そう言って蓮池は懐を探り始める。
出てきたのは銃のような形をしてるものの、二つのハンマー以外銃らしさがないものだった。
「それは?」
「陸上競技に使う二連発拳銃さ」
「これで何するつもりだよ?」
真田は蓮池をまじまじと見つめる。
「ちょっと驚かせてやるのさ。警告の意味を込めて」
「どうしてそんなもの持ってるんだ?」
「できるだけ殺さず済むような手段を研究してるのさ。もし、視察対象なら炸裂音で自然と体が動く。それで怪しいやつに気が付いてくれたら御の字だ」
紙火薬を仕込みながら蓮池は言う。
「もしこっちに気付かれたら?」
「うまいぐあいに公務執行妨害で片づける」
「本気か?」
「ああ」
「お、動いた動いた」
真田がCIAの諜報員をみて言う。
「あいつは面倒だな」
さらに見続けた真田の顔は青くなる。
「じゃあ、いっちょ芝居頼む。一旦離れて、俺がこいつ鳴らしたらCIAの身柄を確保。団体様の視察は俺がする」
蓮池は身振り手振りを交えて指示する。
「わかった」
真田は離れると諜報員の方に自然なそぶりで向かう。
ゆっくりとスターターピストルの引き金に指を掛けると息を深く吸い込み人差し指に力を込める。
パンパンッ
紙火薬の景気のいい炸裂音が響く。
周囲の日本人は急なことに呆気にとられているが、団体様と諜報員はさすがに場慣れしているのか即座に身構えて周囲を警戒する。
「失礼!エクスキューズミー!」
真田は算段通り諜報員に近づき身分証を掲げながら声をかける。
諜報員はギョッとして逃げ始める。
「おい!待て!」
真田は即座に追いかける。
諜報員は懐からPPK/Sを取り出すと銃口を真田に向ける。
「げぇ!!」
二発の発砲をどうにか躱すと立ち止まりSP2022を引き抜き地面に向けて撃つ。
「ストップ!!ホールドアップ!!」
真田がそう叫ぶが、諜報員はそのまま逃げて行った。
「チッ!」
舌打ちと同時に携帯の着信音が響く。
『どうだ?銃声みたいな音が聞こえたが』
出ると蓮池の声が飛び込んできた。
「奴を取り逃がした。すまない」
ショルダーホルスターに拳銃を収めると周囲を見回す。
『牽制できればいいんだ。深追いしなくてよかった』
「で、そっちは?」
『何食わぬ顔で移動中だ』
「そうか。合流したい」
『なら位置情報をそっちに送るぞ』
「ありがとう」
通話を止めるとGPSアプリを起動する。
赤い点の位置はを確認すると合流を急いだ。
*************
「まだエミリー・ローゼンハイムの所在に関しては大きな前進はない」
プロジェクターだけが光る仄暗い部屋で茅ヶ崎は合同ブリーフィングを行っていた。
「そうですか」
秋津はそう言うと押し黙る。
「現状においては手がかりが少なすぎるというのもある。だが」
茅ヶ崎が机上のラップトップを操作するとスライドが表示される。
「先ほど報告されたことで重要な内容があかされた。狼狽えるな」
スライドを手元のリモコンで捲るとさらに話を続ける。
「ローゼンハイム姉妹は現在のような形態に移行する前、つまり姉妹でユニットを組む前に、ゲオルゲ・アマナールの下にいたことが判明した。また、ゲオルゲ・アマナールとイーゴリー・シロチェンコは過去に行動を共にしていた。現在、また行動を共にしている可能性が高いことがドイツ連邦憲法擁護庁および連邦情報局からの情報で判明した」
数枚ほどめくりながら説明する茅ヶ崎の言葉に周囲に動揺が走る。
「それって!」
灰田が思ったことを口走りかける。
