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イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁・庶務十三課―  作者: 北方宗一
第三章 シャッタード・マインド
36/64

Invisible murder/phase-1

東京で蓮池と真田はテロリストとの衝突を前に増援を待つ。

その一方、謎の少女の素性を探る十三課現地班。

そして束の間の日常を送る幸太郎には明確な変化が起こりつつあった。

 「待ち合わせか」

 日も暮れた。

 東京都世田谷区の住宅街にある児童公園のブランコで蓮池は憂鬱な表情で人を待っていた。

 一か月前を思い出す。こんなふうにして空虚な時間を埋めていた。

 涙ちょちょぎれという単語を思い出してため息が出る。

 憂鬱な理由はもう一つ。

 待ち合わせている相手の顔を知らないのだ。

 「ねえ、おじさん?」

 「?」

 背中から声が聞こえた。

 背後には長い黒髪を赤いリボンでポニーテールにした少女がいた。

 淫靡(いんび)な表情とブレザーが不思議な雰囲気を醸し出している。

 「泊めてくれない?」

 「はぁ!?」

 「お礼はカラダでするから」

 そういってスカートをたくし上げ……。

 援助交際かよ!!

 「いけない!体は大切にしないと」

 急いでスカートを下させる。

 まず、そんなことやってはいけないし、俺自身もそんな趣味は無い。

 所轄の少年係時代に援助交際で自らを破滅させた少女を見たことがあったのだ。

 得られる金に対してあまりにも大きい代償。

 それに気が付くのは全て終わってしまった後なのだ。

 「……。合格」

 一人慌てる俺を見て、少女は急に真顔になったかと思うと無機質に言う。

 「え?」

 「おーい!どこ……。はぁ……そこにいたのか」

 彼女の背後に少年が現れた。

 つり目の野性味あふれるイケメンだ。

 「りょー君!!」

 少女は少年に抱きつく。

 なんだなんだ?

