The past that got wet with blood/phase-1
因縁の相手は前触れ無く現れる。
幸太郎の過去は幸太郎を追いつめ始める。
そして東京でも事件は動き始める。
5月25日
大誠学園高等学校 『高校棟』2年B組
「昨日の分のノートありがとう」
感謝の言葉を告げると
「どうということ無いさ」
と幸太郎は返した。
「それにしても昨日のあの態度はなんだったの?あの後教えてくれないし」
「その件に関してはすまなかった」
なんとなく訳が分からない。
「だけど下僕の中学時代のトラウマねぇ……」
「もしかして杉下に関することか」
思い当たるものがあった。
「なんで知っているんだ」
「俺たちが情報戦のプロってことを忘れていないか」
ほんの少し笑いを含んでいうと
「そういえばそうか」
と合点がいった表情をした。
「幸太郎の過去に関しては不明なことが多すぎるけどね」
「そうか。どうせ調書も何もないだろうが」
自嘲的に幸太郎は呟く。
「そうそう。まったく警察に記録はないし、学校関係者もまったく口をつぐむし、だって」
「やっぱりな」
全てお見通しといった感じで
「どうして」
「学校っていうのは体裁を整えるものなのさ。特にあの頃のあの学校はな」
窓から空を透かし見て幸太郎は言った。
空は鉄のような鈍い銀色に染まっていた。
*************
神奈川県 川崎市 首都高速湾岸線
陸上自衛隊のOH‐1ヘリコプターは高速道路を移動中のとある車を追尾していた。
一応この偵察ヘリコプターは「指定された乗用車を追尾する」という演習名目で、パイロットたちも演習だと思って追尾し、情報をHQに上げていた。
「《出歯亀野郎》から《暴君聖婦人》へ。目標は大師出口を通過」
しかし、実際はもっと違う意図が存在した。
『《暴君聖婦人》から《出羽亀野郎》へ。指示があるまで追尾は続行』
「了解」
OH‐1が追尾中の車――銀の二代目スバル・インプレッサワゴンの少し後ろを赤い三菱・ランサーエヴォリューションXが追尾していた。
「本当にあれが?」
蓮池は疑問を口にした。
「ああ。報告の通りだとすれば、インプの中には獲物がいる」
真田は視線をずらさずにそう答える。
「それにしても、新制式拳銃はごついな」
真田の言葉に蓮池は「そうだな」と同意した。
公安調査庁特捜部の新制式装備はスイスアームズ社(日本ではブランド名となったSIGといまだに呼ばれているが)のSP2022拳銃だった。
並行して庶務十三課もSP2022を制式装備にした。
どうも要請すれば9ミリパラべラム以外に.40S&W弾や.357SIG弾にコンバートできるという。
いままで火力面で劣った諜報班の要望らしい。
.40S&W弾なら高質量弾頭なら常温域では亜音速となる。
ソニックブームの発生がないからサプレッサーの効果も十分発揮できる。
ただ独自装備を多く使うという庶務十三課精鋭部隊の特性を考えると意味があるだろうか疑問に感じる。俺も制式ではないリボルバー二丁だからそう感じる。
今まで強襲一班と、俺と真田の所属する諜報一班にのみ認められた独自装備調達要請枠を拳銃にのみ強襲班と諜報班のすべてに適用することにしたらしい。ただ強襲一班と諜報一班は税金から調達費用が全額出るうえに優先調達になっている。しかも強襲一班に至ってはライフル類も対象になっている。他は自腹を切らないといけない。
まあ面倒な法手続を代わりにやってくれる上に輸送代と代金の一部は持ってくれるというのだからそれはそれでありがたい。
俺はそれこそジャムの危険性と威力面でリボルバーを選んだ。
ただ、この前の戦闘でオートのありがたみがよくわかった。
リボルバーは必要に応じどちらか一丁にしてSP2022を常備しようか。
乗っているランサーエヴォリューションXはインプレッサを追尾して高速を降り、工場が立ち並ぶ地区に入り込んだ。
「まあそうだろうと思っていたが」
