2nd mission 勢力状況
不良との交戦、そして過去
神山と霧谷の関係は……?
本来土曜は休みだったのだが始業式で登校。その次の登校日はこの月曜である。休みが一日減って少々憂鬱な気分で朝食の席に着く。テレビは民放の朝のニュースを流している。
「次のニュースです。今日から始まる海空両自衛隊による東シナ海での史上最大規模の総合演習に周辺諸国からは多くの批難の声があがっています。今回の……」
ニュースは事実を伝える、一応。それがいかに矮小化され、根本的な部分が隠されていても、真実を伝えるのでないのだからしょうがない。
「自衛隊の演習か。中国と係争中の海域の隣でついこの前人民解放軍が演習をやったからな。ナニ偉そうに日本を批判してるんだか」
実はこの内容、日本国民の多くが知っているわけではない。中国人民解放軍の演習はほとんどテレビでは話題にされなかったのだ。しかしインターネット上や軍事雑誌においては、多くの記事が出てちょっとした騒ぎになった。正直なところ政治活動家と軍事ヲタクぐらいしか知らないだろう。
「へぇ、前に中国軍が演習やってたんだ。知らなかった」
母が食卓の椅子に座る。
「テレビじゃほとんど触れてなかったけど、アメリカとかだとニュースのヘッドラインに乗っていたらしいよ。軍事雑誌にも記事が出てた」
シャケフレークのふたを開ける。
「私たちの知らないところでねぇ」
「まあ大丈夫だろう。なんだ、中国だってバカじゃない」
父が目玉焼きを崩しながら言う。
「それにしても幸太郎、新年度はどうだ」
「面倒そうな担任に当たったよ。なんだかんだで学歴自慢してきた。なにが名古屋大学数学科だよ。落ちこぼれて教師になったくせに。それと、今年度は厄が多そうだ」
「どうしたんだ」
「土曜に不良中学生に絡まれた」
「まったくの無傷じゃないか」
「俺が強いだけだ。常人だったら身ぐるみ引っぺがされてら」
「そうそう、カノジョとはうまくいってるの?」
母はいきなり話を変える。
「河合か?俺とあいつはそんな仲じゃねぇよ」
「そんなこと言っちゃって♪」
「お母さん、やめなさい」
「ちぇ、つまんないの」
「あんたは俺をなんだと思ってんだ」
すると
「ふぁ~っ。おはよう。」
「おはよう、はるぅ」
悠が寝室のある二階から降りてきた。肩まで伸びた髪の寝癖と眠気からくるあくびは徹頭徹尾優等生とふるまっているらしい彼女には似合わない。
「シンにぃは?」
「もう出たわよ。ハンドボール部の朝練だって」
「それに比べてコウにぃは……」
「なんか文句あるか、寝坊助」
「なによ」
こいつ、弟の慎二とは仲がいいのだが、俺とはどうも仲が悪い。妹が幼稚園の頃からか。俺の言うことは聞かず、慎二の背中を追ってばかりいるのは。そのわりに母の携帯を借りて俺にメールを打つ時は変なキャラ付けをしてくる。慎二がヤンデレCDなんて借りてくるからこうなる。
「お前は今日から本格的に中学生活が始まるんだろ?悪い友達作るんじゃねえぞ」
「はいはい、コウにぃみたいにドジは踏まないよ」
「まったく、こっちはこの前不良中学生のおかげで散々な目にあったんだ。お前がぐれてそうなってほしくないだけだ」
まあ、要領良いし、根はまじめなので心配は無用か。飯も食い終わったところだ。
「ごちそうさま」
「あら?早いじゃない」
「今日はちょっと早めにするよ」
「はい、お弁当」
母は弁当を手渡しする。俺はカバンの中に弁当を入れた。
「んじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい♪」
俺は普段使っているママチャリの許へと歩いた。
*************
「おはよう。早いんだな」
学校に着いたころには幸太郎は自分の席で本を読んでいた。何かカワイイ女の子の絵が表紙にあしらわれている。
「遅れないためには早く来るのが鉄則さ」
「なるほどね」
それにしても、河合さんはどうしたのだろうか。
「河合さんは?」
「この時間帯に居ないってことは、腹壊したな」
「え?」