 「ええと、アナタは?」

 「待ち合わせしてるんだが、援助交際もちかけられたかと思ったら合格と言われた」

 「待ち合わせ……あ!」

 急いで携帯を確認すると蓮池の顔を見つめて、また携帯を見つめる。

 「蓮池さん?」

 「?そうだが……てことは、能美か?」

 「はい。能美(のうみ)(りょう)です」

 携帯のメール着信音が鳴る。

 『すまない。画像の添付をミスしていた』

 本文はそれだけ。

 添付ファイルは目の前のイケメンと美少女。

 「……」

 妙な空気になってしまった。

 「よろしくお願いします」

 「ああ、よろしく」

 非常に気まずい。

 「で、この子が」

 「田宮(たみや)皐月(さつき)です」

 小さくお辞儀する田宮。

 表情は無く、はつらつとした雰囲気がない。

 「(大丈夫なのか?田宮)」

 能美に耳打ちする。

 「(あー……これが普通ですから)」

 能美がいう。

 「あ、ああ」

 納得するしかなかった。

 「それにしても、腕が立つと聞いたが」


 チャキッ……


 「りょー君を疑うつもり?」

 怒りの感情を孕まない怒りの言葉と共に首筋に突きつけられたモノは拳銃だった。

 どこか虚ろな瞳はまるで殺気を感じさせず、無駄な挙動もなく拳銃の銃口が顎から脳天を撃ち抜かんと向いていた。

 で、さっき聞こえてきたのはハンマーを起こしてシアが噛み合った音。

 抵抗するそぶりを見せたら御陀仏。

 冷や汗で背中がじっとりと濡れる。

 「皐月!ダメだ!」

 能美が急いで引きはがす。

 田宮の手にあるのはCz75Bのシルバーフレームモデルだ。

 全鋼製(フルスチール)の結構重い拳銃を華麗に扱うとなると凄腕なのはもう疑いようもない。

 「……疑う余地もなかったよ」

 これがナイフだったらもっとヤバかったはずだ。

 最低限の配慮といったところだろうか。

 にしてもハンマーを起こすのはやりすぎだと思うが。

 「それにしても二人とも高校生なのか」

 「はい。同じ高校に」

 それを聞いてふと浮かんだ疑問があった。

 「(田宮、友達いるのか?)」

 耳打ちしてみる。

 「(ちゃんといますよ。その……学校とこの仕事でスイッチが切り替わるみたいで)」

 「なるほど」

 意外だ。こんなのが学校でどうなるんだか。

 「概要は知っているな?」

 「大丈夫です」

 「学校の方は?」

 「沖縄の離島にいる親類の葬式ってことにしました」

 「……賢いな」

 「どうにでもなります」

 ニコリと笑う能美に蓮池は若者のしたたかさを感じた。


     *************


 (すごい……幸せ)

