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イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁・庶務十三課―  作者: 北方宗一
第四章 アーティラリーズ・ファントム
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穴の開いた盾 その2

事態は思わぬ方向へ。

 「これからお土産を作る」という先生の言葉とともに向かった多治見ではマグカップに切り絵をすることになった。

 水転写シールの要領で切った張ったをするのだ。

 案内の人が言うには、現在の陶磁器の中でもある程度量産する場合やセットとして同じデザインを使う場合はこの手法が基本になっているらしい。

 「おお。かわいーじゃん。エミリーちゃんに?」

 「ううん。身の回りの世話をしてくれる人に」

 理恵はくるくると周囲を回ってマグカップを観察してくる。

 「おお〜。りっぱりっぱ」

 「これからアウトレットモール行くんでしょ。エミリーへのお土産はそこで買うわ」

 「なんで?」

 「姉妹でペアにしようと思ってるの。エミリーはそういうの好きだし」

 「なかなかにおねーさんですねぇ」

 にぃっと笑う理恵の言葉を聞くと自然とため息が出る。

 「そうじゃないと怒るのよ」

 「ま、私は自分のを見てみるだけだけどね」

 そう言って少しもたれかかってくる。

 「……買えないんだ……」

 「さっしてくれてありがと」


 幸太郎はカッターで切り出した柄を見ていた。

 アメリカ空軍のF‐22戦闘機を正面少し上からのアングルで捉えたシルエットを切り出してみたのだが、どうも周囲を見て見る限りはそれぞれ幾何学模様を描くにとどまっているものからどこで切り絵を習ったのか訊ねたくなるものまである。