「あいつ、飯食うのが大好きなグルメな奴なんだが、腸が弱いらしいんだ。去年もちょくちょくこんな感じだった。酷いと欠席とか。本当にかわいそうだよな」
「なんか、ドンマイ」
「ねぇ、私を呼んだ?」
不意に教室の後ろのほうの扉から声が聞こえた。独特のちょっと偉そうな口調からして河合さんだ。ちょうど今来たらしい。
「何について話していたの?」
「お前の腹の中の話」
「なんか嫌ね」
「よくいうよ。サディストが」
「何を言うの?慈悲深い天使のような私にそんなこと言われる筋合いはないわ♪」
「まあ戯言はおいといて、今日から授業だ。はぁ」
「ため息をつかないで。こっちもテンションが下がるわよ」
「力抜きたいんだ。肩こっちまう。しかも数学と地理は小テストだろ。いやになっちまう」
「まあ、わからなくもないけどね」
なんだろうか、この凸凹コンビは。
すると美里が不安そうにしていた。
「授業かぁ。だいじょうぶかな」
「大丈夫さ。前々から散々教えられてきたからさ」
「そうだよね」
「ん?どうしたんだ、二人とも」
「いや、なんでもない。……ん?」
なんだこの感じ。何か殺気に近いものを感じた。校内にテロリストでもいるというのか?
ひゅんっ
風を切る音?
次の瞬間
「うぉら!」
脱力していた幸太郎が不意に空間に力いっぱい手刀を振り下す。ちょうど何か赤い影が通り過ぎようとしたのに直撃する。
ぱきん
何かが折れる音。床には使用済みの赤ボールペンの砕けた残骸が落ちている。
「ちっ、外したか」
「やっぱり貴様か、村田」
幸太郎が何かつぶやいた相手を睨みつける。マッシュルームカットの髪型で少し小柄な中肉の男子だ。
「何言ってるのかなぁ。紀伊くん」
村田はニヤニヤ笑いながら近づいてくる。何が面白いのだろうか。
「証拠もなく人を疑っちゃいけないでちゅよぉ~」
赤ちゃん言葉で言った後ケタケタと笑い出した。何が笑いのツボなのだろうか。
「親にも教師にも社会にも媚売っておきながら不良演じようなんて思ってるチキン野郎が中途半端に知識層ぶって何言ってんだ。そんなにグレたきゃ、ここやめて勝手に人襲ってろ。それが嫌なら人をダーツの的にするな」
「なんでそうなるのかなぁ。それに俺が投げたのダーツじゃねぇし。ボールペンだしぃ」
屁理屈で挑発する村田に対して、幸太郎は極めて冷静だ。
「小学生みてぇな屁理屈こねて楽しいか。うらやましいもんだ、そんなんで脳味噌が満足するなんてな。幼稚だな。おかげで犯行を自供しやがった」
「なんだとぉ!」
「沸点が低いな。野蛮人が」
余裕綽々に村田を挑発する幸太郎と、挑発をかけて笑おうとした挙句、幸太郎の挑発に乗ってしまった村田。双方ともに嫌っているようだ。
「へっ、野蛮人はどっちなんだか。今に見てろよ」
典型的な捨て台詞を吐いて村田は立ち去った。
「やあ、ヘンタイ!またあいつが絡んできたのか?」
誰か朗らかにこっちに挨拶してくる人物がいる。少々背の高い、眼鏡をかけた、やせ気味の少年だ。
「まあな、ド変態。こっちに勝手にチョッカイかけてきやがって、あいつ俺に惚れてんのか?だったらすごく気持ち悪いんだが」
「まぁ……ドンマイ!」
こいつはなんなんだ?いきなり幸太郎を変態呼ばわりして、幸太郎はド変態と返した、が村田とは違って仲がよさそうだ。
「ええと、あなたは……」
「ん?ああ、はじめまして。山本正雄っていいます。よろしくね」
ニコニコしてこちらに挨拶してきた。
「はじめまして、神山健二です」
「霧谷美里です」
「おお!美少女!間近に見るとさらに美しいとは!」
なにか霧谷に感じるものがあったのか、驚嘆している。
「おい。もうすでに天使のような慈悲深い美少女が目の前にいるじゃないか」
「?どこが天使なんだい?」
どうも歯に衣着せぬ物言いをする性格のようだ。河合さんの言葉を真っ向から否定した。
「やっぱりあんたモテないわよ」
「何を言うか!私には百合がある!」
「やっぱりかぁ」
幸太郎の応答からすると、山本君の答えはもともと決まっていたらしい。
「ねぇねぇ?ユリって?」
「おい、よせ霧谷」
幸太郎が静止した意味が始めはわからなかった、がすぐに理由は氷解する。
