折れた矢 その1
AM1:00 埼玉県蕨市 廃倉庫
廃倉庫の中には電気が通っていた。ずらりと並んだ棚には大麻草がうっそうと茂みを作っていた。
ロボロフスキーの魔術はここでも健在で、もうすでに薄黄緑の花穂が出来ている。収穫時だ。
大麻草の栽培は近年では水耕栽培が増えている。
大麻栽培が発覚する原因の多くはその大規模なシステムの維持にかかる電力と、大麻特有の鼻を突く甘ったるい匂いである。無論この工場も甘ったるい匂いがしていた。
二酸化炭素が充填されたボンベからの供給による高い二酸化炭素濃度と光源で常に照らすことによる光合成で養分となるデンプンの製造をより促進させ、水耕栽培は水に肥料を溶かし込む手法でポンプ循環をフルで行い、気温を徹底的に制御することで休眠を許さず蒸散を効率的に行わせる。
工業製品と化した大麻はまさしく金のなる木である。
大きくなった大麻草を水耕栽培キットから取り除くと今度は新しい苗を準備する。
ロボロフスキーの魔術は品種改良の進歩で生産性も高い。雌株と雄株で種子を生産することも容易だ。
もとはと言えばこのロボロフスキーの魔術はソ連時代に兵器利用を前提として開発が進んでいた品種だった。
敵国の市場にこの大麻を流通させ、その後ハードドラッグを流通させることで国民全体を無気力化させることで生産能力の低下や軍の統率の崩壊、インフラシステムの破綻を誘発させることが考えられていた。また、兵士に対する恐怖心や痛覚の緩和も視野に入れていた。
実際このロボロフスキーの魔術はTHCの含有量が他の品種とは段違いだった。
よく効くマリファナとしてそこそこ名がしれた品種群の中でも、最強の品種を彼ら地球連合軍は手に入れたのだ。
これから乾燥大麻の製造が始まる。蒸してから屋内の乾燥場で葉と花穂を乾燥させるのだ。
茎は茎で切ってから溶媒にTHCを溶かし込む。
これらを市場に流通させる。生産破壊と資金調達を一挙に行える優秀な作戦だ。
この倉庫の一角で集会が行われていた。
小さな台に登壇したのは地球連合軍日本駐屯軍の指揮官である大男、砂土原『大佐』だった。
「今回、我々は『ニホンアシカ作戦』において名誉ある位置につくことになった!君たちの任務は、世界の潮流に逆らい、マリファナ弾圧を推し進める政府に対する反抗だ!我らが為すのは革命だ。大いなる自由のための革命だ!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!』
大きな歓声が聞こえる。
「決行は今週末!それが我々の明日を創る!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
「ガイア、万歳!」
『ガイア万歳!ガイア万歳!ガイア万歳!』
万歳が響き渡る中、砂土原は紙巻きの大麻を加えて火をつけた。
川口市 AM5:22
「警備がザルで助かった」
「ああ」
肝が冷えたという表情の羽田に符丁によりSと呼ばれている男、波佐間は同意する。
Sは敵の懐に潜入する潜入工作員だ。内部のモノやカネの動きを探り、必要となればその動きを阻害するような行動をとる。
回収には細心の注意を払わねばならない。
「で、どうなんだ?」
「中にはAR‐15、AK‐47、G3、NF‐1、HK21、UZI、MPL、ベレッタM12その他もろもろ各種」
「例にもれず戦争モードか。どこからそれだけの銃器を持ち出したんだ」
戸塚がその報告に率直な感想をつぶやく。
「巨大密輸ルートがあるんだろうな」
羽田がそういうと波佐間は頭を抱える。
「にしてもあれはなんなんだ。気持ち悪いぞ」
苦悶に満ちた表情をしている。
「麻酔いって奴だな。俺の婆さんが昔ぼやいてた。麻畑にいると酔っぱらうって」
「婆さんジャンキーだったのか?」
羽田の言葉に戸塚は驚く。
「いや、麻農家だったんだよ。繊維に使うから。カッコつけるとヘンプとかいうらしい」
「ああなるほど」
「まあ、受動喫煙程度なら安静にしてればどうにかなる」
「あんなのの何がいいんだか。吸わされたんだよ、前に無理やり。薄気味わりぃもんが見えてもう吸うもんかって思った。畜生」
呻く波佐間はシートで横になる。
「あの手の奴にありがちなバッドトリップだ。そうなるともうどうしようもない。薬の作用が抜けるまでのた打ち回るだけだ」
