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イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁・庶務十三課―  作者: 北方宗一
第四章 アーティラリーズ・ファントム
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ヒビの入ったメイス その2

遂に大きな陰謀が始まる。

 「二人とも遅くなってすまなかったな」

 課長はそう言ってガンケースを閉じる。

 「いえ。しょうがないですから」

 神山はそう言って返す。

 「射撃訓練は小牧の訓練場で今週末に行う。予定は入れるな」

 「了解」

 「それにしても、幸太郎は?」

 「いまは、大きな動きもありません。しかし……」

 「しかし?」

 神山は言うのをためらう。だが、少しの逡巡の後、意を決して口を開く。

 「主観でしかありませんが、幸太郎は未だに引きずっているように思えます」

 「そうか」

 そう言うと課長は背もたれに背を預ける。

 「逃亡した後、杉下の行方は未だ知れず。事件以降の焦りようもさることながら、杉下を自分の手で仕留められなかったことが想定外のストレスを生じさせていると思います」

 「やはり、か」

 「わかってたんですか!?」

 珍しく神山は声を荒げる。

 「ある程度はな。だから、権限を取り上げた。今の彼に銃を任せたら、何をやるかわからない以上」

 「幸太郎を、今後どうするんです?」

 恐る恐る、訊ねる。

 「それは保留だ。だが最悪の場合は……」

 「やめてください!」

 言葉を遮る。聞きたくない。

 「情が、移ったか」

 「そう言うわけでは!ただ、この作戦は本来、紀伊幸太郎個人の保護のハズでしょう!」

 「だが、当初の予定とは大きく事情も変わった。最悪の場合のオプションも視野に入れなければ、対処ができなくなるかもしれない」

 感情のこもった問いに、静かに答える。それが意味することは、一つしかなかった。

 「それって」

 「彼を止める術がなければ、一度タガが外れると何が起こるかわからない」

 課長の言葉に、神山は呆然とするしかなかった。


     *************


 二人の男は東京駅前のビジネスホテルに入っていった。

 そのころには蓮池も真田も現地で待ち合わせた諜報班の一組と合流して引き継いだ。

 「酒、飲むか?」

 「いや。今はいい。……ランエボどこー!!」

 うなだれる真田を見ていて、蓮池は少々不憫に思った。

 念のため回収チームに連絡を取る。

 「回収に成功して、いま、高速を飛ばしてるらしい」

 「俺以外が動かすのが許せない」

 声が震えている。かなり頭にきているようで、危険だ。

 「落ち着けよ。薬局行って、ファブリーズ買おう。誰かが運転していた形跡なんてきれいさっぱりだ」

 「……ああ」

 こいつの車に対する愛情は、どこか並はずれたものがある。まあ、いろいろ調整とかをしていたようだし、しょうがない面もある。

 「今度走行中にもスーパースポーツモードになるようにシステム設定変更したかったんだ」

 「おうおう。わかったからこれ以上泣くな。もういい歳だろ」

 「だけどよぉ……」

 「ええい!面倒臭い!」

 蓮池は叫ぶ。

 「車を使わないんだから、酒飲むぞ。立ち飲み屋行って、ビールと一緒にモツ食うんだよ」

 蓮池はそう言って真田を引きずって行った。


 「くぁ〜!なんでだよぉ……」

 日本酒を煽って真田はぼやく。立ち飲み屋でとりあえずハムカツとモツを肴として頼み、お通しをつまみつつ二人して酒を飲んでいた。作戦を一応終え、アルコールが解禁された今、真田のフラストレーションは酒の量が物語っていた。