「百合、それは情熱。百合、それは愛。百合、それは清らなる心。百合、それは世界の真理!」
「あちゃ~。言っちゃったよ、コレ」
幸太郎と河合さんは頭を抱えている。
「百合こそ万物の原則!百合こそが世界を席巻するのだ!」
美里は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「……でなんなの?ユリって?」
最終的に哲学的概念の領域に入ってしまったので何が何だかわからない。
「わかった。俺が代わりに具体的な説明するとだな、女性同士の恋愛もののことを百合っていうんだ。男性同士の場合は薔薇だがこっちはボーイズ・ラブ、略してBLと言うことのほうが増えてそっちのほうが有名になった。実際百合の事もガールズ・ラブ、略してGLということもあるらしいが……どっちかと言えば百合のほうが優勢だな」
「下僕、大分毒されてない?」
「いや、今時これぐらい知ってないとライトノベルもスラスラ読めんよ。必要最低限のことを言ったまでだが。いっそのこと百合で有名な作品を言おうか。かんなづk「もうそろそろ自重しなさい」まあそうかな」
「紀伊、グッジョブ!」
山本はサムズアップしている。なんなんだか。
「だがそれにしても、百合を知らないか。俺のほうが異常なのか?まあ深夜アニメとか見なくて、ネットに触れず、ライトノベルや漫画と無縁の生活をしているとそうなるかもしれないが、今時深夜アニメはなぁ」
どうもまずいらしい。まだ趣味でマンガを読んでいた俺はいいが、美里は勉学とコミュニケーションの訓練はしていたが、世俗やサブカルチャーなどとはほぼ無縁の生活をしてきたのが仇となったか。危ない。今度情報班の坪倉あたりに聞いてみよう。彼女はアニメや漫画が好きらしいし、有益な情報を持っているかもしれない。
*************
今日一日で分かったことがある。
「意外と霧谷って頭いいんだな。普段ぽわぽわしているのに」
「ほぇ?」
「ほんとにねぇ、私が悩むような問題も楽々解いてしまうんだもの」
実際驚きだ。学年でも数学で一位二位を争うような河合よりずっと速く問題を解いたのだ。実際難易度は高かった。普段の河合ならテストの残り30分を居眠りに費やしているはずなのに10分しか寝てないのを俺は目の当たりにした。それを人外のようなスピードで解く霧谷を見て数学科の米田(小坂とは違い一般的に評価が高いさわやかスポーツマン風)は「えっ」と声を漏らしてからしばしフリーズしていたのはしょうがないかもしれない。なお俺は平均だがそれで十分だ。
「神山もすごいよ。さっき返ってきた地理。あのいじめのような白地図を俺と同じ100点で埋めてんだ」
「下僕と同じ点数なんていた?」
「いねぇよ。社会科は今まで80点以下はとったこと無いが、理系に来たやつで俺に勝ったのはいない。文系なら兼田とかがいるが」
「兼田あたりの連中は弁護士志望でしょ。そりゃ一介の理系に負けれないわ」
なお、その白地図の問題は、ユーラシア中のすべての国の国名と首都を場所に対応するよう書く(国名と首都名はあわせて1点)というものであり、全問正解でボーナス加算もあって100点。正直出来てももうやりたくない。
「英語に関しても文句なしだもんなぁ」
「あれ、今まで海外いましたレベルね。すらすら答え書いて」
「すごいとこから来たんだな」
「転入ではランク下げないといけないとは聞くけど、ここまで差がある?」
「さあな」
「おい、帰りのホームルーム始めるぞ」
小坂が叫んでいる。このホームルームの業務連絡は重要だ。宿題の増減が言い渡されることもある。静かに聞くのは鉄則か。
「さて地理と数学が年度初めから小テストで疲れてるかもしれないが、今週中は宿題を出さないことが決まっている。喜べ。……」
業務連絡も終盤に入り、校門を出る時間も具体的になってきたところで教師から信じられない言葉が飛んできた。
「ああ、そうだ。神山、河合、紀伊、霧谷、このあと残れ」
え?何かしたか?俺たち。河合も訳が分からないといった顔をしている。ふと周囲を見渡すと一人笑いをこらえている奴がいた。村田だ。何か教師に吹き込んだのか?
