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3rd mission 狙撃要撃

不審船事件発生

その時彼らは……

 『今日、午前六時の海上保安庁発表によりますと、不審船は巡視船に対して発砲、巡視船が応戦したということです。……』

 やたらめったら物騒なニュースである。NHKのアナウンサーの落ち着き払った態度とは裏腹に、日本海では大事が起こっている。大分前にも同じような事件があったな。あのときは自沈して、そのあと政府がサルベージされたんだっけ。

 『現在、日本海の赤く示された御覧の海域が侵入禁止となっております。……』

 テレビの画面は大分広い範囲が封鎖されることを物語っている。

 「いやねぇ、今度は北朝鮮なんて」

 母は顔をしかめる。

 「工作員でも潜り込ませてたんだろ。北朝鮮とは国交ないから、工作員を外交官に偽装することもできないし」

 生卵を炊き立てのご飯に落とし、醤油をかけて混ぜながら、脳内の情報を整理する。

 基本的に各国の対外工作員は現地調達以外では外交官としての身分が与えられていることが多い。こうすることによって、外交官特権、なかでも不逮捕特権が利用できる。いくら警察ががんばって逮捕できても元も子もない。しかし、大きすぎる活動をすれば当然被害を被った国は黙るはずもなく、当該国の外交官を《好ましからざる人物ペルソナ・ノン・グラータ》として入国拒否をするだろうし、国交の断絶を行うこともできる。外交官は両国で外交官として認められない限り外交官ではないのだ。しかし日本と国交のない北朝鮮は諜報や工作をするには密入国や偽装旅券で工作員を入国させざるを得ず、一人の工作員の投入や回収のためにこんな大作戦をせざるを得ない現状がある。

 ここ3~4年の間、不審船や周辺国舟艇(しゅうてい)による領海侵犯が増えたと軍事雑誌で特集を組んでいたことがあった。ちょうど政権交代が行われた時期である三年前を前後して特に増え始めたとのこと。現在の政権党である民主主義革新連合(通称:民革連)は、社会人民党(通称:社人党)の閣外協力を得るために、それまで長期間政権党を担ってきた日本自由民権党(通称:自民党)よりも対東アジア外交戦略において『友好的外交』を進めるという報道が目立った。こちらが態度を軟化させることによって相手の態度を軟化させようといった戦略である。しかしその実態は東アジアの国に対しての態度を甘くし、結果として領域侵犯事例が増えるだけの可能性が極めて高いという論文が保守系の政治雑誌や軍事関係の雑誌には載っていた。そして実際には反日デモは減らず、領域侵犯事例が増えた。つまり後者が現実となったわけだ。

 さてテレビに目をもう一度向けると……

 「過去に発生した事件を振り返ってみましょう。今回のような事例は過去に1999年から2003年に集中して起きていました。最大の物は2002年の四月二十日に発生した佐渡島沖不審船事件です。この事件では海上自衛隊に史上二回目の海上警備行動が発令された事件で、航空自衛隊の支援戦闘機が出る事態にもなりました」

 そう佐渡島沖は本当にすごかった。大分小さいころだがよく覚えている。自衛隊の護衛艦が日本海を封鎖した事件だ。

 するとアナウンサーの許にスタッフが駈け込んで原稿を渡した。

 『えぇ……、ただいま入りました情報によりますと、第八管区海上保安本部は不審船の追跡を打ち切ることを決定しました。繰り返します、……』

 「え、なんだって!」

 自分の耳が信じられない。領海侵犯船をみすみす取り逃がすというのだ。


      *************


 「これより対不審船作戦の最終状況説明を開始する」

 航空自衛隊小松基地。ここに日本の『秘密警察』の部隊が詰めていた。

 「政府は〇七〇〇マル・ナナ・マル・マルに与党、民革連と社人党の要請で不審船の追跡打ち切りを決定した。よって我々の任務は不審船の船員を生きて本国に返さないことだ。指揮官レベルの人間は拘束(こうそく)する」