 シーツにくるまってプラチナブロンドの少女――荒神ヘレナは呟く。

 隣にいるのは杉下俊喜。彼女の愛する男だ。

 彼女を初めて受け入れてくれた男。

 彼女はその美貌や髪と瞳の色、そして名前がもとで常に注目の的だった。

 周りに友達はおらず、ただ嫉妬に染まった人しかいなかった。

 モデルとして活躍してきたがそれも自己顕示欲の強い親の自己満足でしかなかった。

 貴方のため。そんな言葉を散々聞かされてきたが、まったく実感がなかった。

 そんな空虚な日常を変えてくれたのが杉下だった。

 彼のためならなんだってできる。

 そして勝ち続けなければならない。

 この前のことを忘れられない。

 常に勝ってきた彼女にとって初めての負けだ。

 警察官とは違うピストルとマシンガンを使う奴らがいたのだ。

 あいつらを仕留める。

 愛する彼のために。

 「どうした……?」

 「狩りに行く」

 なんとなくモヤモヤした感覚がするの振り払いたかった。

 「へまするなよ」

 テレビの画面を見たまま俊喜は言った


 夜の街に出ると巡回の警官がいる。

 それを狩るのが彼女の趣味となっていた。

 「君!」

 制服を着た警官が声をかけてくる。

 「確認させてくれないか」

 二人一組で一人はリボルバーを持っている。

 「嫌♪」

 マチェットを抜き、切り上げる。

 「やっ……!」

 警官は急いで手を無線に伸ばすが、それより先にマカロフを撃つ。

 銃で撃つのは殺した感じがしなくてやっぱりいやだ。

 近寄って喉を律儀に切る。

 これで安心。

 遠くからサイレンが聞こえる。

 急いで逃げなければ。


 諜報一班の戸塚は羽田とともにPVS‐15暗視双眼鏡で事の次第を見ていた。

 「どうだ」

 「ああ、見ていて反吐が出そうだ」

 羽田からの報告の催促に苦々しく答える。

 「武器は?」

 「マチェット一本。それと分かりにくかったが、コンパクトピストル一挺。PP、P230あたりか」

 「気を付けろ。気づかれるな」

 「了解」

 監視の目は常に向いていた。


 なぜか視線を感じる。どこかにいるのはわかっている。

 だが、どこにいるかわからない。

 視線には慣れていた。だから感じ取れたのだ。

 毎日汚いおっさんや発情したキモオタからの視線に晒されてきたからしょうがない。

 「誰なの?」

 振り向くがまるで分らない。

 誰かいる。その緊張感で彼女は変な感覚を覚えていた。


 「ちっ。尾行がばれたか?」

 恐ろしさを感じる。

 視線を常に気にかけてきたらしい少女は、十分な距離を取った監視すら見透かしたのだ。

 「本部。尾行がばれたらしい」

 羽田は本部に無線を送る。

 『位置はばれたか?』

 「いや、尾行していることがばれただけのようだ。点検が酷い」

 『下手に動くなよ』

 「あ、ああ」

 羽田の言葉を聞きつつ、念のためにP230JPのセーフティを解除する。

 この尾行は何もカラーギャングの一人を逮捕して他の奴らの居場所を吐かせようなんて話ではない。

 実際にはカラーギャングを一網打尽にするための作戦だった。

 彼女を追跡し、ポイントを絞り込んで同時に叩く。

 そのポイントづくりが目的だった。

 女の素性は調査中だが、顔を正確に写した写真が無いために難航していた。

 「お、諦めたか」

 どうも尾行を見つけられず諦めたらしい。

 「まったく、派手な髪しといて素性がわからんとは」

 「聞き込みができないんだからしょうがない」

 「まあ、そうだな」

 実のところ公安調査庁調査部第二課から引き抜かれた戸塚はこの任務に疑問を感じていた。

 彼が駆逐するのはテロリストであって、こんなカラーギャングは刑事警察がどうにかするものなのだ。

 彼にとってはまさしく栄転だった公調特捜部は、こんな仕事をするのかといった感じだ。

 「どうだ?」

 「ちゃんと見えてます」

 「もうそろそろ交代だ。不満があるなら、聞いてやるぜ、酒飲みながら」

 羽田は神奈川県警の捜査三課で腕を鳴らしたという凄腕の刑事だった。

 人生の先輩である彼の助言を聞くのもいいかもしれない。

 「気づかいありがとうございます」

 二人は神山と霧谷に交代した。だが、交代した若造どもはあっけなく少女を見失った。


     *************


 水銀の海と不気味なほどに抜けるような蒼穹(そら)