「現状では断定できないが、ゲオルゲ・アマナールは憲法擁護庁が注視してきた旧東ドイツ軍人やその家族の自主互助組織を中心として東欧諸国の元政治家、諜報員、工作員、軍人を集めていたことが発覚している」
「ちょっと待て、それとこれとがどうつながるんだ!?」
諜報一班の野崎が質問する。
「そして、これだが」
さらにスライドが捲られる。
ズラリとアルファベットが並んだ表が現れる。
「これは?」
同じく諜報一班の若塚がまじまじと見つめて言う。
「ユーゴスラビア科学芸術アカデミー、セルビア科学芸術アカデミーをはじめとする旧ユーゴスラビア中の原子力工学研究者の名簿の一部だそうだ。これがゲオルゲ・アマナール達の手元にある」
「どうしてそんな」
井口がふっと口から吐き出した言葉は、理解できてもしたくないということを如実に表していた。
「わからない。だが、もし仮にそれが必要となるのであれば、それは研究なんかじゃなく、核兵器の設計などに関することと考えるのが自然だろう」
室内が強くどよめく。
「核テロリズムってことですか」
「ああ」
どよめきの中、一際明瞭に聞こえた御手洗の言葉を肯定する。
「再度何かしらの接触がある可能性もある。現在、マリア・ローゼンハイムの携帯電話に同意のもと通話を録音することにした。これがカギとなる」
茅ヶ崎がそう言ってもどよめきは変わらなかった。
「落ち着け」
茅ヶ崎の声が響くとどよめきはザッと治まる。
「我々だけが知ってるわけがない。CIAもFSBも察知しているはずだ。彼らだって日本国内で核爆発を起こしたくないはずだ。意地でも、核テロを防ぐぞ。我々なら可能なはずだ」
茅ヶ崎が言ったのは当人たちの恐怖を振り払うためだった。
だが、それ以上に茅ヶ崎自身の恐怖を振り払いためだった。
*************
遅い昼食になった。唐揚げ弁当は冷えていて、味気ない。
「〈サマになるねぇ、はし使いが〉」
「〈お世辞を言っても態度を変えるつもりはないわ〉」
「〈お堅いなぁ。昔はもうちょっとオドオドしてて可愛げがあった気もするんだけどねぇ〉」
「〈どうせ私たちから興味が失せたからってあの二人に乗り換えたんでしょ?脈なしってわかって〉」
「〈へぇ。そう見るのかい。まあ、『ロデリックとマデライン』は僕が知る限りの最高傑作だけどね〉」
ニタニタ笑いながらユーリは語り始める。
「〈知ってるかい?あの二人の出自を?あの二人は金持ちの家に生まれたんだよ〉」
数枚の写真を手に取って見せびらかす。一枚には双子らしい赤ん坊が銀のスプーンを持っている姿が映っていた。もう一枚には2歳ぐらいの双子とその両親。順風満帆といった感じで上等な服を着ている。さらにもう一枚には広い庭で遊んでいる双子。
「〈何不自由なく生きてきたんだが、ひょんなことから事業が失敗したらしくてねぇ。出資したから財産としてあの二人を『差し押さえ』たのさ〉」
言葉の端々からは心から楽しんでいるという雰囲気が滲んでいる。
「〈いやぁ、この世は全て宝石だって信じ切った、反吐が出るくらいの純真無垢だったなぁ。だから、一切澱みなく人殺しを教えられたよ〉」
これ以上ないと言わんばかりにユーリは非常に楽しげに語る。
そこには一切の躊躇いや罪悪感は無く、あの子供二人を気遣う様子は微塵もない。
エミリーは思い出す。『昔からこの男はそうだった』と。人を殺すという行為を最高の娯楽であるかのように語る。時に官能的に、時に情緒的に、時に静かに、時に歌うように。
「〈今じゃ本当に楽しそうに人を殺すようになったよ。はじめはいろいろ戸惑っていたんだけどね〉」