「よしそれじゃあ、今日は終わり!」
小坂の言葉の後、始業式の日に決まった級長の号令、全員での帰りのあいさつがあり、俺たちは帰れないという事実から同じ席にまた座った。呼び出しを食らった理由を考えていると
「あれあれ?だめでちゅねぇ、先生に叱られるんでちゅかぁ?」
むかつく赤ちゃん言葉が飛んできた。
「なんだ、村田。真相を知っていそうだな。教えてもらおうか?」
「いやだね、くそ虫が」
下品な笑い声とともに取り巻きと帰っていく。まるで勝利を祝うかのように。
「おい、どうしたんだよ。ヘンタイ。おまえは法を犯すようなことはしないだろ」
急いで近寄ってきた山本のその一言で思い当たるものが見えてきた。
「山本、どうも俺たちはあの村田に新年度早々嵌められたらしい」
事実それくらいしか考えられなかった。
*************
「なぁ、俺はいったよなぁ。見たら逃げろって」
小坂先生はそう言って同意を求める。
「はい、しかし」
「しかしも糞もあるかぁ!」
国語科の森脇先生の怒声が響く。美里は恐怖に縮こまってしまった。
「まあまあ、森脇先生、理由があるんでしょうから聞いてもいいでしょう。で理由は?」
恰幅のいい物理の羽田先生が理由を聞く。答えるのは幸太郎だ。
「当時の状況からは逃げるという選択肢が入らなかったのはしょうがないと考えます。360度すべてに不良中学生が存在し、そのうちの過半数はすぐにでも私たちを攻撃できる距離に居ました」
「ならばなぜ、携帯などで警察を呼ぼうとしなかったんだ」
見当違いも甚だしい。あの状況で呼べるだろうか。すると幸太郎はすぐさま反論を始めた。
「先ほども言いましたが、一部は攻撃できる距離に私たちを置いていました。携帯を出せば無用な刺激を与えるだけです。それに、もしそこまで近い場合、通報から現場到着まで平均5分かかる警察に頼るのは非現実的です」
「だからって、戦おうとするのはなぁ」
羽田先生は感心できないという顔をしている。
「相手は12人いて、全員が何らかの器具で武装していました。助けを求めたところで、巻き込まれたくなくて誰も来やしません。第一近くには自分たち以外いなかった。それにすぐに相手は私たちに殴りかかってきました。この状況で助けが呼べますか?腹から声を出せますか?」
「……わかった。やむない理由があってのことなんだな」
「当たり前です。理由もなく殴ることはしません」
「……よし帰っていいぞ」
帰宅の許しが出たので全員が席を立とうとするなか、幸太郎は口を開いた。
「最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「このことを先生に告発したのは村田君じゃないでしょうか?」
幸太郎の質問に羽田先生の表情が変わる。図星だったらしい。
「……なんでそんなことを言う」
「やっぱりか」
幸太郎は確信したらしい。
「どういうことだ」
「村田は私を嫌っています。今朝も私にボールペンを投げつけてきましたし、帰る直前に彼は挑発をかけてきました。先生に叱られるのか、と。しかも呼び出しの時、彼は笑いをこらえていた。まるでなぜ呼び出されたのか知っているかのように」
「?」
「彼は真実を知っていて、そのうちの一か所のみを極端に大きくし、ほかの事実を覆い隠した。大体こんなことをおっしゃったんじゃないですか『不良中学生だといって紀伊たちが中学生を暴行した』とか」
「!」
「これなら私たちを最低でも停学処分にすることぐらい可能です。彼はそれを狙った。私たちの評判を落として今後の進路などに影響させるために。先生達は嵌められたんですよ。村田の策略に、私たちと一緒にね」
*************
「いやぁ、下僕、大活躍だったわね」
昇降口に向かう廊下を俺たちは歩いていた。
「いや、言われてばかりじゃいやだろ」
「まあね。そうそう、大丈夫だった、美里ちゃん?」