 「どうだいヘンタイ……ってやっぱり戦闘機かぁ」

 「現代芸術は好かないし、有機的な絵柄はどうしても書けないからな」

 「そっか」

 「で、お前は?」

 「ふふふ。どうだ!」

 スゴイ笑顔で繰り出してきたマグカップには繊細かつ緻密な絵柄が踊っていた。

 色とりどりの影絵だ。どうも、美少女ゲームのヒロインのシルエットをきれいに並べていた。

 「よくもこの柄を実現したな」

 「器用だからね。嫁に対する愛さえあれば余裕さ」

 にこやかな顔を崩さない山本を見て、ふと自分を顧みてしまう。

 「うらやましいよ。人を描けるなんて」

 「ヘンタイだって十分うまいじゃないか。戦闘機だろ。雰囲気出てる」

 「ありがとうな」

 なんとなく申し訳なく感じる。

 「けど、これだと少しさびしくないか?」

 「これから文字を入れるのさ」

 「へぇ。下僕の趣味ねぇ」

 ふいに河合が背後に現れる。

 「意外とうまくできているじゃない」


 まじまじと見つめ感想を述べると席へと戻る。

 「それにしても、昨日のあれからは想像できないわね」

 戻る際中ぼそりと呟く。

 「昨日?」

 「もうどうしようもないくらい憔悴しきってたの。こんな顔してね」

 俯き加減の悲しげな表情をして見せる。

 「そんな?」

 「そう考えると今はかなり落ち着いているみたい」

 そう言って幸太郎を再度見る。

 自分は手を尽くせなかった。だが、幸太郎には生気が徐々に戻りつつある。それを感じて安堵している自分に気づいて、河合は自分を笑った。


     *************


 京都の清水寺。

 学校の行事で日帰りで行けるとは思ってもみなかった。

 エミリーにとってみればまったくの異世界でしかない。

 「エミリーちゃん!お土産買おうよ!」

 「うん」

 手を振ってくるクラスメイト達。

 なんというか、焦げ目の無いクレープで甘い豆のペーストを包んだお菓子がこの辺りでは定番なんだそうだ。

 「〈暑い〉」

 じりじりと照らす太陽。

 気温は非常に高く、湿度もある。

 慣れない日本の高温多湿の夏は体力を奪っていく。

 クラスメイトと土産物店に入ると今度は店先の冷房が体を凍えさせようとするかのように急冷する。

 独特な味の試食品のお菓子をつまみ、石畳を歩いていく。

 ふと見渡すとどうもはぐれてしまったらしい。制服が見えない。

 「〈久しぶりだね、『マルタ』〉」

 「〈誰!?〉」

 ロシア訛りのドイツ語。忌々しいマルタの名。神経を逆なでするかのようなねちっこく優しい声色。

 思い当たるのは知る限り一人だった。

 「〈誰って、僕だよ〉」

 そう言って現れたのは黒いスーツを纏った長身痩躯で髪の長い、笑い顔の男だった。

 あのころから変わらない不健康そうな顔色と薄い髪色。左手にだけはめた黒い手袋。

 「〈ユーリ、ゾルカリツェフ!〉」

 急いで武器を手に取ろうとする。

 「〈こんな所で武器を使う気かい?〉」

 笑って言う。

 「〈ばれちゃうよ?君が殺し屋だってこと。友達にさ?それに〉」

 視線を脇に向ける。

 そちらを向くとスタンバイしている奴がいる。

 子供が二人。だが、両方とも明らかにおかしい。体の重心が少しだけずれている。

 ということは……。

 「〈……くっ!〉」

 武器を手に取るのをあきらめると軽く拍手をしてくる。

 「〈ブラーヴォー、ブラーヴォー。いい心がけだ。そう。君はいくら足掻いたって私には勝てないんだよ〉」

 ねっとりと耳に付く声で語りかけてくる。

 「〈あんたが何の用なの!ペテン師!〉」

 振り払うように叫ぶ。

 「〈ペテン師だなんて人聞きの悪いことを。僕は単なる資産運用のプロですよ〉」

 にこやかな顔を崩さずゾルカリツェフは言う。

 「〈そんなのどうだっていいわ!なぜ私の目の前に現れたの!〉」

 語気を強めて言う。

 「〈単純なことです。君の《お父上》からの要望なのでね〉」

 「〈!?〉」

 あの男が、今になって呼んでいる?

