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イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁・庶務十三課―  作者: 北方宗一
第四章 アーティラリーズ・ファントム
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刃こぼれた剣 その2

 レオン・マクドネルは都内の地図を見ながら歩いていた。

 東京は新陳代謝が比較的激しい都市だ。古い建物は地震であっけなく倒壊する危険があるためか一部を除いて保存されることはない。少し前の地図すら役に立つかわからないとは友人の言葉だった。

 都市全体の無計画な発展がどこか妙な雰囲気を孕む東京で、男は仕事の準備をしていた。

 「〈ビル風が激しいな〉」

 狙撃失敗の最大の要因は気流の読み間違えだ。風や上昇気流が弾道に影響を与え、目標に命中しなくなる。その日の気温、湿度、日照、気圧配置を理解して逆算的に照準を決める。そのためにはより単純なアングルが望ましいが、東京ほどの大都市となると、そんな理想的アングルはそうない。遮蔽物が多いためか、数十メートル程度の距離でないと戦えない。しかも、テナントの空いたビルかホテルで狙撃の配置に適した場所はさらに絞られる。

 「〈ここか〉」

 雑居ビルの一つに目をつける。シミだらけの階段を歩くと、空いた部屋があった。

 部屋には電話番号の書かれた張り紙がされている。寂れきったぼろビルの警備システムは粗末で、警報機すら存在しなかった。どうもテナントとしての重要度は低いようで、鍵も単純明快な古いものが一つ。周囲に他のテナントもない。

 鍵をピッキングで開けると中に入る。

 窓は大きく開く。目立たず、台さえあれば容易に最適のアングルになる。

 「〈タダで借りるか〉」

 プリペイド携帯電話を手に取り仲間の電話番号を入力する。

 「〈スタンリー、台を持ってきてくれ。狙撃ポイントを決定した。これから場所を言う〉」


 眼鏡をかけた優男風で茶髪の白人――スタンリー・デュラントは中古のホンダ・エリュシオンに組み立て式の台を載せてビルの前に乗り付けた。

 スライドドアを開け、台の資材を肩に抱え、工具箱を右手に持ってビルに入る。

 「〈エレベーターは……〉」

 古いシンドラー製のエレベーターを探し出すとそれに乗って、行くべき階を目指す。

 小さなベルの音の後、ドアが開くと指定された部屋を見つける。

 周囲に部屋には何も入っていないらしい。

 「〈オーダーの品だ〉」

 資材を降ろし言う。

 「〈ありがとう〉」

 「〈どういたしまして〉」

 返すころにはレオンは各部を並べて組み立てを思案し始める。

 「〈早く組み立てよう。時間が惜しい〉」

 スタンリーは工具箱からバッテリー式電動スクリューを取りだして言った。


     *************


 「〈これより総員に『微風(ヴェーツェル)』を渡す。必要なら躊躇なく撃て〉」

 ズヴャーギンはそう言って箱を開けて手渡す。

 それは微風というには物騒なものだった。拳銃。旧ソ連で1980年代に設計開発された減音器不要の消音拳銃、PSSとMSPという暗殺拳銃だった。

 これらの銃は使用する弾薬が独自なために使用すると使用者が割れかねない特殊な銃である。だからこそ今までは世界中で売られている一般的な銃器に減音器を着けて使用してきた。

 PSSもMSPも、銃としては特殊な点は少ない。だが使用する弾薬が非常に特殊だった。これらの銃は火薬の燃焼で生じたガスによって薬莢内のピストンを前進させることによって弾丸を弾き出すのだ。弾速は亜音速で、燃焼ガスは薬莢内にとどまるために銃声はせず、銃の動作の音だけがする。

 「〈もうなりふり構ってはいられない。銃撃戦を現地警察に目撃された場合、問答無用で射殺しろ。彼らの死で大虐殺を防ぐことができる〉」

 「〈了解〉」

 全員がスーツの内ポケットに拳銃をしまう。

 「〈『歌』をうたわずに済むように、各員努力してくれ〉」

 『〈了解!〉』

 応答するとそれぞれが散り散りになって代々木の大使館から立ち去った。


 最近怪しい動きの多いボドリャギン一等書記官の動きを追っていたミンコフスキーは、どういうわけか文京区の喫茶店にいた。監視のつもりだったが、向こうが気付いてしまったのでしれっと混ざってみたのだ。