「うぅ、こわかった」
「よしよし」
河合さんが美里の頭を撫でてあやしていた。幸太郎を下僕と呼ぶ割には面倒見がいいようだ。そんな中、幸太郎は腕時計を見ていた。
「結構時間食ったな。今日は直接帰るか」
「そうね、家でゆっくりジョジョでも読みましょ♪」
「?じょじょ?」
「『ジョジョの奇妙な冒険』ってマンガだよ。河合の愛読書だ」
「へぇ」
美里はまた河合さんに頭を撫でられている。しかも胸に埋もれている。同僚のこんな姿は初めて見る。美里は簡単に人に心を開くタイプの人間ではないし、スキンシップも元々苦手だ。俺との今のような信頼関係は長年一緒にいたからなのだが、河合さんはそれを一日二日で成したようだ。
「これは珍しいな、河合がこんな行動をとるとは」
「そうなのか?」
「何せこいつ普段女子とは結構距離置いてるしさ、趣味とかも他とは大分ずれてるし、『女子としての』河合なんて見たことないからな」
「へぇ」
「他人の本質なんてすべてわかりやしないよ。てか、それにしても没頭してるな。ほんとに」
いつの間にか河合さんは美里に頬ずりし始めていた。ちょっと美里がかわいそうだ。
「おい、もうそろそろやめてあげたらどうだ。ちょっと苦しそうだぞ」
幸太郎が河合さんに進言する。
「なに?こんなかわいい愛玩動物がいるのに、愛でないほうがおかしいでしょ♪」
「ああ。だめだこりゃ」
河合さんが美里を完全に気に入ってしまったらしい。幸太郎はあきらめてしまった。
「ふぇぇっ!」
美里はさらなる攻勢に困惑している。大丈夫だろうか。
そんななか紀伊は違う話題を口にした。
「そうだ、今週の土曜、うちに来ないか」
今週末。ちょうど課長は家を空ける。都合がいい。
「おぉ。下僕、いいこと言ったわね。どれどれ、弟たちに下僕の扱い方をもう一度教えに行こう」
「それだけは勘弁だ。で、どうだ。来るか?」
「もちろん」
俺は快諾した。
夕日で情緒ある光景になりつつあるなか、俺たちは下駄箱へと歩みを進めた。
*************
「坪倉、入っていいか?」
「どうぞどうぞ」
俺は情報班の坪倉凛の住む部屋の扉の前にいた。ちょうどすぐ左隣の部屋だからわかりやすい。坪倉もまた、俺や美里と同じような少年工作員だ。優秀なハッカーである一方、ヲタク趣味の権化でもある。しかし俺や美里より年齢は若く中学三年生の14歳。公文書上では都内の学校に通っていたが今年度からこっちに転校することになっているはずだ。いまは諜報班の稲垣副長と一緒に住んでいるはずだ。
情報班はすなわち電脳戦部隊である。インターネットを利用して他国政府の重要機密の奪取やテロリストの情報通信の監視を行い、必要となれば情報の改竄や通信網の遮断、偽情報や未公開情報の流布などを行うハッカー・クラッカー集団で、暗号解読やオペレーターもやっている。必然的に班員は民間や犯罪者からの引き抜きがほとんど。そんな集まりだから他の班よりずっとフランクで、勤務時間中もゲームをやっていたりフィギュアをいじっていたりネットサーフィンをしていたりと自由気ままだ。ただ、それを許されるだけの腕はある。
無論ゲーム機片手に来ることぐらい想定していた。しかし、出てきた坪倉の格好はそんな想定の斜め上であった。
「ふふん♪どうです、この格好?」
なぜか巫女服である。腰には日本刀らしきものを差している。髪飾りは普段とは違う形の物、いつもの掛けているはずの眼鏡を外している目にはカラーコンタクトを付けているらしく、瞳は普段とは違う紫色である。
「『きみきた』の北宮千里のコスプレですよ♪」
「生憎、そういうゲームはやらないんだ」
「ふふふ。意味がわかっているじゃないですか♪」
彼女は中学生のはずだが成人向けのコンピュータゲームをやっている。いくらなんでもソレをしてはいけないだろう。年齢を考えると。
俺は部屋の中に招き入れられると、クッションの上に座らされた。