真田の言葉に納得する。
工場の近くは工業騒音が多く気づかれにくい。
工具があるままつぶれた工場は銃の組み立てや修理などにも都合がいい。
すると急にインプレッサが止まる。
結構後ろを走っていたので徐行して少しずつ近づく。
後部ドアが開くと何かが投げ出され、インプレッサは凄まじい速度で去っていく。
「追尾を続行しろ!俺が確認する!」
すぐに真田はブレーキを掛け、それと並行して蓮池はドアを少し開き、扉を閉めながら飛び降りる。
真田は急加速しインプレッサの追跡を続行する。
蓮池はバックサイドホルスターから6インチのライノを抜き、シリンダーラッチを開いて装弾を確認すると投げ出された物体に近づいていく。
紺色のブレザーを羽織っているらしい人影であることがわかり、さらに近づく。
そのブレザーが女物であること、そして羽織っている人影がだいぶやつれていることがわかった。
肌のキメとかはてんでわからない蓮池ですら、凄惨に思えるほどの肌の状態の悪さ。
髪ももうぼろぼろという表現でしか表せそうにない。
本当に何者なんだろうか。
「おい!こっちを向け」
呼びかけるが反応がない。
さらに近づくと黒髪に結構な量の白髪が混じっているのがわかる。
「おい」
さすがに心配になって肩に手を置くが、それは弱弱しく右手でどかそうとするだけ。
顔をゆっくり覗き込むとそこには想像を絶する光景が存在した。
「ァ……ぁあ……ぉ……」
「な、なんだ…、こりゃ……」
ガリガリに痩せた少女の下腹部だけアンバランスに膨らんでいる。
目の焦点はあっておらず、虚ろな瞳がどうにか蓮池を捉えるだけだった。
まったくの無表情な顔はもっと栄養があればそれこそ美少女だったろう。
「本部!救急車を要請!重要参考人を確保!栄養失調の可能性がある!」
あわてて無線に吹き込むと少女の目から涙が一筋こぼれた。
*************
昇降口の下駄箱で待ち合わせて一緒に下校する。
「それにしても久しぶりだな。このメンバーは」
「言われてみるとそうかも。エミリーちゃんもいるし」
霧谷はすごくうれしそうだ。
エミリーちゃんに抱きつこうとしていやいやと拒絶されている。
「さて、帰ろうか」
この中の全員が拳銃を携帯しており、3人がナイフも持ち歩いている。
普通に考えて異常ともいえるが、それが法的にセーフであるのがこの面子である。
公安調査庁庶務十三課。対テロ・工作員作戦を主眼に置いた日本の秘密警察組織。
これだけ人数がいれば襲撃自体もほとんどないだろう。
「料理覚えようと頑張ってるんだけどまるで駄目ね」
マリアはハーフアップにした髪をかきあげながら言う。
「今度教えようか?」
「できるの!?」
俺の提案にマリアは驚く。
「小さいころから料理は趣味にしていたからな。簡単な奴なら俺でも教えることぐらいは。本格的な料理なら母さんに頼めばいいし」
「ありがとう♪今度教えて」
「お安い御用さ」
喋りながら徐々に学校を離れていく。
「そうだ。久しぶりに鯛焼きなんてどうだ?」
「いいわね。お金あるし」
格段に人影が少ない通りに入ると俺の視界の端に危機が映った。
日本人の中でも浅黒い肌に茶色に染めた髪。ひょろっとした体躯をダボついた服で隠している少年は生意気な目でこちらを見ている。
「久しぶりだなぁ!紀伊!」
忌々しい声が聞こえる。
こいつは誰だと全員が固くなる。
「貴様はまだまっすぐ歩けていたか、杉下!てっきりドラッグで何もできなくなっていると思っていたがっ!」
悪態をつくと気味の悪い笑みを浮かべた。
「そういうなよ!友達だろぉ!殺しあったくらい!」
「貴様などと友達になった覚えはないっ!」
ねっとりとした口調で紡がれた言葉を否定する。
奴は妙な距離感を取っている。嫌な予感がする。
「んじゃあ交渉はなしだ。思う存分、殺してやる!」
カバンから木の塊が出てきたと思ったらその中から拳銃を引き出す。