 「〈日本ではカフェイン抜きのコーヒーはないから気を付けるんだぞ〉」

 「〈教えてくれて、ありがとうございます〉」

 「〈ここはパンケーキがおいしいんだ〉」

 そう言ってボドリャギンはメニューを開いて見せてくる。

 「〈昔から通ってるんですか?〉」

 「〈ああ。赴任して少ししてから、週に4回程度な〉」

 「ご注文は?」

 眼鏡をかけた喫茶店の主人がやさしい声色で問いかけてきた。

 「ぶれんどこーひートほっとけーきヲ、ヒトツ」

 「めろん、くりぃむ、そーだ」

 「はい。かしこまりました」

 愛想のいい主人はそういって厨房に戻っていく。

 「〈ここはボルシチもおいしいんだ。本式とは違うが〉」

 「〈そうですか〉」

 何とも他愛のない会話。

 「〈そういえば、どこの出身なんですか?〉」

 「〈どこ、か。レニングラードだよ〉」

 「〈サンクトペテルブルグですか〉」

 「〈今ではそういう名になったのだったな。私はピオネールから、そこの市党委員会にいたのさ。頑張って外交官になってアメリカ大使館在任中にソ連邦が崩壊した。それ以降、閑職に回され続けたよ〉」

 水を飲むと話を続ける。

 「〈ソ連のころが懐かしいよ。まだソ連が残っていたら、今頃あの大使の椅子に私は座っていたはずなのだがね。あの若造が〉」

 愚痴るボドリャギンをよそに、ミンコフスキーはおぼろげな幼きソ連時代の記憶を穿り出そうとしていた。

 考えても見れば、ソ連解体の原因である8月クーデターの時、自分は小学2年生だったはずだ。それ以降政治制度は党主導から政府主導に切り替わり、選挙権を得たころにはソ連の影響などというものはキレイに消えていたのだ。

 「〈最近は、ソ連回帰派の動きも盛んだからね。この間の警察署爆破事件やアムール州の大爆発だってそうさ〉」

 アムール州の大爆発。その発言に妙な違和感があった。

 アムール州のあの爆発は国家機密として軍と情報機関以外知りえないはずだ。この男の来歴には情報機関とのつながりを示すものはない。

 ボドリャギンが、自分が追っている敵であるのと知ったのと同時に、注文した品が到着した。

 流れる冷や汗がバレてないか気になった。

 甘ったるいはずのメロンクリームソーダがエスプレッソ以上に濃く抽出されたコーヒーのように苦く思えた。


     *************


 「これより、地球連合軍アジト捜索を開始する」

 厚労省麻薬取締部は地球連合軍のアジトの捜索を始めるところだった。

 アルファードハイブリッドの中で男たちはM85を確認する。

 アジトは群馬県安中市内のアパートの一室だった。周辺住民が怪しいボンベを持ち込んでいるところやビニール、そして覆いを付けた鉢植えを持ち込んでいるところを目撃していた。異臭騒ぎも頻発している。しかも怪しいのは引っ越したらしい形跡がないということだった。家財道具が運び込まれた形跡がないという。

 「失礼」

 ドアをノックして中にいるか確認する。

 「あぁ?」

 中からは灰色のスウェットを着て目にクマをこしらえていた小汚い男がいた。

 部屋の中からは微かに甘ったるい香りがする。

 「厚生労働省麻薬取締部です。この部屋で大麻を育てているという通報がありましたので家宅捜索に入らせていただきます」

 勢いよく捜索差押許可(ガサ)状を広げる。

 「!?」

 急いでドアを閉めようとしたが即座に脚を挟み込んで脚力で広げる。

 全員が一斉に雪崩れ込み、証拠の隠滅がされる前に男を取り押さえる。

 こざっぱりとした、家具も電化製品もない、生活感のない部屋。押入れをと風呂場を開けてみるとむわっと甘ったるい匂いが襲ってくる。そこには青々とした麻畑が広がっていた。二酸化炭素ボンベに煌々と照る照明。黒いビニールは二十四時間光を放つ照明を隠すためだ。根本には水耕栽培キット。見る限り個々の大麻はスーパーフェミナイズド、つまり雌株発芽率が99パーセント以上の種子であることがわかる。