 俺はその中心にいた。

 中心なんてわかるわけないが、なぜか中心とわかる。

 俺の血の色が水銀の水面を広がっていく。

 そうか。俺は、怪我を負ったのか。

 「貴様、力は要らぬか?」

 不意に目の前から声が聞こえた。

 少女がいる。どこかで見たような、儚げな少女が。

 小柄な少女は水銀の水面につま先で浮いている。

 少女とは思えない荒々しい物言い。

 何処かつかみどころのない声色。

 「お前はなんだ?」

 その疑問が浮かぶ。

 「吾は貴様の最も近く最も遠い場所におる」

 少女は何か面白かったのかニコリと笑う。

 「何を言いたい?」

 「気が付かぬか」

 はぁ、と溜息を吐くと少女はすぅとこちらに滑ってくる。

 「貴様の気付かぬ貴様自身じゃ」

 虚を突かれる。

 何を言っているんだ。

 「問おう。貴様、」

 少女の小さな掌に強烈な光を放つ何かがある。

 何故だろう。この少女の言葉が染み渡っていく。

 「力は、要らぬか?」

 少女は右手をこちらに差し出す。

 「貴様に、力を与えよう」

 力。

 そうだ。俺に必要なのは圧倒的な力なんだ。

 少女から光を譲ってもらうと


 「……!?」

 不意の痛み。

 また、あの夢か。

 だいぶはっきりしてきた。

 そうだ。

 この夢は夏休みの出校日の帰りに車に轢かれた後入院し、生と死の境目で見た夢。

 意識の底で、俺は力を欲しいていた。

 そして、あの事故が全てを変えたのか。

 中学のころの記憶はかなり曖昧だ。

 同級生は杉下と松代以外、(ろく)に覚えていない。

 俺は、あの三年間、何をしてきたのか。

 「チクショウ!!」

 曖昧な記憶は苦しみを増やすだけだった。


     *************


 一晩経って、学校内での俺はいつの間にかロリコンということになっていた。

 「なんでだよ……」

 なんか結構な数の生徒が俺を見てひそひそ話に移るのは非常に不愉快だった。

 最近はただでさえ寝不足だというのに、悩みの種は増え続けるばかりだった。

 「おい、山本」

 「どうした?」

 能天気な山本が近づく。

 「お前のせいで俺はとんだ辱めを受ける羽目になっちまったぞ……!」

 「あちゃぁ……」

 「あちゃぁ……じゃないんだよ。どうしてくれるんだ」

 怒りを通り越してあきれるしかできない。

 「ほんとすまない!!」

 溜息を吐くしかできない。

 「俺は、今のところ、女に二股かけたマゾヒストでロリコンのホモということになっちまったんだぞ」

 「どうせまた村田だろぉ〜、出所はさ」

 「かもな……」

 わかりきっているのだが、非常に憂鬱だった。

 「そういや、神山と霧谷は」

 「仲良しこよしで(むつ)みあいじゃないのか?」

 「そういう?」

 山本は眉をひそめる。

 「いや、冗談だ。まあ、一般的カップル以上の仲だとは思うが」

 あの二人の仲は何となくむずむずする関係である。

 仲は良いがそれ以上の進展が無さ気だ。

 見ていて空気で分かる。

 二人の間には何か壁がある。それ以上に関係を発展させない原因が。

 まあ、プロフェッショナルというのはそういうものなのかもしれない。

 一定の信頼以上の関係は作戦上の問題となり得る。

 だからそれ以上は進まない。

 彼らは対テロ戦の精鋭だ。

 俺とは違う。

 単に私怨に囚われる俺とは。

 「どうした?暗い顔して」

 「いや……なんとなくな」

 なんとなく嫌な予感がした。

 この心配が杞憂であればいいのだが。

 「おはよう、幸太郎」

 「おはよう」

 神山が入ってきた。

 「今日はやけに遅かったな」

 「いや、いろいろあってさ」

 欠伸をかみ殺す神山は何とも眠そうだ。

 「ふあぁぁぁ〜」

 霧谷も大あくびだ。

 「(なあなあ、ヘンタイ?)」

 急に肩を叩かれたかと思うと山本が耳打ちしてくる。

 「(どうした、山本)」

 「(これって……)」

 言わんとしていることはわからないわけじゃない。だが。

 「(お前は考えすぎだ)」

 「?どうしたんだ、二人とも?」

 「「いや、なんでもない」」

 内容も内容だったので俺と山本はすぐに白を切った


     *************


 調べてみたらおっかない事実にぶちあたった。

 環境テロリストの資金源は全く違う噂からわかり始めていたのだ。

 「薬物汚染なあ」

 環境テロ団体の構成員である学生が、通っている大学構内で薬物の売買を行っているという話を掴んだのだ。

 警官として学生を一人二人捕まえるとその手の話は結構詳細に聞くことができた。

 売買現場は大学の廊下の隅の影になるところだか、ほとんど使われない階段の踊り場だとか、はずれの建物の教室だとか。

 扱っている麻薬はMDMA(エクスタシー)PCP(エンジェルダスト)メタンフェタミン(スピード)、LSD、5‐MeO‐DIPT(ゴメオ)、そしてレインボーX。

 蓮池には、レインボーXに苦い思い出があった。

 投与して錯乱し襲い掛かってきた犯人を素手や警棒で制圧できず銃で迎え撃ったのだ。

 かなり凶悪な薬であると熟知していた。

 ふとみると、大学構内の掲示板には反薬物の啓発ポスターがでかでかと張り出してあった。

 何とも空虚なものだ。

 学生の薬物汚染は深淵なものと化している。

 脱法薬物や向精神薬の乱用は、もはや今日の献立並みのすぐ身近な話題なのだ。

 念のためにサークル棟も大学の関係者にお願いして見せてもらおうとしたが、中に入るには令状がいると突っぱねられた。自治会の自治権が最も強いからだという。

 「ガサ入れ令状とって明日にでも攻め込むか」

 「そうだな」

 「あと、公安一課に視察するよう入れておこう」

 「お、それは名案」

 携帯電話を手に取り茅ヶ崎に報告書兼上申書代わりのメールを送る。

 何故視察――監視させるか。理由は大学自治会内部にいる左翼分子の可能性だった。

 大学の自治を唱える自治会のその源流は、時には旧社会党や共産党のような左翼政党とその下位組織である左翼活動団体であった。

 東大安田講堂事件以降多くの大学は、運動の急激な過激化・先鋭化とそれによる大学に対する損失の大きさから、左翼運動を忌避するようになったが、未だに自治会には数多くの左翼分子が存在した。

