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Vierte Mission: Ein Zweifel und Eine Krise――疑惑と危機

北海道での戦闘の翌朝。

この日が大きな転機になることを知る者はだれ一人としていなかった。

 「昨日夜中に発生したと思われる北海道室蘭市の銃乱射事件の続報です。事件現場から一キロほど離れた造船所の建物に射殺体が発見されたとのことです。……」

 朝から大事件だ。北海道は室蘭で大規模な銃撃戦の跡が見られたとか。

 「物騒な世の中になったものねぇ」

 「そりゃ、世界が縮まって武器が簡単に手に入るようになったからさ。しょうがない」

 父はそういって味噌汁をすする。

 「だけどねぇ」

 「昔、在大阪中国領事館の駐在武官、簡単に言うと軍が派遣している外交官が日本のヤクザに拳銃を密輸していたってスキャンダルがあったらしいけど」

 結構有名な事件ではある。中国政府が日本の非合法組織に支援していた証拠とも言われることもあるが、私利私欲のためとも言われる。

 「それにしても、訳が分からない事件だな。結構な人が死ぬくらいの銃撃戦があったみたいだが誰も目撃していないっていうのは」

 父の言葉も納得だが

 「だとしても市街地から離れたら案外わからないかもよ」

 実際わからなかった経験がある自分には住人の気持ちもわかる。

 「一度ニューヨークの街中で銃声を聞いたけど派手な爆竹程度の音だったわ」

 「海外旅行の経験ってすごいな」

 「まあね♪」

 ドヤ顔の母に父は呆れた表情をするのだった。


      *************


 「予想外だったな」

 てっきり本州にいる商人を狙うものだと思っていたが、一番離れていた北海道の商人を狙ったのだ。

 「で、どうだった」

 『商談相手に死傷者多数、商人側の死者はゼロです。殺し屋は商人の護衛に射殺された模様。商人たちも武装していました』

 「世の中うまくいかないな」

 『そうですね』

 「今後とも監視してくれ」

 『了解しました』

 電話を切ると考え始めた。武器商人を狙っている殺し屋は死んだ。使用した銃器は判断材料になりえない。同じタイプの銃を複数持っていることが多いためだ。本拠地も不明だから他の武器も全く不明だ。戦術面で見ればほぼWLSで確定ではあるが。顔が割れていないが故に確証はない。

 「まったく面倒なことをしてくれたな」

 これからは高度な情報戦になる。真相を知るには明日が重要だ。

 「朝ごはんできたよ」

 霧谷の声が聞こえる。自分で作ることができるようになったらしい。

 「ああ。今いく」

 ダイニングテーブルにはスクランブルエッグとサラダに焼いたベーコンがある。トーストはまだ焼けていないらしい。

 「あと少し。トーストが焼けるまで待って」

 「ははは。トーストもちゃんと準備するべきだったな」

 まだまだ手際は悪いらしい。

 神山もダイニングにきて小首をかしげている。

 「ごめん。ケンくん」

 「いいよ」

 チンと音がしてトーストが焼けたことがわかる。

 「ちょうどいいな。では頂くとしよう」

 皆椅子に座ると手を合わせる。

 「「「いただきます」」」


      *************


 「おはよう、幸太郎」

 「おはよう。そうそう、ちょっといいか?」

 幸太郎はそう言って耳打ちする。

 「おい神山。室蘭の事件ってお前らが関わってたりするのか?」

 そのことか。

 「ああ。あとで教える」

 「サンキュ」

 すぐに察したか。察する能力は異常に高いな。

 「おはよう」

 ローゼンハイムさんがあいさつする。

 「まったく、この国はどうなってるの。世界一安全だって言ってたのにいろんなところで銃器犯罪が起こっているし、最近はテロが起こったって。しかもここからそこまで遠くない街で」