「そうそう、ついに目標と接触しましたよ」
お茶を持ってきながら坪倉はこちらに話しかける。
「紀伊幸太郎の弟か」
「はい。結構イケメンで萌えちゃいました♪慎二キュンかっこいいよ慎二キュン」
はぁはぁと呼吸が荒くなっている。すごく興奮しているようだ。いつもハイテンションだがここまでテンションが上がっているのを見たのは三回目だろうか。
「勝手に興奮するのはいいが、ちょっと相談に乗ってくれないか」
「なんですか?あっ、もしかして恋愛とか!」
坪倉はいっきに身を乗り出す。
「違う。美里の趣味についてだ」
「プレゼントでもするんですか?」
「いや、美里にこれといった趣味がなくていろいろ任務に支障が出そうなんだ」
「学校での話が分からないとか」
的確に問題を読み解いた。さすが自称「天才美少女」なだけある。
「そうだ。漫画とかアニメでもいい、なにか美里に趣味を作ってくれないか」
「う~ん、こまりましたねぇ」
「え?」
まさかそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
「人に合うかどうかなんですよね、趣味って。美里さんって今まで趣味なんてないに等しかったじゃないですか。なのに、いきなり趣味を持てなんて身勝手すぎます」
「そうか……」
「ただ……」
「ん」
「ちょっと待っててください」
巫女服姿で自室に駆けていき、何か紙袋を抱えて戻ってきた。
「こんなのはどうでしょう」
紙袋の中には得体のしれない生物らしき存在のぬいぐるみが入っていた。何とも言えないデフォルメのかかった猫とも犬ともいえない饅頭のような形の足の短い存在である。
「うっかり三つ買っちゃったんで、一個あげます。高いんですよ、それ。一個一万円以上するんです」
「なんなんだこれは」
「『きみきた』のマスコットキャラのぬいぐるみです」
「で、そんな高価なものを俺に渡して、どういう意味だ?」
「女の子は結構な割合でぬいぐるみが好きです。美里さんも好きだと思いますよ。それに……」
意味深な間が生まれる。
「どうしたんだ」
「っ!いえ、なんでも。とにかく日頃の感謝をこめて、贈り物なんかにいかがですか?」
どうも美里に渡せという事らしい。
「なにはともあれ何事も初動が大事です。稲垣さんが言ってました」
なんだろう、すごい説得力がある。稲垣副長の所属する諜報班の任務はテロや騒乱の防止とそのための各種情報収集・工作活動がメインである。故に初動は他の部門よりずっと重要だ。そんなところの副長が言っているらしいのだ。すごく重みがある。
「ただいま。あら、健二君じゃない。この間の件はごめんね。情報収集に手間取るのよ、教育関係って。で、どうしたの?もしかしてまた不備があったの?」
どうも稲垣副長が帰ってきたらしい。またやっちゃった?という空気が周りに漂っている。
「いえ、任務関連の相談を坪倉としていたんです」
「へぇ…あら、凛ちゃんカワイイ!似合うわね」
「えっ!本当ですか!?」
「うんうん。ホントホント!だけどどこで巫女服なんて手にいれたの?」
どうも女性陣で盛り上がり始めたようなので退散する事にした。これ以上は聞けそうにない。
*************
居間のローテーブルの前に胡坐をかいてグラスにジンジャーエールを注ぐ。親父が隣で晩酌をしているから酒の肴を頂戴しようと思ったのだ。
「コウちゃん、宿題終わった?」
母から質問が飛んできた。
「今週は無いってさ。もしあったら小坂の野郎の首締め上げてやる」
夕食後の他愛ない会話。正直なところ話題を宿題から始めなければ最高だが。
「親父、サラミつまんでいいか」
「ああ、いいぞ」
俺は父の酒の肴であるサラミを一枚ほおばってグラスに入ったジンジャーエールを一口飲む。正直言って至福のひと時。ただ他人からはこう見えるらしい。
「コウにぃ、本当にオヤジくさいよ。お父さんのコピーみたい」