 その中には公然とテロリストを支援する団体も少なからずあり、公安も常に監視の目を光らせていた。

 彼らがもし、追っているテロリストと接点があった場合、証拠の隠滅に動きかねないのだ。

 いかんせん、今回の事件はどうしようもないほどの大規模に渡る可能性がある。

 下手したら成田の三里塚にまで広がるかもしれない。

 「政治家に学生に企業に極左に環境テロか」

 事件の全容の大きさに恐怖すら感じた。


     *************


 「実に愉快ね」

 「俺は不愉快だ」

 河合のうれしそうな声に呆れつつ、俺は弁当を食べていた。

 ローゼンハイム姉妹は毎日サンドイッチを弁当としているので、俺もまたサンドイッチを食べていた。

 ポテトサラダサンドを食べながらペットボトルの紅茶を飲む。

 「私の下僕の性癖というのが、ここまで吹っ飛んでたとはね」

 「いや、違うって。ロリコンじゃないんだ。好きになった子がたまたまそんなのだったんだって」

 「そういって自分をごまかしてるのね♪」

 ひどく爽やかな笑顔を見せた河合は鼻歌交じりにフリカケのかかったご飯を口に運ぶ。

 「ごまかしてないって……」

 なんでこうなるかなぁ。

 鯖サンドを食べる。南イタリア風にしたとか言っていたが、トマトとオリーブ以外にイタリアを感じさせるものとはいったい?