「お前やったことあるのか?」
戸塚の言葉に羽田は驚く。
「いや。大学時代のガラの悪い同級生がそう言ってたんです。たしか、薬物喫ったまま車運転して人を撥ね殺した挙句電柱に激突して死んだんだったかな?真っ二つになって」
「すげぇな」
波佐間がかなり驚いた表情になる。
「ま、そういうことさ。薬物汚染はかなり進んでる。じかに見た俺ですら想像できないほどにな」
*************
「どういうことだ?『聖遺物』が日本にあるというのは!?」
机に拳を叩き付けるとマクマホンは狂犬のごとく吠えた。
痩せていた時代は対ソ連情報戦でありとあらゆる手段を用いて最高の戦果を挙げ『フォートコリンズの狂犬』と称されていた男の眼光は異様に鋭かった。
「我々にも感知できませんでした。全てロシアが回収したはずの『聖遺物』はその大半が解体されたとも行方知れずともいう噂がありましたが」
部下のウィルバー・ウィラーが報告する。
眼鏡で気の弱そうな彼ではあるが、対テロ作戦ではなかなかどうして優秀で、タリバーンの幹部を10人は殺していた。
「ロシアの管理能力は所詮その程度ということだ。どうするつもりだ?『聖遺物』なんかが日本にあるなんて知れたら東アジアは恐慌状態になるぞ」
『聖遺物』。1991年にCIA内部で決められたその名の由来は、とある男の死によって『生まれた』産物であることをキリストの死に関連した聖十字架、聖釘、聖槍、聖骸布、聖杯などからなる聖遺物になぞらえたものだった。
「わかっています」
「総数13の『聖遺物』。その一つが日本にあるなら、早く対処せねばならない」
「SEALsやデルタを送るのですか?」
ウィラーは畳み掛けるように言う。
「……バカ言え。いまSEALsは他の部署が日本で動かそうとしている。そこにさらに追加すれば動きがばれてしまいかねない。…………ここはロシア人どもに任せよう」
「SVRにですか!?」
しばし思案した後のマクマホンの言葉にウィラーは驚きを隠せなかった。
「そうだ。『聖遺物』なんてものは今回発見されなかった。いいな?貧乏クジは奴らに引かせる」
「承知しました」
マクマホンの気迫に押されてウィラーは答える。
ウィラーが自分の机に戻ると、すぐに電話に飛びつく。
「……!アーヴィン・オーランドか?」
その先は在日本大使館にある在日本CIAだった。
*************
『昨日都内で発生した交通事故の続報です。警視庁ではこの事故の現場から銃弾が確認されたことから銃撃事件として捜査することを……』
テレビの早朝のニュースでは昨日の事件を報じていた。
「〈政府はまだ乗っていた彼らの存在を知らないのか〉」
レオンはサプレッサーに対応した.40口径のP30をチェックする。
大柄なレオンの手に不釣り合いな小柄な拳銃。レオンがこれを愛用するのはCDAトリガーの軽い引き心地故だった。
「〈ナパームで焼いて正解でした〉」
コナンはそうつぶやく。
「〈さすがに普通の事故に見せかけるのは厳しかったか〉」
「〈ただ、他のオプションは考えられませんでしたから〉」
コナンはそう言ってバーティカルショルダーホルスターにSTIエッヂを挿す。
「〈これからどうします?〉」
P30をショルダーホルスターに挿したレオンにコナンは言う。
「〈我々にはもう一つの任務がある。日本に来たのはそれとの兼ね合いがあるからだ。わかっているな?〉」
「〈例のKill-I 2とかいうファイルのことですか〉」
「〈あれが本当なら、我々が追っている奴も動き出す〉」
「〈Zu Shourui か〉」
「〈奴が新しい火種にガソリンをかけるのは時間の問題だ。すぐにでも対応せねば、シリアの二の舞だ〉」
そう言ってスーツケースを閉じる。
「〈船の切符はもうある。急いで沖縄に行くぞ〉」
「〈飛行機じゃないんだな〉」
「〈さすがに飛行機は厳しいからな。船なら安全だ〉」
嫌そうな顔をするコナンに言う。
「〈俺、船が苦手なんだよなぁ〉」
「〈いい船は揺れが少なくて快適なんだそうだ。いい料理もある。楽しみにしよう〉」
『続いてのニュースです。警視庁は昨日羽田空港で発生したテロ事件について撃ちこまれた迫撃弾が軍用であったことを公表しました。この事から警視庁公安部と公安調査庁特捜部は今回の事件の首謀者を日本人民解放戦線で……』