 グサッ


 こんな効果音が胸の中に響く。幸太郎も同じだろう。心に鋭い言葉が刺さった時の音だ。砂肝にテーブルナイフを刺したときの音もこんな音だろう。

 「どうしたの二人とも?固まって?」

 「い、いや、気のせい気のせい」

 「ははは、そうそう。気にしない気にしない」

 そう言う事件の当事者たちなのだから心に来る。

 俺たちはよくわかっている。この態度がすっごくわざとらしいことを。

 「それにしても、なんか大事件が頻発してないか?」

 「今年は各国の不法工作員やテロリストが活発だから」

 「そうか」

 「だからあんな事件が発生した」

 赤色テロが今までにない規模で発生している。このままではさらなる事件の発生につながりかねない。

 「もしかしたら力を借りることがあるかもしれない。その時はたのむ」

 「ああ、わかってる。たく、契約なんて言うのはじっくり考えるもんだな」

 自嘲的に幸太郎は笑った。


      *************


 やさしい目をした白髪交じりの男――李国明は奈良にいた。歴史的な建物は子供時代を過ごした洛陽を思い起こさせる。さすがにここまで鹿はいないが。

 「〈落ち着くね。日本の文明の始祖というだけある。古い寺に大仏もあるとわくわくするよ〉」

 「〈先生!鹿がかわいいですよ!〉」

 秘書の黄が鹿せんべいを与えながら感激している。

 李は世界中の史跡を巡るのが趣味だった。アフガンのターリバーンによるバーミヤンの遺跡群の一つである大仏の破壊を知り、反ターリバーン勢力に武器を供給した過去もある。

 「〈うつくしい〉」

 遠くに見える五重塔に見とれる。

 李が日本にいる理由は観光であった。

 一応商談があったが、それ以上に観光が中心だった。その商談にしても武器よりもコレクター向けの仏像のレプリカが中心だ。武器よりもコレクター向けの美術品や装飾品(無可動実銃を含む)のほうが彼の商品の中心となる。

 彼自身は『鉛筆から戦闘機まで』をモットーにしている。顧客が金さえ積めば何でもそろえる商売だ。実際、アフリカの教育支援のためにノートと鉛筆を多数納入したこともあるし、高級ワインをフランスのレストランに卸したこともある。大富豪の気まぐれでコーギーを買いに行ったこともあった。イタリアのシチリアン・マフィアにマシンガンや狙撃銃を売ったこともある。人と麻薬以外は売るつもりだ。

 「〈やはり日本に来て正解だった。そうだ!昼ごはんは茶粥にしよう。おいしいらしいぞ〉」

 「〈茶粥ですか。ここまで来てお粥とは。先生はお粥が好きですね〉」

 黄は呆れた表情を見せる。

 「〈君もたまには豪勢な食事ではなく質素なものにすべきではないかね。朝から肉なんて私の身には重すぎる〉」

 「〈若いからいいんですよ〉」

 からからと笑う黄を鹿が小突く。

 「〈鹿せんべいかい?ごめんな今はもうないんだ〉」

 手のひらを見せると鹿は退散する。面白いものだ。

 「〈……鹿せんべい買おうかな〉」

 「〈かわいいですもんね、鹿〉」

 奈良国立博物館の開館までまだ少し時間がある。鹿と戯れるのもいいかもしれない。


      *************


 午前の授業が二つ終わった。

 「ねえ」

 急にローゼンハイムが声をかける。

 「ん?」

 「聞いてほしいことがあるの」

 「なんだ?」

 何とも深刻そうな表情。

 次に来るのは何の言葉だ?

 ……………………

 「わたしの、ボーイフレンドになってほしいの」

 「へ?」

 今なんて?

 「だから……その…つきあって!」

 「はい。……はぁ!?」

 嗚呼、ついに私にも春が来たのか。

 けど。

 いきなりすぎません?ちょっと強引すぎません?第一なんでそうなる!

 「な、なんでよ!」

 「そうよそうよ!」

 「紀伊くんなんてオヤジ臭いよ。もっとましな男子がいるのに」

 「第一河合さんがいるのに」

 女子から抗議が殺到する。

 「おいお前ら何言ってんだ」

 正直言って少しムカッと来た

 「え?おっさん臭いし、いつも河合さんと一緒にいるし」

 「おっさん臭いのは否定しない。けど、河合と俺の関係はお前たちの想像しているものとだいぶ質が違うぞ」

 「もしかして、もっと深い関係!?」

 「なんでみんなそう曲解するかなぁ!?」

 頭を抱えざるを得ない。

 しょうがない。河合との関係を誤解させないためにも何か手を打たないといけない。


 幸太郎の席のあたりが騒がしい。何があったんだ?