 「〈お、顔が変わった♪だめだよ。ポーカーで真っ先にスられるカモの特徴だ〉」

 「〈今頃になって!何を!〉」

 「〈単純さ。君たち姉妹の力が欲しいのさ〉」

 「〈勝手に捨てておきながら!なぜ!〉」

 そう言って踵を返す。

 「〈聞きたい?聞いたら戻れないよ〉」

 その言葉が体の時間を止めさせる。

 「〈お、喰い付いてきたね〉」

 「……」

 歯ぎしりする。

 「〈自分の興味に抗わないほうがいいよ。気になるんでしょう、《お父さん》のことが〉」

 「〈うるさい黙れ!〉」

 コンバットマスターを引き抜き、即座にゾルカリツェフの眉間に照準を合わせる。

 だが、ふと首筋に冷たい感触がした。

 6kh4バヨネットの刃が首筋に当たっている。

 いつの間にかあの二人の子供の一人は背後に回り込んでいた。

 もう一人はレーザーサイトを組みつけたタウルスPT92をこちらに向けている。

 「〈僕には勝てないって言ったよね?〉」

 「〈……!〉」

 タウルスの方は引き金に指をかけている。首筋のナイフを跳ね除ければ即座に撃ち抜かれるだろう。

 逆にナイフはどちらかを撃ったら即座に喉を引き裂く。

 ゾルカリツェフも無防備というわけではない。前に見たとき――数年前には高い射撃の腕を有していたはずだ。それに今もスーツの下に銃を隠しているようだ。

 「〈君は、ナイフと狙撃でなら私に勝てるが、それ以外では僕に勝てない。よく理解して『いた』はずだ。だから僕は足りない力を『手に入れた』〉」

 「〈……〉」

 「〈いつの間に君はまた物わかりが悪くなったのかな?〉」

 「〈あなたこそ、人間は大きく変われるってことを忘れてない?〉」

 強がりだ。はったりを言ってみるだけの価値はある。

 「〈そうか……。だが、君のお姉さんに対する思いまでは変わってないだろうからね〉」

 「〈!?〉」

 「〈当たり前だよ。君のお姉さんの許にも人を送った。理由は……わかるね?〉」

 笑い顔の奥にある凶暴さが見えてくる。本気だ。本気で殺してくる。

 静かに銃口を降ろす。

 「〈ロデリック、マデライン、もういい。その銃を回収しろ〉」

 そう呼ばれた二人はコンバットマスターをもぎ取るとゾルカリツェフへと手渡す。

 「〈ほう。君たちも洒落たことをするね。エングレーヴか〉」

 マジマジと舐めるようにコンバットマスターを見るとデコックする。

 「〈だが、どこかの誰かも言っていた。外見には戦術上の優位は存在しない。と〉」

 そう言ってポケットに入れる。

 「〈君たちも毒されたもんだね。平和な世界に〉」

 ねちっこい声が耳にこびりついて離れなかった。


     *************


 遂には土岐市のアウトレットモールにまで来た。

 今日の日程は非常に厳しいものらしかったが、話によると想像以上に早く進んでショッピングはかなり楽しめそうではある。

 「というわけで!予定より早く進んで、ちょっとうずうずしてるんでしょ?行きたいんでしょ?」

 「先生それセクハラです」

 お調子者の男子の声が響く。

 「うるさい!おまえだけ私と一緒に回るか?いいのか?」

 「え?そ、それは」

 「じゃ、尾崎以外は解散!!」

 『はーい』

 「ええ!?」

 解散とともにアウトレットモールに散り散りになった。

 様々なブランドのアウトレット品がある。

 いうなれば格安で買う手段であるが、少し前に買いそびれた場合も有効だ。

 高級ブランドの店舗を見てエミリーに似合いそうなものを探していく。

 エミリーはペアになっているものが好きだ。私と同じモチーフを好むのは、しょうがないのかもしれない。

 あの頃。そう。あの男たちから逃げて、母と男を殺して逃げてから。私とエミリーはいわゆるストリートチルドレンと化した。

 ひっそりと路地裏に隠れ、どうにかしてやりくりして、警察とマフィアに怯えていた私たちを、あの男が拾い上げた。

 あの時、あの男は私たちにとっての父になった。

 彼は私たちにノウハウを教え、殺しをさせた。

 初めて殺し屋として殺したのはギャングだったはずだ。マフィアからの依頼で、麻薬のシェアを奪い合っていたという。

 その後、ベラルーシの政治家を爆殺したり、セルビアの軍幹部を狙撃したりして結果を残していった。

 だが、2年と少し前、私たちを置いて彼はどこかへ行ってしまった。

 彼は、あいつは、私たちを裏切った。

 それが、エミリーの極度の男嫌いと私への依存につながっているのかもしれない。

 エミリーは裏切りを極度に恐れている。

 あのままいけば、私を監禁しかねない。今までも半ば私を監視してきたようなものだ。

 ふと、そこには雑貨店があった。

 ズラリと並ぶ食器。

 ふと目に留まる。ペアのマグカップ。デフォルメされた猫が描かれている青基調の寒色系と赤基調の暖色系の二色。

 共通のデザイン。二人だけのデザイン。意外とマグカップではそういうものを買ってこなかった。

 喜ぶだろうか?

 「どうなさいました?」

 「〈あ、ええと……〉これのセットください」

 「ペアマグですね。承知しました」

 英字の古新聞で包んで小さなダンボール箱に入れる。

 「1400円です」

 「はい」

 「はい、どうぞ」

 「ありがとう」

 紙袋に入った二つのマグカップ。

 エミリーは喜んでくれるだろうか。

 いろいろ見て回っているとどうも比較的人の少ないところに来てしまったようだ。

 「〈久しぶりだな、『アヴドーチャ』〉」

 背後からの声に振り向く。

 サングラスを付けた白髪の大柄な男がそこにはいた。

 「〈あんたは!『ヴィンペル』!あの時死んだんじゃ!〉」

 「〈覚えていてくれたか〉」

 サングラスを掛けていてもわかる。

 「〈あんたはFSBに殺されたはず!〉」

 「〈どうにか、生き残ったんだよ〉」

 そう言って腕をまくる。

 あの当時入っていた刺青は傷跡で真っ二つに分断されていた。

 「〈ふざけないで!私たちの平穏を汚さないで!!〉」

 「〈平穏、か〉」

 そう言って煙草の箱を出すとふと禁煙のピクトグラムを見つけ、しまう。

 「〈自分から平穏から遠ざかったのにか?純潔が惜しくて〉」

 「〈あんたに何が!〉」

 「〈わかるんだよ。親戚や隣の家の娘が売られていった。いくら泣きわめこうが、ちょっと大きい荷物かイヌ程度に扱われてな。そして、それは今も続いている〉」

 「〈それがなんなの!?〉」

 「〈そいつらは大抵そういうところで、ちょっとした安寧で生きている。おまえらは高望みしすぎだ。売られた時点で平穏な生活なんてありえないのに、もがいて、苦しんで、傷ついて、それで仮初めの平穏を作り上げているだけだ〉」