「〈食事中に話題を選ぶことはできないの?〉」
「〈悪趣味って初めから知ってるのにかい?〉」
さっきの饒舌な口ぶりから急に冷めた口調でエミリーの顔を覗き込む。
「〈……〉」
「〈君たちとは違って微塵も躊躇わないからねぇ。制御は案外大変なんだよ。だからご褒美って手を思いついたのさ〉」
やれやれと肩をすくめていう。
「〈……〉」
「〈それがすごくうまく行ってね。やっぱり飴と鞭だね〉」
じっとりとエミリーの背中が汗ばむ。気温があるというのもあるが、今湧き出るこれは冷や汗だ。
この男の宝物は何も宝石や時計でもなければ、はたまたナイフや銃でもない。過去にその一端を見た秘蔵の品なるものは今では円盤である。内容は、反吐が出るような産物。スナッフフィルムやチャイルドポルノの類だった。
「〈君も飴が欲しいみたいだね?どうだい?〉」
「〈触らないで!〉」
近づけてくる手を払いのける。
「〈頑なだねぇ。純潔は姉に捧げるのかい?彼女はナニも持ってないのに?〉」
「〈その下品なところが嫌いよ!ユーリ!〉」
キッと鋭く見据えると吐き捨てる。
「〈銃を持ってないのに強気だねぇ。それに君は僕の協力をするんじゃないのか〉」
「〈私は『パパ』のために戦うの。あんたのためじゃない〉」
「〈ハハッ。いま『ルーミニー』が進めていることは私の進めていることだ。彼のためである以上、僕のためでもあるんだよ〉」
鼻で笑うとユーリは身を乗り出して顔を近づけてくる。
まじまじとエミリーの顔を見つめたかと思うと一瞬のうちに両の腕が肩に伸び一気にユーリの体重がかかる。
「〈ッ!この!〉」
抗うが細身のユーリの力はかなりのものだ。
あっけなく組み伏せられて手錠を掛けられる。
「〈昔から気の強い女の子をこう組み伏せて処女を散らせるのが好きでね!〉」
引き攣っている顔で嬉しそうに言うユーリはベルトを緩め始めている。
「ッ……!?」
怖い。今まで感じたことがないくらい、怖い。
こんな細い腕なんて簡単に逃れられるはずなのに、どうして、力がうまく出ないのだろう。
「〈何をやっている、ユーリ〉」
不意に落ち着いた声が響く。
「〈これはこれは、お早いご帰還で、『ルーミニー』〉」
「〈貴様の性的嗜好は気にしない。だが、団結を揺らがせるような行為は慎むべきだと微塵も思わないのかね?〉」
ゆっくりとゲオルゲはユーリに近づいていく。
「〈この程度で揺らぐ忠誠心など意味はないね。それに、これぐらい熟れた方が食べごろだよ〉」
悪びれずにユーリは言う。
「〈貴様は好かんな。金メッキした馬糞みたいだ〉」
「〈どうとでも言ってください。僕は続きがしたい。昂ぶりが抑えられないんだ〉」
吐き捨てたゲオルゲの言葉をよそにユーリはジッパーを降ろし始める。
「〈これ以上コトを進めるなら……〉」
アマナールの懐から出てきたのは中折れ式の単発拳銃だった。
「〈これに込めてある30‐06の強壮弾の威力をお前の頭蓋骨で試すぞ〉」
「〈……わかったよ。まったく、セクリタテアはこれだから〉」
ユーリは諦めてベルトを締め直すとプリペイドシムの携帯電話を手に取る
「〈かかるかな?『アヴドーチャ』〉」
嬉々とした声が小さく反響した。
『〈久しぶりだね!『アヴドーチャ』!あの番号は正しかったんだ!!〉』
「〈あなた!もしかして……!〉」
着信を告げる携帯電話に出てすぐにスピーカーから聞こえる声ですぐにピンときた。
デリカシーの無さからくる怒りで声が震える。
『〈そう!ユーリ・ゾルカリツェフさ!覚えていてくれたんだねぇ!〉』