スチェッキン機関拳銃。ソ連が開発した戦車兵や対テロ部隊向けの大型拳銃。
身の危険が強制的に能力を覚醒させる。
一瞬で世界が爆ぜ、単純化される。
「なんでそんなものを!」
「教えねぇよ!」
マリアの言葉に答えると同時にトリガーが引き絞られる。
全員がすぐにコンクリートの塀の陰に隠れる。
神山と霧谷は懐からP99拳銃を抜くとスライドを引く。
コッキングインジケーターがスライド後端からせり出て、ローディングインジケーターがチャンバーへの装弾を示す。
すぐさま攻撃しようとするが、杉下のスチェッキンが弾を吐き出している以上マガジンの交換を狙うしかない。
マリアとエミリーもコンバットマスターを取り出しスライドを引くと牽制射撃する。
河合もカバンからM84FSを手に取りスライドを引く。
幸太郎もP230JPをカバンから取り出し、スライドを引くと飛び出す。
「幸太郎!!」
後ろから神山の叫び声が聞こえる。
銃撃を回避すると瞬間に肉薄する。
頭を狙って引き金を引く。
だが当たらない。
射線を避けたのだ。
「うぜえ!!」
杉下はマガジンを交換する。
再度、今度は腹から胸にかけてのエリアを狙って銃弾を叩き込む。
杉下はひらりとかわす。
隙をついて神山とマリアが牽制射撃を加える。
だが幸太郎を意識しているのか気にも留めない。
「おい!仕事だ!」
杉下がそう叫ぶといつの間にか神山たちの周囲に同年代の少年が集まってきた。
極彩色の服を着て手にはトカレフやマカロフを握っている。
「他にいたか!」
神山たちはすぐに待ち伏せていた他の敵に攻撃を加える。
銃の扱いに慣れていないらしい。
トカレフのハンマーを起こしそびれている奴もいる。
チャンバーに装弾すらしていない奴もいる。
数が多いだけらしい。肩や脚を撃つだけで闘争心を失っている。
マリアは上着の内ポケットからSOGのスローイングナイフを取り出すと鋭く投射する。
敵の胸に突き刺さったのと同時に背後の敵にもう一本を突き立てる。
さらに目の前に迫った敵をもう一本で下から上に一閃する。
河合は手際よく敵一人一人を確実に行動不能にする。
エミリーはカランビットを片手で開くと舞うように敵に接近し切り裂き、左手のコンバットマスターで接近してきた敵を射抜く。
「弱いのばっかだけど数が多い!」
「銃の使い方覚えたみたいだな!ヤバいぞ!」
エミリーの愚痴に神山は注意を促した。
だいぶ慣れてきた敵はこちらに銃撃を加えてきた。
河合は即座に迎え撃つ。
「このままじゃ警察が来るわよ!」
「早く片付けるぞ!」
だが予想外にそれは早く来た。
「もう警察官が来たか!」
視界には青い制服が映っていた。
幸太郎は拳銃で杉下を狙い撃つ。
だが、まったく効いている様子がない。
杉下のスチェッキンは未だに脅威だった。
また弾が切れたらしい。
マガジン交換中に今度は頭蓋を狙う。
引き金を引こうとした。
「な何をやっている!そ。その銃を下せ!」
刹那、不意に背後から聞こえた怒声。
制服を着た警官が自転車を止め拳銃を抜きつつ近づいてきた。
構えているのはS&W M360J。
手がガタガタ震えているうえに、へっぴり腰になっている。
完全に場慣れしていないようだ。
確実に新人だ。
「おいぃぃ!は、早くその銃をぉおおお!す捨てろおおぉ!」
上擦った声で警告しながらハンマーを起こし始める。
五連シリンダーが回転する。
まったく杉下は動じていないどころか、その姿を見て腹を抱えて笑っている。
「おい!聞ぃいて、いりゅのくああぁあ!」
初めて銃を持った相手を見て完全に訳が分からなくなっているようだ。
「やめろ!これ以上近づくな!」
刺激したくない。
それ以前に杉下の拳銃をスチェッキンとは知らないだろうしわからないだろう。
これではいい的だ。
「犯罪者のくせに、さっしずするなぁぁああ!」
完全に錯乱寸前だ。
「ケーサツか。弱そう」
不意に笑うのをやめたかと思うと、にぃっと笑ってスチェッキンを構えなおす。