 図星だった。

 「〈この腐っている世界を壊してみないか?君の力さえあれば、この世界をひっくり返すことができる〉」

 「〈興味ないわ!〉」

 そう叫んで言葉を振り払う。

 「〈この腐った世界は、生きづらいだろう?〉」

 「〈それでもいい!私は、エミリーと一緒にいる世界を護る。そこにアンタはいない!〉」

 「〈そうか。なら〉」

 ヴィンペルはそう言って懐から拳銃を抜く。大柄な体に不釣り合いなコンパクトピストル、Cz83。

 「〈何をする気!ここは日本よ!銃声一つで特殊部隊が殺到するわ〉」

 「〈だから、用意しておいたんだよ〉」

 綿と少しの水が詰まった炭酸水のペットボトルを懐から取り出す。

 「〈!?〉」

 「〈たまには下品なハリウッド映画もいいもんだな。面白いアイディアがあった。プラスチックボトルで銃声は軽減できるんだってな〉」

 銃口に付いたアタッチメントにペットボトルをはめ込むと、こちらに向けてくる。

 「〈どうだ?気は変わったか?〉」

 「〈変わるわけないでしょ〉」

 「〈そうか。残念だ〉」

 銃口はピタッとこちらの顔を捉えている。

 引き金に指がかかる。

 「〈サヨナラだ〉」

 引き金が引ききられる。

 くぐもった銃声が響く。

 身体を屈めて射線を回避する。

 カバンに入れておいたエストレマラティオ・フルクラム・ブラックを左手で引き抜き肉薄して切っ先を跳ねあげる。

 ペットボトルサイレンサーを切断する。

 綿と水が飛び散る。

 「〈これで銃声はまる聞こえよ〉」

 「〈チッ!〉」

 『ヴィンペル』を蹴り飛ばして距離を取る。

 『ヴィンペル』はカーショーの折り畳みナイフを右手で取りだす。

 「〈ナイフなら負けないわ。今のうちにどこか逃げる方が得策よ〉」

 「〈よく言う!〉」

 刺突を重視した構えで突っ込んでくるヴィンペル。

 マリアは急いでブラホルスターにあるコンバットマスターを引き抜こうとブラウスの中に手を突っ込む。

 「〈今度こそいうことを聞いてもらう!〉」

 銃声覚悟でコンバットマスターを引き抜きサムセーフティを解除する。

 『ヴィンペル』は切っ先を突き出す。

 マリアは『ヴィンペル』の右側に飛び退いて刺突を回避する。

 回避を察した『ヴィンペル』は即座に横にナイフを振る。

 マリアは斬撃をのけぞって躱す。だがナイフの刃はコンバットマスターを捉えていた。

 (しまった!?)