 部隊の隊長は淡々と説明する。

 「撃つことに躊躇する必要はない。相手はこの国に『侵攻』した。その付けをたっぷり返すことが我々の任務だ」

 さらに今度は日本海沿岸の地図を指す。十一ケタの番号と三ケタのアルファベットが赤や黄色の点のそばに記されていて、同じ色の点と点は同じ色の線で結ばれている。

 「これまでの事件のデータを含めてどのようなコースを通るかシミュレートしてみた結果、今逃走している経路とほぼ同じ経路をたどっていることが分かった。今後もほぼシミュレートどおり進むと思われる。今から三十分以内なら防空識別圏を出る前に確実に間に合うはずだ。なお、必要となれば『別の任務』を行っている海上自衛隊の護衛艦に時間稼ぎに協力してもらうことになっている。質問はないか?」

 その場にいた全員はまったく挙手しない。

 「わかった。箕輪(みのわ)、露払いを頼む。総員ヘリに搭乗。作戦開始」

 号令とともに隊員たちは席を立ち、自分の持ち場が使う武器を手に取り、暖機運転を始めたヘリへと向かった。


      *************


 箕輪は自分の持っている武器を抱きかかえながら、手順を確認していた。入間基地に集合するよう命令があってから十二時間以上経つ。入間からヘリを飛ばし小松でブリーフィングを行うのは純粋に現場にいちばん近い自衛隊基地がそこだからだ。ヘリの内部はそれ相応の騒音がする。全員がヘッドセットをしないとしゃべれないが、彼の乗るヘリは彼以外にはヘリパイとコパイぐらいしかいなかった。

 『もうそろそろ見えてきます』

 ヘリパイの言葉に箕輪は気を引き締める。

 不審船は肉眼では胡麻(ごま)粒大にしか見えない。だが遠距離狙撃用の望遠スコープを通せば大分はっきり見えるサイズにまで拡大される。大体距離にして2.5キロほどであろう。

 目に映る不審船はまさしく北朝鮮の工作船のセオリーに(のっと)った形状をしていた。一応漁具はあるものの、鋭い船首を持ち船上には無数のアンテナが存在する。著しい前傾姿勢をとっていることも判断材料だ。そして船尾に大きな扉を確認できる。

 すると工作船の上から細く白い糸状の物が伸びているのが見えた。

 「SAMだ!緊急回避しろ!」

 ヘリパイに怒鳴る。

 不審船に見つかったのだ。ヘリは搭載しているフレアを投射しながら最高速度で離脱する。どうもミサイルはフレアに食いついてくれたらしい。はるか遠くで爆発した。

 「急いで距離を二キロまで詰めてくれ!」

 ヘリパイは注文通りにヘリを近づける。

 『これぐらいだ!』

 「このまま高度と工作船との相対位置を維持しろ」

 『早くしろよ。ミサイルに落とされたくない』

 箕輪は肺にたまっている空気をすべて吐き出して、武器―Barret(バレット)M95を構える。

 スコープで見ると、先ほどミサイルを撃ったらしい工作員は二射目のために携帯SAM・9K32(ストレラ2)の発射筒に弾を込めている。二射目の準備が完了したらしく、構えてこちらを向くか向かないかの刹那、引き金を引き絞った。

 ズシン、と来る強烈な反動と恐ろしいほどの煙を吹きだして12.7×99ミリNATO弾が放たれる。第二射に備えてボルトを引き排莢し戻して二発目を装填する。スコープを覗き、再度照準を合わせると、工作員がいたはずの場所は炎に包まれていた。箕輪自身、さすがRaufoss(ラゥフォス) Mk(マーク)211徹甲炸裂焼夷弾だと思った。工作員はミサイルも含め跡形もない。