即座にP230を構えなおす。
「貴様らあああああああああああああああああああああああ!」
M360Jが火を噴く。
撃つ気があるという威嚇射撃。
だが、杉下は動じない。
警官は再度ハンマーを起こす。
「次は!当てるぞおおおおおおおおおおお!」
「当たるわけねえだろ!そんなへっぴり腰で!早く増援を呼べ!」
この能力では話にならない。
明らかになれていない。
照準すらまともに定まっているかわからない。
機関拳銃を持った素人の方が優位な状況なのだ。
銃器対策班を呼んで対処すべきなのだ。
「だから指図するなああああああああ!」
警官は絶叫する。
だが、次は無かった。
スチェッキンは背後の警官を射抜いた。
なすすべなく警官は倒れる。
「ゃろう!部外者巻き込みやがってぇえええ!」
杉下に突進する。
三発撃つと弾が切れる。
拳銃を放り捨てると右手を硬い拳にする。
射線を掻い潜り杉下の鳩尾に拳を叩き込む。
めり込まない。
杉下はまるで動じない。
防弾服。しかも高級な、トカレフを通さないようなやつ。
「うぜぇ!」
頭頂部に衝撃が来る。
腹部に強い衝撃が来る。
意識が一気に遠くなっていった。
「幸太郎!」
杉下は銃口を幸太郎に向けていた。
三点速射で杉下を狙う。
だが胴に当たってもまるで動じない。
「防弾服?」
こちらに気付いて即座にスチェッキンでこちらに制圧射撃を加えてくる。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
増援が近いらしい。
「ちっ!ずらかるぞ!」
そう叫ぶと杉下は路地に消えた。
比較的傷の浅い奴らも散り散りになって逃げる。
逃げる敵に片膝をついた姿勢で追撃を掛けようと美里はP99を構える。
「追うな!」
制止すると美里は固い表情を若干ゆるめて銃口を下した。
P99のスライド上方のデコッキングラッチを押す。
「大丈夫!?」
「コータロー!しっかりして!」
倒れた幸太郎を河合さんとエミリーちゃんが揺する
「下手に揺するな!それとデコックしろ」
はっとしてマリアとエミリーはハンマーをゆっくり落としてデコックする。
河合さんもセーフティレバーを上げてハンマーを落とす。
「幸太郎!大丈夫か!」
意識確認の呼びかけを行う。
「眠ってる?」
「気を失ってる!」
河合さんが携帯を取り出したその時、マリアはその携帯を抑えた。
「救急車を!」
「そんなことしたら事態が複雑になるわ」
「急いで退避するぞ。面倒事を増やしたくない。車を誰か出せないか!?」
「私のところで車を出すわ。それまで警察を抑えといて!」
マリアはそういって携帯を取り出す。
「わかった」
神山はそう答えると急いで課長に電話を入れた。
*************
おもい。
身体が重い。
なぜこんなに重いんだ。
目蓋も。
声が聞こえる。
ゆっくりと目蓋を開く。
眼の前が真っ白に染まる。
ゆっくりと白んだ世界に輪郭が浮かんできた。
目の前には真っ白い肌でブロンド美女がいた。
「おはよ♪」
「ファッ!?」
反射的に距離を取る。
ウェーブがかかったブロンド。
胸は結構大きいのはほぼ確定。
なぜわかるかっていうと、この女の格好は普通に考えてこれは薄着とかそう言うレベルじゃない。
なんせ下着姿だ。水着の可能性もあるが、ガーターストッキングに黒いリボンとフリル付いた紫の下着に紫のネグリジェ状の衣類って、完全にそういうのじゃねえか!
見たこと無いぞ。こんな人。
「ふふふ。かわいい」
官能的な笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。
「あ、あわわわわわっ!」
どうすればいい。
急いで眼鏡を探す。正直言って右目だけは何の問題もないが、俺の身に着けるモノの中でも結構大事なものだ。
……
ない!
どこにもない!
というよりベッドが広い!
何がどうなってるんだ!?