 乗り気じゃないといっておきながらコップ4杯目に突入した真田は管を巻いていた。

 「鶏のから揚げも頼む」

 「あいよっ!」

 蓮池がオーダーすると威勢の良い返答が来る。

 「ハムカツとモツです」

 「ありがと」

 置かれた皿のハムカツを一切れ食べる。ちょっと脂っこいが、ビールに合う。

 「おい」

 「どうした」

 呼び掛けられて、振り向くと真田はモツを食べていた。

 「モツ、うまいな……」

 「だろ?」

 「奥深いな」

 「だろだろ」

 そう返すと真田はぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 「……なんで、俺の車はあんな目にあっちまったんだろ」

 唐突な言葉に蓮池はたじろぐ。

 「壊れてないんだろ。傷も今のところないんだろ。いいじゃないか」

 「あれだ。彼女を寝取られたような感じだ」

 「いくらなんでもそれは言いすぎじゃないか?」

 少し引いてしまった蓮池はついうっかり口に出してしまう。

 「いや……」

 「……ゴーヤチャンプル。頼むか?」

 妙な間ができたのが気まずく、蓮池は問う。

 「ああ」

 「すいません。ゴーヤチャンプル頼みます」

 「あいよ!」

 景気のいい飲み屋の店員の掛け声が響いた。


 「〈気づいてるか?〉」

 ペーパーバックを読みながら『ルーミニー』は『ヴィンペル』に問いかける。

 「〈ああ。アジア人が着けているようだな〉」

 「〈奴ら、FSBか?〉」

 『ルーミニー』自身はそういうことに疎かった。

 よく似たところにいたが、他の相手の手法など知らないのだ。

 「〈いや。ロシア人も付けてた。アジア人は違う〉」

 最後のベロモルカナルをふりだし、粗末なライターで火をつけると『ヴィンペル』は一服する。

 「〈厄介だな。追う組織が増えたか。例のモノは準備したか〉」

 「〈それなら大丈夫だ。『ニェーメツ』と『プリラク』たちが設定中だ〉」

 「〈あの二人には感謝だな〉」

 そう言ってラップトップを手に取り起動する。

 「〈アメリカの国務省次官の来日まであと一週間か〉」

 「〈決行はその日だな〉」

 そう言うと『ヴィンペル』は暗証番号を入力しログインする。LAN端子を接続すると、ブラウザを起動し、フリーメールの数あるアカウントのうちの一つにログインすると館内LANを介してメールを送る。