 勢いでコンバットマスターが跳ね飛ばされる。

 のけぞった体を戻す勢いでフルクラムの刃で首を狙う。

 即座に『ヴィンペル』は左手でマリアの左手首を掴み捻じ伏せようとする。

 「〈おとなしく従え〉」

 「〈くっ〉」

 後ろ手にされては何もできない。

 「このおおおおおおおおおおっ!」

 不意に向こうからの叫び声とともに『ヴィンペル』とともにマリアは不意に姿勢を崩す。横から突き飛ばされたようだ。

 「幸太郎!?それに神山くん!?美里!?」

 「人の、彼女に、何やってんだよ!そう言えるか自信はないが!」

 目の前にぜぇぜぇと息を切らして構えを取った幸太郎と拳銃を突きつける健二と美里が現れる。

 「ほんと、カッコつけが苦手みたいね」

 「杏佳!?」

 まるで三人を統率するボスのように杏佳が腕を組んで現れる。

 「さて、おじさん?銃刀法の現行犯ね。わかってるでしょ?この国じゃそのナイフを振り回すのが違法なことぐらい」

 立ち上がろうとする『ヴィンペル』に杏佳は言う。

 「彼は本当に危険よ!逃げて!」

 「〈そうだ、言い忘れていた。今頃君の大切な妹のところにも同じように来ているだろう〉」

 「!?」

 「〈どうだ?気は変わったか?〉」

 「〈変わらない!エミリーは、そんな要求を突っぱねる!〉」

 マリアは叫ぶ。

 「〈そうか〉」

 そう言ってヴィンペルは手を離して踵を返す。

 「〈まあ、くれぐれも、気を付けるんだな〉」

 「〈待ちなさい!〉」

 マリアは叫ぶが次の瞬間、缶のようなものが投げつけられる。

 強烈な白煙が立ち込めたかと思うと、ヴィンペルは姿を消していた。

 「あいつは?」

 神山がマリアに詰め寄る。

 「『ヴィンペル』。本当の名前はイーゴリー・シロチェンコ。ソ連原子力保安(ヴィンペル)部隊の元隊員。つまり、元特殊部隊(スペツナズ)よ」

 急に幸太郎が姿勢を崩す。膝をついて、肩で激しく息をしている。

 「大丈夫!?」

 マリアが声を掛けようとするのを杏佳は静止する。

 「下僕は今、自分と向き合ってるのよ。自分の行動原理を見直してる。あの戦いのあと、いかに大切な人を護るか」

 そう言って杏佳は近づく。

 「下僕。あなたには今でもこれだけ仲間がいるわ。下僕が恐れる必要はない。あんな奴とは違う」

 そう言って幸太郎を抱き留める。

 「私の抱擁は高くつくわ。二度もありつける栄誉を感じる事ね。だからこそ、恐れないで」

 そう杏佳がささやくと、幸太郎は徐々に落ち着きを取り戻していった。


     *************


 「〈ザスローンの到着は?〉」

 ズヴャーギンが言う。

 「〈少し時間が必要です。急だったので隊員に必要なビザの調達が難航しているとか〉」

 「〈もどかしいな〉」

 部下の報告に顔をしかめる。

 「〈前例のない輸送作戦です。ここまで大規模な作戦は前例がありません〉」

 「〈わかってはいるが〉」

 「〈チェブラーシカもKOLOKOL(コーラカル)(アヂーン)の使用を決断したようです。今この国は米国国務次官補が会談に来ています。影響は計り知れません〉」

 「〈奴らの狙いはそれか〉」

 舌打ちする。

 「〈この作戦で奴らを仕留める。情報収集は密に。いいな?〉」

 「〈はい〉」

 部下の返答を聞くとズヴャーギンは部屋を出て、ドゥナエフが取調べしている部屋へと向かった。


 「〈貴方は何をしていた?〉」

 ドゥナエフは机の向こうの、手錠と縄で拘束されたボドリャギンに詰問していた。

 「〈私は、ただ、土地と隠れ家を与えただけだ〉」

 「〈嘘を吐くな!〉」

 机を叩き驚かす。

 「〈本当だ。嘘はついていない。〉」

 「〈なら、その奴らは何をしている?〉」

 「〈詳しくは知らない。だが、彼らの信念は本物だよ〉」

 異様なまでに落ち着き払ったボドリャギンにドゥナエフは苛立ちを覚えていた。

 「〈テロリストの信念など、我々がへし折ってやる〉」

 「〈そう(うそぶ)いていればいいさ。諸君らは、負けを認めねばならなくなるのだからな〉」

 せせら笑うボドリャギンの顔に拳を叩き込んだことを、ドゥナエフは痛みで後悔するのだった。


 「〈目的が不明か〉」

 ズヴャーギンは窓越しに見ていた

 「〈はい。推測はできますが実際の動機や目的は……〉」

 そう言って部下はプロフィールを渡す。

 「〈熱心なソ連共産党員。地方組織幹部の一家という恵まれた環境。元高級官僚コース。これだけ聞けば民主化で失った地位の回復か〉」

 「〈だとしても、同調者をロシア国内で集めることは困難でしょう〉」

 「〈で、《シャパクリャク》。国際テロリズム。なるほどな〉」

 「〈けど、そんなことが?〉」

 若い部下にはピンとこないようだ。

 「〈ソ連崩壊に付随する東欧諸国の革命が生んだ数多くの被害者を掻き集めれば、一つの軍隊くらい容易に形成できる。財産を没収されたのち追放されたルーマニアの国家保安部セクリタテア。統一後軍人としての地位と名誉を奪われたドイツ民主共和国国家人民軍。これらほどではないにしても、各国の秘密警察や軍は改組や解体で多くの人員が削減された。だが、資本主義化、民主化の激動は各国の人民を混乱させた。アルバニアはねずみ講のおかげで国家が破たんし、ユーゴスラビアに至っては国家解体と泥沼の虐殺の応酬だ。元軍人、元秘密警察、元共産党員という理由故に社会から排除され、社会の混乱故に職に就けず、不可触民(アンタッチャブル)のごとく迫害され続けた彼らが社会主義に回帰しようとするのはある意味真っ当と言えよう〉」