杉下が連れ去って篭絡させるためにこんなことを!?
拳銃は……そう言えば弾切れした挙句放り捨てたんだった!
どっちみちこの状況下で拳銃なんて隠し持ってるわけがない。
「入るわよ」
扉が開くとマリアが入ってきた。
何がどうなってるんだ!?
「セリーヌ。困ってるんだからやめてあげなさい」
「ちぇ。いじめがいがあると思ったのに」
あきれ顔のマリアに遊び足りないといった表情の女性。
「セリーヌ?」
誰だ?
「私たちの助手のセリーヌよ。ご飯とか書類整理とかしてくれるの」
「初めまして。セリーヌ・ミュラトールです」
ぺことお辞儀をしてセリーヌは自己紹介をする。
「てっきり二人のお姉さんかと」
あわてて言い訳する。
「いえ、血のつながりはありませんし、売られていたところを買い取って助けてくれましたから。つまりはお二人の奴隷です♪」
「……すげぇ」
奴隷って言っちゃったぞ、おい。
「でもマリアちゃんたちが偶に甘えてくるからお姉ちゃん気分を「い、言わないでよ!!」ええ?いいじゃない」
マリアの顔が真っ赤だ。
欧州最強の殺し屋の素顔ってわけか。
まあ、過酷な仕事をしているとストレスがたまるだろうし、そういうものだろう。
で、だ。
「ここは何処で、何がどうなってるんだ?」
「ここは私たちのセーフハウスよ。そしてあんたはスギシタって奴に殴られて気を失ったの」
「で、なんで」
普通なら病院にいてもおかしくはない。
「ここに運んだか?病院に運ぶと話がややこしくなるし、スギシタとその仲間の襲撃を考えると得策じゃないって神山くんが判断したの」
そうか。
時に公安警察は所轄の警察や刑事警察との接触を防ぐために離脱命令を下すという。
しかも庶務十三課は最高機密級の超法規的対テロ準軍事機関。
しかも少年工作員の存在なんて理解されるものではない。
救急車を呼ぶと事情の聴取が行われるだろうから、得策じゃない。
「ここには戦争できるくらいの武器と弾薬と爆弾があるからね」
「そういえば、杉下は?」
「スギシタの行方は分からないわ。警察が捜査しているけど」
マリアは俯きながら言う。
「そうか……。そういえば今何時だ?」
「ええと、19時12分ね」
いつの間にそんな時間になっているんだ。
親父もお袋も完全に心配している。
「帰らないと!」
「大丈夫よ。話は通してるから。それに当面の間はここで暮らすの」
「え?」
「ちょっとの間うちに泊まりますって電話して、会って挨拶してOKは取り付けたわ。お金包んで渡したし」
手際良いな!おい!
だが懸案事項はまだある。
「いや!エミリーちゃんが嫌がるんじゃ!?」
「あなたのこと一番気にかけていたの、エミリーなのよ。『勝手に死なれると殺せない』とか言って」
やっぱりか!!
嫌な予感が的中する
血の気が引ける。
「大丈夫よ。殺しちゃダメって言っておいたし、エミリーの隣で一晩ずっと添い寝するから」
ふふふ、と笑ってエミリーはベッドの上に座る。
「そうそう。茅ヶ崎からこれを渡すように言われてたわ」
ひょいと黒いポリマー製のアタッシェケースを取り出す。
SWISS ARMSのロゴが見える.