 「〈夜が明けたらブツを取りに行こう〉」

 「〈了解〉」

 『ヴィンペル』の言葉に答えると、『ルーミニー』はペーパーバックを閉じた。


     *************


 河合杏佳は眠れない夜を過ごしていた。

 親愛なる下僕が事件以降どこか抜け落ちたような感じがしていた。

 『(しいた)げがい』がない。張り合いがないのだ。

 下僕の人間性はどこか複雑で、だけど単純で、おいしいアタリメや貝柱によく似ている。よく噛み締めるとおいしい味が出るのだ。

 「杉下って……なんなのよ」

 下僕を痛めつけていいのは私だけ。だが、あの杉下は下僕を許可なく痛めつけ、苦しませ、どこかへトンズラしたのだ。

 「……何考えてるんだろ……わたし」

 こんなこと考える義理はない。だが、無性にイライラしていた。


 眠れないから、一度シャワーを浴びようと思った。

 蛇口をひねりシャワーを出すと少しぬるめの湯の雨が体を包む。

 身体を伝う湯は体を隠すどころか、より肢体の曲線を強調している。

 「わたし、何やってるんだろ」

 柔らかな明かりにどこか空しさを覚えていた。

 何がここまで自分を締め付けるのだろう。

 幸太郎の、あの虚ろな目を見ていると、痛々しいのだ。

 彼の恐怖は、底が知れない。中学時代の三年間の恐怖全てが、幸太郎を構築してしまっているのだろう。

 嫌な汗を流しきると、丹念に肢体の水気を拭い、髪を乾かす。水を吸った長い黒髪が軽くなってから下着をつけると、河合はもう一度眠りについた。


     *************


 午前7時 愛知県常滑市 中部国際空港


 7年前に万国博覧会に合わせて開業したこの空港は、埋め立てた人工島を利用することによって実現した3.5キロ級滑走路を持つ洋上巨大空港だ。

 本来は日本の空港の常でそこまで警備は重視していないという雰囲気のハズなのに、どういうわけかかなりの警察官がうろついていた。

 「〈多いな〉」

 レオンは周囲を見回して呟く。

 アメリカの空港とそう変わらない。日本の空港はもっと警察が少ないと思われたのだが。

 「〈朝食は……〉」

 マップを手に取って空港内をうろつく。

 「〈コーヒーショップ、か〉」

 マップをたたみ見回す。

 ぬるい。警備がぬるい。

 カラシニコフを持っていれば容易にこの空港を占拠できる。

 「〈ヌルいな。警備が〉」

 これから東京に行かねばならない。でないと、武器が手に入らないのだ。

 「〈マルコ!〉」

 金髪の女が近寄ってくる。同じ蒼中隊の仲間であるジャクリーン・シャウマンだ。

 「〈ああ、エリーゼ〉」

 「〈で、どうするの?〉」

 「〈仕事道具を手に入れないとな。だが、まずは食事だ。スシバーに行くぞ〉」


 「どうだった?」

 ルーファスはエレンを急かす。

 「マクドネルがポーランドのクラクフまで行ったのは判明しています。他のメンバーの足取りも追々わかってくるかと」

 「と言うことは、オルトロスは無駄骨だったか」

 ルーファスは舌打ちする。そう安くもない値段で雇った彼らが成果もなく死んでしまったらしい。

 「そういうことになります」

 彼らは徹夜の決死行に突入していた。『蒼中隊』の危険性をルーファスは熟知していた。彼らが完全に制御不能になってしまった以上、我々が処理しなくてはならない。これは何も正義感ではない。単純な話である。もしここで蒼中隊の暴走で犠牲が出ると蒼中隊その他の存在がCIAの将来や大統領選挙にも大きく影響しかねない以上、事件が起こる前に処理しなければならないのだ。