画面には一度青い制服を着た男たちが映ったかと思うと主翼に穴の開いた旅客機に切り替わる。
「〈飛行機の翼が〉」
「〈何があったんだ?〉」
国際チャンネルに合わせてみる。
『〈昨日、日本の東京国際空港で発生した合衆国国務次官補を狙ったテロ事件に関して、現地警察はテロ組織JPLFによる軍事行動であると結論付けました〉』
「〈これって〉」
「〈なかなかすごいことをするものだな、JPLFも〉」
欧州ルートで多数の武器弾薬を手に入れてきたJPLFの苛烈なテロ攻撃は十分に想像できる。
彼らの情熱は何処からくるのだろう。
「〈CIAは大慌てでしょうか?〉」
「〈一番慌てているのは警察だろうよ〉」
そういっていると窓から陽光が差し込んできた。
朝陽はまぶしかった。
*************
ふと目が覚める。
「……」
不思議だった。
昨日まで悩まされていた悪夢を見ずに熟睡できたのだ。
寝起きの気怠さがどこか心地よい。
信じられない。
包帯でぐるぐる巻きの右腕。
その内側には長い切り傷。
疼痛もない。
痛覚殺しも必要なさそうだ。
「コウちゃん!朝ごはん出来たわよ!」
「はーい」
明るくそう返すことができる程度にはなっていた。
「顔色、戻ったな。声も明るくなって」
父の言葉がどこか明るかった。
「そうか?」
「昨日までは鬱々としてたのが本当によくわかった」
「本当に?」
「本当に」
父はそう言って納豆をかき混ぜる。
「いろいろ、大変だからさ」
そう言って自分も納豆をかき混ぜる。
「まあ、今年に入って悠が誘拐されたり、お前のデート先がテロにあったり、暴漢に襲われて入院したり。今年はお前、厄年なんじゃないか?真清田さんいってお祓いしてもらおうか?」
茶碗のご飯の上に納豆をかけながら父は喋る。
「それは名案かもな」
「今のうちに予約しておこうか?」
提案に同意すると母がそういってくる。
「頼むよ。これ以上傷は増やしたくないし」
「まあ、予定を調整しよう」
そう言って皿の上の煮物を食べると、父は納豆かけご飯をかきこんだ。
*************
マリアが教室に入ってきたのをみてまず、彼女が荒れていることがわかった。
髪の毛の手入れもそこそこで、服も若干ヨレている。顔も泣きはらしたらしいのが目に見える。
女子たちが遠巻きにその異常さを察して、いかに声をかけるかで悩んでいた。
「どうしたんだ?これ」
昨日の異様な焦りようと関係があるのか、ふと幸太郎の口からこぼれた。
「さあ?」
杏佳はわかりかねるといった表情で答えた。
一夜で満身創痍と言った雰囲気のマリアは午前中の授業を3時限目まで受けると体調不良を理由に早退した。
「つまりは、エミリーちゃんが裏切った?」
昼休みになり弁当を持ち寄ると始まった会話で神山から語られたことはまさしくこの内容に集約されていた。
「今のところはそういうことになる。いろいろ理由はあると考えられているけど」
「心当たりは昨日の」
「イーゴリー・シロチェンコというわけだ」
「で、そのイーゴリーについて何かわかったりしたの?」
河合が大きなミートボールを食べながら言う。
「いま、各国の機関に照会を願っているんだけれど」
「まだ、か」
煮物のタケノコを食べながら幸太郎が言うと、神山は首を縦に振る。
「そう。事務手続きとかの面で時間がかかってしまうのは普通のことなんだけどね」
「だとしたら」
「簡単にわかりそうにはないってこと」
溜息をついて神山は言う。
「だが、なんで姉であるマリアを置いてったんだ?病的なまでに溺愛してたあれは?」
「さあ?今その点で動機が符合しないかららこっちでも問題になっているんだ」
「そうか」
「今のところ警察を使って捜索して見ている、が、まったく音沙汰なし」
お手上げといった表情の神山がなかなかに事態の深刻さを物語っている。
「すぐには見つからないってことか」
「そう」
「で、どうするの?見つけたとして」
「最悪の場合、殺害するしかない。というより、普通はそれ以外の選択はない」
神山の表情は暗い。
「……やっぱりね」
河合も聞くだけ無駄だったかといった表情で天井を仰ぎ見る。
「ただ、一つだけ、希望がある」
「それは?」
神山の言葉にかぶりつく。