「〈忘れられるわけないわ!あなたのせいで!〉」
おどけているかのようなオーバーな反応にマリアは激昂する。
『〈感激だなぁ!こんなに喜んで!〉』
「〈なんで私の電話を!〉」
『〈いろいろ手を尽くしたのさ〉』
うれしさを孕んだ声のユーリの声が脳にこびりつく。
「〈何を考えてるの!こっちは忙しいの!冷やかしなら切るわよ!〉」
『〈忙しい理由はエミリー・ローゼンハイムがいなくなったからだろう?〉』
「〈!?〉」
耳から携帯電話を離すのと同時に聞こえてきた内容に切ろうとした指が止まる。
『〈察したかい?そうだよ。今、君の妹は僕のもとにいる〉』
スピーカーから聞こえた内容に急いで耳に当て直す。
「〈ユーリ!どういうこと!?〉」
急いで問いただす。
『〈どういうこともこういうこともないよ。僕はただプロデュースするだけさ〉』
「〈プロデュース!?〉」
『〈君は私のプロデュースした劇への出演を断ったんだ。本番になるまで内容は秘密さ〉』
「〈なにを!〉」
ふざけた口調のユーリに叫ぶ。
『〈そうだろう?嫌なら僕のもとに来ないかい?〉』
「〈くっ……〉」
『〈どうだい?〉』
「〈エミリーとあわせて!〉」
マリアは声を荒げる。
『〈そうか。それを望むんだね。いいよ。あわせてあげよう。日時は、そうだなぁ。明日の夜10時、東京港で。変更は一切受け付けないからね?〉』
「〈いいわ。乗った〉」
そう言って電源を切ると西日になった空を窓越しに見つめる。
夕闇が迫っている空は、どことなく自分に降りかかる未来を暗示しているかのように思えた。
「念のため入れるよう指示した録音アプリが役立ちました。すぐに詳細翻訳して文書化します」
政田はそう言って音声データを圧縮暗号化して送信する。
「電話の相手はどこだ?」
「この範囲にいるものと思われます」
武田の言葉に応じて政田はパソコンの画面上の日本地図は徐々にズームインしていく。
「栃木県か」
「住宅地図と土地利用図を重ねました」
画面上ではその地点に何があるかが現れている。
「これか……」
「はい」
「よりにもよってな立地だな。住宅地がある」
「強襲は」
「無理だな」
武田はそうつぶやくと天井を仰ぎ見る。
「奴らはマリアも口説くつもりなんでしょうか?」
政田の声はどこか弱気だ。
「十中八九そうだろう。だが、マリアの声色からして、乗り気じゃないのは明らかだ」
「強襲一班をこちらの任務につけましょうか?」
「検討すべきだな。地球連合軍に対しては視察を密にして妨害工作を行って工程表を狂わせる」
「そんなことできるんですか?」
どこか疑うように政田が言う。
「まあな。だが最悪妨害工作が失敗する見込みが強くなった場合は、現地警察にガサ入れさせる」
「そんな危険なことを!?」
武田の言葉を聞いて政田は素っ頓狂な声を上げる。
「大丈夫だ。先に事情さえ言っておけば嬉々として大部隊を動かすよ」
武田はそう言って電話をかけ始めた。
*************
「ここは」
タクシーのドアを開けて出るとベトつく潮風が真田の頬を撫でる。
「フェリーターミナルだな」
蓮池が周囲を見渡す。
「マルっと十九時間都内を引っ掻き回した結果が有明だなんてな」
「ああ」
「で、逃亡経路は」
「今日のフェリーは沖縄行だけのようだ」
看板を指差す。
「なら、あいつらは沖縄に行く気か」
「なんでだ?」
「さあ?レジャーかもな」
問うた真田も推測を語る蓮池も見当がつかない。
「どうする?沖縄だぞ。沖縄」
真田の声はどうしようもないと言った空気を孕んでいた。