 「急いでくれ。奴らは我が軍の駐屯国に向かうはずだ。DEVGRUとSEALsの展開を準備しろ」

 「わかりました」

 「意地でも第三次世界大戦を回避するぞ」

 室内の空気が一気に緊張をはらむ。

 「各国の基地に手荷物を取りに来た人物の人相を確認するように通達しろ」

 蒼中隊の本来の任務は何も中東方面での工作ではなかった。

 彼らの当初の目標はとある与太話の検証だったはずだ。それが今、このような形で我々に牙をむく。

 「狂人共が!」

 拳をテーブルに叩き付けた。


     *************


 「ああ〜!!愛しのランエボX!!」

 そう言ってボンネットを撫でまわしたかと思うと、真田はドアを開けて無香料のファブリーズを思いっ切り吹き付けている。

 「ホント好きなんだな」

 真田が感激している様に蓮池はたじろぐ。

 「やっとだ!ぐずってないか調べないと!」

 ためしにエンジンをスタートさせると好調なノイズを響かせる。

 「よかったぁ〜!今度洗車してワックスかけてオイル交換とタイヤ空気圧点検とプラグ点検してやるからな!」

 涙を流している。

 「にしてもSVRはなぜそこにいたんだろうな」

 蓮池は未だに考えていた。

 ロシアのSVRの動きは全く不明だった。

 SVRの源流はKGBである。FSBがKGBの国内作戦部門であったのに対しSVRは対外作戦部門が分離独立して出来上がった機関である。

 「本部からは?」

 「覗かれてたあの二人、今いろいろ調べてるらしいんだがまったくだな」

 携帯に送られてきたメッセージを読みながら蓮池は答える。

 「情報がないのか」

 「ああ。CIAに写真を渡したが、まだ答えが無いらしい」

 喫茶店の二人の身元はいまだ不明なのだ。

 入国審査を調べてみているが、まだ結果が出ていない。

 「じゃあ、ロシア大使館を通して情報提供を要請してみようか」

 「バカ正直に言いに行くのか?門前払いされるぞ」

 蓮池は呆れる。

 「けどしょうがないだろ」

 「課長を通そう。もしかしたら共通の利益があるのかもしれない」

 そう言って蓮池は煙草を一本咥えて火をつける。

 「だけど、ロシアの情報機関が動いてるってことはかなりの大事だぞ。不法工作員が動いている可能性もある」

 「パラミリか」

 蓮池の言葉に真田は結論を言う。

 「だろうな。いや、いわゆる暗殺部隊って奴なのかも」

 「あれか。ガス銃でリシンや青酸を撃ちこむってやつか」

 真田は指鉄砲を撃つジェスチャーをする。

 「ソ連の暗殺部隊は優秀だからな。ロシアになってからもイギリスではポロニウム。ウクライナではダイオキシン系。古典的だがいい方法だ。大がかりな偽装をするアメリカとは違う」

 ポチポチと携帯をいじった蓮池は液晶画面を見せる。

 病院のスキンヘッドの男とあばた顔になった男の画像が表示されている。

 「だが、そこまでして追ってるとなると、あいつらは日本で殺し合いをするつもりだよな」

 「ああ」

 「東京で戦争なんておっぱじめられたら……」

 真田の顔がみるみる青ざめていく。

 「いろいろ面倒事になるな」

 「どうする?」

 「責任全部を危機管理能力のない現政権に押し付ける方向に誘導できるかって話だな」

 蓮池の言葉に真田は考え込む。

 「……相談しましょ」

 「そうしましょ」

 花を3.75グラム買うようなわらべ歌を思い出しながら答えた。


     *************


 昨日の一件以来、エミリーは妙にしおらしくなった。

 どこか伏せ目がちで、何かを考え込んでいるようだった。

 エミリーの周囲に友達はいるのだろうか?

 最近のエミリーの態度から、どこかそういう不安が生まれてきた。

 いつも、私や杏佳、美里や健二、幸太郎といった顔ぶれと居るエミリーが同級生と仲良くしている瞬間を見た事はないし、遊びに来たことも遊びに行くこともない。いや。それどころか話題にすらならない。