 念のため構えたままスコープで船上をなめるようにして見ると、対空機関銃座を確認した。どうも使うための準備を急いでしているようで、何人かがとりついている。

 「させるかよ……」

 二発目を撃つ。碌に防弾化されていない対空機関銃座は機関部を撃ち抜かれた上に爆発し、もう二度と使えなくなってしまった。

 「狙撃1(シエラ・ワン)から全前衛(オール・ヴィクター)へ。敵対空装備の無力化に成功」

 『全前衛から狙撃1へ。了解した』

 露払いが完了したことを仲間に伝えると、一旦このヘリは退く。打って変わって仲間のヘリが前進する。


 「降下後速やかに散開。工作員は発見次第無力化せよ。ただし指揮官レベルはできれば拘束すること」

 前衛部隊が乗るヘリ内部では最終確認が行われていた。直前の確認は念には念を入れるという面からみても重要で、戦闘直前の興奮した脳を冷静にさせる効果もある。

 ヘリは工作船の直上に到達すると四本のワイヤーを垂らす。

 「降下開始!」

 一斉に隊員たちがワイヤーを使って高速降下をする。甲板の上に隊員たちが降り立つと折曲銃床型の89式小銃の畳んでいた銃床を伸ばして周囲を警戒する。

 「うぉぉおおおおおお!」

 工作員二人が絶叫しながら応戦しようと北朝鮮製のAK‐74コピーの88式小銃を持って駆け付けてくる。狙いは降下中の隊員だ。しかし彼らは先行した隊員たちの三点射撃スリー・バースト・ショットで放たれた5.56×45ミリNATO弾の餌食となり血しぶきを上げながら崩れ落ちていく。さらに三人ほど出てきて発砲するが命中弾が出る前にヘリに残った隊員の支援射撃に次々と倒されていく。

 最後にワイヤー降下した隊長は直ぐに支持を飛ばす。

 「前衛2(ヴィクター・ツー)は左舷から攻めろ。前衛1(ヴィクター・ワン)は右舷から行く。突撃!」

 隊員たちは二手に分かれて狭い甲板を駆ける。飛び出てきた工作員は手当たり次第無力化していく。

 船橋側面に到達すると、小型船特有の薄い水密扉のノブに手をかける。

 「321ッ!」

 双方の班がタイミングを合わせるカウントダウンの直後に扉を開け、フラッシュ・バンを投げ込み、炸裂した後、初めの二人がそれぞれ右と左をクリアリングし、さらに入ってくる隊員が展開する。

 応戦しようと銃に手を伸ばしていた操舵手を89式小銃で無力化し、Benelli(ベネリ)M3散弾銃を持った隊員が銃口を指揮官がいるであろう船内の一室の扉の、上のヒンジに向ける。

 「321ッ!」

 カウントダウンの直後、マスターキーを上のヒンジに1回、下のヒンジに1回、扉のノブ真横の扉の隙間に1回の順で発砲する。景気良く外れた扉めがけて隊員たちは室内へ殺到する。そこには電波妨害(ジャミング)で絶対につながらないはずの通信機を本国とつなごうと四苦八苦している工作員たちの指揮官がいた。

 「確保!」

 隊員が指揮官を拘束し、猿轡(さるぐつわ)をかませた。これで作戦の最重要部分は終わった。このあとは船内に残っている工作員を一人一人無力化し、自爆用の火薬があるかどうか確認して、自前の時限式起爆装置や爆薬を使って工作船を跡形もなく吹き飛ばすだけだ。

 「首謀者を確保。これから船内のクリアリングを行う。事後工作の準備を頼む」

 隊長はヘッドセットのマイクに吹き込んだ。

 いったん離れたヘリが戻ってくるはずだ。


      *************


 学校では不審船事件の話題で持ちきりだった。

 「何考えてるんだ、政府は?」

 まるで分らない。なぜ、捕まえることが可能だったうえに法的な処分が必要な不審船を、わざわざ取り逃がす策に出たのか。野党の自民党から民革連は袋叩きにされることぐらいどんなバカでも想像できる。

 俺の言葉に対して河合は答える。

 「さあね。どうせ北朝鮮から献金でも受け取ってるんでしょ」

 河合の言葉は普通なら信じられない内容である。しかし現与党ならやりかねない。過去、北朝鮮と親密な関係だった旧社会党―今の社人党から抜けた議員の多くが民革連の所属であり、金権政治と親中外交の代名詞である自民党旧田中派の残党も今はそのほとんどが民革連に合流している。金と『東亜友好』で動く政治家ばかりなのだからしょうがない。