 「〈はあ……〉」

 やはりピンと来ないようだ。

 「〈歴史の授業は終わりだ。我々には、歴史を振り返る暇はない〉」

 そう言ってズヴャーギンは向き直った。


     *************


 遠足から帰るとすでに一年は到着済みだとのことだった。

 向こうでの騒動は教師たちやほかの生徒たちが目撃しなかったこともあって容易に隠蔽できた。

 「では、解散」

 号令とともに生徒たちは帰路につくために散り散りになる。

 「エミリー!どこにいるの!?」

 気が気ではないマリアはとにかく周囲を探して回っていた。

 「どうしたんですか先輩?」

 「エミリー知らない?1年B組の」

 「ええと、エミリーちゃんは帰っちゃいましたよ」

 「帰った!?」

 「お姉さんを待ったらって言ったんですけど……」

 「ありがとう」

 マリアは急いで門を出る。

 「どうした?」

 声をかけてきたのは幸太郎だった。

 「幸太郎!その自転車貸して!」

 「落ち着け。金の余裕があって急ぐんだったらタクシーを捕まえた方がいい。何があった?」

 かなり慌てた表情のマリアをなだめる。

 「エミリーが一人で帰ったって」

 「そんなことか?」

 「そうじゃないわ!エミリーがなぜ一人で家に帰ろうとするの!?私と一緒にいようとするエミリーが!」

 「言われてみればそうだな」

 そう言うと幸太郎は籠に入れていたカバンを出す。

 「貸すよ。タクシー見つけたらおいていけばいい。あとで回収する」

 「ありがと!」

 そう言ってマリアは強くペダルをこぎ出した。


 自転車からタクシーに乗り換え、驚く運転手に有無を言わさずにマンションへ行くように指示する。焦る心では流れる車窓はまるでスローモーションのようだった。

 やっとのことでたどり着いたマンションの部屋の扉を開けると、マリアの様子を一目見て驚いたセリーヌがいた。

 「〈エミリーは!?〉」

 「〈?出て行ったわ〉」

 回答を聞くか聞かないかの間にエミリーの部屋に入る。

 ガンケースを確認すると確実に銃が減っている。持ち出されたのはマカロフとドラグノフ。それ以外を探してみるが減ってはいない。

 急いでエミリーの部屋を出て自分の部屋に入る。

 扉を開けて目の前に飛び込んできたのは机上の封筒だった。

 封筒の中には猫をあしらった便箋があった。

 『Zu älterer Schwester, auf Wiedersehen.』

 文を見た途端、マリアの肢体からへなへなと力が抜けていく。

 勝手にその双眸から涙があふれいく。

 「〈どうしたの?〉」

 事に気が付いたセリーヌが駆け寄る。

 「〈もしかしたら……もしかするかもしれない〉」

 涙声でマリアは言う。

 「〈え?〉」

 「〈エミリーが……何かするかもしれない〉」

 ぽろぽろと双眸から涙がこぼれ出す。

 「〈何をするっていうの〉」

 「〈それがわからないの!……何をするつもりなのか……!わからないの!〉」

 マリアはついに号泣してしまった。

 遠目から見ていた吉香は急いで携帯電話を手に取る。

 「武田さん?和泉です。なんか、すごいことになってきたんですけど」

 和泉の報告から少しして、彼女に付き添われたマリアは十三課の分室に向かった。


     *************


 20:33 東京都 千代田区 帝国ホテル


 小宴会場にはその豪華な内装に似合わぬ無骨な机が並んでいた。

 宴会場の使用者はアメリカのIT企業ということになっているが、実際はCIAと国務省であった。

 「〈自由シリア軍側は〉」

 マルゴーが気になってリーに訊ねる。

 「〈遅いな。どういうことだ。アクシデントか〉」

 腕時計で時間を見るリーは着信がないか携帯電話を確認する。

 「〈おい!どうなっている!これは!〉」

 「〈落ち着きたまえ。国際線は遅れるのが常だ〉」

 アメリカ側に詰め寄る部下をシリアの全権委任大使がなだめる。

 「〈ですが、開始予定時刻からもう30分経つのに何の連絡も〉」

 部下の言葉を聞きしばし考え込んだ大使は悲しげな表情になる。

 「〈交渉決裂も、考えねばならないか〉」

 そう言って大使は考え始める。

 「〈……どうするんです〉」

 「〈トイレに行く。そこで考えるよ〉」