 「『ロボロフスキーの魔術』か」

 市場に流通するフェミナイズド・シード――雌株発芽率を上げた種子には雌株発芽率100%を謳うものがあるが、大抵は一種のハッタリでしかない。だが、もともと農学博士として品種改良を専攻していたロボロフスキーはソ連科学アカデミー時代からの長年の交配研究でそれを実現して見せた。ソ連崩壊後流通したこれを世界中の大麻愛好家がマジック・オブ・ロボロフスキー、つまりはロボロフスキーの魔術と呼ぶようになった。大麻愛好家にとって未授精の雌株の花穂は精神作用成分であるテトラ()ヒドロ()カンナビノール()を最も多く含有するシンセミア・バッズと呼ばれる部位であり、マグロでいう大トロのような高級部位として取引されるのだ。

 「何億になりそうだ?」

 ズラリと並んだ大麻の株を見た取締官が問う。

 「この規模なら、せいぜい末端数千万行くかどうか」

 「だとすると、もっとデカい畑がある可能性が?」

 「ああ。締め上げれば口から垂れ流すだろ」

 「見つけました!!ハシシとオイルです」

 引き出しを調べていた取締官の一人が叫ぶ。

 一般的に想像される大麻はタバコのように草体を乾燥させた乾燥大麻マリファナである。だが、他にも樹液を圧縮し樹脂化した大麻樹脂ハシシ、乾燥大麻や大麻樹脂からTHCをアルコールやブタンなど有機溶剤で抽出した液体大麻ハシシオイルがある。彼が持っていたのは一般的には想像しにくい二つだったのだ。

 「ボング!ありました!!」

 吸入器であるボング――水パイプも発見された。

 「15時44分。大麻取締法違反で逮捕」

 手錠で両手を固定した。


     *************


 山本との会話から二日。土曜になり小牧の射撃場にいた。

 「これが新制式小銃のSCARだ。今回の射撃訓練ではマガジン4箱100発を撃ってもらう」

 「わかりました」

 マグポーチとダンプポーチの付いたチェストリグを服の上から着込み、ストックの長さを調整する。

 リアサイトの高さを調節すると構えてターゲットを見据える。

 一旦構えの姿勢を崩すと25発入った30発用マガジンを挿し込みチャージングハンドルを引く。

 再度しっかりと左手をマガジンハウジングに添えて構えなおすと、セレクターをセーフティから45度傾けて単射に切り替え静かに引き金を引く。

 鋭い反動とともに超音速で放たれた5.56ミリ弾は的のピクトグラムのほぼ中心に命中する。

 確認するかしないかで再度撃つ。若干中心に近づく。

 神山にとって5.56ミリ弾はそこまで撃たない弾だ。長らくP90に慣れ親しんできたためか、5.56ミリ弾の反動には少し驚かされる。無論、制御できる程度の反動ではあるが。

 マガジンの最後の一発を撃つと、マガジンリリースボタンを押してマガジンをダンプポーチに落とす。

 新しいマガジンを挿し、チャージングハンドルを引いてボルトを閉鎖する。

 よくよく考えてみるとこの銃もP90と同じくFN社の銃だ。操作系はM16に準ずるが、FNらしい先進性と堅実さが見える。無理のない小角度セレクター。チャージングハンドルは右と左で交換でき、レールも多い。調整も折り曲げもできる銃床は様々なニーズにこたえることができるし、アメリカ軍やベルギー軍などにも納入され運用されているから信頼性も折り紙つき。

 二つ目のマガジンも空にすると、三つ目を挿す。ここでボルトリリースボタンがあることに気が付いた。親指で押すと勢いよくボルトが閉鎖される。

 セレクターを連射に切り替えると再度撃ち始める。指切りで3、4発の連射を間欠的に行う。89式より発射レートが少し遅くなったようだ。少し扱いやすくなったかもしれない。ホールドオープンするとマガジンを交換し再度撃ち始める。