 「まあ、今回のことで工作員が国内にいることが分かったんだ。それだけでも公安警察には収穫だと思うが……」

 公安警察――とくに外事課は今回の事件でいろいろ『収穫』しただろう。麻生(あそう)(いく)の小説のような作戦があったに違いない。

 「おはよう。幸太郎」

 時間ぎりぎりに神山と桐谷がついたようだ。

 「ん、ああ。おはよう。大丈夫だったか?校門。生活指導の先生が立ってたりしただろ。遅刻勧告受けなかったか」

 遅刻勧告とは遅刻者に対しての注意のことである。これを4回食らうと欠席1にカウントされるうえに早朝作業なるものに徴用される。まあ、始業45分前に着く俺には関係ないが。

 「いや、ちゃんと間に合ったよ」

 神山は、ほほ笑んで返す。

 「そうそう今朝のニュース見たか。不審船の」

 この話題は今一番ホットである。とにかく聞いてみる。

 「あれか。打ち切ったってやつ」

 「そうそう。何考えてんだか……」

 同意を求めていると教室の扉が開く。

 「さあ、朝礼始めるぞ!」

 小坂が叫ぶ。皆が散り散りになって席に着くと、小坂は開口一番に言う。

 「まあ、不審船なんて直接俺たちには関係ないさ。心配しても無駄無駄。さてそれよりもすっと重要な業務連絡がある……」

 所詮はこの程度の認識。それがこの国の『現在』を作り上げた。軍事力を持たず相手に屈服することを『正義』とし、敵に対して反抗することを『悪』とする。しかもそれが一般レベルにまで深く根付いている。そしてその解釈をミクロな出来事にまで適応する。それがいかなる結果をもたらしているか理解しようとする者は少ない。まあそんなことを考えていたら重要な要件を聞き逃しかねない。俺は小坂の言葉に耳を傾けることにした。


      *************


 昼食の最中でも不審船談義はやまない。

 「だとして、今回の件で得をしたのは北朝鮮だけ。日本は国家としての尊厳を切り売りしたってわけだ」

 幸太郎はそういうと唐揚げを頬張る。

 「まあ、今の政権与党なら何でもやるでしょうね。ちょっとでも支持率を上げたいから何かしら実績を作りたい。で、北朝鮮の不審船の追跡をやめて対北外交を進ませたかったんだろうけれど、これじゃ北が増長するだけね。こっちが損をするばかりだわ。あっ、ちょっとちょうだい」

 河合さんはそう言って幸太郎の弁当箱にあった唐揚げを横からとって頬張る。

 「おい河合。横取りはやめろよ。唐揚げ好きなんだから」

 「ふふふ、下僕が主人に意見するの?」

 河合さんからすさまじい覇気が感じられる。

 「……わかったよ。だがこれ以上とるな。煮物だけになっちまう」

 弁当箱を見るとレンコンやニンジン、ゴボウの入った煮物がある。

 「煮物嫌いなのか?」

 気になって聞いてみる。

 「そういうわけじゃないが、唐揚げは別格さ」

 「ふうん」

 幸太郎はそういうとレンコンを頬張る。

 「はむ。だけどいつにもまして大事だね。どうしてだろう?」

 おいしそうに食べていた美里はそうつぶやく。

 「今回は特に接近したし、それに銃撃までして追跡中止命令が出たんだ。普通なら拿捕(だほ)か撃沈の選択肢しかないから……。何か大きい力が働いたのか、北に(こび)売ったのか……」

 幸太郎の推理に河合さんが口を開く。

 「海上保安庁は煮え切らないでしょうね。銃撃までして追跡中止だなんて」

 河合さんの言葉にニンジンを飲み込んだ幸太郎が続ける。

 「大変だろうな。今回の事件で政府から叱られるんじゃないか、対応や取り締まりが厳しすぎるとか」


      *************


 『なぜ、追跡を中止した船を攻撃し、あまつさえ乗員を責任者一人だけを除いて全員殺すなどという行為に及んだのかね!私は『手を引け』といったのだよ!なぜ命令に従わない!』