「スイスアームズ……」
「つまりは新しい武器の供給ね」
中には大型拳銃が入っていた。
「これは」
「SIGのSIG PROね。9ミリ口径の」
手に取るとスライドを引く。
スライドストップを解除しデコッキングレバーでハンマーを落とす。
「隠すには少々大きいな」
「ならこれらから選べって」
ペラと紙切れを渡してきた
「いや、いい。工夫すればこの程度大丈夫だ」
紙を手で遮るとSP2022をガンケースに戻す。
「それにしてもスギシタってなんなの?あいつ?」
こちらの顔を覗き込んでくる。
「それは明日にでもみんなに話すさ」
ぐぅと腹の虫が鳴く。
「お腹すいた?」
「そりゃ、まあ」
「ちょうどディナーが出来るころね」
ノックが聞こえた。
ゆっくりと扉が開くとさっきは下着姿だったセリーヌさんが部屋着を着て入ってきた。
「夕ご飯が出来ましたよ」
ベッドから這いずり出ると客用に用意されたスリッパを履く。
「大丈夫?」
「俺はタフネスで売ってんだ」
「そのわりに顔色が悪いけど……」
実際体がふらつく。
「無理しないほうがいいわ」
「そうも言ってられないからな」
マリアの心配を跳ね飛ばす。
「俺は兵隊だ。人間である以前にな」
俺の中学時代の心の言葉と共に。
「エミリーちゃん。どうしてそんな顔するの?」
「お姉ちゃん、あいつに張り付いて私にかまってくれないもん」
エミリーはほっぺを膨らませて不満を訴える。
「でも嫉妬して紀伊さんを殺さないんだ」
「殺しちゃダメってお姉ちゃんが……」
「ならしょうがないわね」
ちゅっとエミリーの頬にキスする。
なんでこんなことになったんだろ。
エミリーはそう感じていた。
お姉ちゃんはこの国の機関と契約した。
大人に裏切られ続けてきたのに。
なんで。なんでこんなこと決めたんだろう。
監視役とか言って一人このテリトリに入ってきた。
和泉吉華。
彼女はなんてことなくこの空間に溶け込んでいる。
さっきもスープの入った鍋にバターをひと欠け入れていた。
「ディナーはどうかしら?」
お姉ちゃんはドアを開けて入ってくる。
「シチューか?」
「そう。ハッシュドビーフね」
あいつもいっしょだ。
「それにしても鼻がよく利くのね」
「まあな」
あいつはダイニングテーブルに一応予備としてあった椅子に座る。
「その……ごめんな。こんなふうにお世話になっちゃって」
「ふんっ!」
この態度が気に食わない。
私を丸め込んだらお姉ちゃんを私から奪うつもりなんだ。そうに決まってる。
殺さなければいい。怖い思いをさせて廃人になるまで追い込んでしまえばいいんだ。
すごいゾクゾクする。
そうしてしまえばお姉ちゃんとの生活は安泰。
後は和泉をどうにかしちゃえばお姉ちゃんは私だけ見てくれる。
ああ!なんてしあわせなんだろう!
エミリーちゃん。さっきまで妙に殺気立っていたのが急に蕩けている。
恍惚とした表情がなんとなく恐い。
なんだろう。エミリーちゃんの締まりのない表情を見るのは初めてだ。
だから余計怖い。
「はい、ハッシュドビーフ」
「ありがとうございます」
赤茶色のシチューが目の前にある。
マッシュポテトやヴァイスヴルスト、切り分けたバゲットだかバタールだかのフランスパンもある。ドイツ料理とイギリス家庭料理とフランスパンが混在しているようだ。
いつの間にか黒髪の女性が増えていた。
「それじゃあ、みんな揃ったわね」
この場にいる俺以外は両手を組んでまぶたを閉じる。
『〈神と聖霊の名によって、アーメン〉』
そういって十字を切った。
「……」
これがキリスト教の食前の祈りか。
「……いただきます」
俺は一人、日本式の祈りをした。
「日本人って皮ごと食べるのね」
「大多数の日本人がそうだと思うぞ。あと焼いて食べるのも多い」
ソーセージの食べ方にマリアはどうも驚いていた
異文化交流ってこんな感じなのだろう。
「そう言えば武器が山ほどあるって、武器庫ってどこなんだ」
「ふふふ。武器庫はこの部屋全てね」
「それって……?」
マットレスを持ち上げ、天板を動かすとベッドの下にはずらりと銃があった。
この前見たステアーAUGもある。
「このグロックは良い銃よ。3rdジェネレーションは特にね」
マリアは一つだけ無造作に手に取る。
グロックも複数ある。スライドを見る限りはこのグロックは17。19や25もある。