 ちょっと気になってエミリーのいる一年の教室の集合している一つ下の階に行ってみる。

 遠目に眺めていると、エミリーの隣に同級生が来て何か話しているようだ。

 「エミリーちゃん、おかし、いる?」

 「……いい。いらない」

 「そう……」

 どこか、疎外感を感じているようで、窮屈そうで、ぎくしゃくした空気があった。

 私が特別幸運だったのか、エミリーが特別不運なのかはわからない。けど、エミリーの中にある対人不審が極端なまでの窮屈さを生んでいるようで。

 よくよく考えても見れば、小さいころからエミリーの周囲には同年代の友達はいなかった。昔から閉鎖的なコミュニティーを好むようで、私についてばかりだった。

 私ですらこの平和な日常と戦いのときのギャップに戸惑っているのに、エミリーにはより強いストレスになっているのかもしれない。


 「CD、貸したげよか?」

 クラスメイトの穂積(ほづみ)絵梨(えり)がにっこり笑いかけてくる。

 「……どんな?」

 「最近話題のアイドルだよ!ホントに売れてるんだから!」

 そう言ってCDジャケットを見せてくる。

 男が数人立っている。

 「……なんか、あれ」

 ピンとこない。

 「気に入らなかった?」

 「……音楽、ロックとジャズとクラシックだから」

 iPodクラシックを見せる。

 ずらっと並ぶジャケット写真に驚いている。

 「初めて見るのばかり。そうだったんだ」

 「……今度、CD作ってあげる」

 「ホント!?」

 絵梨は驚く。

 「……ラップトップ使えば、簡単」

 「らっぷとっぷ?」

 初めて聞くといった表情になる。

 「たたんで……持てるの」

 ボディランゲージを交えて説明する。

 「ああ!ノートパソコンのことね。持ってるの?」

 「……うん」

 いつも思うが絵梨は目をいつもキラキラさせている。

 毎日が楽しいらしい。

 「いいなぁ。高いから、買ってくれないんだぁ」

 何処かうらやましそうな視線を私に向ける。

 「……高いっけ……?たった2000ユーロあればいいのが……」

 「2000ユーロ?え?えーっと日本円だと……。たった!?」

 絵梨は驚いた顔をしている。

 そんなに不思議なのだろうか。

 「うん。たった」

 「高いよぉ……」

 「……そうかな?」

 弱気な声を上げる絵梨。

 ちょっと頑張れば手に入るくらいの品物だ。

 「だって、30万円だよ!どんな世界に住んでるの!?」

 「う〜ん……」

 「……?」

 「……お金持ちなのかな?」

 「結構お金持ちだと、思うよ」

 何処か崇めるような視線で彼女は見る。

 「……私のことが、好き?」

 「え!?……あぅ……」

 そういうと顔を俯けて視線を逸らせた。


     *************


 「〈で、シャパクリャクはどうなった?〉」

 代々木にある大使館の一室で班長は部下に状況を問う。

 「〈ラリースカ1とともにホテルにいる模様。出た様子はありません〉」

 「〈我が方は?〉」

 「〈黒0が待機状態です。赤3も展開中〉」

 「〈オプションはリシンとする。人影がなくなった時に黒0が実行。橙4が予備展開。いいな〉」

 「〈了解〉」


 朝一番にホテルを出てかれこれ二時間。遠回りに遠回りを重ねている。

 繁華街を出て住宅街に入ると『ルーミニー』は妙な気配に気がついた。

 閑静な住宅街には不釣り合いな空気。

 「〈変じゃないか?〉」

 「〈かもな〉」

 『ヴィンペル』が同意する。

 歩いていると高架にさしかかる

 高架下の暗がりに入り込むとぬぅと闇の中から浮かび上がる人影。

 ベルトに仕込んだベンチメイド・175CBKナイフを確認する。

 人影は手に傘を持っている。雨のピクトは何処でも見なかった。

 双方立ち止まらず交差する。

 高架上の線路を鉄道車両が駆け抜ける。

 足音と騒音が反響する。

 高架下を脱するとすぐに左右を確認する。

 怪しい人影はない。

 「〈気のせいのようだな〉」

 「〈ああ〉」


 「〈ゲーナより黒0へ。シャパクリャクの様子はどうだ?〉」

 『〈黒0よりゲーナへ。警戒が強い。白0も準備すべきかと〉』

 「〈ゲーナより黒0へ。白0は厳しい。この国では使い捨てることになる〉」