「……やめておくよ。希望を持つと、あとで後悔する」
少しの間をおいて神山は言った。
「そうか」
「下僕!?」
「言えないってことは、期待するだけ厳しいってことだ」
幸太郎の言葉と共に教室のこの一角だけ空気が重くなった。
*************
日比谷公園
「〈日本国内に命令を無視して逃走しているCIAのPOOが潜入しているとは、どういうことだ〉」
ベンチでジョンソンと並んで座った茅ヶ崎は目を合わせずに言う。
CIAが身内の恥を曝すことは少ない。ここまで曝したということはよっぽどのことだ。
ジョンソンは困ったといった表情を浮かべ少し呻ると口を開く。
「〈通報が遅れてすまないと思っている。内部で処理しようと作戦を遂行していたようだが、事前通報無しに火力で捻じ伏せる予定のようで。偶然情報を手に入れられたから通報出来た。CIA日本支部は今回の件を信頼のおける情報機関としての公安調査庁特捜部に通報することを満場一致で決定した〉」
「〈だとしても予定地点は?〉」
畳み掛けるように茅ヶ崎は問う。
「〈不明だ。だが、今日中にも日本国内でDEVGRUが展開予定だ。近いうちに作戦が行われる〉」
「〈で、そのPOOの顔は?〉」
「〈これだ〉」
封筒が出てくる。
手渡された封筒のひもを急いでゆるめて内容を確認する。レオン・マクドネル、コナン・フィッツシモンズ、ジャクリーン・シャウマン……。
「〈これが我々の意思だ〉」
「〈正気か!?これは……〉」
息をのむ。CIAが自局員の、しかもパラミリタリーの名簿を、いくら同盟国とはいえ他国の情報機関に公開するなんて。
「〈それで、本題だが、今回は先日の貸しを返してもらいたいんだ。特殊部隊でPOOを制圧してもらいたい〉」
真面目なジョンソンの顔がこちらを覗き込む。
「〈そちらのDEVGRUがいるんだろう?我々は行動を阻害しない〉」
茅ヶ崎はそう言って突っぱねる。
「〈昨年5月1日のウサマ・ビン・ラディン暗殺作戦を思い出せるか?〉」
「〈ああ〉」
「〈反米的傾向の強い現政権下の日本で同じことを行い発覚した場合、最悪日米は本格的な対立関係に突入する〉」
「〈それは諸君らのせいだろう〉」
少し呆れて茅ヶ崎は言う。
「〈そうだが、そちらで先に手を打っておいて欲しいんだ。奴らは、何をするかわからない。ただでさえ中東を荒らしまわって混乱させた後だ〉」
「〈正直なことを言おう。我々は今回作戦を行うことができない。実は全部隊、作戦行動中だ〉」
これで最後と思い言う。
「〈そうだったか。残念だ。だが、そちらも無用な混乱は避けたいはずだ。裏で手を打ってほしい〉」
「〈それなら〉」
譲歩を引き出した時点で茅ヶ崎はベンチから立ちあがり、一路少し遅めの昼食へと向かった。
*************
「オービスの結果は?」
「このホテルのようです。これからも随時情報を更新します」
地図情報サービスに赤い点で結果が示される。
「行くぞ」
即座に蓮池が歩き出す。
「蓮池、何を考えてるんだよ」
「あいつら、怪しい」
真田の問いにすぐに答える。
「昨日見たって外人どもがか?」
「あいつ、隣にアラブ人を乗せてた上に銃を撃ちなれている奴の手だった」
次の瞬間真田が蓮池の肩を掴んで止める。
「落ち着け。いくらなんでも焦りすぎだぞ。昼飯食って落ち着こう?な?」
説得して向かった法務省や公安調査庁の入る合同庁舎の食道はなかなかに混みあっていた。
「トンカツ定食にでもするか」
「うどんとそぼろ丼の定食だな。俺は」
食券と引き換えに出てきた定食のトレイを長机にまで運んで食べ始める。
「で、昨日の奴の人相は覚えているのか?」
「ああ。目があった気もした」
カツを食べながら蓮池は言う。
「だが、落ち着いて考えても見ろ。白人とアラブ人が一緒になってる状況がそう特殊か?」
「そうは言うが……」
きつねうどんをすすった真田の言葉で答えに詰まる。
「二人ともそこにいたのか」
「課長!?」
不意に茅ヶ崎課長が現れる。
「さっき米倉と接触してきた」
米倉、つまりは在日本CIAである。
「で、結果は?」
「雑誌を渡されたよ。あとで読め。あと、仮ではあるが今後の命令もある」
「わかりました」
渡されたのは封筒。中身はそこそこ分厚い。