 だが、反動の特性が少し変わっている。ハイダーの形状の違いがこうも変えるのだろうか。

 「どうだ?」

 「扱いやすくて良い銃だと思います。今までのマガジンも使えますし。まあ、最近はあのマガジンを使えない方が珍しいですが」

 「霧谷、どうだった?」

 少し遅れて霧谷が来る。

 「左手が痛い」

 見せてきた掌は紅白の縞模様が出来ていた。

 どうもレイルハンドガードを握って撃ったらしい。

 「やはりか。アクセサリも持ってくるべきだったな」

 はぁ〜、はぁ〜、と手を揉みながら息を吹きかける美里を見て茅ヶ崎は後悔する。

 「すまないな」

 SCARをガンケースに仕舞うと、茅ヶ崎の携帯が鳴る。

 「どうした?」

 携帯の告げた内容に、茅ヶ崎の表情は固まる。

 「それは本当か!?……わかった。別命あるまで尾行を続行。外一、外三、公総と監視しろ」

 「なに?」

 どこか困惑した表情を美里は浮かべる。

 「想像以上にロシアは本気らしい。代々木の大使館から普段以上に人が出ている」

 「それって……!」

 「対外情報庁の可能性がある。いま、尾行をつけているが、そう簡単に尻尾は見せないだろう」

 「そうですか」

 「麻薬取締部からも人員の応援要請が出た。今度の作戦では強襲一班についてもらう予定だ」

 間髪入れずに来たメールを一瞥した茅ヶ崎が間髪入れずに言う。

 「作戦日程は?」

 「週末を予定している。十分な調査が必要でな」

 「わかりました」

 茅ヶ崎が射撃場から退出するのと同時に、神山は銃をしまいに行くのだった。


     *************


 レオンは測距装置の結果を見て自分の使う銃のデータをiPadで照らし合わせていた。

 距離、角度、湿度、風向き、弾速、弾体質量、弾頭形状、減音器の有無。これらすべてが弾道を決める。さらに言えば、スコープの照準中心と対象のズレもこれで分かる。

 「〈なるほど。そうか〉」

 再度測距装置を構える。作戦で使う銃と同じGFRP製ストックにレーザー式の測距装置を組み込み、実際に使う銃と同じ距離でゼロインしたそれは、パッと見はライフルと変わらない。

 このビルは古いためか、周囲のテナントも数が少なく、こちらには無関心を決め込んでいるようだ。

 いろいろ調べてみると、上の階はよくわからない事務所、下の階はもう少し清潔そうな事務所があった。

 特に上の階の事務所は怒号が聞こえることがある。

 どうもヤクザがいるみたいだ。キタノ・フィルムそのままだ。

 ライフル型測距装置をしまう。この窓から見えるアングルは研究し尽くした。

 この作戦の保険を考えよう。

 この街は路地が多い。うまく隠れれば容易に戦える。

 「〈サブウェポンは、準備しておくか〉」

 もしものことを考えると、ぬかりなく準備はしておくべきであろう。だが、目立ってはいけない。

 この街は、一週間もしない間に戦場になる。

 その間に、何ができるか。

 日本国、内閣の黒い噂。

 「〈さて。テロリスト狩りだ〉」

 眼下の街を見て言った。


     *************


 ミンコフスキーは公園で待ち合わせしていた。

 ボドリャギンの動きをどうにかして追わねばならない。だが、顔は割れているし日本では目立ちすぎる。そこで一計を案じたのだ。

 ホームレスに近づき、高額の報酬で仕事を請け負わせたのだ。

 片言の日本語でもどうにかなったのが奇跡だった。

 カメラとスーツを与え、身体を清潔にし、髪型を整えさせてコンパクトデジカメを持たせ、日本中にいる一般市民に仕立て上げ、ボドリャギンを遠巻きに尾行するように要請したのだ。写真を毎日、特定の時間に撮らせ、カメラ内蔵のGPSで場所を探る。