 電話線の向こうで怒っているであろう人物の表情がありありと思い浮かべることができる。野党からの批難批判を背に受けても北朝鮮に媚を売って、結果がこのざまでは自分たちだけが痛い目を見ただけであるからだ。

 「我々は我々の正義に従っただけです。あなた方と同じように」

 『だまれ!それが一官庁の課長のセリフか!』

 それは否定できないが……。

 「ならば、貴方たちがとった行動は国家の運営者としての行動ですか?」

 この言葉にただでさえ興奮している相手は激昂する。

 『何を偉そうなことを言っているんだ!貴様のような意地汚い人間の手によって戦争は起こるんだ!』

 いきなり平和論を語りだした。いかなるものか様子を見るために“ジャブ”を撃つ。

 「お言葉ですが閣下、第二次世界大戦のヨーロッパ戦の発生要因をご存知ですか。元はと言えばフランスやイギリスの平和団体の圧力に伴う弱腰外交とされております。これはそのままあなたの外交せ『ちがう!ヒトラーがすべての原因だ!』」

 執務用の机に拳をたたきつけた音がする。私は続けて冷静に言う。

 「ヒトラーが東欧へ派兵しはじめた時に圧力を加えれば増長することはなかったという教訓が、今のNATOの戦略ドクトリンに反映されています。相手に痛い目を見せるのは重要です」

 『何を言っているんだ!NATOなんてアメリカをはじめとした西ヨーロッパの自国の利益のみを追求する列強クラブじゃないか!こんな奴等なんか戦争の原因でしかない!』

 国家の運営に自国の利益は最優先される。これは戦後日本以外の国で普通に行われた戦略である。本当にこれで東京大学と大学院を首席で出たのか。相手は畳み掛ける。

 『何はともあれ、貴様らには殺人罪と銃器の不法所持で処罰を加えてや「喉元過ぎれば熱さも忘れる」?』

 「少女買春に加え、違法のはずの外国人からの献金もマネーロンダリングをして受け入れているとか。」

 『え…なんで……』

 「『世界平和のための市民新聞』編集長でしたか?多額の献金をしているのは?資金の流れも完全につかめています。総連と民潭からさらに複数の市民団体を通しての『市民新聞』への支援金がごっそり編集長名義で貴方に流れていることも」

 『……ぁ…ぁ』

 相手は完全に言葉を失っている。足りない頭で精一杯頑張って作った裏献金ルートを完全に暴かれていたのだから。

 「判明したらすごいでしょうな。抜け道を使っていますから政治資金規正法での処罰はされないものの、世間の信頼が吹き飛ぶでしょう。服役した後、過激化した右翼に毎日命を狙われ、心身をすり減らしながら、史上最低の宰相として|惨めに死んでいく。」

 『……ヵは…はぁ…ぁ…』

 過呼吸に陥ったらしい。答えられないようだ。

 「それが嫌なら、我々の行動に一切口を挟まないでいただきたいものですな。総理大臣閣下」

 そういって受話器を置く。今回の事態は自分たちにとって初めての外国工作員殲滅作戦であった。洋上作戦のために設立された強襲二班の損失はなく、工作員は指揮官を拘束、その他は全員完全無力化され、日本海の排他的経済水域の境界線ギリギリのところで工作船もろとも十分な量のオクトーゲン高性能爆薬で爆破した。誰一人遺体としてすら発見されることはないだろうし、船の残骸も船だったと言ってわかるような壊れ方をしていないだろう。しかも,今回の作戦は極めて内密に行ったものである。決行も結果も総理大臣にすら伝えていない。考えられるのは『協力者』の存在である。決行した際に起こった侵入禁止海域解除のごたごたを利用して極秘でこちらの無線を傍受したとしか思えない。いくら閉鎖的な無線でも長距離無線はどこかで傍受されている可能性がある。それが昼過ぎの官邸に持ち込まれた。ただ当該海域の水上には船は一隻もいなかった。可能性としては工作船とランデブーの予定のあった工作船支援用の潜水艦が情報収集したのだろう。全国にある自衛隊管轄の『象の檻』からの情報によれば、作戦終了から一時間後に作戦海域から比較的近い海域で北朝鮮軍の使用する暗号パターンを含んだ怪電波の送信が確認されたという。大体は総連と本国向けの通信であろう。そこまでわかれば十分だ。これ以上は自分たちではどうしようもない。総連には本庁の奴らが出張っているし、ここで動けば存在がばれてしまう。