他にはフルサイズのノバックサイト装着スケイルセレーションのM1911系カスタムモデルやCz52やCz75・2nd、Cz82、Cz100、Vz58、Vz61……やけにチェスカー・ズブロヨフカ製の銃が多い。
今度はクローゼットからでかいケースを二つ重たそうに引っ張り出してくる。
中を開けるとドラグノフとSVUが出てきた。
衣装ケースの中からはS&W M649とPPK/Sが出てきた。
本棚の洋書からはH&K P7M13やP2000、SIG P210が出てきた。
飾っていたウサギのぬいぐるみのジッパーを開けるとSIG P232SLが出てきた。
「使うのか、これ全部?」
多すぎる。数が。
「もちろん。これでも一部よ」
「そうそう見せていいものじゃないだろ」
「まあ、ね。けど一応教えておかないと、もしもの時に対処できないわ」
そういってマリアは腕を組む。
「なるほど」
俺はその言葉に納得した。
*************
小辞典
SIG SP2022
SIGの新鋭ポリマーフレーム拳銃。
P22X系列の拳銃をほぼそのままポリマーフレーム化したと言っても過言ではない。操作も簡易分解の方法が違うだけである。
基本ユニットの一部をフレームに依存してきたP22Xから進歩し、統一ユニット化した。
ただ、ポリマーフレーム拳銃でも最高級の値段とメタルフレーム並みの重量であり、少々その点が問題となっている。
スチェッキン マカロフ
旧ソ連が設計製造した拳銃。マカロフが先行して開発された。
マカロフはワルサーPPを基に開発された拳銃であり、トカレフより先進的な設計である。セーフティを搭載するが、西側と作動位置が逆であり間違われることがある。
スチェッキンはマカロフ向けの弾丸を使用する機関拳銃。
見た目はパワード・マカロフといった感じの大型拳銃。
専用のホルスターはストックになる。
ベレッタ M84FS
チーターと通称されるコンパクト拳銃。
M92Fを小型化したような形状だがセーフティがフレームに存在する。
.380ACPを使用する
S&W M360J
日本向けに製造されたリボルバー。
.357マグナムに対応しているとされているが、日本では.38スペシャル弾しか使わない。
何年か前に回収騒動になったのはこの銃
グロック
様々なモデルがありガンマニアでも正確に覚えている人は少ない。
25は19を基に.380ACP仕様にしたもの。
Cz52 Cz75・2nd Cz82 Cz100 Vz58
どれもチェスカー・ズブロヨフカの製品。
Vz58以外は拳銃である。
52はトカレフ弾を使用するローラーロッキング方式の拳銃。
75は非常に有名な9ミリパラべラム弾使用の輸出向けの拳銃。2ndは生産性改良型で、1stよりも低価格。
82は52の後継で、マカロフ弾を使用するシンプルで多弾数の銃。
100はよくツァスタバ製と間違われるポリマーフレーム拳銃。
Vz58はAKにパッと見似ているが使用する弾以外まったく関係ない突撃銃。
ドラグノフ SVU
ロシア製の狙撃銃。
ドラグノフ、SVUともに7.62×54R弾を使用。
SVUはブルパップ式。
銃声に金属音が混じる事で有名。
ドラグノフを打つ時に「私は一発の銃弾」というと命中率が上がるとかなんとか。
S&W M649
護身用の小型リボルバー。
ステンレス製で.357マグナムを使うことができる。
ハンマーを隠すようにフレームが出っ張っているがハンマーを起こすことができる。
ワルサーPPK/S
名作コンパクトピストル。
ダブルアクションやデコッキングセーフティなどを搭載する。
007が使う拳銃として有名。イギリスで殺しのライセンスを手に入れたら是非。
H&K P7M13
H&K製の変態ピストルの一つ。
ストライカー式で、スクイズコッカーというグリップセーフティ兼コッキングシステムを有するが、おかげでグリップが大きく握りづらい。
妙にバランスの悪いデザインだが一部では高性能ということもあって人気。
一部の理念はグロックに通ずる。
SIG P210 P232SL
SIGのメタルフレーム拳銃。
P210はSIG最初の拳銃で、削り出し故の高値である。
ヤンマーニをかき鳴らしながら御洒落にどうぞ
P232はP230の改善型である。しかし部品の互換性はほぼない。
なおSLはステンレスモデルを指す記号。