「そうだ。グラビア付きだから、読むときはくれぐれも気を付けるんだぞ」
課長の言葉は妙な重みを含んでいた。
「何が載ってるんだか」
旧庁舎へトンボ返りすると封筒を開ける。
「こりゃ、とんだグラビア写真だ」
そこには顔写真とその人物の特徴がまとめられた書類、そして命令を記した走り書きがあった。
「こいつ!?こいつだ!あの男は!」
「え!?どういうことだよそりゃ!?」
書類をひったくって読み漁る。
「どういうことだ、これは。全員CIAだって!?」
「だとして、俺たちの任務はっと……」
その走り書きにはこう書かれていた。
『1・現在担当している事件の担当の任を解く』
『2・同封の書類に記された人物の視察の即時開始』
『3・視察対象に対する暗殺作戦の妨害』
『4・必要な場合の視察対象の逮捕拘束』
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代々木 ロシア大使館
「〈ザスローンが到着したとの情報がきました〉」
ミンコフスキーは廊下で並んで歩いているズヴャーギンとドゥナエフのもとに報告に行く。
「〈速いな。報告だともっと遅くなると聞いていたが〉」
歩きながら書類を受け取り読み始めたズヴャーギンは言う。
「〈八方手を尽くしたようですから。私も苦労しました〉」
ドゥナエフはそう言って肩をすくめる。
「〈本当に、ザスローンを投入するに値する作戦なのでしょうか?〉」
ミンコフスキーは率直な意見をぶつける。
ザスローンはロシア対外情報庁の擁する極秘部隊である。存在自体は公開されているものの、その装備や編成は不明。作戦の主任務は紛争地の大使館の機密書類の完全破棄や外国のテロ組織に対する報復攻撃である。
「〈どうせCIAじゃ話にならない。秘密裏にすべて処理するのが得策だ〉」
そう言ってズヴャーギンは書類をミンコフスキーに付き返す。
「〈KOLOKOL‐1も準備できています〉」
「〈曰く付きのあれですか。使うんですね〉」
ドゥナエフの言葉にミンコフスキーは不安な表情になる。
KOLOKOL‐1。対テロ作戦向けに極秘裏に開発されたこの装備はオピオイドの一種でありモノによってはモルヒネの数千倍以上の効力を有するとされるフェンタニル誘導体を主成分とした低致死性麻酔ガスである。
その威力は曝露して数秒で効力を発揮し、最低二時間は意識を奪うことができる。
「〈今回は人質がいない。何があろうと問題ない〉」
ズヴャーギンは歩みを止めず毅然とした態度で言う。
「〈そうですか〉」
それでもミンコフスキーの顔には不安が見て取れる。
その威力は時に諸刃の剣であり、初めて使用されたモスクワ劇場占拠事件では曝露した人質920人中129人が麻酔作用による窒息死を引き起こした。
扉を開けて三人はそこそこの広さの部屋に入る。
ズラリと並ぶ面々は現時点で使える在日本SVRの人員全員だった。
「〈これからは目標の確認だ。気づかれるなよ〉」
『〈はい!〉』
ズヴャーギンの発破に全員が強い返事をする。
「〈我々がこの事件に終幕を引くのだ!!万歳ッ!〉」
『〈万歳ッ!〉』
強く言うと全員が散り散りになって街へと繰り出す。
「〈それにしても奴らは『パンドラの箱』を持ち出して何をしたいんだ〉」
ドゥナエフはそう言って壁にも照れかかって腕組みをする。
「〈『パンドラの箱』。中身の正式名はНТВС‐8、新型混合爆発物8号、でしたか?〉」
ミンコフスキーは記憶を手繰り寄せるように言うとドゥナエフは頷く。
「〈ああ。詳しいことはわからないが、起爆すると周辺から酸素を奪い毒ガスをまき散らしながら大爆発を起こすらしい〉」
「〈なんでそんなものを……〉」
ミンコフスキーは顔を曇らせる。
「〈さあな。科学者の道楽か、軍の要請か。ともかく、毒ガスをまき散らす時点で化学兵器禁止条約違反だから実験後破棄したものが漏れたか、若しくは保管をしていたら奪われたか〉」
「〈あと問題は〉」
「〈ああ。『横暴の遺産』の存在だ〉」
ドゥナエフの表情は今後の懸念を如実に表していた。
『横暴の遺産』
ロシア連邦の政府中枢や軍上層部、そして情報当局においてこの言葉は特別な意味があった。諸々の事情で接収したこの遺産は、国際問題を生みかねない状況にある。
「〈あれがアクティブだった場合、何が起こるかわからないぞ〉」