 今度は受話器を取ると工作員の指揮官を尋問をしている武田につないだ。

 「武田、指揮官から何か聞き出せたか」

 『ええ、どうも日本人民解放戦線へ武器と資金源の覚醒剤、あとオブザーバーを送るために侵入したのだそうです』

 外事第二課の管轄の仕事だけではなかったらしい。

 「取引を予定していた場所は」

 『洋上とのこと』

 洋上なら国内のような厳しい取り締まりは難しい。そこを突いたのだ。

 「渡すつもりだった武器のリストは?」

 『すべてが分かり次第そちらへメールします』

 「わかった」

 受話器を置く。これらの情報は今回の作戦での最大の収穫である。日本人民解放戦線の幹部がまだ数人日本国内にいるのだ。短期決戦で臨めば戦線を壊滅できる。

 「これで、(とむら)い合戦は終わる…か……」

 頭をよぎる今は亡き妻の顔。長いようで短かった。

 「すまなかったな……美里……。わがままに付き合えなくて」

 失った娘への贖罪の言葉が漏れた。


      *************


 一週間は早い。この一週間なんて俺は罠に嵌められ、教師に叱られ、反論してといったイベントが週の初めの月曜日に集中してしまったが故に、その後は普段より早く過ぎて行った気がした。社会も今週の月曜日の夜から火曜日の朝まで続いた不審船事件はもうそこまで放送されていない。まるで何者かの手によって口封じさせられたかのように。軍歌を鳴らして黒い街宣車が道路を走っている。国会議員に対する抗議活動でもする気だろう。

 「うぉらっ!」

 自転車のペダルを強く漕ぐ。一踏みで一気に加速する。安物のママチャリだが最低限の性能を有しているので普段使いなら何ら問題ない。金曜日は翌日が休みということもあって心も体もいくらか軽く感じる。

 快調、快調。自転車は交通量の多い国道脇の歩道に出る。人の往来は少ないのですいすい進む。


 ダキーン


 路上になにか悪戯がしかけてあったのだろうか、車が爆竹と金属片をはじいたような音がした。

 すると不意に違和感を覚えた後、体が自転車ごと浮いた。

 「え!?」

 いや、浮いたのではない。前輪を支点、後輪を力点とした“梃子の原理”によって吹っ飛ばされている。目の前一面が地面になる。

 「ぐはぁっ!」

 圧倒的な力で体がアスファルトに叩き付けられる。若干慣性に引きずられる。

 「だいじょうぶかい!?」

 運よく近くにいた通行人がとんでくる。

 「いてて。大丈夫です。服も体も無事です」

 「あちゃ~。自転車がすごいことに……」

 通行人の言葉で初めて自転車に意識が向いた。

 「え?うわ~、やっちまった」

 後輪が無茶苦茶だ。スポークが何本か折れ、リムに至っては破断している個所がある。修理代だけでこの安物が一台買えるだろう。

 「ここじゃ他の迷惑になるな。移動しよう。ささ、こっちに来て、家の人に連絡して」

 助けてくれた通行人は手を差し伸べて立つよう促すと、自転車とともに脇の物陰に誘導した。こけたところを同級生に見られるのは恥ずかしい。素直に従った。

 今年度は本当に厄が多そうだ。


      *************


 「ちっ、外したか」

 目標の小僧が自転車で移動中の所を狙う。自分の腕ならできると思ったが、使う銃器を間違えた。北朝鮮ルートを利用すればタダで手に入るノリンコの79式狙撃歩槍は精度が悪く、弾を外してしまった。しかも、射線上に誰かが割って入ってしまい狙いが付けられない。さらに悪いことに割って入った人物はそのまま小僧を遮蔽物の裏へと連れて行ってしまった。作戦は失敗である。銃声で誰かが通報した可能性があるので急いで逃げなければならない。キャリングケースに79式狙撃歩槍を仕舞おうとしたその時