「うっせ、俺は高2だ。何が起ころうがオヤジくさくねえよ。それに遺伝子からして親父のコピーであることに疑いはねえだろ」
「そんな風だと彼女さんに嫌われちゃうよぉ♪」
意地悪く言う悠。
「俺に彼女なんていたか」
すると
「えっ、河合さんって彼女じゃないの?」
顔があからさまに驚いたような表情になる。
「なんか勘違いしているようだが恋愛対象じゃねぇぞ。単なる友達だ。あいつは下僕とか言っているが」
「ふぅ~ん」
何とも不満そうだ。
「なんだ、ラブロマンスじゃなくて不服か?」
「茶化せると思ったのにぃ」
どうもこいつは俺を玩具にする気だったらしい。
「すまんな。青春してなくて。そういうお前はどうだ。カッコいいやつとか見つかったのか?」
悠に問いかける。
「そんなわけないよ。まだ二日目だよ」
「そっか。まあせいぜいがんばれ」
「コウにぃには言われたくなかった」
「激励するだけいいだろ」
「むぅ」
どうもバカにされたと感じたらしい。そんな時ふと思い出したことがあった。
「あ、今度の土曜、友達呼ぶから」
「何人?」
母から人数確認が飛んでくる。
「三人」
「わかった。何か必要なものは?」
「ケーキ、かな」
「ふふ、お母さん久々に腕ふるっちゃうぞ♪ふんふんふん♪」
「じゃあ私もケーキ作りに参加しよっと」
母はノリノリである。
「ん?兄貴って十分青春してるじゃん」
中学三年の慎二がひょっこり現れる。
「慎二、どうしたんだ?引きこもって勉強するんじゃないのか」
「ちょっと休憩」
グイと伸びをする慎二。細身で中性的な顔だちの慎二は伸びをするだけで絵になる。俺ががっしりとした父の遺伝子を濃く受け継いだなら、こいつは細身な母の遺伝子の影響が強いようだ。女子からもうらやましがられるというぱっちりとした目を持つ彼だが、ただ残念なのは彼の友人と一緒にヲタク趣味に染まってしまい、女子との交流が少ないところだ。
「ってか、いつから居た?」
「ちょっと前から。彼女云々のところ」
どうも聞き耳を立てていたらしい。
「聞こえてたのか。そういや今何ルートやってる?『きみきた』」
「北宮千里ルート」
「《例の巫女》か」
『きみきた』とは恋愛アドベンチャーゲーム『きみがきた空の果てから』のことであり、《例の巫女》と北宮千里というキャラが呼ばれるのは、北宮千里が巫女キャラで個別ルートで物議を醸すような行動をとったためである。なにせ、何の脈絡もなくいきなり日本刀を持ち出してきてプレイヤーキャラに嫉妬心をぶつけだすのだというからすごい。眼が死んでいる立ち絵はまさしくヤンデレである。なお慎二は18禁要素のあるPC版ではなく表現に修正のかかったコンシューマ版をやっている。
「まったく、二人とも私の血を引いているからイケメンのはずなのにぃ。なんでこんな残念なことに……」
母が会話を聞いて残念そうな顔をしている。母よ、息子たちの目の前でそれを言うか?普通。
「お母さんのその性格が原因だと思うぞ」
「うぅ~」
父の鋭く残酷なツッコミは人を傷つけるには十分だ。そんな中慎二は淡々と話を続ける。
「そうそう。なんか女子から話しかけられた。坪倉凛とか言ったっけ。転校生で結構かわいかったな。話も合うし、数学が得意なんだって。実際、タメはれそうだし」
慎二は数学が得意だ。下手したら俺よりできるだろう。学年一位というだけある。そんな慎二がタメをはれると認めるのだ。大分すごいのだろう。
「まあ♪さすが私の子。今度うちに呼びなさい♪」
「……それが保護者である母としての正しい姿勢か?」
母はノリノリだ。父は完全に呆れている。
「さあて、風呂入るか」
今日はぐっすり寝たい。早めに風呂に入って寝よう。
*************
「ほう、よかったじゃないか」
「うん!」
霧谷は本当にうれしそうな顔をしている。神山からぬいぐるみを貰ったのだそうだ。大切そうに抱いている。彼女にとって何か戦い以外のことに興味を覚えてほしかった自分としては本当に都合がいい。……いや喜ばしいというほうが適切だろうか。