 ボドリャギンのしっぽをもうすぐ掴めそうだった。

 見慣れた顔が現れる。雇った男だ。周囲を確認するとデジカメを手渡される。

 「これで、いいんか?」

 撮った写真を確認する。ボドリャギンが工場に入った写真。

 「コレデ、イイ」

 「よかったぁ。オッカネェあんちゃんばかりいるんだもん」

 「オッカネェ?アンチャン?」

 「いやよぉ。すっげぇガタイのいい男ばかりいるんだよ。こっち睨んでたりして」

 ホームレスはいかり肩を真似るような仕草をする。

 「〈!!ちっ!しくじったか!〉」

 「おい、兄ちゃん?どうしたんだい?」

 次の瞬間、銃声とともにホームレスは倒れる。

 ミンコフスキーは荷物をひっつかんで急いで走り出す。

 曳光弾が肩のすぐそばをすり抜ける。

 スーツの下のPSSを手に取り公園を出る。釣られて出てきた何人かのうちの一人にPSSを撃つ。ガシュンガシュンと、銃声とはかけ離れた音とともに弾丸が放たれる。

 銃撃で怯んだのを確認すると、ミンコフスキーは青信号の横断歩道を駆けて渡り、タクシーの目の前に飛び出して止める。

 「アンタ!何してんの!!」

 「Hurry Up!!」

 札束を叩き付けるとタクシーは急発進した。


 「〈チッ。取り逃がした!!〉」

 『ニェーメツ』の指示で動いていた『アインヘリヤル』のハーロルト・ドルニエは毒づく。

 「〈どうだ?〉」

 エーミール・ブロホヴィッツが訊ねる。

 「〈あの男、特殊拳銃だ〉」

 ウルリヒ・ガイストが指摘する。

 「〈機関か〉」

 ブロホヴィッツが呟く。

 「〈だな〉」

 ドルニエは倒れた死体を見つめる。

 「〈撤収するぞ〉」

 『〈了解〉』

 ブロホヴィッツの号令に、全員が呼応した。


     *************


 公園には背広の男やスーツの女がうろついていた。

 全員の胸元にはS1S mpdの金文字が模られた赤いピンバッヂをつけていた。

 「朝一に殺しの現場か。しかも銃殺と来てる」

 警視庁本庁捜査一課の足立淳は現場を見てすさまじさを感じていた。

 「ライフルで急所を狙われています。この公園は幹線道路にそこそこ近いものの、明かりが切れかけで暗いので暗視装置を使った可能性があります」

 「暗視装置?そんなもん使った奴らがいるっていうのか?」

 「それとこれ」

 「ライフルの薬莢?」

 ジッパー付きの小さいビニール袋には薬莢が入っていた。

 「いえ。始めてみるタイプです」

 「中空じゃない!?」

 ネックを見るとそこには何かが詰まっていた。

 「すまないが混ぜてくれないか?」

 背後から男の声が聞こえた。

 「何もんだ!?」

 振り向きざまに咄嗟に問う。

 「公安だ」

 高く掲げた身分証。PSIA・SIDの文字に七角形の旭日章と翼を広げた鷹が光る。

 「なんだって公調の特捜部なんかが」

 足立は見るからに不愉快な表情をする。

 「すまないな。怪しい事件には自分から首突っ込んでくスタンスなんだ」

 「ちっ。面倒な奴らめ」

 「すまないな」

 現場を見ていると袋に今まさに入れられ、ジッパーが閉じられようとしている死体があった。

 「このおっさんは?」

 「遺留品は腕時計とプリペイド携帯一本だけ。財布にはクレジットカードやキャッシュカードどころか身分証もなし。時計はそれっぽい量販品」

 「とられたのか?」

 「いや。ハンカチも、定期も、名刺も、その他もろもろの些細なものもない。カバンの中身も空だ。チリ一つ無い」

 「なんだそりゃ?」

 「見てくれだけサラリーマンってこと」

 どこか投げやりな鑑識の態度に、迷宮入りという言葉を確信した真田は、足立の持っているビニール袋をひったくる。

 「変な薬莢だな。(ふた)がされてやがる」

 「薬莢にふた!?本当か?」

 「ああ。ほれ」

 渡された薬莢を見ると蓮池の表情はみるみる変わる。

 「どうした?」

 「……ヤバいぞ。外事一課を呼べ!」

 血相を変えた蓮池は叫ぶ。

 「何言ってやがる!!これはコロシだ!!ハムのソトゴトが突っ込むネタじゃない!」

 今になっても縄張りを語る足立の襟を握り締め上げると蓮池は睨みつける。

 「バカ言え!この薬莢の弾使う組織は世界でもほとんどないんだ!!どこかわかるか!?旧ソ連のKGBだ!分からず屋!!国内への流入も確認されていない!なら、これは外事案件だ!バカ野郎!!」