 「動くな!」

 背後から女の声が響く。

 「両手を銃から離して、ゆっくり頭に着けて跪け!」

 これからすると、相手は銃器を手にしているはずだ。もしや小僧を狙っていることがばれているのか。

 「てやっ!」

 79式狙撃歩槍を持ったまま振り向いて声の主に銃口を向ける。声の聞こえ方から至近距離であることはわかっている。視界のなかに女をとらえると引き金を引く。独特の金属音の強い銃声が響く。だが女は避けて拳銃を撃つ。二発の弾丸が放たれたが、こちらには当たらない。こちらも応戦して発砲する。だが相手のほうが俊敏で命中しない相手はまた二発、拳銃を発砲する。

 一発が右肩に命中する。

 「ぐぅっ!」

 傷口を左手で抑える。これでは79式狙撃歩槍の反動に耐えることはできない。女が銃口を向けながらこちらとの距離を詰めている。同志に連絡もできそうにない。自決をしようにも薬も拳銃も持ち合わせていない。ならば

 「あぐん!」

 舌を噛み切るしかない。


      *************


 「こちら稲垣、犯人は舌を噛み切り自決。使用銃器はSVDの……中国生産型と思われます」

 犯人の持っている銃器を確認しながら無線に吹き込む。この仕事についてから自殺した現場を何度も見た。精神的支柱を失い自壊していく組織。大黒柱と収入を奪われ絶望に押しつぶされた家族。そして、目的を達成できなかったがために自ら口を封じる工作員。それを見て何も感じなくなった自分は壊れてしまったのだろうか。

 『わかった。救急車が急行しているはずだ。来るまで第一発見者として待機しろ。県警の本部にも連絡したから、そこまで怪しまれることはないはずだ』

 課長から返答が来る。

 「はい」

 こんなところにはそこまで長く居たくはない。血の匂いは体に染みつく。

 警護対象を保護した吉田に無線をつなぐ。

 「そっちはどう?」

 『大丈夫です。警護対象の自転車がすごいことになってしまいましたが』

 「そう」

 無事だと聞いてほっとした。これで失敗してしまったら元も子もない。

 「決してこちらのほうと関連性があるように見せないで」

 『了解しました』

 無線を切るとへたり込んでしまった。

 救急車を待つ間が辛い。死体と一緒に何分も待つのだ。自分を殺そうとした男の死体と。

 「はぁ。こんな苦労をして、三十路をとっくに過ぎた私に結婚相手は訪れるんでしょうか……」

 公安生活七年で三十二歳。今までこの仕事にすべてを捧げてきたアラサーに、今や心配した両親から毎月お見合い写真が届く始末。結構心に来る。仕事にもプライベートにも安らぎがない。