*************
赤坂 アメリカ大使館
「〈蒼中隊について情報を流したか。ご苦労〉」
在日本CIAの統括官、アーヴィン・オーランドがねぎらいの言葉を掛ける。
「〈日米同盟は意地でも維持しなければなりません。オバマ・ハギワラ関係下の現在、日米同盟は成立以来最悪の危機的状態ですから〉」
ジョンソンはそう言って出されたコーヒーをすする。
「〈ラングレーも、身勝手なことばかりする〉」
オーランドも呆れたといった表情でコーヒーをすする。
「〈で、例のテロリストは?〉」
「〈……!?げほっ……こっちでは火の粉が降りかからないかぎり、ロシアの連中に任せることにしたよ〉」
ジョンソンの言葉に驚き咽たオーランドはコーヒーのカップを置くと口をハンカチでぬぐって言う。
「〈SVRにですか?〉」
ジョンソンの表情は驚愕で固まった。
「〈ああ。どうも『聖遺物』が見つかったそうなんだ〉」
「〈『聖遺物』!?それって……〉」
オーランドの言葉にジョンソンはさらなる驚きを隠せなかった。
「〈ああ。触れてはいけないものの代表格だ〉」
努めて冷静を装っているが、オーランドも恐怖を抑えるだけで精いっぱいだった。
『聖遺物』の存在は一応知っていた。だが、大半のCIA職員はもはやそれは存在しないものだと考えていた。オーランドもジョンソンもその『大半』に含まれていた。
「〈それが日本国内に?〉」
「〈そういうことだ〉」
「〈畜生!なんてことしてくてたんだ!!〉」
オーランドはジョンソンの怒り様に共感していた。
『聖遺物』はこの日本にある『悪魔の遺産』を超える危険性を孕んでいる。一度使用されようものなら、国際社会に大きな混乱をもたらすのは確実だ。
「〈今回の事態、ロシア側の方から幕を引きたがっているようだしな〉」
「〈……もしかして、蒼中隊が日本に来た理由は、この間のシリア和平妨害以外にもこの件があるからじゃ?なら、作戦の方針を殺害から逮捕拘束に変えるべきです〉」
「〈いや。奴らの持つ情報源が確かなものだったとしても『聖遺物』、特にテロリストの持っているものは感知できないはずだ。推定ルートが東欧を通っていない〉」
「〈しかし、一発の紛失で済むわけありません。蒼中隊の任務が東欧の武器流通の監視であったことを考えると、『聖遺物』について何らかのことを知っている可能性が〉」
「〈それもそうか。急いで掛け合ってみよう。いい着眼点だ!ボーナスを上げるよう上伸してやる!〉」
そう指をさしながらオーランドは電話に飛びついた。
*************
神奈川県綾瀬市 アメリカ海軍厚木飛行場
C‐40Aが着陸する。
SEALs筆頭の最強部隊、海軍特殊戦開発グループが到着したのだ。
タキシーウェイに進み止まったC‐40Aからずらずらと降りていくメンバーは装備品をまとめたバッグを持っている。
「〈諸君らが噂のDEVGRUか〉」
「〈はい〉」
基地司令の壮年の大佐であるコレット・カントが出迎えるとそこには、DEVGRUの隊長であるマーク・ホランド中佐を筆頭としたチームが整列していた。
「〈事態の詳細は一応知っているだろう。今回の敵は我が国の生み出した悪魔だ〉」
「〈承知しております。我々の手で、悪魔をを排除して見せましょう〉」
「〈頼んだぞ〉」
基地の一角で行われる物々しい引き継ぎ行事を見る野次馬はそこそこいた。
「〈あれが、SEALs幻のチーム6、DEVGRUですか〉」
「〈ああ。頭脳も体力も射撃も超一流の、世界最強の特殊部隊だ〉」
ロイドとヘンリーもそんな野次馬の中の二入だった。
その時C‐17が着陸する。
「〈あの中には何があるんだ?〉」
「〈さあな〉」
急いで駆け寄って積み荷の確認に向かう。
タキシーウェイに進んだC‐17のカーゴドアが開くと、そこには予想外のものが鎮座していた。
「〈奴ら何考えてるんだ……〉」
「〈……日本観光だろ?〉」
出てきた言葉は、素直な感想だった。
「〈今回の我々の作戦は逃亡している国産テロリストの排除だ〉」
フランス語でホランド中佐はそういうとホワイトボードにプロフィールがマグネットで貼りだされる。
「〈彼らにはコードネームとしてそれぞれイーグル、ファルコン、ホーク、オウル、ハリアー、ケストレル、ヴァルチャー、コンドルと設定した〉」