「課長に相談だな」
「そうだな。それに船の中でドンパチされたら何もできない」
「狙ってる部隊が米軍ならヘリボーンから潜水侵入までできる」
「だとしたら、特殊部隊でアンブッシュが一番か」
「どこを動かせそうだ?」
「……ああ!畜生!全部隊予定がある」
頭の中に叩き込んでおいた予定表を思い出し真田は悪態をつく。
「武器だけ車で送ってもらうか」
「……俺のランエボ、使うんじゃねーぞ」
冷たい視線で真田は蓮池を見つめる。
「わかったわかった。どうせトランクそう広くないんだから」
「なに持ち込む気だよ……」
ハッチバック全盛の世ではあるが、それでもスポーツセダンの中でも結構なサイズのトランクのハズなのだから。
「まあ、ライフル類と装備だな」
そう言って蓮池は情報を調べる。
「使い方わかるのか?」
「SIT突入部隊じゃMP5を使うんだ」
「だが、アサルトライフルは使えるのか?」
「MP5が使えれば大抵のアサルトライフルは使える」
「だからってなぁ」
真田は軽く答える蓮池に呆れる。
「大丈夫だ。一応M4の使い方を再レクチャーしたんだし」
そう言って蓮池は伸ばした人差し指をクイックイッと曲げた。
*************
「今日は休みか、マリアは」
「そうみたいね」
昼休み。河合と向き合っての弁当は双方ともに唐揚げ入りというのもあってか奪い合いにならずそこまで会話が弾んでいるわけでもなかった。
午前中、遅れてくるかと思っていたがその音沙汰は無く、ただマリアと神山と霧谷は休みになったとだけ聞いた。
「エミリーちゃんを探しに行ったってわけじゃないよな」
「そう思いたいわね」
はぁっと一息つくと河合は額に手を置いて納得いかないと言った表情になる。
「それにしても、下僕のメンタルが治ったと思ったらこれね」
どこか恨めしげな声を上げる。
「それに神山たちが来てない」
「それって……」
「本当にヤバい状況ってやつかもな」
幸太郎はそう言うと煮物をほおばる。
「どうするつもりなのかしら」
河合は唐揚げにかじりつく。
「さあな。あのロシア人の行方が分かれば万々歳なんだろうけど」
マカロニサラダを食べると幸太郎はぼそりと呟く。
「そううまく行くわけないよね」
「影も形もない。ってなるといくら人探しのプロでもな……」
唐揚げを食べた幸太郎は背もたれにもたれかかる。
「……それにしても」
ふっと幸太郎は周囲の様子に気が付いた。
「どうしたの?」
「4月以来だな。マンツーマンで食うの」
ふと思ったことが口を衝く。
「マンツーウーマンじゃないの?」
「そうか。周囲の視線が痛い」
周囲に視線を送るとなぜかみんながちらちらとこちらを窺っているのがわかる。
「それは私のセリフよ下僕。なんという辱めなのかしら?」
河合もそのことを察すると、そう言って腕を組んでもだえる。
「飯の最中にのたまうセリフじゃないぞ」
幸太郎は思わず頭を抱えてうなだれた。
*************
路地裏に入ると赤3は尾行している相手の顔を見て無線を準備した。
「〈赤3よりゲーナ〉」
『〈ゲーナより赤3へ。何があった?〉』
「〈ユーリ・ゾルカリツェフを目視で確認した。首謀者の可能性が高い。シャパクリャクを変更できるか?〉」
興奮した声を押し殺しながら赤3は報告する。
『〈なんだと!?あの!ユーリ・ゾルカリツェフか!?〉』
「〈はい。やっと確証が得られました!〉」
本部の驚きの声を聴くと赤3の声は喜びを孕む。
『〈了解した。シャパクリャクはこちらで変更する〉』
「〈これからも監視を続行する。オーバー〉」