 「こんなに血で汚れちゃ……ね……」

 男なんて来やしない。心が感傷的になっていく。

 泣きたいのをこらえた。


      *************


 「どうもすいません」

 母がトヨタのアルファードから降りて駆けてきた。うちの自家用車である。これを使わないと壊れた自転車は運べない。

 「ちゃんとお礼言った?」

 「言ったさ」

 「それにしてもひどいわね。こんなふうに壊れちゃうなんて」

 「いやあ、僕もびっくりしましたよ。自転車が前転したんですもの」

 母はびっくりしている。一番驚いた体験をしたのはのは当事者である自分だが。

 「本当ですか。あんた大丈夫なの?」

 それを聞いて初めてわが子に怪我の具合を聞く。

 「大丈夫。制服にも傷はないし」

 「よかった」

 安堵した表情を浮かべる母。

 「お袋、心配させて、ごめんな」

 「いいのよ。あんたが無事なら」

 すると救急車のサイレンが聞こえた。母がサイレンのするほうに振り向く。

 「救急車呼んだんですか?」

 「いいえ、どうも別に何かあったようですね」

 助けてくれた青年はそう言うと

 「これから用事があるんで」

 と去って行った。何とも最近は少ない爽やかな好青年だ。

 「結構イケメンだったわね」

 母はそんな無駄口をたたく。

 「あっそ。後ろのドア開けて。自転車入れなきゃ。」

 「そうね、早くしましょ。けどどうするの、新しい自転車」

 通学の重要な手段ということもあって、早く決めないといけない。

 「外装六段変速がついているやつがいいな」

 「結構贅沢ね」

 呆れた。と表情に出ている

 「高いものの方が、かえって安くつくもんだよ」

 「日曜にでも買いに行きましょ。明日は予定があるでしょ」

 「そうだね」

 意外と自転車は脆いらしい。今回の事故は(いまし)めだ。もっと大切に乗らないと。


      *************


 「幸太郎が狙撃された!?」

 「本人には当たっていないから心配する必要はない。当たり前だがくれぐれも本人が口に出す前に言うんじゃないぞ。表向きは小さな事故となっている。警察も事故に関しては動いていない」

 ほっとした。彼が極左暴力集団に関する重要資料を持っているのだ。死んでしまったら何もできなくなる。それに、悲しい。

 「今後のことも考えて、早く手に入れたいところだが……」

 「いきなり打ち明けても、混乱するだけです。じっくりやるべきだと思います」

 「そうだな。工作員の取り調べで重要情報も手に入った。複数のルートで攻めるべきか」

 課長はゆっくりコーヒーをすする。

 「今後の予定は若干短縮だな。長期任務には変わりないが」

 課長はいつも通りの落ち着き払った表情で話す。

 「明日は幸太郎君の家に行くんだろう?楽しんでこい」

 「はい!」

 美里が弾んだ声で返事をする。

 「やっと、人並みの高校生生活が送れているか。よかったよ」

 課長の顔がほころぶ。

 「若いときは遊ぶことも重要だよ。遊ぶことを知らずに育てば、たちまち人の弱い心は歪み、悲鳴を上げて崩れ落ちる」

 先ほどの顔とは打って変わって寂しそうな遠い目で窓の外を見つめている。

 「今日はもうこれ以上仕事はない。夕食にしよう。今日はエビフライだ。結構手間暇かけたんだ」

 表情がまた変わる。

 それにしてもエビフライか……。久しぶりだな。


      *************


 『イヤっ…イヤっ…やめてっ…いたいのイヤっ』

 (嫌…痛いのは嫌……)

 『タスケテ。タスケテ…ネェ』

 (助けて…私を…この場所から……)

 『ココからダシ…テ…ダシテ……』

 (暗いのは嫌…狭いのは嫌…寒いのは嫌……)


 「嫌あぁぁぁ!!」


 嫌。怖いのは嫌。怖いのは……

 「どうした。美里?」

 「こわいゆめ、見た。いっしょに寝て……?」

 助けてくれる人。守ってくれる人。


 ――ケンくん――


 あったかくて、やさしいヒト。


 ダカラ


 マモルの。ワタシが。


補足説明のコーナー

今回の任務でのヘリのルートは埼玉県の航空自衛隊入間基地から石川県の航空自衛隊小松基地を経由し作戦海域上空へと至った。その後はそれぞれ海上自衛隊第1護衛隊群第1護衛隊のDDH‐181「ひゅうが」、DD‐107「いかずち」に着艦。給油を受けてから海上自衛隊厚木基地を経由して入間基地へと戻った。

なおブリーフィング時の十一ケタの番号と三ケタのアルファベットは過去の不審船・工作船事件の際や今回確認された不審船の現在の航行ルートを示したものであり、十一ケタの番号は年月日、アルファベットは曜日を表している。

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