 「そうだ!今度連休があるよね」

 「ああ。それがどうした?」

 幸太郎は振り向く。

 「私とエミリーに町を案内してほしいんだけど、大丈夫?紀伊くん?」

 「え!?ああ…。大丈夫だな。ちょうど予定ないし」

 幸太郎は依頼を引き受けた。それにしてもすごく簡単に引き受けたな。

 「よろしくね」

 「ああ」

 明るい顔で手を振るエミリーさんに幸太郎も小さく手を振る。

 幸太郎はさびしい表情をする。

 「どうしたんだ?」

 「いや……急に告白された…」

 何があったんだ。

 「その……悲しいのか?」

 さみしそうな表情を浮かべている幸太郎に掛ける言葉を俺は知らない。

 「いや。中学のころの記憶の中でも数少ない、覚えている記憶をふと思い出してな」

 「?」

 「俺が異性と一緒に街に出るとろくでもないことに見舞われる。このジンクスを打ち破りたくてね」

 遠い過去を見るような眼をすると、幸太郎はため息をついた。

 言えない過去があるのはわかっている。中学校によって隠蔽された重大な事件が幸太郎に暗く大きな影を落としている。

 「ジンクスは打破するためにある」

 幸太郎の言葉にはどこか重たいものがあった。


      *************


 「明日の一〇二二ヒト・マル・フタ・フタ漢江(ハンガン)物産に強襲をかける。装備はA1固定。作戦の詳細は直前にブリーフィングを行う」

 事務所の一角の部屋で簡易ブリーフィングが行われる。人数は数人程度。A1装備が何だかは知らないが最低限の情報とこれから北九州へ行くことはわかる。一人一人黒いケースを手に持ち解散する。

 「これからどうするんだ」

 茅ヶ崎に問う。

 「各自バラバラに北九州に向かう。移動手段は鉄道、航空機、高速バスだな。我々が集団で動いていることを悟られないためにだ」

 徹底した秘匿主義。さすがリアル007。

 「君も移動するんだ」

 そう言うと茅ヶ崎は俺に封筒を渡した。中には福岡行の航空券が入っている。

 「中部国際発福岡行のチケットだ。今から私鉄の特急でいけばいい」

 「ああ……」

 「拳銃は別ルートで送る。作戦開始直前に渡そう。弾薬は航空機に乗せるには許可を取らないといけないし、拳銃は止められかねない」

 「ああ、わかった」

 俺は事務所を出て駅へと向かう。

 新しい戦いの舞台へと向かうために。


      *************


 「さて、世界の植生についてはこれで終わりです」

 物腰の柔らかい、眼鏡をかけた天パー気味の黒髪の男の先生がチョークを黒板のチョーク置きに置く。この先生が地理の先生だ。影が薄めでどうしても名前を思い出せない。中学の方の所属だったか。それにしてもこの先生は細い。この学校には太い先生と細い先生しかいそうにない。中肉は最小派閥だ。

 地理の授業は何とも面倒なものだ。地形図の読み方から始まり、今度はケッペンの気候区分と世界の植生だ。国家情勢とかなら俺の独壇場だが、それはまだ先の話だ。これから世界の主食に入るはず。これに関しても母からの超英才教育(世界旅行の体験談)でよく知っている。長々とこういうことをやるとやけに退屈だ。

 「先生な、海外とか行ってみたいってずっと思ってるんだよ。だけど金も時間もないんじゃどうしようもないね」

 嘆きの声。先生。母の経験を分け与えましょうか?身にならないでしょうが。

 「ドイツとかいいよね。本場のヴルストとか食べてみたいんだよなぁ。ザウアークラウトと一緒に。街並みも美しいだろうし」


 バキンッ


 誰かの何かが折れた音がした。

 「ん?どうしましたか、ローゼンハイムさん?」

 クラス中の視線が集まる。ローゼンハイムの手元には何か筆記具の残骸があった。

 「い、いいえ。なんでもありません」

 だいぶあわてている。

 何かが引き金になってキレてしまったのだろうか。俺が常用しているシャーボはアルマイト加工されたアルミ製だが、シャープペンシルの多くはプラスチック製。ボールペンだってそうだ。いくら金属より強度がないとは言っても故意にやらない限り折れるものじゃない。