 「それにしてもおいしそうね」

 「セリーヌが作ってくれるの」

 マリアの言葉に「へぇ」と相槌を打つ河合。

 「今度会わせて」

 急なお願いだ。

 理由はわかっている。料理の作り方を教えてもらいたいのだろう。

 「いいわよ。いつにしよう?」

 それにあっさり答えるマリア。

 女子の結束は意外と硬い。

 「それにしても」

 神山の表情は険しい。

 「松代って、どこかで聞いた苗字なんだよな」

 「どこかって?」

 「それがわからないんだ」

 神山の表情は一層険しくなっていった。


     *************


 日本国内における今宮電子のシェアは大手電機メーカーを超えることはできなかった。

 資本、担保、保有債券などの点で大手には確実に劣る今宮にギャンブルに等しい大規模事業を許す国内の銀行は存在しないも同然だった。

 そんな彼らの増資のやり方は外国の銀行から現地法人を介して融資を受け国内の生産拠点を拡張するというものだった。

 この動きに同調したのがドイツ――そして欧州連合域内有数の大銀行Boltzmann Neuendorff bank AGだった。

 そして今宮はそれを元手に工場の拡張とは別に、様々な事業に手を出し始める。

 小規模な化学工場を吸収統合していって拡大した化学合成事業。

 特殊精密加工システムをベアリング製造に利用した精密機器工業。

 自社製品向けのシリコン技術を応用し分社化したセラミック工業。

 自社製品の輸送の隙間を利用する物流事業。

 製品輸出の効率化のために分社化した輸出事業。

 自社の技術者などを利用することから始めた人材派遣業。

 化学事業によって得た成果を基に始めた健康食品事業。

 そして、アメリカでの民間警備会社――事実上の私設軍隊の保有。

 「さて、今回の議題だ」

 社長の今宮徳治は上座で見渡す。

 「わが社としては東條院の技術者をヘッドハントして拡大してきたが、彼らが邪魔になりつつある。どうしようか」

 技術担当副社長の櫛枝秀雄が切り出す。

 「何か罠に嵌めて懲戒免職にすればいいでしょう。退職金も節約できます」

 人事部長の京田登喜夫が答える。

 「第七企画室に一任する」

 「わかりました」

 社長の決定に第七企画室の副室長の近衛健が了解した。

 「それにしても室長の大槻はどうしたのでしょうか?」

 経営担当副社長の今宮宗次は疑問を口にする。

 「……名古屋に出張だよ」

 京田が呆れながら答える。

 「仕事熱心なことですな」

 専務の野沢広雄は近衛に軽蔑の視線を送る。

 「名古屋支社から要請がありまして。室長直々に向かうことになったのですが、何か?」

 「ほう。それは関心関心。だが、この会議はずっと前から決まっていたことだ」

 近衛の言葉に京田は呆れた表情を崩さずに返す。

 「何をおっしゃりたいのでしょうか?」

 「パッと出の都合が、そこまで重要かね?」

 京田はぎろりと近衛に視線を向ける。

 「我々第七企画室の仕事は機密性が高いですから」

 「それだけで済むと、思っているのかね?」

 「思っています」

 京田の言葉にそう返すと「それでは、仕事がありますので」と近衛は会議室を出て行った。

 「身勝手だな」

 「独立愚連隊だよ。彼らは」

 重役たちは声を潜めて言った。


     *************


 俺はそれこそ半ば軟禁に近い状態にいた。

 ただ、そんな中お袋と話す機会ができた。

 学校近くの喫茶店でアイスクリームの乗ったワッフルを食べながらコーヒーをすすっていた。

 「ひっさしぶりー!」

 何とも気の抜ける感じがする。

 隣に座ると母はコーヒーとフォークを頼んだ。

 「はい。夏服。今週からでしょ?移行期間」

 紙袋を手渡すと「おいしそう」とワッフルを見つめる。

 「なんて気楽に。急に異性の同級生と一緒に生活って、普通の親だったらまず認めないだろ」

 「だって普通の親じゃないんだもん」

 開き直られた。

 「てか、いくらでこれを承諾した?」

 「あら?知ってたの?」

 素っ頓狂な声を上げる。知らないものだと思っていたらしい。

 「知ってたさ。で、いくら?」

 「五千よ」

 あっけらかんと言ってみせる。

 「五千ってはした金でか!?」

 正気じゃない。一葉(いちよう)一枚で人間の行方がこんなふうに決まってたまるか!

 「何言ってるの?すごい大金よ」

 「いや、五千って」

 五千って下手したら家族みんなで一度の外食の時のお金にしかならない。

 コーヒーが来てすすると、母は一息ついて何言ってるの?という表情で向き直る。

 「五千ユーロよ」

 「へ?」

 フォークで俺の目の前にあるワッフルを一口横取りする。

 「だから五千は五千でも五千ユーロなの」

 「それって……」

 イヤ、五千ではあるが。

 一番重要な単位を円で考えていた俺が悪いのか?

 「日本円換算だと……え〜と……ん〜と……」

 「大体五十万円……」

 「ほらね!はした金じゃないわよ。贈与税ないし」

 ほくほく顔だ。

 ただでちょっと食費を浮かせることができた挙句五十万円を貰うって、それでこのリアクションは正気じゃない。

 「それにね、あんたももうそろそろちゃんと恋してみるべきなのよ。いっそのこと婚約してみたら?お父さんも意外とオッケー出してるし」

 親父が!?あの堅物な、県庁勤めで、地方公務員で、管理職の親父が!?

 「あんたが今まで惚れてきた女の子の中では一番のかわいい子なんだからって」

 「おい!それホントにオヤジの言葉かよ!」

 嘘くさい!