どこかすがすがしげに赤3は無線を切る。
「〈やぁ?〉」
「!?」
背後からの声に赤3は固まる。
日本では聞き慣れない流暢なロシア語が聞こえる。
「〈シャパクリャクって僕のことかい?〉」
「〈だれだ?〉」
さらに続ける声の聞こえる背後に振り向くとそこには男の顔があった。
「〈だれって?〉」
そう言って人影はにぃっと口角を上げる。
「〈ユーリ・ゾルカリツェフさ〉」
首がものすごい勢いで捻られ視界が急に変わり、静かで凶悪な笑みが一瞬で消えたかと思うと、赤3の意識は一気に遠のいていった。
「〈はぁ……。不覚だったなぁ尾行が5人もいたなんて〉」
ユーリはそう言って死体を見つめる。首をひねり殺害したのだ。
「〈しかもみんな、あんな手ごたえがないんだもんなぁ。殺気ムンムンのロデリックとマデラインに気付かないし〉」
へらへらした態度で死体を足蹴にすると不意に転がり出たものに目が奪われる。
デジタル暗号無線機だ。
「〈ええと、ここをこうするのかな?……アー、アー。マイクテスト。マイクテスト〉」
スイッチをいじって声を吹き込み始めた。
「〈これは!?〉」
「〈赤3の無線機です!〉」
急に来た赤3とは違う声にどよめきが沸く。
『〈聞こえるかい?君たち?僕をシャパクリャクなんて呼ぶなんて、ひどいもんだね?いじわるな魔女の婆さんじゃないんだから〉』
「〈この声って、まさか!?〉」
発言の内容で無線手は振り向く。
『〈そりゃ僕は君たちに意地悪したかもしれない〉』
「〈そうだ。ユーリ・ゾルカリツェフ。我らにとって最大の裏切者であり、最大の敵だ〉」
ズヴャーギンは肯定する。
『〈けどさぁ、君たちも悪いんだよ。チェチェン独立派の掃討作戦に僕らを撒き込んでおいてさ?〉』
「〈こいつ!ふざけやがって!!〉」
ドゥナエフは呻るように吠える。
『〈僕の友達もみぃんな死んでさ。残った僕に、作戦行動中の非人道的行為とかいう罪状で拘束しようとしたりさ〉』
「〈いったい何を〉」
その場にいた部下の一人が呟く。
『〈友軍ごとテロリストを殺そうなんて画策しようなんてしたんだから、そりゃ口を塞がないといけないもんねぇ〉』
「〈なんだよこいつ〉」
信じられないといった声が漏れ出たのがわかる。
『〈でも、僕がやったのは近くにいた、それはそれはかわいいかわいいつぼみちゃんを組み伏せて花開かせてあげただけじゃないかぁ〉』
妙に婉曲的な表現を使うユーリ・ゾルカリツェフの言葉だが、内容はありありと想起できる。声の主が花をめでるような性格じゃないことぐらい、誰もがすぐ想像できた。
「〈こいつの性癖、小児性愛傾向は入庁当時知られてなかったんだ〉」
ズヴャーギンの喉から絞り出されるように詫びる声が漏れ出る。
『〈感謝されることはあっても非人道的だなんて心外だなぁ、僕〉』
「〈正気じゃない〉」
女性職員は信じられないと表情で語っていた。
『〈嫌がって恐怖と痛みと苦しみで泣きじゃくるのを無理やり口を塞いでゆっくり味わうのが最高なんだよねぇ。感じ始めた時なんて最高さ!〉』
「〈壊れてやがる……〉」
見る見るうちに無線手の顔色が青くなる。
『〈そうそう、この無線機持ってた奴はフクロウみたいに背中側に顔向けてるから〉』
「〈なんだと〉」
ドゥナエフは思い起こす。赤3はシステマ、クラヴ・マガ、空手の有段者であり、射撃、ナイフ戦も優秀な成績だった。それを相手にした後でここまで平然としていられるなんて。
『〈どうせそっちじゃイライラしてキャベツみたいに丸めた顔してるんだろぉ?煮込むとおいしいご飯になりそうだ〉』