「ところで課長、正式拳銃の更新をお願いできませんか?」
コーラをグラスに注ぎながら神山が切り出した。
「どうした。不都合があったか」
「P220では弾数が少なすぎると思うんです」
そういうと神山はコーラを一口飲む。
「まあ自衛隊との共用や、国内調達の面で選んだからな」
「同じ弾数でもより小型で軽量な拳銃もあります。同じサイズならより多い弾数の物もあります。任務において弾数の少なさは命とりです」
前線で戦っている課員からの意見というわけか。
「……今月中に、警察庁で我々の装備に関する会議があるから、何かしら更新されると思う。実際諜報班から前々から『P230JPではサプレッサーが付けられない』、と苦情があってね、更新で君達にも意見を聞きたかったところだったんだ」
新型拳銃はH&K、Glock、Walther、SIG、S&W、FN、Berettaといった銃器メーカー各社の拳銃から選ばれる。各班にそれぞれ別の制式拳銃が存在し、任務が違えば用途も違う。情報班は最低限の自衛用ということもあって小口径で低反動の物を好み、諜報班は隠匿性とサプレッサーとの相性にうるさい。強襲班は装弾数と取り回しの良さに加え、他の装備との弾薬の共通性を重視する。そしてすべてに共通するのが安全性の高さの重視である。極秘組織故に責任者も表に出ることができない。事故は組織の解体論に直結する。しかし装備所得時の低予算のこともあって今までは各班の要望を半ば無視して今までは予算偽装ができる自衛隊や警察で運用されているものを制式装備にしてきたのだ。
「使用弾薬は9×19パラべラム弾。ダブルカラムマガジンでデコッカー搭載のDA/SA選択型ハンマーレスポリマーフレーム拳銃が最適だと思います」
細かい注文ではあるがこれに該当するものを調達するべきであろう。前線の意見だからこそ重要だ。
「君のことだからFNのFive‐seveNを注文すると思っていたが?」
「弾薬が高価ですし、共通性が俺以外にありませんので」
「まあそうか。霧谷は?」
「ふにゃぁ~」
霧谷にも意見を聞こうとしたが、当の霧谷はぬいぐるみを抱いて、その抱き心地を堪能しているようだ。
「……霧谷に何があった?」
「さあ?」
「完全に骨抜きだな」
女の心はどうもわからない。だからだろうか。女房に先立たれたのは。
「課長、どうかしました?」
「いや、昔のことを思い出してな」
誰もが悲しい過去を抱えている。自分だけではない。彼らもまた、いや、それ以上に過酷な過去を抱えている。悲壮感に浸っていても何も改善しない。
「……霧谷、そのぬいぐるみ、大切にするんだぞ」
「うん!」
元気な返答は心に安らぎを与えてくれる。今までにないほどにまぶしく見える。
そんな中、ふいに電話が鳴った。東京に残った諜報班の班員である松田からだ。
「どうした」
『北朝鮮方面からの不審船が二〇〇海里ラインを突破したとの情報が海上自衛隊から来ました。哨戒機からの情報から日本船籍の漁船に偽装しているとのこと。工作員の上陸か回収が任務と思われます』
「予想進路は」
『このままいけば福井県から京都府にかけての沿岸に到達する見込みです』
「海上保安庁はどうしている」
『全速力で向かっているとのことですが、舞鶴での米軍艦艇入港阻止の海上デモの対策で手の回る人員が少ないとのことだそうです』
「わかった。最悪の事態に備えて空自の入間基地に強襲二班を待機させろ。警視庁公安部外事第二課にも情報をリークして不審船・工作員包囲網を構築しておくこと。領海侵入が確実視された場合、強襲二班に作戦の開始を伝えろ。作戦の手順はわかっているな。中止は海保がちゃんと追い払った時だ。わかったな」
「了解しました」
これから、長い夜が始まる。
まだまだ学園パートは続きます
あとTwitter始めました