 だが言いかねないのも事実。

 俺がませガキだったのもあるが、歴代の好きになった女の子は両親とも把握している。

 「ホントよ!嘘じゃない!」


 「ぐぬぬ……。ぐぬぬぬぬ……」

 「お客様。どうなさいました……」

 「ストロベリーパフェ!もう一個!」

 「あ、はい。かしこまりました」

 内海は溜めこんでいたストレスを食べることで発散していた。

 今目の前にいる紀伊少年に接触できないのだ。

 学校に頼ると事態が大きくなりすぎる。

 だが最近の通学はボディガードを連れての自動車送迎。

 接近しようにも運転士に面が割れた可能性もある。

 それにあのボディーガードなんなの?

 元警護課(SP)じゃない。

 もっと違う鍛え方とふるまいを訓練されている。

 それこそ、思いつくとなると軍隊とか。

 いけないいけない。

 「そんなわけないよね」

 ウェイターが持ってきたパフェを長いスプーンで穿(ほじく)り返す。

 どうしようどうしよう。

 この事件に関する報告をしているが、ほぼ失敗しているというと係長から

 「まあ、普通じゃないから、仕方ないね」

 と慰められたが、やっぱ悔しいものは悔しい。

 ああ。ユーウツだ。ユーウツなんてここで出し切ってしまおう。

 こうなったら今度は学校に聞いてみよう。

 大事になってもいいや!

 何が何でも仕事を成功させてやるぞ!

 ザクザクとシリアルを掻き込むと、コーヒーを飲もうとして舌を火傷した。


     *************


 中央合同庁舎第6号館法務省旧本館


 蓮池がなぜ環境テロと政治家の収賄疑惑とに関連があると踏んだかと言えば、今宮と東條院の関係にある。

 両社とも半導体では東芝や富士通のような超大手企業とは言えないにしても、それなりの規模を持った大手企業だ。コンピュータにある程度詳しければ何度も聞くほど知名度もある。