マーカーでそれぞれにコードネームを書いていく。
「〈彼らは今現在東京都内に潜伏中だ。CIAの諜報員が見張っている。それを叩く〉」
「〈質問があります〉」
椅子に座った隊員の一人が挙手する。
「〈どうした、コーウェル軍曹〉」
ホランドの指名とともに起立したコーウェルは休めの姿勢で話し出す。
「〈はっ!我々が何故この東京という大都市で作戦を行うのでありますか?パキスタンでの海神の槍作戦とは違いすぎます。東京は人口密度が高く、しかも銃器の使用に世界で最も敏感な都市のひとつであります〉」
「〈よろしい〉」
座りように促し、コーウェルが着席したのを確認するとホランドは話し始める。
「〈懸念はわかる。だが、気にしすぎだ。軍曹。今回の作戦はあくまで秘密裏に行う。これは国防総省、中央情報局双方の意思であり決定だ。いろいろ思惑があるらしいが、それは我々の考える事ではない。それに作戦はごく短時間に終わる。通報されたとしても警察が来る前に撤収はできる〉」
コーウェルはそれでも不安な表情を崩さない。
「〈大丈夫だ。この国では我々を阻害できるものはいない〉」
そう言ってホランドは笑みを浮かべる。
「〈今回は通常の迷彩パターンを使用しない。民生品向けの迷彩だ。わかったな?〉」
『〈はい〉』
ブリーフィングが本格的に始まった。
*************
マリアは銃をずらりと並べる。
AUGのマガジンを手に取るとローダーで5.56ミリ弾を装弾する。
マリアが行っているのは『戦争』の準備だった。昨日から持っている武器のマガジンに銃弾を入れ始めていた。
周辺には急遽派遣されてきた強襲二班が私服で展開している。
襲撃という最悪の事態を見越してのことだった。
彼女自身、彼らが日本で平然と銃を使うとは思っていなかった。
だが、もう日本は変わってしまっているのだ。
彼らにとってみれば、日本の厳しい銃規制など意に介さないのだろう。
並べたマガジンに一通り装弾すると一本を手に取りAUGに挿し込む。
「わたしにも武器を貸して?」
「いいわ」
吉華にそう言ってVz58を渡す。
「マニュアルある?」
「ないわ。けど」
手に取りセレクターを回す。
「これで一発。これで連発ね」
「さすが」
「自分で使うための銃よ。知らなくてどうするの?」
並んだ銃を一つ一つ確認する。
「なるほどね」
「エミリーがどこにいるかわかった?」
「いえ」
「そう」
会話が続かない。銃の操作音だけが響く。
「エミリーちゃん、無事に帰ってくれればいいね」
「……ええ」
5.56ミリNATO弾の箱を片づけたマリアはそう小さく答えた。
「お茶です」
「いえ、けっこう」
セリーヌは困惑していた。
平静を取り戻すためにお茶を入れては見たが、二人の警護要員はそのお茶を断っていた。
「大丈夫ですよね?」
「信じてください。我々はプロフェッショナルです」
大柄な男たちの背広の内側にはMP5Kが隠されている。アメリカや西ヨーロッパの対ギャング、シンジケート潜入捜査官のやり方だ。
どこか嫌な気分がする。彼らがマリアを裏切り者として殺すんじゃないか?そんな疑念が付いて回る。
「狙撃2、周囲の状況は?……そうか。了解」
無線で状況を確認すると警護要員は困り顔になる。
「怪しいヤツラは今のところいないが、何が起こるかわからないというのも困り者だな。居場所を移すべきだという提案が来た」
「居場所を?」
「ああ。一般市民の巻き添えを減らすためだ」
「そうですか」
どこかにある恐怖に、エリーゼは自然に銃の隠し場所を確認していた。
*************
「〈君の望むような武器もたんまりある。対物ライフルも、軽機関銃も、RPG‐7も〉」
どこか嬉しそうにユーリ・ゾルカリツェフは言う。両腕を大きく広げ、まるでコレクションを見せびらかすように。だが、これらの銃はコレクション向けなんかじゃない。中東のゲリラや欧州のマフィアが実用品として持っているような銃だ。
「〈他には?〉」
「〈携帯ミサイルがある。地対空のだ〉」
コンコンとミサイルランチャ―の筒を叩く。9K34ストレラ3、NATOコードでグレムリンと呼ばれるミサイルのセットだ。
「〈それで、呼び出した張本人は?『パパ』はどこ!?〉」