 「……Macht alles warum hat zu Deutschland eine Phantasie!?」

 何かつぶやく。響きからしてドイツ系の言語。怒りが垣間見られる。

 「さて、世界の主食に関してですね。今ではアフリカやアマゾンの奥地以外なら様々な場所の食事を食べることができるようになりつつありますね」

 仕切りなおして先生が黒板に『主食』と書く。

 「主食となるのはイネ科の植物とイモ類が中心になります。パンとご飯とふかしイモが世界中の主食なんですね」

 更に黒板に『パン ご飯 イモ』と書く。

 「農作物は気候に大きく左右されますね。植物ですから」

 『やっぱり植物』と追加される。

 「これらの中でもコメが一番水を使います。見ればわかるでしょ。水田ですから」

 『水田』と追加される。

 「けれども、コメを多く生産している東南アジアでは浮稲というタイプが多いんですね」

 『浮稲』が追加される。

 この先生、結構せわしなく動く。

 「詳しくは資料集に乗っています。そして次に来るのが……」

 板書が本格的になってきた。集中しないと取り残される。


      *************


 李は茶粥を堪能した少し遅い昼食の後、散策をしていた。

 「〈法隆寺。現存する人類最古の木造建築か〉」

 彼が史跡を好む理由は幼少期の体験にある。文革の真っ只中を美術商の息子として育った李は、古いものを『反革命的』『帝国主義的』と破壊して周る紅衛兵たちを「歴史に価値を見いだせぬド阿呆」と感じていた。店中の美術品に毛沢東語録の一節を貼り付けて破壊を防ごうとしたり、毛沢東語録を一字一句正確に暗記して『幼い私ができたのだから貴様らは空ですべて言えるんだろうな』と挑発もした。革命が過ぎ去り平穏な日々が戻った時には数多くの歴史的遺産が破壊され無残な姿をさらしていた。日本に来て初めて麻雀を知った口だ。だからこそ史跡や文化財の保護に興味があったし、史跡を巡ることが趣味になった。

 「〈立派ですね〉」

 「〈壮大だろ。まだ日本が中華文化圏の中にあったころの建物だ。我々の少し前の世代が中華の遺産をあらかた破壊してしまったから、中華の遺産は日本の方が多くある。皮肉だな〉」

 「〈大阪の中華飯店でチャイナドレスを初めて見ました〉」

 「〈あれも本省ではほとんど見かけないな。香港と台湾ならよく見るが〉」

 さらに歩みを進める。

 「〈ホントお寺が多いですね〉」

 黄は地図を広げてまじまじと見る。

 「〈もともとは宗教都市としてできたからな〉」

 「〈そうなんですか〉」

 「〈当時祭政一致の日本王朝の首都だったのだよ。厄災が降りかかったために東大寺のあの大仏を作ったが、皮肉なことに作る過程の金メッキ工程で当時世界有数の水銀汚染地帯と化してしまったのさ〉」

 「〈すごい過去があったんですね〉」

 「〈歴史を忘れてはならんよ〉」

 「〈しかし詳しいですね〉」

 「〈好きだからな〉」

 ふと肩がぶつかる。観光中の年寄りのアベックだ。

 「すいません!」

 「ああ、大丈夫ですよ」

 「お寺がお好きなんですか?」

 「ええ。昔から。中国の洛陽の生まれで」

 「あら、そうですか」

 観光中のおしゃべりというのは得てして楽しいものだ。

 