 リーの問いかけにそう返すと席を立つ。

 「〈わかりました。警護しろ〉」

 リーの指示で動いた二人の外交保安局員を連れて小宴会場を出ると誰もいない廊下を歩く。

 だが、不意に人影が現れる。

 「〈な、何者だ!?〉」

 保安局員が間に立ちふさがりMP5KとP229を構えるがそれより早く襲撃者のサプレッサー付きトカジプトが火を噴く。

 保安局員と大使の眉間に穴が開く。

 殺害したのを確認すると即座に逃亡する。

 「〈何事だ!〉」

 物音に気が付いた保安局員たちが外に出る。

 倒れた三人にはすぐに気が付いた。

 「〈どういうことだ!?おい!しっかりしろ!〉」

 倒れる三人を揺さぶる。

 「〈警備はどうした!〉」

 保安局員たちの怒声が飛び交う。

 「〈奴らめ!初めから交渉するつもりはなかったのか!!〉」

 惨状を見て大使の部下は苦々しげに言う。

 「〈そう考えるのは早計……〉」

 「〈いや、もはや、交渉の余地はない。事件の処理が終わり次第即刻帰国させていただこう〉」

 そう言って書類をすべてまとめカバンに詰め込むと席を立ちあがる。

 「〈落ち着いてくれ。そう急ぐと〉」

 国務省の駐日書記官が制止しようと声をかける。

 「〈落ち着いていられるか!〉」

 怒りに震えた声で放たれた大使の部下の叫びは国務省やCIA一同を押し黙らせる。

 「〈大使が殺されたんだぞ!もっとも和平を望んでいた大使が!政府から譲歩も引き出そうとしていた!〉」

 感情を爆発させるように。さらに続ける。

 「〈……我々は裏切った敵に即時攻撃を再開せねばならない。では〉」

 少し間をおいてから、そう言って立ち去る若い外交官を、止めうる言葉はなかった。


 「〈ハサン。よくやった〉」

 都心を流している中古のカローラの中でレオンはシリア・アサド政権側の大使の暗殺をしたハサンを回収し激励していた。

 「〈ありがとな。今度おごれよ〉」

 そう言ってハサンはレオンの肩を叩く。

 「〈店はお前が調べておいてくれ。ハラルフードがどこで売っているか知らないんだ〉」

 そう言ってハサンにラップトップを渡す。

 「〈いや、俺は世俗派だからそこら辺は大丈夫だ。トルコ人と一緒さ〉」

 「〈だからマクドナルドを平然とバクバク食えたのか。イスラム教徒でもこうも違うとはな〉」

 腑に落ちたという表情でレオンは言う。

 「〈だからアルカイーダの聖戦を否定してアッラーの名のもとにアメリカ人として聖戦を戦っているわけさ。まだイラン人の方が物わかりがいい〉」

 「〈言い切るな〉」

 「〈まあな〉」

 夜の街は彼らの存在を混沌の中へと溶かし込んでいった。


 「まるで嵐の前の静けさだな」

 「ああ」

 蓮池と真田は夜の街をぼんやり見ていた。

 「どうするんだ?」

 「どうするって言っても、これじゃ……」

 収穫ゼロ。旧ソ連の何処かという目星は付いたが、それ以外はまったくだった。

 「外事課もうまくいかなかったとなると……」

 「どこのどいつなんだか」

 「まるで亡霊……ファントムっていうべきかもな」

 ぼそりと蓮池は呟く。

 「カッコいいこと言うなよ」

 そう言って真田は一本煙草をふりだし咥えると火をつける。

 「そういうがな、こうも不詳だとな」

 蓮池も同じように煙草を吸い始める。

 ふと、道を見るとカローラが滑るように走って行ったのが見えた。

 そして、その中にいた白人と目があった気がした。


     *************


 千葉県某所 「地球連合軍」日本本部


 「『ユートピア』の本部から連絡です」

 一人の男が画面を見て言う。

 「なんだ?」

 その場にいた口ひげを蓄えた男が振り向く。

 「『ニホンアシカ作戦』を開始せよとのことです」

 「了解したと伝えろ」

 「はっ!」

 口ひげの男が命令すると部下はパソコンで回答をタイプし始める。

 「ついにきたか。この時が」

 「悲願ですな」

 細身の眼鏡をかけた男が感慨にふける。

 「ああ。この作戦でこの世界は変わります。人にも自然にもやさしい世界に」

 「『アリゾナジャガー作戦』の前哨戦だ。この作戦のインパクトが成否にかかわる。大麻工場の一つが不当弾圧にあったが、まだ第一工場は残っている。今回の作戦で我々の正当性を示すことができる。ガイア万歳!」