 東條院に対する企業テロ以前の企業規模として見れば今宮の方が少々大きいだけであったうえに、実は今宮に関しては重金属イオンによる水質汚染疑惑があったのだ。

 電子部品の製造は意外にも環境に負荷のかかるものだ。

 今宮電子は企業の規模の拡大に排水浄化システムの拡張が間に合わず環境省の基準を大きく超える汚染を十年以上放置してきたのだ。

 このことを一番にすっぱ抜いたのは意外にも大手新聞社や地元新聞社ではなく共産党機関紙の『しんぶん赤旗』の全国版だったりする。

 だが、この後汚染は急に改善される。

 水を入れて濃度を薄めるという荒業を用いればどうにでもなる濃度規制の欠陥を利用したのだとも噂されている。

 そこにテロリストが水質汚染を名目として「地球に代わって」報復した先は今宮ではなく東條院だった。

 東條院自体は国際標準化機構のISO14000・14001認定の優良企業であったはずなのに、この事件で一時撤回されてしまう。

 脅迫と迫撃砲による工場の操業停止に社長令嬢誘拐、そして本社に対するリシンテロにより東條院の株価は一気に墜落し、40億円を超える赤字を計上したのだ。

 一方今宮は韓国のユリョン電子工業と提携を結びさらに発展。

 そして東條院の特区参入も計画が頓挫し、いまや今宮と東條院の間には大きな差が存在する。

 「ここまで来るとすべてシナリオが決まっていたとしか思えないな」

 赤レンガ棟内の特捜部の部屋の中で会議をしていた二人はホワイトボードに描いた相関図を眺めていた。

 「さらにここで経産省と財務省の天下り疑惑が来ると……」

 そう。それも問題となる。

 経産省と財務省のエリート官僚が特区の事務局や準備事務所に天下っているのだ

 特区の目玉で最大事業主の今宮が事件を起こせば特区自体の存続も怪しい。

 経産省はともかく、財務省はそれこそあらゆる意味で日本を仕切っている。

 財務省が重要事業の予算カットを言い出したら最後、多くの場合、胡麻を擦っていいなりになるしかない。

 国会議員以外で財務省の横暴を止めることはできないが、民革連は政治主導と言いながら財務省の操り人形と化していた。

 「……きみたち、何やってるの……?」

 声のする方を向くと、見慣れない猫背気味で細身な、黒縁メガネの幸の薄そうな中年男がいた。

 「ええと……あなたは?」

 つい言ってしまった。

 真田の顔がすごい表情になる。

 「……部長なんだけどなぁ……」

 「!?し、失礼しました!」

 気の抜けた声でため息交じりに言われて急いで姿勢を正す。

 部長と言われてもすぐに結びつかない。

 部長の写真を見た限り、もう少しはつらつとした空気があったはずだ。

 「……まあ、しょうがないよね……いつも仕事は茅ヶ崎くんがやっているから……」

 しょぼくれているのか、いじけているのか。部長の声にはハリがない。

 「……だっていつもは部長室に引きこもってたんだもんね……珍しく外出るとこれだよ……」

 「すいませんでした……!」

 「……いいのいいの……いつも影が薄いから……それに初対面だし……」

 地雷踏み抜いてしまったらしいことを反省して謝ってみるが、さらなる自虐に沈み込んでいく。

 何とも、管理職なのにかわいそうなくらい影が薄い。

 しかも初対面となると今までとんだ無頓着っぷりだった自分に反省しかできない。

 「……で、何やってるの?……」

 「あ、それは、浜口外務大臣の収賄疑惑を……」

 すっかり忘れていた当初の問いに答えると

 「……それ、面白そうだね……」

 急に部長の声に張り合いが出始めてきた。

 「え?」

 「……浜口市雄って、私が大学生のときにいたゼミのOBなんだよ……」

 「それが?」

 「……前々からいけ好かないなと思っていたんだ……教授の名声を利用して、国際関係学の専門家面してさ……」

 様子が違う。

 「……コテンパンにしてやれ……」

 「部長のスイッチがはいっちまったぞ」

 真田がつぶやくすぐそばで部長はケタケタと笑い出す。

 壊れてる。こいつ、壊れてやがる。

 「そうだ!!検察庁にいる友達に応援を頼もう!衆議院の席から引きずりおろせるぞ!!楽しくなってきた!」

 躁鬱病という病気がある。

 精神病の一種であり、異常なまでに元気な躁期と気分が沈み込む鬱期が交互に繰り返すのだが、部長の場合はスパンが短すぎる。

 気分の浮き沈みが激しいだけか。

 「部長!?早くしてくださいよ!」

 「なんだい松田君!?」

 ハイテンションなまま部長は松田君と呼ばれた男に勢いよく向き直る。

 「警備局の人たちとのお食事ですよ!遅れたら部長の復讐計画も水の泡です!」

 「ああ!そうだったそうだった!急ぐよ!じゃあね!」

 そう言って部長はスキップ気味に去っていく。

 「課長って嵐のような人だな」

 「それをうまく制御できる松田には感服しかできないよ」

 二人そろって溜息を吐いた。


     *************

小辞典 特別編


能美と田宮

第二章に名前だけ出ていた二人組。

神山・霧谷と同い年だが、入ったのはずっと後。

強襲班付の神山・霧谷と違い諜報班付の少年工作員。

経験が浅いため幸太郎護衛任務は神山・霧谷ペアに譲っている。

坪倉によれば、ヤることはヤッているらしい。


部長

名字は本居。(少なくとも書類上は)特捜部の最高責任者。

インターミッション2‐3にもちらっと出ている。

茅ヶ崎の傀儡といった趣があるが、彼はそれを良しとしつつ実権と仕事無き元首といった立場を利用して各省庁とコネクションを取り持っている模様。

十三課のコネクション構築にも一役買っている。

一応銃の訓練を受けてはいるものの、結果は散々。

なお、法務省主流派閥とは過去の因縁から犬猿の仲。

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