      *************


 今日最後の二時限連続の地理の授業が終わり、帰りのHR前の時間だ。

 「どうしたんだろうね、マリアさん?」

 「さあ?」

 美里の疑問に答えを返そうにも理由がよくわからない。

 何がきっかけなのだろうか。

 「ファンタズィーって聞こえたから空想とか幻覚って言ってたんだろうけれど……」

 美里の語学力は俺より数段すぐれている。俺だってそれなり以上の訓練は受けたが、美里の方がよっぽど正確かつ早く理解する。だが

 「聞き取るのは美里でも無理だったか」

 声が小さかったのもあってか、聞き取れず理解できなかったのか。

 「ダメだった。けど、怒ってた」

 確信を持って美里が答える。


 パアァン


 不意に何か破裂音が鳴る。一瞬身構える。襲撃の可能性はゼロじゃない。まだ日本人民解放戦線の残党はいるのだ。

 「何の音だ?」

 「あれじゃね?ちょっと煙が見える」

 「まじか!?どこどこ?」

 窓にクラスメイトが殺到する。

 俺たちも窓から外を見てみるとグラウンドにはまだ煙が立ち上っていて、小さな炎がくすぶっていた。見る限りは殺傷力のない大きな爆竹といったものだろう。派手な音と煙だが爆心の近くにいない限りけがは負わない。脅かすためか火薬の特性を知らない素人の犯行だ。本当に爆破したいならこんなものよりナパーム弾か火炎瓶を使うはずだ。

 フェンス越しに影が見える。年度初めに俺たちを襲った不良中学生たちの仲間だろう。

 「ケンくん」

 「どうした?」

 「その……マリアさんの動きがちょっと変だった」

 「どう変なんだ?」

 「なんていうか、私たちと似てるっていうか、反応が違った。身を伏せるようにしながら急に鞄に手を入れて周囲を警戒するような仕草をしてた」

 怪しい。机の下に潜り込むならまだしも、カバンの中に手を入れたということは何かを取り出す気があるということになる。しかもそのあとに警戒をした。このような行動をするのはアメリカ等の銃規制の緩い国でボディーガードとして訓練を受けた人間か、自衛のために火器を持つような人間だ。いわゆる一般人ではない。そして十中八九カバンの中には拳銃が入っている。

 「どういうことだ」

 カバンの中身なんて聞けるわけがない。相手のプライバシーがあるし、もし違った場合の言い訳も思いつかない。無理やり見るためには教師の持ち物検査くらいだろうが、そんなことが起こるだろうか。

 だが、可能性があるとなると確認しないわけにはいかない。


      *************


 帰りのHRが終わりみんな散り散りになる。

 俺はカバンと机を確認して席を立つ。

 「あの…」

 不意に背後から声がかかる。

 振り返るとローゼンハイムがいた。

 「ごめんね。あんなことしちゃって」

 謝罪の言葉。結構心から謝罪しているようである。

 「半ば公開処刑だぞ、あれ。ああ、明日からからかわれる毎日の幕開けか」

 自然とため息が出る。てか、俺はいつの間にフラグを立てたんだ?

 「それくらい大丈夫よ。クラスメイトは子供じゃないんだし。じゃあちょっとエミリーを迎えに行くね」

 そう言ってローゼンハイムは教室を出て行った。

 甘いぞ、ローゼンハイム。日本の高校生の幼稚さを舐めちゃいけない。

 そう。意外とみんなノリが軽い。いともたやすく行われるえげつない行為という奴だろうか。

 「やぁヘンタイ。男らしいな!公開告白に速攻で応じるなんて」

 山本が肩を叩く。

 「あぁ、ド変態。俺は紳士だからな」

 「紳士は紳士でもヘンタイという名の紳士なんじゃないか?」

 「ベタなネタで来るな」

 「そうかい?」

 「どっちみちこれ以上の好条件はないだろうしな。母さんの喜ぶ顔がありありと浮かぶよ。ははは」

 ちょっと悲しい気分になる。こんなあっさりと告白か。なんか涙が出てきた

 「もしかして、いっそのこと付き合っちゃいなさい的なこと言ってたのかい?」

 「ご名答」

 「君のお母さんらしいね」

 理解されるということは周知の事実ということか。

 「気が重くなるよ」

 天井を見る。

 坂本九の『上を向いて歩こう』のサビだけが頭の中でループする。

 そういえばアメリカではスキヤキって呼ばれているんだっけ。

 「まあいいじゃないか。BL疑惑が晴れてさ」

 「偽装交際って言われる可能性も結構あるがな。意外とオカマとかホモには既婚者が多いと聞くぞ」

 「世界は明るくないかぁ…。まあ、河合さんとの交際疑惑が晴れてそれも」

 「意味ないよ。二股男の異名がもう付いたはずだ」

 俺よりも暗い表情になる。

 「そういえば河合は?」

 「さあ?」

 「河合さんなら先に帰ったみたいだよ」

 女子がそういって「じゃあね」と手を振る。

 河合はこういう気づかいするのだろうか?