 『〈ですが、近接戦はリスキーです。白0なら〉』

 「〈……わかった。白0の展開を検討する〉」

 「〈白0を使うのですか〉」

 班長であるズヴャーギンの受け答えを聞いてオフィサーのドゥナエフはあわてる。

 「〈『歌』を一応のオプションとしていてよかったな〉」

 「〈ですがリスキーです。我々の関与がすぐに発覚します〉」

 白0は黒0と同じ暗殺部隊だった。

 「〈世界大戦を防ぐには、これぐらい必要だよ。我々の上司が蒔いてしまった種だ。文句を言うならモスクワのゴルバチョフと天国のエリツィンに言ってくれ〉」

 「〈日本の当局に通報すべきでしょうか?〉」

 「〈スパイ対策もしてない、市井(しせい)のお巡りさんに毛が生えた程度の意識しかない日本の情報機関などに話せば、今に大問題になる〉」

 ズヴャーギンはドゥナエフの提案を一蹴する。

 「〈しかし!〉」

 「〈奴らに頼るときは、シャパクリャクどもが準備を完了してしまってからでいい。その時に我々はモスクワにいて、ここにいない。いいな。〉」

 「〈……了解しました〉」

 ズヴャーギンの言葉にドゥナエフは了解するしかなかった。

 「〈チェブラーシカに報告。『歌をうたう』〉」

 ズヴャーギンはそういって椅子に座った。


 黒0は高圧炭酸ガス銃を仕込んだ傘を持って歩いていた。ガス銃で撃ちだすのは《ビーズ》と呼ばれるものだった。ビーズは白金イリジウム合金製の直径一ミリの中空の球体で穴が開いており、内部に毒物が入っているのだ。今回の内容物はリシン。トウゴマの実からとれるタンパク質であり、現在、確実に有効な解毒剤や治療法のない究極の毒物である。青酸化合物とは違い、周辺に悟られる可能性が少ないのも特徴の一つである。

 十分前、シャパクリャクはもう一人と離れた。

 周囲を見ると、誰もいない。大丈夫だ。

 「〈黒0よりゲーナへ。ラリースカ1が離れた。『ガルモーシカを弾く』〉」

 『〈了解〉』

 静かに歩みを進める。

 シャパクリャクは目の前だ。ガス銃のセーフティである先端のカバーを外す。接近して、傘で小突けば成功だ。さらに近づく。

 不意にシャパクリャクが振り向く。無視してさらに進む。

 作戦が失敗かどうかはここにかかっている。ここでうまく撃ちこめば作戦は成功だ。

 傘の先端を相手の太腿に向ける。これを突けば作戦は成功だ。

 黒0が成功を確信したその時、シャパクリャクは傘を蹴り上げて右手でつかんだ。

 そのままシャパクリャクは傘をへし折るとベンチメイド・175CBKを引き抜く。刃で突こうとする右手を黒0は跳ね飛ばしていなす。システマだ。そのまま肘の内側にチョップを当てシャパクリャクの体勢を崩し道路に寝ころばせ、急所にケリを叩き込もうとする。だが、シャパクリャクの方が上手だった。懐に隠していた漆黒のパルディーニGT9を引き抜く。

 「〈なに!?〉」

 顔に向いた銃口に黒0は驚く。2発速射された弾丸を急いで飛び退いたことで回避した黒0は追ってくる火線を避けつつ路地の物陰に隠れ、M92Fを引き抜くとサプレッサーを取り付け始める。

 「〈緊急事態だ!作戦中止!支援を要請!〉」

 銃口をシャパクリャクに向け威嚇射撃しつつ、無線に吹き込む。

 『〈どうした!?〉』

 「〈シャパクリャクに反撃された!〉」

 『〈了解、橙4を急行させる!〉』

 ゲーナからの応答を聞くのと同時に再度物陰から出てシャパクリャクを確認する。

 得体のしれない姿勢だ。両手をだらりと下げて直立するシャパクリャクはキッとこちらに鋭い視線を向ける。静止から予備動作なく加速も経ずにトップスピードになったかのような瞬発力でシャパクリャクは黒0に突進する。175CBKが拳とともに突き出される。威嚇でM92Fを撃つがことごとく射線を躱される。シャパクリャクに懐に入られた黒0は刺突や斬撃を間一髪で躱す。さらにシャパクリャクは左手のGT9を撃つ。黒0は横に飛び退き避けると人影が近づいてくるのが見えた。

 「君たち!何をやっている!」

 青い制服を着た警官だ。拳銃を手に持っている。シャパクリャクは振り向き刹那の躊躇いもなく警官の眉間を確実に射抜き殺す。すぐに黒0はシャパクリャクを銃撃する。銃撃を難なく躱すシャパクリャクは黒0の懐に入り込む。急いで黒0は上体を逸らす。シャパクリャクが振り上げた拳の175CBKが背広を引き裂く。