「〈今のところ、『ルーミニー』は外出中だよ?それがどうしたの?〉」
おどけるようにユーリは答える。
「〈あの男をそう呼んでるのね。ゲオルゲ・アマナールを〉」
小さく言うとエミリーは軽蔑した目でユーリを見る。
「〈彼はなかなか気にいっているらしい。セクリタテア出身は皆、訳がわからないね。散々あっているけど〉」
ユーリはケラケラと軽薄な笑い声を響かせる。
「〈だけど、勝つつもり?いくらバカみたいに平和なこの国でも、ひとたびテロになると容赦はないわ。今ではそれとはわからないけれど、赤軍や反政府勢力、カルトのテロ攻撃を40年近く受け続けてきた国よ〉」
「〈勝算なしに戦いを始めるわけがないだろう?〉」
「〈勝算?〉」
「〈どんな国だって黙らせることのできる兵器がこの世に一つだけ〉」
「〈それって!?〉」
エミリーはその言葉に戦慄する。
「〈そう。想像の通りだよ〉」
「〈貴方たちは何をする気なの!?〉」
「〈破壊と、創造さ〉」
両手を肩の高さまで上げて天秤のようにする。
「〈何を言ってるの?神を気取るつもり!?〉」
「〈神なんてものは、所詮は人間の意識によって作られた意識の集合体でしかない〉」
そう言ってユーリはカツカツとシミとヒビ割れだらけのコンクリート床を歩き古いソファの上にある本を手に取るとそれにどっかりと腰掛ける。
「〈真に神を神たらしめるのは人間の行いだ。そして神は我々を見放した。神が世界を変えない以上、我々は世界を変えるのだよ。神が罰を与えないなら我々が罰を与える〉」
そう言って手に持った本を背後に放り投げる。
「〈……〉」
「〈と、言ったらどうするかい?〉」
ふざけた表情を見せる。
「〈からかったの?悪趣味ね〉」
そう言ってエミリーは吐き捨てる。
「〈悪趣味なのは重々承知してたんじゃなかったかい?〉」
「〈……チッ……〉」
思わず舌打ちするとエミリーはユーリをにらみつける。
「〈おお。怖い怖い〉」
そう言ってユーリがケラケラ笑って立ち去ったのを見送るとエミリーは彼の座っていたソファを見る。
ユーリの放り捨てた本はすぐに見つかった。
革でできた表紙には金色で箔押しされた『Библия』の文字が所々かすれている。
出来すぎた芝居のようで、エミリーはあの男が変わっていないことを確信した。
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小辞典
NF‐1
フランス製の汎用機関銃。
ミニミ以前のフランス軍向けの汎用機関銃で、それ以前のAA‐52汎用機関銃を7.62ミリNATO弾を使用できるようにしたものである。
ベルギーやアイルランド、フランスの旧植民地諸国にも輸出された。
レオンに出てきた三脚付き機関銃はこれ。
HK21
G3を基にした軽機関銃。
G3にハンドルを取り付けベルトリンクが使えるようにした。
ギリシャやポルトガルでライセンス生産されたほか、現在でもアジア、アフリカ、ラテンアメリカの第一線で使用されている。
MPL
ワルサー社が開発した短機関銃。
MPLは「長銃身型短機関銃」という意味。イタリアのフランキLF57を基に設計された。
ドイツの州警察やラテンアメリカ諸国、ベトナム戦争の際のSEALsで採用されたものの70年代からMP5にシェアを奪われていった。
ミュンヘンオリンピック事件時のドイツ警察の装備であり、MPLを手に何もできずに指をくわえているだけの警察官の姿がNYタイムズに掲載された。
オピオイド
モルヒネを含む「アヘン類縁物質」という意味。プロローグに出てきたクラカジール=デソモルヒネもオピオイドの一つ。
アヘンは英語でOpiumと呼ぶためOpioidという名前になる。Opium自体はギリシャ語で野菜のしぼり汁を意味するoposの縮小形のopionに由来する。
一般的に言われるものは鎮痛作用をつかさどるモルヒネ則が共通となっているため麻酔薬として末期ガン患者向けや前線の負傷兵向けに与えられるほか、麻薬として乱用されることもある。
また、呼吸器系に抑制するように働くため投与ミスや乱用時の死因は窒息死である。
それらの中でもフェンタニルはモルヒネの百倍以上の効果を有し、その一部元素や官能基を入れ替えたものである誘導体は、モノによってはモルヒネの1万倍近いの効果を得るとされる。