 思いっ切り揺さぶり、拳を緩め叩き付けるかのごとく突き放すと蓮池はランエボへと戻るのだった。


     *************


 パソコンの前で堀は驚いていた。

 外務省IASから得られた大量の資料は一つ一つ目を通すのが大変だった。ロシア語や英語の資料が原文のまま訳されずにあるものも多く、堀が驚いていた資料もそのような物の中の一つだった。

 資料の内容はロシアの治安当局が発行している犯罪統計や今後の懸念をまとめた報告書。当たり障りのない内容の中で、今後の懸念の項目中でも意外な大きさで扱っているものがあった。

 新興宗教。イスティニィ・ミエァ。『真の世界』という意味になるそれは人々に終末論を植え付け、社会不安を煽り、それを根拠に政府転覆を狙っているとされた。

 「まるでオウムね」

 手法はまさしくオウム真理教そのもの。オウムは確かロシアでもかなりの信者を獲得していたはずだ。だが、地下鉄サリン事件以降にロシアのオウムも現地当局によって解体されたはずだ。

 「なるほど。プーチン政権による締め付けに対抗しようと武装化を推し進めたわけね」

 資料をめくっていくと一つの写真に行き当たった。

 「これって……」

 白い髪の少女。この前見た画像だ。

 「代わり映えしないわね」

 教団の象徴。崇拝対象たる偶像である謎の少女。12歳前後のその容姿。

 彼女は何故教団に祀り上げられたのだろう。

 「けど、本当にきれいな娘」

 神秘さにとりつかれそうな美しさがある。

 「テロリストねぇ。誰が裏にいるんだろ」

 しばしの間考え込んだ後、ふと妙案が浮かんだ。本来は我々だってそう簡単にやってはいけない禁忌。だがこれが一番、絶対うまくいく。


 『あんた、何よそのカッコ?なんでコスプレしてるの!』

 画面には額にしわを寄せた堀さんがいた。

 珍しくスカイプが着信したと思ったら、これまた珍しい人がかけてきていた。

 「何よって?コスプレってわかるんですねぇ〜」

 『そういうものは雰囲気で分かるのよ!そうじゃなくて』

 「まどマギのほむらちゃんですが?なにか?」

 『そうじゃないって言ってんのが聞こえない?』

 ニヤニヤしていると元レディースの堀さんはすごい形相になっていく。

 「この街はですね、最近コスプレで街おこしなんて考えてるみたいなんですよ。だからコスプレ大会参加の前段階としてためしにコスチュームを選んで着てみてるんですよ」

 そう言いつつもう作業は始まっている。既に複数のサーバーと個人パソコンを経由し、IPを偽造し終えるとクラウドコンピューティングの要領で目的のサーバーのセキュリティを読み取っていく。

 『……わけわかんない。まあ、仕事は早くしてね。バレずに素早く確実に。合衆国国防総省(ペンタゴン)防衛情報網(SIPRNet)のICBM管理システムよりは簡単でしょ』

 「言いますねぇ。まあ、昔言っちゃったことですしね。でも、ロシアの情報機関なんかの鯖なんか調べてなにしたいんですか?」

 赤縁メガネの向こうでサーバーのプロテクトが剥がれていく。

 『まあ、ちょっとしたことよ』

 「ちょっとしたことでそんなとこ探しませんよ」

 セキュリティの第一関門が突破される。

 これから更なるセキュリティを突破しなければならない。

 「ロシアの鯖も最近は厳しいですねぇ。でも!」

 キーボードを素早くたたく。

 少しのコマンドで一瞬のうちに複数のコマンドが実行される。

 「第二関門突破!」

 セキュリティと言うのはある意味想像とは違って、完全に外部から入ろうとする者には厳しく、内部のからのアクセスは簡単にできるようになっている。

 なら、自分の存在を内部の人間に偽装すればいい。

 外部向け関門さえ突破できれば、あとは任意の人物のコードを利用してアクセスしてしまうのだ。

 何故それができるのかと思う人もいるかもしれない。機密だらけのサーバーを何故侵入の危険のあるインターネットに置くのか。

 理由はアクセス者という存在である。各国大使館付きの諜報員や駐在武官などがアクセスできるようにするには、その国までの回線が必要だ。だが、ここで迂闊に電波を使うと象の檻などの通信傍受施設によって読まれてしまうかもしれない。なら、セキュリティを厳重にしたサーバーにアクセスできるようにして民間も使っているインターネットを使った方が安全だし安上がりだ。木を隠すなら森の中。毎日、数えられない量の情報が流れていると、それこそ砂場で砂金の一粒と同じだ。アメリカなどのエシュロンはネット回線の情報全てを吸い上げているが、ここで重要情報を手に入れるのも大変だ。キーワードだけでピックアップするのも重要情報から怪談話まで玉石混合。それ故に、送っている情報ではなくサーバー上の情報を探るのだ。在り処さえ分かれば、こっちのものだ。