 車のエンジン音が背後に近づいてきて、ハイエースが急停車するとスライドドアが勢いよく開きサプレッサー付きのAK102を構えたスーツの男二人が一斉に射撃を始める。

 橙4のアクショネンコとツィガネンコだ。

 「〈来たぞ!!〉」

 アクショネンコが叫ぶ。

 「〈助かった!〉」

 完結的な射撃が行われる中、黒0はハイエースに入ろうとする。が、黒0の後頭部に風穴があく。GT9が放ったパラべラム弾に狙い撃ちされたのだ。

 「〈ちっ!黒0がやられた!!野郎!〉」

 ツィガネンコが悪態をつく。

 『〈警察が騒ぎに気付いて接近中だ!!急いで始末しろ!〉』

 急いで黒0の死体を引っ張り上げるツィガネンコだったが、どうにか黒0の膝までを引っ張り上げたところで眉間に赤い穴を作って倒れる。

 「〈ツィガネンコも殺られた!!〉」

 報告すると急いでアクショネンコはドアを閉める。

 「〈報告!『ガルモーシカ』は失敗!繰り返す!『ガルモーシカ』は失敗!死傷者2!死傷者2!〉」


 「〈どうされましたか?〉」

 ヘッドセットのスピーカーを耳に当てていた班長は目を見開いて固まる。

 「〈……『ガルモーシカ』が、失敗した……〉」

 呆然としてヘッドセットを取り落した班長は肩を震わせて笑い始める。

 「〈『歌』をうたわせる気か……面白い!最大の敬意をもって、完膚なきまでに殺してやる!〉」


     *************


 下僕の様子は抜け殻のようだ。授業の最中も心ここに在らずといった感じで、どこか無機質な瞳で見ていた。どこか頓珍漢でピンボケな受け答えばかりなので、先生も気にしていた。「こんな紀伊、入学直後以来だ」とは米田先生のコメントである。

 下僕の顔から笑顔が消え、怒りも消え、悲しみすら消えて般若面のようになってしまった。そこから感情は読み取れない。右腕の傷が疼くのか、顔を歪ませるのが数少ない表情の変化だった。

 下僕のお母さまにも聞いてみたら、案の定家庭でもどこか無表情になってしまっていた。彼女は怯えていた。また、下僕が壊れてしまったんじゃないかと。

 下僕の過去。断片的にしかわからないが、それは人を信じる事しか知らなかった彼には非常につらい仕打ちだったのはよくわかる。はしごを外され、共通の敵にされ、石を投げられ続け、その仕打ちの中でも人を信じようとして。つくづくバカだと思う。そのバカさが本来の彼の魅力だったのかもしれない。

 下僕のあの極端なまでの冷淡さの中には、自分の、人を信じたい心が隠れているのかもしれない。ある意味、他とは違う。下僕は究極の『悪』だ。悪の美学に酔わず、ただ淡々と刃向うものに一瞬の弁明の猶予も、覚悟する時間も与えず死を指し示し導く。まるでそれは死神――死という概念そのものを体現する存在のように急に表れては死を振りまく。その冷淡さが、また下僕を苦しめているかもしれない。

 弁当を食べているのを見ていても、味を感じているのかわからない。ただ、義務的に、口に物を詰め込んでいるだけ。会話も弾まず、黙々と続くその行為は、ただ生きるための、『食事は究極、至極の娯楽』と考える私にしてみれば最低の食事風景でしかなかった。

小辞典


パルディーニGT9

イタリアのパルディーニ社製の競技・自衛用の拳銃。

GTシリーズには9ミリ、.40口径、.45口径の三種が存在する。

GT9は9ミリモデルであり9ミリIMI弾や9ミリパラべラム弾が使用できる。


AK102

AKシリーズの5.56ミリNATO弾仕様コンパクトモデル。

操作法は変わらない。

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