 どこに行ってしまったのかわからないことに漠然とした不安を感じながら俺は教室を出た。


      *************


 下駄箱で靴を履きかえると昇降口でローゼンハイム姉妹が待っていた。

 どうも揉めているようだ。

 「お姉ちゃん、なんで」

 エミリーは抗議の声を上げる。

 「いくらなんでもあそこまで嫌うこともないじゃない」

 「でも」

 「でも、じゃないの」

 マリアはエミリーを諭す。

 「あ。ごめんね、紀伊くん」

 マリアはこちらに気が付いたようだ。

 「むぅ」

 エミリーは不機嫌そうな表情をする。

 「この子恥ずかしがり屋で人見知りだから」

 「そうか」

 なるほど。だからか。今までつんけんした態度だったのは。

 ていうか、再婚に反対している一人娘をもつシングルマザーと結婚しようとするおっさんの気持ちというのはこんな感じなのだろうか。何とも言えない余所者感がある。

 「そういえば他の皆は?」

 「先に帰ったみたいだな」

 気まずい。約一年と八か月ほど河合以外の女子と二人きりになることはなかった。

 手芸部の女慣れは無くなっていたか。


 「それにしても唐突だな、告白するの。俺の何がそう心に響いたんだ?」

 校門を出て、歩きながら話す。

 「安心感があるの。お父さんみたいな」

 「父性を感じたからっていうわけか」

 「そうかも」

 「ふうん……」

 そんなもんなのだろうか。

 「なら、何故あなたはすぐ答えてくれたの?」

 「そうそう女の子に恥はかかせるものじゃないと思っているんでな。それに…」

 「それに?」

 「かわいいじゃないか」

 エミリーはむすっとした表情になる。

 「そうかしら」

 マリアは何とも悲しげな表情でつぶやく。

 「美人て言ってんだ。素直に喜ぶべきさ」

 「なんだろう。私、他人の言葉を信じることができなくてね」

 「なるほど」

 過去の俺と同類か。

 「けど、貴方の言葉なら信じられそう」

 にこっと俺の顔に向いてほほ笑む。

 すごくかわいい。

 久しぶりにそう感じた。

 「なににやけてるの……!!」

 エミリーから鋭い視線とともに凄まじい剣幕で鋭い言葉が浴びせられる。

 俺に向けての明らかな嫌悪と拒絶。

 エミリーはどうもそういう性格らしい。極端なまでに他人を信用しない。

 「お姉ちゃんもなんでこんなことしてるの!?」

 鋭い言葉はマリアにも向けられる。

 「帰ろ!お姉ちゃん!」

 エミリーはマリアの手をつかむと強く引っ張っていった。

 二人の関係の間に入ることはできないことを俺は知った。


      *************


 「何があったんだろう」

 俺は美里と一緒に幸太郎とマリアさんを尾行していた。

 尾行においてはおおまかに刑事式と公安式という二つの方法がある。

 刑事式が世間で一般的な尾行法だ。相手を注視するのだ。

 公安式は視界の中に常に対象を入れて置き追尾する。こちらは常に入れ代わり立ち代わりで相手を監視する。人数が多くないと成立しえないし、顔見知りでは効果が極端に薄い。

 今は刑事式で遠くから監視するのが吉だ。

 幸太郎はローゼンハイム姉妹と一緒に歩いている。楽しそうに話していたのが一転してエミリーちゃんが怒りだし、マリアさんを引っ張っていった。

 「エミリーちゃんは私たちを全く信用していない。心の壁が厚いから」

 「そうだよなぁ」

 何処をどう見てもエミリーちゃんは俺たちを信用していなかった。他人を嫌っていた。

 「今日は波乱の一日だな」

 「そうだね」

 急な接近。怪しい挙動。ここまで来るとテロリストの刺客か何かだろうか。

 「今後とも注視すべきだな」

 最悪の事態が起こる可能性だってある。

 幸太郎の護衛が任務である以上、怪しい対象は厳重に監視すべきだ。

 携帯を手に取って電話を掛ける。