 「ふっふっふっ。付け焼刃なセキュリティは意味ないですよぉ」

 さらに複数のコマンドを撃ちこむと、あっけなくロシアの情報当局の統合サーバーの中に入ることができた。仮想マシンでFSB内のパソコンの一台のセキュリティ・ホールをバックドアにして侵入すると、それの非視覚化領域で作業を始める。

 履歴を調べるとあっけなく暗証番号が判明する。キーを利用し内部情報にアクセスする。

「で、これのうちどれを手に入れればいいんですか?」

 ずらっと並ぶファイルは数えきれない。

 『携帯で送った文字列のあるファイルよ』

 スマートフォンがメールの着信を告げる。

 メールを開封するとその文面に呆気にとられた。

 「……げぇ!ロシア語のアルファベットじゃないですか!!入力めんどくさっ!!せめてPCメールかチャットで送ってくださいよぉ……」

 『頼むわ』

 「わかりましたよぉ……。ええと、イー、……エス、……ティー、……イー……」

  キリル文字をカナ入力で打ちこみ検索をかける。

 「ええい!これで!!」

 ピックアップしたファイルをコピーし終えると急いで手を引く。突破の形跡を残さないように操作した履歴を全く違うファイルで何度か上書きし、パソコンの履歴もきれいさっぱり削除した。

 『ありがとう。久々にスパイっぽいことしたわね』

 「ですね。もうこりごりですよ」

 溜息を吐くと椅子の背もたれにもたれかかる。

 『暇つぶしでアメリカ軍のイージス艦のハッキングしてるのに?』

 「!?」

 『あ、ほんとだったの?』

 「カマ掛けたんですか!?」

 つい身を乗り出してしまう。

 『いやぁ、メンゴメンゴ』

 冗談のように頭を掻いているが、冗談じゃない。

 「ばれたらこの責任、堀さんが取ってくださいよね!」

 『さあ?どうしましょ』

 そう言って一方的にスカイプを切断して堀さんは逃亡する。

 「……ちくしょー!!」

 一人ぼっちの部屋で叫んだ。


     *************


 『ルーミニー』はパソコンのディスプレイ上の地図を見ていた。

 娘たちの居場所を見つけ出すのは大変だった。だが、闇社会の住人というのはどうも変な情報を集めたがるようだ。欧州の情報通を何人か当たれば動向を探る手がかりは見つかった。今は中国の商人をパトロンにして日本にいるという。

 日本に来た理由。それは雛から若鳥になったであろう娘たちを回収すること。

 日本の国内で所在を調べるのはまた大変であったが、これもまた、どこからか漏れ伝わるところで、どうも名古屋近辺であることがわかった。日本のヤクザは彼女の戦力化を目論んだものの、それに失敗したとか、韓国の情報機関が殺害を目論み反撃で全滅したとか。

 これをさらに闇市場の名簿などを利用すれば彼女らの位置はすぐわかる。

 「〈まだまだ甘いな〉」

 彼女らには身を隠す術を教える前に離別してしまった。

 「〈再教育しなければな〉」

 そう言って電源を落とすと、その場から立ち去った。

小辞典


PSS

ソビエト連邦で設計された暗殺用静音拳銃。

単純なブローバック式拳銃だが、使用弾薬が専用の静音弾である。

この静音弾はガス圧で弾丸を押し出すもののその後は薬莢にふたをしてガスを閉じ込め超音速で噴射されるガスが原因の銃声がしないよう配慮されている。

過去はKGBが使用したが現在でもその流れをくむ組織が採用、使用している。


MSP

PSSと同じ静音拳銃。

こちらは自動拳銃ではなくデリンジャーのようなペパーボックスタイプの拳銃。

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