「〈調子に乗って!!〉」
『〈じゃあ、またね。五人分の弔慰金、準備するんだよ♪〉』
ボツッっという音とともに音声が途切れる。
「〈五人分……全滅かッ……。あのクソォッ!!〉」
つけていた監視が全滅した事実にドゥナエフは悪態を吐いてゴミ箱を蹴り飛ばした。
彼が断定した監視は5人。全員ロデリックとマデラインの殺気のノった気配に気づく前に悲鳴を上げずに死んでいった。
ただ、あの二人の気分はかなり昂ってしまったので適当な数人をバレないようになら殺していいと渋々了承したら、今になってすっきりした表情で戻ってきた。
「〈何人殺したんですか?〉」
「〈僕はえ〜っと……三人!ヘンなカッコウした男の人!!〉」
「〈あたしは四人!〉」
ほくほく顔の二人は指の数で教えてくる。
「〈まったく〉」
殺しすぎだと叱りたいものの、そんなことを言うと駄々をこねるのは目に見えている。
頭をを抱えているとクイクイとスーツの裾を引っ張ってきた。
「〈ねぇねぇ!こんどはどーするの?〉」
「〈おしえておしえて!〉」
二人して顔を覗き込んでくる。
「〈今度は我慢が必要です。さぁて、行きましょうか〉」
「「〈はーい!!〉」」
気を取り直して号令すると、ロデリックとマデラインは元気よく答えて追いかけてきた。
*************
新幹線のぞみ グリーン車内
マリアは胸元のペンダントトップを見つめる。ユリを模りヘマタイトが埋まっている。
エミリーはガーネットの埋まったものをペンダントトップにしているはずだ。
エミリーとペアになったこれは、ある種の暗号の意味も有している。
『生きて帰る』
強い勝利を意識したパワーストーンを選んだ結果、こんなことになった。絶対離れ離れにならない。その意識はエミリーの方が強かったはずだ。
考えても見れば自分がエミリーを遠ざけようとしていたのに、いなくなった途端喪失感に焦っている。どこか矛盾した滑稽な姿に自分でも笑いたくも泣きたくもなる。
「〈ホント、何してるんだろ、私……〉」
ぽつりと口を衝いて出た言葉に混乱している。
エミリーは何故私から離れて行ったのか。エミリーは確実に私の支援に特化している。
そんなこと彼女だってわかりきっている。
何故相手に飲み込まれてしまったのだろう。
「〈ゲオルゲ・アマナール〉」
育ての親。彼以外エミリーを動かせないだろう。エミリーは彼に実父の面影を求めていた。
「〈裏切りはもうこりごりって言ってたの、あんたじゃない……エミリー〉」
不意に視界がにじむ。ぱたっ、ぱたたっと雫が膝に落ちる。
「〈何でよ……!なんで……私がぁ……!〉」
涙は治まらず、あとからあとから流れて行った。
*************
有明のフェリーターミナルから志布志を経由して沖縄の那覇新港に向かうクルーズフェリー飛龍21号は普段より4時間遅れて離岸した。
「東京湾内での襲撃はないよな」
甲板に出て夜景を見ながら真田は言う。
「東京湾内から浦賀水道は世界一の密集航路だ。海保も民間も警戒が密だし、空路も今一番ピリピリしてる羽田コントロールがある。襲撃はばれやすい」
手すりにもたれかかって蓮池は周囲を見渡す。
船や沿岸の明かりが見える。
あそこの灯りは東京ディズニーリゾートだろうか。娘といけないまま離婚になってしまったのにどこか後悔が残る。
「にしても、幸運だった」
「ああ」
偶然、船舶内戦闘に長けた強襲二班の予定があいたのだ。予想より早く作戦が上がったらしい。現在フェリー利用のトラック輸送に偽装して積荷として乗り込んでいる。