 「真田」

 『どうした?神山?』

 「マリア・ローゼンハイムっていうドイツ人の動向を探れないか」

 『わかった。どうも相当ヤバい奴なんだな』

 「ああ」

 『で、どういうやつだ』


 「紀伊幸太郎の彼女になった金髪の少女だ」


      *************


 夕方の西日が古都を照らす。

 「〈明日はすき焼きか〉」

 「〈明日の朝食は私も軽いものにします〉」

 黄の意思表示に李は驚いた。黄は朝から重たそうな肉料理をよく食べるのだ。

 「〈どうしたのかね?具合でも悪いのか?〉」

 心配になって利は尋ねた。

 「〈いえいえ、すき焼きをおいしく食べるためですよ。一食一人で一万日元平らげるんですよ。そうそう無いじゃないですか〉」

 そう明日は三重の松阪に出向き、常連の美術品コレクターと一緒に高級すき焼きを食べることになっている。一食一万日元という高級料理は、安飯がおいしいこの国ではそうそうあるものではない。

 しかも代金はすべて向こう持ちだ。

 「〈珍しく肉を進んで食べる気になったよ〉」

 「〈久しぶりですもんね〉」

 李はベジタリアンではないが肉はほとんど食べない。ヨーロッパでの商談の時はカモ肉や鶏肉の料理や肉を少なめにしたものを食べるのだ。

 贅沢はしないというのが身に染みているようで、年商からは考えられないような質素な生活をしている。一応、体面を保つために高級なホテルに泊まり、高級レストランで会食し、高級なスーツを身にまとうが、すべて仕事のためだ。実はもっと質素な生活をしたい。日本人や裕福な中国人を『スーツを着た猿』と言うことがあったりするが、その好例が私だろう。

 身の丈に合っていない。

 田舎町の美術商として生きてゆけばよかったのだろうが、若い私は改革開放路線の自由な空気と持ち前の資金力と政府中枢とのコネで世界へ飛び出し、商売をした。今となって後悔している。後継者の息子もまだ半人前だ。従業員の中にも後を任せることができそうな人間は黄以外見当たらない。客からの信頼も厚く、収益の結構な割合がこういう方式で契約した商品というのはどうしようもない。

 「〈私はこれからどうすればいいと思う、黄?〉」

 「〈死ぬまで働くのはどうでしょうか。先生の体は健康そのものだ〉」

 「〈老体にムチ打って働け…か〉」

 「〈そこまで言っていません!〉」

 「〈ははは、そうだな〉」

 西日が街を赤々と照らすのを二人は見つめた。

 「〈これが日本人の言う()(さび)というものなんですかね〉」

 「〈……君もまだまだだ〉」

 李はそう笑って今日の夕飯をなににするか考え始めた。

小辞典 特別編


銃声の聞こえ方

実は銃声は距離によって聞こえ方が大きく違う。

銃声を構成するのが独特の広い音域であることもあり回折現象などによって伝わり方が変わるのである。

さらに使用銃器やサプレッサーの有無、使用弾の初速でも変わる。

拳銃の銃声は離れると爆竹の音と変わらないのはこういう要因があったりもする。


奈良観光

寺社仏閣に鹿に茶がゆが奈良観光の定石。

行くなら秋がいい。秋には正倉院展をやっている。

JRの奈良駅二代目駅舎は結構重厚なつくりでかっこいい。


高級スキヤキ

三重県の松阪市で高級なスキヤキとなると基本的に牛銀か和田金の二択になる。

牛銀は旅館を思わせる歴史を感じさせる二階建てなのに対し、和田金はホテルを髣髴とさせるビルディングを丸々ひとつをお食事処にしている。

また、牛銀は牛銀本店で和風、洋食屋牛銀で洋食としているのに対し、和田金は同じビルですき焼きもステーキも食べることができる。

どちらもほぼ同等(牛銀のほうがレパートリーやコース分けの面で層が広い)の高級店で、御祝い事や観光、特別な接待などの特別な場に使われる。

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