 「万歳!」

 ローマ式敬礼をすると部下は薄暗い部屋を出て行く。

 その場にこの部屋の会話が盗み聞きされていることを知る者はいなかった。


 「『ニホンアシカ作戦』だぁ?ネーミングセンスどうかしてんじゃねーか?」

 ヘッドフォンを耳に当てた羽田が呆れ顔になる。

 「『アリゾナジャガー作戦』がそれっぽいから余計ですね」

 同じくヘッドフォンを耳に当てた戸塚がやはり呆れ顔でつぶやく。

 「とにかく、マヌケなアシカ作戦を食い止めにゃならん」

 「作戦繰上げですかね」

 カレンダーを見て思案する。

 「緊急展開できる奴らだけでも掻き集めるか」

 「けど強襲班はみんな作戦中か作戦前の段階ですよ」

 「諜報特殊班を持ってくるとか」

 「彼らにできますかね?」

 「技量不足はないと思うが」

 「もっと詳しい日程さえ分かれば」

 戸塚の言葉を聞くと、ふと羽田は思案を始める。

 「(エス)、使うか」

 ふと、とある存在を思い出した。


     *************


 「エミリー・ローゼンハイムが消えたって」

 稲垣が部屋に入ってくる。

 「ああ。現在所在を調べているが、まったくだ」

 東京から飛んできた武田が部下を見て言う。

 「どうするの?組織の離反なんて」

 「これで二例目だ。今回はJPLFなどの国内組織ではないと」

 「その兆候が前日まで見られていなかったのが謎です。今日になって急遽そうせざるを得なかったということになります」

 政田がそう言って第一次報告書を読む。

 「何があったんだか……」

 「マリア・ローゼンハイムの聴取終わりました。昔の同僚が誘ってきたとか」

 そう言って江崎が入ってくる。

 「その時の回答は?」

 「突っぱねた、と」

 「ということは、エミリーは飲んだというのか」

 武田の顔が曇る。

 「行動原理としておかしいです。エミリーは姉のマリアのために動きます。わざわざ離反するとなると」

 和泉がそう言って反論する。

 「脅されたということか」

 「そう考えられます」

 「指名手配をかけてみるか?」

 「事を荒立てたくないわ。捜索要請を警察庁に通達する。未成年だから容姿実名は非公表の方向で」

 稲垣の指示が飛ぶ。

 「マリアのもとに警護の人員を送ります」

 「わかった」

 江崎の提案を承認して武田は思案を始めた。


     *************


 潮風が頬を撫でる。

 夜の帳が落ちて海の水面はピアノ塗のようになめらかで工場や港の灯を反射していた。

 「〈待っていたよ、『マルタ』〉」

 「〈その名前で呼ばないで!〉」

 鋭い視線と強い棘を載せた言葉でエミリーは距離を取ろうとする。

 彼女の背には大きなハードケースがある。中にはドラグノフが一丁。

 「〈そうか。そうだった〉」

 おどけた口調で詫びる。

 「〈これで、お姉ちゃんに手を出さないって約束できるのね?〉」

 「〈ああ。僕は“嘘を吐かない”からね〉」

 「〈それならいいわ〉」

 エミリーの胸中には小さな覚悟が結実していた。

小辞典


タウルス PT92

ブラジルのタウルス社製の自動拳銃。

ベレッタの初期型M92を基にコックアンドロックとデコックを選択できるUSPのような設計となっている。

本家のM92Fに比べて優位な点もあるためアメリカでは後発のコピーともいえるこちらを購入する人も相当多い。


P229

SIG社製の自動拳銃。

P226のコンパクトモデルであるP228の部品を強化したモデル。

アメリカでは法執行機関向けとしてかなりの数が配備されている。


トカジプト

ハンガリーにてエジプト向けにトカレフを基に開発された自動拳銃。

9ミリパラべラム弾を使用しセーフティーを追加、グリップ形状も変更した。

しかしエジプト軍は採用せず、市販されました


来月の更新は現在未定です。

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