「怪しいヤツラは……」
蓮池は少し思案にふけりかける。
「いたな。酔狂な外国人共が」
すぐに答えて真田は海を背に向けるとキャビンを一本振りだす。
このフェリーは今や不人気路線の代表格だ。飛行機の方が圧倒的に速く安上がりなうえに碌な娯楽もない。閑散期となると飛行機を何かしらの理由で避けたい人向けかどうしても車を沖縄に持ち込みたい人向けだろう。
外国人連中は自家用ナンバーのベンツCクラスステーションワゴンとVクラスに乗ってきたようだ。
外国人の団体が一般自家用ナンバーの乗用車を持ち込むこと自体かなり珍しい。
「あいつらのガタイからすれば軍人。軍の輸送機を使えば移動は簡単だし、エアライン使うのも問題ないだろうから」
セブンスターを振りだし加えると、蓮池はどこかに仕舞ったはずのジッポを探る。
「今回のために呼ばれたってわけか」
既に火をつけ終えた真田はそう言いきると蓮池の姿を見かねてガスがちゃんと入っている百円ライターを渡してくる。
「ああ。手荷物もかなりの大きさだったしな。あと念のために上部広範にブービーを仕掛けておくか」
百円ライターで火をつけると蓮池は一息紫煙を吸い込み、ふぅと吐き出す。潮風に吹き散らされる煙は磯の香りのする空気とかき混ぜられ闇に飲まれていく。
「ヘリを利用した突入に備えるわけか」
真田は東京の真っ黒い夜空を見上げて呟く。羽田に向かっているらしい旅客機の赤と緑の航空灯と白いストロボ灯が闇に移っている。
「あり得るからな」
甲板を見渡して蓮池は言う。ヘリが着船せずともラぺリングという手がある以上、ブービートラップを考えた方がいい。
「衛星電話は大丈夫か?」
蓮池は真田に確認する。
「ああ。試しに通話してみたら通じた。イリジウム、アイサットフォン、スラーヤともにな」
真田は答えながら三台の端末を引っ張り出す。
「だが、ECMの危険性もあるな」
蓮池の心配は尽きない。
「妨害電波か。あと、SEALs十八番の高速ボート」
真田は界面を見る。
コーヒーゼリーと例えたくなる闇を溶かし込んだ真っ黒い水面は、時たまキラキラと遠い街の灯りを反射している。
「……はぁ。懸案事項だらけってわけかよ」
真田も蓮池の不安症が移ったのか、ため息を吐く。
「そう言うことになるな」
「寝ずの番になりそうだな」
蓮池の答えにどこか絶望に近い声が真田の口から洩れる。
「一応仮眠しておこう。1時間タームで交代で」
蓮池は時計を確認する。
「いいのか?」
ふと蓮池の方に顔を向ける。
「お前もきついだろ」
「まあな」
蓮池のいたわりが骨身にしみた。ふと、晴海の方に視線が向いた。
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小辞典
スターターピストル
陸上競技用の爆竹拳銃。
一種のブランクガンで、音に特化している。
トリガーはシングルアクションで基本的に号令用とフライング用の二連発か単発二挺。
ただ最近は電子化でホイッスル音や電子的な再現音になってたりする。
デザインは多種多様で、リボルバーやオートの横からの影だけまねたもの以外に、中にはリボルバーや軍用オートと大きく変わらないデザインと構造の物もある。
トンプソン・アンコール
中折れ式の単発銃。アニメで有名になったコンテンダーの発展型。
高い精度と威力を単純な構造で両立させた。
ライフル、ピストル、ショットガンの三種があり、ピストルは.223レミントンから30‐06スプリングフィールドまで使用できる。